夢という鑑
祝、評価人数1000人突破!
格闘技で審判がいないと、とても悲惨なことになる。
これがレスリングならまだましなのだが、ボクシングでは凄惨を極める。
ダウン後の追撃という概念がないとしても、かろうじて立っているだけの相手への攻撃が続けば、危険なことになるのは明白だ。
選手同士の良心やスポーツマンシップに則ればいいと簡単に言う者もいるが、戦っている選手にそんな余裕はないだろう。
言ってしまえば戦闘中である、相手の状態を気遣えるわけもない。それをしているせいで負けることも考えられるのだから、反則をしないのが精いっぱいであろう。
「~~!」
紅組の鉢巻をしている選手、阿部。
以前に学生として夢を見ていた彼を、蛇太郎は知っている。
だがその時とは、表情が違った。当然その内に秘めた人間性も、著しく異なっている。
憎悪、憤怒があふれている。
かろうじてボクシングではあったが、相手に対する敬意など一切ない。
リング禍めいた事故で死に至るとかではなく、明確に殺す気で殴っている。
「~! ~!」
恐ろしい戦いだった。
しっかりとグローブをつけているが、その拳はまさしく凶器。
もはや立っているだけで、意識もないような対戦相手を、ひたすら打ち続けている。
もう反撃はなく、防御もない。
まさにサンドバッグのようになっている対戦相手へ、殴打の限りを尽くしている。
「~!!」
それは格闘漫画で見る、名前を叫ぶ『必殺技』ではなく……。
圧倒的な威力を思わせる、重厚な『攻撃』だった。
阿部の放ったそれが、まさに決定打、致命となった。
対戦相手は糸が切れた人形のように転がり、マットに崩れた。
その姿を、悪鬼羅刹と化した阿部は見下ろしている。
それは膨大にいる怨敵の、その一人をようやく倒せた、という程度の充実感を得た顔であった。
そして彼は、セコンドにいる白組の相田を見ることもなく、無言でリングを去っていく。
それを見て紅組は沸き、白組は悲嘆に泣いていた。
だが相田だけは、去っていく阿部を見ていた。
それは敵を見る目からは程遠い、余りにも悲し気な顔であった。
その姿を遠くから見ていた蛇太郎は、二人に並々ならぬものがあると察した。
だが駆け寄って事情を聴けるほど、蛇太郎は厚顔ではなかった。
しかし一方で、何も聞けずに去れるほど無神経ではなかった。
勝手な話だが、知りたくなってしまった。
一体あの二人に何が起きたのか、知らねばならないという衝動があったのだ。
「あの、すみません……」
蛇太郎はやや遠慮気味に、紅組の応援席に座っている観客、サポーターへ声をかけた。
興奮気味の男性は、熱狂を邪魔されたことで怒り気味である。
「ああ?! なんだよ一体!」
「すみません、楽しいところを邪魔してしまって……」
普通に考えて、応援をしている客へ声をかけるのはよくないことだ。
ましてや相手が拒絶してきたのなら、引き下がるのが正しいだろう。
普段の蛇太郎なら、間違いなくそうしていた。
だが今の蛇太郎は、好奇心を抑えきれなかった。
「さっき勝った、阿部さん、ですよね。あの人は凄い気迫でしたけど、何かあったんですか?」
「ん、ああ?! 阿部についてか!」
そして選手についての質問をされたことが、観客にとっては嬉しかったのだろう。
男性客は始まろうとしている次の試合から視線を切って、蛇太郎へ解説を始めた。
古参のファンというものは、新参に対して何かと話したがるものである。
こういう空気は、やはり蛇太郎には辛かった。軽い気持ちで質問したことを後悔しつつ、熱意に圧倒されて話を半分しか聞き取れないだろう。
だが一種の利害の一致があった、蛇太郎は全神経を集中して彼の話を聞こうとしていた。
「阿部はなあ……もともと白組の選手だったんだよ! いろいろあって、紅組に移籍してきたのさ」
「……」
やっぱり、という言葉が喉から出かけていた。
初めてこの世界に来たにも関わらず、あの二人の姿を見ただけでそうだと察していたのだ。
「まあ普通はなかなかない。もともと白組の大将の、その娘と結婚するって話もあったぐらいだしな」
「……それが、どうして?」
「あくまでも噂なんだが、その白組の大将やその周りの奴が、阿部を嫌っていたらしいんだわ」
白組大将の娘、なる存在が相田であることは想像に難くない。
むしろそれ以外の可能性を、蛇太郎は想像できなかった。
