一人で呑み込む蛇太郎
今回の話で、モンスターパラダイス7は終わりです。
ここまで読んでいただき、大変ありがとうございました。
500話という長すぎる物語……本当に大変だったと思います。
もしもこの作品が、皆様の脳に届いたのなら、それに勝る喜びはありません。
そして、もしも叶うなら……。
モンスターパラダイス7にまつわるあれこれを再確認していただけたらなあ……。
と、思っております。
それでは、エピローグをどうぞ。
南万よりさらに南方の、魔境をかかえる小さな島。
その地べたに、蛇太郎はうつ伏せで寝転がっていた。
彼の意識を刺激したのは、まず苛烈な日差しと、やかましいほどの鳥と虫のざわめきだった。
南国ゆえの、騒々しい森の中。だが彼の意識をそれ以上に揺さぶったのは、彼が手にしている玩具だった。
まだ寝起きだった蛇太郎は、何かを握っていることに気付いて、それを見る。
宇宙最強の兵器EOS、その待機形態だった。
「~~~!」
それを見た瞬間、すべての記憶がよみがえった。
自分がどこで、なにをしていたのか、結果はどうなったのか。
走馬灯のように『夢の中』での冒険が脳内を駆け巡る。
「あっ……!」
到底、耐えられるものではない。
戦いの中では、あえて無視することもできた。
だが省みる状況では、無視することなどできない。
「あ……あ……!」
倒すべき敵も、気遣うべき味方も、守るべき民もいない。
この蛇太郎は、今自分を省みることしかできない。
「お……あ……!」
涙腺が、痛かった。
先の戦いでも、ありえないほどの涙を流していた。
いまもまた、涙を流そうとしている。
涙の流し過ぎで、脱水に至りそうなほどだった。
これまでの一生で、流した分を超える涙。
それが、涙腺を酷使する。涙を流すほどに、目が痛くなる。
「あ……お……」
殺した。
蛇太郎は、自分が人を殺したと理解していた。
事実としては、死んだ人間を葬っただけのこと。
あの夢の世界には、蛇太郎以外に生きている人間などいなかった。
誰もが、消滅を望んでいた。
誰かが終わらせなければ、死を望む程飽き飽きした日々が続いていた。
その誰かに、自分がなった。
たまたま居合わせたから、たまたまそういう性格だったから。
「おぅ……!」
蛇太郎は、まさに味わっていた。
誰にも押し付けられなかった、大量殺人の罪悪感を。
誰にも味わわせるわけにはいかなかった苦しみを、一人で引き受けていた。
「ああ……ああああ……!」
大いなる運命の流れを、彼は動かしていた。
そこに自分の意思が介入する余地など、どこにもなかった。
流されて、投げ出された先は、想定通りの茨。
死が欲しい、地獄が欲しい、最後の審判が欲しい、天国が欲しい。
終わりが、欲しい。
死を求めるほどの罪悪感が、蛇太郎のうちから生じて、彼をむしばんでいく。
誰でもいいから何とかしてくれ、終わらせてくれという願い。
蛇太郎はそれに答えた。
その結果、彼自身もまた、同じ答えに行きついていた。
誰でもいいから、終わらせてくれ。消してくれ、失わせてくれ。
そして……今の彼には、あの夢の世界の住人にはないものがある。
それは、生きている者の特権だった。
「あ……!」
蛇太郎は、自分が握っているものの形を見た。
最強の宝、EOS。そのけん玉のけんは……尖っていた。
「あ……!」
渾身の力で、全体重を込めて喉に突き刺せば、自分は死ねるのではないだろうか。
蛇太郎がそう考えたとしても、何もおかしなことはない。
衝動が、背中を走る。
否、全身がそれを求める。
もちろん、楽には死ねないだろう。
あっさり死ぬのではなく、しばらくは苦しむだろう。
痛みとは無縁の人生だった彼にとって、耐えがたい苦しみだろう。
自殺するにしても、もっといい方法があるかもしれない。
できるだけ苦しまず、短時間で死ねる方法が。
だがそれを考える時間が、探す時間が惜しかった。
蛇太郎は、誘惑に勝てなかった。
生きる気力がわかなかったのではない、とにかくさっさと死にたかった。
