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炎上

 コチョウ・ガオは、入門部の寄宿舎に荷物を置きに来ていた。

 そこはベッドと机、最低限の衣類箪笥があるだけの部屋だった。


 かつては彼女も、彼女の弟もいた部屋だった。

 もちろん正確には別室だったのだが、それでも彼女に様々な思いが去来するのは仕方ない。


 思えば、弟の贖罪の為に死地へ身を置いていたにも関わらず……肝心の弟については何も考えていなかった。

 今まではそれどころではなかった、ということである。だが今は、それに浸る余裕ができた。


 なぜ弟は罪を犯し、罰されたのか。

 それに対して自分は、何かができたのか。


(学部長……貴方は人選を誤った)


 一つ確実に言えることがあるとすれば、少なくともランリ・ガオを選ぶべきではなかったということだ。

 それだけは、本当に確実なことである。


『姉さん、灼熱の魔女って呼ばれるようになったね。弟として鼻が高いよ』


 思えば、勝気な性格だった。

 才能が有り、勉強できる環境に生まれ、努力を惜しまなかった。

 自分の可能性を信じて、日々邁進していた。


『でもね、僕だって負けているとは思っていない。僕も姉さんのように、二つ名を持つ精霊使いになってみせるさ』


 努力すれば努力した分だけ、成長していく。

 だから勉強も修練も苦ではない、むしろ楽しんでいるようだった。

 明るい未来を疑わない、どこにでもいる若者だった。


『姉さん! 聞いてくれ、学部長が僕を大公閣下へ推薦してくれたんだ! もちろん現場で試験を受けることになるけど、絶対に合格してみせるよ!』


 そんな奴を、推薦するべきではなかった。


(せめて、諫めるべきだったわ……学生気分のまま、送りだしてはいけなかった)


 当時のジューガーは、大公だった。当時の狐太郎は、Aランクハンターだった。

 今はさらに偉くなっているが、それでもはたから見れば誤差のようなものだ。

 彼らへ推薦するには、彼は若すぎた。


『ええ、応援しているわ、頑張ってね、ランリ』


 かつて弟に言った、当たり障りのない応援が脳内で反響する。


 はっきり言って、どうせ合格しないだろうと思っていた。

 もしも合格したら、その時はお祝いをしようと思っていた。

 不合格になったら、慰めようと思っていた。


 まさか殺されるなんて、思ってもいなかった。


(……殺されるわよ、普通に)


 当時の自分も、学生だった。だから学生気分も何もないが、それでも危機感がまるでなかった。


『姉さん、入門部の他の生徒はやる気がなくて嫌になるよ! ああいう輩は精霊学部へ進まないらしいけど、それでも『精霊とお友達になりたいの』とか言い出す輩と机を並べるのは嫌だなあ』


『姉さん聞いてくれよ! 入門部を卒業してそのまま実家へ帰ったやつから、パパに精霊を買ってもらったなんて手紙が届いたんだ! 精霊をペット扱いするのも、大概にしてほしいよ!』


『確かに精霊使いは、周囲の環境に実力を左右されやすい。でもそれは、決して悪いことじゃない。有用性をどんどん押し広めたいんだ!』


『もっと水準を上げるべきだ! 国家に貢献する気のない人が、精霊使いを目指すべきじゃない!』


『精霊使いは、クリエイト使い以上のエリートとして認識されるべきなんだ!』


『いつか僕も、とんでもなく強大な精霊を従えてみせる! 新しい世代の精霊使いの代表として、台頭していくんだ!』


(殺されるわ……)


 まだ若いんだから仕方ない、子供だから現実を見れていないだけ。

 そう思っていた己を、ひっぱたきたい。なんなら当時のランリをひっぱたきたい。


(殺されて当然だわ……)


 弟の主張を思い出すたびに、殺された理由が補強されていく。

 なんてわかりやすい伏線だろう、露骨すぎて自分の鈍感さを呪うレベルだ。


(私も貴方も、そんな大したものじゃないのに……)


 ため息が出る、死にたくなる。

 だが、その落ち込みはある程度制御できる範囲だった。


 弟の罪を償い、精霊使いの地位を向上させる。

 絶対に無理だと思っていたが、何とかなってしまった。


 それが行き過ぎて、学校の誰もが精霊学部の暴走を止められなかったほどである。

 

