大変お疲れ
今回狐太郎の行軍によって、大規模な改修が行われ、国内の不穏分子は壊滅するか息をひそめた。
一部ではあるが大規模なインフラが復興し、一時的ではあるが国内の治安が回復したことを意味している。
領民たちからすれば、局所的な回復でも一時的な平和でもなんでもありがたいことだ。
内心で面白く思わない者もいるだろうが、それでも利益は全体にもたらされていた。
貴族たちは嫌な思いをしたが、まあ仕方がないと受け入れていた。
なにせ彼らは困窮している。嫌な思いをしてトラウマを抱えるぐらいで、物理的な破滅を逃れられるのなら受け入れるだろう。
それに、文句を言える立場でもない。
悪魔に何かを要求するときは、基本的に賭けや知恵比べというギャンブルである。
対価を払ったら仕事をしてくれる、なんて悪魔は少数なのだ。
なぜなら、面白くないから。対価さえ支払えば危険などない、なんて安心を悪魔は好まない。
お前が賭けに勝ったら領地の犯罪者を捕まえてやるが、お前が賭けに負けたら領地の犯罪者の味方になるぞ、なんてことを言い出しかねないのだ。
だが今回はそれではなかった。コストを支払うだけで確実に仕事をしてくれるのなら、ありがたいものだろう。
そう、ありがたいのだ。
恐ろしい存在ではあるが、悪魔はありがたかった。
狐太郎にとっても、である。
※
各地を回った後、狐太郎たちはカンヨーに帰還した。
戦災復興と治安回復に努めたわけだが、狐太郎自身は実務をまったくこなしていない。
にもかかわらず、狐太郎は憔悴していた。悪魔への餌やりは、彼の心身へ甚大なダメージを与えていたのである。
「……あとでノベルに安眠に効く薬でも作ってもらうわ」
「ご主人様、大変お見事でございました」
城の中を歩いている狐太郎と、四体の魔王。
よろよろ歩く狐太郎を、コゴエが寄り添って支えていた。
「クツロのご飯も大変だけど、悪魔のご飯も大変だよねえ」
「ちょっと待ちなさい、アカネ。それはどういう意味よ」
「どういう意味も何も……クツロがお肉食べていると、私たちの食欲がなくなるんだよ。最近は結構慣れてきたけどさ……」
アカネはしみじみとクツロをディスり、クツロはそれに不満げである。
普段ならコゴエが『種族的な差へ言及するな』と指摘するところだが、現在彼女は狐太郎を支えるので精いっぱいである。
「はあ……ご主人様にあれだけの教養があったなんて……底知れないとはこのことね……」
最後の一体であるササゲは、城に入った状況でも悦に浸っていた。
先日拝見した狐太郎の拷問、その余韻に浸っていたのである。
もう半月近く経過しているのに、まだ余韻に浸っている。
「……ササゲ、アレのことはあんまり思い出させないでくれ。正直今でも思い出すと嫌になるんだ」
「あら、ごめんなさい。でもね、他の悪魔たちもご主人様の手並みには感動していたのよ?」
「アレはお前らが怖かったからだと思うんだが……」
「それでも、よ。悪魔の威圧を完全に乗りこなしていたじゃない」
先日の拷問は、悪魔あってこそである。
あの拷問は受ける本人が、本当に死ぬ、と信じて疑わないからこそ成立するのだ。
貧弱な狐太郎だけでは、あそこまで怯えてくれたとは思わない。
それに、狐太郎の表情に諦念と殺意があったからだろう。
演技らしい演技など、感じ取ることはできなかった。
その点も、ササゲが称賛しているところである。
なお狐太郎は、実際演技などしていない。
これをやったら本当に死ぬ、と知っている。
蘇生できるから殺しちまえ、という投げやりな殺意があったのだ。
「まあ……お前が喜んでくれて何よりだよ」
「ええ! ご主人様は、本物の悪魔使いね!」
ササゲに褒められると、改めて悪魔使いがどういう仕事で、どういう視点でみられるのかわかる。
人間に危害を加える存在を飼育し使役するとは、つまりこういうことなのだ。
そんなのを千体も従えていれば、餌代の負担だってかさむ理屈である。
「……お前が喜んでくれてうれしいよ」
狐太郎は、なんとか自分にとってうれしいことを探そうとする。
しかし思いつくのは、ササゲが喜んでいることだけだった。
国民を救って救って救いまくったのに、ササゲが喜んだこと以外に自分への利益がない。
(田舎でのんびり暮らして、面倒なことは全部誰かに押し付けて、退屈を満喫してえ……)
もう十分以上に頑張った、もう頑張らなくてもいい気がする。
でも世界にはたくさん困っている人がいて、狐太郎の助けを待っている。
