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今回から舞台がちょっとだけ央土に移ります。
第三部と関係ない……と見せかけて真相へつながっています。
というか、今までないがしろにしてきた設定の説明になっています。
結局、戦争なんて起きなければそれが一番である。
だが起きたらその時は、国を挙げてどうにかしなければならない。
四方からの連合軍に対して、央土は全力で抗い、何とか勝ち残った。
そのために多くの犠牲者が出て、多くの戦死者が出た。
もちろん痛ましいことではあるが、だからこそ勇敢に立ち向かった者たちには相応の報酬を渡さなければならない。
武勲を上げたものは称賛され、尊敬され……栄光を約束されるのだ。
とはいえ、それを誰もが喜んでいるわけではない。
分不相応な栄光を得てしまうと、後光を放つどころか重荷を背負うようなものである。
かつて占領下にあった王都、そこにある魔女学園、精霊学部にて。
軍を抜けたコチョウは、再び勉学に勤しんでいた。
弟の失態のせいでつぶれた学部を、自らの武勲で復活させた彼女を待っていたのは……。
一時の部下からの、こびへつらいだった。
「閣下! おはようございます!」
「閣下! 本日はよろしくお願いします!」
「閣下! いいお天気ですね!」
魔女学園の精霊学部には、多くの生徒や教師たちが戻ってきていた。
その誰もが彼女のことを、閣下と呼んで尊敬の念を向けている。
特に王都奪還軍へ参加した『凄腕』たちは顕著であり、歴史の偉人と接する少年少女のような眼をしていた。
「閣下! 我が屋敷で今度パーティーがあるのです! どうかご出席願えませんか?」
「閣下! 私の息子と、ぜひ会っていただけませんか?」
「閣下! かの討伐隊での、武勇伝が聞きとうございます!」
生徒も教師たちも、全員がハイレベル。そんな中で彼女は、ひたすら閣下と呼ばれ続け……人気者として話題を独占していた。
それこそ一挙一動を周囲から大騒ぎされつつ、勉学に勤しんでいたのである。
(無理……もう耐えられない)
否、勤しめていなかった。
なんとも皮肉なことだが、学部の人間が彼女を閣下と呼ぶのは正当なことなのである。
彼女は王都奪還軍、第四将軍、コチョウ・ガオとして、国内の有力な精霊使いのほとんどを従えていた身なのである。
よってこの魔女学園精霊学部でも、有力な教師や優秀な生徒はみんな彼女の元部下なのだ。
なのだから、有力でもない教師や優秀でもない生徒たちも、彼女へこびへつらうことになる。
それに耐えられるほど、彼女は図太くなかった。
(もう戦争は終わったのに……私はいつまで閣下と呼ばれないといけないの?)
ここで重要なのは、彼女は一人前の精霊使いであるということ。国内随一でもないし、国内屈指でもないし、超一流ですらない。
才能が有り真面目に勉強し、なおかつ国内屈指の危険地帯で、最強の討伐隊として勤務してきた身ではある。だがそれでも、若手の実力派という程度。それが彼女の器量、限界なのだ。
先日のように国中から実力者を集めれば、埋もれてしまう程度の存在に過ぎない。
もちろんそんなことは、誰だって知っている。
将軍へ任命したジューガーも、彼女の上司だったシャインも、他の精霊使いたちも、彼女の実力を正しく認識している。
だがそれでも、彼女には媚を売られるだけの理由があるのだ。
(狐太郎様が恨めしい……)
討伐隊に参加していた彼女は、尋常ならざるほど太いコネがある。
全員と親しいなんてことはないが、よりにもよって狐太郎とは縁が深いのだ。
そのあたり奇妙な関係なのだが、彼女は狐太郎へ直接会えるだけの力があることは事実である。
何なら頼みごとをしても、内容次第なら快諾してくれるほどだった。
というか……精霊使いたちが狐太郎へ要求を通す場合、彼女を窓口にすることになっている。
元々彼女が第四将軍になっていたのは、そういう役目を期待されてのことなのだが……。
戦後も続くとは、さすがに嫌気がさしてくる。
(コゴエさんもそうだけど、ノベルさんもウズモも……私がお願いすればどうにかなってしまう……みんなが私に群がってくるのは、当たり前だわ……!)
もちろん周囲の精霊使いたちも、ランリを繰り返すまいと必死である。
互いに監視し、牽制しあい、うかつなことを彼女へお願いしないようにしている。
しかしそれはそれとして、彼女と私的なつながりを持とうともしていた。
はっきり言ってお断りしたいのだが、彼女は立場が弱いので強く出られないのである。
(狐太郎様は四冠ゆえに、途方もなく身分が高い……だから門前払いも許されるけど、一生徒になった私にそれは無理……だからこんなことになっているんだけども……!)
