四面楚歌
ある意味では、洗礼だった。
この世界で自分たちがどれぐらい強いのか、知りたいとは思っていただろう。
だがそれは同時に、自分達がどうにもならないほどの強さを持った存在が、頭をかすめなかったということである。
三人は疑いもしなかったのだ、自分たちの可能性を。
自分達ならどんな困難も乗り越えられると、過去の成功体験から学んでいたのだ。
とはいえ、それはこの世界の常識ではない。
この世界において、Aランクとは絶対的な存在である。
AAランクも、Sランクも、EXランクも存在しない。この上ない最高位こそがAランクであり、その頂点こそがAランクハンター。
血を流させることさえ、もはや偉業とされている。
だがしかし、麒麟はそんなものを求めていたわけではない。
無様に転がってなお、なんとか立ち上がろうとする。
彼は戦うことを諦められなかった。
ここで負けることを、どうしても受け入れられなかった。
才能で劣っていることは受け入れられる、負けは受け入れられる、相手が強いことは受け入れられる。
だがしかし、絶対に勝てないことは受け入れられない。
すべての試練は超えられるものであり、すべての敵は倒せるものであり、すべての障害は打破できるもののはずだった。
だからこそ、このまま負けることはできない。
絶対に勝ち目がない戦いなど、認められない。
「まだだ……まだ僕は、ギブアップをしていない」
立ち上がる。
剣を構える。
にらみつける。
「僕は、まだあきらめていない!」
虚勢ではない。
諦めていないふり、怒っているふり、戦うふりではない。
それが目に込められた力で明らかになっている。
ガイセイは、その姿を見て感嘆した。
「原石麒麟、大した奴だ」
ガイセイは何も知らないし、聞いていない。
元抜山隊の隊員が、三人へここへ来るように助言したことを知らない。
元々入隊を希望していたことを知らない。
だがしかし、ただ単に。
ガイセイは原石麒麟を気に入っていた。
「お前、抜山隊に入れよ」
目の前の彼を気に入っているからこそ、普通に勧誘していた。
「なに、俺に勝てなかったことなんか気にしなくていい。お前は十分強い、ここでもやっていけるさ」
卑しさはなく、利用するつもりでもなく、善意で勧誘していた。
「おおかた故郷でなんかやらかして、行き場がなくなってここに来たんだろう? 気にすんなって、俺達も似たようなもんさ」
だがしかし、その普通の勧誘を聞いて、麒麟の顔は硬直していた。
驚愕に染まり、震えていた。
それは彼だけではなく、蝶花や獅子子も同じである。
なんの嫌味もない勧誘だったのだが、それは三人にとって特別な意味を持っていた。
「一緒にシュバルツバルトで討伐隊をしようぜ、お前らなら大歓迎だ」
ガイセイはとても余裕をもって、嬉しそうに笑っている。
それは正に強者の風格、部隊の長のそれだった。
「僕は……僕はまだ、負けを認めていない!」
麒麟は覚えている。
この状況は、過去何度もあったことだ。
自分が敗者に向かって、同じようなことを何度も言っていたのだ。
『君、新人類に入らないかい?』
新人類とは別の、先祖返りたちによる集団。
それのリーダーを務める強者たちを相手に、麒麟は何度も戦ってきた。
誰と戦っても負けることはなく、常に圧倒していた。
『僕に勝てなかったことなんて気にしなくていい。君は十分強い、新人類でも十分やっていけるよ』
誰よりも強い上で、敬意を忘れたことはなかった。
自分より弱い者を蔑むことなく、気遣い、仲間へ勧誘していた。
そうして、新人類は大きくなっていったのだ。
『周囲になじめず、今の組織を作ったんだろう? 僕ら新人類も君たちと同じ、この社会からつまはじきにされたものだ。きっと仲良くなれる、分かり合えるよ』
強制でも強要でも強引でもなかった。
