匹夫の勇
三人の道中は、短期間の旅と言うこともあって順調だった。
まず三人とも先祖返りであり、鍛錬を積んでいたということもあって、体力があり足も速かった。
もちろん水や食料の類は持っていなかったが、それも獅子子の斥候技によってだいたい解決してしまう。
食用に適するモンスターや小動物の位置を探り、追いかけて捕まえて食べた。水場もあっさり見つけることができたし、腹を壊しかけても解毒すればよかった。
お世辞にも快適ではなかったが、追われる心配もなく気心の知れた仲間と一緒だっただけに苦痛はなかった。
三人の生まれた世界では意味を失っていたが、旅の補助という意味では最適な能力だった。
カセイという都市を目指すにしても、彼女がいなければまず迷っていただろう。
幸運というべきか、Cランクハンターが保証していたように、三人はこの世界でも十分な強さを持っていた。
それ故に特にトラブルを起こすことなくカセイにたどり着き、そこから一般の討伐隊志望者たちと合流し、シュバルツバルトを目指すことができたのだ。
もしもこの一行に狐太郎のような、先祖返りではない者がいればこうも順調にはいかなかっただろう。
たかが目的地にたどり着くだけで、変な冒険になってはたまらないだろう。
「全部あの人の言っていた通りだったわね、二人とも。あの人が親切に教えてくれなかったら、目的も決められずにさまよっていたと思うわ」
前線基地への補給物資を積んだ馬車の後ろに、ずらりと並んで歩くハンターたち。
その中に交じっている蝶花は、とても嬉しそうに笑っていた。
信じていた情報が正しかったことも嬉しいが、それ以上に初めて会った人が親切だったことが嬉しかったのだろう。
獲物を燃やすわ侮辱をするわで散々迷惑をかけてしまったが、いつか恩を返したいところである。
「まったくだわ、正直いろいろなことを侮っていたわね。目的もなくさまようことなんて、そう長く耐えられるものじゃないわ」
獅子子も最初のハンターに感謝していた。
この世界が『ゲーム』のように単純で筋道のある世界なら面倒はなかったが、とても雑然としている普通の世界だった。
異世界から人が来た場合どうすればいいのか、というマニュアルがあったわけでもない。現地の人間に『これからどうすればいいですか』などと聞いても、気の利いた答えはありえなかっただろう。
斥候は占い師ではないので、『どの方角に行けば吉か』など調べようがない。
「そうだね……本当にそう思うよ。この世界で初めてあの人に会えたことは、僕らが無事であることと同じぐらい奇跡だった」
麒麟は改めて周囲を見た。
自分達と同じようにシュバルツバルトを目指して歩くハンターたちを、首を曲げて見上げる。
麒麟はまだ少年であり成長期の途中で、大柄ではない獅子子や蝶花よりも少し背が低かった。
そして、そんなこととは何の関係もなく、この世界の人々は大きかった。
全員がとんでもなく大きいというわけではないのだが、やはりハンターになっている人間は人間離れして大きい。
思えば最初に会ったハンターも、自分達とは比べ物にならない大きさだった。
「やはり……ここは僕らの知っている世界じゃない。身分証明書を見せるまでもなく、外国人だと分かってしまうだろう」
麒麟たちにしてみれば周囲の人たちが大きいのだが、この世界の基準で言えば麒麟たちはとんでもなく小柄なのである。
それこそ明らかに人種が違うため、仮に身分証明書を奪うか偽造するかなどしても、一目で偽物だとわかってしまうだろう。
この世界の社会がある意味普通だからこそ、三人は溶け込むことができなかったはずだ。
まさか自分たちと同じ体格の人が暮らす国を、手探りで探すわけにもいかない。
異邦人でも迎えてくれる基地の存在を教えてくれただけでも、頭が上がらないだろう。
「へっ、あのガキを見ろよ。あんななりでシュバルツバルトの討伐隊に参加するつもりらしいぜ?」
「美人の姉ちゃんを引き連れて、まさかお稽古にでも来たつもりかねえ?」
「あそこはBランクとAランクのハンターしか行けない場所だ……死んじまうだろうよ」
「何言ってやがる、アイツら三人じゃあここから帰ることもできねえよ」