初心に帰って勉強しなおそうと思ったのが間違いだった。
分不相応な将軍職を返上して残ったのが、分不相応なコネだけだったのだから笑えない。
いっそ開き直って、狐太郎とのコネを活かした人生を送ればいいのだが……。
ランリの姉である彼女には、それは無理だった。というか彼女は恥を知っているので、そんな厚かましいことはできなかった。
(魔女学園から別のところへ行くとしても……国中の凄腕精霊使いは私の元部下……あああああ! 将軍なんてなるんじゃなかった……!)
顔と名前を偽って再出発するとしても、精霊使い同士なら精霊を見分けられてしまう。
たとえコチョウが覚えていなかったとしても、相手は確実に記憶しているはずだった。
(いやもうこの際……教師については諦めるとして……学友だけでもなんとかしないと……)
彼女とて真面目に勉強したいのである。
先日の戦争に召集されていない、二流の似非精霊使いに習いたいわけではない。
だから教師から気を使われるのは諦める。だが生徒から閣下と呼ばれるのは嫌だった。
(もう、耐えられない……!)
シュバルツバルトという世界屈指の危険地帯で、討伐隊の職務を全うした才媛コチョウ。
その彼女をしても、周囲から狙われる状況には耐えられなかった。
※
さて、それではどうしたのか。
コネを使ったのである。
「そういうわけらしいのよねえ~~」
「そういうわけなのです……」
「そうなったんですか……」
コチョウはまず、直属の隊長だったシャインを頼り、そこから更に狐太郎へとパイプをつないでもらった。
現在彼女は王都にいる狐太郎たちの部屋に入り、護衛や魔王に守られている彼へ接触していたのである。
まさに、ぶっといコネであった。
「ねえクツロ、今のコチョウさんってすごく少女漫画の主人公みたいだよね。タイトルは『将軍閣下と呼ばないで!』とかそんな感じ」
「そんな感じっていうか、直じゃないの……でも売れそうね」
コチョウが苦笑いをして、両手で頭を抱えている漫画の表紙が思い浮かんだ。
これで美男子がたくさんいれば、コメディとしてすごく完成している。
まあ漫画家の実力が問われるところではあるが……。
「……ねえノベル、貴女は長く生きていて精霊を扱うのも得意でしょう? 大地の精霊使いとはいえ、彼女に指導もできるんじゃない?」
ササゲは護衛の一人であるノベルへ、一応の確認をした。
突き詰めれば勉強したいだけなのだから、学校に通う必要はない。
身内で賄えるのなら、それが手っ取り早くはあるだろう。
「ああ、魔王陛下。どうかお許しください、私にそれは無理でございます」
だがノベルは、大げさに無理だと断った。
「ご存じの通り、私は二重の特異体質。大地の精霊との完全親和に加えて、蓄積限界のない体質。それゆえに私はコゴエ様と変わりのない体であり……普通の使い手へ指導できません」
「……なるほど、コゴエが人へ指導するようなものね」
(そりゃそうだ……体に負担がない人と、ある人で話が合うわけがない)
ノベルやブゥは共に、ギフト使いとして最高の素質を持っている。
精霊や悪魔からどれだけ力を借りても、肉体に全く影響を受けないのだ。
だからこそ逆に、影響を受ける人へ指導ができない。
これも一種の天才性の弊害だろう。
「しいて言えば、魔境にある希少な地形、金属、結晶などには詳しいですね。変身してサンプルになることも可能です。また副次的に植物の生産も得意です、サンプルも多く持っていますので、実演も可能ですよ」
「……それはそれでほしいわね。力になってくれる?」
「ええ、狐太郎様のご許可さえいただければ」
(どうしましょう、シャイン隊長が別の方向へ話を変えてしまった……!)
ノベルの説明を聞いて、シャインは目を輝かせていた。
それに対してコチョウは危機感を覚えるが、相手が相手なので文句を言えなかった。
「ご主人様。恐れながら、コチョウ殿が困っておいでです」
だが代わりに、コゴエが狐太郎へ文句を言った。
狐太郎としては『へ~、シャインさんにはお世話になってたしな~~』ぐらいのノリで、何時どれぐらいノベルを貸すのか考えていたほどである。
コゴエに言われるまで、思いっきり趣旨を忘れていた。
「あ、ああ……それで、具体的にどうするつもりなんですか?」
改めて仕切りなおす狐太郎、果たして彼女の要望は如何に。
コネがあったとしても、解決案を出してくれないと何も始まらないのだ。
「いろいろ考えたのですが……入門部からやり直そうかと……」
「……?」
よくわかるようなわからないような単語が出てきたので、狐太郎は困ってしまった。
おおむね意味合いは察せるのだが、どれぐらいの意味なのかが分からないのだ。
(文脈からして、小学校や中学校に入学するって意味だよな……? 周りの生徒が何歳っていう設定なんだ?)