「ああ……」
もういい。生きなければならない理由がない。
自分が彼らを葬ったことで、彼らは飽きを奪われ続ける日々から解放されたのだ。
彼らには永遠の安息が訪れたのだ。
大義は、人道は、安楽はなされた。
葬送は、鎮魂は、永眠はなされた。
だからもう、生きなければならない理由がない。
生きてやらなければならないことなど、何もない。
『貴方のハッピーエンドを終わらせないで』
生きてという願いは覚えていた。
それこそ、夢か現かさえ明らかではない。
だがそれでも、自分の中から出た言葉ではないことは確かだ。
「あ……ああああ……!」
だって、こんなに死にたいんだから。
「ああああ!」
死なせてほしい。
何十億人も殺したんだから、死なせてほしい。
自殺がどれだけ罪深いとしても、何十億も救ったんだから赦してほしい。
こんな思いを、重すぎる罪を抱えて、生きていくなんてできない。
いや、できてはいけない。
マロンを殺すのはいい、マロンの人形を壊したのもいい、あの世界を砕いたこともいい。
だが何十億もの魂を、安寧から消滅へ導いたことは許されがたい。
そんな人間は、死んでしかるべきだ。
自分が死んで、それで、本当に終わりにするべきだ。
「死なせてくれ……!」
死者からの言葉のなんと儚いことか。
蛇太郎にとって、その言葉は……。
「おい邪魔だどけ!」
「へぐぅ!」
それこそゲームでもないのだから、彼が止まっている間も世界は動いている。
蛇太郎がうずくまり苦しんでいるタイミングで、誰かが走ってきて、その横っ面を蹴っていた。
「おわあああ! って……おい! お前こんなところでうずくまってるんじゃねえよ!」
「は、は……は?」
蛇太郎の顔を蹴った張本人は、見事にすっころんで、地面に倒れていた。
そこから起き上がると、蛇太郎に文句を言う。
「うずくまりたいなら、個室でやれ個室で! なんで無人島の森の中でうずくまってるんだ! ぶつかっちまったじゃねえか!」
「は……あ?」
蛇太郎は、あまりのことに気が動転していた。
そして、突然現れた男から言われたことを、脳内で反芻する。
(いや……例えば道の真ん中でうずくまっていて、蹴られたとして……うずくまっている方が悪い……か? 蹴った方が不注意だとしても……比率的には……)
さっきまで死ぬつもりだったが、余りにも異様な角度からの攻撃に対して、思考がまったく違う方向へシフトする。
蛇太郎も人間なので、蹴られたことへ不満があった。
「あ、いや……」
「ああ! そんなことしてる場合じゃねえ!」
だが状況は変わらない。
蛇太郎が困惑する中でも、蹴ってきた男は目まぐるしく動く。
彼はうずくまっている蛇太郎をなんとか抱えて、近くの木の影へもっていこうとする。
「は、あ?」
「急げ!」
蛇太郎は、何が何だかわからない。
だがぶつかってきた彼は、話す暇も惜しいと木の影へ運んでいく。
そしてそこになんとか押し込むと、自分もすぐそばに隠れた。
「あ、あの、え?」
「しっ! 黙ってろ!」
まるで何かから逃げているような、そんな振る舞いだった。
そして何から逃げているのかも、すぐに分かった。
ずずうん、という足音が近づいてくる。
木の陰に隠れて、気配を殺している二人には、それがどこにいるのかわからない。
しかしながら、重厚過ぎる足音は、相手が象より大きいことが明らかだった。
Bランク中位モンスター、岩噛み亀。
岩さえ噛み砕く、強靭な顎を持つ、大きなリクガメである。
ずずうん、ずずうんと、ゆっくり進んでいく。
立ち塞がる木々を踏みつぶしながら、ずんずんと進む。
なお、草食性。襲われた場合反撃するが、好んで肉は食べない。
もちろん二人はそんなことを知らぬまま、命拾いしたことに安堵していた。
「死ぬところだったぜ……!」
「そうですね……」
まあ食われないとしても、踏まれたら死ぬだろう。
そういう意味では、二人は命を拾ったともいえる。
(死ぬところだった……いや?! なんで安堵してるんだ?!)
