冥王と冥王
『ジゴジゴジゴ……! ステージギミックが敗れたか!』
『ジャジャジャ! 奴は我ら四終の中でも最強……それを破るとは、これは勝てぬやもしれぬなあ!』
『テンテンテン。しかし希望はある!』
一角が欠けた四終だが、彼らは不敵に笑うばかりだった。
『だが、希望はある。ステージギミックは奴に、この世界を滅ぼす萌芽を見た!』
『その通り! あの男は今までの者とは違う! 我らを倒したとしても、その先で存続を願うとは限らん!』
『五番目の世界で、奴は正しい選択をしない可能性が残った! ならば我らは、それに委ねるのみ!』
蛇太郎という男の持つ可能性、それはこの夢の世界にとって絶望なのか、それとも希望なのか。
それはまだわからないが、可能性は残っている。
『この下らん世界が終わるのならば……それをなすのが我らである必要もない!』
『世界の終わり、おお、いよいよか! 満願成就の時か!』
『ああ、そうだ……世界の誰もが……願うことさえ許されなかった、禁忌とされたものが成される!』
奪われてきた思い、しかるべき願い。
それが膨大に積み重なり、ついに結実する。
『テンテンテン! しからば、我らのなすべきことは決まっている! 奴がより深く絶望するために、より一層の試練を与えてやるまで!』
『ジャジャジャ! 我らがしょせん超えられる程度の試練だったとしても、それでもなお全力を尽くすのみ!』
『ジゴジゴジゴ……そう、奴が『栄光と地獄』の世界に来るのなら……我が相手をするまで!』
世界崩壊は、確実に近づいていた。
『四終の一つ、地獄の鉄槌! 歪んでいた被造物、メーカートラブルが相手だ!』
※
「う、うわああああ……?!」
落ちる夢、というものは割とよくあるものだ。
それは誰でも見てしまう夢であり、英雄となった後の蛇太郎もまた見ておかしくない夢であった。
「夢か……くそ」
夢の中で過去を垣間見た、とかではない。
ただ落ちる夢を見た蛇太郎は、ナイルの中にある自分の部屋で起床し、最悪の気分になっていた。
落ちる夢を見た。目が覚めた時、それだけを覚えていた。
だからこそ蛇太郎は、最悪の気分になっていた。
「……最悪だ」
蛇太郎にとって、夢を見ることは呪いである。
夢を見たことを覚えた状態で目を覚ます、そのたびにあの『冒険』を思い出す。
いっそ夢など見なければいい。
だが人は、夢を見ずにはいられない。
それが人の脳に必要なことだった。人である限り、生きている限り。
人は決して、夢から逃げられない。
夢を忘れることはあっても、夢を見たこと自体を忘れることはできないのだ。
「最悪だ……!」
この呪いが、解ける日は来るのか。
呪いとは、執着そのもの。大事だと思っていること、大切だと思っていること、重く受け止めてしまうこと。
悪魔の呪いではない、それこそが本当の呪い。
「こんな思いは……ほかの英雄たちはしていないんだろうな……」
ベッドから起き上がっただけの蛇太郎は、劣等感に苛まれていた。
この胸の苦しみなど、他の英雄たちには無縁なのだろう。
少なくとも兎太郎や狼太郎は、自分の冒険に負い目などなかった。
激動の時代を乗り越えた狼太郎の仲間は参考にならないかもしれないが、良くも悪くもまともな兎太郎の仲間でさえそうだった。あの二人だけがまともではない、ということはない。
つまり、おかしいのは自分だった。
自分だけが、呪われたままだった。
「俺は……英雄じゃない……!」
彼の心の苦しみ、その呪いは甚だしい。
「俺は、英雄じゃない……ほかの英雄とは、全然違う……!」
状況が違いすぎるので比較できるものではないが……。
十二魔将になり損ねた、空論城の住人達と同じぐらい、彼の心は呪われていた。
なお、その空論城の者たちに呪いをかけたのは、一人目の英雄である模様。
「俺は、俺は……!」
胸の内を明かせず、抱え込み、ただ苦しむ蛇太郎。
彼の朝は、起床は、夢から覚めたときの心は、いつもこうだった。
「おい蛇太郎! やばいことになったぞ!」
なおそれを破るのは、いつだって兎太郎だった。
「寝起きのところ悪いが、さっさと目を覚ませ!」
ドアを何度もノックして、大きな声で叫びまくる。
それこそ蛇太郎が寝ていても起きてしまうような、そんな大きな声だった。
「やばいことになった!」
「……は、はい!」
そして蛇太郎は、それに対して素直に返事をする。
一切裏はなく、あわてた彼へ真剣に応じる。
蛇太郎も兎太郎と付き合って、彼の性格を理解していた。
そう、彼の仲間はよく知っているように。
(兎太郎さんがあわてるなんて、尋常じゃない!)
