夢の中でも憧れて
世界の性能を落として、人々や作品を停止させるという恐るべき敵。
正直スケールが大きすぎて想像しにくい脅威なのだが、ゲームハードの性能を落としているんだよという説明になるとしょぼく思える。
とはいえ、戦うことに迷いはない。
蛇太郎とマロンたちは、フリー素材の一つである『大型ホテル』を丸々借りて、その中で夜を越していた。
「あくまでもデジタル的なものだから、実際に施工しているわけじゃなくて、設計まででいいんだろうけども……それにしてもすごいな」
スイートルームの一室どころか、豪華なホテルを丸々借り切っている。
従業員などのNPCは用意されていないが、それでも荘厳な雰囲気の建物を独り占めしている実感は、あまりにも贅沢である。
「クラフト系のゲームだと、ゲーム内で自分が作ったものを配布できるらしいけども……細かいところまで、本当に作りこんでいるな」
自室という形であてがわれた部屋の中で、蛇太郎は重箱の隅をつつくように家探しをしていた。
普段はゲームをしてもここまで細部を気にしないが、今の彼は童心に返ったように隅々まで観察していた。
椅子のように同じものがたくさんある家具は、それこそ判を押したように木目まで同じだった。
その一方で、一つ一つを見れば精巧の極みである。実物の転写ではないとわかる一方で、並々ならぬ情熱が注がれていると分かった。
もちろん部屋そのもの、壁紙や床なども同じだ。
パターンめいたものはあるのだが、そのパターン、定型、金型を作るのに労力が割かれていた。
これはこれで、職人芸と言えるのではないだろうか。
「これは重くなるよなあ……」
世界が重くなる必然、容量がなくなる必然を理解し、蛇太郎は感嘆していた。
何日も居つけば飽きるだろうが、今の彼は『創作物』に夢中だった。
「そ、その、失礼してもよろしいですか?」
「ラージュ?」
その彼の部屋へノックをして入ってきたのは、アルトロンのラージュである。
軽くドアを開けた後、ドラゴンの首を突っ込んできて、中を確認してから入ってきた。
彼女のドラゴンの首は背中から枝分かれしているため、前を向きながらドアを少し開けて、そのあと背中をむけてドラゴンの首を突っ込んだのだろうと推測できる。
もじもじとしているが、呼んでもいないのに来たのだからかなり積極的である。
だがその積極性は、やはりここまでが限界だった。
積極性の限界ギリギリのところで、彼女は言葉を切りだす。
「そ、その……このホテルって、最上階に食堂があるそうですよ……!」
「へえ……」
「も、もしよかったら……そ、その、その! あの!」
汗をかきながら、顔を真っ赤にしながら、二つの顔を同時に動かした。
「お、お茶しませんか?!」
まるでナンパの誘い文句だったが、実際同じようなものであろう。
だが必死な様子の彼女を追い返すほど、蛇太郎は薄情ではない。
それだけではなく、ただ観察するだけでは不義理と思ったのかもしない。
「そうだな、せっかく泊まるんだもんな」
細部までこだわって作られているとしても、重箱の隅をつついてほしいわけではあるまい。
こうして誰かと語らうシチュエーションの為に、こうした雰囲気はあるはずだった。
※
何もかもが作られた世界、ただ雰囲気を作るためのホテル。
その最上階にあるレストランで、ペットボトルの中身を移しただけの紅茶と、プラスチック包装されていたスコーンが皿の上に置かれていた。
当然だが、どちらも十分に美味しい。先進的な科学の発達した楽園を基準にしているため、紅茶もスコーンも文句のない味だった。
「こ、こういうのって、お嫌いですか?」
「積極的にはやらないけど、結構好きだよ」
二人共多弁ではないので、誰もいないレストランは沈黙に包まれている。
ラージュは蛇太郎が退屈なのではないかと聞いているが、蛇太郎は悪くなさそうな顔だった。
「で、でも、その……せっかくのレストランなのに、こんな喫茶店みたいなおままごとだと……」
「言いたいことは分かるけど、俺にとってはこれぐらいが丁度いいよ。どうせ味なんて分からないし」
夢の世界で最高級のレストランにいて、コンビニで売っているようなものを食べる。
夢がないような話だが、これで本物のレストランの本物の料理があったら、恐縮して楽しむどころじゃないだろう。
「へ、蛇太郎さんは、現実ではこういうお店に入らないんですか?」