ヒーローの苦悩に直面した狐太郎は、厭世的な気分に浸っていた。
ブゥも同じような考えをしているが、それでも真面目に頑張っているので、悪魔使いとはこういう人間なのかもしれない。
さて、そんな時である。
狐太郎のもとに、一人の男が現れた。
「狐太郎様! ご帰還なさったと伺いまして、挨拶に参上しました!」
「な、ナタ様……」
元Aランクハンターにして元斉天十二魔将、現近衛兵長、大志のナタ。
カンヨーとジューガーを守る彼は、ものすごい笑顔で馳せ参じてきた。
「この度は、各地の平定、お疲れ様です! 既に各地から感謝状が届いており、大王陛下もお喜びなられております!」
「は、はい……」
「さすがは四冠の狐太郎様! 最強の魔物使い! 大王陛下の腹心! 先日の北笛の件もそうでしたが、まったく見事な手腕としか申し上げようがございません!」
「はい……」
「その貴方が不在の間、王都の守りは薄くなっておりました……ですが! この私が近衛を率い、万全の守りを敷いておりました! この通り、王都は健在でございます!」
「は……い」
大志のナタは、成熟した英雄である。
ものすごく強いし、体格も立派だし、何なら声も大きい。
その彼がだんだん距離を詰めながら、圧迫を仕掛けてくる。
その状況に、狐太郎はひるんでいた。
「恐れながら、大志のナタ様。ご主人様は、遠征でお疲れです。どうか挨拶はほどほどに」
「おお、これは失礼をしました、コゴエ殿! では私はこれで失礼します!」
その狐太郎をおもんぱかって、コゴエが助け舟を出した。
ナタは速やかに自分の非を認めて、足早に去っていった。
生真面目な彼だが、ややテンションが高すぎる。
「……徹夜明けみたいなテンションだったわね」
「実際徹夜しているんじゃないの? 顔色がちょっと悪かったし」
過ぎ去った嵐の後姿を見て、クツロとアカネは呆然としていた。
目にクマがあった、お疲れの様子のナタ。
最強の生物であっても、睡眠は必要であろう。
にも拘わらず、彼は十分な休息をとっていない様子だった。
「まあ……心中は察するに余りあるからな……」
その彼を見送る狐太郎は、無理気味な生活サイクルに理解を示した。
無理をしなければやってられない、という生真面目さがあるのだろう。
「でもまあ、休みは必要だよな。俺たちが戻ったんだから、しばらく休むように話を……」
「それは不要です」
ナタが去ったと思ったら、また別の誰かが現れた。
男性ではなく女性、ナタと別の迫力を持つ女傑が現れた。
ギュウマの妻であった、ラセツニである。
「ら、ラセツニ様……」
「狐太郎様、気遣いは不要でございます。ナタは元より生真面目すぎる子でしたが、今はさらに生真面目さが増しています。休めと命じられても、休むことはできないでしょう。倒れるまで、好きにさせてあげてください」
ナタの理解者である彼女は、倒れるまで頑張らせろと言ってくる。
確かに休めと言われて休むような男でもないが、それでも突き放しが過ぎる。
「で、ですが……」
「あの子もバカではありません。一度倒れれば反省し、己の管理も徹底するでしょう。ですがそれ以外では、反省などできません」
「そ、そうですか……」
一度犯した過ちを繰り返さないのだから、バカではないのかもしれない。
しかし人に言われても改められず、倒れるまで働き続けないと限界がわからないのは、賢いとは言えない。
今のナタは馬鹿でも賢くもない、興奮状態なのかもしれない。
「あの子にはもう、後がありません。貴方様やアッカが守ってくださったものを、これ以上一つでも失えば……あの子は耐えられないでしょう」
人生は失うことの連続であり、戻ってくることは決してない。
だが取り返しがつく範囲、やり直せる範囲というものがある。
それを超えると、本当にどうしようもなくなる。そんな一線が、人生にはある。
打ちのめされた人が誰かから『やり直せるよ』とか『まだ大事なものがあるだろう』とか言われるが、マジでやり直せないし、マジで大事なものがないパターンもある。
現在ナタは、その瀬戸際、土俵際である。
ここから何か一つでも取りこぼせば、彼は真面目さゆえに己を許せなくなって、己の人生に決着をつけてしまうだろう。
「その時は……貴方に続投を願うかもしれません」
「彼を応援します!」
狐太郎は切実にナタが頑張ることを応援することにしたのだった。
同僚が倒れたら自分の負担が増える。だから同僚を労り、大事にする。
それもまた、社会人の姿であろう。
(もう二度とやりたくねえ……!)
