アカネが息を吸う
平原に建設された、一階建て一軒家の高層神殿。
狐太郎一行はとりあえずその中へ入ってみた。
なんとも大したことに、突貫工事であるにもかかわらず、床は水平だった。
仮にビー玉を床においても、どこかへ転がるということはなかった。
とはいえ、さすがに内部はそのまんまだった。
ササゲの言っていたように、それこそ箱同然の内装である。
ふすまも押し入れもない、ただの大きな部屋があるだけ。
木製の家であるため、コンクリート張りのような無機質さはないが……正直に言ってやや殺風景だった。
とはいえ、半日で作ったことを考えればできすぎなほどだろう。
なにか問題があるわけでもなし、狐太郎たちは安心して腰を下ろした。
「なあ皆、これは竜の民には言わないでほしいんだが……多分普通に作れば、もっといい家になったと思う」
狐太郎の言葉に、一行は無言で肯定する。
ほぼ無償で、突貫工事で家を建てさせたのに、この上好みじゃないなんてなかなか言えない。
「何が嫌って……トイレ下なんだよな……」
この宿はビルに換算して十階弱ぐらいの高さにあるため、往復しないと用も足せないのである。
なお階段そのものは狐太郎の足の長さにあわせているため不自由はないのだが、そんなことに気を使うくらいなら、手すりの一つでもつけていただきたい。
「夜一人でトイレに行こうとして足を踏み外して落ちたら……俺絶対死ぬ」
「ご安心ください、ご主人様。このコゴエが寝ずの番をいたしますので、その時はご一緒いたします」
「……いろいろ言いたいことはあるが、その配慮が必要な状況になっていることに対して、俺は不満をもってもいいよな?」
コゴエの配慮に恥ずかしさを感じつつ、それを拒否できない己と、受け入れざるを得ない状況を嘆いた。
「これだから主権を放棄しているような人間は嫌いなのよ。敬うべき相手のことを知ろうとせず、とりあえず一番いいのを用意しよう、っていう発想がまず駄目だわ。だからこういうことになるのよ」
一方でササゲは、一般的な悪魔らしい言葉を口にする。
「ウズモは細かいことが分からないし、他の貴竜は交渉の場に出られない。それなら僭越ながら私が……って言うべきでしょうに」
「まあわからんでもないな……」
「でしょぉ?」
狐太郎から同意を得て、物凄くうれしそうなササゲ。
一方で狐太郎の顔は、辛酸を思い出した顔をしていた。
(でも悪魔って、絶対的崇拝対象である俺に対して『この犯罪者で模範演技を!』とか言うんだよな……そして嫌がりながらも模範演技をする俺のことが好きなんだよな……)
悪魔には、恐れ多い、という感情が無いのだろうか。
保身とは無縁の種族なので、平気で崇拝対象を試す。
どっちがいいのかと言われたら、微妙なところだ。というか、どっちも嫌である。
「とはいえ、だ。ドラゴンの支配するドラゴンズランドならば、こういった社会体制になることは自然だろう」
一方でコゴエは、竜の民の在り方に理解を示した。
「ドラゴンズランドの貴竜は……Aランク中位とAランク下位の、その中でも最強格の存在だ。そんなものがはぐれ主などではなく種族として、しかも知恵をもって社会を成している。その貴竜に飼われている人間が、貴竜を神……人知が及ばぬ存在として崇めるのはおかしいことではない」
「……あ、だからね」
コゴエの説明を聞いて、クツロは手を打っていた。
「亜人も精霊も悪魔も、どれもいいとこBランク上位でしょう? だからAランク中位ぐらいに変身できる私たちを見て、その力を理解しておののいていた。でも貴竜たちにとってAランク中位なんて大したことはない……見慣れている。なんなら、徒党を組めば倒せる。だからアカネや私たちへ大きな恐怖を抱かないんだわ」
「クツロの言う通りかもな……あの長老さんなんて、魔王になったアカネより強そうだったし……タイカン技を抜きにすれば、だけども」
なるほど、貴竜を名乗るだけのことはある。
他のモンスターたちとは、力の格がまったく違うのだ。
「人間を支配する貴竜と、それを神と崇める人間……ある意味では、祀や昏、我らの倒した魔王の目指した『モンスターの支配する国』そのものですね」
「……だが、英雄にも、甲種にも対抗手段がない」
コゴエの評価に対して、狐太郎は辛らつな、しかし適切な評価を下す。
「ドラゴンズランドの貴竜でさえ、人間の英雄やエイトロールに対しては関わらない、敵対しない、遠くにいる……という姿勢を貫くしかないからな。それが嫌だから、あいつらは冠を求めているんだろう」
「あのさあ……そういう考察はどうでもいいじゃん」
