1万通りの、うまく行かない方法
今回は短編です
さて、時間は少し遡る。
王都奪還が成功したばかり、王城の中がまだ臭くて汚かった時のことである。
狐太郎たち王都奪還軍は、ひとまず一息をついていた。
だが王都奪還軍以外にとっては、むしろここからが忙しかった。
狐太郎に仕える者の一人、ホーチョーもその一人であった。
とても恐縮した様子の彼は、クツロが倒れているところへ挨拶に来た。
元々王都でパン職人だった彼は、この非常事態を目の当たりにしてやきもきしている様子である。
「狐さん、ちょいとお願いがあるんでさあ……」
「どうかしましたか?」
「あっしの元同僚が生き残ってたんですが……」
「それはよかったですね!」
「ええ……実はそいつらと話をしまして……炊き出しをしてえなあってなりましてね」
現在王都は、城に押し込まれていた民や、王都に戻ってきた民でごった返している。
当然西重の兵によって荒らされているため、誰もが必死で復興作業に勤しんでいる。
そんな彼らへ、何かをしたいと思ってしまうのだ。
「……配給ですか? 別にかまいませんが、材料はどうするんですか」
当たり前だが、現在央土には食料がない。
普段なら農業をしている者たちを戦争に駆り出したので、穀物の生産高が大幅に落ちているのである。
もちろん狐太郎が強権を振りかざせば、多少は何とかなるだろう。だがそれは、他の人へ回る配給を減らすことに他ならない。
狐太郎が、そんなことをするはずもない。もちろんホーチョーも、そんなことをさせる気もなかった。
「実はちょいと離れた魔境に雑穀が生えてるんで、それを職人仲間で刈り取ろうって算段なんです」
「……え、それは現地のハンターさんに迷惑なのでは」
「それは心配ありやせん。つうか……今は無理なんです」
魔境に雑穀が生えている、というのはわかる。
しかしそれは、現地のハンターの収入源であり、やはり現地の食糧ではないだろうか。
だがそれは心配しなくていいと、ホーチョーが理屈を話す。
「実はその魔境……Bランクのモンスターがいるんです。それも中位も混じってるほどで」
「……雑穀欲しさに入るところじゃありませんね」
「よっぽど食うに困って、こそこそ忍び込んで刈り取って帰ってくる……ぐらいの時しか入らねえんでさあ。BランクハンターやらCランクハンターを雇う金があれば、それで買えば済む話ですし」
狐太郎は自分も弱いので、Bランク中位というモンスターを軽く見ない。
というか、Bランク中位モンスターと言えば、ジョーのような討伐隊の隊長でようやく討ち取れるのである。
ピンインのようなCランクハンター相当の実力者でも勝てなくはないが、雑穀目当てで倒す相手ではない。
「で、なんとかなりやせんかね……」
ホーチョーの言いたいことはわかった。
Bランク中位モンスターをどうにかできる戦力を、貸し出してほしいのだろう。
「無理は言えねえんですが……」
如何に最強の魔物使いである狐太郎とはいえ、Bランク中位をどうにかできる戦力は多くない。
しかも今回の戦争の直後である、ホーチョーをして自分でも無理を言っていると思っていた。
「わかりました、サカモをお貸します」
「……さすが狐さんだ、話が早え」
だが幸い、手が空いている上に、戦争に参加していないモンスターもいた。
ある意味ホーチョーの同僚、Aランク下位モンスター、雷獣鵺のサカモである。
※
さて、ホーチョーの元同僚であるパン職人たち。
機械化の進んだ日本においてさえ、パン職人は重労働である。ましてや何から何まで手作業でパンつくりをしている職人たちは、まさに肉体労働者。その体は、兵士と見まごう屈強さである。
その彼らは、現在身を寄せ合って森の中を進んでいた。
安全圏の者からすれば、その姿が滑稽に見えることもあるだろう。
だがBランクのモンスターが徘徊する森、と考えれば怖がるのは当然だ。
パン職人は、あくまでもパン職人。
一人前のハンターでも怖がるBランクモンスターの出没する森に入れば、怖がるのは当たり前だった。
「カシラぁ……大丈夫なんですかい、あんな亜人の姉ちゃん一人で」
「確かに愛嬌はあるんですけどねえ、王都の奴らに飯食わせる前に、俺らが飯になったら笑えねえ」
「四冠様のモンスター借りてくるって言って……あの姉ちゃんだぜぇ」
「おめえら、大の大人がここまでぐちぐち言ってるんじゃねえ。狐さんから無理言って借りてきたんだ、無礼は許さねえぞ!」
亜人の姿になっているサカモは、三人に分裂している時ほどではないが軽薄である。
