利口な無能
ボランティア、というのは無償の奉仕である。
善意による労働というものは、逆に義務が軽い。
元メギュロのパン職人たちも、さすがに『自分たちはどうなってもいい』とまでは思っていない。
自分たちのできる範囲で、ちょっとでも復興作業が進んでくれたら。そう思って、無償でパンとスープを配っていたのである。
逆に言うと、これ以上頑張る気はなかった。
彼ら自身も復興作業に従事していたし、収穫から脱穀やら製粉やらも全部自分たちでやっていたので、一週間に一回やら十日に一回程度だった。
よってこのパンを食べにくる人々も、不定期の配給、出会えたらラッキー程度に考えていた。
そして……メギュロのパン職人たちが再集結した状況ではあるが、メギュロの看板は出していなかった。
カンヨーの住民もパン職人の顔をいちいち覚えているわけもないので、「あ、メギュロのパン屋さんだね」なんて言ってくることもない。
というか、焼いているパンの味が違いすぎるので、メギュロのパン職人が焼いていることに気付くわけもなかった。
ホーチョーをはじめとする職人たちも、『いやこれが店の味あつかいされるのはちょっと』と思ってたので、気楽にやれていた。
それがおよそ四回ほど続いた時、ノベルやネゴロに守られている狐太郎が、現場を確認しに訪れたのである。
「どうも、ホーチョーさん。炊き出しの調子はどうですか」
「狐さん! こんなところに来てくださったんですかい?」
戦争が決着してから一月ほど経過しているが、まだまだ復興は終わっていない。
むしろ片付けが済んで、新しく家を建て直している時期なので、もっともあわただしいかもしれない。
そんなところへ、護衛をつけているとはいえ、狐太郎が自ら来る。
まだ大政奉還していないので、独裁官の地位についたままの、国一番の偉い人である狐太郎が来たのである。
彼の立場を理解しているホーチョーは、配給の手をいったん止めるほど驚いていた。
「ご存じの通り、この間クツロが目を覚ましましてね。しばらくはずっと一緒にいたんですが……ほら、俺がずっとそばにいたら、それはそれで休まらないでしょう」
「……まあそういう気持ちもわかりやす」
狐太郎は略式で行われた慰霊式を、クツロたち四体の傍にいたいという理由で欠席した男である。
それについてはクツロたち四体も当然だと思っており、むしろそばにいなかったら釈然としない気分になって、今後の関係にひびが入っていただろう。
とはいえ、意識を取り戻した後もずっとそばに居られると、それはそれでキツイというか嫌だった。
彼女たちにもプライバシーはあるので、一人にしてほしい時もあるのである。
まあ狐太郎もずっと一緒にいると嫌になってくるときもあるので、それを隠すのも悪いと思うことがあり……話のタネの為にも、こうして外出しているのだった。
「ただ私の詳しい身分を明かすと……割と真剣に殺されかねないので、スポンサーが来たぐらいにしてください」
「……うっす、すみません」
狐太郎はバカではないので、馬鹿正直に身分を明かし『この国は俺が救った』という事実を口にすることはない。
そんな自慢をしようものなら、北側の激戦区を生き残った兵士たちや、遺族の家族たちが殺しにきかねないのだ。
「おまえらあ! こちら俺のスポンサーさんだ、挨拶しろぉ!」
「うっす!」
「ああ、例の!」
「サカモちゃんにゃあ、世話になってます!」
「大権現様のお出ましですかい!」
パン職人たちも空気を読んで、適当に濁しつつ挨拶をする。
自分たちの上司だったホーチョーが、『腰が低くて気さくな方だ』と言っていたので、特に気負うこともなく挨拶をした。
「いえいえ……本当はお給料でも出すべきなのかもしれませんが……それは無粋のようですし」
「へい! 皆汗水流して働いているのに、ここで銭もらっちまうような野暮天は、それこそカンヨーっ子じゃありませんぜ!」