近代最高の宇宙飛行士、怱々兎太郎。
彼が危機感を覚えるのは、本当に危うい時だけだった。
※
いつものように食堂車両に集まった、三人の英雄とその仲間たち。
普段はそれぞれの表情をしているのだが、今は全員が緊張している。
それだけ状況が悪い、ということだった。
そしてその彼らに話をしているのは、この南万の姫ホウシュンだった。
先日この国へ帰ってきたばかりの彼女は、現在三人の英雄との直接的な交渉を担っている。
その彼女の顔こそが、他の誰よりもこわばっているものだった。
「み、皆さん……大変な報せが届きました」
そんなことは、彼女の顔を見ればわかる。
どれだけ鈍感なものでも、悲壮な彼女の顔を見れば事態の深刻さがわかるだろう。
それこそ、関わりたくないと思ってしまうほどに。
「Aランク上位モンスター……昆虫型最強種、プルートが現れました……!」
楽園の人類が技術の粋を凝らして設計した、カセイ兵器ナイル。
それに乗り込んでいる以上、何も恐れることはない、そのはずだった。
だがその安全神話は、この世界ではすでに崩壊している。
生態系の頂点に君臨するAランク上位モンスターは、ただの野生動物でありながらナイルを超えた怪物である。
英雄やほかのAランク上位以外には決して負けない……絶望的な怪物であった。
その中でもプルートは、特に厄介極まる性質を持っている。
「ほ、本来なら、母を含めた英雄が倒すべき相手です。ですが、その母を含めた、この国の英雄たちは、誰もがすでに任務に就いており……!」
戦争直後で、国力の衰えている南万。
その防衛網は、万全とはいいがたい。
場合によっては、切り捨てなければならない場面も存在する。
「その現れた区域は、見捨てるしかないのかもしれません……で、ですが、多くの民が助けを求めているのです……」
大の虫を生かして小の虫を殺す、それが政治というものなのかもしれない。
だが、好き好んで見捨てる為政者が、いったいどこにいるというのか。
Aランク上位モンスターからの被害を見過ごせば、どれだけ被害が出るというのか。
「恥を承知でお願いします……どうかプルートを討ち取ってください!」
Aランクモンスターとは、英雄以外では勝てないもの。
その中でも上位と認められる者たちは、不死身に思える理不尽な生態をしている。
なまじ同格と戦い勝ったことがあるからこそ、それを容易に請け負うことは難しかった。
真剣に事態と向き合っているからこそ、軽々しく快諾などできない。
だがそれでも、請け負うことになるだろう、とは思っていた。
この場にいる三人の英雄は、助けを求める声を、決して見捨てることはない。
英雄の仲間たちは、それに従うのみ。
英雄とともに戦うのなら、恐怖さえも超えられる気がするのだ。
そう、そのはずだった。
だがほかでもない、対甲種魔導器の所有者である蛇太郎。
彼の決断を鈍らせる情報が、入ってきてしまったのだ。
『ご報告いたします、救難信号を受信いたしました』
ナイルの電子音声が、楽園の住人にしわからない単語を発した。
その意味するところは、すなわちこの三人の英雄と同じ事態に陥った者が現れたということであろう。
『いただいている地図情報からして、プルートの被害を受けている区域から届いているものかと想定されます』
「それって……!」
「大変じゃん、助けに行かないと!」
「ええ、救難信号を出すなんてよっぽどだわ!」
「助けに行きましょう! ねえ、ご主人様!」
兎太郎の仲間は、狼太郎に拾われた時のことを思い出していた。
初めての世界に放り出されて、どれだけ不安だったことか。
同じ気持ちになっている人を、見捨てることなどできない。
「ああ、そうだ……」
「待ってください!」
同意しようとした兎太郎だが、蛇太郎がそれを遮った。
その顔には、迷いが張り付いている。
「その救難信号は、本物なんでしょうか……」
救難信号が本当である保証など、誰にもできない。
世の中には救難信号を餌にして、救助者をだまそうとする不届き者もいる。
それを知っているからこそ、あるいは過去の経験があるからこそ。
彼は、二の足を踏んでいた。
「……助けに行ったことを、後悔するのではないですか」
彼の顔は、迷いそのものだった。
救難信号が偽物だと思いつつ、しかし本物かもしれないとも思っている。
騙されることを恐れる心、助けに行きたい心。
板挟みになっている彼は、迷いを振り払う何かを求めていた。
「……」
このナイルの主は、あくまでも狼太郎。
彼女こそが最高責任者であり、彼女が応じなければナイルは動かない。
だがAランク上位モンスターを討伐できるのは、蛇太郎だけだ。