「……まあ、良しとしましょう」


 自分の弟のやらかしたことを、何とか解決できた。

 それができていなければ、自分が落ち込むだけでは済まなかった。


 そう思わないと、やってられなかった。



 ともあれ、いよいよ授業が始まる段階になった。

 普段なら格式高い大講堂で、派手で荘厳な入学式を行うのだが、今回はその限りではない。

 まだ復興が進んでいない状況で、それをするのは国民感情に反していた。


 よって入学式などを行うことはなく、生徒たちは最初から教室へ案内され、教室内で簡易な入学の挨拶をするだけとなっていた。

 そのためコチョウも、他の生徒と同じく、精霊学部の入門部の教室に座っている。


 さすがに『コチョウ・ガオ』と名乗ることはできないし、その顔を晒すこともできなかった。

 ややわざとらしいが、顔の上半分を仮面で隠し、さらに『カーテン・ランナー』という偽名で登録している。


 もちろん教師陣はそれを把握しているし、精霊学部の生徒たちも彼女を見れば察するだろう。

 だがそれはいまさらである。クラスメイト達にバレなければ、それでよかった。


(よかった……さすがにバレてないわね)


 周囲を見れば、十代後半の男女がいる。

 正直浮いているが、それでも目立ってはいなかった。


 クツロも言っていたが、自動車教習所みたいなものである。

 若い者が多いのは普通ではあるが、多少年齢を重ねたものがいても不思議ではない。

 仮面については注目を引くが、戦後すぐということもあって触れてくるものはいない。

 

 何よりも、彼女より目立つ者がいた。


(子供がいる……)


 他でもないコチョウ自身が注目してしまうほど、この場でとびぬけて幼い子供がいた。

 みたところ、十代前半。十代というのは変化が著しいので、年齢差以上に体格差などが大きい。

 よってコチョウよりもさらに、周囲から注目を集めていた。


「……ふん」


 その注目の中で、その『少女』は得意げだった。

 己が周囲から注目されていることに、誇らしげですらあった。

 年少さゆえの全能感をむき出しにしている彼女からは、近寄りがたい雰囲気が出ていた。


(私が目立たないのはいいことだけど、この子が浮くのはよくないわよね……まあ私が混じっていることが一番よくないことなんだけども……)


 この近寄りがたい雰囲気というのが、関わると面倒そうだな、というものである。

 はっきり言って、ポジティブではなくネガティブな理由である。


(今は特別に優越感を得られるかもしれないけど……そのうち飽きて、普通に友達が欲しくなるんじゃないかしら……私が言うのもなんだけど)


 と、いかにも年長者らしいおせっかいを考えてしまう程度には、その少女は浮いていた。

 コチョウはどう接したものか考えていると、一人の教員が入ってきた。もちろん、ヨイチである。


「皆さん、静粛にお願いします」


 務めて平静に、真面目で堅物な教員であろうとしている彼女は、生徒たちに注意した。

 それに従って、席を立っていた生徒たちも座っていく。

 話をしていた生徒たちも、あわてることもなく正面を向いた。


「……」


 もう誰もふざけていない、ということを確認するふりをして、ヨイチはコチョウを見た。


(閣下がいる……)


 やましいところがあるコチョウは、仮面の中から見つめ返していた。


(凄い見られてる……)


 互いに心を偽る者同士、だからこそ心が通じていた。


(どっか行ってくれないかしら……)

(ごめんなさい……)


 分かり合えても、ぶつかり合う。それが利害の不一致というものであった。


「ごほん……私はこれからの二年間、皆様の担任を務めるヨイチといいます。精霊学に関することだけではなく、基礎的な学問についても指導させていただきますので、どうかよろしくお願いします」


 だがヨイチもプロである。

 何とか迷いを振り切って、真面目な教師を演じる。

 彼女なりに『コチョウを特別扱いしない』ことを意識した結果、堅物で通すことにしたのだ。


「では早速ですが、入学に合わせて皆さまには学力テストを受けていただきます。あくまでも学力を確認するためのテストであり、今後の成績などに一切影響はありませんのでご安心を」