「おっす!」
「……そ、そうですか」
ある意味世間知らずな狐太郎は、下町江戸っ子風味なパン職人たちに困惑していた。
「ま、これで銭とったら泥棒ですわな。魔境の雑穀に辛いスープ……食えるだけましなもんで、腹空かせている弱みに付け込む。パン職人がやっちゃいけねえことですぜ」
「それはいささか卑下しすぎな気もしますが……」
国一番のパン職人、そのプライドを傷つけないように気を使いつつ、狐太郎は食事を食べている人たちを見ていた。
(うまくなくても、食えるパンを提供するというのは、十分お金をもらえることだと思う……)
今まさに戦後であろう、その時期に『不味くても食える飯』を提供することの難しさは、狐太郎でも想像がつく。
そして実際、サカモが護衛しているとはいえ、危険な場所で仕事をしているのだ。
味相応の値段を請求しても、罰は当たらない気もする。
(いやしかし、お金のない人にもパンを届けたいのなら、俺の発言は無粋か……)
狐太郎は彼らの粋を汲んで、大人の対応をすることにした。
「まあそういうことであれば、皆さんが帰る前に『お飲み物』をちょっとお渡ししますよ。それぐらいはかまわないでしょう?」
「お、お、お飲み物ですかい? いや~~、なんか悪い気がするなあ~~」
「そうですか、残念です」
「へへへ、意地悪は無しですぜ、狐さん」
ちょっとした芝居を挟みつつ、狐太郎は差し入れを後で渡すことを約束した。
さすがに民衆へいきわたるほどではないが、ボランティアに渡す分ぐらいは都合できる。
職人たちもまんざらではなさそうで、配慮に期待をしている様子だった。
「ロミオ、人数分の『お飲み物』を用意しておいてくれ」
「承知仕りました」
こういう時、下働きがいると楽である。
狐太郎の指示は速やかに伝わり、十勇士の一人が抜けて伝令となる。
きっと彼らが炊き出しを終えるころには、大人の飲料が届くことだろう。
「いやあすみませんねえ」
「お気になさらず、ただのお気持ち程度ですから」
なんとも和やかな雰囲気ではあったが、それが中断されることもある。
誰もが困っているこの状況で、自分だけが困っていると思い込む者がいるのだ。
「む……何者だ、止まれ!」
「失礼……!」
十勇士の一人が、近づいてくるものをとがめた。
現在の彼らは斥候の任務についているわけではないので、護衛らしいちゃんとした服装を着ている。
そのため変に下として見られることもなく、礼をもって『彼』は止まる。
とはいえその礼は、表情からして上辺であったが。
「どちら様でしょうか、私に御用の様子ですが……」
「坊ちゃん……?」
「は? あ、あ、あ……メギュロのオーナーさんですか」
ホーチョーを含めたパン職人たちは、みすぼらしい姿の男性を見て坊ちゃんと呼んだ。
それを聞いた狐太郎は、いつかの話に出た男のことを思い出す。
「ええ、いかにも……そこの職人たちの、元の雇い主ですよ」
「そうですか……」
狐太郎はいろいろと言葉を考えつつ、周囲の職人たちを見た。
皆一様に、仕事先のオーナーの凋落ぶりを見て、複雑な顔をしている。
変に偏ったことをするのもよくない、そう判断した狐太郎は定型文を並べた。
「この度はカンヨーが襲われ、さぞ大変だったかと存じます。舌に合うかはわかりませんが、よろしければ貴方もパンとスープを……」
「いえ、結構……」
剣呑な雰囲気を察して、パンとスープをもらいにきた民は下がっていく。
できれば食べたいが、怪我をするのも避けたい。そんな雰囲気になっていた。
「失礼ですが貴方は、ホーチョーの今の主ですか?」
「ええ、そうなります。見ての通り、成り上がりの亜人ですよ」
狐太郎の謙遜に、パン職人たちはわずかに口をひきつらせた。
本人以外が言うと、とんでもないことになりそうな発言である。
