みにくいアヒルの子
前線基地、というよりシュバルツバルトは、背の低い草の生えた草原地帯にある。
基地を少し出れば、そこにはモンスターの死体が転がっているだけの無人地帯だった。
この世界に来た当初は、三人とも人工物のないこうした光景に感動していた。
文明に管理され切っていない、自然で自由な、法律の拘束や道徳の及ばない場所。
それが見渡す限りに広がっていたので、前途が明るくなった気がしたのだ。
まあ、数日もすると何もないことで飽きてしまったし、元の世界にもこうした自然の区域は残っていたことを思い出してしまったのだが。
「ま、ここいらならいいだろう。馬車が通る道でもないし、片づけの邪魔にもならねえ。勝負をするには十分だろう」
それでも、あっさりと人がいない場所へ行けることは大きい。
何かの設備を借りるまでもなく、決闘の舞台は整っていたのだ。
「……」
獅子子も蝶花も、顔はこわばっている。
目の前の男が強いとわかり、麒麟に退く気がないことがわかるからこそ、とても恐ろしいのだ。
「ああ、安心しろよ姉ちゃんたち。これはただの勝負、お遊びだ。参ったって言ったら終わりにしようぜ、それならいいだろ」
へらへら笑っているガイセイは、自分が参ったというつもりはさらさらない。
目の前の少年がギブアップすると決めつけており、自分が劣勢になった時の保険にするつもりもなかった。
「お前らも、その姉ちゃんたちに手を出すんじゃねえぞ? 尻やらなんやらなでたりしたら、後でそこの兄ちゃんにぶっ飛ばされるからな」
「うっす!」
「おうっす!」
一緒に来ていた抜山隊の面々も、ガイセイが負けるとは思ってもいなかった。
酒を持ち込んでいる者さえいて、のんきに観戦をするつもりである。
本来なら二人も、そんな驕りに憤慨するべきだろう。
麒麟が勝つに決まっていると、怒って叫ぶべきなのだろう。
だがしかし、蝶花も獅子子も、ガイセイに勝てるとは思えなかったのだ。
「んでだ、兄ちゃん……名前何だっけか?」
「原石、麒麟です」
「そうか、麒麟か。武器とかはいいのか?」
「……其方はどうなんですか?」
「俺は大抵の武器をぶっ壊しちまうんで、いつも素手なのさ。だから気にしなくていいぜ、そっちは武器をもってきて防具を着てこいよ。それぐらいは待ってやるからよ」
今の麒麟は、清潔な印象のある白い学ランのような服を着ている。
動くことに支障はなさそうだが、それでも戦闘に向いているとは思えなかった。
だからこそ、ガイセイは気を使った。しかし、それが麒麟の癪に障る。
「いいえ、結構です」
今までは、自分が他の先祖返りにしていたことだ。
相手に多少のハンデを付けて、そのうえで圧倒することが彼の日常だった。
もちろん、ガイセイに侮辱の意図はないだろう。麒麟にも、その意図はなかった。
だが、される側になると、ただ腹立たしい。
「僕も素手で戦います」
「へえ」
嬉しそうに、ガイセイは笑った。
「気に入ったぜ兄ちゃん、いや……麒麟か。じゃあやろうか」
「はい」
互いに、腰を据えて拳を構えた。
体格差がありすぎるので姿勢や視線に違いはあるが、申し合わせたかのように動かない。
麒麟もガイセイも、相手に先手を譲ろうとしていた。
「いいのかい、麒麟。俺を待っててよ」
「ええ、もちろん」
先手必勝という言葉もあるように、先に攻撃できることはとても有利である。
一撃で相手を倒せるのならそれで話は終わるし、そうでなくとも相手を痛めつけることができれば優位に進めることができる。
であれば先手を譲るのは、相手が格下と認めたときであろう。
「へえ」
麒麟はガイセイを格上と認めたくない、そのために戦おうとしているのだ。
勝ち方、戦い方にこだわっている。
なんとも馬鹿な話だが、ガイセイはバカが好きだった。
「んじゃあ、お言葉に甘えて……!」
ガイセイは動いた。
巨体に見合わぬとんでもない速さで、少し前にいる麒麟に殴り掛かる。
もしもこの場に狐太郎がいれば、ガイセイの動きを視認することもできなかっただろう。
それはこの場にいる抜山隊や獅子子、蝶花でさえ同じことだった。
普段から俊敏なモンスターと戦っているガイセイは、当然ながら動きも早い。
