赤の女王仮説
ガクヒとエツェルは、広大な戦場を跳ねまわりながら戦い続けている。
瘴気世界の住人ですら一瞬で死ぬ急加速と方向転換の連続を繰り返しながら、エツェルはガクヒを罵倒していた。
「遅いんだよ、何もかもなあ!」
共に具現化させたエナジーをぶつけ合い、互いに跳躍と加速を叩きつけ合う。
空気摩擦で体は熱を持ち、地面へ衝突するたびに骨と肉がきしむ。
両雄はそこそこに傷を負っていたが、それ以上に央土の国土を荒らしていた。
「ここはお前のナワバリだろうがよぉ! んでさっきの二体にちょっかいかけられてたんだろ!? お前の役目だろうが! 狐太郎クンに迷惑をかけてんじゃねえよ!」
北部が襲われていたのでガクヒとジローが対応していたが、狐太郎が救援に訪れた。戦いのさなかで北笛に敵がいることを察したが、ガクヒとジローが対応に悩んでいたため狐太郎も動けなかった。
エツェルをはじめとする北笛の王はそう解釈していた。因果関係や時系列に関しては微妙に間違っているが、大体は合っている。
すくなくとも、ガクヒやジローの視点からすれば誤った話ではない。
敵の位置が分かった時点でガクヒやジローが『仕方ありません、攻め込みましょう』と決断していれば、狐太郎も頷いていただろう。
それを遅い、と言われれば仕方ない。
「それともアレか? おまえらんとこの民衆って奴らに『もう戦争はコリゴリです』とでも言われてたのか? ことなかれで良いってか? 下らねえんだよ! 見捨てちまえ、そんな連中!」
エツェルの荒々しい言葉に、ガクヒは全否定ができない。
時々思うのだ。
北笛のように、弱者を切り捨て、民に自己責任を強いたいと。
できないことはできるように努力することが当たり前で、どう頑張っても無理なことだけ頼って欲しいと。
苦労して強くなったのに、こんな生き方でいいのかと。
気に入らない奴を叩き殺し、好きなようにふるまう生活。
時々は心惹かれるのだ。
だがこうも思う。
気に入らない奴がいるとしても、殺したいほどか?
好きなようにふるまうことはそんなに楽しいことか?
そもそも北笛の住人とて、社会的な責任は負っているはずだ。
であれば過激なことをすれば、相応に責任が生じる。
そこまで負荷があるのなら、自由など必要だろうか。
だからこれでいい。ガクヒは今更揺るがない。
「隙だらけだぞ、エツェル」
ガクヒの一撃が、エツェルの顔面をとらえていた。
真下に跳躍していくエツェルは、地面に深く埋没し、姿をまったく見せなかった。
しかしそれも一瞬のこと。エナジーを吹き上がらせて地盤を掘り返し、エツェルは再び上空に帰還する。
「戦闘中にごちゃごちゃ喋るとはな。それで不意を打たれていればざまあない」
「違いねぇ。みっともないところを見せちまったな」
「それに遅い遅いと言ってくれるが、何か問題があったか? お前たちのところに踏み込んでも、お前たちを迎え撃っても、やることは変わらん。俺が勝てば問題ない」
ガクヒは若き……完成した英雄である。
完成した英雄に弱点などない。
精神的に痛いところを突かれたぐらいでは揺るがない。
それはエツェルもわかっている。この程度で心折れて倒せるとは思っていない。
「デカい口を叩くねえ……吐いたツバは飲めねえぞ」
「どっちがだ? デカい口を叩いているのはお前の方だ、後悔に沈めてやろう」
双方、意外にも思わず激突を繰り返す。
欠点のない最強個体たちは、天を駆け空を割き宙を乱していた。
※
アレックスとクツロの戦いは、一歩も退かずの相撲めいた戦いに発展していた。
力と力のぶつかり合いで衝撃波が発生し続け、二人を中心にクレーターが形成されつつある。
双方血を出しながら胸を張り、腰を入れての打撃戦に興じている。
しかしそれでも、クツロが押し込んでいく。恐るべきは魔王の冠、瞬間的には英雄すらも凌駕する。
「シュゾク技、鬼拳一逝!」
「ぐぅうう!」
怪力属性の英雄であるアレックスが力負けし、無様に転がっていった。
汚れ切った体に勇壮さはなく、一種滑稽でもあった。
アレックスはそれでも愉快そうに笑い、自分の無様さを晒すように転がったままクツロと話す。
「クツロとか言ったな。お前は海を見たことがあるか?」
「は?」
「俺は以前に見に行ったことがある。退屈でつまらない場所だった」
「見に行っただけならそうじゃない?」
