終わらない戦争
適度な休憩を挟みつつ、入念で周到な移動計画を立案するに至った狐太郎(の部下であるネゴロとフーマ一族)。
狐太郎は無責任な仕事をしないし、横入もしないので、その護送案を大王の部下のそのまた部下に確認してもらい、さらにそれを上に見てもらって大王様に見せていいよという許可をもらい、そこで大王に書類が届いて……そこで予算などが組まれて、会議が始まり……。
結局一か月ほどかかって、いよいよ出発の日が来たのだった。
ちなみに、狐太郎が征夷大将軍だったときは、彼のハンコ一つで終わる。
穴が無いのかどうか検討されないまま決定されるのだから、独裁官という仕事の危うさがわかるだろう。
即断が必要な仕事の場合、遅延が深刻になるということもまた……。
「……」
これでようやく何とかなる、そう思っていたアッカの妻たち。
彼女らは戦時中よりも憔悴した顔で、この護送の旅当日を迎えていた。
空には千の悪魔が舞っているし、大地には雷獣鵺のサカモがいるし、四体の魔王やら亜人の兵やらもいる。どう考えても公爵家の人間を護送する編成ではないが、狐太郎がガチ編成したらこうなった。
なおウズモが動けるのなら、それだけで十分すぎるもよう。
「ええ……皆さん、この度は私、大王陛下直属のAランクハンター、虎威狐太郎が護送を担当させていただきます。安全第一をモットーに、皆さんが不安を覚えない、危険にさらされない旅をお約束いたします」
出立を前に、狐太郎は移動前の挨拶をしていた。
十分な休憩と栄養を取った彼は、彼の基準においてものすごく元気そうである。
その彼を、アッカの家族は恨めしそうに見ていた。
「……皆さんからの要請に対して、行動が遅くなったことはお詫びいたします。ですが国士であらせられる、西方大将軍、圧巻のアッカ様のご家族を守るために必要な期間だったことはご理解ください」
「……理解できません。ここまで戦力がそろっているのなら、十分だと思うんですけど」
「護衛を万全にするには、入念な準備が必要なのです」
狐太郎自身、専門家の提案にハンコを押しただけなのでまるでわかっていない。
でも色々大変なんだろうなあ、とは思っているので断言していた。
手順を踏んでいると、人は強く出られるものである。
「アニメや漫画なら何か起きるけど、私たちがそれやったらシャレにならないよね」
「本当にソレね……息抜きで殺されたらたまったものじゃないわ。やるからには、きっちりやるべきよ」
アカネとササゲも、入念な準備の必要性は理解していた。
狐太郎の場合は『自分たちが絶対守るし!』という根拠のない自信で押せるが、他の人を守るとなればそうもいかない。
自分たちが狐太郎を誰かに預けて、その誰かが『俺だから大丈夫』とか言ったら腹が立つ理論だ。
「生物として窮屈さが負担であることは理解するが、もう少し自分たちの危うさを理解するべきだ。後悔してからでは、取り返しはつかない」
一方でコゴエは、そもそも文句を言うなと断じた。
ナタの護衛についてさえ、正当だと感じている風である。
「ええ、おっしゃる通りです。そしてそのような考えが無ければ、私も許可できませんでした」
「ひっ!」
出立の見送りに、少々弱った様子のナタが現れた。
そして彼の出現に、アッカの家族は怯えている。
ようやく解放されると思ったのに、これである。場合によってはいまさらのように、今回の旅行を妨害されるかもしれない。
そう思うと、アッカの家族は震え始めた。
「ですが、その不安もなくなりました。四冠の狐太郎様……皆さんのことを、お任せします。どうかお守りください」
「ええ……必ずアッカ様の元へご案内し、無傷でここへ帰します。そのために、全力を尽くさせていただきます」
本来なら、ここで終わってもよかった。
だが最弱の男は、そこから先の何かを感じていた。
ナタの視線が、意味ありげに一人へ向かっていたのだ。
「……私に何か用かしら」
ナタが見ていたのは、大鬼クツロである。
その表情には、何もかもを飲み込んだような、暗さがあった。
「チタセー閣下は、強かったですか?」
「……今まで戦った誰よりも、はるかに強かったわ」
クツロは大鬼の誇りをもって、最大級の賛美を贈った。
「老齢の身でありながら、心技体に憂いはなく……戦士としても将軍としても男としても……なんの欠けもない英雄だったわ」
ナタにとって、チタセーは仇である。
親兄弟の仇といっても過言ではない、怨敵の極みであろう。
「やはり、そうでしたか」
ナタは、その言葉に何の棘も覚えなかった。