そして蛇太郎は、我に返った。
いっそあのまま踏まれて死ぬべきだったのではないか。
「よし!」
だがそんな自己嫌悪に浸る暇を、彼は与えてくれない。
勝手に立ち上がると、そのまま歩き出した。
「あ、あの?」
「ところでお前さあ」
もちろん、蛇太郎に対して手を差し伸べたりはしない。その一方で、戸惑う彼に話しかけてもいた。
蛇太郎から遠のきながら、彼は話をしているのだ。それこそ、ついてくるのが当然と言わんばかりである。
「これだけ話が通じて、同じような服着てるってことは、お前も楽園から来たのか?」
「あ、え……はい」
慌てて立ち上がり、追いかける。
追いかける必要性はないのだが、話をしている以上相手をしないのは失礼だと思ってしまった。
あるいは、勢いに流されたのかもしれない。
「で……今目が覚めたばっか?」
「……はい」
「そうかぁ……なんかめちゃくちゃへこんでたから、近くの村とかで親切を装った連中に騙されて身ぐるみはがされて……とかそんな感じかと思ったぜ」
「はぐああああ!」
当たらずとも遠からじ。
今まさにへこんでいた蛇太郎は、彼の言葉に胸を撃たれていた。
さっきは頭を蹴られたので、踏んだり蹴ったりである。
「なんだよ奇声を上げて、恥ずかしい奴だなあ」
「えぐぅ……すみません……」
なぜ謝っているのだろうか、と蛇太郎は思う。
こんなに傷ついているのに、なぜその傷つけた人へ謝罪するのか。
(状況からして、そう考えてもおかしくないしな……)
情報の共有は大事である。
言い方はどうかと思うが、間違ったことは言っていないので、蛇太郎は強気になれなかった。
そうして、彼の背を追う。
背を、見る。
「……!」
思わず、背筋に走るものがあった。
なぜ今まで気づかなかったのだろうか、目の前の相手は『大黒天』を背負っている。
すなわち、月に封印されていた対丙種級装備。六人目の英雄だけが使うことを許された、宇宙戦艦権限神器アバターシステム。
その、実物である。
(まさか……ここも、夢なのか?)
「でさあ」
蛇太郎にとって『星になった戦士』といえば、憧れの英雄だった。
星を襲ったクライシスに立ち向かった、自分にとっての英雄。
会えるはずがない彼に先導されるという、この幸運。
夢を疑うには、十分すぎる。
(俺はまだ、夢の中に……)
「お前、なんか食えるもの持ってる?」
「え?」
「いや、食い物持ってる?」
「す、すみません、持ってないです」
「なんだよ使えねえなあ」
憧れの英雄からの、心無い言葉。
蛇太郎のテンションは、一気に元通りである。
(コレ夢じゃない……)
いくら何でも、想像力の限界も、演技の限界も超えすぎている。
こんなひどいセリフ、思いついても口から出てこないだろう。
「出会わなければよかったなあ……人にあえて嬉しかったのに、喜んで損したぜ」
限界をさらに越える、この宇宙飛行士。
素直な気持ちをぶつけてくる彼に対して、蛇太郎は涙を禁じえない。
(なんでこの人は、しみじみと言えるんだろう……悪気が無いのが、全力で伝わってくる……)
語調からして、ちょっと嫌なことがあったなあ、程度のノリである。
にもかかわらず、言葉のチョイスが最悪をさらにぶち抜いていた。
「でよう」
「……」
「おい、返事しろよ。失礼な奴だなあ」
(この人にだけは言われたくない……)
「まあいいか、んで、この森っていうか島なんだけどな……変なんだよ」
ようやく身に入る言葉を口にした英雄。
彼は自分たちの置かれている状況を、端的に話始めた。
「俺は仲間四体とここに流されたんだけどな、最初にぐるっと海岸線を歩いたんだ。ほら、港とかあるかもだし」
「そうですか……」
「何時間か歩いたら一周できたんだが……その割には森が広すぎる」
「……?」
「あんなでっかい陸亀が、この程度の大きさの島に生息しているわけがねえんだ」
とある湖に、恐竜の生き残りを見た、という噂が流れたことがあった。