 これが小学校や中学校、高校などなら自己紹介などを始めるところである。

 だがそれをすっとばしたのは、特別扱いしないようにしつつ、ぼろが出ないように考えた結果でもあった。


「では皆さんに、テスト用紙を配りますので……」

「ちょっと待ってくださいよ!」


 いきなり異議申し立てをしたのは、やはり例の少女であった。

 名簿を確認したヨイチは、彼女からの質問を受ける。


「なんでしょうか、サンゲツさん」

「なんでそんなことをするのよ! 精霊学部へ入学する準備をするためのクラスなんだから、今からでも精霊の使い方を教えればいいじゃない!」


 サンゲツと呼ばれた少女は、極めて不満げだった。

 精霊使いになるために入学したのに、なぜ精霊の使い方を教えないのか。

 至極もっともな意見である。


(確かに……)


 少女の素直な不満に対して、クラスメイト達は全員が同意していた。

 このクラスにいるのは、精霊が好きだから精霊使いになりたい、という者たちである。

 いきなり学力テストを課されても、大喜びなどできまい。


(そうよね、私もそう思うわ……)


 不満については同意するが、それをあらわにしたり、あるいは意思表示することはない。

 彼女以外の全員が、まあしょうがねえかと受け入れているのだ。


「……サンゲツさん。当校のカリキュラムに不満がおありのようですね」

「当たり前でしょう! 精霊学部に入りたいから入門部に入ってやったのに、なんで精霊使いの修行をしないのよ!」

「おっしゃりたいことはわかります。ですが……まず静かに」


 学校側も、言われることは想定している。

 だからこそ彼女は、用意されている返答を述べた。


「貴方の言う通り、精霊学部へ入学するには、まず入門部を履修しなければなりません。その入門部では、精霊学部へ入学する前に必要な学問を身に着けるのですが……」

「精霊使いに、学力なんていらないでしょう!」

「そうですね」


 意外にも、ヨイチはサンゲツの主張を認めていた。


「在野の精霊使いたちは、実技のみを弟子に授けることもあります。そうした方々は、学力テストなど必要としません」

「だったらなんでこの学校ではやるのよ!」

「社会で活躍できる人材を育成するためです」


 ヨイチはマニュアル通りに、しっかりと反論していた。


「これから出すテストは、専門的な知識や学問ではありません。ごくごく基本的な読み書きであり、計算問題。つまり、学問の基本中の基本、社会で必要になる能力です」


 社会人なら誰でも知っていることだが、学校で勉強したことのほとんどはそんなに役に立たない。

 仮にちゃんと勉強しても、すぐに忘れてしまうことばかりだろう。


 だが、読み書きと四則演算については、できないとまずい。

 これについては、日常生活において必要なものである。


「こういう言い方はどうかと思いますが……この簡単な問題も解けないようでは、どのみち精霊学部への入学は許可できませんね」

「うっ……わかったわよ!」


 サンゲツはやむを得ず、テスト用紙を受け取った。

 もちろん他の面々も、同じようにテストを受け始める。


(本当に簡単だな……)

(これぐらい、子供でもできるぜ)

(確かにできないとヤバいよね~~)


(懐かしいわね、私も入門部に入ったときはこうやって……)


 確かに簡単な問題ばかりだった。

 算数でいうと、以下のような感じである。


1+1=

3ー2=

4×2=

8÷2=


三角形の面積の求め方

正方形の面積の求め方

平行四辺形の面積の求め方


11+25=

88ー13=

22×55=

80÷10=


 などなど、だった。

 各難易度ごとの問題数は少なめで、その代わり難易度の範囲は広くなっている。

 仮に狐太郎がこの問題を見れば『職業訓練校で見るタイプだな』と言いそうである。


 あくまでも基本問題ばかりで、人によってはすぐに解き終わる。

 なんなら、生徒のほとんどがもう終わっていた。


「うう……」


 なお、例外であるサンゲツは、結構早い段階で躓いていた。

 ちらちらと周囲を見て、自分以外が解き終わっていることを察する。


 焦る彼女は、なんとか解こうとするが……基本問題は基本問題であるがゆえに、知っているか知らないかがすべて。

 どれだけ頑張っても、彼女が解ける可能性はなかった。


 もちろん読み書きの問題も、そこそこである。

 全部解くなどできず、挫折せざるを得なかった。


(ねえちょっと、そこの貴方……)


