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一寸先は闇

 飯はまずかったが、家は普通だった。

 クツロが雨風を凌げるだけマシと言っていたが、実際壁と天井のある家のベッドで寝ていれば、そこまで寝苦しくはなかった。

 もちろんウォーターベッドやら最新科学による重量分散やらなんやらはないが、普通に寝て起きることができた。起きたときに、体が痛いということもない。


「……幸せのハードルが低い」


 地球でもそうだったが、目覚めの朝はいつだってうんざりする。

 ましてこの世界では、地球以下と言っていいだろう。

 絶対にまずいと分かり切っているメシを食って、絶対に危ないと分かり切っている森にはいって、人間を食べるモンスターと戦うのだ。

 実質的に危ないことは全部四体がやってくれるとはいえ、進んでやりたいことではない。

 しかしそれが『仕事』であり、既に前払金として家に住ませてもらっているのだから、それを無視するのも悪い気がした。

 そして実際のところ、逃げてもいいことはないのだと分かっている。


「みんな、おはよう」


 食事をするために食堂へ行くと、そこには既に四体が席についていた。

 意外にも、全員が期待に胸を膨らませた顔をしている。コゴエでさえ、わずかながら頬がつり上がっているようだった。


「おはようっございま~~す!」


 他の三体の声が聞こえなくなるほど、アカネは元気よく挨拶を返していた。

 昨日散々食事に文句をつけていたとは、思えないほどの元気さである。


「元気だな、アカネ……」

「そりゃあもう! 今日から正式に森へ入れるんですから、気分は最高ですよ! ご主人様と一緒に、前人未到の大冒険!」

「そ、そうか……確かに、大冒険だな」


 前人未踏ではないぞ、とは言わなかった。流石にその程度には、空気が読める。

 やる気があるのは良いことだった。


(羨ましい……)


 皮肉ぬきで、狐太郎は羨望する。

 明らかになっていく何もかもが、現実的ないやらしさに満ちている世界で、一瞬でも前向きになれるのだから。

 悪いことだらけではないとしても、いいことがないと本当に辛いものである。


「お食事をお持ちしました~~」


 そして『いいことがない』の最たる例がやってきた。


「肉も酒もない……この世の終わりだわ……」


 運ばれてきたのは、釘が打てそうな固いパン、野菜が浮いているけど味のないスープ、山羊かなにかのミルク、そしてゆで卵だった。

 当然のように、酒はない。これから向かう先を想えば、酒など飲ませられるわけもない。

 それを見て、クツロはものすごく落ち込んでいた。


「生きる気力がわかない……なんてことなの……」

(楽園から追放されたような顔をしている……)


 酒と肉があるか無いかで、一喜一憂し過ぎである。余りにも、欲求に左右され過ぎていた。

 もはや彼女に対して、知性を感じることが難しくなっていた。

 これは狐太郎だけではなく、他の面々も同じである。


「あ、あの……よろしければ、お肉やお酒もご用意いたしますが」

「いいえ、結構です」


 巨大なモンスターが不機嫌になっているので、給仕の女性たちも不安そうだった。

 この世界でも朝から肉というのは良くないと思われているらしく、一般的な朝食にしたと思われるのだが、ほぼ全員が不満そうなのでとてもうろたえている。


(昨日帰ってもらってよかったな……)


 幸いと言っていいのか、ミルクとゆで卵はわりと普通に食べられる味だった。

 スープとパンは少々苦戦したが、なんとか食べることができていた。スープにほとんど味はなく、パンはとんでもなく硬かったのだが。


(なんだか、食事と戦ってばかりなような気が……)


 皿に盛られている料理を食べるだけで一苦労。

 流されているままの狐太郎も、この日々に耐えられるとは思えなかった。





 昨日と同じように、上下に開く門をくぐり、前線基地の外に出る。

 そこは正に死地というほかない、魔の森の勢力下だった。

 この森に潜むBランクの魔物を討ちとり、周辺の街への被害を抑える。

 それが狐太郎の、新しい仕事である。


(でも、勝って帰ってきたところで、待っているのはまずいメシなんだよなあ……)


