転べば糞の上
いかなる生き物も、必死になって生きている。
Aランクの上位であっても、Fランクのさらに下位でも。
やっていることは、誰も同じ。
位置が違うだけで、必死に生きている。
捕食されまいと、飢えまいと、誰もが必死なのだ。
竜も人間も同じこと。
恋をして、愛を語り、命をつなごうと必死なのだ。
なお、本人は必死でも、他人からは滑稽に見える模様。
「なんだったんだろうなあ……あれは」
竜たちが去った翌日。
拗ねていたアカネを慰めるために、狐太郎はその上に乗っていた。
「なんでもいいよ、あんなの……もう、セキトさんは格好がいいのに、どうして私によってくるのはあんなのなのかな!」
「いや……あっちも大概だからな」
「そんなことないよ、ちゃんと挨拶するし、いきなり告白してこないし!」
もちろん、アカネに乗馬すれば死ぬ。
であればどうすればいいか、歩いたり走ったりするとケガをするのだ。
じゃあ座ってればいい。
なにかの頓智のように、座っている竜王の背にまたがっている狐太郎。
彼女の背中につけられた馬具のうえで、微妙に悪い座り心地に苦しんでいた。
バイクや車じゃないので、そもそも人間が座りやすい形になっていないし、そもそも馬具が狐太郎に合っていない。
(竜にとって、求愛行動は告白扱いなのか? いや、そもそもそういうもんだけども……プロポーズなんだろうけども)
「恥ってものを知らないよ! むかつく! ケイちゃんのラプテル君だって、もっとこう節度を知ってたよ!」
(お前には言われたくないだろうが、まあわかる)
下には下がいる。
狐太郎は、あまりアカネを信頼していなかった。
正直に言えば、コゴエやササゲに比べてやや下に見ていた。
それは強い弱いではなく、思慮のなさからくるものだった。
だがしかし、あの竜たちに比べればだいぶましである。
アカネも一応は文明圏で暮らしていた、文化的生活を送ってきた竜である。
いきなり求愛行動をしだすような、野生の獣のようなことはしなかった。
つまりアカネのことは一定の線の下にいると思っていたが、ぜんぜん許容範囲だったのだ。
実際にはもっと下の方にいる、どうしようもないのがいるのだ。
(アカネがそこいらで求愛始めてたら、えらいことになってたな。まさにしつけのなってないペットだな……)
「ねえご主人様、立っていい?」
「俺が下りた後ならな」
「え~~? 立つぐらいいいじゃん」
「絶対落ちるから駄目だ」
「ゆっくりやるからさ~~」
「降りるぞ」
「チェ~~」
もちろん、アカネ以下が見つかったとしても、アカネが酷いことに変わりはないのだが。
なぜこうも必死になって、自分の背中に人を乗せたがるのだろうか。
親戚の子供を肩車したいとか、赤ちゃんを抱っこしたいとか、そんな感じなのだろうか。
(だとしても、相手が嫌がっているのに押し付けてくるのはいかがなものか)
アカネが残念がっているのだから、多少は配慮してあげるべきだとは思っている。
実際バイクに乗るような気持ちで、彼女にまたがって大地を駆け抜けるのも楽しいだろう。
だがしかし、それは麒麟のような身体能力を持っていることが前提だ。
さすがに、安全装置のついていないジェットコースターに乗り込む気はない。
「これじゃあ面白くないよ~~、それに話しにくいしさ」
「確かに話しにくいが、走っても立ち上がっても一緒だろ?」
「そうだけどさ~~」
しかし、それでも走り出したい。
その欲求は、なかなか抑えられるものではない。
一応許可を求めているので、無断で走り出すことはないのだろうが。
「ササゲとは一緒に走ってるよね?」
「アレは飛んでるだろ?」
「同じじゃん」
「アレは揺れないだろ。お前、自分の背中に生卵を置いてみろ、絶対潰すだろう」
「ササゲのことは信じてるんだ……」
へそを曲げるアカネ。
なるほど、狐太郎がササゲの方を信じていることが、彼女にも伝わっているようである。