もちろん精査され、その姿は発見されなかった。だが多くの人々は、その可能性を信じた。
より検証が成されたのだが……その中に『湖にいるであろう餌の量からして、恐竜が住めるはずがない』という仮説があった。
この理論を応用すると……めちゃくちゃ小さい島に、大きな動物は生息できないことになる。
「考えてみろよ、野生の亀だぜ? つまりあの一体だけじゃねえ、何百といないと種として存続できねえ」
「……たしかにそれはおかしいですね」
「実際中に入ってうろうろしていたら、すげえ広くてビビったしな……こりゃあ分かれて食料を探したのは失敗だったか」
かなり真面目な内容だった。
少なくとも、彼の論理に矛盾はない。
自分の置かれた状況から、異常性を見つけている。
「仲間の方は、大丈夫でしょうか」
「さあ? でも俺が大丈夫なんだし、多分大丈夫だろ」
でも危機感はない様子だった。
「それに、俺の仲間はワードッグにハーピー、オークとミノタウロスだ。特に専門技術があるわけでもないが、この状況だと頼もしいだろ?」
「そ、そうですね……」
ワードッグは鼻が利くし、ハーピーは視力が高く空も飛べる。オークは雑食性で毒耐性も高く、ミノタウロスは力が強くて背も高い。
確かにサバイバルでは、輝きそうなモンスター編成だった。
(そうか、六人目の英雄の仲間が……!)
期待に胸を膨らませながら、蛇太郎は彼の後に続いた。
そして森を抜けて海岸に出ると……そこには、彼の羅列したモンスターが、ものすごく疲れた顔で、砂浜にへたり込んでいる。
四体のうら若きモンスターたちは、見るからに何の収穫もなかった。
「なんだよお前ら、収穫ゼロかよ。期待して損したぜ」
(この人仲間にも辛らつだな……)
夢にも思えないような、ひどすぎる言葉の数々。
しかもそれを聞いても、仲間たちは何も反応しない。
おそらく、普段からこうなのだろうと推測できる。
「あの、ご主人様……その人は?」
「ああ、森の中で会った同郷の奴だ。名前は、えっと……聞いてなかったな」
「蛇太郎です」
「だとよ、みんな仲良くしようぜ」
普段の蛇太郎なら、少しドキッとする言葉だ。
先ほどまでの蛇太郎なら、警戒する言葉だ。
だがこの六人目の英雄が言うと、まったく心に響かない。
騙すとか騙さないとか以前に、まったく白々しかった。
(俺が仲良くしたいという気持ちにさせてこないな……)
そして……四体の中のオークが、不満をぶつけてきた。
「それで、ご主人様……貴方は何か見つけたんですか、食べられそうなものを」
「ああ、全然だった。こいつしか見つからなかった」
「……私たち、もうお腹ペコペコで動けませんけど」
「そうか、じゃあしょうがないな」
六人目の英雄は、どっしりと腰を落とした。
そして自分の服の中に、手を突っ込み探り始める。
「ほい、保存食」
ハーピー、ワードッグ、オーク、ミノタウロス。
それぞれの絵が描かれた保存食のケースを、彼は四体に差し出した。
それを見て、蛇太郎も四体も驚く。
「……それ月の基地から持ってきてたんですね?! 皆で食事したときに!」
「持ってたんなら早く出しなさいよ! こっちは絶望してたんだからね!」
「いやまあ、確かに……保存がきく食べ物は最後まで取っておくべきだけども……」
「忘れてたわ……ご主人様は、こういう時準備がいい人だったわ……」
皆は呆れながらも、それを受け取って食べ始める。
外装は少し濡れているが、中身は非常に乾燥していた。
食べている面々は水を欲しそうにしているが、それでも何とか食べていく。
それを見ることもなく、六人目の英雄は懐から最後の一個、人間用の保存食を取り出した。
「よっと」
彼はそれを、ばきりと半分に割った。
そして、まるで平時にお菓子を分けるかのように、蛇太郎に渡す。
「ほら、食えよ」
「……え?」
蛇太郎は、一瞬何が何だかわからなかった。
この極限状態、奇麗ごとが一切通じない状況で、彼は自分の最後の食糧をなんでもなさそうに分けたのだ。