正直その所作を見て、歴戦の雄には見えまい。
「でもよう……カシラ、これなら悪魔の方がまだましだ」
「あの姉ちゃん、そんなに強いんですかい?」
「一体どんな仕事してるんで?」
「め……飯炊きだ」
ある意味同業者、という亜人の女性。
なるほど、見た目相応である。
「飯炊きに命預けてるのかよ!」
「俺ら飯炊きだって命を預かってるだろうが!」
「魔境で飯炊きに命預けねえって話ですよ!」
「飯炊きが餌になったら、笑えねえ!」
大声で騒ぐ彼らに対して、サカモはまったく怒らない。
なぜなら彼女は、本当に飯炊きだから。
歴戦の雄でもなんでもないので、当然プライドのかけらもない。
弱そうと言われても、実際彼女の基準でも弱いので怒らないのだ。
ウズモたちと同じである、賢いので一々怒らない。
「あの~~、皆さん。うるさくしていると、寄ってきますよ~~」
緊張感のない声を出している彼女だが、発言はもっともである。
脅威のモンスターがいるとわかっている森の中で、大きな声など出すべきではない。
そう……この森の魔境、『貧民の蔵』に侵入して帰還する者は、そこまで少なくない。
あくまでも割合の話だが、雑穀のある中央部まで入って、なんとか収穫して帰ってくる、というのは難しくないのだ。
ただしそれは、貧乏人に限られる。
自分が食べる分を確保して、あわてて帰ってきて、そのまましばらくは入らない。
そういう者ならば、何とかなる。
もしも大勢で入って、大量に収穫して、それを抱えて帰ろうとすれば。
それを何度も繰り返し、商売にしようとすれば。
『ぎゅるるる……!』
森の洗礼が、待っている。
「ひっ……!」
屈強な体を持った、パン職人たちが震えあがる。
台所という安全な職場を出てきた彼らを、野生の世界が熱く迎えていた。
鳥類型、Bランク中位モンスター、死軍鶏。
巨大な鶏型モンスター、と言えばその姿はとても正しい。
だが、鶏は鶏でも、軍鶏である。
闘鶏という競技があったように、闘争心の旺盛な鳥である。
この死軍鶏も、当然闘争心旺盛。
ただ強いだけではなく、見つけた獲物を食い殺さずにいられない凶暴な怪物。
『ゴゲぇえええええええええ!』
その鶏に遭遇すれば、死、あるのみ。
到底逃げ切れず、食い殺される。
「ひいいいいい!」
「あ、死軍鶏だ」
その姿を見て、腰を抜かすパン職人たち。
その彼らをしり目に、サカモは歩み寄っていった。
「コレ、おいしいんだよねえ……」
サカモは鵺、同ランク帯のなかでは最弱に分類されるモンスターである。死軍鶏と違って、闘争心も凶暴性も低い。
そしてサカモ自身、軽業や飯炊き、騎馬能力が高いなど芸達者ではあるが、別に戦士というわけでもない。
つまりそんなに強くないモンスターの中でも、そんなに強くない個体なのだ。
「いただきます」
だがそれは、あくまでも『同ランク帯』の話だった。
ランクが二つも違えば、食物連鎖の分厚い壁が二つ隔たっている。
『ぎゃ……っ!』
「ひっ……」
鵺の変身能力は逃走に適しているが、狩りにおいても有効だ。
なにせ弱いと勘違いさせて、格下の捕食者を釣れるのだから。
『あ~~ん』
その妖怪は一種のキメラ、多くの動物の特徴を併せ持つ合成獣。
頭は猫、胴体は虎、四本の足は狸、尻尾は狐。
雷獣鵺は、大きな口を開けて死軍鶏を食べようとした。
『ご、ゴゲぇええええええ!』
凶暴なモンスターは、遥か格上が現れてもひるまない。
臆することを知らぬ闘争心の塊は、ひるむことなく襲い掛かる。
ばきばき、ごきごき、ばくん。
何の意味もなく、サカモはその頭にかみつき、そのまま食べていた。
猫と小鳥ほどに差があるのだから、必然の決着である。
『ホーチョーさん、ちょっと待っててくださいね。すぐ全部食べちゃうんで』
「お、おう……」
そのままがつがつと、サカモはBランク中位モンスターを食べていく。
あっという間に、羽とわずかな骨だけが残っていた。
「げふう……じゃあ行きましょうか」
あっという間に亜人へ変身した彼女は、口を拭ってそのまま歩き出す。
その姿は、屋台によって饅頭を買った程度の、なんでもなさそうなもの。
その姿を見て、パン職人たちは震えあがった。
「か、カシラぁ……ありゃあ、なんなんですかい……」
「おう……鬼王クツロ一の部下、ドラゴンズランドの妖怪、雷獣鵺……サカモ。俺と同じ、狐さんの飯炊きだ」
先日の大戦では、結局参戦しなかったサカモ。
もしも彼女が戦線に投入されていれば、ナタの到着を待たずに決着していた可能性もあるだろう。