「入ろうと思えば入れないわけじゃないけども……いや、入れるか?」
まだ人生経験の浅い蛇太郎は、こうした高級店に入ったことがないし、入ろうと思ったこともない。
よって相場というものがわからないし、ドレスコードやら一見さんお断りやらもわからない。
そうした敷居の存在を知っているが、知っているだけなので断言できない。
「……少なくとも、そう簡単に行けるところじゃないな」
「ま、真面目に考えてくれるんですね!」
とりあえず、お高いことは確実である。
誠実に答えを出そうとした結果、安易な結論に達していた。
「難しいのはわかりました。でも行こうと思えば行けるんですね」
「それは、まあ」
「私は、いけませんから」
少し寂しそうに、彼女はレストランの内装を見た。
「今のこの世界は、地獄の悪夢によっておびやかされています。だからこうやって、誰もいないんですけど……普段はNPCの人たちがたくさんいるんですよ」
日常の世界は、それこそ理想的な日常である。
だからこそ非日常を味わうための、高級なホテルやレストランはない。
そしてそれに伴う、上品な雰囲気もまた存在しない。
「日常の世界はとっても賑やかですけど……ここでの厳かな感じも、素敵なんです」
「……そうだな」
特別な一瞬を提供したい、その思いでレストランは作られている。
それを模したこの場所も、やはり素晴らしい雰囲気があった。
「でもこれを作っている人たちは、まだ不十分だと思っているみたいなんです。本当のホテルは、本当のレストランは、こんなものじゃないんだって……」
「それはすごい凝り性だね……」
「ですから、その……ご主人さまが、本物の高級ホテルやレストランを知っていたら、話が聞きたいなって……」
夢の世界、あるいは違う世界の住人だからこその勘違い。
その世界で生まれているのなら、誰でも同じように体験しているはず、という先入観。
魔法がある世界なら、誰でも魔法が使えるはず。
学校がある世界なら、誰でも勉強ができるはず。
その地の名物なら、誰でも食べたことがあるはず。
もちろん、実際にそういうものもあるだろう。
だが高級店は、むしろ特別であること自体が意味を持っている。
誰でも行けるのなら、むしろその特別さを欠いてしまう。
だが、背伸びをすれば、頑張れば、お金を貯めれば行けなくはない。
それが蛇太郎にとっての高級店だった。
(そうか、この子にとっては本当に手が届かない憧れなんだな)
行こうと思えば行けるからこそ、そこまで行きたいと思わない。
具体的にどれぐらいの金額が必要なのかもわかるから、あえて行きたいと思わない。
だが絶対に行けないから、憧れが強くなるのだ。
「現実の世界って、この夢の世界よりずっと素敵なんですよね? 私には、想像もできません」
ラージュの2つある顔が、同時に曇っていた。
それを見た蛇太郎は、なんとか彼女を励まそうとする。
実際の高級店を知っているわけでもない彼は、自分の中の言葉を必死になって探して。
それを、口にした。
「確かに、現実のレストランは素敵だと思う。この夢の世界を必死になって作った人がいるように、現実の世界でもたくさんの人が頑張ったと思う」
なんとか、言葉を形にする。
「でも……ここだっていいところだと思う。それに、大事なのはどんな人と一緒なのかじゃないかな」
せっかくの素敵なレストランも、相手が駄目なら嫌な思い出にしかならない。
素敵な相手と素敵な時間を過ごすために、素敵な場所はある。
「よくわからないくせに知ったふうなことを言ってるとは思うけど……きっとそうだよ」
「……私にはわかりませんけど、そうだったら素敵ですね」
リームとの語り合いも、悪くはなかった。
だが彼女の押しが強くて、ただ流されているだけだったのかもしれない。
蛇太郎は少し調子のいいことをいいながら、ラージュとの語り合いを楽しんでいた。
「他にもたくさん、同じようなところがあるんだよね? もしよかったら、教えてくれないか?」
「え、あ、はい……えっと、その、たくさんありまして……」
「ゆっくりでいいから、教えてくれ。俺もそれに興味があるんだ」
※
一晩が明けて、蛇太郎たちはホテルを後にした。
アルトロンのラージュから、なんとも要領の得ない話を聞いた彼は、しかしなかなかどうして充実していた。
