敦盛
段取り八分という言葉があるように、入念な準備をしておけば本番の努力は二分程度である。
準備は本番の四倍大変ということでもあるが、実際準備に比べて本番は拍子抜け、ということはよくあるだろう。
狐太郎たちは極めてリラックスして、護衛をこなしていた。
というか、そもそも四体の魔王に護衛できる能力はないので、他の者に仕事を任せるだけでよかったとも言えるのだが。
実際、ネゴロ一族やフーマ一族に人員の要請をしており、彼ら彼女らが有事に備えてくれている。
あり得ないことだが、英雄やらAランクモンスターが仕掛けてこないかぎり、魔王たちは暇なのだ。
だからであろう。旅先のホテルでゆったりくつろいでいる時に、護衛と全く関係のない話が出てきたのは。
「そういえばさあ、ササゲ。私たちって魔王だよね」
「そうね……だからなによ」
「私たちって、本当に不老不死なの?」
火竜であるアカネは、いまさらのように前提の話を始めた。
当たり前すぎて、他の面々が呆れるほどである。
「……なにを今更。魔王の冠には、そういう効果があるって教えたでしょう。それにクツロを見なさいよ」
「私?」
「ここに来て数年たつけど、全然老けてこないじゃない」
「殺すわよ」
動物であり女性であるクツロに対して、セクハラを仕掛けてくる精神生命体。
しかし寿命の長い火竜のアカネと違って、人間と大差のないクツロならば、数年でも多少は加齢が体に出るだろう。
それが出ていないということは、クツロが不老の見本ということだ。
「いや、それは先代の魔王を倒す前に聞いたけどさ……そういう問題じゃなくて」
アカネはただ質問をしたわけではない、とても基本的な疑問を提示したのだ。
「タイカン技ってさ、めちゃくちゃ疲れるじゃん。生命力的なものがごっそり持っていかれる感じでさ」
魔王の切り札、タイカン技。
冠の宝、魔王の冠、戴冠技。
その威力は英雄のアルティメット技さえ凌駕する、最大最強の一撃である。
魔王になるだけでも消耗が激しいが、タイカン技を使った場合の消耗は数日寝込む程である。
自己強化のタイカン技を使ったクツロに至っては、数か月は復調しなかったほどだ。
「アレを使って、寿命とか魂とか、すり減って無いのかなって」
「確かに……」
狐太郎はその言葉に納得していた。
素ではBランク上位程度の四体が、瞬間的に英雄を超える火力を出すのだ。
オキアミが鯨に勝つより無茶なパワーアップを果たしているのだから、ただ疲れて寝込むだけでは代償として安すぎる気もする。
「貴方にしては考えたことを言うわね……でも確かに、それぐらい使っていても不思議じゃないわね。理屈としてはデット技と大差ないはずだし……」
クツロも同様の認識をしていた。命と引き換えにしてもおかしくない力を行使しているうえで、不老不死というのは収支があっていない気がする。
「だとしたら俺は、お前たちにめちゃくちゃな技を連発させたということに……」
その可能性を失念していた狐太郎は、ものすごく傷ついていた。
魂をすり減らしているかもしれない、寿命を削っているかもしれない技を、今日までけっこう頻繁に使わせていたのだ。
それを想うと、罪悪感がこみ上げてくる。
「気になさることはありません、ご主人様。我らは我らの判断で魔王になってきました、不必要に使ったことなど……数回しかありません」
「……戴冠式とか、メズヴの時とかな」
コゴエがフォローをしようとしたが、よく考えたら無駄に戴冠したこともしばしばだった。
それを思い出した狐太郎は、ますますへこんでいく。
「まあいいじゃないの。いままでさんざん命がけで戦ってきたのに、いまさら魂だとか寿命だとか……」
「流していいことか?」
ササゲはあっけらかんとしたものだった。
不老不死がうそっぱちで、実際には何かすり減らしていたとしても、悪魔である彼女は気にしないらしい。
とはいえ命がけで戦うのだから、今生きているだけでも儲けものというのも正しいが。
「まあササゲは悪魔だからな……クツロはどうだ?」
「私ですか? あれだけの英雄と一騎打ちができたので、今死んでも気にしませんが……」
「……お前も参考にならないな。いや、悪いわけじゃないんだが」
大鬼であるクツロは、チタセーと戦って勝ったことで人生に納得しているらしい。