圧倒的な速度を持つ拳が、麒麟の顔に迫っていた。
「キョウツウ技、ファストナックル!」
「!」
しかし、それは当たらない。
対モンスターに特化したガイセイの攻撃は、対人戦に優れた麒麟には当たらない。
逆に高速の拳が、カウンター気味にガイセイの顔に当たっていた。
「キョウツウ技、チェーンナックル!」
その一発では終わらない。
畳みかけるように、連続の拳がガイセイの胴体に命中していく。
その連続攻撃こそ、まさに目にもとまらぬ早業だった。
どれだけ大きくとも人間である以上、鳩尾などの急所はある。そこへ小さな拳が、正確に叩き込まれていく。
「すげえ……」
「やるな、兄ちゃん」
今の一撃で終わるかと思っていた抜山隊の面々は、その動きを見切れない。
ここにきてようやく彼らは、麒麟が自分達より強いと知ったのだ。
「はっ……軽い軽い!」
しかし、ガイセイはひるまない。
殴られ続けながら、石柱のように太い脚をぶん回す。
元より体格差は歴然、どれだけ殴ってもガイセイを止めることはできない。
「キョウツウ技、ゴーストステップ」
しかし、やはり当たらない。
軽やかなステップによって華麗に蹴りを回避した麒麟は、ひるむことなく再接近する。
「キョウツウ技、サッカーボールシュート!」
無防備になっていたガイセイの軸足に、お返しのような蹴りを入れる。
「キョウツウ技、ジャンピングアッパー!」
そのまま流れるように、ガイセイの顎にアッパーを決める。
跳躍しながら放ったそれは、綺麗に命中していた。
「凄い……凄いわ麒麟!」
その光景を見て、蝶花は歓喜した。
改めて、自分たちの信じていた勇者が強いと理解したのだ。
「相手が自分より強くても、それを倒すために技がある。格上が相手でも、麒麟は負けないわ!」
肉体的な性能の優劣は明らかでも、技量の差もまた明らかだった。
力ではガイセイが上でも、速さや技では麒麟が上。
圧倒的に強いはずのガイセイは、麒麟に攻撃をかすらせることもできていない。
「私たちは麒麟を信じるべきだった……そうよね、獅子子」
「……まって、おかしいわ」
勝利を確信していた蝶花に対して、獅子子は否定をする。
今の一撃は確実に命中していた、クリーンヒットしていた。
顎への打撃は、目の前の大男を昏倒させるはずだった。
「へえ」
顎をさすりながら、ガイセイは平然としていた。
「やっぱり強いじゃねえか、麒麟」
胴体や足への攻撃も命中していたはずだった。
しかし、まるで痛そうではない。
そしてそれが虚勢ではないと証明するかのように、ガイセイは動き出す。
「んじゃあいくぜ!」
先ほどとそん色ない速度で、ガイセイは拳を繰り出した。
それだけではなく、ステップを踏んで距離を取ろうとする麒麟に足で追いついていく。
「おらああ!」
「く……!」
反撃を受けても、回避されても、ガイセイはまったく止まらない。
ひるむことものけぞることもなく、ただ追い続けて殴り続ける。
とても単純な動き、単純な策、体格によるごり押し。
しかしこれをされると、麒麟は何もできなかった。
渾身のカウンターを入れてさえ、ガイセイにはまるで効いていない。
相手が一切ひるまないのなら、クリーンヒットやカウンターなど何の意味もない。
むしろ腰を入れて打撃を入れる分、相手に反撃を受ける危険があった。
今のところかすりもしないが、それでも有効打を入れることができない。
どうすればいいのか、困惑していたその時である。
「ふん!」
ガイセイの拳が、地面に衝突した。
まるで隕石が衝突したかのように、爆弾が地下で爆発したかのように、地面が波打ち土砂が吹き飛んでいく。
「うぉ?!」
「ちょ、ちょっと隊長!」
「さ、酒が!」
その土砂に巻かれて、抜山隊の面々は顔などに汚れがついていた。
目や口に入ったそれを慌ててぬぐっているが、麒麟たち三人はそれどころではない。
「……」
絶句だった。
空振りした拳が地面に当たっただけなのに、そこにはクレーターが出来ていた。
近くにいた麒麟も、遠くにいた二人や抜山隊も。
そのクレーターの中に納まっている。