狐太郎には教養があるので、よくわからない単語を決めつけることがない。
ただ大体意味が分かるだけに、『それってどういう意味?』と即座に聞くことができなかった。
「ブゥ君……入門部って何?」
「狐太郎さん、本人に聞いてくださいよ……」
なので側近に聞いた。そしたら嫌そうな顔をされた。
「入門部っていうのは……僕もよく知りません」
しかも、狐太郎と同じような回答だった。
「確か、普通の学校とは違う……塾? みたいな? ものの? ……よく知りません」
「ああ、うん、ごめん」
狐太郎も聞いた己を恥じた。
狐太郎も日本に生まれていたが、専門外のことについては無知である。
ブゥも悪魔使いなので、他の事には無知なのだろう。
「入門部っていうのは、高等学部へ進学するための、準備の学部なのよ」
説明を請け負ったのは、さすがのシャインであった。
「精霊使いになるためには精霊学部に入らないといけないけど……いきなり専門的なことを教えるのも難しいでしょう? それに実演するっていうのも、とても危ないことだし……なによりも、そこまで専門的なことを学びたい人ばかりでもないでしょう?」
国家全体からすれば、国家に貢献できる人材を多く確保したい。
専門的で高度な技術を持った人間を、多くの学校から輩出してほしい。
しかし各々からすれば、『誰でもできる仕事に就くか』と『誰にもできない高度な仕事に就くか』の二択だけだと嫌だろう。
それに敷居を上げすぎるのも、心理的に好ましいことではない。
かといって下げすぎれば、軽い気持ちの人間が入ってくることになる。
「だからまず、入門部で基礎的なことを学ぶのよ。それこそ本当に基礎的で、常識的なことをね。入門学部を卒業して終わりの人もいるし、さらに上を目指す人は高等学部、この場合は精霊学部へ進むのよ。コチョウちゃんもランリ君も、そこを卒業してから精霊学部へ進んだのよ」
(イメージはわかるし、何なら普通だが……年齢は?)
細かく説明された狐太郎だが、一番知りたいことがわからなかった。
果たして入門部とは、どの年齢層の生徒が入るのだろうか。
「……結局小学校なの? 中学校なの?」
「どっちかというと、自動車の教習所とか職業訓練校みたいなものじゃない? 私たちが想像する義務教育とも高等教育とも別なんでしょう、多分」
狐太郎と同じ種類の疑問を持っていたアカネに対して、クツロは回答を示していた。
なるほどそれなら筋は通る。特定の年齢層だけが通う学校ではないから、シャインはそれを説明しなかったのだ。
(いやよく考えれば、大学も高校も、本来はどの年齢でも通えるはずだしな……この世界では特にそうかもしれない)
誰もが学校に通うのが当たり前だと、学校=年齢層みたいなイメージが強くなってしまう。
それが間違っていることを認識して、狐太郎は一応確認する。
「すみませんが……その入門部って、どれぐらいの年齢の方が通うんですか?」
「私は飛び級で高等学部に入ったから、なんとも……」
「……そうですか」
圧巻のアッカをして天才と言わしめた、当代きってのスロット使いシャイン。
彼女を常識で当てはめることが、すでに間違っているのかもしれない。
「あ、やっぱりそこが気になりますよね……」
落ち込み気味のコチョウは、弱気な声で話し始める。
「誰でも入れるんですが、十代後半の子が多いです」
「……初心に帰るのはいいと思いますよ」
コチョウもごにょごにょ歳なので、十代後半の子に混じるのは大変だろう。
だがそれでもいいと、彼女は決めたのだ。
(ねえクツロ。これって、コチョウさんが男の人だったら犯罪臭がすごくない?)