絶対に十二魔将になりたいナタ、絶対になりたくない狐太郎。
二人はやはり、同僚なのであった。
※
いろいろあって疲れていた狐太郎だが、別方向からまた疲れてしまった。
使っていない筋肉を使うと疲れるというが、腹を殴られた後で頭を殴られたかのような、疲労の二重奏である。
もうすっかり疲れた狐太郎は、情けないと思いながらクツロに運んでもらっていた。
「まあでもアレだよね……ナタさんの気持ち、私もわかるなあ」
部屋まで一緒に行こうとしているアカネは、そんなことを言った。
気軽に同調すると危険なぐらいヘビーな話題だが、アカネが言うのなら許されていた。
「頑張りすぎて空回りということか。だがアカネ、お前の場合は頑張りすぎて空回りというより、自分の要求を通そうと躍起になっているだけだぞ」
「いや、そういうのじゃなくてさ……別のところで戦ってて、ご主人様を助けに行けないことだよ」
なるほど、とわかることだった。
それについては、他の面々も同意である。
「シュバルツバルトでも結構あったけど、この間の戦争もそうだったじゃん。何かあったらどうしようって思ったら凄い怖くてさ~~……シャインさんにも迷惑かけちゃったよ」
「そうだな……戦いが終わって動けなくなった後どころか、戦う前から浮き足立っていた」
「普段なら我慢できることも、我慢できなくなっちゃうわよねえ」
狐太郎にとって痛しかゆしな点なのだが、四体の魔王は狐太郎と運命を共にしたがる。
狐太郎が危ない目に遭うのなら自分も危ない目に遭うし、自分が危ない目に遭うのなら狐太郎も危ない目に遭わせるのだ。
それが当たり前であり、それが普通なのだ。
とはいえ必要性があれば、ある程度は受け入れる。
だがその心中は、穏やかからは程遠い。
「ふ……まあそうよね」
なお、王都奪還戦において、狐太郎の護衛を務めたクツロ。
彼女は微妙に誇らしげで、微妙にマウントを取っていた。
「確かに自分で戦えない、自分でご主人様を守れないって、とってもストレスよねえ……」
狐太郎を抱えたまま、悠々と歩くクツロ。
彼女は先日の戦争で戦った、偉大な英雄を思い出していた。
「やっぱりモンスターは、ご主人様の傍で戦ってこそよねえ……」
「どうしたのかな、クツロ……いまさらマウント取ってくるなんて」
「あれじゃないの? 最近精霊や悪魔、ドラゴンが活躍しているのに、亜人が活躍していないから……」
「発言は認めるが、和を乱すのは感心しないぞ。わざと嫌われるような言い回しは避けるべきだ」
「……ねえご主人様、Aランクとは言わないけど、せめてBランク上位の亜人とかいないかしら。デット技とか抜きで……。そういうのがいたら仲間にしない?」
理解の深い仲間たちが、結論へ先回りしてくる。
マウントをとることに失敗したクツロは、狐太郎へスカウトを提案してくる。
ただでさえ餌代で苦しむ狐太郎にとっては、頭の痛い話だ。
「……クツロ、俺寝たいの。わかるよな?」
「ごめんなさい」
「そのうえで言うけどな……お前別に王様になりたいわけじゃないだろう。ペットじゃないんだから、無責任に仲間を増やそうとするなよ」
「そこまで正論で諭さなくても……」
「メズヴみたいなこと言ってる自覚あるか?」
「正論って痛いわね……」
それこそゲームじゃないんだから、仲間を軽々しく増やさないでほしい。
なぜモンスターにそんなことを言わなければならないのか、狐太郎は論理的な矛盾に苦しんでいた。
「……あのな、クツロ。俺はあの時お前が戦ってくれて頼もしかったし、勝ってくれて助かったし、一緒に来た亜人たちが戦ってくれて救われたよ。それじゃダメなのか?」
「それはそれでいいけども、過去の栄光にすがっているようで嫌なのよ……先に希望が持てないわ」
クツロの苦悩もわからないではない。
他の三体と比べて、配下が心もとない気がするのだろう。