 はっきり言って、戦う甲斐を感じられない。

 いったい自分たちは、何のために危険地帯へ赴くのか。

 前向きになれる材料が一切見つかっていない。


「う~ん……ご飯のことは、何とかしたいよねえ。美味しい食事は元気の源だもん」


 森に入っていく一行だが、当然のように話題はメシの話である。

 一度中に入ったこともあって、少々気が抜けているようでもあった。

 アカネの軽口を、他の三体は咎めていない。


「私は肉とお酒があればいいけれど、ご主人様やアカネはそうもいかないわね」

「あのね、クツロ。私もあのままだと嫌よ」

「あら、ササゲも食事に不満があるの? 意外ね……火竜はともかく、悪魔が食事に興味を示すなんて」

「限度があるわよ。英気を養うどころか、気力を使い果たしちゃうわ」

「そう……大鬼の私には、わからないことね」


 自分は何一つ不満がないクツロだが、アカネや狐太郎が弱っているところを見るのは心ぐるしいようである。


「コゴエはどう? 雪女は精霊種だから、欲求が薄いと聞くけれど」

「お前と同じだ。自分はともかく、他の者が苦しむのは見たくない」

「元の世界へ帰還することはともかく、食事の改善が当面の課題ね」

(まったくだ)


 元の世界に帰る方法を探すとか、この世界に永住する手段を探すとか、そういう先のことは一旦保留である。

 そんな長期目標よりも、目先の食事が大問題だった。

 狐太郎を中心にして危険地帯を進む一行にとって、モンスターなぞよりも解決が見えない問題である。


「私こういうお話が結構好きなんだけど、割と簡単に解決方法が見つかったりするんだよね~~」


 太く長い尻尾を振りながら、話し始めるアカネ。

 彼女の言葉を、とりあえず全員が聞いていた。


「実はあの街……前線基地にある食材でも、ちゃんと調理すれば美味しいとかさ」


 割とありえる話である。少なくとも、ダンジョンを捜索していたらケーキやパン、弁当が落ちていたとかに比べれば、全然現実的だった。


「でも私たち、料理できないんだよね~~。食べるのが専門だし、レシピなんていちいち覚えてないし」

(確かに)


 自分で言っていて、自分で否定している。そしてそれは、全面的に正しい。

 そう都合よく、料理が得意な者がいるわけがない。いたらとっくに、給仕の仕事を奪っていただろう。


「高度な文明に生きるが故の弊害ね。何もかもが簡単に手に入るし、自分でやる手間が省略されているから、準備されていないと料理さえできない」

(その通りだけど、お前には言われたくないな)


 生真面目に分析しているクツロだが、一切説得力がない。

 果たして彼女は、本当に高度な文明社会で生活していたのだろうか。食事への反応を考えると、野生種でも驚かないところだ。


「他には、この森みたいに危険なところのモンスターが、調理したらすごくおいしくなるとか。それもさっきと同じで、私たちに料理の腕がないからどうにもならないんだけどね~~」

「それはないだろう。先日ジョー様から聞いたところでは、この森のモンスターは食用などの資源的な価値はないらしい。もしもあるのなら、正規軍をあの基地に残していたはず」


 上手くいかないものだ、とコゴエが生ぬるいため息を吐く。


「ねえねえ、アカネ。他にはないの?」

「あの街に偏屈だけど凄腕の料理人がいるとか~~、女の人だからって嫌われている凄腕の料理人がいるとか~~、差別される種族だけど凄腕の料理人がいるとか~~」

「もしもいたら、私たちに派遣していると思うわよ。でも確かに、それぐらいしか考えられないわねえ。美味しい食材が見つかっても、どのみち調理してもらうしかないんだし」


 ササゲは色気のあるため息をついた。


(しかしまあ、本当にクソみたいな森だな。人間を襲うモンスターが大量に生息して、しかも倒してもいいことが何もないとか。この国の人にしたら、最悪だぞ)


