落ちていく夢
蛇太郎が夢の世界に来てから数日が経過した。
夢の世界で数日というのも不思議なものだが、実際に昼夜が何度も入れ替わった。
奇妙な感覚なのだが、ほぼ眠くなることはない。夜になっても夜になったという感覚しかない。
それでも寝ようと思えばアッサリ眠れて、起きると疲れが抜けているのだ。
長命種、肉体のない者たちはこういう感覚なのかもしれない。そう思いながら、彼は最後の夜を過ごしていた。
木の上の秘密基地、その窓から夢の世界の夜景を眺めていた。
いよいよ明日、隕石が降ってくる。誰もがそれを歓迎して、自らの結末を受け入れていた。
(いや、そうでもないな)
最初に助けた、あの初々しいカップル。
何もかもが適当でいい加減で曖昧なこの世界で出会った、稀有な真剣さ。
相田と阿部、だったか。あの二人があの後どうなったのかはわからないが、告白が成功したとしても失敗したとしてもそれ自体には興味がない。
ただ、蛇太郎はあの二人を守りたいと思ったのだ。
(俺が命を懸ける理由なんて、その程度で十分だな)
この世界は訳が分からなくて、理不尽に幸福なばかりだけども。
あの二人を助けるついでに、この世界を守る。あの二人が過ごしているこの世界を、命がけで守る。
それなら十分、活力を出せる。その自信があった。
高ぶる気持ちを抑えながら、窓の外を見る。
明るく光る灯は、人の生活の証。この日常を謳歌する、人々の笑い声のシルエット。
お世辞にも素晴らしくはないが、ついでに守ってやろうという気分にはなる。
「蛇太郎、寝ないのかい?」
そんな蛇太郎へ、フヨフヨと浮かぶマロンが話しかけた。
ほかの四体が寝室で眠っているのに、まだ起きている蛇太郎を心配しているようだった。
「夢の世界でも、寝たほうが力が出るよ。それにいくら夢の中だとしても、時間は戻らないんだから……」
「早く寝たほうがいいっていうのか? それはわかるけども……寝る気分にならない」
「活力が有り余ってるねえ~……でも今から盛り上がりすぎると、本番で疲れちゃうよ?」
「うっ……」
ありそうな展開であったため、蛇太郎は陶酔から覚めた。
確かにこのままだと、夢の世界でもへばりかねない。
しかし活力がみなぎっているのも本当で、寝たいという気分にならなかった。
「……ま、いいさ。それじゃあ僕は寝るね、お休み」
「あ、はい……」
遠足前夜の子供のような心境なのだ、と思い知った。
だがせっかくの決戦前夜なのに、このまま寝るのもどうかと思ってしまうのだ。
思わず窓の外を見る。
世界が滅ぶ前だというのに、能天気に騒いでいる人々を見る。
誰もが楽しそうにしていたこと、友達と、仲間と一緒だったことを思い出す。
(そうだったな……俺はもともと、友達がほしかったんだ)
ここに心を許せる仲間がいれば、どれだけ救われるだろう。
いや、今こそここにいてほしかった。
どの英雄たちにも、きっといたのだ。
愚痴も本音も、綺麗ごとも鼓舞も、悪口も冗談も。
なんでも言い合える、こんな重い時間だって分かち合える仲間が。
(……我ながら、注文が多いことだ)
その仲間がもう五体もいる、なのに自分は文句ばっかりだ。
うわべこそ取り繕っているが、本音では見下してばかり。
(でも俺は悪くないと思う……)
パラダイスの世界では、ハラスメントという考え方が浸透している。だからこそハラスメントに対して不満を持っていい、という思想があった。
純血の守護者を破壊した四人目の英雄がそうであったように、尊厳とはつまり嫌いになる権利でもある。
理由があるのなら、誰かを嫌いになってもいい。誰を好きになるのか選ぶ権利と同じぐらい、嫌いになる権利だって尊いのだ。
(最初からあの対応をされたら、誰だって嫌になるだろう……)
いまだ天命を知らぬ彼は、世間一般の倫理に則っていた。
夢の世界の四体のモンスターに忌避感を持っていて、それに正当性も感じていた。
それだけ議論の余地なく、夢のモンスターが気持ち悪いからだろう。
彼の価値観と、明らかに違いすぎたのである。
(もうちょっとこう……いろいろあるんじゃないかなあ?)