態度や行動に、どうしても現れてしまうのだ。
「あのね、ラプテル君とか、ショウエンさんの竜とかはね、自分のご主人様が大好きなんだって」
「……」
「だからさ、自分の背中に乗せるのが楽しいんだって」
「……そうか」
昨日ショウエンが言っていたことを思い出す。
竜と竜騎士の間にある、確かな信頼関係のことを。
強制ではなく、お互いに確実な親愛がある。それは深くかかわらないと、見えてこないことだと。
アカネと狐太郎の関係が間違っていないように、竜騎士と竜の関係も決して間違っていない。
「だからさ、私を信じてよ」
「それは駄目だ」
「ササゲはいいのに~! ササゲは飛んでるのに~~! 絶対おかしいよ~~!」
それはそれとして、狐太郎は自分の安全を手放す気がない。
「ササゲやクツロならまだ安心できるが、お前は無理」
「酷い! 私のこと、そう思ってたんだ!」
「お前、ここに来た初日に何をした? 馬車に乗せてって言って走り出してたよな?」
「うっ……」
「それで俺達が謝ったこと、俺は忘れてないからな」
「ま、前の話だし……今はそんなことしないし」
「そんなに前じゃないだろう……まったく」
そんなに前じゃない、という言葉を口にすると、思い出してしまう。
ツリーアメーバに釣り上げられて、落っこちたときのことを。
クツロが全身のばねを使って柔らかく着地したが、それでも全身が痛くなったことを。
この世界にも律義に物理法則が存在しており、河に落ちたらセーフとか、崖から転がっても怪我しないとか、そんな便利な設定はないのだ。
この世界の住人は頑丈なので大丈夫だろうが、あいにく狐太郎は頑丈ではない。
「でもこれじゃあつまんないよ! 公園の遊具だよ!」
「……それの中でも、大分下の方だな」
「でしょ! このまま動かなかったら、私はただの椅子だよ!」
(それも、相当座り心地がわるい椅子だな)
公園の遊具には、動物を模した乗り物もある。
その中には土台にバネがあり、前後左右に揺れる種類のものがある。
そうではなく、地面に固定されている、ただの変な椅子のようなものもある。
「……私だってさ、乗ってくれなかったらご主人様が嫌いになるってわけじゃないんだよ?」
アカネの背に乗っているので、狐太郎はアカネの顔を見ることができない。
だが彼女が、拗ねていることぐらいはわかっている。
「でもさ……他の竜の子たちと一緒に、竜騎士さんと一緒に……ご主人様を乗せてゆっくりでもいいから散歩したいんだよ。きっと楽しいよ?」
喜びを分かち合いたい。
辛いこと、苦しいことだけではない、楽しいことも分かち合いたい。
その気持ちが、伝わってくる。
(悪気はないんだよな……だから何だって話だが……でもまあ、配慮しないのも悪い話だ)
実際のところ、ササゲには運ばせておいて、アカネには運ばせないというのも差別のような気がする。
なぜそんな話になるのか、重大ごとと思っているのかわからないが、それはまあそれとして。
狐太郎が乗ることを嫌がっているように、アカネは乗らないことを嫌がっているのだ。
今後も彼女と一緒に生活をするのなら、配慮はするべきだろう。打算と言えば打算だが、必要な打算だった。
「……よし、じゃあこうしよう」
「え、走っていいの?」
「……」
「あ、うん、歩くんだよね?」
妥協案を出そうとしたことを、後悔する一言目だった。
もうこの時点で、狐太郎は妥協案を出すことさえためらっていた。
「今何言おうとしたの?」
「忘れてくれ」
「ええ~~?! なんか条件だそうとしたじゃん!」
「忘れろ」
座っている彼女の背中に乗ること。
それが最大の妥協点であると、彼は結論することにした。
仲間の竜の背中に乗っていて落ちて死ぬとか、あまりにも惨めすぎる死に様である。
(モンスターに食われて死ぬのはまあ仕方ないが、避けられるリスクは回避するべきだ。コイツ、絶対いつか俺を落とす!)