 狐太郎もため息をつく。

 自分のこともさることながら、他人の苦労もしのばれるというものだ。


 そうしている間にも、一行はどんどん森の奥深くまで入っていく。

 どんどん日の光が遮られていき、不安をあおる空気になっていく。


(もちろん、俺にとってもクソだが……俺の場合は、みんながいるからな)


 不意に、目の前が暗くなった。

 森の中の闇が動き、目の前にある道をふさいでいた。


「ずいぶんゆっくり出てきたね」

「それだけ自信があるということでしょ」


 余裕をもって前に出るアカネとクツロ。

 その二人の合間から、狐太郎は見た。

 己の前に立ちふさがっている、闇の正体を。


(で、でっけえ虎だ……)


 闇の正体は、尋常ならざる大きさの虎だった。

 ただ一頭がのっそりと現れて、道をふさいでいる。

 こちらを向いているのだが、一向に襲い掛かってくる気配はない。

 だがそれでも、明確にこちらを獲物として認識している。

 巨体のわりに小さい両目は、瞬きもせずに一行をにらんでいるからだ。

 たまたま通りがかって、くつろいでいるという雰囲気ではない。


「ご主人様、下がらないでください」


 おもわず後ずさる狐太郎を、コゴエが止めていた。

 狐太郎の肩に触れる手は、とても冷たい。

 それは気付けとなって、狐太郎に周囲を気付かせる。


「既に、包囲されています」

「い、いつの間に?!」


 気づけば、完全に囲まれていた。

 前方を一頭の巨大な虎がふさいでいる一方で、後方を含めて周囲を狼が囲んでいる。

 十頭や二十頭ではない、もっとたくさんの狼が一行を包囲している。


「申し訳ありません、まったく気づきませんでした」

「あらあら、本当にいつの間に来たのかしら。こんなに群がってたら、取り分も何もないと思うのだけれど」


 相手は野生の獣であり、狩猟の達人である。それ故に気配を隠す術にたけているのだろう。

 そして完全に包囲された状況になれば、気づかれたとしても全く問題ではなかった。


「……仕方がない」


 青ざめつつも、狐太郎は現状を受け入れていた。


「斥候が得意な『種族』も、斥候ができる『職業』持ちも、俺は編成していない。だから、みんなは何にも悪くない」


 ぽちぽちと携帯ゲームのボタンを押していた時とは、ルールそのものが異なっている。

 素早さは相手より先に行動できるものでしかなく、機動力という概念は存在せず、なによりも自分の分身に当たり判定がなかった。

 不意の接敵が狐太郎にとって致命傷になりかねないこのルールでは、斥候の重要性もまるで変わっている。


 しかしそもそも、狐太郎の従えているモンスターたちは、最初から最適解ではなかった。

 ルールに守られた、ルールの中でしか強さを発揮できないような、極めて脆い編成ではない。


「アカネ、クツロ、コゴエ」


 狐太郎は、無意味であると悟りながら指示を出す。

 別に指示をしなくても、勝手にどうにかしてくれると分かっている。

 それでも、頼んでいた。


「俺を守ってくれ」


 前回戦わなかった、ササゲにだけ別の指示を出す。


「ササゲ」

「はい」

「全員倒せ」

「喜んで」


 まさに悪魔らしい表情で、ササゲは笑っていた。


 狐太郎がササゲだけに戦うよう指示したのは、いくつか理由があった。

 まず単純に、自分の守りを厚くしたかったこと。物凄く勝手な話だが、絶対に怪我をしたくなかったので三体を守りに当てていた。

 そんな、あまりにも消極的すぎる作戦に対して、彼女たちはどう思うのか。如何に指揮権をゆだねているとはいえ、彼女たちが納得していなければ、作戦は失敗するだろう。


「ご主人様を、私たちで守るわよ!」

「うん、わかってる!」

「承知」


 彼女たちは、指一本触れさせない覚悟だった。


(ご主人様は貧弱だから、攻撃がかするだけでも死にかねない。なんとしても守らなければ!)