「その通りだ。我ながらバカなことをしたと思う、最初から楽しくなるはずもなかった」
よっこいしょ、と一般人のように起き上がるアレックス。
体裁を取り繕おうとしないのは、彼がありのままの自分に恥じるところがないと思っているからか。
「見に行ってみようと思い立ち、なんの問題もなく行ける場所に到達しても面白いわけがない。面白いとは苦難あってこそだ」
苦難あってこそ行きたいと焦がれ、到達したときに達成感が生じる。
英雄に上り詰めた彼は、苦難を求めていた。
「英雄に生まれ英雄に至った。この世でも極上の益荒男と渡り合うことに喜びはある。だがそれ以外の時は退屈なものだ。他の者からすればAランクだのBランクだの、強大なモンスターが跋扈する地は刺激的なのだろうが、今の俺には退屈すぎる」
「で、退屈だから今ここにいるって?」
「そうだ」
元より混乱していた北方の地の戦乱は、北笛の王が介入したことで因果関係がより一層混沌としている。
何がどうしてこうなっているのか、当事者も完全には把握していない。
その状況でアレックスはあえてこう言った。
「この戦場、実に整っていると思わんか?」
断じて皮肉ではない。クツロにもその意図は伝わっていた。
「これも私たちのご主人様の器というものよ」
「そのとおり! 見上げた大器だ、西重を滅ぼしただけのことはある!」
指揮に混乱はなく、急な事態にも対応ができている。
入念な打ち合わせができたとも思えない状況でありながら、誰もが鉄火場で戦うことに集中できている。
確固たる器量を持った『王』がいなければ、北笛の王たちを迎えることも適わなかっただろう。
「そういうのと戦うから楽しいのだ! 勝ち方が見える戦いなど狩猟同然! こんなところに来て狩猟をしてなんになる? 海に行った時の浅い虚しさをなぞるようなものよ!」
「気持ちはわかるわ。相手をしてあげてもいいと思うの。でもねえ……コレ、私個人の戦いじゃないのよね」
不倶戴天の敵ではないとわかったうえで、クツロは殺意を込めて拳を鳴らす。
「全力で抗っても勝ち目がない戦い。味わいなさいな」
「そう来なくてはな!」
女丈夫と益荒男は、再び四つに組み合うのだった。
※
北笛の王、テッキ・ジーン。
彼と戦う究極のモンスター、絶望のモンスター、スザクは決死の覚悟で臨んでいた。
不死身の怪物たちが決死というのもおかしなことだが、相手はそれだけの格上ということである。
「コユウ技、アルティメットレゾナンス!」
共鳴形態では良くも悪くも自動的に発動する、敵のバフデバフの永続コピー。
敵に加速属性、怪力属性がいる都合上、彼女の身体能力は今までにないほど上がっている。
これは想定外の幸運であり、数値的にはテッキを大きく超えている。
「コユウ技、レゾナンスインパクト!」
エツェル以上の速度、アレックス以上の筋力を用いて、彼女は全力の打撃を放った。
しかしそれは、あっさりと受け止められる。
「浄化属性付与技、洗浄」
絶望的なほどに、相性が悪かった。
浄化属性の英雄であるテッキは、エナジーを使用するすべての技に強化解除、弱体解除の効果がある。
共鳴形態が際限なく強化を受けても、テッキは触れた相手の強化を一切消してしまうのだ。
それでも遠距離攻撃ができればエフェクト技やクリエイト技を回避することができるが、レゾナンスインパクトという接近戦の技しかない彼女ではそれも適わない。
強化がはがされると知ったうえで突っ込むしかないのだ。
「さて、耐えられるか?」
強化がはがされた究極のモンスターに、テッキは腰を入れた攻撃を放つ。
全強化が解除された究極のモンスターはBランク相当の防御力しかなく、一瞬で粉みじんになっていた。
通常なら、ここで究極のモンスターは死ぬ。
彼女の回復能力は敵に依存しており、敵が回復技を使っていない限り再生することはできない。
際限のない再生能力も、再生してくれるものがいなければ機能しないのだ。
そして今の彼女には、内側から再生してくれる味方がいる。
『コユウ技、アンリミテッドレゾナンス!』
肉片を通り越して血しぶきとなった究極のモンスターを、絶望のモンスターは過剰なほどの回復エネルギーで復元する。
痛みを感じる暇もない血しぶきは、地面に達するより先に元に戻り、痛覚を覚える脳も復元する。
「い、いだああああああ!」
『す、すみません! 私、痛覚を取り除くとかはできなくて……』
