井の中の蛙大海を知らず
身分証明書を、三人が持っているのかいないのか。
一つ言えることがあるとすれば、持っていたとしても意味がないということだろう。
三人にとってこの国は外国であり、必然的にパスポートのような外国人用の証明書が必要になる。
しかし彼らの故郷とこの国に国交があるとは思えないし、仮にあってもビザのような滞在申請をしているわけではないし、なによりも三人は犯罪者なので普通にお縄になる可能性が高い。
よって、持っていないの一択である。
「……身分証明書が必要なんですか」
「当たり前だろうが」
呆れているCランクハンターに対して、麒麟は顔を引きつらせる。
しかしCランクハンターの方が、よほど面倒に巻き込まれていた。
なにせ彼には一切非がないのに、獲物を台無しにされた挙句常識を説明しなければならなくなったのだから。
「っていうかだな、お前ら。『身分証明書』のことを知ってるな?」
Cランクハンターの顔には、もはや軽蔑さえ浮かんでいる。
「身分証明書のことを知ってて、なんで持ってないんだ」
身分証明書の概念は、非文明人にはわかりにくいだろう。
どこで暮らしている誰の子供で誰の親で何の仕事を今までしていて、何のためにここに居るのか、などが書かれた公文書である。
これが何のためにどうして必要なのか、それはなかなか説明が難しい。
とはいえ、知らずに持っていないのと、知っていて持っていないのでは、話も全く変わってくる。
「なくてもハンターになれると思っていたので……」
「バカにしているのか、お前」
およそ文明の存在する世界において、身分証明書がなくても就ける仕事というのは相当下か、あるいは法律の外側である。
身分証明書がなくてもハンターになれると思っているのなら、ハンターのことを違法稼業かなにかと混同している証拠だ。
それをハンターに向かって言うなど、相当侮辱している。
「とにかく、故郷に帰れ」
むしろCランクハンターは相当優しいだろう。
死ねだの捕まれだの言わずに、とりあえず帰ることを勧めているのだから。
「……帰りません」
「ああ?」
「僕たちには、帰れない理由があるんです」
「言えないような理由か?」
「はい」
三人は事故めいたワープによってここに居る。
はっきり言えば、帰る手段などない。しかし帰ることができたとしても、今の三人は帰らなかっただろう。
もはや三人にとって、帰る場所などないのだから。
「……つまりだ、お前らはどこから来たのか、どうして来たのか、なんで帰れないのか、言うつもりがないんだな? 言えない理由なんだな?」
「はい!」
「信用できないってことだな、失せろ」
しかしそんなことは、Cランクハンターにとってはどうでもいいことだったわけで。
「……信用、できませんか?」
「なんでできると思ったんだ」
見た目はかなり荒々しい恰好をしているCランクハンターなのだが、言っていることは極めてまともである。
なにせ彼は国家公認の職業であるハンターのCランク、一般からの出身者では最上位である。
つまり周囲から信頼されている、実績のある実力者なのだ。
だから怪しい話には手を出さなかった。社会人として、当たり前の心得である。
「僕たちは、故郷では抑圧されていました……あそこに自由なんてありません、僕たちはそれを求めてここに来たんです!」
「ハンターの仕事に自由なんてねえよ!」
仮にもCランクハンターに向かって、『ハンターっていいっすよね、自由で勝手気ままで、やりたい放題なんでしょ? 憧れるっすわ~~俺もなりたいっすわ~~』と言っているのである。
もう一回殴られても文句は言えなかった。
「ないんですか?」
「あるわけないだろうが! お前ふざけてるだろ! どこまで馬鹿にすれば気が済むんだ!」
もちろん底辺層ならば、そういうこともある。
好きな時に好きな仕事を受けて、金はあるだけ使うその日暮らしということはある。
しかしそれは、言うまでもなくクズの生活感だった。
ちゃんと信頼されているCランクハンターは、ちゃんと規律を守っているのだ。