(ご主人様は弱っちいから、私が守らないと!)

(ご主人様を三人で守る……不安はあるが、死力を尽くす!)


 狐太郎の自己分析が正しく、加えて彼女たちとも共有されていたからだろう。


(……本当に、なんで俺がここにいるんだろう。こいつらだけでいいのに)


 まともに水も飲めない狐太郎は、死臭に満ちた危険地帯で自分の状況を呪っていた。

 守るとか守らないとかは置いておいて、そもそも連れてこないでほしい。街に置いてきてほしい。

 なぜ自然な流れで、この森に自分が入る流れになっているのだろうか。


「さてさて……それじゃあ楽しませてもらいましょうか」


 もう一つの理由は、ササゲの機嫌取りである。

 前回は治療に回っていた彼女だが、そもそも治療は好きでも得意でもない。

 戦うことができていなかったので、機嫌がやや悪くなっていた。


(できれば楽しまずに倒してほしい……!)


 最後の理由は、彼女の特性にある。


(ササゲは悪魔だ……だから回復魔法よりも、攻撃魔法が得意だ!)


 三人にがっしりと守られながら、狐太郎は戦いを見守ろうとしていた。

 ふわりと浮き上がっているササゲからは、なんともわかりやすい暗黒の力があふれ出している。


「それじゃあまずは……小手調べから」

(最初から即死攻撃をしてほしいんだけど)

「キョウツウ技、レッドファイア!」


 頭上に手を掲げたササゲ。

 その掌から赤い炎があふれ出し、火球となって発射されていく。

 さながら小型の火山弾だろうか、赤い火球は弧を描いて四方八方へ放たれた。


おおううううぅうう!


 囲んでいる狼たちのうち一頭に、赤い火の玉が命中する。

 ほんの一発が当たっただけで、狼の体は炎上し、そのまま焼き上げていく。

 本気とは程遠い小手調べでさえ、狼はあっさりと絶命してしまう。

 死んだのがその一頭であるはずもなく、次々発射される火の玉は狼の群れを焼き尽くそうとしていた。


 しかし、これで全滅とはいかなかった。

 まともに狙っていないからか、あるいは狼たちの動きが俊敏だからか。

 当たって燃え上がるのは半数程度、残りの半数は火にもひるまずササゲへ襲い掛かっていく。


うううううううあああああ!


 大きな口を開け、鋭利な牙をむき出しにして、四方八方から食らいついていく。

 自らが狙われているわけではないが、それでも狐太郎には恐ろしすぎる光景だった。


 だがそれでも、ササゲの余裕は一切失われていない。

 むしろ獰猛に笑い、嗜虐をもって迎え撃った。


「キョウツウ技、ブルーファイア」


 豊満な自分の胸の前で左右の手を上下に重ねる。

 まるで大きい球を挟んでいるような形の掌にして、その中心から青い炎を走らせた。

 先ほどの赤い炎が火球なら、今度の青い炎は炎の蛇だった。

 彼女の掌から生まれたうねる火柱は、生きているかのようにとぐろをまき、狼たちへ襲い掛かっていく。


「あらあら、ハエはもうおしまい」


 半数に減っていた狼たちは、瞬く間に青い炎に飲み込まれていた。

 狼を食い尽くしていた火柱は、新しい獲物を求めるようにうねっている。

 火の粉をまき散らす青い蛇は、いまだに泰然として寝そべっている虎に狙いを定めていた。


「それじゃあ本番ね、いってみましょうか」


 襲い掛かってきていた狼さえ平らげた炎である、寝そべっている虎にあたらないということはない。

 完全燃焼の、青い炎。周囲を陽炎で歪ませる蛇は、無抵抗のままの虎に激突した。


(う、嘘だろ?!)