「違いねえ!」
その一方で、自分たちと一緒に歩いている面々は、とても粗野で低俗だった。
三人が特に何かをしたわけでもないのに、面白がって積極的に侮辱してきている。
おそらく彼らは、最初に会ったハンターよりも格が落ちるのだろう。
今更ながら、まじめに仕事をしているCランクハンターが、どれだけまともなのかわかってしまった。
少なくとも、周囲から信頼を得ているわけではなさそうである。
「麒麟、抑えなさいよ? こんな連中を相手にすることはないわ」
「わかってる……」
侮辱されて気分が良くなるわけではないが、麒麟も流石に空気を読んだ。
今ごたごたしても、何もいいことはない。
この一行とは距離を取っているが、馬車の周囲には武装している騎士たちがいた。
全員が金属製の武具を身に着けており、とても整然としていた。
自由とは程遠い規律のある一団だったが、全員が強いことはわかる。
麒麟ならば一対一で負けることはないが、一斉にかかってくれば取り押さえられてしまうだろう。
(やっぱり、この世界も窮屈なんだろうか……)
今のところではあるが、麒麟は自分よりも強い人間やモンスターを見ていない。
加えて人里に入るまでの道中では、とんでもない開放感もあった。
しかし、こうして人の列に入れば、どうしても圧迫を受けてしまう。
(いいや、運命を信じよう。この世界に奇跡が満ちていることを)
シュバルツバルトでハンターになりさえすれば、今の閉塞感もなくなるだろう。
そう期待したくなってしまう。
「……あら?」
もうすぐシュバルツバルトが見えてくる。
そのはずの距離になったところで、獅子子は鼻で何かを嗅ぎ取っていた。
「なにか……肉の焼ける臭いがするわ。それだけじゃない、たくさんの血の匂いも」
斥候適性の高い彼女は、知覚力も高い。
周囲を大男たちに囲まれているにもかかわらず、誰よりも先に気付いていた。
「もしかして、人がモンスターに襲われているの?」
「いえ、人間の臭いじゃないわ。たくさんの種類の臭いが混じっていて、良くはわからないけど……」
その臭いの正体は、あまりにもわかりやすく転がっていた。
カセイに比べれば小さすぎる城塞の周囲に、大量のモンスターの死体が転がっていたのである。
「……」
先ほどまで三人をからかっていた男たちも、三人も、その光景を見て絶句した。
そのモンスターたちがどのランクかまではわからないが、その量と大きさに圧倒されたのである。
何事もなく進んでいく馬車に置いて行かれる一団は、知っていたはずのことを思い出していた。
正しく再認識し、ようやく危機感を持ったのである。
『前線基地では、尋常ではない量のモンスターが襲ってくる』
もちろん腕に自信のあるハンターたちである、どれだけたくさんモンスターが相手でも負ける気はしなかった。
しかし、その量が想定の十倍をはるかに超えていた。
シュバルツバルトにはCランク以上のモンスターしかいないため、これらの中にDもEもいないのである。
普段からCやBランクのモンスターを相手取っているからこそ、この状況が自分たちの手に余ると理解してしまうのだ。
「ち、ちくしょう! 俺は帰るぞ! こんなところで討伐隊なんぞになれるか!」
「お、俺もだ! カセイに帰らせてもらう!」
「俺達なら、徒歩でもカセイに帰れるぜ!」
三人と行動を共にしていたうちの半数が、踵を返して逃げ帰ろうとした。
そしてそれを誰も止めることはない、何も不思議ではないからだ。
「ふっ……ふん! こんなことで逃げ出しやがって、根性のない奴らだ!」
「ああ、臆病風に吹かれやがった……情けないハンターだな」
「あんな連中どうでもいいだろう、俺達だけでもBランクに昇格しようぜ!」
残った半数は、三人を置いて馬車を追う。
大きいはずの背中は、なぜか小さく見えた。
試験を受けずに帰った者、試験を受けに向かった者。
三人を除いて二手に分かれたわけであるが、それを見たうえで三人は最初のハンターに感謝した。
「……ねえ二人とも。もしも抜山隊に入れなかったとしても、あの人にお礼を言いに行きましょうね」
「そうね」
「そうだね」