割と真面目な話をしている狐太郎たちに対して、アカネは不満を漏らした。
彼女はそれこそ、自分の悩みを解決してほしい様子である。
「問題は私があのセクハラトカゲを許す口実だよ! このまま神様扱いされて、それで気をよくして許したなんて……私がバカみたいじゃん!」
彼女の言うセクハラトカゲとは、エロ猿とかそういう意味だと思われる。
「さっきはご主人様が『本人たちから謝ってもらわないと許せない』とか言ってくれたけどさ……結局この流れだと『接待で気をよくしたから許した』って感じじゃん!」
「……『罰を受けたから許した』じゃダメか?」
「なんかヤダ」
(こいつはこいつで面倒だが、わからなくはないっていうか……むしろ帰ってないだけ温情だしな……)
言うまでもないが、アカネの面子を思えばあのままウズモに乗って帰るのが一番だった。
アカネが本気で嫌がれば長老だって止めようがないし、他の誰だって引き留められない。もちろん竜の民だって、何もできないのだから責任も何もない。
まあその場合、あの時の悪ガキたちは悲惨な目にあったのだろうが……。
「このまま許すのが嫌なんだよねえ~~……ねえご主人様、ウズモたちみたいにボランティアさせない? 央土もまだまだ復興の手が必要みたいだしさ~~」
「駄目だ」
無償の労役と考えれば、なかなかの罰である。
かなり面倒なうえ、殺される危険性もほぼない。
ぱっと思いついたアカネは、それをそのまま口にした。
だが狐太郎は、しっかりと否定する。
「いろいろ理由はあるが……まずお前の言うところの『セクハラトカゲ』どもが、派遣した先で素直に仕事するのか? あいつらが手抜き仕事して、責任とれるのか?」
「……そうだね」
狐太郎の断言に、他の三体も頷いていた。
もちろんアカネも、そうだなあと納得している。
(……これが器量っていうんだなあ)
(そうね、さすがって感じ……)
その一方で……同じ家の、その隅のほうにいるキコリとマーメは、狐太郎に感服していた。
何百もの貴竜に対して罰を与える権利を持ちながら、それに目がくらんでいない。
(俺だったらこれ幸いとか考えて、なんか突飛なことして失敗しそうだぜ……)
(私もよ……こういう人じゃないと独裁官って務まらないのねえ)
「まあそっちはどうでもいいじゃないの。貴方がどうでもよくなっている時点で、そんなに大した問題じゃないし」
クツロは別の問題点を提起した。
彼女たちの視線は、二人の若い男女に集まっている。
すなわち、バブルとロバーであった。
二人は粗く描かれたスケッチを見て、先ほどの感動を再確認している。
「これ見てよ、よく描けてるでしょ?」
「ああ、〇〇とか××とかもばっちりだ!」
「でしょ? そこは大事だもんね!」
一応念のため申し上げるが、二人はまったくもって完全に、何の悪気もない。
まったくもって無邪気に、生物学的見地からくる感動を分かち合っているだけだ。
伏字についても一応の配慮をしているだけで、別にそのまま書いても問題はない。
何なら、絵に描いても問題はないはずである。
彼らの会話を問題視したら、セミやホタルの求愛行動や、鮭の産卵シーンだって放送禁止扱いになるだろう。
保健体育の教科書を18禁な本とごっちゃにするぐらいの、滑稽な過敏さに他ならない。
「アレどうするのよ」
「……ねえご主人様」
「いやあ、止めるのは難しいというか……俺が嫌だ。今まで頑張ってくれた二人に、申し訳が立たない」
そしてあの二人は、最初からこれが目的だったのである。
いきなり悪ふざけを始めたわけではなく、当初の予定通りにフィールドワークをしているだけに過ぎない。
これを咎めることなど、狐太郎にはできなかった。
「あの……狐太郎様、別にそこまで気を回さなくてもいいですよ?」
「アカネ様が本気で嫌がってますし、気持ちもわかりますし……」
だが一方で、キコリとマーメは普通にどうかと思っていた。
実際竜王が本気で、しかも人間に理解できる理由で怒っているのだから、そりゃあどうかと思う。
「いや、でもねえ……君たちがいてくれて助かったんだから……」
「終わった後だから正直に言いますけど……俺たちそんなに役に立ってないと思いますし……」
「そうそう……実力があるわけでもないし、実績もあるようでないし……バブルは救命措置しましたけど……」
キコリとマーメは、罪悪感からくる自虐をした。
実際二度の戦争で、四人は狐太郎とダッキの傍にいた。
だがバリアを攻撃されたことは、ほとんどなかった。