ある日いきなり倒れて死んでも、そんなに気にしない様子である。
「それにどちらかと言えば、不老不死であり続ける方が怖い気がします」
「……それもそうだな」
クツロの告白に、狐太郎は同意した。
人間に近いクツロの感覚としては、寿命がなく生き続けるという感覚が想像できないのだろう。
想像できないからこそ、それは恐ろしいのだ。
「それもそうなんだよね~~……私は全盛の年齢じゃないからさ~、このままだとロリババアになっちゃうんだよ」
「自分で言うなよ……」
火竜であるアカネも、同じような懸念をしていた。
魔王になって不老不死になったということは、これ以上肉体的な成長が見込めないということである。
人間でいえば中学生や高校生の年齢で、肉体的な成長が止まったのである。まあ悪くはないが、本人としては心中複雑だろう。
とはいえ、自分が将来ロリババアになる、という発言には問題を感じるが。
「いやでもさあ、ロリババアだよ? 外聞が悪いじゃん。私死ぬまでこの年齢なんだよ?」
「……それはそうだけども」
結構真剣に悩んでいる様子なので、茶化すに茶化せない狐太郎。
そう考えると、魔王の冠にもリスクはあるのかもしれない。
人間に殺されても復活すること、モンスターに殺されたら力を奪われて死ぬこと。
それ自体が、既にデメリットと考えることもできる。
「アカネの懸念ももっともですが、この世界で生きていくのなら十年後の心配などする余裕はないかと」
「それもそうだな……魔王自体この世界から楽園に逃げたんだしな……」
コゴエが言いたいことは、この世界において魔王の冠がちっとも絶対的ではないということだろう。
仮に護衛をしくじって、圧巻のアッカがぶちきれて襲い掛かってきた場合、狐太郎は殺されるし四体の魔王もそのまま封印されかねない。
この世界で生きていく限り、魔王にも天帝にも余裕などないのだ。
「それにねえ、ご主人様」
「なんだよ」
「多分一番寿命削っているの、貴方よ」
「……俺もそう思う」
ササゲの指摘にも、やはり同意する狐太郎。
今まで戦いらしい戦いなど一切してこなかったのに、しょっちゅうショック死している。
一時など、長期間呼吸困難になって、やはり長く臥せっていたほどだ。
人生百年時代に生まれたにも関わらず、天寿を全うできる気がしない。
「俺……五十ぐらいで倒れて死にそうだな……」
弱い生き物が長生きできるほど、この世界は優しくないらしい。
「まあ五十まで生きられたら、十分だとは思うが……あと十年ちょっとか……」
落ち込む狐太郎に対して、四体の魔王は痛ましい目で見つめている。
なお、誰も「そんなことないですよ」とは言ってくれない模様。
ぶっちゃけ今が老後、余生であることを認識した狐太郎は、今を大事にしようと思うのであった。
※
若いころに無茶をすると、年を取ったときガタが来る。
徹夜とか連続出勤とか、無理はよろしくないという話だ。
それを想いながら、狐太郎はこの日の床に就いていた。
(寝れねえ……)
自分の残り時間があと十年ぐらいと知って、狐太郎は恐怖に震えつつあった。
怪しい存在から「お前の寿命を半分いただくぞ」とか言われたわけではなく、「若さと引き換えに力をやろう」と言われたわけでもなく、親しい相手から「ご主人様は無理しているから、老後ないわよ」と言われただけなのだが……。
だからこそ逆に、不可逆的な消耗を実感していた。
契約を反故にするとか、失われたものを取り戻すとか、そういう可能性が一切感じられない。
(いやまあ……長生きしたいかっていえば話は別だけども……)
とはいえ、である。
今日まで四体の魔王に見捨てられずに済んでいたのは、そうして寿命をすり減らしていたからだろう。
今まで彼女たちは魂がすり減るような力を行使して、狐太郎の為に戦ってきたのだ。
その狐太郎が寿命をすり減らしても、四体は納得こそしても仕方ないと思うのだろう。
むしろそれぐらいすり減ってくれないと、彼女たちの方が理不尽に感じるだろう。
(これから十年……ものすごく楽で適当に、いい加減に生きられるのならば……ありか。いや、ないな。今まさに酷使されてるしな……余生ってなんだっけ……)
いまここで狐太郎は、王都奪還戦に臨んだ兵士たちの境地に達していた。
国家のため、大義のため、己をすりつぶす。尊い犠牲として大地に還ることの、なんと恐ろしいことか。