彼が迷っているのなら、プルートと戦うことなどできない。
それがわかっているからこそ、ホウシュンは困っていた。
蛇太郎が迷う理由はわからないが、何かがあると察するに余りある。
いっそ、救難信号など出ていなければよかった。
それなら今すぐにでも、全員で向かえたのに。
「ま、それはそうよね。何も間違っていないわ」
「蛇太郎君、そんなに気に病まなくていいのよ。それは私たちも疑っていることだからね」
「貴方たちはまともだったけど、同郷の人がみんなまともだなんて思ってないわ」
この緊急事態で躊躇している蛇太郎を、しかし狼太郎の仲間は慰める。
自分で自分を責めている蛇太郎の気が楽になるように、彼が異常ではないと寄り添っていた。
仲間のいない彼に、自分たちを頼っていいのだと示していた。
「蛇太郎のいうことももっともだ。今回のプルートの騒ぎが、救難信号を出してきたやつの自作自演とも考えられる。ナイルやアバターシステム、EOSがある以上、俺たちを誘っているという可能性は常に考えるべきだからな」
狼太郎は、指揮官としてまともな発言をしていた。
彼女は祀や昏を知らぬままに、狙われる事態を想定している。
蛇太郎が苦言を絞り出すまでもなく、救難信号を聞いた時から疑っていたのだ。
無関係なこの世界の住人は疑わず、同郷だからこそ疑う。
ある意味当たり前のことだった。
「で、お前の意見はどうだ?」
そのうえで、狼太郎は兎太郎の意見を問う。
ナイルを動かせるわけではなく、Aランク上位モンスターを倒せるわけでもない。
経験豊富でも何でもない、ただの観光客だった男に意見を求める。
「ここでうだうだ言ってても仕方ない! 今すぐ行きましょう!」
話を聞いていたのか、と疑わしく思ってしまうほどの直球だった。
本来今すぐ行ってほしいはずのホウシュンでさえ、彼のまっすぐさに呆れていた。
「……すみません、こういう人なんです」
なお、彼の仲間は四体そろってあきらめていた。
この男に意見を求めれば、こうなるなんてわかりきっていたのだ。
「で、ですが! 行けばどうなるかわかりませんよ!」
「行かなきゃわからねえだろうが!」
慎重であるべきだ、と叫ぶ蛇太郎。
そんな彼に対して、議論を放棄するのが兎太郎だった。
「確かにプルートだか何だかの騒ぎが、そいつの起こしたことなのかもしれない! そうでなかったとしても、俺たちに取り入っていろいろ利用しようとしてくるかもしれねえ!」
「それがわかるのなら……現地でそうだとわかったら、どうするんですか!!」
蛇太郎が求めているのは、迷いを振り切る言葉だった。
誰よりもそれを出せるのは……否、彼だけがそれを出せる。
「その時はその時だ!」
あっけにとられるほどの、馬鹿なほどのまっすぐさだった。
「もしもろくでもないやつが救難信号出してたら、その時はぶっ殺そうぜ!」
「あ……そ、その……」
「この国の人もそうだ、どうしようもないバカしかいなかったら見捨てようぜ!」
「え……」
「行って決めればいいんだよ!」
彼に、本当に必要だったもの。
「助けるのは俺たちなんだ! 俺たちが決めればいい!」
「……!」
「俺たちが助けたくないなら! 助けなきゃいいんだ!」
「……!」
蛇太郎は、涙が出そうになっていた。
「だから行こうぜ! いますぐに!」
「……はい!」
星になった戦士の言葉は、星のように遠く、しかし導そのものだった。
責任につぶれそうな男に、傲慢であっていい、厚顔であっていいと言い切る。
呪いと無縁な男の潔さに、彼は救われていた。
「あらあら……あなたたちのご主人様は、とっても格好がいいわねえ?」
「ええ、だから見捨てられなかったんです」
インダスのからかいに、二心なく頷くイツケ。
平時では最悪の気性だが、窮地ではどんな時でも間違わない。
それが六人目の英雄、怱々兎太郎だった。
「はあ……超格好いい……キュンキュンする……」
「あ、あの! 狼太郎様?!」
なお、そんな彼に狼太郎は見惚れていた。
だがそんな場合ではないので、ホウシュンは大いに慌てる。
せっかく話がまとまったのに、彼女が動かなければ出発できない。
「相手が相手です、割に合わないと思えば引いても文句など言いません! ですが、今行かないと誰もがただ死ぬだけです」
「ん、あ、ああ……そうだな。全くその通りだ」
兎太郎の言葉は、まったく真実である。この国の王女であるホウシュンをして、全面的に同意するしかない。
救難信号の主は、本当に救いを求めているのか。プルートに襲われている民に、救う価値があるのかないのか。現地に行かなければ何もわからないままだ。