実はなにもできませんでした、なんてことはなかったが……実は役に立っていませんでした、活躍の機会はありませんでした、は事実なのである。
「そんなことはない(強弁)」
一方で狐太郎は、ものすごく真顔で否定した。
「君たちはシートベルトとエアバッグみたいなもんだ。なくても問題なかったとしても、だからってついてなくていいなんてもんじゃない」
その顔は、二人を褒めているわけではない。
なんなら、怒っているに等しかった。
「俺は君たちがいなかったら、央土の為に戦う気はなかった」
思った以上に国家存亡にかかわっていた、侯爵家四天王。
まあシートベルトもエアバッグもない車に乗せて『国家の為に戦ってね』と言われたらそりゃあ嫌がる。
「はい……」
シートベルトもエアバッグも知らないが、キコリとマーメは狐太郎の本気さを理解していた。
「それじゃあどうするんですか? アカネ様の気持ちだってわかりますし……」
「そうだな……でもまあ、クツロも言っていたが、一番面倒なアカネの機嫌は戻ったし……」
ここで狐太郎は、器量を見せる。
「みんなで相談すればなんとかなるだろう、多分」
(こんな調子で国を救ったんだよな……この人)
(こんな調子で救われたのよね、私たちの国……)
※
高床式家屋で生活を初めて数日後、別ルートで帰っていたウズモの部下とサカモも合流を果たしていた。
アカネがセクハラされたことを聞いても『ああ……』と納得した面々は、完ぺきに他人事ということで大いに笑っていた。
まあ実際本当に他人事……とは言わないまでも、今回の件に関してなんの罪もない。
なので一行はにやにやしながら、『その日』を迎えた。
その日、つまり本人たちからの謝罪を受ける日である。
狐太郎一行の前に、ドラゴンズランドのドラゴンたちは集結し、アカネへ頭を下げていた。
『アカネ様……この度は、誠に……誠に、無礼な真似をしてしまい……なんと申し開きをしていいのかわかりませぬ』
『この通り、汚いものをまき散らした輩には、我らから罰を与えました。これで気に入らぬというのなら、どうぞお好きなように……』
成体の貴竜は目の前で、自宅の前で行われた乱痴気騒ぎに憤慨しており、数日かけて子供たちに罰を与えた。
文字通り大人と子供の差があるので当然だが、子供たちは抵抗もできなかった。罰を受けた悪ガキたちの体には、痛々しい傷が深々と刻まれている。
ではその傷が刻まれた悪ガキたちはどうかというと……。
『けっ……すみませんでした~~』
『ごめんなさい、反省してますぅうう』
『お許しください、偉大なる竜王様~~~』
『ははああああああ』
物凄く、ふてくされていた。
それはもう、言葉が分からない狐太郎たちですらわかるほどである。
そして、そんな彼らとは別の……つまり空を飛べない、海や陸で暮らす若いドラゴンたちはというと……。
『へえ~~、アレが竜王様か~~。マジで美人だな~~』
『すげえ可愛いじゃん! そりゃあ求愛されるよな~~』
『あんなかわいい子がムカデ殺し? マジかよ……』
『うう、ムラムラしてきた……』
『ワンチャンないかな……俺に惚れたりしないかな~~……』
と、騒いでいた。
これもまた、言葉が分からない狐太郎たちをして、なんとなくわかる会話だった。
もちろん大人たちも、そんなことはわかっている。
大声で怒鳴りつけて、私語を止めるように言っていた。
それでもふてくされた謝罪はそのままで、私語もそのままだった。
(ドラゴンが賢いとはいったい……いや、人間もこんなもんだけども……)
万物の霊長たる人間ですら、意外と難しい、誠意ある謝罪と黙ること。
若いドラゴンたちも賢いはずではあるのだが、大人の言いつけを守れずにいた。
「……」
そして、そんなドラゴンたちを、アカネは無表情で眺めていた。
『だいたいさ~~アカネっていう人間からもらった名前があるんだって?』
『マジかよ……英雄とかいう化け物ならともかく、ウチんとこの奴らと変わらねえのからもらってるのか?』
『そんなのが竜王なのかよ~~』
さて、賢いはずのドラゴンの王、戴冠火竜アカネである。
彼女とてすべてのドラゴンから、恭しく崇められるとは思っていなかった。
そして崇められなかったとしても、そこまで怒る気はなかった。
ドラゴンズランドのドラゴンにとって、アカネは外国人である。
しかもアカネは央土の為に戦うことはあっても、ドラゴンズランドの為に何かをしたことはなかった。
侮られたり下に見られても、怒って当たり散らすことはない。
だがしかし、さんざんセクハラされた後で、謝罪の為に設けられた場で、こうも扱いが悪ければ……。