「私のふところもかなり傷んだのですが、このカンヨーに比べれば被害は小さかったのです。微力ながらも何かできればと思っているところ、今雇用しているホーチョーさんから出資のお願いをされたので、お応えした次第です」
出資と言うと微妙に誤解を招きかねないが、戦力を提供しているのだから間違ってもいなかった。
パン職人たちは一旦何か言うのをやめて、狐太郎とホーチョーに裁量を委ねていた。
「では貴方には、経済的余裕があるのですね?」
「……ええ、多少の出資ができる程度には」
不誠実な言い方だが、それでもその『坊ちゃん』には十分だった。
今の彼は、切実に金銭が必要だった。
「ではぜひ……『メギュロ』復興への出資を!」
「……なぜ今?」
「今思い立ったことではありません、ずっと以前からそれを求めていました!」
彼の眼には、赤い血が幾本も走っていた。
白目が赤く見えるほど、彼は目の前の状況に焦がれていた。
「私の継いだメギュロは……大王陛下にも納品したことがある、国一番の名店! しかしご存じの通り、私の代で潰れてしまいました」
「ええ、聞いております」
「すべては……狭量な職人から、理解を得られなかったからです!」
狐太郎はわずかに首を傾げ、その上で黙り、考えた。
「……私はホーチョーさんからいろいろと聞いております。しかし考えてみれば、片方からの意見だけを聞くのは不誠実なもの。よろしければ、何があったのか教えていただけませんか?」
そういってから、狐太郎はホーチョーをはじめとした職人たちを見る。
その顔は『一応聞くだけですよ、一応』という顔だ。
ものすごくしらけており、嫌そうなものであった。
「はい! 私は先代から受け継いだ評価を守りつつ、より一層店の名声を高めようと考えておりました!」
(俺は経営の素人だから偉そうなことは言えないが……味の話とか全然しねえなこいつ……)
「そのためには利益を追求し、店員への給料を上げ、さらに店舗を増やすことが大事だと考えています!」
(あながち間違っているとは言えないな……)
「そのためには、様々な試みが……流通ルートの開拓や、仕入れ先の変更などが必要でした! ですが職人たちは私の意見に耳を貸さず、何も考えずに店を去ったのです……その結果、倒産に追い込まれました!」
狐太郎は彼の言葉にそれなりの理解を示していた。
言葉、には、理解を示していた。
そして改めて、職人たちを見た。大変でしたねえ、という顔だ。
「いろいろと申し上げたいことはあるのですが……貴方と職人さんの意見が食い違い、その結果職人さんたちはお店を去ったのですね?」
「はい、その通りです!」
「それは残念としか申し上げられません」
発言には一定の理解を示す狐太郎だが、その心中は冷ややかであった。
「ですが、閉店してしまったことは仕方ないでしょう。悲しいことですが、貴方とホーチョーさんたちはもう決別している。それが答えのはず」
「……それは貴方の考えでしょう」
ぎろりと、赤い目で坊ちゃんは職人たちを見た。
メギュロのメンバーが再集結している、その点に注目しているのだ。
「彼らはメギュロを愛していた……再びあの店で働けるのなら、心が動くと思いますよ?」
「ふぅむ……」
ちらりと、狐太郎は職人たちを見た。
坊ちゃんの言葉を聞いて、心が動いている様子である。
(確かにゆるくねえとか言ってたしな……)
初めて検討に値する発言だったので、狐太郎は一考を練った。
まあ悪い話ではない。
「……どうされますか、ホーチョーさん」
「……あっしとしては、メギュロが復活するっていうのなら、悪くねえと思ってやす」
ホーチョーは考えのある顔で、狐太郎を見た。
「ですがねえ、大権現様の下で働くならともかく、坊ちゃんの下で働くっていうのは……」
「な、なんだとぉ!?」
そこで、坊ちゃんの、幼いころからもてはやされてきた三十代の男の、その狭量さが露出した。
「わ、わ、私の何が気に入らないんだ!」
