他人の夢
三つ目の夢、修羅の世界。
そこにいる蛇太郎は、今までと同じように『人の夢』に入っている感覚を味わっていた。
終わりのない試合。選手も観客も、紅白に分かれて争い続けている。
審判がいない、時計がない、スコアボードがない。
決着をつけることがない、勝敗がない、結末がない、試合をするだけの世界。
それに決着を与え、納得させ、敗者を消す。
それに対して、選手も観客も何の疑問も抱かない。
(まさに、夢だな)
ずっと試合をしている夢を見ていたとして、得点を決められて、今までいなかった審判が笛を吹いて負けを告げたら……。
それが負けであると、納得してしまうだろう。その結果として普通ではありえない『サッカーの試合で負けたら死ぬ』さえも、受け入れてしまうかもしれない。
(夢に見るぐらいだ……その道のプロ選手なんだろう。それこそ命がけで試合をしているに違いない)
蛇太郎自身はまったく無関係なことではあるが、競技を真剣にやっているものへの理解はある。
自分の人生の進退がかかった大一番があり、それに負ければ人生がつぶれる。
それまで積み重ねてきた膨大な努力が水泡に帰したことで、捨て鉢になってしまう話はよくある。
そして勝ったとしても、負けていたらという恐怖が、体に刻まれているものだ。
(まあ、知ったふりなんだろうが……)
蛇太郎の心に、やはり迷いはなかった。
(勝敗云々よりも、消すのがおかしい……)
結局、消すのが問題だ。消しさえしなければ、放置してもいいぐらいだ。
今までの二つの悪夢と同じで、世界を滅ぼそうとしていることが問題だった。
(そうだ……消すのが問題だ)
修羅の世界の白側の街を、マロンたちと歩く蛇太郎はポスターを見た。
そこには多くのポスターが貼られていた。チームの応援するポスター、試合を告知するポスター、選手を募集するポスター、さまざまである。
その中には紅組を下げる、過激なポスターも混じっていた。
だがそれはいい意味でショープロレス的なものに収まっており、この世界の罪業などを感じさせるものではない。
(なんであいつらは……俺に期待している?)
日常の世界を見た時、蛇太郎は見捨てていい気分になっていた。
正直、ありていに言って、当時はもっとひどい世界があるのではないかと怯えていたほどだ。
もしもそうなら、一種の潔癖さから世界を滅ぼそうとしかねない。
(そうだ……俺はそういう奴だ。だが……いくら何でも、いまさらそれはない)
栄光の世界も、修羅の世界も、守らなければならない世界だった。
ならば残る世界がどれだけ汚らわしかったとしても、その二つのためにも戦うだろう。
(あいつらは、俺に何を見た?)
だからこそ、わからないのだ。
この夢の世界が、夢であると確かめるほどに、悪夢たちが自分へ期待を深める意味が分からない。
「どうしたんだい、そんな思いつめた顔でポスターを見て」
「……ん、いや、まあ」
ぷかぷかと浮かんでいるマロンは、怪訝そうな顔で蛇太郎の様子をうかがっている。
その顔は、真面目というか困った表情だ。
「またしょうもないことを考えているんじゃないだろうね」
「そんなことは……」
「世界の命運がかかっているのに、いままでさんざん文句を垂れていたじゃないか」
「……そうです」
「だったらこっちだって、またしょうもないことを心配しているんじゃって気分になるよ」
マロンからの正論攻めに対して、蛇太郎は返す言葉もなかった。今までの自分を省みれば、この世界やこれから起きるであろうことへ、ケチをつける準備をしているとしか思えない。
真面目な疑念を抱いていましたなんて、言っても信じてくれまい。少なくとも蛇太郎は、自分で自分を弁護する気がわかなかった。
「えへへ……じゃあご主人様は、私たちが新しい姿になるところを見るのが楽しみなんだ!」
じゃれついてくるのは、リームだけではなかった。
他の三体も、やはり擦りついてくる。