そして自分の分としたものは、あっさりと口に放り込んで、そのまま食べきる。そこには何の迷いもない。
「でな、食いながら聞いてほしいんだが……」
六人目の英雄は、反応を待つこともなく、ずいずいと話を進め始めた。
それこそまさに、態度からして当然のことだ、と言わんばかりである。
「アバターシステムもキメラシステムも、エネルギーの残量が少ないんだ。もともと単独で継続運用するもんでもないしな、ものによってはあと一回ぐらいしか使えないだろう」
「それはいいことなのではないでしょうか……変身したくないですし」
「いや、そういうわけにもいかないでしょ。それがないと、火をおこすこともできないし」
「誰か火を起こす方法を知ってる? こう、科学の知識とかで……」
「そんな頭のいいひと、私たちの中にはいないわよ。新しい人はどうかしら……って泣いてる?!」
蛇太郎は、涙を流していた。
蛇太郎たちが何を話しているのか、頭にも入ってこない。
「絶対ご主人様が悪いですよ……」
「他に考えられないよね……謝りなよ」
「そうよ! こんなに泣いてるじゃない!」
「はぁ……ご主人様はいつもこうよね」
「いや、多分違うだろ。それよりも、この後どうするかをだな……」
この人は、本物の英雄だ。
世界を救った英雄であり、その仲間達だ。
誰かにとって都合のいい、人形のような英雄じゃない。
自分の意志で、自分のルールで生きている英雄だ。
そして、その彼へ不満を持ちつつも、協力しようとしている仲間だ。
自分は手に入れられなかったが、六人目の英雄には仲間がいたのだ。
お互いにコミュニケーションをとり、傷つけあうこともある、手を取り合える仲間が。
こんな友達が、仲間が、欲しかっただけなのに。
そんな夢を見ていただけなのに。
なんでこんなことになってしまったんだろう。
ああ、夢見ることさえ、罪だったのか。
「……あれ、何か変な音しない?」
「音はわかりませんけど……あれ、水平線の向こうから、何か近づいてきます!」
ワードッグが異音に気付き、ハーピーの目が水平線の彼方を見つけた。
それは、文明の利器。
時と世界、戦場を越えた万能走破列車。
カセイ兵器、ナイルであった。
当然ながら、全員がそれを知っている。
有名だからこそ、誰が乗っているのかも知っていた。
あまりにも豪華な救助の登場に、誰もが理解できずにいる。
「超強力な呪物反応があったんで来てみたら……」
そして蛇太郎は見た。
夢の中で見た、魔王軍四天王の一人がそこにいた。
髪の色が黒く、翼や尻尾もしまっていて、その表情はやや大人めいているが……。
それでも、忘れられない美少女だった。
「見たところ現地人じゃなくて、楽園の連中か。どうやらお前らも、面倒ごとを抱えているようだな」
「本当に強力な反応だったものね……その割には、無害に見えるけど……」
「もしかしてご主人様、なにか心当たりがあるの? ずいぶん無警戒に接近してたし」
「私たちにも話せないほどのネタがあるのかもね、聞かない方がいいかも」
『簡易スキャンを行ったところ、初期の脱水症状がみられます。速やかな水分補給を推奨いたします』
魔王軍四天王最後の生き残り。
絶滅種である、エルフにダークエルフに吸血鬼。
そしてエルダーマシン、ナイル。
「水分補給? よし、ミルクを用意しろ!」
「よし! なんか知らんが助かったな!」
まるで歯車がかみ合うように……。
蛇太郎自身の物語が動き出す。
※
時は、現在に戻る。
蛇太郎はナイルの客室で、今もEOSを手にしている。
彼にとってEOSとは最強の武器ではなく、忌々しい思い出の舞台である。
これが無ければ、マロンの歪みは悪化しなかった。彼の願いは早々に破綻し、結果として多くの人々は飽きずに済んだのだ。
こんなものが無ければ、こんな苦しい思いをせずに済んだ。
あんな冒険を、誰もせずに済んだ。
重責を担った蛇太郎は、あんな悲劇が起きていたことを呪っていた。