 なので彼女は、小声で隣の生徒へ話しかけた。


(私に答えを教えて。そうすれば私が出世した暁には……)

「はい、人に聞いてはいけません! 先ほども言いましたが、このテストの結果で成績に影響は出ません。できるようになるまで指導するだけですからね」


 もちろんヨイチは教師なので、あっさりとカンニングを看破する。

 というか、カンニングにもなっていなかったわけだが。


「勉強できないことは恥ずかしくありません、勉強できないことを隠すのが恥ずかしいのです!」


 しっかりと指導するヨイチをみて、コチョウは朗らかに笑っていた。


(ああ、若いけどいい先生ね……)


 なお、注意しているヨイチの心中は如何に。


(あんまり説教を続けるのはよくないわよね? あんまりやりすぎたら怒られるわよね?)


 模範的な教師であろうとするあまり、模範的な教師としてふるまうことが目的になっていた。

 目の前のサンゲツを説教していると見せかけて、コチョウからの視線を気にしていた。


「精霊使いとしての腕なら、誰にも負けないのに……」


 その一方で、サンゲツはめそめそと泣いている。

 彼女がバカというわけではなく、年齢相応の学力なのだろうが、周囲が年上ばかりなので肩身が狭いのだろう。

 自分だけできない、というのは嫌なはずだった。


(精霊使いとしての腕なら、誰にも負けない……かわいい自信ね)


 コチョウはかわいらしい言葉を聞いて、朗らかに笑う。

 自分も自分の弟も、入学したときはそんなことを考えていたものだ。


(本当に特別な者を、天才を知らないからね……)


 そう思って笑うのは、コチョウだけではない。他のクラスメイト達も、同じように天狗になっている少女のことを内心笑ってしまっていた。


 笑っていないのはサンゲツと、ヨイチだけである。

 彼女はあらかじめ聞かされていたのだ、サンゲツが特別な理由で入学してきたのだと。

 

「……確かに貴方には、特別な才能があると聞いています。ですが、それだけでは立派な大人になれません」


 特別勉強ができるわけでもない彼女が、年若いにも関わらず魔女学園へ入ってきたのか。

 それは彼女が、特別な事情を抱えているからであった。


「立派な精霊使いは、立派な大人になることが一歩目です。少しずつでいいので、普通の学問も学んでいきましょう」

「ううぅ……」


 ヨイチの言葉を聞いても、サンゲツ以外は真に受けていない。

 生意気な子供に対して、まともな大人が言いそうなことだからだ。


(コチョウ閣下に関しては隠せばいいけども、サンゲツさんについては……余計な軋轢を避けるために配慮をしないと……)