「それで無茶な条件を出して、それが達成できたら結婚を許してやるとか言われていたらしいんだよ。どう考えても死ぬ、そんな条件でな」
「……それを、達成できなかったんですか?」
「いや、阿部は達成した。試合見ていただろ、あいつ超強いからな!」
サポーターからすれば、あくまでも他人事だ。
それに敵チームの不祥事であり、スポーツとは直接の関係がない。
だからこそ興奮気味に、楽し気に話していた。
「白組大将の娘も、阿部が好きだったらしいからな。これで結婚だって時に……阿部を白組から追い出したんだよ」
「条件を達成したのに、ですか」
「ああ。条件を出したのは、断り文句みたいなものだ。達成したからと言って、許すわけないだろう。なんて言われたらしい」
嫌な話ではあるが、ありえることだ。
そんな話あり得ないなんて、人間である蛇太郎は言えない。
「白組を追い出された後、阿部の奴は悲惨だった。だってそうだろ、白組から追い出された奴を白組が助けるわけがない。昨日までもてはやしていた白組サポーターも、あっさり阿部を見捨てたのさ」
「それで、紅組に?」
「ああ。とはいっても、いきなり認められるわけがねえ。それはもう苦労して、戦って戦って、なんとか紅組の大将に認められたのさ」
戦国時代なら、聞くような話だった。
だが知っている人にそれが起きたのかと思うと、胸が痛い。
日常の世界で、隕石を見上げて、未練を帯びていた阿部。
彼を知る蛇太郎は、なんといっていいのかわからなかった。
「今じゃあ紅組選手のトップ4の一人だとよ。他の三人よりもずっと白組を憎んでいる、事実上のエースってわけさ! 聞いた話じゃあ、紅組の大将から何か大事な宝を預けられているとかなんとか……」
「そう、ですか……」
蛇太郎が知りたかったことは、もうわかってしまった。
男性サポーターはまだまだ話を続けたがっているが、もう聞きたいことはなかった。
「ありがとうございました」
「おいおい、まだ話すことが……って、おい!」
蛇太郎は丁寧にお礼を言うと、強硬に下がった。
観客席から離れられない男性を置いて、そのままポップの元へ戻っていく。
「どうしたの、凄い顔よ」
「……なんでもない」
本人に直接聞かなくてよかった、ということだけが救いである。
あくまでも噂を聞いた、という程度だから蛇太郎の心は平常だった。
誰でも知っていることを、誰かから聞いたから、堪えることができた。
これが本人たちの口から聞いていれば、蛇太郎自身耐えきれなかっただろう。
人を傷つけると、自分も傷つく。
やはり優しい彼は、質問をするという加害にいたらなかったことに安堵していた。
「……勝ってなお、か」
そのうえで、浸る。
この勝敗が定まらぬ世界では、判定や審判のない世界では、中立のない世界では。
上が白と言えば、黒でも白くなってしまうのだと。
「修羅の世界に、そんなものはあってほしくなかったな」
※
修羅の世界にも鶴の一声はある、知りたくなかった事実を知って、蛇太郎は少し沈んでいた。
あるいはそうした悲劇さえも勝負のスパイスだと感じてしまう、観客の卑しさが悲しいのかもしれない。
それもまた人間であると、蛇太郎は理解している。いまさら過剰に反応して、愚痴をぶつけることはなかった。
それに今の自分には、信頼できる仲間がいる。
ともに命を懸けて、大きな目標に進む仲間が。
ならば世間のお家騒動に、どうしようもないほど揺さぶられることはない。
「気分転換はうまくいったみたいだね」
「ああ……転換しすぎて、何が何だかだけどな」
「芯があれば、転換しても正道にもどるものだよ」
「……妖精っぽくないこと言うな」
「まあね」
ポップに案内されて、マロンたちと合流した蛇太郎。
その顔は様々なものを見たうえで、戦う準備が終わっているものだった。
「まあとにかく……次に進みたい」
今の心境を、素直に言い表した。
これまで三つの世界に阿部と相田がいたのだから、四番目の世界にもいるのだろう。
もしもそこで幸せな生活をしていれば、今の嫌な気分もぬぐえるはずだった。
そう信じて、蛇太郎はポップの転職を待っていた。
四番目の世界ではさらに悲惨かもしれないという疑念へ、見て見ぬふりをして。
「もう、ご主人様ってば! 暗い顔しちゃって、今から気を張ってたら大変だよ?」
そういって笑うのは、リームである。
緊張をほぐそうと抱き着いてくる彼女は、いつも通りに明るかった。
その一方で、彼女の装束は普段とは程遠い。