「ダッキ様、狐太郎様を背に、一国の総大将を討ち取る働き……羨望の念が隠せませぬ」
狐太郎もクツロも、彼の心中を悟った。
「その貴女がご一緒なら、アッカ様のご家族を任せられます。どうか、お願いします」
クツロは彼に対して何も言えなくなった、狐太郎も同様である。マウントを取るなど、思いつきもしなかった。
そして彼は、返事も待たずに去っていった。
「ご主人様……彼の戦争は、まだ終わっていないのですね」
「……ああ、そうだな」
西重は滅び、昏は逃走し、三か国は引き下がり、央土は生き残った。
だがそれでも、すべての人々の戦争が終わったわけではない。
(そうだ……アレだけ死んだのに、アレだけ殺しあったのに……まだ終わっていないんだ)
戦争はまだ終わっていない、その言葉は、前向きにも後ろ向きにも使えてしまう。
そして彼は、間違いなく後ろ向きだった。
たくさん死んだ、死に過ぎた。
たくさん殺した、殺し過ぎた。
たくさん失った、失い過ぎた。
手にはまだ、守るべきものは残っている。
手にはまだ、戦う力が残っている。
だがそれでも、区切りがつかない。
王都奪還戦を終結させた彼は、しかし今も納得できずにいる。
(彼にとっても……西重の残党にとっても)
ある意味では、ナタは西重の残党の同志だ。
終わっていることを認められない。
日常に戻っていくことを、新しい日常へと変わっていくことを受け入れられない。
自分は納得できるだけの戦果を得ていないのに、世界は勝手に戦争を終わらせてしまったのだ。
あれだけ失ったのに、戦ったのに、それに見合う何かが心にない。
だからまだ戦うのだ。戦う力が尽きるか、疲れ切って投げ出すか、あるいはそれ以外に大切なものが見つかるまで。
(俺も……こいつらが死んでいたら、同じように考えていたのだろうか……終戦を受け入れかねていたのだろうか)
狐太郎は、自分の苦労が底ではないと理解していた。
(一国の軍隊を滅ぼして、一国の民を奴隷に落として……それでさえ、戦いから抜けられずにいたのだろうか)
何のために戦ったのかわからない狐太郎は、しかし戦いの呪いから抜けていたのだ。
その幸運に、その運命に、安堵せずにいられない。
(人は戦い続けてしまう、だからこそ『判定』が必要になる、か……)
狐太郎は自分に向けられているアッカの家族からの視線に気づかず、思い出に浸っていた。
(誰かに負けを決定してもらうこともまた……『必要な終末』なのか)
死は終わりだろう、地獄に落ちることもまた終わりだろう、天国に追放されることもまた終わりだろう。
だが、敗北を認めることは終わりだろうか。狐太郎はそう思っていたのだが、判定の重さをいまさら感じていた。
(死はアクションゲーム、地獄はオンラインゲーム、天国は〇〇〇ゲーム……そして最後の審判は対人ゲームだったか……)
この世界にいるであろう七人目の英雄と、苦悩を分かち合っていた。
※
夢の世界は、現実の鏡。
人の夢には、現実に存在するものしかありえない。
ならばそれは、必ずしも幸せな夢とは限らない。
「ここは修羅の世界、人と人が競い合う世界だ」
マロンがそう紹介した第三の夢の世界、そこは空から見上げるとなんとも奇怪な場所だった。
東には紅い屋根の建物が、西には白い屋根の建物が、それはもう膨大に存在している。そして東西の境界には、大量のコロッセオが並んでいた。
「修羅……」
「ああ、よくない連想をするだろうし……実際荒々しいよ。でもだからと言って、凄惨でもない」
グリフォンのリームに抱きかかえられている蛇太郎は、ゆっくりと降りていく。
境界線のコロッセオの中で、ひと際大きいものへ近づいていくと、熱狂が響いてきた。
街の明かりがまぶしすぎて夜の雲を下から照らすように、人の営みが自然を揺るがしていた。
それは戦闘の音ではなく、観客たちの声援。
試合の華、観戦者たちの絶叫である。
「紅組を倒せ~~! 紅組をぶちのめせ~~!」
「いいぞ、白組! そのままぶったおせ~~!」
一般市民と呼ばれるであろう者たちが、声を張り上げていた。
それこそ過激なスポーツ観戦のように、声援を選手へ送っている。
「白組に負けるんじゃねえ! 白組をのしちまえ!」
「押せ押せ紅組! 勝て勝て紅組!」
エールの過激さが気になるところではあるが、観客同士の争いに発展していないのだから、まだ健全な観戦と言えるだろう。
そしてそのコロッセオの中では、ごく普通にサッカーが行われていた。
誰もが大真面目に、真剣に、ただし健全にサッカーをしている。
(これが……修羅の世界……!)