 だが実際にサンゲツの特別な才能を知れば、その限りではなくなるのだが。



 自動車の教習所で、初日からいきなり自動車に乗って公道に出る、なんてことはまずない。

 自動車が好きで免許を取ろうと思ったのに、よくわからんひっかけ問題だとか、覚えきれない標識とかを学ぶことになる。


 車のタイヤ交換だとか、事故を起こした時の責任の所在だとかは有意義だとしても、車に乗れない時間が続くのは苛立ってしまうだろう。


 もちろん、それらは楽しくないだけで、実際にはとても大事なことであり……。

 それぐらいのこともわからない者へ、公道を走る許可など出せるわけもないのだが……。

 それでも、面白くないことは事実だった。


 魔女学園の入門部でも、同じようなものである。

 精霊学部への入学準備のはずなのに、全然精霊に触れる機会がないのだ。

 必要なことを教えているのだが、教わる方はうんざりである。


 入学からはや一週間、サンゲツはすでに飽き飽きしていた。


「ああ~~……もう辞めようかな~~……」


 教室の机の上で、彼女はだらだらとしている。

 彼女の学習レベルに合わせた宿題を出されているが、それに手がつかない状態だった。

 いわゆる、勉強の嫌いな子供だった。


 それを見ているクラスメイト達は、やはり薄く笑うだけ。

 決して馬鹿にはしておらず、むしろ昔の自分はこうだったと懐かしむほどだ。


「サンゲツちゃん、そんなことを言わないでよ。せっかくクラスメイトになったのに、やめちゃったら私悲しいわ」


 ふてくされているサンゲツへ、コチョウ……否、カーテンは話しかける。


「ええ~~? でもこの学校、超つまらないし」

「まだ入って一週間じゃない。それでつまらないかどうかなんて、全然わからないわよ?」

「……ここでは私の才能が活かせない気がする!」


 最年長と最年少、年齢差が大きいからこそ、かえって話が弾んでいた。

 何言っても許してくれるさ、という甘えも、決して悪いことではないのだ。

 ぶちまけているだけでも、ストレスは減るのである。


「私にはね、すごい才能があるの! だからそれを有効活用できるところに行きたい!」

「う~~ん……それはいいけども、一週間で学校をやめましたって言ったら、嫌がられちゃうんじゃないかしら?」

「うっ……むぅ……たしかに。ならばなんとかして、勉強しないで卒業できる方法を……」

「それだと、魔女学園を卒業したのに、勉強ができないんだなって言われるんじゃないかしら?」

「うっ……」


 幸いサンゲツも、自分が勉強できないことに引け目を感じている。

 微分とか積分のような、なんの役に立つのかわからない段階の数学がわからないのではない。

 買い物をしたときのおつりとか、球体の大きさがどれぐらいなのかがわからないレベルなのだ。

 まだ理解できる範囲の答えを求めているからこそ、わからないことを格好が悪いと思っている。

 これが抜けていると、それこそ『もう勉強しなくていいや』になってしまうのだ。


「ねえカーテンおばさん、もういっそ私の部下にならない? 私が天才精霊使いとして活躍するからさ、算数とかはおばさんがやってよ」

「……それはそれでどうかと思うわね」


 相手が子供ということもあって、コチョウはこらえていた。

 正直おばさんと言われるような年齢ではない、と思っているのだが、サンゲツからすれば年齢の離れた女性はみんなおばさんなのだろう。


 よって過剰に反応することなく、地味に傷つきながら話を続けていた。


「例えばサンゲツちゃんがものすごく出世したとして……将軍様とかになったとして……あの将軍算数できないんだぜって言われるのよ?」

「そのころにはできるようになってるんじゃ?」

「勉強しないと、大人になっても頭はよくならないのよ?」


 二人が会話をしている間、他のクラスメイト達は各々の話で盛り上がっている。

 さすがにサンゲツほど夢は見ていないが、それはそれとして飽きているのも事実だった。


「まあ実際のところ……いつになったら練習が始まるんだ?」

「確かにカリキュラムが発表されないのは変だよね。なんか理由があるのかな?」

「私はやくやりた~い! 風の精霊と仲良くなって、一緒に空を飛びた~~い!」

「ああ、お前飛行属性だもんな。一緒に空を飛んで遊んでたんだって?」

「すげえなあ、それ天才じゃん」

「俺は大地属性が好きなんだよ……登山の時、すげえ楽しくてさあ……」

「登山なら雪とか風の精霊とも仲良くなるだろ?」

「いやいや、火山地帯なら火の精霊と仲良くならないと行けなかったりするじゃん」

「環境適応なら、水の精霊だろ。やっぱ水中でずっと過ごしてえなあ!」


 皆が、精霊を好きだった。

 そうでなければ精霊を維持できないのだから、当然である。


(みんな好きねえ……こういう空気、懐かしいわ)