「お、お好みとかございますか? わ、私、努力します!」
「前回の姿はお気に召さなかったみたいだし、今回は気合入れないとね~~」
「どんな姿になったとしても……私の忠義に曇りはありませんので!」
(マロンはこいつらを叱らないのだろうか……)
命がけで戦っているとはいえ、結構ふざけてくる究極のモンスターたち。
自分を注意するぐらいなら、彼女たちの心根を叩きなおすべきでは。
(いやしかし、夢の中のモンスターはこういうものであって、矯正できないのかもしれない……)
「だから悩むなと言っているのに、君って奴は……」
面倒な蛇太郎に対して、マロンは苛立ち気味である。
その怒りはもっともなのだが、蛇太郎の真面目な面が波立った。
(言わないのもまずい気がするな……仲間に隠し事はよくない)
自己弁護とは違うタイミングで、悩みの内容を口にすることにした。
「……ステージギミックもそうだったけど、メーカートラブルも俺に変なことを言った」
「変なこと?」
「いつかあいつらと俺は、一緒に戦うって。この世界を滅ぼすために、協力するって」
「……それは、変なことだねえ」
マロンは困惑気味に、その言葉を受け止めていた。
それは蛇太郎を信じていないからではなく、むしろ信じているからこその困惑だった。
「君もわかってるだろう。協力も何も、君が何もしなければそれだけで世界は滅びるんだから」
「そうだ、そうなんだよ。でももしかしたら、俺のことを操れる奴が……」
「いるならとっくに滅びているよ」
「それもそうか……」
論理的な帰結である。
世界を救おうとしている者を操れるのなら、最初からそうすればいいだけだ。
そして実際、四終も同じようなことを言っていた。
「俺は俺のまま、この世界を滅ぼすって……」
「それはありそうで怖いね……」
(……そう思われてるんだ)
「あんまり真に受けないでよ……面倒だな」
落ち込んでいる蛇太郎に困ったマロンは、ちらりとポップを見る。
その視線を受け止めたかのように、ポップはうごめきだした。
「ままま、そんなに落ち込んでると、心の中に隙ができちゃうわよ~~?」
「は、はあ?!」
その柔らかい体を十分に使って、蛇太郎を包み始めた。
温かいようで冷たいような体温が、蛇太郎を覆ってくる。
「きゅ、究極のモンスター……」
「なによそれ、誉め言葉?」
「……褒めてない」
露骨に密着してきたスライムに対して、蛇太郎は自己防衛本能が働きかけていた。
基本真面目なので、余り好意的に受け止められないのである。
しかしそんな彼を、ポップは包んで運び始めた。
元より蛇太郎は先祖返りでも特異体質でもない、抵抗できるわけもなかった。
「他の三体は新しい姿をもらってくるから、その間私とちょっとデートしましょ」
「で、デート!?」
「あらあら、体を張って守ってる私のお願い、聞いてくれないのかしら?」
知性を持つ雌雄定かでない軟体動物からの、デートのお誘いである。
しかも現在、包まれて捕食寸前である。
そのうえ感情的にも、断れるわけもなかった。
軟体にして盾役、体を張って仲間を守る献身。
それを無下にできるほど、蛇太郎は傲慢ではなかった。
「……どこに行く?」
「あらあら、嬉しいわねえ」
※
紅と白、そして境界線にある試合会場。熱狂が途切れない修羅の世界を、当てもなく二人は歩いていた。
正しく言えば一人と一体であり、素のポップは足が無くナメクジのような下半身になっているため、歩いているとはいいがたい。
そんなことは屁理屈であり、二人が連れ立って歩いていることに変わりはなかった。
「……ポップ、お前はインテリジェンススライムなんだよな?」
「ええ、そう。賢い賢いスライム様よ」
「それならこれにも、意味があるのか?」
「ええ、もちろん」
年上の女性めいた振る舞いをするスライムは、その顔でにっこりと笑った。