常に同意と誠意があった。拳を交えたことで、優劣を越えた関係になれた。
『一緒に社会を変えよう、君たちなら大歓迎だ』
一切しこりは残らず、わだかまりはなく、理解し合えていた。
そのはずだった。
だがしかし、言われる立場になって、なぜか怒りが溢れる。
「それもそうだな! よし、かかってこい!」
ガイセイは笑っていた。
やはり蔑みはない、こちらを迎え撃つつもりだった。
そのうえで、余裕をもって勝てると思っていた。
「キョウツウ技! フィジカルチャージ!」
麒麟は許せなかった。
なぜ許せないと思うのか、考えてはいけない。
「キョウツウ技! マジカルチャージ!」
麒麟は怒っている。
なぜ怒っているのか、考えられない。
「ショクギョウ技! 勇気の輝き!」
麒麟は理不尽だと感じている。
自分と同じことをしているはずの相手に、理不尽だと思ってしまっている。
「ショクギョウ技! クリティカルスラッシュ!」
今度は脳天だった。
頭頂部から股下へ両断するつもりだった。
もはや、死んでしまうかもしれないなどとは思っていない。
殺す気しかない。
何があっても、絶対に殺すつもりだった。
「効いたぜ」
ガイセイは生きていた。
ただ普通に立っているだけで、攻撃に耐えていた。
如何に頭蓋骨が頑丈といえども、ただの金属の棒で叩かれるだけで死ぬ。
普通の人間ならそうであり、先祖返りであっても剣で頭を斬られれば死ぬ。
そのはずなのに、ガイセイは平然としていた。
勇者として放つ渾身の一撃は、頭蓋骨で止まっていた。
「おらあ!」
ガイセイの反撃。
巨大な鉄拳が麒麟の腹部に命中していた。
荘厳な鎧が変形し、内部が破壊される。
「が……!」
呼吸をしようとする。
しかし、呼吸がままならない。
それでも、呼吸ができないまま、立ち上がろうとする。
「まだ立つか……すげえな、麒麟!」
称賛の声が聞こえてくる。
黙れと叫びたいが、声が出ない。
今追撃されれば、なすすべもない。
そしてこの勝負で、それは特に禁止されていない。
であれば、ガイセイは今飛び込んでくるべきなのだ。
だが、そうなっていない。
昔の麒麟もそうだった。
相手が立とうとする限り、それを待っていた。
恥辱であり、屈辱だった。
だが、だが。
自分と同じことをしているはずのガイセイは、なぜこうも腹立たしいのか。
自分がやった時は、ああもさわやかで、相手は敗北を受け入れてくれたというのに。
もしかして。
いいや、そんなはずはない。
呼吸を整えて、技を使う。
疑念を振り切り、目の前の敵を倒そうとする。
「キョウツウ技! フィジカルチャージ! キョウツウ技! マジカルチャージ! ショクギョウ技! 勇気の輝き!」
今度は首だった。
切り落とせないまでも、致命傷にはなる筈だった。
「ショクギョウ技! クリティカルスラッシュ!」
ガイセイの太い首に、刃が食い込んでいた。
太い血管が傷つけられ、勢いよく出血する。
「ひゅう……まだこんな力が出せるのかよ」
感嘆しながら、ガイセイは刃を抜く。
溢れていたはずの血は、あっという間に止まっていた。
「惚れたぜ!」
ガイセイの大きな手が、麒麟の頭をつかんだ。
そして力まかせに、地面へたたきつける。
「ふぐぅ!」
あまりにも雑な攻撃だった。
受け身もとれずに地面へ衝突した麒麟は、それでももがく。
「ぐ……う……」
まだ負けていない、ギブアップなどしていない。
まだ負けていない、まだ戦うつもりだった。
だが、体が動かない。
どうしても、立ち上がることができない。
「あ……あ……!」
必死になってもがく。
もう勝ち目はない、剣を手に取ることもできない。
だがそれでも、戦いを続けようとする。
戦力差が絶望的であればあるほど、麒麟は奮い立つ。
この抑圧に、この絶望に、反骨で反発する。
「頑張れ~~!」
声援が聞こえてきた。