 サンゲツとの話を聞きながらも、コチョウは教室の雰囲気に浮かれていた。

 精霊学部も、こんな感じだった。

 誰もがどんな精霊が好きで、どんな精霊使いになるのか、どこに行きたいのかを話し合っていたものだ。


「ちょっと、聞いてるの、おばさん!」

「ああ、うん、ごめんね」


「皆さん、静粛に」


 そんな盛り上がりの中で、ヨイチが教室に現れた。

 楽し気に話し合っている生徒たちを見てから、一瞬息を吸って、止めて、吐き出した。


「突然に思えるかもしれませんが、次の授業は移動教室です。私に、ついてきてください」


 ヨイチの先導に合わせて、誰もが教室を出ていく。

 まだまだ荒れている廊下を、列になって進んでいく。


 歩いていく生徒たちは、誰もが期待で浮ついていた。

 なにせ移動教室である、普通の部屋ではできないことをするに違いない。


 もしかしたら、今から実技に移るのではないか。

 そう思ったら、わくわくしてたまらなかった。


「ちょっと、先生! 移動教室ってことは、もしかして実技なの?! 実際に精霊を使うの?!」

「……ええ、そうです」


 サンゲツからの質問に、ヨイチは堅い返事をする。

 それを聞いていたほかの生徒たちも、一気に色めきだった。


「やったわ! 私の天才なところを、ようやくほかの奴に見せられるのね!」


 誰よりも喜ぶサンゲツを、生徒たちは温かく見守っている。

 彼女の天才さがどの程度であれ、馬鹿にする気など毛頭なかった。



 火の精霊の実習室。

 魔境で採取された不燃性の木材が、床から天井、扉に至るまでびっしりと張り巡らされている。

 そのうえで排気口や吸気口もしっかりとあり、煙の少ない松明や消火用の水バケツが準備されている。

 雑に言って、火の精霊の実習室というよりも、消火訓練のための施設に見える。


 とはいえ学校で安全に訓練をするのだから、これが必要なのだろう。


「さて皆さん……実習室を使う前に、注意事項を述べておきます」


 なので退屈な先生のお話も、絶対に必要なのだろう。


「ここに限らず実習室は、皆で使う大切な施設です。壊したり汚したりしたらいけません」


 常識的な説明が入った。

 言わなくてもやらない奴はやらないだろうが、言っておかないとまずいのだ。

 なにせやる奴はやるので、『やっちゃダメって言われませんでした』というふざけた屁理屈だけは封じなければならない。


 これならば『聞いてませんでした』とか『忘れてました』ぐらいしか言い訳ができなくなり、相手の過失にできる。

 そもそも壊す奴が悪いのだが、聞いてないのも忘れるのも悪いのだ。


「この実習室は難燃性の素材でできていますが、まったく燃えないわけではありません。わざと燃やそうとしてはいけません」


 ヨイチは部屋の一部、焦げ付いている壁を指さした。


「以前にとある生徒たちが、実際に燃えないのかどうか試し……燃えないまでも焦げ付きました。ちなみに、それをやった生徒たちは全員退学になりました」


 不燃性の木材の耐久試験、というと格好もつく。しかし持ち主に無許可で、素材で試すのではなく建造物へ直接試すのは犯罪だった。普通に放火未遂である。


「ちなみに……この木材の産地はシュバルツバルトという森であり……Aランクの攻撃力をもってしなければ、伐採も加工もできない素材です」

(……あそこの木だったのね)


 ヨイチはちらっとだけコチョウを見ながら、どうでもいい情報を明かした。


「さて……話は逸れましたが、追加の注意事項を。皆さんも知っての通り、精霊使いは広義において悪魔使いと同じ。ギフト技に類する使い手です」


 学校の授業なのだから、実習の前には何度も何度も注意を入れる。

 それは自動車の教習と同じで……危険なものを動かす責任の重さを伝えるためだ。


「ギフト使いは、自分以外の力を扱います。普通の水流属性の使い手では、周囲に大量の水があっても使えません。ですが水の精霊使いならば、それを操作することで、自分の力を消費せずに戦えるのです。しかし周囲の環境で力が上下するという弱点もあります」


 自分で力を発するのではなく、周囲の力を利用する。

 それが精霊使いの強みであり、弱みでもある。


「また、精霊と力を合わせることによって、周囲の環境に適応することもできます。常人では凍死する雪山でも、氷の精霊と同調することによって平然と活動可能です。しかしこれにも……」