もやもやしていた。
実体験の伴わない理想が、ただの絵空ごとだとは分かっている。
だが不満を抱いているときは、つまり理想と比べてしまうものだ。
そんなことを考えていた時である。
寝室のうち一つがあいて、中からモンスターが現れた。
「ご主人様、お飲み物をどうぞ」
グリフォンのリームが、温くしたミルクを持ってきた。
もちろんメイド姿で、お盆に乗せて。文字通り、出張メイド喫茶と化している。
(ありがたみがないな……)
割と失礼なことを考えてしまう蛇太郎だが、そこはぐっと飲み込んだ。
さすがにずっと見ていると、まあ飽きる。
だが温めのミルクは受け取った。
なんの気もなく、普通に飲み始める。
当たり前だが、普通においしかった。
「どう、本物ぽかった?」
「うん、まあ……」
メイド喫茶にいそうなメイドさんではあった。
模倣先のクオリティがさほど高くないので、リームのコスプレも寄っているといえば寄っていた。
「ちぇ~、もっと大喜びしてほしいのにな~」
不満そうなリームは、椅子に座っていた蛇太郎の正面に座る。
闇の中でも相手が見える、夢の世界で。
グリフォンのリームはしっとりとした雰囲気で話を切り出す。
「ねえ、現実世界ってどんなところ?」
目を輝かせている彼女の問いに、蛇太郎は。
「……ここと変わらないよ」
ようやく彼女へ、心を開いていた。
心にもない言葉ではない、真実の情報を、本音で明かしていた。
「びっくりするぐらい、何も変わらないさ」
「え、そうなの?」
「ああ、きっとがっかりするぐらい同じだ」
現実から夢の世界に来た蛇太郎がそう思ったのである、夢の世界にいるリームだってがっかりするだろう。
「違いといえば……嫌な奴がいなくて、嫌なことが起きないことぐらいだろうな」
程度はともかく、嫌な奴はいつの時代にもいて、嫌なことはどの世界でも起きる。
楽園と呼ばれるほどの時代でも、嫌な気分になってしまうことはある。
それから抜け出たい、そんな気持ちだって誰にでもある。
ほかの時代からすれば、夢のような話だろう。
だがやっぱりそれは、とても大きなことだった。
「嫌なことって、どんなこと?」
「……そうだな、行列のできるクレープ屋に並んだのに、売り切れで買えないとかな」
「売り切れって何?」
「そうだな……」
面倒なことだったが、悪い気はしなかった。
蛇太郎はリームの正面に座っているのに、彼女を見ていなかった。
彼女ではなく、夢の世界の街を見ていた。
「この世界では、クレープ屋ではクレープが売ってるだろう?」
「当たり前じゃん? 現実でもそうなんでしょう?」
「そうなんだけどな……クレープ屋でクレープを売るには、材料がないといけないんだ」
「こっちでもそうだけど?」
「でも、冷蔵庫にいくらでも入ってるだろう? 現実だとそうもいかないんだ」
リームも同じように、夢の世界を見ていた。
正面に座っている二人は、同じ景色を見ていた。
「卵もほかの材料も、誰かが作らないといけない。そのうえ作ったものも、誰かが運ばないといけない」
「そうなの?! 面倒じゃない?」
「そうだな、面倒だし大変だと思う」
「こう……最初から沢山冷蔵庫に入れておけばいいんじゃないの?」
「それはどうやって用意するんだ?」
「あ、そうか……それはそうだね~……」
夢の世界なら、武器屋があれば武器がある。コンビニがあれば、商品が買える。そういう印象の世界だからだ。
都市運営系、あるいは物づくり系のゲームの住人なら話は違うだろうが、あいにく彼女はそうでもない。
常識が違う、物理法則が違うのだろう。
彼女らしい考えというよりも、この世界の住人らしい考え方だった。
「……誰かが材料を作って、それを誰かが運んで、さらにそれをお店でお料理しないといけないの? めんどっちいな~、この世界ならそんなことしなくてもいいのに。……いや、案外面白いのかも? 面白いの?」
「程度によるだろうな……人にもよると思う」
「どういうこと?」
どういうこと、という質問に、蛇太郎は何かを感じた。
常識の食い違いを感じたのである。
(もしかしてこの世界では、楽しい場所や面白い場所は、誰でも同じように感じるのか?)
