叶わない夢
紅組の新星、阿部選手。
彼は今日も白組の選手と戦い、勝利を収めた。
彼は多くの種目に参加し、そのすべてに勝ってきた。
白組の時も、紅組を相手に。紅組の今は、白組を相手に。
それは、覚えている。
だがどれだけの種目を戦い、どれだけの選手を下したのか。
どれだけの期間白組にいて、何時から紅組になったのか。
それについては、具体的には覚えていない。
いつまで戦うのか、いつまで勝てばいいのか。
それについて考えると、どんどん疲れていく。
だがなぜ戦うのか、そう考えるたびに闘志がよみがえる。
白組の大将が約束を果たした自分へ、何を言ったのか覚えている。
この怪物め、化け物め。
この私の娘と結婚できる、甘い夢を抱いて死ねるよう配慮してやったというのに、まさか生き残るとはな!
お前のような人間ではない何かが、人間だと言い張って人間のようにふるまうのが間違っているのだ。
ましてや私の娘と本当に結婚できるなどと……思い上がりも甚だしい!
ふざけた話だった。
この自分が、どれだけ辛い思いをして己を鍛えたと思っている。
敵の強大さ、狡猾さも知らぬままに、怪物だから勝ちましたなどと馬鹿なことを言う。
まるで余裕綽々で、鼻歌でも歌いながら勝ったかのようではないか。
結果だけ見る輩は、いつも選手を軽んじるのだ。
その点、紅組の大将は温かかった。
自暴自棄になって、駄目でもともとで、紅組に下ったら受け入れてもらえた。
もう側近の一人として、他の古株三人と同等の扱いをしてもらっている。
だがそれでも、戦う理由は紅組大将のためではない。
白組を討つため、滅ぼすため、殺すため。
あれだけ憎まれても、あれだけ蔑まれても、それでも戦ってきた自分を、体よく使って捨てた輩を潰すため。
それだけの為に、生きている。
「……相田さん」
もう、かつての願いはかなわない。
ならばその願いを潰した輩へ、しかるべき報いを。
そのためだけの、人生でいい。
※
ゲームにおいてルールとは、絶対的なものである。
身分の貴賤によって勝敗や判定に変化が生じることは、決して許されることではない。
だがその一方で、ルールそのものが公平であるとは限らない。
これはギャンブルにおいて、数学的に胴元が勝つようになっていることが有名であろう。
だがそんなレベルの話ではなく……。
囲碁という長い歴史をもち洗練されている、と思われているゲームでさえ、実のところ公平とはいいがたい。
コミ、というものがある。
雑に言って『先攻のほうが後攻よりも有利』という理由で存在するハンデだ。
このコミ、ハンディキャップは国によって異なっている。
つまり僅差での勝負になった場合、国によって勝敗が分かれるなんてこともあるのである。
勘違いしないでほしいのだが、コミの存在が不公平というのではない。
コミがあることで、先攻と後攻に有利不利が無くなるのなら、それはむしろいいことだ。
問題なのは、コミがなかった時代である。
ルール上で問題がなくとも、長い間先攻が有利だったのだ。
先攻の方が有利だと統計的、体験的にわかっていたのに、ずっと先攻が有利なままだったのだ。
明文化されていなくても、先攻が有利なルールだったのだ。
長い歴史を持ち、多くのプレイヤーが真剣に検討してきた囲碁でさえそうなのである。
トレーディングカードゲームやデジタルゲームにおいて、完ぺきなゲームバランスなど存在しえない。
むしろ、プレイが成立しないほどに、バランスがめちゃくちゃなゲームだってあるのだ。
最も強い感情を抱きたくなるような、そんなゲームだってあるのだ。
「四終、最後の審判、マスターアップ……こいつのコクソウ技は、一番危険なんだ」
天秤とサイコロ、コインで構成された怪物。
それを前に、マロンはその脅威を蛇太郎に伝える。
「半分やられたら、負けだと判定されて全滅させられる」
「……?」