「立て~~!」
「まだいける! いけいけ!」
「お前ならやれる、応援してやるぞ~~!」
抜山隊の面々が、麒麟の奮戦に心を揺さぶられていた。
ガイセイが圧倒的に強いからこそ、抜山隊の面々は麒麟の戦意に感動するのだ。
これだけ強い相手に、勇敢にも立ち向かう。その姿は、とても気高く尊い。
麒麟は、抜山隊を味方につけていた。
ガイセイが隊長であるはずの抜山隊は、あろうことか麒麟を応援していたのだ。
だがまあ、それが麒麟にとって嬉しいわけもないのだが。
ぼろ負けしている者に同情して、応援して浸っているだけなのだ。
この応援は、勝利を信じてではない。ただかわいそうなので慰めているだけだ。
これも、懐かしい。
「うるさい……!」
自分が別組織のリーダーを圧倒していた時、リーダーを慕う者が必死で応援していた。
その時麒麟は、彼が慕われているのだと思っていた。劣勢でも応援されるのだから、普段から仲がいいのだろうと思っていた。
だがしかし、いざ応援されれば。
こんな腹立たしいことはない。
「うるさい!」
麒麟は、自分への応援をかき消していた。
「……うるさい!」
もう誰も、何も言っていない。
麒麟だけが、ただしゃべっている。
「……」
麒麟は、間違えたことがない。
麒麟は、常に正しかった。
麒麟は、一度も過ちを犯さない。
新人類のリーダーであり、最強の勇者だった。
最高の才能を持ちながら、それに驕らず鍛錬を積んできた。
誰もが憧れる、模範となる少年だった。
それを、獅子子は肯定していた。
もちろん蝶花もそう言っていたし、周囲にいた人たちもそう言っていた。
自分のことを正しいと言ってくれる人たちが、悪い人であるわけがない。
悪くない人が嘘を言うわけがないので、その言葉は真実だ。
そのはずなのに、今の自分はひたすら惨めだった。
「う……!」
涙がこぼれそうになる。
痛みではなく、屈辱で目が潤む。
「う……!」
ガイセイは確かに強い。
自分よりも才能がある上で、豊富な戦闘経験があるのだろう。
そのうえで、麒麟と戦う時は卑劣な真似をしなかった。
優れた身体能力をもって圧倒してきたが、それは勝ちに徹したものではない。
正々堂々、真っ向勝負の結果だった。
それなら、しこりは残らないはずなのだ。
どれだけ実力差があっても、必ず分かり合えるはずなのだ。
なのに、ちっとも清々しくない。ただただ、屈辱にまみれているだけだ。
ガイセイが気に入らない、自分よりも強いことが気に入らない。
とてもではないが、尊敬の念など湧かない。
だとしたら、もしかして。
自分が戦って倒した者たちも、同じような気持ちだったのだろうか。
自分は良いことをしているつもりだったのに、周囲もそう言ってくれていたのに。
もしかして、相手はそう思っていなかったのだろうか。
力の差に怯えて、自分に従っていただけなのだろうか。
慕っているのではなく、不承不承頷いていただけなのだろうか。
自分は同志を増やしていたのではなく、屈辱にまみれた者を増やしていただけなのだろうか。
自分の善意は、ただ腹立たしかっただけなのではないか。
麒麟は間違えなかったのではなく、間違いに気づかなかったのではないか。
麒麟は常に正しかったのではなく、常に間違えていたのではないか。
麒麟は一度も過ちを犯さないのではなく、一度も正しいことをしていなかったのではないか。
そんなはずはない。
もしもそうなら、自分は余りにも惨めだ。
だから、そんなはずはないのに。
目の前には、自分よりもはるかに強い男がいて。
昔の自分と同じことをしてきて。
今の自分は、全く以って不幸だった。
「世界のすべてが……僕を否定する……」
強者が、優れている者が基準となる世界が欲しかった。元の世界は、あまりにも弱者に合わせ過ぎていた。