誰も幸せにならなかった、悲劇に悲劇を上塗りしただけだ。
誰も、あんな結末を、それまでの過程を、望んでいなかったではないか。
それでも、それでも。
あの夢の中の冒険は、心の中で輝いている。
マロンのマニュアル操作だとわかっても、自分を騙すためだとわかっても。
それでも、心の中で輝いている。だから忘れられない、消えてくれない。
「マロン、相田さん、阿部さん」
ことあるごとに、脳内で反響する。
彼らの物語が、蛇太郎の魂に焼き付いている。
きっとこれからも、そうなのだろう。
あの物語の因子が心に焼き付いて、似たことが起きるたびに思い起こしてしまうのだろう。
それはきっと、解けない呪いだ。
いっそ記憶に蓋をすればいいが、それはできない。
アイーダとアヴェンジャーは、すべてを忘れて夢を見ていた。
全てを思い出した後の二人は、とても悔やんでいた。
それを見たうえで、記憶に蓋などできるわけがない。
高潔な理由ではない、思い出した場合のことを考えると怖くて仕方ないのだ。
もしもふとした時に蓋が外れれば。
その時どれだけのダメージが心を襲うのだろう。
それを思うと、記憶に蓋をすることは憚られた。
一人になると、冒険のことを思い出して胸が痛む。
彼の心が楽になるのはいつだって……。
「おい、蛇太郎! いるか、実は沖にAランク上位モンスターのマリンナインってのが出てきたららしいぞ。無害だから見に行かねえか? いや、行くって話だけどな! せっかくだしみんなで食堂車両に行こうぜ!」
ノックをして、許可をして、入ってくる兎太郎。
彼の強引さに、いつも救われている。
そう、なぜなら彼は……。
「は、はい……」
「超でかい海の山らしいぜ? 意味わかんね~よな! でも遠くから見る分には楽しいらしいから、期待しちまうよな~~! ストーンバルーンもそんな感じだったし!」
「わかりました、俺も食堂車両に……」
「いや~~、やっぱ戦闘とかないと気が楽だよな~~!」
「あ、あの……」
「ん、どうした?」
「その……」
「お前さあ、前から思ってたけどそれ止めたほうがいいぜ?」
「は、はい?」
「もったいぶるようなことを言って、途中で止めるの。すげえうっとうしい」
「……そうですよね、すみません」
「まったく……そんなんだから友達ができねえんだ」
自己評価が低い蛇太郎をして、兎太郎の暴言は『ここまで言われるいわれはない』というものだった。
言っている内容も酷いが、言い方もとことん酷い。
そのうえでそれなりには正論なので、返す言葉はなかなか思いつかない。
(この人は自分の株価でインサイダー取引でもしているんだろうか……)
創作された世界で旅をしていた蛇太郎は、疑心暗鬼という名のシミュレーテッドリアリティに陥りかけている。
いついかなる時も、これは夢の世界ではないか、と疑ってしまう。
だがそれをとことん否定してくれるのが、この兎太郎である。
こんなひどいことを口にする奴が、幻覚にいるわけがない。
ならば現実なのだろう、むしろそうであって欲しい。
そう思いながら、ふらふらと兎太郎の後に続いて、蛇太郎は食堂車両に歩いていく。
普通なら「異世界に来て、いきなりこんないい暮らしができるわけがない」という考えに陥るだろう。
だが同居人にして先人にして偉人にして恩人が、『お前つまんねえ奴だなあ』と言ってくる男なので、そんな気分に浸ることは少ない。
(きっとこの人は自分を中心に世界を回しているんだな……)
マロンが操作していた人形と違って、兎太郎には主体性がある。
彼は蛇太郎を気遣うための存在ではなく、自分の思うがままに生きている。
今も蛇太郎に声をかけているが、かといって蛇太郎を喜ばせてやろうと思っているわけではない。
しいて言えば、兎太郎自身のためだ。兎太郎が『たくさん人がいた方が楽しい』と思っているから呼んだのであって、極論蛇太郎が嫌がったらじゃあいいや、になる。
(自分で世界を回しているから、俺みたいな心境にならないんだよな……)