「だから! 二人が戦闘不能になったら、そのまま強制的に敗北させられるんだ! コールドゲームみたいに!」
マロンはこの上なく簡潔に説明したのだが、蛇太郎はよくわからなかった。
これは蛇太郎が劣っているのではなく、相手の能力がめちゃくちゃだからである。
「コールドゲームって……野球の?」
「そうだよ! 勝ち目がないって判断された時のアレだよ!」
野球という球技には、コールド勝ちというルールが存在する。
野球はその性質上、理論的には一回で何十点でも入りうる。
十点差があったとしても、一回の攻撃で逆転なんてこともあり得る。
だがそれは、理論上の話でしかない。十点も取られるということは、それだけ実力に差があるということ。実力差のある相手から、十点も一気にとれるわけがない。
なんとも残酷な話だが、実力差が大きすぎると試合が途中で打ち切られる。
そういうルールが、公式に存在する。
「……二体戦闘不能になっただけで?」
「そうだよ! 文句なら僕に言わないで、あいつに言ってくれ!」
「い、いや……別に怒っているわけじゃ……」
時間経過、ターン経過で強制敗北させるステージギミック。
派手なエフェクトを連発した場合、強制的に敗北させるメーカートラブル。
それに対してマスターアップは、二体戦闘不能にされたら強制的に敗北にしてくるのだ。
「一体でも戦闘不能になったら、リーチだと思ってくれ。二体目がやられる前に復帰させないと、そのまま戦いを終わらせられる。この世界を、滅ぼされてしまう……!」
「無茶苦茶な判定だな……!」
おそらくこのルール自体を、いきなり変えてくることはないだろう。
だがそのルールが最初から相手に有利なのだとしたら、一々変更する必要もないのだ。
「みんな、倒れたら俺が回復する! だからまずは叩いてくれ!」
「了解! 行くよ、ヒロイン技……ジャンピングキック!」
天高く舞い上がった、グリフォンのリーム。
ライダースーツに身を包み、ヘルメットをかぶり、まさに戦闘という体で蹴りかかる。
「とぅ!」
天秤という繊細な計器は、その一蹴りで粉砕されるかに見えた。
しかしそこで、最後の審判としてのコクソウ技が発動する。
『コクソウ技、大像小的!』
対世界の技が、ルールそのものを変化させる。
ヒロインの必殺技を、相手は如何に無効化するのか。
「きゃ?!」
すう、と素通りしたのである。
まるで幻影へ攻撃したように、リームの全身がマスターアップを透過していた。
「……アレは幻なのか?」
「違う、当たり判定を小さくしたんだ!」
「……?」
「格闘ゲームとかシューティングゲームでも! 実機のグラフィックと当たり判定が一致しないことが多いだろう! そういうことにする技なんだよ!」
キレ気味のマロンだが、それだけうっとうしい効果ということだろう。
相手の当たり判定が大幅に狭くなっており、そこ以外を攻撃しても素通りしてしまうことになるらしい。
「じゃあ範囲攻撃を……」
「それは……いや、反撃が来る!」
『コクソウ技! 小像大撃!』
マスターアップは、その下皿天秤の体を回転させた。
それは当たりさえすれば、それなりにダメージが通るだろうと推測できる。
だがその場を一歩も動かず、ただ回転しただけである。
どう見ても、当たるようには思えない。
「うわああああ!」
「きゃああ!」
「いやあああ!」
「ぐぅうう!」
だがしかし、ばらばらの場所にいた四体のモンスターは、全員が吹き飛んでいた。
先ほどと逆のことが起きている。どう見ても当たっていないのに、当たっていることになっている。
先ほどのスモールボックスは自分の被弾判定を小さくする技ならば、ビックボックスは自分の攻撃判定を大幅に上げる技なのだ。
「……そうか、こいつはこういう奴か!」
ここに来て蛇太郎は、このマスターアップの性質を把握した。
攻撃が当たるとか当たらないとか、そうした判定を変える能力。
あるいはそういうことにする能力、ということだろう。