一種ゲーム的な話だが、夢の世界の住人である彼女は物事を記号的にとらえているのかもしれない。
しかし嫌な客や失敗などが記号的に排除されているのなら、楽しいものは楽しいで終わっているのかもしれない。
いいことであるはずなのだが、少しさびしいようにも感じた。
(何と言ったら通じるのだろうか……)
言葉を探しながら、ミルクを飲む。
ふと、リームの顔を見る。
そこにいるのは、考え事をしているグリフォンであり……。
(仲間か……)
こっちのことを理解しようとしてくれている、別の世界の住人。
それこそは蛇太郎が求めた歩み寄りであり……距離を探ることだった。
「俺の世界だと、同じことをやっていても、楽しんでいる人やそうでもない人がいるんだ。だからいろんな娯楽があるんだが……リームはどうなんだ?」
「え、私? 私は何でも好きだよ!」
リームは蛇太郎のほうを向くこともなく、夢の街並みを指差した。
その姿を見て、蛇太郎はようやく彼女に近づけた気がした。
「いろんなところがあるから、見て回るだけでも楽しいし、どこに行くのか考えるだけでも楽しいんだよ!」
彼女は長々と自分の話を始めた。
お世辞にも面白い話ではなかったが、それでも蛇太郎は心が休まっていくことを感じていた。
こうして彼の、日常の世界の最後の夜は更けていったのである。
※
「終末だ~!」
「ははは、いや~長かったな~、遂に終末か!」
「これで世界が終わるんだと思うと感慨深いですねえ!」
日常の町は、一大パレードが始まっていた。
隕石をかたどった山車が大きな道を進み、それを見て誰もが祝いあっている。
「世界が終わっても、君との愛は終わらないよ……なんてキザすぎるかな?」
「どっちかっていうとべたで古いわね。でもこういう時だから許してあげるわ」
まるで初日の出を見るように、隕石を拝んでいる。
多くの人々は、この結末を受け入れていた。
まさにグランドフィナーレ、一大祭典が終わったという雰囲気だった。
誰もがこの結果を、結末を受け入れていた。
いや、そうでもない人が、二人。
「世界が……終わっちゃうんだな」
相田という女子生徒を想う男子生徒、安部。
彼はひとり、学校の屋上から空を見上げていた。
いよいよ世界が終わるという時なのに、彼は本懐を遂げていなかった。
返事の是非はともかく、伝えるだけなら今でもできるのに、彼はそれができなかった。
ただ見上げて、滅びを待つだけである。
「あと少し、時間があればなあ……」
あと少し、もう少し。
彼はずっとそんなことを言っていた。
何かを言い訳にして、勇気を出さなかった。
つまり彼には、勇気が出せなかったのだ。
「……相田さん」
しかしそれは、愛がないからではない。
断られてもいいと思うようなら、とっくに伝えていただろう。
だがそれができないということは、つまりそういうことだ。
彼はいまだに言い訳をしながら、惜しみつつ空を仰ぐ。
「安部君……」
彼は気づかない。
ちょうど屋上の反対側に、相田が来ていたことを。
彼女もまた、勇気を出せないまま、空を仰ぐばかりだった。
二人は想像もしていないだろう、この滅びに抗うものがいて……。
この二人のために戦おうとしているなど。
※
日常の世界には、当然巨大な塔もある。
眺めが特にいい場所で世界の終わりを見届けようと、多くの見物客でごったがえしている中で、本来なら客が入れない屋上に来ている者たちがいた。
いうまでもなく、蛇太郎とその仲間たちである。
メイドという高貴と俗の合間にある姿をした、幻想のモンスターたち。
戦意を燃やして隕石を見上げる彼女たちだが、戦闘に立つ蛇太郎の意志はその上を行っていた。