「ああもう! 早く実習しましょうよ!」


 大切な注意をしている教員へ、サンゲツは文句をつけた。

 それだけ彼女が話を聞いていない証拠でもある。


「そんなこと、天才の私には関係ないし!」


 尊大もここまで来るとかわいくなかった。

 さすがに注意するべきかとも思ったが、ヨイチは仕方なく許可した。


「ではサンゲツさん、実際に炎の精霊のギフト技を使ってみてください」

「はいっ!」


 正直このまま彼女にギフト技を使わせるのは危険に思えたが、ヨイチが許可を出したのなら他の誰も止めるわけにはいかなかった。


 教師であるヨイチは、彼女にどれだけ腕があるのか把握しているのだろう。それに周囲には水もあるので、いざという時は止められるはずだった。


「よし……見てなさい!」


 自信満々でクラスメイトの前に立ったサンゲツは、手元からマッチを取り出した。

 少しの摩擦で発火する、子供には少し危険な道具である。


「天才精霊使いに勉強なんて必要ない、普通とは違うところを見せてあげるんだから!」

 

 ぼう、と彼女はマッチに火をつける。

 すると彼女の体へ引火し、一気に全身へ燃え広がった。

 普通ならこの時点で焼死するところだが、彼女は平然としている。


「おおお~~!」


 もうこの時点で、大抵の生徒は拍手していた。

 入門部に通っている生徒の中には、コチョウ以外にもギフト技の使い手はいる。

 逆に言ってほとんどの者は、まだそうした術が使えないのだ。


 その彼らからすれば、炎の精霊と同調出来ている時点で大したものである。

 年齢からみても、天才と名乗っていいほどだ。


「!?」


 その一方で、コチョウは目をむいて驚いていた。

 一人前の精霊使いである彼女は、ありえないことに気付いたのである。


「……先ほど説明が途切れましたが、精霊使いが精霊と同調することにはデメリットもあります。氷の精霊と同調すれば熱に弱くなりますし、炎の精霊と同調すれば水を浴びると大ダメージを受けます」


 それに気づきつつ、ヨイチは説明を続けた。


「そしてもう一つ……同調しすぎると、死ぬ、という単純なリスクがあるのです」


 精霊とは、火や風などそのものである。

 それと同調しすぎるということは、全身が炎になるということ。

 人間の肉体(・・)が、保たれなくなるということだった。


「悪魔使いと同じです。エナジーそのものである精霊や悪魔と、肉体のある人間が一体化しすぎれば、それは体が崩壊することを意味しています。だからこそ精霊使いは自滅を防ぐため、同調しすぎないように気を付けるのです」


 精霊使いを志すものなら、誰でも知っていることだ。

 未熟な使い手が失敗して、精霊によって自滅するのはよく聞く話だ。

 だからこそ精霊学部では、口酸っぱく危険性を教え込み、同調しすぎないように指導するのである。


「ですが……」

「私は、天才だから! 関係ない!」


 その説明に合わせるように、サンゲツの体が燃え盛っていく。

 炎に体が包まれているのではない、彼女の体そのものが炎になっていく。


「ごく稀に、特定の精霊と完全に同調できる体質を持つものが生まれます。彼女たちは、それぞれの精霊と心を通わせる必要もなく、自分の体を精霊そのものに変換することができ、なおかつ元に戻れるのです」


 それは、精霊使いにとって最高の適性。

 王都奪還戦という最大規模の決戦においてさえ、十二魔将末席ノベル一人しかいなかった、英雄よりも珍しい特異体質。


「炎の精霊との、完全親和体質……!」


 クラスメイト達は、我が目を疑っていた。

 そしてコチョウは、それ以上に目を疑っていた。


 名前が売れただけのコチョウや、うぬぼれていただけのランリとは違う。正真正銘の天才がそこにいた。


「どう、凄いでしょう?」


 サンゲツは燃え盛る体を誇示しつつ、自分に向けられる驚嘆に酔いしれていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] >分かり合えても、ぶつかり合う。それが利害の不一致というものであった。 名言過ぎるw 分かり合えば争いは起きないって言う奴に聞かせてあげたい。
[一言] 『やっちゃダメって言われませんでした』 「じゃあ、死ね」 に、ならないのだから学校って平和だよね……
[一言] 社会に出て一番求められることは実は常識。 全員いうんですよね・・・。
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