「ご主人様が心配しているように、悪夢たちはご主人様を操ろうとか、誘導しようとするかもしれないじゃない。そんな時のために、こうやって……」
その柔らかい腕を、蛇太郎の首にゆるく絡めた。
「楽しい思い出をたくさん作っておくの。そうすればいざって時、楽しい思い出が貴方を踏みとどまらせてくれるでしょう?」
「それで洗脳やら催眠術やらが解けるって? 漫画やアニメみたいな展開だな……」
「あらあら、でも素敵でしょ? ベタなのは嫌い?」
「……正直好き」
悪の道に進んでいるところで、かつての仲間達からの呼びかけや思い出が、正気に返るきっかけになる。
ベタもベタ、王道も王道。使い古され過ぎた展開だが、蛇太郎の大好物だった。
「やっぱりね!」
「……」
「だからほら、お互いのことをもっと知りましょうよ。リームやラージュとは、それをやったんでしょう?」
「確かに……」
考えてみれば結構な付き合いであるし、何度も死線を越えてきた仲である。
しかしマロン以外の四体とは、普段から話をしているほどでもない。
というか特に、このポップとは距離を作りすぎているきらいがある。
(つうか、ポップが一番怖い……)
蛇太郎は普通の趣味であり、人間の女性が好きである。
そして正直に言って、ポップのような性格の女性は好みだった。
他の三体だって結構好みの性格だし、なんだかんだ言ってやれている。
だがポップはインテリジェンススライムなのだ。
(ほかの三体は動物型……いや、スライムだって軟体動物だけども、それはサンゴが動物の分類なのと同じで、俺の想像する動物じゃない……そう、背骨のある動物じゃない……!)
蛇太郎の基準では、背骨のない動物は化物だ。
そしてその一方で、頭では動物であるという認識もある。
雌雄定かならざる存在ではあるが、雌雄がある可能性が存在し、さらに言えば自分に対して性的興奮を感じる可能性もあった。
手足と翼で六肢なリームとか、背骨が二股に分かれているであろうラージュとか、顔が三つもあるヤドゥも正直怖い。
だがそれよりも、背骨も軟骨も見当たらないスライムが自分を好きだった場合。
(今の距離を保ちたい……!)
蛇太郎の偽らざる本心だった。
表に出せない本心だった。
「あらあら、私に食べられちゃうかも、とか思ってる?」
「……」
「正直なご主人様ねえ」
くすくすと笑うポップは、蛇太郎の手をとって誘導を始めた。どうやら連れていきたいところがある様子である。
これが薄暗い路地とかなら防犯ブザーを鳴らしていたかもしれないが、普通に境界の試合会場へと向かっていた。
「じゃあ私も、正直な気持ちを明かしちゃおうかしら?」
「……変な意味じゃなく?」
「ええ」
ポップの口調が、堅くなったことを察した。
蛇太郎は案内されるままに、試合会場へとついていく。
「私ね、この世界があんまり好きじゃないのよ」
意見の相違を、蛇太郎は感じていた。
それは決して、悪い情動ではなかった。
それが彼女の本音だからこそ、明かしてもらったことが嬉しかったのだ。
「この、修羅の世界が?」
「ええ……ぶっちゃけ、日常の世界の方がずっと素敵よ。ご主人様は、あっちが嫌いみたいだけどね」
「……まあ」
まあ、というあいまいな答えには、二つの意味があった。
蛇太郎自身が日常の世界を嫌っていることを認め、ポップが修羅の世界を嫌っていることへ納得していた。
むしろ好きだと言い出したら、どうしようかと思ったほどだ。
その一方で、ぶち壊したいほど嫌い、というわけでもないこともわかる。
気分じゃない、合わないという程度のことだ。
「ここはね……熱すぎるのよ」
「それが、嫌いか?」
「ええ。選手も観客も、熱すぎて、輝きすぎて……煩わしいわ」
猛烈な熱をもって、競争をしているこの世界。
まさしく終わりのない修羅道たる世界を、彼女は煩わしいと言ってはばからない。
「同調圧力っていうのかしらね……熱くなることを強いられている気分になるのよ」