背中から翼が生えている彼女は、しかしライダースーツのような服を着ている。
ライダースーツとはオートバイに乗る者が着る安全のための服なのだが、それに近い仕様の服ということは、一種の戦闘服めいている。
今までとは違って、格段に露出は少なく、しかも動きやすそうだった。
翼さえも革のような生地に覆われており、防御力の向上は明らかである。
「それでさ、この格好似合う?」
「ああ、とても似合うぞ」
もちろん、似合っている。
戦闘するときは、おそらくヘルメットも付けるのだろう。
顔も見えなくなるだろうが、それでも似合っていた。
彼女のしなやかで強い体形は、ライダースーツが似合っていたのだ。
「……この可愛くない服が似合うとか、私ってかわいくないのかな」
「……そんなことはないぞ、その服が似合うのは難しいと思う」
「そうだけどさ……」
その一方で、女子を褒める難しさを蛇太郎は知っていた。
(確かに俺も、ヘルメットまでかぶって《似合うね》と言われても微妙な気がするな……)
そして、共感さえ抱いていた。
「あ、あの……私はどうですか?」
それに続いて、ラージュが評価を問う。
その姿は、カンフー服であった。
チャイナドレスが基本ではあるのだが、脚絆もあった。
女性が着る中華的なドレスではあるのだが、格闘ができそうなデザインでもある。
それこそ香港映画の女性スターが着るような、アクション的な服だった。
もちろん、背中に開いた穴からドラゴンの頭が出ていなければ、だが。
「うん、似合っているよ」
「や、やりました!」
この服も、やはり露出はない。
そのうえできらびやかで、いい意味で女性が映える服だった。
似合うということに、やはり不満はなかった。
もちろん、褒められたラージュも嬉しそうである。
「で、では私はどうでしょうか……私は気に入っているのですが」
そういったのは、ヤドゥである。
前の二人の姿は比較的現実でもありそうだったが、彼女だけはだいぶ現実離れしている。
変な言い回しだが、古臭い未来系デザインであった。
三面六臂の亜人である彼女は、全身が金属製のプロテクターに覆われている。
それも装甲版のような平べったいプロテクターではなく、それの表面に電子回路が走っているかのような、むき出しのメカデザインだった。
そのうえで持っている武器も、実体のない光学的な剣であったり、熱や振動による付加効果のある化学的な近接武器だった。
趣は違うが、キンセイ兵器に近いものがある。
「……似合うというか、俺が好きな感じだな」
「本当ですか! 本当ですね! 嬉しいです!」
太古のロボットアニメめいた姿だったので、蛇太郎は素直に好きだと言っていた。
この姿で実際に戦うところを見れば、もっと好きになるだろう。
その伸びしろを感じさせたうえでの、好きな感じという評価であった。
「君、男の子だね」
「……まあな」
ようやくここに来て好みだよ、といった蛇太郎。
そんな彼に対して、マロンは素直な所感を口にした。
「なんかひねくれたところがあるかと思ったけど、そうか、こういうのは好きだって言えるんだね」
「……そこまでマーケティングするなよ、どうでもいいじゃないか」
「いや、結構大事だからね。今後の参考にする」
「なんだよ、今後って……」
好きなものを好きだといいにくいのは、こうやって評価してくる輩がいるからではないか。
蛇太郎は自分の面倒さを棚に上げて、どうでもいいことで恥じらっていた。
「まあとにかく……あとはポップが戻ってきたら、四終のところに行けるね」
「……そうだな」
この三体は、とてもまともだった。
正直共通点が見つけにくいが、それでも戦うという感じはあった。
ポップの新しい姿についても、大丈夫だろうと信じていた。
(修羅の世界だしな……)
日常の世界ではメイド服だった、栄光の世界ではレトロゲームのデザインだった。
この修羅の世界では、なにやら戦闘服めいている。
ならば不定形のスライムも、変な格好にはなるまい。
「おっまたせ~~! ポップお姉さんの新フォームよ~~!」
「あ、ああ……はあ?」
飛び出てきたポップを見て、蛇太郎は思わず呆れていた。
それこそ似合う似合わない以前に、彼の好むところではなかったのだ。
「先に言う、申し訳ないが俺は嫌いだ」
「……そう、素直に傷ついたわ」
元気を失ったポップは、フリフリのコスチュームを着ていた。
色は淡い暖色系であり、それこそ『魔法少女』めいている。