もしもこの場に狐太郎がいれば、その衝撃波だけで気絶していただろう。
「ははは! 全部避けられちまった! 格好悪いったらねえぜ!」
げらげらと笑うガイセイは、ひるんでいる麒麟に改めて問う。
「で、どうする麒麟。まだ武器防具は要らないか?」
一発も攻撃をもらっていない麒麟へ、一度でも当たればどうなるのか示した男は問う。
当てるつもりだったが全部避けられた男は、今後も当てるつもりで殴り続けるだろう。
麒麟が素手で強いと言っても、素手のままではもはや打つ手がない。
「負けたときの言い訳にする気か? 武器があれば負けないってな」
「……転職武装」
麒麟は、挑発に乗った。
このままでは負けると、全力を出す決意をしたのだ。
勝ち方にこだわっていては、素手のままでは、勝てないと判断した。
「勇者!」
殺してしまうかもしれない。
それでもいいと踏み切って、本来の目的に反する攻撃に移行する。
彼の全身が荘厳な鎧に覆われ、その手には剣と盾が握られていた。
マントがあることも含めて、まるで絵本の中の英雄のようだった。
「ショクギョウ技! 多重魔法剣!」
手にした勇者の剣を、高々と掲げる。
そこから吹き上がるのは、炎、氷、水、風、雷、光。
本来なら阻害し合う複合属性の魔法が、勇者の剣の周囲を竜巻のように覆っていた。
「スロット使いか? いや、それにしては……」
ガイセイはその光景に困惑した。
彼の常識から言えば、複合属性を同時に発現できるものは限られている。
この前線基地でも、シャイン以外には不可能なことだ。
しかし武器に帯びさせているということは、エフェクトに属するはずである。
ガイセイはショクギョウ技がなんなのか、まるでわからなかった。
それもそのはず。この複合属性の攻撃は、彼の生まれた世界でさえ勇者以外には不可能だった。
多くの適性を高レベルで生まれ持つ勇者だからこそ可能な、ショクギョウ技多重魔法剣。
その破壊力、殺傷能力は、人間に向かって使っていいレベルではない。
「ガイセイさん。僕は貴方を殺す気はなかった」
「ん?」
「さっきまでは」
そのうえで、麒麟は更に重ねる。
「キョウツウ技! フィジカルチャージ!」
一度だけ、物理攻撃力を上げる技を使う。
「キョウツウ技! マジカルチャージ!」
一度だけ、魔法攻撃力を上げる技を使う。
「ショクギョウ技! 勇気の輝き!」
勇者にのみ可能な、一瞬だけ全能力値を上げる技を使う。
「ショクギョウ技!」
愚かなことだった。
ガイセイを殺して、何もいいことはない。
殺そうとすること自体が、既に殺人未遂だった。
「クリティカルスラッシュ!」
それでも彼は、全力で攻撃する。
自己強化、複数属性、魔法攻撃力、物理攻撃力、剣技。
それらの適性が極めて高い勇者にのみ可能な、『彼らの世界』で最強の一撃。
それが、Bランクハンターガイセイの体に直撃した。
「おおっ?!」
袈裟に一閃。
ガイセイの巨体に、赤い線が走る。
赤い血が溢れて吹き出し、麒麟の荘厳な鎧を赤く染める。
数多の属性を纏った勇者の剣が、自己強化を重ねた勇者によって放たれ、ガイセイの体を切り裂いたのだ。
「おおお……」
ガイセイは、信じられないものをみた。
自分の血である。
彼は自分の傷を手で探り、流れていた血で掌が染まったことに驚いていた。
人間を相手に出血をするなど、一体いつ以来だろうか。
「すげえな麒麟」
麒麟が自分の皮膚を切り裂いて出血させたことを、ガイセイは大いに驚いていた。
「う、うそだ……!」
だが、麒麟はそれどころではない。
自分の持てる最大火力、勇者としての最高の一撃を見舞った。
それが、広く浅く、皮膚を切り裂くだけで終わったのだ。
肉を切らせて骨を断つどころではない、麒麟は肉を切ることもできなかったのだ。
「そんな……バカな……!」
ガイセイは無防備に喰らったのだ。
それでも出血するだけだった。しかも、出血さえもう止まっている。
「ん~~ヂャンやグァン、リゥイぐらいかと思ったが……こりゃあジョーより強いかもな」
ガイセイは無防備に見えたが、実際には違う。
先日クツロと力比べをした時とは、心構えが違う。
ただの力比べだったからこそ、エナジーをあえて抑えていた。