それだけの価値があるのが、Aランク下位という怪物だった。
※
森の魔境『貧民の蔵』。その中央部には、底の浅い沼地がある。
そこにはEランク、Dランクの小さいモンスターが隠れ潜み、魔境の雑穀を食べて生活をしている。
もちろんそのモンスターを狙って、BランクCランクの捕食者も現れる。
だが今は、それがいない。
『ふわああああ……終わったら呼んでくださいね』
けだるげに横たわり、ばりばりもしゃもしゃと『捕食者』を食べているサカモ。
氷の台地で氷喰いがはぐれ主となったように、この貧者の蔵では彼女がはぐれ主となっていた。
Bランク中位ごときが頂点となるこの魔境など、ドラゴンズランド生まれの彼女にとって田舎の田んぼである。
パン職人たちの安全を確保するなど、田んぼのザリガニや蛙を捕まえて食べる、その程度のことだった。
まあそもそも、一旦雷獣の姿になれば、大抵のモンスターは怖くて近づかない。
「カシラぁ……狐さんのご利益は、半端ありませんねえ」
「おう、すげえだろう……俺もそう思ってる」
費用対効果に見合っていない気もするが、Aランクモンスターによって守られていれば、この貧者の蔵はまさに非常用の倉庫と化す。
いくらでも刈り取れるし、帰り道も安全だ。そう、安全かどうかは強いかどうかで決まる。
「……お前らああ!」
拍子抜けしている職人たちへ、ホーチョーは一喝した。
サカモが気を抜いているので、仲間も自分も気が抜けている、これではよくない。
「俺たちが何やってるか、何しに来たか忘れたか! 気合入れて収穫しろ! 怨敵西重を滅ぼした、天下の征夷大将軍、四冠の狐太郎大権現に力を借りて! 何をするか忘れたか!」
さすがは国一番のパン屋で職人頭を務めた男、部下を率いることで失敗はしない。
「王都奪還軍が、命を燃やして奪還した華のカンヨーに、俺らのパンを配るんだろうが! 粋に燃えてこそ職人ってもんだ、これで終わりじゃねえんだぞ! とっとと収穫して戻って、パン作りに入ろうじゃねえか!」
サカモの豹変に驚いていた職人たちも、正気に返る。自分たちが何をしたかったのか、何のために集まったのか思い出す。
「おうっす!」
「おうっす!」
「しゃあ、いくぞお!」
魔境に入って雑穀を収穫するのは、どちらかというと低ランクハンターの仕事なのだが……。
この非常時である、パン職人自ら食材を調達してもおかしくない。
むしろ原点に返った気持ちで、大いに奮起して収穫を始めた。
※
さて、魔境から持ち帰った膨大な雑穀である。
温帯でも冷帯でも育つことで有名な、どこでも稗。あんまり美味しくないことでも有名である。
一粒一粒がやたら硬い鬼黍。鬼というのは、栗の鬼皮と同じぐらい、という意味。
成長が極めて早く、一時間に一回は収穫できるというアワー粟。実際にはそこまで成長が早いわけではない。
大の大人が十人ほどで持ち帰った、結構な量の雑穀。
それを製粉して、ざっとパンのようなものにしてみた。
それを前にして、職人たちはうなっていた。
「食えねえこともねえが、売れねえな」
パン職人たちは、決して素人ではない。
素人ではないので、素材の違いがパンの焼き方の違いにつながると知っている。
水の分量を変えたり、焼く時間や温度を細かく変えてみて、試作品を多く作っている。
それらを食べ比べれば、最適な焼き方や分量などが見えてくるものだ。
そしてそのうえで出た結論が、このまま普通にパンにしても売れない、というものだ。
もちろん、食えないわけではない。無料で配る分には、最低条件は満たしている。
全員はここで一々『販売方針』について議論をしなかった。
何年も研究を重ねて、この材料でもおいしいパンが作れるレシピを考案する……なんて無駄なことはしない。
そんなことをしている間も、民が飢えていることは知っている。
空きっ腹をごまかして、一生懸命働いていると知っているのだ。
ならば少なくとも、数日中にはパンを配らねばならない。
「明後日だ、明後日には配ろう」
職人頭の決定に、誰も異を唱えない。
何ならこの出来で、明日配ってもいいと思っているほどだ。
「今手に入るもんで、この味をごまかせるもんはねえか?」
「今は苦みの強い野草だって、なんだって手に入りませんからねえ……」
「どんぐりの類でも集めて、潰して混ぜますかい?」
「明日一日で用意して、そこから準備できるのかよ」
「余計に味が変になるだけだろ。ここはまた別の……」
明後日の朝からパンを配りたい、そこから逆算して『できるだけおいしいパン』を考える。