旗印として、みこしとして、乗せられて担がれて今日まで生きてきたが……。
結局、支払うべきものは支払ってきたのだ。
自分の人生の幸福のためではなく、誰かのために。
(虚しいような……そうでもないような……)
寂しくはない、寂しくはないのだ。
死ぬのが怖くないわけではないが、寂しくはない。
そういう意味では、死んでもいいと言っていたクツロを笑えない。
ダークマターのせいで死にかけた時もそうだったが、死んでも納得できる。
世界を呪わずに済む。
世界を呪って死ぬのは、不毛だ。
(しかし……コゴエの言うことももっともだ。まだ……まだ終わっていない)
狐太郎が把握している範疇においても、祀と昏が残っている。
十年後を心配する余裕など、狐太郎にはない。
この世界のごたごたではなく、楽園に関する物語が終わっていない。
(もういっそ、さっさと死んだ方が気が楽かもなあ……)
人間とは難儀なものである。
十年ぐらいで死ぬと言われて嫌な気分になるが、すぐに死ねるならそれでもいいかと感じてしまう。
(まあそんなことを考えても、仕方がないのだけども……)
メタ読みをするのならば、およそすべての英雄が集結するのだろう。
それも、狐太郎の元にすべてのラスボスが集った後で。
そんなことを考えながら、狐太郎は眠りについた。
※
さて、北笛である。
寒風吹きすさぶ氷の大地で、ちょっとした騒動が起きていた。
王の子であるスカハとイーフェが、けったい極まるモンスターを連れてきたのである。
小柄な亜人のような姿をしているのだが、その実Aランクモンスターに憑依し呪い殺したというのだ。
二人が尋常の殺され方ではないフェザーザウルスの死体を持ち帰ったことで、北笛の遊牧民たちはにわかにおののいていた。
だがさすがに大王であるテッキは、神妙な顔をして帰ってきた二人を面白そうに迎えていた。
「良く帰ってきたなイーフェ、それからスカハ。何やら面白いもんを拾ってきたようじゃねえか」
巨大な鹿と狼を従えている大王は、すっかり血の気が引いている二人を見て笑っていた。
その一方で、テッキ・ジーンを見ているノゾミは、さらに青ざめている。
(この人……エイセイ兵器より強い……!)
珍兵器でしかない自分とは違う、怪物の極み。
最強生物たる英雄を見て、彼女は世界の異常さを思い知っていた。
(世界の危機を、粉砕できる生き物がいるなんて……!)
八人目の英雄の物語、その舞台となったエイセイ兵器。
他に同等の兵器が存在しなかったとはいえ、ただ一機で世界を焼き尽くすだけのスペックを持っていたあの兵器。
外部からは侵入が不可能なため、内部に残っていた名もなき英雄たちが奮戦するしかなかった。
だがこの男がいれば、問題にならない。
対乙種級程度など、歯牙にもかけない。
彼からすれば、八人目の物語など騒いでいることが不思議なほどだろう。
「で、念願だったAランク狩りをなした気分はどうだ?」
「……倒していません。私は何も、胸を誇れるほどのことはありません」
「私もです……武勇伝など、とてもとても」
普段は勝気な二人だが、今はすっかり青ざめている。
毒気も活気も、一切が抜け落ちていた。
「私も恥は知っています……手柄は、ノゾミのものかと」
「ほう……ま、それでいいけどよ」
テッキは意味ありげに笑い、絶望のモンスターを品定めした。
「で、ノゾミだったか……。お前さん、これからどうしたい?」
「行く当てはありません。ですが……」
ノゾミはちらりと、スカハとイーフェを見た。
自分が戦うところを見て引いている、ごく普通の感性を持った女性を見た。
「私は、ここにはいられません。それなら話に聞かせていただいた、狐太郎様にお会いしたいです」
それを聞いて、スカハとイーフェは神妙な顔をした。
確かにノゾミは恐ろしい。彼女自身がまだ二つの形態を残していると言ったし、得体が知れなくて背筋が凍る。
今となっては、彼女に触れていたこと、自分の背中にしがみつかせていたことも恐ろしい。
だがその彼女を、央土に送っていいものか。
場合によっては、北笛の敵になるのではないか。
なにより……それは北笛の沽券にかかわるのではないか。
なんだ、案外いい奴らじゃん、なんて思われてはたまらない。