一緒にいてストレスになりやすい彼だが、だからこそ逆に良かった、のかもしれない。
と思わないと、やってられない。
「来たか、蛇太郎」
食堂車両で彼を待っていたのは、五人目の英雄狼太郎。
少年の姿で椅子に座り、いつも通りにミルクを飲んでいた彼女は、やや神妙な顔で彼に声をかける。
なお、兎太郎は蛇太郎を連れてきたことで満足して、そのまま窓際の席へ歩いて行った。
「実はな……俺が知っているEOSの事情を、ある程度牛太郎たちに話しておいた」
「!」
「兎太郎とその仲間……あと俺自身の仲間には話してねえ。奴らが知りたがっていたこともあったし、奴らなら耐えられると判断してのことだ」
蛇太郎は、夢の中の出来事を語らない。
EOSを手に入れた経緯も、話そうとしない。
話すこと自体が嫌であるし、聞いた人が嫌な気分になるだろうと思ってのことだ。
だが、狼太郎は最初から知っている。
蛇太郎が説明しなくてもいいし、EOSのことで気がめいっているわけでもない。
そういう人がいることは、間違いなく救いだった。
「なによりあいつらは、蓄積していた魂が解放されたことは知っていたからな。だから俺が知っていることを聞いても、特に驚きはしなかったよ」
「……そうですか」
「怒るか?」
「いえ……貴方が知っていることを、貴方が誰に教えても、それは咎めることじゃありません」
それに、自分の口から語りたくないというだけで……。
自分の苦しみを誰も知らないというのは、それはそれで嫌だった。
二律背反、彼のエゴである。
「むしろ……気を使ってくれて、ありがとうございます」
「そうかそうか……いい顔をするな、お前も」
「そんな……」
「よし、俺の部屋の鍵をやろう! 夜眠れなくなったら、いつでも来ていいぞ! それはもう、朝まで……」
「……お断りします」
幼少期の自分を再現する狼太郎を見て、蛇太郎は普通に引いていた。
やはり彼女も、蛇太郎の都合で生きているわけではない。
だが理解者である彼女がいたからこそ、救われていた。
何も知らない、知ろうともしない兎太郎。
概ねを知って、聞いてこない狼太郎。
二人がいたから、蛇太郎はやってこれた。
「……あの、蛇太郎さん」
そして、この食堂車両には新しい仲間もいた。
芥子牛太郎と、その仲間四人である。
この五人は、神妙な顔をしていた。
蛇太郎が何をしたのか、だいたいわかってしまった。
だからこそ、彼に寄り添おうとしている。
「今狼太郎さんから聞いたと思うんですけど……俺たち、EOSについて知りました」
「魔王が残した遺産……アヴェンジャーが持ち逃げした、魂を集めて、倦怠を吸い上げる宝」
「何億人分も必要だって聞きましたけど、私たちの知っている記録だと何十億人分だとか……!」
「もう、それだけでもキツイよ……蛇太郎さんが心を病むのも当然だよな……」
「わ、私……聞いただけで、涙が……泣いちゃって……本当に、なんて言っていいか……!」
善良な少年少女だった。
蛇太郎のことを思いやる、優しい人たちだった。
その善意が、蛇太郎には、嬉しくて……。
「……そういってくれるだけで、気が楽になるよ。だから気の利いた事を言おうとか、俺を慰めようとかしなくていい」
他人へ配慮する、そんな余裕も出てきていた。
「これからマリンナインっていうモンスターを見に行くんだろう? 席について、のんびりしようじゃないか」
蛇太郎は、適当な椅子に座って、外を見る。
そこには……けっして都合のいいことばかりではない、それでも素敵な世界があふれていた。
※
蛇太郎が遭遇した事件は、どうあがいてもハッピーエンドなどありえなかった。
ならばそれを解決したところで、彼が幸せになれるはずがない。
だが、その事件を解決した先には。
夢の世界とは無関係な、自分の運命が待っている。
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