クツロは亜人、大鬼であり、人間に一番近い精神性をしている。
だからこそ、彼女が他の三体と張り合う気持ちはわかる。
(どうでもいい)
だが今の狐太郎にとっては、どうでもいいことだった。
ただでさえ疲れているのに、これ以上気苦労を増やしてほしくなかった。
(つうか、Bランク上位の亜人ってなんだよ……ランク的にサイクロプスみたいのだぞ、居ても飼えねえよ)
素でBランク中位の亜人、というのは結構いるらしい。
キョウショウ族のような力の強い亜人たちの中なら、結構数がいるらしい。
というかまさに、先日の戦争で最後の守りを担当したのが彼らである。
その彼らよりも一段上の亜人となれば、やはりサイクロプスぐらいしか知らない。
というか、ラードーンはドラゴンじゃない理論によって、サイクロプスは亜人ではないのかもしれないし。
「こう言っては何だがな、クツロ。精霊使いたちはコチョウ殿の配下であって、私の配下ではない。よってお前の嫉妬は的外れだ」
「貴方にそれを言われたら、精霊使いはみんなショックを受けるでしょうね……」
コゴエから仲間への気遣いの言葉は、精霊使いたちにとっては心無い言葉だった。
聞いているクツロをして、同情してしまうほどである。
「まあそうは言うけどさ、亜人はそんなに株下がってないじゃん。ドラゴンは怖くて逃げだすし、精霊使いたちはミーハーだし、悪魔の自治区は臭かったじゃん」
「殺すわよ」
「亜人はそういうの無いでしょ。エリートをよりすぐっていたから当たり前だけど、正直羨ましいよ」
クツロのフォローをしようとして、ササゲをディスってしまうアカネ。
なんでも言い合える間柄だと、不意に誰かを傷つけてしまうのだろう。
「悪魔の自治区が臭いっていうのは不満があるけども……とにかくそんなに不満があるのなら、ピンインの仲間へ指導でもしてあげなさいよ。実質配下みたいなものだし」
「……その発想はなかったわね」
そしてササゲからの提案を聞いて、その気になるクツロ。
その表情は、妖しくも前向きなものだった。
「あの亜人たちを鍛えれば、私も少しは面目が……」
「おいバカやめろ」
思わず突っ込みを入れる狐太郎。
いくら何でも、越権が過ぎていた。
「ササゲ、悪ふざけが過ぎるぞ。クツロもほかの人の仲間に余計なことするな」
「……そうね、悪かったわ」
「申し訳ありません」
「マジで寝させてくれ、マジで……」
ピンインとその仲間の危機を、狐太郎は水際で救っていた。
誰も彼に感謝することはないだろうが、だからこそ悲劇は回避できたのだった。
「クツロ……俺のことはベッドに放り込んでくれ、後は寝るから……」
「それは……フーマ一族に任せますので」
「この服着たままだからいいだろう……」
もう疲れた、もう無理だった。
クツロに運ばれている狐太郎は、気力体力の限界だった。
それこそ徹夜明けのようなテンションで、眠りに向かって思考が雑になっていく。
もう誰も、彼の睡眠導入を妨げることはできない。
「ああ、狐太郎閣下! お待ちしておりました!」
そう思っていたら、美女、美少女、子供、赤ん坊の集団が待ち構えていた。
「大変お疲れのところ、申し訳ございません。どうか私たちに、お時間をいただけませんか」
「……」
圧巻のアッカ、その妻と子供たちである。
全員が公爵家の生まれであり、現職の西方大将軍の細君である。
「……二時間寝かせてください」
狐太郎は大変お疲れだったので、二時間のインターバルを要求するのだった。
※
二時間寝たら、狐太郎の頭は少しすっきりしていた。
だがそれは、状況がすっきりしているなんてことではない。
おそらくろくでもないであろう問題を抱えている彼女たちへ、それなりの対応をしなければならないのだ。
(アッカ様の嫁さんたちが、俺に頼まないといけないことってなんだよ……)
普通に考えて、彼女たちが解決できないことなどそうそうない。