マーフィーの法則。
起こりうることは、必ず起きる。
起こってほしくないことは、必ず起きる。
実際にゲームの主人公になってしまった狐太郎には、笑えない法則だった。
「とにかく座ったままでいてくれ」
「むぅ~~わかりました~~」
不承不承、頷くアカネ。
(まあ、座れって言ったら座るだけマシか……)
その時である。
けたたましい鐘が鳴り響いた。すなわち、敵のモンスターが現れた証拠である。
「な、なに!?」
その声を聞いて、思わずアカネは立ち上がる。
「えぐわあ!」
いきなりアカネが立ったので、狐太郎は勢いをつけて背中から落下していた。
「ご主人様、なにかあったっぽい!」
「お……お……」
「大丈夫、いつもみたいに私が守るから!」
「う……う……」
「あれ? ご主人様?」
自分の背中に乗っていたはずの狐太郎がいない。
それに気づいた彼女は、周囲を見渡す。
「へぎゅ!」
そして、足で踏んづけた。
「……ご主人様? ご主人様~~!」
※
「……ごめんなさい、ごめんなさい! 私、ご主人様を守るって約束したのに……! 私、守れなかった!」
「そういう問題じゃないでしょう! なに恰好を付けてるの、アカネ! 自分で落っことして自分で踏んづけて! それをなんで『私、守れなかった!』よ!」
踏んづけられた狐太郎だが、幸い胴体は踏まれなかった。踏んだのは足である。
骨折などはしていなかったが、それでもかなりヤバいことになっていたので、アカネは慌てて一灯隊のリァンを呼びに行った。
なおその時は当然ながら敵襲があったタイミングなので、アカネがリァンに助けを求めに行ったときは彼女も驚いたという。
『ご、ご主人様が、ご主人様が大変なの! 助けて、リァン様!』
『何ですって?! まさか、基地の中にモンスターが?!』
『違うの! そうじゃなくて……とにかくきて!』
『わかりました……まったく、ブゥさんは何をやっていたんですか!』
なお、ブゥは危うく誤解で殺されるところだった模様。
「貴女ね! 自分で自分のご主人様を踏んづけるとか! 何を考えているのよ!」
「ごめんなさい……」
「私に謝ってどうするの!」
今は、既にモンスターを撃退し終えている。
狐太郎の治療も済んでいるが、以前と同様にいきなり全快とはいかなかった。
現在狐太郎は、部屋のベッドで横になっている。その表情は、完全に引きつっていた。
(いつか失敗するどころじゃなかった……いつか起きるのなら、今起きることも警戒するべきだった……)
前線基地の中にいたのだから、モンスターの警鐘が鳴らされることも想定できた。
その時にアカネが驚いて立ち上がることも、当然想定しておくべきだった。
想定できたのに、このざまである。どうやら彼には、まだまだ危機感が足りなかったようだ。
「はあ……もううるさいわね……クツロ、黙りなさい」
「然り、アカネを叱ってもどうしようもあるまい。今はご主人様の回復を待つべきだ」
横になっている狐太郎を、ササゲは柔らかい手でさすっている。
正直恥ずかしいが、その一方で安心できてもいた。
コゴエは小さめの氷を作り、熱くなっている患部を冷やしている。
(やっぱりササゲとコゴエが信用できるな……)
以前に死んで蘇生された時よりは、体が重いということはない。
だがしかし、それでも痛いものは痛かった。
「クツロ、もういい。アカネを怒らないでやってくれ」
「ですが……よろしいのですか?」
「もう反省しているみたいだし……悪気はなかったんだし……乗ってた俺も気を抜いてたし……」
「悪気がなければいい、というものではないでしょう」
「まあそうだけども」
悪気がないが、狐太郎はアカネに痛めつけられたわけで。
改めて強い生物と同居することの難しさを思い知った狐太郎は、それでもクツロを止めていた。
だがそれでも、悪気がないのなら、許すしかないこともある。
「クツロ、頼むから」
「……承知しました」
「アカネ」
「はい……ごめんなさい」
「もう怒ってないというか、最初から怒ってないから」
「はい……」
完全に事故だった。
それに警鐘が鳴ったのだ、アカネが慌てるのも当然である。
であれば、狐太郎が怒るのも少しおかしいだろう。
「でももう、絶対背中には乗らないからな」
「……はい」
でもまあ、悪気が無くても許されないこともあるわけで。
この場の誰もが、まじめに頑張っているのだろう。
誰もふざけていない、悪いことが重なっただけなのだ。
だがしかし、これも第三者の目線からすれば、笑えることなのかもしれない。