文章の羅列だけでは、修羅の世界と呼ぶことは難しいだろう。
だが眼下の異様な熱気は、修羅と呼ぶに足るものだった。
(聞くところによれば、サッカーの勝敗で暴動が起こる国もあるっていうが……それぐらいの熱気だ!)
はっきり言って、恐怖だった。
異様すぎる熱気を持った祭りは、傍観者に恐怖さえ与える。
その内容が、よく知る競技であったとしても。
「……これは、ここが夢の世界であることを念頭に考えてほしいのだけども」
その熱気に飲まれている蛇太郎へ、マロンは重苦しい説明を始めた。
彼自身がこの世界のありようを、全面的に認め切れていない証拠でもあった。
「この世界では、基本的に試合に終わりがない」
「……は?」
「試合をしている世界、勝負をしている世界であって……勝敗がつかないんだ」
驚嘆、というほかなかった。
蛇太郎の、現実の価値観では、ありえない異常だった。
笑顔ばかりの日常も、現実に構築される虚構も、終わらない試合に比べればあまりにも『平凡』だ。
「……得点表がない、時計がない、審判がいない!」
「そうだよ、ここの人たちはサッカーをしているが……ロスタイムも休憩も、延長戦もPKもないんだ」
「それ、サッカーか……?」
全体を俯瞰している蛇太郎は、だからこそ試合会場の異常さに気付く。
これが草野球のような、堅いことを言わない試合ならまだいい。だが万人規模が観戦している試合会場で、あるべきものがなさ過ぎた。
試合を終わらせるもの、勝敗をはっきりさせるものが欠如していた。
まるで戦うことだけが目的で、決着を求めていないかのようだった。
「……夢の世界か」
だがそれに対して、蛇太郎はある程度の納得をしていた。同調はできないが、理解はできる。
ずっと試合をしていたい、ずっと観戦をしていたい、熱狂の中に身を置きたいという考えはわかる。
この世界は、恐ろしい。恐ろしいからこそ、理解が及ぶ。
へらへら笑ってだらだら遊んで、それがずっと続けばいいなんて、そっちの方がどうかしている。
「文句、つけないんだね」
「……まあ、うん、さすがに反省した。それに、こっちの世界も凄いしな」
今までの態度のひどさを責めてくるマロン。
その彼に対して、蛇太郎は強めの反応ができなかった。
罪悪感を覚えながら、蛇太郎は傍らを見る。
「……な、なんでしょうか? 急に見つめられると、恥ずかしいです」
宙に浮かぶ、アルトロンのラージュ。
先日の激戦から復帰した彼女は、変わらずに笑ってくれている。
命を懸けて、存在を賭して、なすべきことをなした彼女。
その敬意が、蛇太郎の中に湧いていた。
「ああごめん……なんでもないさ」
心から敬意を抱ける仲間と一緒に、仕事ができる。
それはとても幸せなことであり、蛇太郎にとって憧れのことだった。
「ああ~~! なんかいい雰囲気~~! 私が支えてるのに、なんでそっちを見ちゃうかな~~?」
蛇太郎を抱えているグリフォンのリームは、露骨に体を寄せてくる。
これはもう、一種のセクハラと言っていいのではなかろうか。
「もしかして二人っきりに何かあったとか? やあねえ、私の知らないところでなにかが進んでいるなんて……つ、つ、つ」
インテリジェンススライムのポップは、その柔らかい体を絡めてくる。
骨格というものを持たない彼女は、しかし指でもあるかのようになでてきた。
「ご、ご主人様……私にもぜひ、同様の信を置いていただきたく……存じます! 槍働きならば、お、遅れは取らぬかと……!」