各々が公爵家だし、旦那が西方大将軍のアッカである。
財力も権力も武力も、旦那さんにおねだりすれば全部解決である。
その彼女たちが解決できないということは、アッカでも解決できないということだ。
「おい、入ってきてもらえ」
「承知しました」
気が滅入る一方で、聞かないと問題が解決しないのも事実だ。
彼女たちの要望を無視したままだと、枕を高くして眠れない。
(後で何をされるかわからねえ……あの人マジで陰湿だからな……)
陳情は聞かないことが一番まずい。
馬鹿な内容なら、その時は追い返せばいいのだ。
むしろそうであってほしいぐらいだが、世の中そんなに甘くないことも知っている。
「失礼します……」
アッカの妻と子供たちが、わんさか入ってきた。
それはもう、一クラスぐらいいる。
英雄色を好むというが、さすが最強の英雄と言わざるを得ない。
(ガイセイのお師匠様だもんなあ……)
もちろんだが、彼女たちと一緒に魔王たちも入ってくる。
彼女たちは部屋の外ですでに打ち解けていたらしく、アッカの子供たちとも戯れていた。
それに対してほほえましく思わないでもないが、無理難題を持ち込んでくることは確実なので、ちっともほほえましくなかった。
「それで……ご用件は」
「ええ……大変申し上げにくいのですが……」
大変お疲れの狐太郎へ、話題を切り出そうとする若き妻たち。
ふと眼もとを見れば、お疲れの雰囲気である。
やはり彼女たちも、大変な難題を抱えている様子だった。
「アッカ様のところへ、連れて行っていただきたいのです」
「……は?」
思わず耳を疑った。
圧巻のアッカは、西方大将軍として単身赴任をしている。
その彼へ会いに行きたいという気持ちはわかるが、なぜ狐太郎にお願いするのかわからない。
「ご主人様、お気持ちはわかりますが落ち着いてください」
苛立ちかけた狐太郎を、コゴエが止める。
言うまでもないが、狐太郎は英雄である。
彼がどれだけ非力だったとしても、彼が苛立てば誰もが怯えるのだ。
「もう少しだけ、話を聞いて差し上げてください」
「……」
コゴエに言われた狐太郎は、そのまま他の三体を見る。
コゴエのことは信頼しているが、彼女は動物的な思考に対して過度に理解を示すところがある。
なので彼女の判断だけだと、微妙に偏りかねないのだ。
よって、他の魔王も見る。
全員が話を聞くように頷いてくるので、客観的に重要なのだとわかった。
「変な声を出して申し訳ありません、続きをどうぞ」
「はい……もちろんアッカ様が恋しいということもあるのですが……ナタ兄様が……」
アッカの妻たちと、子供たち全員がストレスを感じているようだった。
「すごいしつこいんです」
「は?」
「どうやら、その、ナタ兄様は私たちのことも全力で守る所存のようで……それ自体は頼もしいですし、気持ちはわかるのですが……」
狐太郎が西重を滅ぼした英雄なら、アッカは王都を守った英雄である。
国王も十二将も倒れた後で西重と話をつけて、コウガイの子供やラセツニを守ったのである。
その彼の妻や子供が王都に残っているのなら、ナタは何が何でも守らなければならない。
筋道として、その通りなのだ。
むしろここで手抜きをすれば、それこそアッカへの裏切りであろう。
だがしかし、ただでさえ生真面目なナタが、全力を注ぎこんでいるのなら……。
「朝も夜もなく三時間ごとに定期確認をしたり、抜き打ちで不定期の確認をしたり……戦時中のような厳戒態勢を敷いているんです」
(それは迷惑だな……)
強面のSPに守られ過ぎて、息が詰まるお嬢様、といったところだろう。
必要性は理解できるが、感情的に受け入れられないのだろう。
「私が各地を回る前は、そんなことはなかったのでは?」
「いえ……むしろ貴方様が王都を長く離れたからなのです……」
このカンヨーには、四人の英雄がいる。
ナタ、ガイセイ、ホワイト、狐太郎だ。