クツロが自己強化をあえてしなかったように、ガイセイもまた自己強化をしていなかったのだ。
「お前なら、Bランクの上位モンスターでも一人で倒せるかもな」
ただでさえ、大鬼と競り合える圧倒的な肉体。
それがAランクモンスターさえ焼き切る、膨大なエナジーのみなぎりによって守られている。
「んじゃあ、いくぜ」
浅く広く太刀傷を負ったはずのガイセイは、元気いっぱいに襲い掛かる。
「おおおお!」
ガイセイの攻撃に、茫然としていた麒麟は反応が追い付かない。
もはや回避もできず、剣で迎撃することもできない。
「ショクギョウ技! シールドガード!」
とっさに、左手で持っていた盾で拳を受ける。
勇者などの盾を持つ職業の恩恵を受けた者が使う、シールドガード。
全力で踏ん張り、物理的な防御力を向上させる技である。
「うっ!」
耐えられなかった。
踏ん張ろうとしていた足が、宙に浮かんでしまう。全身が吹き飛んでいく。
受けた手が悲鳴を上げて、それを持っていた左手に激痛が走り、左肩までしびれていた。
ただの打撃を、しっかりと防御して、それでも弾かれた。
地面に転がっていく麒麟は、それでも何とか体勢を立て直そうとする。
「おおぅ……やるじゃねえか。気合も十分、根性もあると来たか」
ガイセイは称賛した。
いいや、褒めたのは彼だけだった。
抜山隊の面々は、自分たちの隊長に血を流させ、さらに攻撃を受けて立とうとする麒麟に驚いていた。
「く……!」
よろめきながらも、麒麟は立った。
そして剣を構える。
「まだだ!」
「いやあ……思ったより、ずっとずっと強いな、麒麟」
ガイセイは動かなかった。
ただ本当に感心して、ほめたたえた。
「勝ったつもりか!」
盾で身を守りながら、勇者の剣を振りかぶって飛び出す麒麟。
「まだだ、終わっていない!」
ガイセイは動かない。
防御も回避も、攻撃もしない。
「まだ……!」
麒麟の足がもつれた。
ガイセイが何もしないまま、地面に転がってしまう。
「まだ……まだ……」
戯れではなく真剣に放ったガイセイの一撃は、さながら交通事故のようなものだ。
全身に衝撃が走り、脳も揺さぶられる。如何に防御したとはいえ、麒麟が意識を保って自力で歩いていることさえ異常だった。
「本当に大した兄ちゃんだ……原石麒麟……狐太郎と同じ国から来たのかと思ったが、全然違うなこりゃあ」
技術、武装、魔法、戦術、知恵、勇気。
それらは力の差を埋めて、格上にさえ勝利しうる。
しかし、それらにも限度はある。
相手が強すぎれば、それらの要素は意味を持たない。
原石麒麟は、アヒルの群れの中で生まれた白鳥だろう。
彼は元の世界で最高の才能を持ち、全力で努力をし、最強の職業と武装を得ている。
ただ強さだけ語れば、彼は魔王を倒した勇者にも匹敵する。
しかし、悲しいかな。
勇者より魔王より、Aランクハンターの方が強い。
ガイセイは、この世界で最高の才能を持った男である。
Aランクモンスターと取っ組み合いをして、殴り合って、打ち勝つ強さを持っている。
この世のAランクモンスターが、なぜAランクハンター以外で倒せないのか。
それは単純に、攻撃が通らないほど頑丈で体力があるからである。
先日前線基地を五体のAランクモンスターが襲った時のように、精鋭たるBランクハンターの部隊が全力で迎え撃ったとしても、有効打を与えることができないのだ。
一時足止めし拘束することはできる、攻撃を当てることもできる。だが薄皮一枚斬るのがやっとで、その傷も瞬く間にふさがってしまう。
そしてAランクハンターは、Aランクモンスターよりもさらに頑丈である。
麒麟がアヒルの群れの中で育った白鳥ならば、ガイセイは怪物たちの中で育った規格外の化け物。
麒麟たち三人を打ち破った猫太郎の仲間たちさえ、彼一人に及ばないのだ。
「やるなぁ、本当に」
仲間との連携、効率的な努力、優れた装備、自己強化、多重属性、戦術の組み立て。
それらがなんの意味も持たない、選ばれし怪物たちの世界。
それが『Aランク』である。
アヒルの群れから出てきたばかりの白鳥には、あまりにも過酷な世界だった。