最後に阿修羅のヤドゥは、つっかえながらも自分のこともかまってくれと言ってきた。
六本ある腕、三つの顔、すべての挙動が不審なものになっている。
「う……み、みんな、今俺はマロンと話をしているから、その……うん」
それらに対して、蛇太郎は困惑してきた。
これが犬猫の類ならいいのだが、こちらに対して特別な感情を持っている、風な対応をされると困る。
困ったので、無作法ながら突き放した。実際、それどころではない。
「それで、マロン……いったいどんな悪夢が、どうやって、この世界を終わらせようとしているんだ?」
「……変な話だけどね、この世界に決着をもたらそうとしているんだよ」
話をしている、その時であった。
眼下で行われている試合に、動きがあった。
紅組のゴールネットが、ボールによって揺らされたのである。
大抵の球技は、ボールをゴールに入れる、相手のコートに落とすことで得点となる。
サッカーは比較的点が入りにくい球技であり、だからこそサッカーの一点は他よりも大きい。
しかし決着を持たないこの世界では、何十点入ろうが勝負に影響がない。
だがそこに、突如として時計が出現した。
正しく言えば、時計の形をしたモンスターが出現したのである。
『試合、終了!』
その時計は、けたたましく鳴り響いた。
試合終了のホイッスルというよりも、ゴングに近い、目覚まし時計のような決着の鐘。
『2-1で、白組の勝利!』
その判定によって、白組は狂喜し、紅組は嘆いた。
勝った側は選手も観客も近くの仲間と抱き合って喜び、負けた側は膝を折って膨大な涙を流した。
いきなり現れた怪物が、絶対的な権威を持つ審判のようにふるまっている。
にもかかわらず、誰もがそれを受け入れていた。
いや、ある意味正常だ。
限られた時間の中で、より得点の多い側が勝つ。
それがサッカーという球技の、基本的なルールなのだ。
それを根拠に勝敗を決しているのなら、受け入れるのは当たり前だ。
だがそこから先のことは、異常どころではなかった。
『紅組、消滅!』
「は?」
蛇太郎は、驚嘆した。
負けた側の選手たち、つまり紅組の選手たちが一瞬で消えたのである。
時計型モンスターの宣告によって、サッカーの試合で負けただけの選手たちは一瞬で消え果たのだ。
「これがこの世界を滅ぼそうとしている四終、その眷属の力。勝敗を決定させ、その結果を生死に反映させる」
「なんでもデスゲームに変えるってことか……!」
蛇太郎は、目の前で十一人の選手が消えたことに慄いた。
いや、ベンチや監督さえも消えているかもしれないのだから、実際にはもっと多くの人が消されたのかもしれない。
「あんなに頑張っていたのに……どれだけ練習したのかもわからないのに……!」
試合に決着は必要だろう。いつまでも戦い続けるのは、それこそ夢の中でだけのことだ。
だが殺し合いでもないのに、決着が片方の死というのは最悪に近い。
「……これが、今この世界で起きている悪夢だ。今は選手だけだけど、やがては観客にも効果が及び、そして勝者側さえも消滅させてしまうだろう」
「……そんな」
広大なコロッセオにいる、集まった人々。
それらはあまりにも多く、だからこそ『失われるであろう人数』を蛇太郎に伝えてくる。
「多すぎる……!」
圧倒的な人口密度が、そのまま蛇太郎の双肩にかかっていた。
見渡せる範囲に収まった、膨大な人数。それは彼の心を、大いに責め立てていた。
そう、結局のところ……彼の求めてしまっていた、恐るべき事態が本格化してきたということだった。