だがガイセイとホワイトは、成熟の一歩手前でやや不安が残る。
狐太郎がいないのなら、ナタは自分だけで何とかしなければならない。
実際そうなのだから、彼は張り詰めに張り詰めているのだ。
「では、戻ってきたのですから、しばらくは安心では……」
「私たちもそう思っていたのですが……」
その時である。
ばたんと、狐太郎の部屋の扉が開いた。
「失礼します!」
徹夜明けのテンションを維持したまま、三時間ごとの定期確認に参上した益荒男、ナタ。
彼は怖いぐらいこわばった笑顔で、大真面目で挨拶を始めた。
「狐太郎様! ご休憩のところ失礼いたします! 圧巻のアッカ様のご家族様の安否を確認するべく、参上いたしました! 何事もないかの、定期確認でございます!」
「……あ、はい!」
びしびしと、指先呼称で人数を確認していくナタ。
張り詰めた笑顔は一種のピエロめいており、子供が泣きそうな迫力だった。
だがナタは、それに気づくだけの精神的余裕がない。
「あの……」
「なんでしょうか!」
「今は私も城にいるのですから、そこまで気になさらずとも……」
「いえ! 私は警備の責任者ですので! 狐太郎様がご帰還なさったとしても、こうして警備を継続する所存であります!」
そりゃあ狐太郎だって、この城にいるとはいえ責任者ではない。
いざという時、責任を押し付けられても困る。
だがそれにしても、肩に力が入りすぎだった。
彼は狐太郎と違って体が一つしかないので、ぐるぐる回りながら確認をするしかないのだ。
そりゃあ疲れるだろう、むしろ倒れていないだけ英雄である。
「本来なら! 十二魔将の配下である近衛兵を、彼女たちへ付けるべきでしょう! ですが現在の近衛兵は、民兵以下……これでは彼女たちへ付けることなどできません!」
自分が一番強いので、なんでも自分でやる英雄の鑑。
その強さが守るべきものを傷つけているのだが、それに彼は気づけていなかった。
「は、はあ……」
「ですが! これも私の力不足故! 遠くない未来、彼女たちを守れるだけの近衛を育て上げ、警備としてつけるつもりです! それまでどうか、不安全な状態になることをお許しください!」
信用できる配下がいないという状況を、生真面目さとパワーで解決しようとしている男。
彼が倒れるより先に、彼に守られている者たちが倒れそうだった。
「では! 私は次の仕事がありますので失礼します!」
やる気にあふれ、こぼれて水びたしである。
空回りを起こして、周囲に火花が散っている。
去っていくナタを見て、狐太郎はアッカの家族の気持ちが分かった。
これは束縛が強すぎた。
「ナタ兄さまの気持ちもわかるのです。貴方様ほどではありませんが、私たちも西重の残党から狙われうる身……アッカ様を憎む者たちが、私たちをさらおうとしても不思議ではありません」
黄金世代は、全員殺されたというわけではない。
息をひそめて潜伏し、報復を狙っているものもいるだろう。
だが武将程度の実力では、アッカやナタ、狐太郎は狙えないだろう。
ならば狙うのは、その親しい相手だ。
もしもアッカの妻たちが西重の残党につかまれば、復讐のはけ口として非道の限りを受けるだろう。
それを避けたいという気持ちはわかる、わかるのだがしんどい。
「でも……ちょっと羽を伸ばしたいなあと……」
「護衛ならば、獅子子さんに頼むのはいかがですか? 彼女が護衛なら、ナタ様も任せてくださると思うのですが」
「彼女は今、西方に行っておりまして……」
「そうですか……」
ナタは悪くない、最善を尽くしている。
彼の危機感も、責任感も、極めて正常だ。
でもそれを負担に思う彼女たちも、極めて正常だった。
「……じゃあ三日ぐらい寝るんで、それまで待ってください」
でも狐太郎も大変お疲れだったので、まず休むことにした。
ナタと違って、自己管理のできる英雄だった。




