扇の的
さて、国民全体へ義務教育が課されていない以上、本格的な学校へ通えるのは、一部の富裕層だけである。なのだから、教師たちも同じように富裕層である。
今回の戦争では、西部や王都は当然のこと国境地帯の被害は甚大で、その被害を受けていない地域では戦時徴税が行われた。
雑に言って、今回狐太郎が徴兵した精霊使いたちの実家は、全部が富裕層で全部が被害を受けたのだ。
その上で精霊使いたちは、狐太郎から報酬を受け取る予定だった。
それは現金に代えられない価値があるのだが、現金に換算することも可能だった。
そして、武名を上げた精霊使いたちとはいえ、実家には勝てないのである。
『四冠様に資金援助を要請しろ!』
実家にいる真面目な面々は、精霊使いたちへ命令した。
富裕層というのは、富裕層だからこそ大量の金銭を必要とする。
この場合は実家というよりも、実家の経営する会社みたいな認識のほうが正しいが、とにかく実家のピンチを救わなければならなかった。
それに対して精霊使いたちは……。
『いやだい、いやだい! おいら達は、もっとすげーご褒美をもらうんだい!』
『やだやだ! この貸しをお金にしちゃったら、もうコゴエ様に会えなくなっちゃう!』
『ノベル様の体を調べることに使うつもりだったのにー!』
駄々っ子のように抵抗した。
もちろん口語訳である。
今回の報酬を現金に換算する事はできるが、逆に現金で狐太郎へ要求する事はできないのだ。
この不可逆性を理解しているからこそ、断固として拒否したのだ。
武勲を上げた精霊使い達は、その頭脳をフル回転させて、要求を断ろうとした。
だが……。
『うるせえ!』
口語訳。
『実家には勝てなかったよ……』
他に実家を助ける手立てが用意できなかったので、狐太郎へ金銭を要求する羽目になった。
今回のことで狐太郎は、前線基地で溜め込んだ金の殆どを使い切った。
だが彼は安堵していた。
『現金で済むなら安いな!』
貯金を使い切るぐらいで、命がけで戦った借りを返しきれる。
お金を稼ぐ能力は失われていないので、まったく困っていなかった。
やはり人間は、いくら溜め込んでいるかよりも、どれだけ稼げるかが大事なのかもしれない。
※
さて、狐太郎は今回の融資、および労働力の派遣についてジューガーの許可を得ていた。
その発端がシャイン、コチョウからの要請であることもしっかり伝えている。
経歴詐称については褒められないが、各地への復興支援ということで、申し訳なく思いながらも感謝しつつ許可を出した。
クツロが大会を開いたときは『それじゃ実質タダ働きじゃん』と言って断っていたが、今はそんな体裁を取り繕う余裕もないのである。
この疲弊した央土を救ってくれる良き人の気遣いに、不満を持つ人間など……。
割と多くいたのだった。
現大王ジューガーの実子でありながらも、世継ぎではない男、ショカツ。
彼は今回の話を聞いて不満を溜め込み、許可を出した実父の元を訪れていた。
「……父上、今回の件についてどう思われますか」
「大変ありがたいことだと思っているぞ。お前はそう思わないのか?」
無償で働くどころか、負債を抱えている家へ援助までしてくれるのである。
これに文句をつけるなど、それこそありえない話だ。
戦後で疲弊している貴族へ報酬を要求したり、期限付きの借金でも貸し付けろというのか。
どう考えても、条件が悪くなっている。
「もちろん、有り難く思っています」
もちろんショカツも、この上ない好条件だとわかっている。
だがそれでも、彼の顔は優れなかった。
「ではなにが気に入らないのだ」
「わかっているはずです……なぜ今まで何もしなかったのですか!」
狐太郎も知らなかったのだが、ドラゴンズランドの貴竜は土木工事が得意だった。
三方向へ派遣されたとき、暇つぶしのように復興作業を手伝ってもいた。
だが適当なところで切り上げて、そのまま撤収したのである。
「シカイ公爵からも要請があったでしょう! なぜ今まで復興支援をしなかったのですか!」
ごもっともな理屈である。
彼の怒りは、この場に来られない多くの人々の怒りだった。
その正当性を認めた上で、ジューガーは淡白なものだった。
自分の息子が息を整えるのを待ってから、話を再開する。
「お前の怒りはもっともだがな……資金援助はともかく、実際に復興作業をするのはドラゴンだぞ。そのあたりの認識が、お前もゆるい」
なんだかんだ言って、ジューガーもドラゴンとのつながりが深い。
狐太郎からマメに報告を受けていることもあって、奉公に来ている者たちのことも把握している。