「いいのよ! 痛いのは貴方も同じでしょ!? 助けてくれて感謝しているわ! 私だけならどうなっていたか。というか、死んでいたわね」
モンスターパラダイス2には、強化をはがす技は存在しなかった。
その世代のラスボスである彼女は、強化をはがす技に耐性がない。
一方でテッキも強化をはがす技はあっても、強化や回復を阻害する技はない。
絶望のモンスターによる回復が間に合ったのも、そういう理屈であった。
「シュゾク技、ウルトラバ-ドストライク!」
一方でスザクは、素でもAランク上位相当。
強化をはがされるとしても、素の攻撃力は十分に高い。
浄化を付与されたテッキに、果敢にも突撃を仕掛ける。
「ふん」
相手が英雄でなければダメージを与えることができただろう。
しかしテッキの一撃は、彼女を逆に粉砕していた。
もちろんスザクも一瞬で復元するが、その表情は苦悶と恐怖に歪んでいる。
「強い」
万感の思いを込めて、スザクはこぼした。
もうどうやっても絶対に勝てないし、ダメージを与えることすら不可能。
相手がその気になれば、一瞬で殺される。理解させられていた。
瘴気世界の英雄とは、本当に強いの一言で表現できる。
痛感する彼女は、恐れを隠せていない。
「……シュゾク技! 火炎旋風!」
恐れた顔を取り繕う余裕もないまま、スザクは果敢にも炎の嵐を展開する。
圧倒的な火力を持つはずの火炎竜巻はテッキを呑み込む。
「コユウ技、レゾナンスインパクト!」
自らの首を絞めるだけと分かっても、究極のモンスターは火炎の竜巻に包まれたテッキに向かって殴りかかる。
無敵に思える彼女は、その実行動の選択肢が狭い。それは絶望のモンスターと合体した今もさほど変わりがない。
負けない相手にはまず負けないが、勝てない相手には本当に勝てない。
無謀であっても突っ込むしかない。
「クレンジングクリエイト、ブリーチ!」
突っ込むまでもなく、浄化の嵐がすべてをかき消した。
大地すら漂白するエナジーが、生命すら不浄と断じ三体を攻撃していた。
晴れた視界で、テッキは笑っている。
さて不死身のモンスターを退治できたのか否か。
何も残っていないかのような空間にわずかに残ったかけらから、二体のモンスター……三体は復活する。
不死身さにおいては、瘴気世界、楽園世界最高と言っていい。これだけでも厄介なのに、他にも特殊能力を持っているのだから『ラスボス』とは恐ろしいものだ。
だがパワーインフレの前にはあまりにも無力。
最強種も規格外も、成長しきった異常個体には太刀打ちできずにいる。
「で、逃げるのか?」
テッキは相手が絶望したと認識したうえで、意地悪く質問をした。
彼の視点からすれば、彼女らも裁定の対象である。
『私は、絶望しています』
真っ先に応えたのは、テッキに物申したノゾミである。
姿を見せないまま、赤裸々に弱音を吐いていた。しかし声には芯が通ったままである。
『私たちでは貴方に勝てないと絶望しています。これを覆すことはできません。でも、絶望しているだけです! 絶望なんてものは個人の所感、一時の感傷です! 私の父はろくでなしでしたが、この言葉だけは信じられます! だから、戦えます!』
スザクは恐怖に歪んだ顔のまま頷いた。
勝ち目がなく痛めつけられるだけの戦いだが、やる意義はある。
「ここで逃げれば、私は自分の命以外のすべてを失います。助けた三体も、救い出すことができた他の妹たちも、全員失います。それでどうやって生きて行けというのですか。いままで英雄と戦うことを避けてきましたが、今回は退けません」
「私は大した理由がないので気が引けるけど、ノゾミちゃんが戦うのなら一緒に頑張るわ。死ぬのが怖い、痛いのが怖いなんて言ったら、ホワイトに呆れられそうだし」
三体に戦闘継続の意思はあるが、テッキはどうか。
死に難いだけの雑魚、それも怖くて顔をこわばらせている臆病者。強い言葉を口にしているだけの弱者。
彼はどう迎えるか。
「それでいい」
彼はあくまでも上機嫌だった。
「理由なんてどうでもいい。大事なことは行動であり責任を全うするかどうかだ」
テッキも気まぐれや言いがかりで戦っているわけではない。
北笛の威厳を守るため、うかつにちょっかいをかければ北笛の英雄が攻め込んでくる、という前例を作るために戦っている。
仮に目の前の三体が自分の天敵で勝ち目がなかったとしても、死ぬとしても最後まで戦う義務がある。