このままうだうだしていたところで、何も理解することはできない。
「ナイル! 全速力で発進だ! 民を救助するためにも、非戦闘車両も連結したまま、最大速度で現地へ向かう!」
『了解しました。急発進をいたしますので、皆様はお近くの手すりや吊革におつかまりください』
がっこんと、万能走破列車は走り出す。
空中にレールを生み出し、最短距離までのルートを走り出す。
『魔境によって空間に歪みがあるため、到着までの時刻は分単位で誤差が生じます。そのうえで到着は、およそ十分後となります』
「そうか……それだけあれば足りるな。ホウシュン、プルートについて説明してくれ」
「はい、もちろんです。とはいってもそこまで意味はないのですが……」
ホウシュンの言葉を聞いて、その場の面々は首を傾げた。
そこまで意味がない、とはどういうことか。
どれだけ超絶の生態をしていても、倒せるはずなのだから意味はあるだろう。
「ドラミングゴリラやビッグファーザーが代表的なのですが、一部の高位モンスターは他のモンスターを従えることがあるのです。プルートもその一種であり……その蜜によってほかの昆虫型を手足のように使役できるといいます。その代わりプルート自身は、Aランク中位よりも弱いとか……」
「つまりプルート自身よりも、他の昆虫型の方が厄介ってことか? 確かに虫は面倒だが、俺たちの装備ならそこまで問題にならんだろう」
強大な昆虫型モンスターと聞いて連想するのは、蜂や蟻、カマキリの類だった。あるいは話に聞いた災蚊のような、病気をもたらす虫であろう。
厄介ではあるが、文字通り虫一匹通さない設計のナイルなら、どれだけ群がられても全く問題ではない。
リヴァイアサンのように力づくで突破してこないとも言い切れないが、プルート本体が弱いならそこまで問題でもあるまい。
「そうでもないのです。昆虫型モンスターの中には、Aランク中位や下位に位置する種族も多い。それを呼び寄せられるプルートは、あなた方にとっても厄介のはず」
「ならプルートをたたけばいい、違うか?」
「いえ……プルートは普通の兵でも殺せるほどなのですが、殺しきれないのです」
Aランク上位モンスターは慎みを知らない。
単純な強さよりも、その異常な生態の方が倒す難易度を上げている。
その最たるものが、プルートという虫なのだ。
「プルートはアブラムシに似たモンスターであり……殺したとしても内部の卵が孵化し、一瞬で成体に成長するのです。卵そのものを破壊できないため、何十回、何百回と殺し続けなければならず……その間、他の昆虫型モンスターと戦い続けることに……」
彼女はちゃんと説明をしている。
できるだけわかりやすく説明しようとしているし、実際これより簡単に説明できないだろう。
だがしかし、それでも意味不明な話だった。彼女が悪いのではない、その生物が異常なのだった。
なんだかよくわからんモンスターと戦うことになった、やめておけばよかった。そう後悔するだけだった。
「あのサイモンって人は……そんなわけのわからないモンスターも倒せちゃうんですね……」
自分たちと戦った大将軍を思い出して、その強さを再確認したムイメ。
いまさらながら、どれだけ絶望的な戦いだったのか思い知っていた。
「だがそのサイモンを倒したのが俺たちだ、何とかなるだろう。なあ、蛇太郎」
「はい……その説明を聞く限りは……全く脅威ではありません」
そういって、蛇太郎は手元を見る。
甲種がどれだけ理不尽だったとしても、それを討つためだけに生み出された宝がここにある。
「……皆さんが時間さえ稼いでくれれば、あとは何とかします」
もはや迷いはない。
すべてを振り切った蛇太郎は、力強く断言する。
「よし! もうそろそろ着くな……!」
十分は、長いようで短い。
プルートの生態を説明し、倒し方を話している間に、もうすぐ経過しようとしていた。
だが助けを待っている者たちにとっては、永遠に近いほどの時間だっただろう。
ホウシュンのもとへ救援を求めることが届くまでの時間を思えば、それこそ一日千秋だったに違いない。
「確かめるぞ、俺たちの目で!」
狼太郎の宣言に、蛇太郎は強く頷く。
そう、結局のところは……。
自分で見て、自分で考えて、自分で決める。
それこそが、英雄の英雄たる証明だった。
そして、蛇太郎はまだ知らない。
自分という男が、後世のモンスターから冥王と呼ばれていることを。
現地で戦っている、救難信号を出している八人目の英雄から、そのことを聞かされることを。
つまり……冥王と呼ばれる人間と、冥王と呼ばれる虫。
どちらがその名にふさわしいのか、決する戦いとなっていた。