 見るからに、明らかに効いていなかった。

 まるで石の壁に花火が浴びせられているように、炎ははじけ飛ぶばかりで、横になっている虎は一切燃えていなかった。


(いくらでかい虎だからって、体は生身のはずだろ。何で火炎放射器を浴びせられているような状態で、平然としているんだ?!)


 蛙の面に小便という言葉があるが、まさにそれだろう。

 青い炎は虎の顔にあたっているが、虎は苦しむどころか微動だにしていなかった。


 ブルーファイアは、レッドファイアの上位技ではあるが、最強の技ではない。よって、倒せないと証明されたわけではない。

 だがそれでも、目の前で燃えない虎を見れば、意味不明さ加減に頭がおかしくなりそうだった。


 泰然としていた虎は、無言でのっそりと起き上がる。

 威嚇すらせずに、小さな目でササゲを見ていた。


「善かったわ~~、この程度で燃えなくて」


 冒険を超えて魔王さえ倒したササゲにとって、ブルーファイアで燃えない相手など珍しくもない。

 牽制ですらない、戯れ程度の火遊び。それで全員燃え尽きては、余りにも興覚めだろう。


「アナタ、昨日のヒヒよりは強いわね。もしかして、Aランクとか言う奴かしら」

 

 浮かび上がっているササゲは、巨大な虎を見下ろしていた、見下していた。

 のっそりと様子をうかがっている虎を、格下と断じている。


「手加減をしてあげる、嬉しいでしょう? こんな私と遊べるなんて、一生の終わりには最高だと思わない?」


 虎はその言葉を聞いているのかいないのか、全く反応を示さなかった。


「……つまらない」


 小さな双眸で、ただただササゲを見ているだけ。


「泣いたり笑ったり、喜んだり落ち込んだり、勝ち誇ったり哀れんだり、覚悟したり激怒したり……しないようね」


 もちろん、このまま何もせずに帰るということはない。

 その虎がササゲを狙っていることなど、狐太郎にもわかることだった。

 彼女の言葉に耳を傾けることはなく、彼女の表情に気を配ることもなく、ただ彼我の間合いを測り、とびかかる機会を伺っているだけだった。


「せめて唸ってくれないと、戦う気が起きないわ。せっかくなんだし、楽しませてくれないと……」


 それまで見下していたササゲが、虎から視線を切った。

 彼女にしてみれば、ただのジェスチャーでしかない。

 虎に対して、周囲に対して、自分ががっかりしていることを表現しただけだった。

 だがそれは、まぎれもなく明確な隙である。今が狙い時、そう判断した虎は、音もなく襲い掛かっていた。


 巨体が飛翔したにも関わらず、草が揺れる音さえしなかった。

 それは規格さえ無視すれば、猫の狩りにも似ている。

 爪の生えた前足を広げて、挟み込むようにしながら口を大きく開ける。

 爪で固定し、牙で食いつく。 

 あまりにも単純で、あまりにも効果的な、虎の捕食だった。


「つまらない」


 彼女の指が鳴る。

 スナップとともに光がはじけ、襲い掛かっていた虎さえのけぞらせていた。


「キョウツウ技、ホワイトファイア」


 不完全燃焼の赤、完全燃焼の青。それらを凌駕する最上位技、白熱。

 目もくらむような閃光の後には、おぞましい光景があった。


「顔半分、吹き飛んだ……」


 先ほどまでは毛一本が焦げることもなかった、生物とさえ認識できなかった巨大な虎。

 その頭部が深々とえぐられ、焦げた臭いと血肉を滴らせている。


 あまりにも凄惨な光景ではあるが、狐太郎が何よりも恐れているのは、虎が未だに立っていることだ。

 もちろん明らかに瀕死なのだが、残っている顔の半分は明らかに闘志を保っている。

 片方だけになった目で、しっかりとササゲを見ていた。


「逃げないの?」


 逃走しようとしない虎を見て、ササゲは首をかしげている。


「アナタ、本当に生き物なの? 高等な動物なの?」


 狐太郎と、同じ疑問を抱いているようだった。ただし、その反応は明らかに異なっている。


「怯えなさいよ、怖がりなさいよ、惨めにみっともなく、命乞いをしなさいよ」


 泰然としている、雄々しい姿。

 さながら不動の山にも見える、強大な生物。

 それを見て、ササゲは蔑んでいた。


「……訂正するわ、アナタは」


 顔の吹き飛んでいる虎の、その体毛が隆起する。

 一回り大きくなったのではないかと思えるほどに、その存在感を増していた。


「あのヒヒより、ずっと下等よ」


 興味を失っているササゲは、ホワイトファイアを放つ。

 一瞬の閃光、それは巨大な虎を完全に飲み込んでいた。


「……終わったか?」


 狐太郎は、目をくらませていた。そのため、虎の撃破を確認できなかった。

 既に体を損傷していた巨大な虎が、再度の攻撃に耐えられるはずはない。

 二度目の白熱によって、その命を終えているはずだった。


「いえ、まだです。ご主人様は、まだ我らの傍から離れないでください」


 二度目の魔法を見ていたクツロは、その巨体を未だに盾としていた。

 