それを着ている彼女は、不定形の体を活かして……いや活かしているとはいいがたいが、体積を減らして少女の姿になっている。
つまり体が縮んで、魔法少女に変身しているのだ。
そして蛇太郎の好みではなかった。
大人のお姉さんが幼い姿に変身するのも、魔法少女の姿になるのも、彼の嗜好から外れていた。
「……よし、いこうか! みんなが『ヒロイン』になったわけだしね!」
(そういう趣向だったのか……)
特撮、アクション映画、SF、アニメ。
それぞれのヒロインへと変身した四体のモンスターを従えて、マロンと蛇太郎は『最後の審判』の元へと向かうのだった。
(やはり気分が転換しすぎている……ポップと一緒に離れた意味は一体……)
なお、蛇太郎は自分の芯を疑っていた。
※
栄光の世界は、基本的にコンテスト形式だった。
あるいは『優れたゲームを生み出す』こと、『ただの的』を倒すスコアこそが本質だったのかもしれない。
だからこそメーカートラブルの待つ地までは、膨大なモブの死体が連なっていた。
どうでもいい相手、殺されるための相手。それが山となって、有象無象となっていた。
しからば、この修羅の世界では、何が連なっているのか。
四終へ向かう道には、何が重なっているのか。
「……これは、多いな」
大量の、スコアボードであった。
例えば野球、例えばサッカー、例えば卓球。
あるいは柔道、あるいはボクシング、あるいは総合格闘技。
それらの試合結果が、決まり手なども含めて並んでいる。
競馬、競艇、競輪などの判定用の写真も、ずらりと並んでいた。
勝敗を決定づけた、その証拠。審判の基準が、これでもかと山になっていた。
誰が誰に勝ったと書いてあるだけで、そこに血生臭さはない。
それは無機質な記録であり、無関係なものにとっては無価値な数字でしかない。
だがその膨大さが、この世界の苛烈さを表している。
そう、数字、数字、数字の山である。
アナログのない、議論の余地がない数字だけがある。
接戦も圧勝も惨敗も、ただの勝敗としてだけ記入されている。
道路の隅々まで、そうしたデジタルな数字で敷き詰められている。
『ジャジャジャ……待っていたぞ』
そしてその先にいるのは、なるほどと言いたくなるデザインの怪物だった。
豪華な装飾の施された、金色の巨大な下皿天秤である。
その左右の更には、それぞれ金貨とサイコロが乗っている。
それは運さえも含めた、中立の証。
どちらにも味方しないからこその、絶対的な権限のある存在。
勝利と敗北を定める、判決を下す存在だった。
燃え盛る隕石であるステージギミックや、炎熱地獄や集合地獄、八寒地獄の集合体であったメーカートラブルとは神々しさが違う。
『ステージギミックを下し、メーカートラブルを下し……我の前へ来たか』
公正にして公平だからこその、絶対権威。
それそのものが、世界を滅ぼそうとしている。
それに抗うことがどれだけ絶望的なことか、蛇太郎は生唾を呑みかけた。
『双方の利害は対立している……そういうことになっている。ならばもはや、戦うほかあるまい』
「……話が早いな。ずいぶんと卑怯なくせに、潔いじゃないか」
『……我が卑怯?』
「そうだろ、審判っていうのは進行役だ。それが敵になるなんて、バランスを欠いている」
審判を買収、どころの騒ぎではない。
審判自身が対戦相手になっているのだから、理不尽の極みだ。
これが天秤気取り、裁判官気取りなのだから、笑うほかない。
『バランスか……我の前で、それを口にするとはな』
「天秤の前で言わずに、どこで言うんだ」
『連戦連敗中の我らへ、それを説くとはな……笑えて来るのはこちらの方だ』
一体どこに顔があるのやら。
今までの二体と違って、この怪物には顔も頭も見当たらない。
だがそれでも、声色は笑っているようだった。
『我は……我らはむしろ、均衡を正そうとしている。この世界の歪な偏りを……最も強い感情の失われたこの世界を正しく滅ぼすためにな! それを阻むのならば、裁定を下すのみ!』
もはや蛇太郎に、迷いはない。
何を言われても、仲間とともに進むだけだった。
「それなら、下してみろ。その裁定を!」
白黒をつけることの先に消滅があるのなら、それはない方がマシだ。
この世界に来て最初に至った考えを芯として、蛇太郎はインプットワンドを構える。
『ならば相手をしよう……このマスターアップがな!』
四終、最後の審判、調整不能の完成品が現れた!