職人たちもバカではない、とりあえず焼いてみよう、なんて考えはしない。
食材は有限、時間も有限なのだから。
「どうですかねえ、ちょっとでも小麦をもらってきて、それを混ぜるっていうのは」
「多少は味をごまかせるだろうが……この時世でやることじゃねえだろう」
「もういっそ、餅にしてみますかい? メギュロの看板を下げているわけじゃねえんだ、餅配ったって何のこともねえ」
「それで食えたもんになるならまだしも、俺らが今から餅づくりしてうまくなるわけもねえだろうが」
「いや、待て……ちょっと待て」
必死で考えているうちに、職人頭の脳裏にある状況が浮かんだ。
決して最高最良ではないが、それなりに見込めそうな案である。
「……そうだ、パン屋を開くわけじゃねえ。俺たちは炊き出しをするんだからな、じゃあパンにこだわる必要もねえ」
職人頭が何を思いついたのか、職人たちにはまだわからない。
「スープをつけて配ればいいんだよ。器なんぞは持ってこさせてもいいし、食材じゃねえならどうにか都合できるだろうし」
「そりゃまあ、スープを付ければ客さんも……いや金もらうわけじゃねえから客じゃねえが、皆さんも喜んでくださるでしょうが、そのスープの材料はどうするんで」
「水に塩でも混ぜて、スープだっていいはるんですかい? 今のカンヨーじゃあ、塩だってままならねえ」
「あるんだよ……そこそこの量があって、そこそこに味が強くて、しかも誰も手を付けてねえ『食材』が」
※
風が吹けば桶屋が儲かると申します、実際風が吹けば儲かる桶屋もございましょう。
しかし商売は『なぜ儲かったのか』と考えることも肝要でございます。
一時の流行り廃りで増産減産を考えちゃあいけません。
あわてず騒がず、一過性かそうじゃないのか、背負うリスクはどの程度か。
社内留保はどの程度で、失敗したらどうなるか。
逃した魚は大きいと申しますが、魚を追いかけて店がつぶれちゃあシャレにもなりません。
※
平和だったカセイで、ある日いきなり起こった『香辛料暴騰事件』。
ものをよく知らない金持ちが、カセイ中の香辛料を売値で買い占めて帰っていった。
これを知ったカセイ中の商人たちは、借金してでも、他の家と競合してでも、十倍の額を払ってでも香辛料を買い占めようとした。
だがそれっきり、カセイでは二度と買い手が現れることはなく……。
香辛料の値段は一気に落ち込み、何なら元の値段より下がってしまった。
元々大量に消費されるものでもなく、一気に傷むものでもないので、カセイでもカンヨーでも塩漬けにされていたのである。
香辛料を塩漬けというと何か不可思議な感じもするが、そういう商品もあるのだ。
そうしてため込まれていた香辛料を、混乱の大本となった蝶花によるレシピで配合し……。
カレーのような味のするスープとして作ったのである。
ホーチョー達職人は、自分たちの作った雑穀パンと合わせて配り、そこそこにいい評判をもらっていた。
「はい、一人三個ですぜ! 黍パンに粟パン、稗パンの三個だ!」
「あんまり旨くない? ははは、そりゃあ舌の肥えたお客さんだ! それなら銭さえもらえれば、百倍旨いのを売らせていただきやすぜ!」
「なに、スープが辛い? そりゃあ申し訳ねえ。ですがね、こうしてパンを浸して食べる分には……ま、悪くねえでしょう?」
素人レシピの香辛料スープと、研究の不十分な雑穀パンである。
もちろん文句を言ってくる輩もいる。
だが無料で配っていることもあって、職人たちも結構強気で追い返していた。
「お前ら、文句があるなら食うんじゃねえよ。それなら俺らにくれや」
「それをありがたく食ってる俺らへ、ケンカ売ってるんじゃねえよ!」
「他所にいけ、他所に! 別の場所でも配給はやってるだろうが!」
また周囲の同調圧力も、こうしたときには頼もしい。
文句を言いたくなる気持ちもわからないではないが、へそを曲げられて配給を止められても困るのだ。
それに、おいしくないと言っても、雑穀パンは満腹感を与えてくれる。
スープに味がついていることもあって、食べることが苦行、ということもない。
薬としても使われるスパイスが効いているので、精神的にも強くなれていた。
もっと言えば、辛いと言っても『辛さ十倍』とかのように、辛い物好きに合わせているわけではない。
食べるのが大変という人は、ほとんどいなかった。
そうして、彼らの炊き出しは、そこそこに成功をしていたのだった。
「あいつら、こんなことを……」
そしてその姿を、誰かが見ていた。