(そうだよなあ、いきなり聞かれてもおすすめの場所なんて言えないよなあ……無理を言わせたなあ)
「何をにやにやしているんだい、君は」
「あ、いや、なんでもない。やる気はあるからさ」
「こっちの苦労も知らないで、まったく……」
これから、ナイトメアとの戦いである。
もうちょっと緊張感を持ってほしい、というマロンのにらみつけには蛇太郎も素直に謝った。
「……ごめん」
「君はまったく……」
「……ちょっとまて」
蛇太郎はただ流されるままにここへ来た。
なので今まで疑問に思わなかったが、ここに来てとんでもないことを思い出した。
「四終のところには、どうやっていくんだ?」
「徒歩だよ」
「……最高だな」
前回はビルの屋上からトランポリンだった。
そのまま上空で戦いが始まって、そのまま落下しながら戦って、墜落して終わった。
夢の中だから、と言えば話は終わる。
だがまた同じようなことが起きたら、と思うとやりきれなかった。
「地に足をつけて出向けるとは……最高だな」
「君はずいぶん気楽だね……性格がよくわからなくなってきたよ。でもまあ……これだけは言っておこうか」
妖精であるマロンは、それこそわかりやすく警告をしていた。
これからの道のりは、まったくもって楽でも楽しくもないと。
「これからの道は、君の期待通りだよ」
「もしかして、皮肉か?」
「そうさ……君の期待なんて、ろくなもんじゃないってことだよ」
年長者がもつ、若年層への軽蔑。
それはある意味経験に裏打ちされた、正しい怒りだった。
それに対して、蛇太郎は嫌悪感を抱かない。
むしろ襟を正し、生唾を吞みながら、彼の後に無言で続いた。
マロンを先頭に、蛇太郎たちは縦一列に並んで歩いていく。
夢の世界だからなのか、歩いても歩いても疲れることはない。
一体どれだけの距離を歩いているのか、その感覚はマヒしている。
たとえるのなら、高価なルームランナーについている『走っている風景を映す機能』のようなものだろうか。
周囲の風景は、何度も何度も、大きく変わっていく。
歩いて歩いて、歩き続けて。
そして『果て』ともいうべき場所に着いた時、そこにはリアルが存在していた。
「ここは、最初の栄光か……」
「ああ、あの墓を見たんだね? それなら話は早い、つまりそういうことだよ」
相田が言っていた『大昔の栄光』。現実から持ってきたような、リアルな敵兵。
人間と敵対していた時代の、凶暴で獰猛なモンスター、のような『敵ユニット』。
それが文字通り、屍山血河となって地形を構築している。
「地獄絵図だな……」
一将功成りて万骨枯る、夏草や兵どもが夢の跡、国破れて山河在り、下天の内を比ぶれば夢幻のごとくなり。
あまりにもわかりやすい、余りにも残酷な地獄。大量の死体、その山である。
異臭の類は全くしないのだが、それでも蛇太郎は口や鼻を押さえた。
彼自身の精神的不調からくる、体調の変化による『臭い』が、彼自身の嗅覚に影響を与えたのである。
つまり雑に言って、吐きそうになっていた。
「この世界の人々も昔は、こうやってたくさんの『敵兵』を相手にして、倒して悦に浸っていた。決まった動きをする、倒せるようになっている、ほどほどに苦戦を楽しめる敵を倒す遊びに興じていたのさ」
「……むごいな」
「ただのコマだよ。わかるだろう、コピーアンドペーストされただけの……雑魚敵さ。まあ雑魚的と言っていいのかもね」
ぶっ殺してすっきりするために、ぶっ殺した後の首級にするために、スコアとして転がっている残骸。
あまりにも膨大な戦果は、モンスターと共存している蛇太郎には刺激が強かった。
「グロテスクだな……」
「……嫌いかい? でも君は、こういう『まともさ』を求めていたように思えるけどね」
「……俺が、間違っていたよ」
「わかればいいさ」
凄惨なる戦場で、世界を滅ぼす強大な敵が待ち構えている。
なるほど、蛇太郎の求めていた展開かもしれない。
しかしそれは、実際に見てみれば痛快でも愉快でもない。
ただただ、心が辛いだけだ。
(この四体だって、ここに来たくはなかっただろう……俺が能天気だったことが、苛立たしかっただろうな)
ああだこうだと文句をつけていた自分が、恥ずかしくなってくる。
本当に世界を救う本格的な戦いを求めていた 自分はあまりにも無思慮だった。
「それで、ここにいるのか?」
「ああ……四終のひとつ、地獄の悪夢はね」