「例えばお前やシカイ公爵が、いきなり大将軍並みに強くなったとしよう。その有り余る力を使って、各地へ復興支援に奔走するに違いない。だがな、それはお前たちがこの国の『人間』だからだ。他所のドラゴンが、そんな精力的に働いてくれると思うか?」
ジューガーの言葉は、オーセンと同じようなものだった。
「人間の基準で言えば、隣の国の鳥小屋を直して回るようなものだぞ? できるかできないかはおいておいて、やる気が持続するのか?」
アカネの配下たちは、そんなにやる気がない。ドラゴンズランドにおいてはボンボンや小僧っ子扱いなので、雑兵もいいところなのである。
それでも先日の戦争では命がけで戦ってくれたのだから、文句をつけるほうがどうかしている。ボランティア活動へやる気がなかったとしても、そこまで責めることはできまい。
「下手にこき使おうとすれば、嫌気が差して逃げ出すかもしれないだろう。それを思えば、暇を持て余している時期にお願いするのが丁度いいのだ」
「では彼らの心境を図るのは、誰がやるのですか」
「それこそ狐太郎君の仕事だろう。むしろ彼は、それが専門のはずだ」
こう言われると、ショカツは納得するしかない。
狐太郎は自分の部下のコンディションを把握して、適度に仕事を割り振っているだけだ。
休暇が長すぎると文句を言おうにも、相手が別の生き物なので諦めるしかないだろう。
いや、諦めるに諦められない。
「なんとかできないでしょうか……」
「逆に聞くが、お前はドラゴンの喜ぶものを報酬として用意できるのか?」
無償の奉仕を願うのではなく、有償の仕事として依頼すれば話は違うのかもしれない。
しかしAランクのドラゴンが喜ぶような品を、この国の人間は用意できない。
「……参考までにお伺いしますが、狐太郎様は彼らへ報酬を支払っているのですか?」
「竜王であるアカネ君のもとで働く事自体が、一種の報酬だからな。というか……元を正すとウズモが若気の至りで暴走したので、本人にその尻拭いをさせているだけだ」
狐太郎たちも、直接的な報酬は支払っていない。
どっちかというと迷惑をかけられたので、その負債を支払わせているだけだ。
「まあ……先日長老に依頼して、彼らへ雌のドラゴンを紹介してくれと頼んだらしいが……一体も出なかったらしい」
(雌から見て魅力のない雄に、我が国は救われたのか……というか、この国を救ったことが、功績扱いになってないのか……)
ドラゴンのオスたちのことを考えると、胸が痛くなってしまう。
そんなショカツであった。
「逆に言うと、我らがドラゴンの雌を紹介できれば働いてくれるだろうが、お前にそんなツテはあるまい」
「あったら、そのメスたちに労働を頼んでいます」
「そうだろうな」
結局、無償の労働力をこき使おう、というのが間違っている。
仮に彼らが現金での対価を要求してきても、ショカツもジューガーも払えないわけで。
「だから我慢しろ、としか私は言えない。彼らの運用については、全部狐太郎君へ任せるべきだ」
大王は、極めて穏やかだった。
対照的に、ショカツは穏やかからほど遠い。
「それで、どれだけ周囲から不満が溜まったとしてもですか?」
国家を守るために戦った兵たちの権利を軽く考えるなどありえないが、その我がままを許せない状況もある。
窮地を脱したこの国ではあるが、疲弊から復活を遂げていない。まだまだ英雄たちの力が、大いに必要だった。
「王都奪還軍に参加した主要人物たちも、ほとんどが今も役職に就き、国家に奉仕してくれています。違うのは今回の件にかかわった三人……元五席シャイン、元第四将軍コチョウ、そして四冠様。我が国に彼らを遊ばせるだけの余裕はあるのですか!」
これは、義憤であり愚痴だった。
「無理をさせるべきではないと言いますが、それはドラゴンに限った話でしょう! 他の面々は動かせるはず……なぜ彼らは自由が許されているのですか! それでは、まじめに復興している者たちが救われません!」
ショカツの想いは、全体の意思でもあった。
狐太郎はだらだら過ごしているし、シャインは研究職に就いているし、コチョウは学生である。
彼らが現場に出てくれれば、出来る範囲で国家に貢献してくれれば、どれだけいいことか。
「お前の気持ちはわかる。お前に同じようなことを言っている者が、たくさんいることもわかる」
「ならば……父上は、それでも彼らの勝手を許すのですか!」
「彼らも必死に頑張っているのだろう……それでもどうにならず、戦争の雄に復帰願いたいのだろう」
その切なる願いを、大王は決して笑わない。
厚かましいとも、怠惰だとも思わない。
だがそれでも、言えないことはあるのだ。