事前に助言を得ていた三人は、そのどちらでもない選択をした。
当てもなく帰るわけではないし、役場に行って試験を受けるわけでもない。
そのどちらを選んでも、三人は詰んでいただろう。
三人は前線基地に入ったものの、役場に向かって試験を受けることはない。
目指すは討伐隊に参加している、抜山隊の隊舎。
本当に何もかも都合よく、三人は生存の活路を得たのだった。
※
三人は一灯隊やAランクハンターに遭遇することなく、抜山隊の隊舎に入ることができた。
そこは酒場か食堂と言っていいほど開放的で、その上酒臭かった。
多くの大柄な荒くれ者たちがテーブルで酒や肉を楽しんでおり、とんでもなくにぎやかで騒がしかった。
ある意味では自由で開放感があったが、悪く言えば下品だった。
先ほどまでとはまた別種の圧迫感があったのだが、それでも三人は中に入っていくことを選んだ。
狐太郎の四体を見た専門家のように、その男に目を奪われていたのである。
「ん、客か?」
誰よりも大きい椅子に座り、誰よりも大きい肉を食べている、誰よりも大きいジョッキで酒を飲んでいる男。
本当に人間なのかと疑ってしまうほどに、ありえないほどの巨漢。現実離れした筋肉をしている、生命力にあふれた化物。
彼らの世界では見たことがない、存在したことのない超人。
まさに異世界の住人という他ない、この世の者とは思えない、事実この世のものではない男がいた。
「抜山隊隊長の……ガイセイさんですか?」
「おう、俺がガイセイだ」
ガイセイもまた、少々小柄ながらも美女である獅子子と蝶花が目に入らなかった。
「中々やりそうな兄ちゃんじゃねえか」
ひときわ小柄な少年麒麟。
彼の中にある強さを感じ取り、素直に評価していた。
「俺に用があるんなら、飯でも食いながら話そうじゃねえか。文無しかも知らんが、俺のおごりだ、気にすんな」
ちっとも、脅威だとは思っていなかった。
「……どうした、兄ちゃん? 腹いっぱいなのか?」
酒が入っていることとは何の関係もなく、余裕たっぷりの振る舞いをしていた。
「ガイセイさん……」
生まれて初めて見た、自分よりも強い人間。
それを前にして、麒麟は圧迫感や閉塞感を忘れていた。
本来の目的、趣旨さえも忘れてしまう。
「僕と、戦ってくれませんか?」
まず抜山隊に入れてもらったうえで、その実力を見せてもらう。
その手順を飛ばしたことに、獅子子と蝶花は驚く。
酒を飲んでくつろいでいる相手に、いきなり戦いを挑むとはおかしなことだった。
「いいぜ」
口元をぬぐいながら、ガイセイは立ち上がった。
嬉しそうに笑ってはいるが、まともに話を聞いていた。
酒の席の冗談だと思わず、きちんと相手をするつもりのようだった。
「本気でやるんならここだと狭いだろ、基地の外でやろうじゃねえか」
麒麟の本気を感じ取ったうえで、戦うことを請け負ったのだ。
座っていても大きかった男は、立ち上がるとなお大きい。
歩く姿も、その背中も、信じられないほど大きかった。
「な、何を考えているの麒麟! いきなり戦うなんて……隊に入れてもらうんじゃなかったの?!」
「そうよ……ねえ、やめましょう?!」
獅子子と蝶花は、彼に対して畏敬の念を抱いていた。
先祖返り、戦う力を持った人間だからこそ、その強さがわかってしまうのだ。
戦うとなれば、恐怖しか感じない。
「二人とも、言いたいことはわかるんだ。でも……戦いたいんだよ」
しかし、麒麟は違う。
先祖返りという特別な人間の中でも特に優れている人間として生きてきた彼は、生まれて初めての衝動に身を任せていた。
嫉妬である。
「いいや、負けたくないんだ!」
自分よりも強い人間、強い個体。
その存在を認めたくなかった、否定したかったのだ。
初めて抱えた嫉妬に、彼は抗う術を持たなかったのである。
「僕は……僕が、僕が勇者なんだから!」
敵わないかもしれないなどと、一瞬でも恐怖してしまった。
その羞恥を消すには、先送りという『怯え』を見せるわけにはいかなかったのだ。
彼は理解したのだ。
自分では対処できないと知った上で、試験を受けに行った男たちが何故いたのかを。
男の意地が、愚かな選択をさせたのだ。