「……まあ、わかる。俺も日常の世界では、そんな気分だった」
「あらあら、ご主人様は能天気になるのが嫌いなのね」
修羅の世界が嫌いだというポップは、しかし喧騒の中心、中央である試合会場に向かっていた。
応援している観客の声が、地震のように響いている。
熱に同調できない者にとっては、雑音の極みのような中へあえて入っていく。
ポップは当然のこと、蛇太郎もその熱に同調できない。
はっきり言って不快な場所へと踏み込んでいくのだが、それでも悪い気はしなかった。
「みんな、楽しそうよねえ」
「……ああ」
「私は楽しくなれないわ」
「……俺も正直、こういう雰囲気には慣れてない」
蛇太郎にとって、熱狂は対岸のことである。
そもそも、誰かと一緒に熱中できるのなら、それで友達ができていたはずだ。
それがないということは、応援する側であれ選手の側であれ、熱中できるものがなかったからだろう。
「ほら、ここではボクシングをしている。格闘技だと特にそうだけど……やりすぎって感じで嫌なのよね」
紅白の鉢巻をつけたボクサー二人が、熾烈に戦っている。1ラウンド三分だとか、八回戦だとか六回戦だとか、ダウンしてからの10カウントだとか、そんなことを気にせずに戦っている。
だからこそ、痛々しかった。
本人たちが望んでリングに立っているのだろうし、ボクシングの体裁を守っているし、そもそも夢の世界であろう。
だがそれでも、審判のいないボクシングは痛々しかった。
否、熱狂で満たされた格闘は痛々しかった。
「日常の世界にも、ボクシングジムはあるのよ。エンジョイ勢とか言うらしいけど……あれぐらいでいいと思うのよね」
「一緒にするのに無理があるぐらい違うけども……そうかもな」
蛇太郎はうまく返事ができなかったが、気持ちには同調できる。
いくらグローブをつけているとはいえ、ダウンしたら立つまで追撃したりしないとはいえ、ド派手な必殺技がないとはいえ、それでも痛々しかった。
「……すごい迫力だな」
「ええ、でしょう?」
先祖返りというわけでもない人間二人が、普通に殴り合っているだけだ。
それでも引くほど怖いのは、二人が真剣だからこそ。
それを蛇太郎は、好意的に受け止められなかった。
「ご主人様にこれを見せたら、この世界を嫌いになるかもしれない、と思ったんだけど……後で悪夢からこれを見せられて動揺したら、それこそ思うつぼじゃない」
「……これを見て引いても、それでも戦ってくれるって思うのか?」
「そういう酷い人じゃないでしょ?」
「……否定しきれない」
「真面目ねえ!」
周囲の熱狂と混じり合うことなく、ポップはふざけたように笑っていた。
「まあ私は、そういうモンスターだってことよ。ご主人様は他の人が熱中して輝いているところを見ると守りたくなって……私はあんまり好きじゃないから離れたくなるわ」
「……そっか」
人は熱狂するから素晴らしい。
人は全力で汗をかいて血を流さなければならない。
人は魂や命を燃やさなければならない。
修羅の世界は、そうした雰囲気が濃い。
夢だからこそ、それしかないと言える。
だがそれに、同調できない者もいる。
熱中や熱狂が楽しくない、そういう人もいる。
そしてそれでもいいと、言い合える友人もいる。
(仲間っていいなあ……)
蛇太郎は静かに、感慨にふけっていた。
リームやラージュと話をした時とは、明らかに違う喧騒。
その中でも、蛇太郎は静かに浸れていた。
(まあ、ここでそんな感慨にふけるのは、それこそ場違いなんだが……ん?)
ふと試合に目をやると、あることに気付いた。
紅色の鉢巻をしている選手に、見覚えがあったのだ。
そして白組のセコンドにも、見覚えがあった。
「……阿部さん、相田さん?」
ただスポーツの対戦相手というだけではあったが、阿部と相田は敵同士になっていた。
それに気づいた蛇太郎は、思わずポップを忘れて、その試合に見入っていた。