「だが、無理だ」
駄目だ、ではない。嫌だ、でもない。無理だ、とこの国の最高権力者が言い切った。
「私がどう頼んでも、彼らは絶対に首を縦に振らない。公的な命令など論外だ、事態を悪化させるだけだ。特にシャイン君など、誰にも引っ張り出すことはできない」
最高権力者だからこそ、権力の限界を知っている。
「なぜですか」
討伐隊の古株、シャイン。
なぜ彼女がBランクハンターとして長く従事していたのかと言えば……。
突き詰めれば、狐太郎と同じなのだ。
誰にも無理強いされない立場を得るため、今日まで頑張ってきたのだ。
「彼女は軍属を拒否するために、私のもとで戦っていた。その彼女が軍属し、武勲を上げた。あの、北側の最激戦区で」
悼みが、二人の中でよみがえる。
多くの健康な人間たちが、国家のために使いつぶされた場所だった。
「彼女は人間同士の戦いに参加したくなかった。それは人同士の殺し合いが痛ましいと思っていたからであり……実際そうだった」
「それは、他の兵も同じでしょう。現在西で平定を行っている兵たちも、彼女と同様に……それ以上に傷ついています! にも拘わらず、彼女の勝手を許すのですか!」
「そうかもしれない。だが……彼女にはそれが許される」
優秀だから実績を積み重ねることができ、優秀だから求められる。
だが優秀で実績を重ねているから、要請を拒否できる。
「コネクションだよ。彼女へ公的に命令を下せば、元討伐隊全員が反発する。王都奪還軍の主要人物だけではない、西方大将軍となったアッカでさえもだ」
「……そこまでですか」
「彼女が軍籍に身を置きたくないと言っていたのは、今に始まったことではない。その彼女を無理に引き抜こうとすれば、彼女と一緒に戦ってきた者全員が怒るだろう」
一緒に戦ってきたからこそ、絆は深い。
今回シャインの働きかけで狐太郎が動いたように、他の元討伐隊も彼女のお願いは快く引き受けるだろう。
彼女に対して敵対的な考えを持つ者は、元討伐隊に一人もいない。
ましてや『もう戦争したくない』という願いには、誰だって力を貸すはずだ。
「ウンリュウ軍やチタセー軍と戦うときに逃げようとすれば、逆に討伐隊も引き止めたかもしれない。だがそれを終えた後だ……もういいだろう、十分すぎるほど彼女は頑張った」
ジューガーもまた、シャインの味方の一人だった。
彼もまた、彼女の安息を願っていた。
「他の二人も同じようなものだ、休暇が望みなら叶えてあげるべきだろう。いなくても何とかなっているのだ、何とかしてもらうほかない」
適材適所とは、英雄以外は何もしなくていい、という意味ではない。
報酬さえ支払えば英雄をこき使える、命令すれば英雄を酷使できる、英雄はすごいんだから任せればいい、というのは甘えである。
「……」
「不満か? だがな、お前は武勲を上げた自分の部下が『もう無理です、やめさせてください』と言ってきても同じように考えるのか? 他の者が担ぎ出そうとしたとき、止めたりしないのか」
「! ……それは」
「そういうことだ、もう解放してあげよう」
気持ちはわかる。
だが相手がこちらの気持ちを気にしていない、ということもわかっている。
だからこそ、断るしかないのだ。
※
健やかな学園生活を送るには、当然教師が必要になる。
生徒に勉強だけ教えればいいものではなく、彼らの健やかな成長のために、時に厳しく時に優しく指導しなければならない。
たくさんの子供を一か所に集めて、勉強を教えようというのだ。
良いことばかりではない、悪いこともたくさん起きる。
そのどちらも、生徒の成長には必要だ。
教師の務めは、良いことに進むように導くことと、悪いことを終わらせるやり方を示すこと。
それが出来なければ、学校の先生にはなれない。
それは、とても難しい。だがだからこそ、学校の教師は医者や政治家のように、先生と呼ばれるのだろう。
「ヨイチよ……お前にいい知らせが三つもある」
魔女学園の理事長は、己の姪の一人であるヨイチを呼び出していた。
現在彼は、依怙贔屓なくらいの好待遇を、新人教師の姪に与えようとしている。
「お前の給料なのだが、新人教師の相場の、その十倍になった」
給料十倍、なんとも景気のいい話である。
仕事の内容が変わらないのに十倍なら、誰もがうらやむ好待遇だろう。
「さらに、お前へ縁談を持ってきた。お前の好む男子を、三人も用意してやった。選ぶ必要はない、三人とも婿にしていいぞ。足りないなら、十人ぐらい準備してやる」
権力を用いて、伴侶となる異性を用意する。
たいていの若者にとって、妄想してしまう都合のいい未来だろう。