「じゃあこっちは必中の技とか、呪い系の技を出せばいいんだな? そんでもって、ヒロインってのはそういう技が使えるんだな?!」
「そうだよ……と言いたいところだけども!」
「まだあるのか?!」
蛇太郎もキレて来た。
一体四終は、どれだけ人を不快にさせれば気が済むのか。
「とにかく攻撃するんだ! そうするしかない!」
「わ、わかった! ラージュ!」
「はい……ヒロイン技、カンフーアクション!」
アクション映画でありがちな、美女が大男たちをなぎ倒すアクションシーン。
実際にはありえない情景を、映画だから主役だからという理屈で押し通す演出。
背中のドラゴンから炎を吐き出させつつ、ラージュは中国拳法的な動きでマスターアップに打ち込む。
「やりました、手ごたえがありました!」
必中属性か、あるいは範囲攻撃だったのか。
攻撃が当たった感触を、ラージュは嬉しそうに蛇太郎へ報告する。
だが、しかし。そこで天秤の皿に乗っている、コインが浮かび上がって回転した。
『コクソウ技、表裏半分!』
コインは高らかに飛び上がり、そして地面に落ちる。
そのコインの面は、裏であった。
『判定は外れ! 攻撃無効!』
「なんだそれ?!」
「こういう奴なんだよ!」
攻撃が当たるかどうか、一応は五分と五分である。それだけ見れば、どちらが有利とは言い切れない。
だがあらゆる攻撃の命中率、成功率を五十パーセントにしていると考えれば、公平や公正とは程遠かった。
「こんな奴、攻撃がまず通らないんじゃないか?!」
「いや、あくまでも運なんだ。絶対に裏が出るとか、そういう能力はない!」
「だったら連続攻撃なら、一回かそこらは当たるってことか?」
「そうだよ! でも……」
「まだあるのか……」
なまじ、ルールに沿った存在だからこそ、今までのようにメタを張り切るとはいかなかった。
やはり四終は、強いとか弱いとか以前に構築するルールが無体すぎる。
「では私が……ヒロイン技、レーザースラッシュ!」
六本の光の剣を持ったヤドゥが、残光を残しつつ切りかかる。
何度も切りかかったことが功を奏してか、実に十回以上ものコイントスが始まった。
『表六回、裏四回! 六回成功!』
「よし!」
マスターアップ自身の宣言を聞いて、蛇太郎は思わずガッツポーズをとった。
この後何が起きるのかわからないが、とりあえず期待値以上の成功があったのは心強かった。
『コクソウ技! 六面六占!』
しかしそこから、六面ダイスが放たれた。
成功した六回に合わせて、六度の判定が行われる。
『一、一回。二、二回。四、二回。五、一回! 一回無効、二回軽微、有効二回、強打一回!』
六回当たったはずだったが、実質的にダメージを与えたのは三回だけだった。
ダイスを投じてダメージを決定する、対戦ボードゲームのような理論である。
「……ふざけやがって! というか、相手の攻撃は全部通っているのに……!」
「相手の攻撃は、固定値らしいよ……」
「舐めやがって!」
十回も攻撃を当てたのに、実質三回しか通らなかった。
つくづくイライラさせてくるが、倒せないわけではないと理解する。
どんどん口汚くなる蛇太郎は、それでも指示を出した。
「ポップ、頼む!」
「ええ、任せて! ヒロイン技……バンクハート!」
魔法少女姿のポップが技を発動させたことで、周囲の風景が一変する。
それこそどの場面でも使える、何度も使いまわすための技だった。
魔法の杖から放たれるのは、ピンク色のハート。それが巨大な砲弾となって、マスターアップの全身をも飲み込む。
『表、成功! 六、一回! 致命一回!』
およそ想像しうる限り最高の値を引き当てた、魔法少女のヒロイン技。
大技の着弾によって、マスターアップは大いに焦げ付き、ダメージを負っていた。
「当たりにくいルールだからか、体力は多くないのか?」
一片の良心らしきものを感じた蛇太郎は、そこで正気に返る。
「いや、誰が決めたバランスだよ……」