この世界は、強者が多かった。強者こそが、基準になっていた。だが結局、元の世界と大差がなかった。
強者が多すぎてまったく希少性がなく、いくらでも替えが利いた。身元が怪しいのなら信用されないし、雇用されることもない。
自由が欲しかった。
好きにふるまいたかった。
抑圧されたくなかった。
だが違う世界に行っても、強者の世界に来ても。
結局、自分の生き方は肯定されなかった。
「……麒麟」
その嗚咽を聞いて、獅子子は涙した。
蝶花は、とっくに涙していた。
奇跡が起こっても、都合のいいことが起きても。
それでも、現実は残酷が過ぎた。
夢を見た少年は、別の世界にさえも否定されたのだ。
「……」
絶望の中での慟哭。
それを間近で聞いていたガイセイは、耳を疑っていた。
彼だけではない、抜山隊も意味が分からなかった。
そして……。
「はははははは!」
ガイセイが笑った。
「がははははは!」
抜山隊が笑った。
「あはははは!」
「わはははは!」
全員が腹を抱えて笑い出した。
泣いている少年の言葉が、あまりにも滑稽すぎたのだ。
「何がおかしい!」
泣きながら抗議する麒麟。
これは明らかに、勝ち誇った笑いではない。
麒麟を滑稽がり、侮辱し、見下して、あざ笑っているのだ。
「いや、お前……!」
勇者の剣で首を切られても痛がらなかった男は、お腹を痛そうに抱えていた。
「ケンカで負けただけだろ?」
ガイセイは、麒麟の身の上など知らない。
しかし、何が起こったのかはわかっている。
ケンカで負けた、それだけである。
「世界関係ないだろう!」
なんでケンカで負けたら、世界が否定してくるなどという話になるのか。
自分の無力を呪うではなく、相手の強さを呪うでもない。
世界だとか社会だとか、そんな大げさなものを持ち出すのだろうか。
「お前格好いいなあ! お前、本当に格好いいなあ!」
シュバルツバルトの前線基地に、抜山隊の隊長を務める、ガイセイという強い男がいる。
それを聞いた麒麟は、ガイセイの下を訪れたのだろう。
そしてケンカして、負けただけなのだ。
たまたま突っかかった相手がガイセイだったのではない、強いと知ってわざわざ会いに来たのだ。
強い奴と喧嘩をしに来て、負けて、『世界のすべてが僕を否定する』。
「俺も今度それ使うわ! ケンカに負けたら、世界のすべてが僕を否定するって言うわ!」
「ふざけるな!」
「ケンカで負けて、ポエム読み出す奴に言われたくねえよ! あはははは! 格好いいなあ、お前! ケンカで負けたのに、格好をつけるんだなあ!」
何も事情を知らない者からすれば、ただ馬鹿々々しいだけである。
「じゃあなにか、お前ケンカで勝ったら『世界が僕を肯定する』とか言うんだな? すげえスケールでかいな! 負けときゃよかったぜ! 聴いてみてえなあ、世界が僕を肯定するって!」
ガイセイは、とても痛そうだった。
まさに笑止、片腹痛い。
「バカにするな!」
「お、お、おまえ、お前が俺を笑わせてるんじゃねえか! お前何様だよ! すげえなあ、何をどうやったらそんなに自意識が肥大化するんだ? なんでケンカで負けただけのことを、そんな大げさにとらえられるんだ? 自分でケンカふっかけてきたのに!」
呼吸が苦しそうだった。
ある意味では、ガイセイを苦しめていた。
ガイセイだけではなく、抜山隊もまとめて苦しめていた。
「お前凄いなあ……!」
「何がだ!」
「自分が戦って自分が負けたことを、世界のせいにするんだもんな! しかもそれが恰好がいいと思ってるんだもんな!」
ガイセイは理解に苦しみ、腹痛に苦しんでいた。
「世界が気を使って、お前よりも弱い敵とだけ戦わせてくれると思ってたのか? そうじゃないと不満なのか?」
これだけ才能に恵まれながら、幸運に期待し過ぎている男が信じられなかった。
「お前、バカ!」
次回 はだかの王様