あまりにもありきたりで、だからこそ普遍的な嫌悪感を抱く、大量の死体の山。
わかりやすい地獄の中から、地獄そのもののモンスターが現れた。
『ジゴジゴジゴジゴ……待っていたぞ、マロンよ。そして、この世界を滅ぼすものよ!』
日本における地獄とは、八大地獄と八寒地獄に分かれている。
毒や剣山、燃え盛る炎などがあふれる八大地獄に加えて、凶器的な形状の氷によって形成されている八寒地獄。
体の左右が相反する地獄でできているこの悪夢は、全体としてルーローの三角形めいたシルエットをしていた。
そしてその中央部には、大きな無間地獄、ブラックホールが構築されている。
『栄光の世界を滅ぼすこの我を、阻むために現れた者たちよ……愚か、愚か、愚か! 誰もそんなことを頼んでいないというのに!』
そのブラックホールの口から発されるものは、ブラックホールジェットなどではない。
無駄なあがきを行う者たちへの、全力での嘲りだった。
『この世界の誰もが! しかるべき報いを求めているというのに!』
「誰かを傷つけたわけでもないのに、地獄に落ちたがっているとでもいうのか!」
『ははは! 自罰だ、自罰だ! 他でもないやつら自身が、地獄に落ちて罰を受けたいと願っているのだ!』
蛇太郎の反論を、地獄は嘲りで返す。
『これを見ろ! この古戦場こそが、奴らの醜さの表れだ! 奴らは皆、自分の行いを醜いと思っている! だからこそ、罰を受けて終わりたいと願っているのだ!』
大量に重なった死体を、たいていの動物は餌だと思うだろう。
虫も魚も菌も、大喜びで群がり、食らうはずだ。死体の山は、宝の山に他ならない。
だが人間は、これを醜いと思う。
自分が自分の利益の為に戦ったことを、その結果を醜いと思う。
その代替行為にさえ、悪感情を禁じえない。
だからこそ、罰を求めている。
『自らの行いを悔いることこそ、禍の箱に残された最後の希望! 自分を許せぬ人に許された、最後の救いなのだ! 貴様らは罪人に対して、地獄に落ちることすら許さないというのか!?』
創作は重なり、生み出された障害は増し、倒されるべき存在は積まれる。
栄光の犠牲を悼む気持ちの表れが、この怪物を生み出したのだとしたら。
「俺は……違うと信じる!」
蛇太郎は無臭の死体の上に立ちながら、それでもインプットワンドを構えた。
「悪いことなのかどうなのか、酷いことなのかどうなのか、罪があるのかないのか。地獄に落ちるべきなのかどうなのか! それは、本人が決めることじゃない! その理屈なら、厚顔な奴は地獄に落ちないことになる!」
この世界で夢を見ている人たちが、リアルなダメージ描写を、ご都合主義の犠牲を生み出すことを悪いと思っていても。
それは実際に誰かを傷つけたわけではないし、犠牲を出したわけでもない。
夢見ただけのこと、心の中で思ったことや考えたこと。それに罪など、あるわけもない。
「確かに罰は必要だ! だがこの世界の人たちは、地獄に落ちる必要はない! それだけは、絶対に確かだ!」
『……そうか! やはりお前は、世界を滅ぼす資質がある!』
「とんちんかんなことを……!」
『ジゴジゴジゴ! お前は自分がまともだと思っているかもしれないが……本当に、自信をもって、自分がまともだと言えるのか?』
ごうん、と。
空気が重くなった、水のような抵抗を感じる。
これが時間の進みが遅くなっていく証明ならば、やはり目の前の相手は怪物だ。
「蛇太郎……少なくとも僕には、目の前のアレはまともにみえないよ」
「ああ、同感だ! ゲーム作ってるだけのやつを地獄に落とすなんて、それこそ正気でも何でもない!」
マロンからの保証を受けるまでもなく、蛇太郎に迷いはなかった。
「このまま奴をのさばらせれば、あのホテルも……ラージュが好きな場所も、つぶされて無くなる! それは……駄目だ!」
戦う価値がある、抗う意味がある。
思い出を残したいという願いが、蛇太郎の中で輝いている。
『いいや、潰す! この罪も、罪を隠す飾りも! 何もかも、潰して消してやる!』
活力の輝きを飲み込まんとするは、『加熱』にして『停止』、『時間』を潰す『重力』。
どうにもならない、縮んでいく限界。
『我こそは意思を得た技! 意のままにならぬ環境!』
『四終が一つ、地獄の鉄槌! メーカートラブルである!』
四終、メーカートラブルが現れた!