「人授王権、魔王戴冠」
通算して、殺意満点だった。
「タイカン技、竜王生誕」
彼女は当初の予定を一切無視して、いきなり竜王の姿に変わる。
『おおおぉ……』
『すげえ、奇麗だな……』
『うわあ、かっこいい……』
その姿を見ても、若いドラゴンたちは調子を変えなかった。
クツロも言っていたが、アカネたちは魔王になってもAランク中位である。
ならばAランクの貴竜たちが、一々恐れおののくことはない。
むしろ魅力が増したアカネをみて、より一層の私語が始まりかけていた。
だが、その余裕は次の瞬間消える。
「タイカン技」
アカネは、大きく息を吸い込んだ。
ただ、それだけである。
その瞬間、すべてのドラゴンたちは、黙った。
若いドラゴンも、成体のドラゴンたちも、罰を受けたドラゴンたちも、罰を与えたドラゴンたちも。
等しく、ごく短い時間で、言葉を失った。
死んだ
全員、誇張なく、心臓が止まっていた。
死んだ
アカネが息を吸い込んだ、ブレスの発射態勢に入った瞬間に、貴竜たちはすべてを理解した。
死んだ
彼女が次に口を開けた瞬間、自分たちは死ぬ。
もう、どうしようもない。
絶対に、死ぬ。
死んだ
脳がそれを理解し、全細胞がそれを理解し、それゆえに肉体が一足先に死んでいたのだ。
魔王の切り札たるタイカン技は、コクソウ技同様に対甲種、対英雄技である。
Aランク中位やAランク下位ごとき、何万いようが物の数にもならない。
そして戴冠火竜のタイカン技『レックスプラズマ』は、純粋な火力においてあらゆるタイカン技の中でも最上位に食い込む。
環境変化技の最上位『全球凍結』で強化されたコゴエの『凍神の杖』や、身体能力強化技の最上位『鬼面赫神』を使ったクツロの『鬼神断行』、全盛期のアッカが放つアルティメット技『機械仕掛けの天空神』の五連発と比べてなお……素のレックスプラズマの方がはるかに上なのだ。
放つまでに大きなタメを要し、前にしか撃てず、撃った後に力尽きるという難点もあるが……。
この苛烈なる世界においてさえ、当たれば死ぬのである。
同種であるドラゴンたちは、それを理解した。
アカネがただ息を吸い込んだだけで、それがどんな威力なのか全身全霊全細胞で理解してしまったのだ。
歯の根が合わないだとか、足が震えるとか、汗が噴き出るとか、金縛りになるとか、そういうレベルではない。
本当に、心臓が止まったのだ。
『あ、アカネ様! ちょ、ちょ! ちょっと待って!』
だが例外がいた。
アカネの口が向いていないところにいる、そしてアカネのレックスプラズマを以前に見たことがある、ウズモたちである。
『アカネ様、どうか、どうかお許しください!』
『そ、そうっすよ! マジで止めてください!』
『調子に乗ってただけなんです! 撃たないで、殺さないで!』
『俺らが謝りますから! ほんと、マジで!』
『アカネ様~~! 本当に、お怒りをお鎮めください!』
彼らは当初の予定通りに、そして予定よりも必死に、全力で、アカネをとどめていた。
「……」
ぎろりと、じろりと、アカネは配下たちを見た。
事前の予定よりも、数段不機嫌そうだった。
『こ、ここは俺に免じて……っていうか、お前らも謝れ!』
そして、ウズモの絶叫を聞いて、そこでようやくすべてのドラゴンたちの心臓は動き始めた。
それはもう、全力である。彼らの巨体と、それに見合った脳に、血が巡っていった。
『すんませんでした~~!』
『止めてください! 俺が悪かったです!』
『どうか……どうかお許しを……!』
すべてのドラゴンたちが、その賢さをいかんなく発揮していた。
見栄も外聞もない、全身全霊、全力の謝罪。
全細胞が竜王に屈し、全精神が謝罪をしていた。
老若男女、当事者であるかそうでないかも関係なく……彼女の前方にいた、すべての命が助けを乞うていた。
ぶふぅ……
それを見て、アカネは息を吐いた。
本当に苛立たし気に、大量の貴竜を『許してやった』。
「ちっ……しょうがないなぁ……」
こうしてアカネは、『神様扱いされたので許してやった』という悪評を避けることができ……。
ウズモたちは『アカネをなだめてくれた』ということで貸しを作ることができたのだった。
「……なんでアカネが息を吸っただけであんなにびくついたんだ?」
「さあ……」
なお、ドラゴンたち以外には、よくわからなかった模様。
故事成語
アカネが息を吸う
同じ道を行くものは、わずかな所作から高みを悟れること。
例
あの画家が筆を執った瞬間、周りの画家は緊張したよ。それこそ、アカネが息を吸ったかのようにね。