「あの虎は、いまだに健在です……!」

「嘘だろ……!」


 体毛を膨れ上がらせただけの巨大な虎は、しかしホワイトファイアにも耐えていた。

 一発目の損傷があったので無傷かどうかまでは判別できないが、少なくとも生きて立っている。

 先ほどと違い、吹き飛んでさえいない。


「積み技でも使ったの? でも残念ね、その程度じゃあ、面白いなんて思ってあげないわ」


 明らかに、魔法への攻撃耐性が増している。

 体毛を膨れ上がらせたことは、虚勢ではなく意味があることだった。

 だがそれでも、ササゲはまるで動じていない。


「キョウツウ技、クリアアイス」


 氷属性の最上位技を繰り出し、虎を攻撃する。

 内部に全く気泡を含まない、時間をかけて凍結した氷塊。

 それを大量に放ち、虎を圧殺しようとした。


 それに対して、巨大な虎は臆することなく突撃した。

 巨大で堅牢で、触れた物を凍結させるはずの氷塊は、しかし空中を駆ける虎に当たっても弾かれるだけだった。

 攻撃を意にも介さず、傷を負っていることを感じさせず、猛然と襲い掛かる。


「キョウツウ技、テレポート」


 飽き飽きした顔で、ササゲは姿を消した。

 瞬間移動により、その場から一瞬で別の場所へ移動したのである。


「ああ、もう面倒ね」


 冷酷な、冷淡な、残酷な表情をしているササゲ。

 森の木を足場にして、ササゲへ再度襲い掛かる虎。

 二人の戦いは、拮抗しているように見えた。


「本当はもっといろいろ攻撃して、貴方の手の内をはっきりさせるべきなんでしょうね」


 彼女の纏っている闇のオーラが、荒ぶりつつ肥大化していた。


「貴方に有効な属性、貴方に効きにくい属性。その強化が魔法攻撃への耐性なのか、物理攻撃も対象にする防御の向上なのか、それとも一時的な無敵なのか」


 それが流動し、彼女の掌に集まっていく。


「せっかく私にはたくさんの技があるんだし、いろいろ試せるのだけど……」


 そして、発射された。


「貴方の相手は、もううんざりよ」


 闇のオーラに対して、巨大な虎はやはり回避しようともしなかった。

 先ほどまでと同様に、防御を捨てて攻撃のみに専念して、ササゲを食い殺そうとする。

 だがしかし、闇のオーラに包まれた瞬間、膨れ上がっていた体毛は収まり、目から光が消え、出血も収まっていた。


「シュゾク技、時代を笑う悪魔」


 悪魔の得意とする、動物型への即死攻撃である。


「せめて技の名前ぐらい言いなさい。マナー違反よ」


 今度こそ、地面に横たわる虎。

 最後の最後まで、断末魔さえあげることなく、無言のまま息を引き取っていた。


 かくて、無数の狼と巨大な虎は、完全に倒されていた。

 戦いが終わった後には、つまらなそうにしているササゲが浮いているだけである。


「中々の相手だったわね、ササゲ。ホワイトファイアにも耐えるだなんて」


 戻ってきた彼女を、クツロは素直に労っている。

 少なくとも、先日戦ったヒヒたちならば、確実に瞬殺できていた魔法のはずだった。

 それに耐えたのだから、間違いなく強敵である。


「あ、ああ……よくやってくれたよ、ササゲ」


 周囲を満たしている、獣の焦げた臭い。

 それに猛烈な不快感を感じている狐太郎は、やはり先日同様におびえた顔をしている。

 それでも、なんとかササゲを褒めていた。

 不愉快そうに虎を葬った、不気味な悪魔に対して、不器用でひきつった笑顔を向けている。


「……ああ、ご主人様」


 しばらく不思議そうにした後、ササゲは狐太郎の元へむかった。

 そして、わざわざ膝をついて、腰にしがみつく。


「とっても怖かった、とっても怖かったんですよ~~」

「ええ?」

「もう、私にあんな危ないこと、させないで~~!」

(怖がってはいなかっただろ?! まさか隠せているつもりなのか?! いや、そんなバカな?!)


 他の面々も驚いているが、狐太郎は何が何だかわからない。


(なんで?! おかしいだろ! どういう状況なんだ?!)


 彼女が普段からこうしていたのならわかるが、今いきなり、唐突に思いついたようにしがみついてきた。

 しかも芝居どころか茶番めいた、誰も騙せていないしぐさで。

 それを当人もわかり切っているようなのだが、茶番はどこまでも続いていく。


「ねえねえご主人様、私のことをもっとこう、なでなでして~~!」

(あ、これ、ふざけてる! ふざけているだけだ!)


 単なる悪ふざけ、そう理解したとき、狐太郎はとんでもなく顔をひきつらせた。


「あ、ああ……ササゲは偉いな~~ごめんな~~」

「きゃ~~頭をなでなでされちゃった~~!」


 もちろんナデポではない。頭を撫でたら、なぜか無意味に好感度が上がるとかではない。


(こいつ、俺に怖がられていることを分かったうえで、嫌がらせようとしているだけだ)