(それは邪な考えね……でも私が親だったら、ちょっとだけ心配だわ)
なお、客観視するとちょっとどうなんだろう、と思ってしまう。
しかし勉学の自由は彼女にもあるだろうし、そもそも真面目に頑張ろうとしている彼女へ邪推する方がどうかしている。
「アカネ、クツロ。お前たちが何を言いたいのかわからないが、いくら何でも失礼だろう」
「……コゴエ、よく考えなさい。コチョウは経歴詐称するつもりなのよ?」
「……なるほど、それは問題だな」
冷静なコゴエは真面目に諭すが、ササゲからの指摘を受けて否定側に回った。
いろいろおいておいて、学友を欺くことに変わりはない。
「……権力の乱用ですね」
「気持ちはわからないでもないけど、それぐらいはいいじゃない」
ササゲの指摘で正気になった狐太郎だが、シャインはむしろ乱用へ肯定的である。
「私たちが、どれだけ身を粉にしたと思っているのよ」
その短いセリフには、怨嗟が込められていた。
「これぐらいのことでガタガタ言ってくるのなら、私も乱用して潰すわ」
「……怖いセリフですね」
元より軍属を嫌がっていたシャインである。
その後遺症ともいうべき状況に陥っているコチョウへ、親身になっていた。
むしろこの状況に、怒りさえ覚えている。
それに対して狐太郎は肯定的にはなれない、だが否定的にもならない。
気持ちはわかるのだ、気持ちは。
「シャインさん……」
「アカネちゃん、いいのよ。でもね……まあ怒ってはいるわ」
彼女と一緒に戦ったアカネは、非常に共鳴している。
きっと戦場を共にした者にしかわからない、特別な絆があるのだろう。
「まあとにかく、狐太郎君にはコチョウちゃんを応援してほしいのよ。それだけで十分よ、貴方の権威は絶対的だから。特に精霊使いには、ね」
シャインは非常に苛立たし気だった。
もしかしたら、ここまでイライラしている彼女を見るのは、初めてかもしれない。
狐太郎へ協力を強要している、もはや議論さえ許さなかった。
「応援……具体的には?」
「緘口令よ。コチョウちゃんを知っている人へ『特別扱いするな』『コチョウちゃんの正体を積極的に教えるな』とだけ言ってちょうだい」
緘口令を出せと言っているシャインに対して、狐太郎は嫌そうな顔をした。
さらに言うと、彼のそばにいるブゥも嫌そうな顔をした。
悪魔使いたちにとって、緘口令を強要するのは、それこそヘイトを買いまくる行為なのである。
(やべえ……絶対、超、怖がられる……ものすごく具体的に、不安材料が多すぎる……)
(僕は狐太郎さんの護衛だから、一緒にいないと駄目だよね……ヤバい……すごく怖がられる)
しかしながら、こうも不機嫌なシャインを放置するのもよくない。
今までさんざんお世話になってきたのに、こんな我がままも通せないのは悪い気がする。
「……わかりました。ただ、やり方は任せてくれませんか?」
「どういうこと?」
「ご存じの通り、俺もブゥ君も悪魔使い。下手に強要をするのはよくないんです。それに……彼らも彼らで、頑張ってくれたと聞いています」
これで精霊使いたちが安全地帯で何もしていなかったなら、それこそ狐太郎も怒るだろう。
だが彼らは彼らで、コゴエの元で頑張っていたのだ。その彼らを否定するのは、戦場に誘い込んだ狐太郎にとってつらいことである。
「なんとかこう……報酬を用意する感じにしますんで……」
ただ禁じるのではなく、要求に対して報酬を用意する感じにすれば、まあ何とかなるだろう。
なんだかんだ言って、精霊使いへの報酬は有耶無耶になっている感じがあったのだし。
まあウズモと一緒に働かせたことが、彼らとしては報酬みたいなものだが。
「黙っててくれたら、いいことしてあげるよって感じで……」
「……必要あるの?」
「俺たちの今後に関わるので……まあとにかく、最善は尽くしますよ。ただ……」
狐太郎はふと思う。
以前にリゥイたちの預かっている子供が、『俺は四冠様の友達なんだぞ』と言って回って……。
普通に『第三将軍様の家族だぞ』って言えばよかったじゃんということになったことを。
「バレた時、大変ですよ?」
シュバルツバルト討伐隊、蛍雪隊隊員。あるいは王都奪還軍、第四将軍。
よく知る者たちからすれば下の方だが、世間一般からすれば四冠とも大差ない。
というか、こうやって四冠へ話を通せている時点で、実質四冠みたいなものである。
「もう開き直って、英才教育みたいにしたほうが、相対的に被害は少ないのでは……」
「そうですよね……でも私……」
弟の贖罪の為に頑張ってきた彼女は、無理を通す理由を口にした。
「もう一度……学校に通いたいんです……」
「……わかりました、じゃあ俺も最善を尽くします」
四冠の狐太郎。
誰よりも虚弱な男であるが、一旦請け負えば国家さえ救う怪物である。
(こういう人だから、ガンガン頼られるんだよなあ)
そんな彼を憂う、親友のブゥであった。