ノゾミの価値を知った今では、彼女を狐太郎に送り届けることが怖くなっていた。
「いいぜ」
だがテッキは、不敵に笑って応じていた。
「ちょいと面倒なルートになるが、確かに届けてやろう」
「ありがとうございます」
「ち、父上! いいのですか?」
「そうです、偉大なるジーンよ!」
その豪胆ぶりを見て、娘たちは大いに慌てた。
「おいおい、元からそのつもりだったんじゃねえか? 価値を知ってから対応を変えるってか? 定住民族的なこと言ってるんじゃねえよ」
だが慌てている娘たちを、大王は一笑に付した。
「いいか、お前ら。労力で考えろ……お前たちはこいつをここに送り届けるのに、どんだけ頑張ったんだ?」
大王の言葉は、単純だからこそわかりやすかった。
「お前ら言ったよな、自分たちは何もしていないって。Aランクモンスターを倒したのは、この娘の功績だって。胸を張れるほど手柄はなかったってな」
「はい……」
「それでいいんだよ。噂の四冠様がこっちに頭下げて、ノゾミってモンスターを探してくれって頼みこんできて、それでお前らが必死こいて探し回ったんなら……そりゃあそれなりのもんを要求するさ」
遊牧民の言う要求が、どれだけのものか。
それは同じ遊牧民であるスカハとイーフェだからこそ、背筋が凍るほどの恐ろしさだった。
「だがな、たまたま拾った迷子を届けるのに、対価を要求するなんざ……定住民族のやることだ。とっとと帰してやればいい……お前たちを、フェザーザウルスから助けてくれた礼ってことでな」
「ですが……これだけのモンスターを央土に渡すなど……」
「怖いです、負けちゃいます、か?」
「……はい」
「くだら、ねえ」
この世で最も強い怪物、その中でも屈指の実力者、テッキ・ジーン。
彼は鼻っ柱をへし折られた娘たちを、つまらないと断じた。
「お前、それを昨日の自分に言えるか? 明日の自分に言えるか?」
これもまた、絶望が一時の感傷である、ということだろう。
テッキ・ジーンの言葉に、二人は何も返せなかった。
「今お前たちが吐いた言葉はな、負け犬のそれだ。今お前たちがそう振舞えば、明日からのお前たちも負け犬であり続ける……」
一瞬絶望するのは仕方ない、それを口にするのも仕方ない。
だが絶望したことを根拠とする行動は、後に引く。
これは悪いことではないと己に言い聞かせて、それを過ちではないとするために、それを正しいと思おうとし続ける。
「もう一度聞くぞ、お前たちはどうしたい」
「……たまたま拾っただけの相手です、行きたいところに行かせてやりましょう」
「……彼女は私たちに武勇を示しました、敬意を表した対応をするべきかと」
「それで、いい」
テッキはその返答をよしとした。
たとえ言わされているだけの言葉でも、勇敢な言葉であり勇敢な判断である。
ならば今後に、引きずるようなことはない。
「わめいて申し訳ねえ、うちの娘たちはどうにも……腰抜けだ。普段は偉そうなことを言っているくせに、ちょっと見たことがねえものを見ると……このざまだ。気を悪くしないでくれや」
「いえ……怖がられても、不思議ではありません」
「それを出すのが、みっともねえって話だよ」
大王は、まさに大王の笑みを浮かべた。
「みっともない奴の生きざま、死にざまはみっともねえもんだ。怖がってもいいが、それを基準に行動するやつは救いようがねえ。それを……度量っていうもんだ。お嬢ちゃん、あんたは度量のデカい奴に会ったことがあるだろう」
「……はい。でも、なぜ」
「自信がある、骨がある、立っている」
ノゾミは悪魔と違って、嫌われることを嫌がっている。
そのうえで嫌われても仕方がないと、諦めてもいる。
だがそれでも、自暴自棄になっていない。
どこに行けばいいのかわかっていないのに、それでもどこかには行こうとしている。
「お前は英雄に愛されている、そんな顔をしているよ」
「……ひとつ、違います」
英雄、良き神。
彼女が出会った英雄は、目の前の男と牛太郎だけではない。
彼女と一緒にいてくれた、お姉さんが四人もいる。
「素敵な英雄たち、です」
「そうか……道理で強いわけだ」
世の中が広いと、男は改めて感じた。
まだ見ぬ英雄が、どこかにいるのだ。
英雄にとって、こんなうれしいことはない。
「それじゃあ、西重経由で行くとするか。乗りな、俺が送ってやるよ」