「さて、最後だ。これが一番素晴らしい知らせだ」
カネ、イケメン、とくれば人が求めるのは……名誉であろう。
「お前はコチョウ閣下の担任教師になるのだ」
「いやあああああああ!」
身に余る光栄とは、まさにこれだろう。
荷が勝ちすぎる、ともいう。
「叔父様! わ、私、入門部の新人教師ですよ?! なんで精霊使いの親玉へ指導を任せられるんですか?!」
「親玉とはなんだ! 教師ならもっと言葉を選べ!」
「意味は同じじゃないですか!」
「子供たちの前でも同じことを言うのか!」
「うう……精霊使いの頂点に君臨する女傑へ、私が何を指導するんですか!」
言葉が間違っているだけで、親玉だとか精霊使いのトップという言葉は間違っていない。
国内の凄腕精霊使いを全員率いていたのだから、そこは逆に否定できない。
「お前にそんなことは期待していない! だが四冠様もコチョウ閣下も、特別扱いを拒否されている! ならば当初の予定通り、お前が教師を務めるべきだ!」
もともとヨイチは、入門部の担任教師になる予定だった。
正しく言うと、いくつかある入門部の中の、精霊学部の入門部である。
詳しく説明すると、入門部とは各学部へ進む前段階の総称である。小学校の低学年で習うような基本教養を教えつつ、各学部の導入部を指導することになっている。
「入門部からやり直したいと言っているんだ! 指導の内容に高水準など求めているわけがない!」
小学校からやり直したいと言っている人が、『小学生レベルね!』なんて怒るわけがないのだ。
「彼女を特別扱いするな、と言われているんだ! 普通の一生徒の一人として扱え!」
「でもそっちの方が絶対大変ですよ!」
「そうだな! だがそれが教師だ!」
本音と建前のコンフリクト。
一人の生徒を依怙贔屓するのと、全員を平等に扱うの。
どっちが大変かと言えば、後者であろう。
つまり模範的な教師は、とっても大変な仕事なのだ。
「それに! なにか問題が起きれば! 私が責任を取るんですよね!」
「その通りだ! お前が全部悪いんだ!」
「いやあああああ!」
仮にも担任教師になろうとしていた女性が、責任逃れなどしていいものではない。
だがその責任が、一族郎党皆殺しレベルになったら? 同じ責任と言えるだろうか。
「ヨイチ……やれっ」
「無理ですよ! 絶対に失敗しない、ベテランの先輩に任せてくださいよ!」
「……私の命令が聞けないというのか! 私は理事長だぞ、その命令に従わないのなら、この学校から出ていけ!」
上の命令に反するものは、追いやられる。
それが組織というものだった。
「今までお世話になりました」
「まてぃ!」
ちがうよ、出ていけっていうのは、出ていけって意味じゃないんだよ。
俺の命令に従えって意味で、出ていかれたら困るんだよ。
それが社会人、それが大人の男である。
「だって、あの四冠の狐太郎の仲間ですよ?! 下手したら王族への家庭教師よりも難度が高いですよ!」
「そうだよ! だからお前が一人で責任取れ! 私たちを巻き込むな!」
「旅に出ます、探さないでください」
「私を置いていくな!」
自分を探して旅に出るのは、若者の特権だった。
責任者は、責任から逃れられないのである。
「巻き込むなとか、置いていくなとか! 私にどうしろって言うんですか!」
「お前ひとりで抱え込め! カネも婿も用意してやるから! 一生遊んで暮らせるだけのカネを用意してやるから!」
「だから! 精霊学部の教員に任せればいいじゃないですか!」
「あいつ等だけはダメだ! そもそもあいつらが失敗したのがいけないんだ!」
従軍した精霊使いたちは、コゴエから説教された。
『我らがご主人様やコチョウは、節度を守っている』
山の妖怪である雪女が、雪山の権化のように圧を加えたのだ。
『なぜおまえたちに、それが出来ない』
それは、隠す気のない殺意だった。
『殺すぞ』
「私も死ぬところだったんだ!」
「最悪の場合、私は一人でそれをされることになるんですよね?!」
金も要らない、名誉も要らない、何もいらない。
今欲しいのは休暇、なんなら退職である。
今彼女は、コチョウや狐太郎と同じ気持ちになっていた。
「勘当にされてもいいです!」
「駄目だ!」
でも彼女はなんの実績もないので、拒否権がない。
「私が聞きたい返事はただ一つ! 『無理かもしれないし嫌ですけど、命令ならやります』だ!」
「いや~~~!」
この流れに逆らえるほど彼女は強くなかった、でも抗わないほど弱くもなかった。
「絶対に、いやああああああ!」
彼女はまだ、解放されることはなかった。