普通に強いだけならわかるのだが、どう考えてもそういう相手ではない。
この悪夢、つくづく原理がわからない。
「とにかく! 叩いて叩いて叩きまくるぞ! とにかく攻撃しまくるしかない!」
「そうだね! じゃあもう一回……ヒロイン技、スピニングキック!」
きりもみ回転しながら、リームがドロップキックを打ち込もうとする。
やはり普通の人間なら、特撮でなければあり得ない攻撃。
グリフォンのリームだからこそ、それはマスターアップへの強力な攻撃となる。
当たり方の判定次第では、そのまま勝てる可能性さえ見込めた。
『コクソウ技! 無償消費!』
しかし、その動きが空中で止まる。
時間停止のようにピタリと止まるのではなく、拘束技のようにぎちぎちと止めるのでもない。
その空中で、回転が持続したまま、前進だけが止まったのである。
「え、きゃああああ?! な、なんで、動けるのに動けない!」
「は、え? どういう状態だ?!」
リームはくるくると回ったまま、しかし動けなくなっている。
それを見ている蛇太郎自身、動くことはできている。
だがしかし、他の三体への指示が全くできなかった。
「ま、マロン……ポップたちに指示を出そうとしたら、声が出なくなる……!」
「アイツ、回復する気だ!」
「は? え?」
「行動を消費しないでアイテムが使えるんだよ!」
相手の行動に割り込み、アイテムを使用する。
そういうゲームは、ないわけではない。
だがそういうゲームは、大抵アイテムの所持できる数がある程度限られている。
そうでないと、バランスが保てないからだ。しかしそのバランスを、相手が守るとは思えない。
『回復アイテム使用、物理攻撃耐性アイテム使用、防御力強化アイテム使用、攻撃力強化アイテム使用』
「やりたい放題かよ!」
「文句言ってないで、君も使うんだよ! この瞬間は、君もアイテムを使い放題なんだ!」
奇妙な感覚だった。
蛇太郎は指示を出すことも、その場を動くこともできない。
なのにアイテムを取り出して、使用することだけはできたのだ。
妖精が使う行動を制限する技を食らったとき、こうなるのではないかと想像する。
「わ、わかった! こっちも大盤振る舞いだ!」
大量にアイテムを買い込んでいたのは、蛇太郎も同じである。
強化アイテムも回復アイテムも大盤振る舞いして、傷を負っていた四体を回復して強化する。
いかに強化時間に制限があるとはいえ、相手も使用してくるとはいえ、それでも状況は一気に回復する。
「……って、いきなり動いた?!」
マスターアップのアイテムの使用が終わったのか、回転していたリームが一気に前進を再開する。
彼女自身が戸惑うほどに、何事もなかったかのように攻撃が達していた。
「あ、当たったのかどうかもわからないよ~~……」
奇妙な感覚に混乱するリームは、大きく飛びのきながら様子を見る。
先ほどヤドゥが大ダメージを与えたにも関わらず、すっかり元通りになった輝く天秤がそこにいた。
『コクソウ技、大像小的!』
「……ズルくない?」
「俺もそう思う……」
結局攻撃は当たらなかった。
リームは先ほどの攻撃同様、当たり判定に達せなかったのである。
「こういう奴なんだよ。他にも、技の効果を設定と違うものに変える技とかもある」
「デバッグ不足かよ……」
一撃で死ぬわけではないし、進行不能になるわけではない。一応はゲームとして進行する完成品。
しかしバランスの調整が不十分なままで理が設定されたため、プレイしていて不満がたまっていく。
あるいは明文化されているルールそのものが、間違ったまま入力されていることもある。
だがそれもまた、ルールなのだ。
『ジャジャジャ……! そうだ、それこそがこの私! 意思を得た技、乱雑なる法則! 四終が一つ、審判の鉄剣! マスターアップなり!』
アップデートできない、調整できない、制定されてしまったルール。
その権化は、高らかに笑っていた。