 まさに悪魔というべき、相手の弱みに付け込んだ所業だった。


「ササゲ、もういいでしょう。ご主人様を困らせないで」

「ササゲ、ここは死地だ。それを忘れて、下らない真似をするな」


 しがみついているササゲが、露骨にニヤニヤ笑っていること。

 しがみつかれている狐太郎が、顔を引きつらせていること。

 それを見たクツロとコゴエは、とりあえずササゲを引きはがそうとしていた。

 しかしササゲは、頑として離れようとしなかった。


「やだやだ、ササゲはご主人様に慰めてもらうんだも~~ん」


 なおふざけるササゲ。

 それを見ていたアカネは……。


「うわっ……」


 物凄く、嫌そうな顔をしていた。


「なにやってるの、ササゲ。気持ち悪いよ……」


 ササゲの意図をまるで読めず、マジレスしていた。


「見た目を考えなよ……もう」


 真実の言葉は、常に心をえぐるもの。

 さすがの悪魔も、火竜から『自分の見た目を考えろ』と言われるとは思っていなかったらしい。

 デリカシーのなさすぎる言葉だったが、だからこそ心へ届いていた。


「……」


 恥ずかしくなったのか、ササゲは無言で狐太郎から離れる。


「それで、ご主人様。どうします、この死体」

「そうだな……」


 なかったことにしようとするササゲに対して、狐太郎も積極的に協力する。

 自分たちの周囲には、大量の獣の死体が転がっていた。

 当然ながら、ちゃりんとコインに変化するわけではない。


「ジョーさんは確か、その獣に一つしかない部位を集めて持って帰ってこい、と言っていたな。それがモンスターを討伐した証明になるとか……」


 鎌倉時代の武士のように、相手の首を持って帰ればそれでいいのだろう。

 ケルベロスとかヒドラとか、そういう常識の通じない相手もいるかもしれないが。


「狼は大体燃え尽きちゃってるね……残ってるのもあるけど、沢山の頭を抱えて帰るのはいやだなあ……尻尾でいいよね、もう」

「ちがってもいいでしょう、そんな小者。この大きな虎があるんだから……でもこの虎の頭、大きすぎるわね……」

「そっちも尻尾でいいんじゃないかな? 尻尾だってかなり大きいし」

「そうね、これだけ大きければ魚拓の代わりにはなるわ」


 ぶちりぶちりと、アカネやクツロが死体から尻尾をちぎっていく。

 幸いと言っていいのかわからないが、狼も虎も尻尾は大きくなく重くもなかった。

 その二体が抱えられる分だけで収まり、とりあえず戻れそうである。


(この虎がAランクで、倒したら一生遊んで暮らせるレベルの報酬がもらえるとか……いやないな)


 狐太郎の思考が逃げに走りかけるが、そううまい話はないと思いなおす。


「まだ戦える余裕はあるけど、もう帰ろう。帰り道で襲われないとも限らないからな」