「さっきのワニがいただろう? 俺はあれらを殺して捕まえる仕事をしているわけだ。そのワニを全部食うわけじゃない、近くの人里にある解体職人の兄ちゃんに卸しているんだよ。さらにその兄ちゃんが解体した肉を燻製屋に卸して、出来上がった燻製をさらに山を下りたところにある大きめの宿屋やら食堂やらに卸しているんだが……ノルマがあるわけだ」
「……ノルマがあるんですか」
「責任のある仕事だからな」
狩猟は、農耕や漁業と同じく生産職に当たる。
彼が捕獲したワニが様々な加工を経て小売業に流されていくわけだが、基本的には安定した供給が望まれる。
仮に気分が乗ったとかで普段の十倍ワニを捕ってきても、解体職人が十倍も捌けるわけがないし、よって文字通りの意味で腐らせてしまう。
もちろん捕れない時期が続けば、それはそれで解体職人も燻製職人も宿屋も困ってしまう。
自分の体調管理も含めて、狩猟のシーズン中は安定した生産を心掛けるのが、いいハンターというものである。
「あの」
「ん?」
「貴方はモンスターと戦うお仕事なんですよね?」
「さっきもそう言っただろ」
「お強いんですよね?」
「ああ、ここいらじゃあ一番強いな」
「なのに、自由がないんですか?」
「ケンカ売ってるのか? そもそも今仕事中で、お前たちに時間を使いたくないんだが?」
麒麟たちは困ってしまった。
確かに彼の言っていることは、筋が通っている。
モンスターを倒したらチャリンと金貨が湧き上がってくる、という非現実的な状況でもないのだし、仕事としてはとてもまともだろう。
だがしかし、これはただの狩猟である。
確かにハンターと言っているのだから、ハンターに向かってハンティングするだけなのかと聞くような間抜けさであった。
とはいえ、三人の望んでいた状況とは違い過ぎた。
「あの……貴方には才能があって、鍛えていて、強いんですよね? なのに、どうしてそんなに自由がないんですか?」
「あのな……俺はCランクだって言っただろうが。俺ぐらいなんて、ちょっとデカい街に行けばいくらでもいるっての」
ここで、三人は更に現実に戻された。
この世界には『先祖返り』のように強い人間が、たくさんいるのだろう。
たくさんいるからこそ普通に過ごせているのだろうし、疎外感もないはずだ。
だがそれは、まったく希少性がないということである。
才能があって鍛えていて、モンスターと命を懸けて戦っている者でも、たくさんいるのでまったく尊敬されていないのだ。
「すみません、お伺いしたいのですが……この国は強い人間が自由にふるまえるわけではないのですか?」
「お前この国をバカにしてるだろ」
「いえ、そういうわけじゃないんですが……」
「いいや、バカにしているぞ。お前たちはこの国がどんな蛮地だと思ってるんだ?」
身分証明書がなくてもまともな仕事につけるとか、ハンターにはノルマがないとか、強い人間が自由にふるまえるとか。
文章にすると、本当に酷いことである。
「お前ら、そんな国に住みたいか?」
呆れながら聞いてくる、一般的な社会人代表Cランクハンター。
そして返す言葉がない、楽園から来た三人の先祖返りたち。
まさか同類である強者から、自分たちの理想が『そんな国』扱いされるとは思っていなかった。
「まあとにかく、世の中ハンターなんて珍しくもねえんだ。どこの誰かも言えない、故郷に帰れない奴らなんか雇ってもらえるわけがないだろう」
「それなりって……僕たちは強いです!」
「だから何だよ。信頼できない強者なんて、余計雇えないだろうが。常識で考えろ、常識で」
世界を跨いだにも関わらず、三人の前に立ちふさがる『常識の壁』。
そこが人間の暮らす世界であるのなら、それは普遍的なものなのかもしれない。
だとすれば、三人の理想は普遍的に誤りだと思われるのだろうか。
流石にそれは、認められなかった。
「貴方は平気なんですか、そんな常識に縛られていることに」
「ん」
「他の人が決めた勝手なルールに従って、一生生きていくつもりなんですか。一度しかない人生、それでいいんですか?」
理想に燃える目が、ハンターを見つめていた。
「ん」
ハンターの鉄拳が、少年の頭に振り下ろされた。
「あ、あだだ……!」
「お前さ、そもそもさっき、俺の獲物を燃やしたよな? それを謝ってたよな? なんでそんな俺に向かって、偉そうに政治談議はじめてるんだ? ふざけてるのか? 何様だ?」