言葉には出さないように飲み込んでいるが、『そんなちっこい亜人のガキにも俺が劣るってのか!』という態度が透けている。
透けているが、言っていないだけずいぶんと大人であった。もちろん、褒めていない。
「私はパン屋経営のプロだぞ!? そい……そちらの方が何をされて財を成されたのかは知らないが、パン屋の経営について詳しいのは間違いなく私だ!」
「あの、ホーチョーさん。こう言っては何ですが、私はパン作りも経営も完全に素人ですよ? 私の下で働きたいと言われても、私は何もわからないのですが……」
「いやいや、大権現様の下なら安心だ。なあお前ら」
ここまでくれば、ホーチョーの意図を読むことはたやすい。
狐太郎では察せないが、パン職人だからこそ察せるのだ。
「たしかに! 大権現様なら安心だ!」
「よっ、カンヨー一の御大臣!」
「大将軍!」
「大王様!」
「神様!」
(シャレにならん……)
適当に誉め言葉を並べているだけだが、狐太郎にとっては誉め言葉にならない。
むしろ背筋が凍り付き、恐怖で震えるほどだった。
「お、お前たち……不敬だぞ!」
(そうでもないんだよなあ……)
はやし立てているので、とりあえず世間的なモラルを振りかざす坊ちゃん。
彼も本心から不敬だと思っているのではなく、とりあえず揚げ足を取りたいだけだった。
「まあまあ皆さん落ち着いて……メギュロの屋号は、あの方のものでしょう。であれば、あの方を立てるのが道理というもの」
「そうだ、その通りだ!」
商標権、なんてものがこの世にあるかどうかは別として。
一応店の看板、というものには一定の保護があるらしい。
つまり全くの他人が、勝手に『メギュロ』を名乗るのは不義理ということだ。
「まあ言ってもですねえ……坊ちゃんはパンの一つだって焼けないでしょう」
「それはそうだが……そこの方だって同じのはずだ! パンを焼けなくても、経営はできる!」
「それはそうですがねえ……」
ここに来て、職人頭は狐太郎が言えなかったことを言った。
「親から継いだ店を潰した一文無しに、雇われようって奴はいないでしょう」
ものすごく客観的で、事実の羅列だった。
だがだからこそ、その言葉の強さは鉄槌のようだった。
「そこまで言わなくても……」
「ですがねえ、大権現様。この坊ちゃん、素寒貧のくせにあっしらを雇おうとしてるんですぜ?」
狐太郎はかばおうとするが、ホーチョーは否定しなかった。
実際一文無しだし、おそらく無職だろう。それもおそらく、戦争が始まる前から。
「じゃあ、お前は何か? 金か? 金さえあれば、私のところから去らなかったのか? だったら相談してくれれば、給料を上げる計画を話せたのに……!」
「いや、そういう問題じゃなくてですねえ……」
深々と、ホーチョーは溜息を吐いた。
「あんた、邪魔なんだよ」
「じゃ……?!」
「パンの作り方を知らねえくせに、材料変えろだのなんだの……好き勝手ほざいてくれたじゃねえか。それがまずいんだよ」
パンの作り方を知らない人間ならば、パンそのものに文句を言うことは許されても、パンの作り方に文句を言うべきではない。
「パンが売れないなら、あっしらのせいだ。パンがまずいなら、それもあっしらのせいだ。だがな、素人の考えた『利益率の高いパンの作り方』なんてもんは邪魔以外の何物でもねえ!」
(そりゃそうだ……)
経営全体の責任者が店長なら、パン製造の責任者は職人頭だ。
その責任の及ぶ範囲を超えてこられたら、面白くないだろう。
「いきなり違う材料持ってきて、『これでパン作れ』だあ? お前材料並べて台所でうろうろしてたら、勝手にパンが出てきて並ぶとでも思ってんだろ! そんでもって、作ったパンは全部売れると思ってんだろ!」
(クラフトゲー批判みたいなこと言ってる……)
ホーチョーは、思いのたけをぶつけた。
「あんた不良品が出ちまう割合とか知ってんだろ? 知ってるくせに今まで通りの完成品ができると思ってるんだろうが!」