「そうしましょう、賢明なご判断です」

「ちぇ~~私何もしてないのに~~」

「ご主人様を守ることが最優先だ。それを達成したのだから、何もしていないということはない」

「コゴエ~~、私は戦ってないよねって話をしてるんだよ」

「ならば、この後遭遇したときは、アカネが戦えばいい」

「う~~ん……そっか~~、出てくるといいなあ……私さっきの虎みたいなのと戦いたい! ササゲは嫌そうにしてたけど、私はああいう大きいのが好きだなあ!」


 ぞろぞろと帰り始める一行。

 幸い一本道なので迷う恐れは一切ない。


「ほう、ホワイトファイアを完全に防ぐほどの相手と、火竜のお前が戦うと」

「だって私のブレスの方が、ササゲの魔法技より強いもん! それに久しぶりのドラゴンキックで、とりゃあ! と蹴っ飛ばすよ! あれだけ大きいと、蹴っ飛ばしがいがありそうじゃん!」

「その時が楽しみだな」

「うん! でってこないっかな~~!」


 狼の尻尾を抱えているアカネは、太い尻尾を振りながら鼻歌を歌っている。

 戦いたいというよりは、運動不足なのだろう。少なくとも、今日の彼女はほとんど何もしていない。


(出てきてたまるか)


 そんなごろごろと、ホワイトファイアに耐えるような怪物がいてはたまらない。

 少なくとも、遭遇するのはごめんだった。


「それじゃあ今後は、アカネがあの虎の相手をしてちょうだい。あそこまで無反応だと、人形を蹴っ飛ばして遊んでいるみたいで、気分が悪いもの」

(っていうか、さっきのあれは露骨にランダムエンカウントだったよな。いや、現実なんだからシンボルエンカウントなのかもしれないけども……とにかく、雑魚で出ていい相手じゃない)


 巨大な一体のモンスターと、それを取り巻く多数のモンスター。

 ゲームではよくある展開、どころかよくある遭遇の一種でしかない。

 だが実際に囲まれると、ひたすら怖くて恐ろしかった。


 幸いと言っていいのかわからないが、一行は森を出るまでの間、誰とも遭遇せずに済んでいた。

 こうして、彼らの初戦は終わったのである。

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― 新着の感想 ―
↓Bランクを倒すまでに長年苦労して鍛え上げた上澄みですらあの有様なんだから付け焼き刃でなにかが変わるわけないだろ……
[気になる点] 怪我したくないとか、自分だけ森に連れてこないでとか、主人公がウジウジしてたり頭悪すぎたりで読んでてイライラする。 役立たずと自覚してるのなら、なぜ強くなるためにモンスター娘たちに訓練…
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