「すみません……」
「すみませんじゃねえよ、このクソガキが」
常人なら頭が砕けるであろう鉄拳が、さらに追加される。
「迷惑をかけた人に向かって、人生がどうとか言うか? 死ぬか?」
猟師に向かって『お前の仕事つまんねえな、生きてる意味あるか?』と言う加害者。
しかも、説教風に、上から目線で。
「まあお前が何を言いたいのか、わからなくもねえが……とりあえず身の程を弁えろ、クソガキ」
殴られ続ける麒麟を助けたいが、内容がまっとう過ぎて助けるに助けられない獅子子と蝶花。
もう面倒になったハンターは、その二人が何かをする前に結論を出した。
「……シュバルツバルトに行け」
「え?」
「カセイって都市のすぐ近くにある森だ。そこでなら、お前達でもハンターになれる。それも、FランクどころかBランクからな」
このハンター自身、似たようなことを考えていた時期はあったのだ。
だからこそ、麒麟のことを憎み切れない。昔の自分と重ねてしまう。
だが近くにいると嫌なので、とりあえず結論をくれてやることにした。
「そんなには遠くじゃねえから、お前らなら行けるだろう」
「ほ、本当ですか? そこでならハンターになれるんですか?」
「ああ、身分証明書もなにもいらねえよ」
ここまで夢のない話だったのに、いきなり都合のいい話が出てきた。
身分証明書もなくBランクハンターになれるとは、なかなか信じられるものではない。
「本当なんですか?」
「なんだ、疑うのか」
「すみません……ここまでは納得できる、理解できる制度だったので……」
「まあ、あそこは色々と特別なのさ。これも話を聞けばきちんと納得できる」
獅子子が疑問をぶつけるが、それに対してもハンターは当然だろうと納得している。
今までは普通の話だったのに、いきなり特例が出てくれば混乱もするだろう。
「シュバルツバルトの前線基地では、AランクやBランクの超危険なモンスターとしょっちゅう戦うことになる。近くにカセイがあるんで強い奴がたくさん必要なんだが、まともな生まれの強い奴は面倒がって行きたがらない。だから強けりゃそれでいいってことで、身元は問われないのさ」
ハンターの言う通りで、先ほどの話とも矛盾はない。
つまりとてもきつい仕事なので、まともに収入のある普通の人は行きたがらない場所なのだろう。
自分の強さに自信のある三人にとって、願ったりかなったりだった。
「わかりました、行ってみます! ありがとうございました!」
「待て! 話を最後まで聞け!」
飛び出しそうになる麒麟を、どなって呼び止めるハンター。
その顔は、苦渋にあふれている。
「はぁ……」
はっきり言って、このまま三人がこの場を去れば、彼にとってそれでいい。
だがしかし、心にとげが刺さってしまう。
昔の自分同様にやんちゃな、若さにあふれた無謀者を送り出すことになってしまう。
それは、あまり気分が良くない。
「普通なら、シュバルツバルトに入れば、役場で討伐隊の入隊試験を受けられる。だがそっちにはいくな、罠みたいなもんだ」
「……罠?」
「罠ってのは言い過ぎだが……少なくともお前らじゃ、試験に合格するのは無理だ」
そう言って、彼は手にした槍を高く掲げた。
三人の方ではなく、明後日の方に向かって切りつける。
「スラッシュクリエイト、ライジングスライダー!」
音もなく、一瞬で大地に亀裂が刻まれた。
Cランクの中でもBランク相当の実力者しか使えない、クリエイト技である。
それを見た三人は、それなりに驚いた。
自分達よりは弱いが、普通の先祖返りよりは数段上である。
「今のを見たな? 俺はCランクハンターの中じゃあ強い方だが、あそこでは雑魚同然だ。つまり俺よりも強くないと、あそこで戦っていくのは無理ってことだ。そういう意味じゃあ、三人とも合格だろうよ」
そんなことは、ハンター自身もわかっていることである。
彼らをとっつかまえようと思っていないのは、本気で抵抗されれば絶対に勝てないと分かっているからだ。
「だが人数が足りねえ。あそこでやっていくには、そこの兄ちゃん一人と……俺ぐらいのが二十人ぐらい必要だ」
「……二十人?!」