「そ、そこを何とかするのが、職人の腕だろう! お前たちの無能を、私に押し付けるな!」
「売り物だぞ?! メギュロの看板で出すんだぞ?! 今日作って明日出せるもんかよ!」
無料で、ボランティアで、店名を出さないならそれも許される。
だがそうではないのだから、大問題だ。
「あんたは客のことも、俺らのことも、パンのこともバカにしてるんだよ!」
「……出資者殿、貴方も同じ意見か! 同じ雇用者側として、意見を伺いたい!」
(俺を巻き込まないでほしい……)
熱いトークバトルに巻き込まれた狐太郎は、大いに困っていた。
そのうえで、意見を発する。
「とりあえず、専門家の意見は尊重するべきだと思いますが」
「ですが! その専門家とやらは、店の経営に責任を持っているわけではない! それに店全体の算盤を弾く必要もある!」
「それが間違っているとは言えませんが……」
「そうでしょう! そもそも……職人たちは、好き勝手させてくれる貴方を、体よく使いたいだけだ!」
突破口を見つけた坊ちゃんは、これ幸いと切り込む。
「私には、成功のヴィジョンがある! その時点で、貴方より上だ! その私を支持しない彼らは、間違っているでしょう!」
それを聞いた狐太郎は、周囲を見回す。
「成功のヴィジョンですか……とりあえず私なら……」
「私なら、何ですか!」
狐太郎には、成功のヴィジョンが見えない。
それは決めつけではなく、狐太郎も同じ意見だった。
「今この状況で、高級パン屋なんて開業しません」
そう言われて、坊ちゃんは周囲を見渡す。
そう、彼はようやく、世間のニーズを調査する気になったのだ。
高級パンを買う余裕のある民衆は、どこにもいなかった。
「あ、あ……ああ……ああああ!」
「何もかもうまくいかなくて、焦る気持ちもわかりますが……もうちょっと落ち着いた方がいいですよ」
羞恥で顔を赤くして、うずくまる坊ちゃん。
その彼に対して、狐太郎は優しく諭した。
「もちろん貴方のおっしゃる通り、職人の言うことが常に正しいわけではありません。パンを作れなくても、パン屋の店長になれるかもしれません。でも……貴方はまず、自分の意見が正しいのか、自分の中で熟慮して、さらに他人に相談し……細かく検証していく姿勢が大事だと思います」
「狐さん……坊ちゃんよりセンスあるよ」
「こんな人と比べられても……」
その後……。
坊ちゃんはボランティアに参加し、パン作りを自分でやってみることになった。
もちろん職人たちは新人への教育同様に、一切遠慮のない指導を行うが……。
ぶっちゃけ無職が長かった彼は、耐えざるを得なかったのだった。
※
さて、一方城では……。
四人の将軍とジューガー、そして王都に残っていた重臣たちが集まっていた。
今回の議題は、戦後処理についてである。
多くの将兵が亡くなったため把握は困難だが、それでも遺族への対応などを話し合うため、軍隊の再建について話すため、一か所に集まっていたのだった。
「では今回も……書面上では狐太郎君が同席していて、承認を行っているという体で始める」
大王の第一声は、議事録の偽造宣言であった。
事実上の最高権力者である大王が実際にここにいて、名目上の最高責任者である狐太郎から預かった『征夷大将軍の独裁権』のハンコもあるので問題はないのかもしれない。
しかしながら、狐太郎のことをよく知らない重臣たちは、大変困惑した顔だった。
「あの……よろしいのですか? 他のことならまだしも、軍務について勝手に決めては、狐太郎閣下も不快なのでは」
重臣の一人が、もっともなことを言う。
国内すべてのことに権限を持っている狐太郎だが、実際に全部背負うのは無理があるし、本人も嫌がるだろう。
だが軍事のことまで決めたら、それこそ嫌がるのではないか。
「いいんですよ、あいつは決定したことに文句言いませんから」
(独裁官にアイツ?!)