「お前たちが俺と戦うことが役目なら、それから逃げるな。逃げれば殺すし、他の奴らも殺す。そしてあいつらを許して放免する」
くい、と主戦場を指で示す。
国土を犯された彼が、王として裁くべきもう一つの対象を天秤に乗せていた。
「俺は悪魔じゃない、言葉遊びはしない。お前たちの覚悟を見せろ、あいつ等よりも上の気合を見せろ。さもなくばすべてを奪うぞ」
テッキもまた王であり英雄。
狐太郎同様に、この戦場を管理下に置いている。
「俺も王だ。言ったからには責任を取って、全力で臨むさ」
『迷惑ですね……本当に!』
「ははは! それが自己責任で生きるってことだ!」
テッキの目は節穴ではない。
シズカやメオ三世が適当なことをいっていて、目の前の三体が真剣に発言していることはわかっている。適当よりも真剣な方が心象が良いに決まっている。
その上で、発言自体はどうでもいいと思っている。
ぶっ殺してやると言った者が本当にぶっ殺せば許容される。
守り抜くと言った者が逃げ出せばそれは許容されない。
発言をした者には実行する権利を与えるべきであり、まっとうするかどうかだけで評価されるべきだ。
騎獣民族の王として、彼はそれを信じ遵守しようとしていた。
それこそが、気合と根性を測るということだ。
「ノゾミ。お前はこの俺にデカいことをいったんだ、それを軽くしたくないんなら全力で抗い保証しろ」
『そのつもりです』
「ははは、それでいい」
※
純血の守護者のコックピット内で、狸太郎は必死の形相で運転を行っていた。
簡略化された操縦であっても、やっていることは命のやり取り。
それもこの戦いの勝利フラグである、シズカとメオ三世を相手にする戦いだ。
決死の形相で操縦していることを笑うなどありえない。
(俺にはわかるんだよ、君の気持ちが。なんで自分が、という気持ちが)
狐太郎はこの戦場を整えるという役目を果たした。
これによってある種の合意がなされ、戦闘の落としどころは見えた。
シズカとメオ三世が有言実行し、本来の標的である狸太郎たちを倒す。
あるいは彼女らが怖気づいて逃げ出そうとすれば、その時は二体を殺す。
二体への裁定を終えれば北笛の王たちは引き上げる。
ガクヒとジローにしても、北笛の王が引き上げればそれ以上戦う理由はない。
狸太郎たちが死んだとしても、央土からすれば大して重要ではないのだ。
(それはまあいい。でもなんで俺が関与している? この戦場で俺は戦略会議の主導権を握っている? 戦略ゲームのプレイヤーのごとく、優秀な人たちに指示を出している? なんで従っているんだ?)
物事の道理からいえば何もおかしなことは起きていない。
いきなり現れた男が意味不明な提案をして、誰もが『それは最高の提案ですね』と洗脳されたかのように受け止めているわけではない。
狐太郎は自分が損をすることも含めて順当な提案しかしていない。その上細かいところは各々で勝手に決めてもいる。
そもそも事前の段階で狐太郎には実績があり、ガクヒやジローとも面識がある。だからこそ二人の英雄も、国防に口を挟まれても従っているのだ。
(俺自身は無能なままなのに、みんなを従える立場にいるんだ?)
超強くなって超強くなって超有能になって、だから超偉い立場になっている……のならこういう悩みはなかった。
一生懸命勉強して実務を担当していた、というわけですらない。
権威を傘に着て交渉事を請け負っていただけだ。他人の金と他人の力をバックにして、強気に出ていただけだ。
心理的に負担はあったし実績を重ねてきたことも事実だが、個人としては能力があるわけではない。
仮に面接官から『貴方の経歴は輝かしいですが、そこで培ったものは何ですか』と聞かれても何も答えられない。
(それでも、やらなければならないんだよ)
狸太郎と性質は違うが、根底には同じ悩みがある。
狐太郎は皆が自分の指示通りに傷つく様を見つめながら、狸太郎と罪悪感を共有していた。
それは狸太郎も背中で感じている。
(狐太郎さん。本当に、いてくれるだけで心強いんです。俺は、助かっているんです)
狐太郎はわからないし、わかったとしても認めないだろうが。
自分と役目を同一視しない誠実さこそが、彼の器であり魅力なのである。
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