「それぐらい相手の数が多いんだよ。もちろん俺より強けりゃそれに越したことはねえが、それでも十五人は欲しいところだろうな」
獅子子と蝶花は、互いを見た。
確かに目の前の彼より強い自信はあるが、彼の二十倍の働きができるとは思えない。
「もちろん、普通はそんなに大所帯にはならねえんだよ。ハンターのパーティーってのは普通五人ぐらいだからな、十人でも相当だ。だがあそこじゃあCランクもBランクも馬鹿みたいな数が一気にくるんで、十人かそこらじゃ絶対にさばききれねえんだよ。一定以上の実力者が二十人、連携を取り合ってやっとだ」
なるほど、罠であろう。
ちゃんと情報を調べれば避けられる事態ではあるが、少々腕に覚えのある者たちでは数の力に押しつぶされるのだ。
シュバルツバルトの討伐隊に参加したければ、そのための編成を事前にしなければならない。
「そこの兄ちゃんなら一人でもそこまで問題ねえだろうが、そっちの姉ちゃん二人にゃ厳しいだろうよ。だから三人で討伐隊に参加するのは諦めろ」
「仲間を募れってことですか?」
「それもいいが、もっと手っ取り早い方法がある。現役の討伐隊に入れてもらうことだ」
本当にずいぶん具体的なアドバイスだった。
今までまったく都合のよくない現実が続いていたのに、ここにきてわかりやすく現実的な道筋が示されてきた。
「ずいぶんお詳しいんですね」
「ああ、俺は少し前までシュバルツバルトにいたからな。ここでハンターやってた親父が死んだんで、田舎に戻ってくる羽目になったが、まあいい機会だったよ」
蝶花の質問にも、淀みなく返事が返ってくる。
なるほど、詳しいわけであった。
「俺がいたときは、四つの部隊が討伐隊に参加していた。だがお前らが入れるのは抜山隊だけだ。間違っても絶対に一灯隊にだけは入ろうとするな、殺されるぞ」
「……殺されるんですか?」
「あそこの連中は、カセイにある孤児院の生まれでな。お前らみたいに、恵まれた生まれのくせに故郷のことを捨てた連中を蛇蝎の如く嫌ってやがる。喧嘩を売らなきゃわざわざ突っかかってこねえだろうが、入隊させろとか言えばそれを口実にして合法的に殺されかねねえぞ。具体的には、森の中で置き去りとかな」
ためになる先人の知恵であった。
もしも三人がメモ帳とペンを持っていたら、全部書き留めていただろう。
それぐらい有益で具体的な情報である。
恵まれた生まれ、云々には文句も言いたいが、確かにいい服を着ているのでそう思われても不思議ではない。
少なくとも、孤児院で育った者からすればボンボンもいいところだろう。
「他には蛍雪隊と白眉隊があるが、どっちも入隊基準が厳しいんでお前らじゃ無理だ。蛍雪隊は熟練のハンターだけを雇用しているし、白眉隊に至ってはお貴族様の精鋭部隊がそのまんまハンターになっただけだからな。そっちの二つに入るのは、普通の討伐隊になるより難しいぞ」
「抜山隊なら大丈夫なんですか?」
「ああ、俺も元はそこの隊員だ。俺よりも強いお前ら三人なら実力も十分だし、入隊基準も緩いからな。まあ俺みたいな育ちの悪いハンターばっかりだが、それぐらいは我慢しろ」
入隊の基準が緩いので隊員の質も低いが、だからこそ三人でも入れる。
嫌な話だが、確かに我慢するしかなかった。
「ああ、それから……何だったら、そこの隊長に勝負を申し込んでみろ」
「……いいんですか?」
「普通に『戦ってみていいですか』って言えば、大喜びで受けるさ。向こうもお前の力が見たいだろうしな」
よく言えば行くべき場所を見つけた、悪く言えば調子に乗っている若者に最後の助言を与える。
「お前、自分がAランクハンターになれると思ってるだろ」
今までのどんな言葉よりも、真剣な問いだった。
ハンターのランクが何を意味するか分からないが、Aランクハンターというものが特別であるということは伝わってくる。
「なれるかどうかは置いておいて、抜山隊の隊長と戦えばAランクハンターの強さがわかる筈だ。抜山隊隊長、ガイセイは……Aランクに限りなく近い男だ。もしも奴に勝てるのなら、お前さんもAランクハンターになれるだろう。だが……」
元抜山隊の隊員は、哀れみを込めて麒麟を見た。
「まあ、戦ってみろ。自分がどの程度強いのか、最強の男と戦って確かめるこった」