第三将軍リゥイが、風通しのいいことを言った。
実にわかりやすく、大変に不敬である。
いくら将軍とはいえ、征夷大将軍に対して失礼全開だった。
「で、ですが……」
「大体アイツ、軍隊のことなんて一から十まで全部知りませんよ? 兵科の名前とか、武器の名前とか、兵の陣形とか、兵糧の配給法とか、兵が一日どれだけ食うとか、専門用語とか、役職の名前とか、給料とか……何から何まで全部知らないから、真面目にやろうとすれば会議になりません」
大臣たちは、思わず大王を見た。加えて、他の将軍たちも見た。
全員、無言で肯定している。
異色の経歴を持っているとは聞いていたが、経歴以前の問題だった。
「わ、我々の国の命運を、軍事の素人に委ねていたのですか?!」
「うむ……その通りだ」
重臣の暴言ともとれる発言を、ジューガーはしっかりと肯定していた。
改めて無茶な人事だったと、彼は後悔を噛み締める。
「君たちが想像する、大将軍の雑務や用兵などは……私とジョー君、ショウエンで何とかしたからな」
「そういう場合もあるとは聞きますが……それは当人に英雄としての実力が備わっているからこそ。狐太郎閣下は、何をもって四冠の地位に……」
「うむ……確かに彼は、大将軍の仕事のみならず、大王の政務も、十二魔将主席としての儀礼も、Aランクハンターの実力も……なにもかもできない。それは認めよう」
「そんな方に国家の命運を……?」
「うむ。本人も自覚があるので、かなり嫌がっていた」
兵士たちが聞いたら憤慨して怒鳴りつけてきそうである。
それはまっとうな意見なので、黙って謝るしかない。
「任命責任は私にある……彼は悪くない」
「ではなぜ、任命を……」
「お飾りとして、必要だったのだ……うん」
飾らない言葉なのに、お飾りでした、とはこれ如何に。
やはり歯に衣を着せるのは、大事なことなのだろう。
「ええ、ごほん……手元の資料でご確認いただけますが、今回の戦争に投入された戦力の八割は狐太郎閣下の手腕によるもの。戦果については、それ以上でしょう。それを思えば、決して不当な地位ではないかと」
第二将軍ショウエン・マースーが戦略的事実を述べる。
実際、純粋な央土のAランク戦力はガイセイとホワイトだけで、他は全部狐太郎の持ち出しであった。後は究極ぐらいだろう。
その上、敵のAランク戦力を倒したのは狐太郎の仲間だけである。
「戦績だけ見れば、大将軍ですな……」
「なぜ……」
「何がどうなっているのだ……」
「意味が分からない……」
軍務も政治も儀礼も実力も、何もかもが素人な外国人へ、非常事態の全権が預けられていた。
なのに勝ったのである。ナタの件を抜きにしても、五分までは押し込んだのだ。
重臣たちの疑問を、誰も理解できない。
(戦績表に狐太郎君の能力が書かれているわけではないからな……今そのことに気付いても仕方ない)
第一将軍ジョー・ホースは、その疑念に理解を示していた。
そして「その理由」は、彼自身の口から話しにくいことである。
「単純な話だ、狐太郎君以外の全員が優秀だったからだよ」
大王ジューガーは、雇用主として丁寧な説明を始めた。
「もしも狐太郎君以外の全員が無能なら、彼は一から十まで全部指示をしなければならなかった。だがアッカに鍛えられた討伐隊は、ジョー君を頂点とする指揮系統、信頼関係が完成していた。だから彼が前線基地のトップらしい仕事をしなくても、まったく問題なかった。それは今でも同じことだ」
ウンリュウもチタセーもそうだったが、部下が不甲斐なければ大将軍がいろいろと気を回さざるを得ない。というか本来の大将軍とは、そういうことも含めて仕事と言える。
何なら、全部自分で指示するのが一番うまくいかせられる。
狐太郎にそれはできなかったが、討伐隊全体の質が高かったため、大将軍の仕事を分担できたのだ。
「逆に言って、そういうちゃんとした組織には、なんでも自分で決めたがる責任者は不向きだ。なんでも任せてくれる上に、下の要請に従ってくれる彼は……やはり王都奪還軍のトップにふさわしかったのだろうな」
「そうですね、あいつ俺たちに指示したことないですからね」
(彼が指示しても、一灯隊は絶対従わなかっただろうな)
(むしろ反発するでしょう、やらなくてもわかりますね……)
狐太郎が『指示しない指揮官』になったのは、一灯隊が大きかったのかもしれない。
(私もハンコだけ置いて帰りたい……)
そして、まだ退任できない第四将軍コチョウ・ガオは一人震えるのだった。
次回から新章、牧歌と天国です