「マロン……ここで迎え撃つんだな」
リームとの語り合いは、彼にいい影響を与えていた。
この世界でため込んでいたストレスは消え、仲間を信じる心もできていた。
彼は英雄として、モンスターの主として前進したことを感じていた。
「違うよ」
「違うのか?」
「いくらこの世界が夢だからって、ここで隕石と戦っても仕方ないじゃないか」
(境界線がわからない)
言いたいことはわかるが、その場合はロケットが必要になるだろう。
隕石を破壊するのなら、宇宙へ行くのが定石だからだ。
だが高い塔の上とはいえ、当然宇宙までは来ていないわけで。
「じゃあなぜここに」
「下を見てごらん」
塔の最上部、屋上。
職員しかこないであろう場所から下を覗き込んだ蛇太郎だが、眼下にとんでもないものを見た。
とんでもない、といってもロケットではない。
もっとありふれたものであり……逆になかなか見ないものである。
「……トランポリンが見える」
塔の根元に、巨大なトランポリンが設置されていた。
高い塔の屋上から見てもわかるほど、超巨大なトランポリンである。
さて、トランポリンというのは、高いところから落ちるほど、その分強く跳ねるわけだ。
高い塔から飛び降りれば、さぞ高く飛べるだろう。気のせいである。
高い塔から飛び降りてトランポリンの上に落ちても、元の落下地点より高くへ飛ぶことなどできない。
位置エネルギーの関係で、それこそ隕石よりも高いところから飛び降りないと、隕石の高さにまで届かないのだ。
それもあくまでも理屈である。実際にはそんな高いところから飛び降りたらトランポリンか、人間の体が壊れるわけで。
でもここは、夢の世界なわけで。
「よし! 行こう!」
「は、ちょっと……」
マロンは小さな体を使って、蛇太郎に体当たりをする。
覗き込んでいた彼を、そのまま道連れにしたのである。
まさに無理心中だった。
「あああああああ!」
落下しながら見上げれば、そこには後を追って降りてきたモンスターたちが。
飛べるはずのリームさえ、わざと飛ばずに落ちてきている。
「ああああああ!」
蛇太郎は、落下先を見てしまった。
巨大なトランポリンが迫っている。
正しく言えば、彼が近づいているのだが……。
「あああああああ!」
さて、柔らかいイメージのあるトランポリンの実物だが、実は結構硬かったりする。
それを知っている蛇太郎は恐怖のあまり、英雄らしからぬ絶叫をするしかなかった。
「ああああああああ!」
だがそこは夢の中。
彼とその仲間たちは、トランポリンによって勢いよく跳ね飛ばされていった。
「あああああああ!」
高く、高く、高く。塔よりも高く、雲さえ突き抜けて、一行は遂に隕石の本体と対面した。
隕石を少し超えたところで最高点に達し、地上に向かって落ちていく巨大隕石と同期して、同じ速さで落下を始めたのである。
大気との摩擦で燃え上がる隕石、その正面にたどり着いた一行は、その尊顔を見るに至ったのである。
「……ま、まさかこのまま戦うのか?」
「そうさ! 落ち切る前に倒すんだよ!」
「……ああ、うん」
自由落下のさなかでの戦闘。
古式ゆかしいRPGめいた状況であるが、実際不思議と体勢は安定しつつあった。
『シシシシシシ!』
だからこそ、もう絶叫はしなかった。
燃え盛る炎の模様によって、顔のようなものができている隕石。
明らかに自由意思を持っているそれは、その炎の顔で笑っていた。
『来たか、マロン! またも現実の人間を呼び寄せて、我らを阻むつもりだな!』
その怪物は蛇太郎ではなく、蛇太郎の傍にいるマロンを見ていた。
あくまでも意識しているのは、夢の世界を守ろうとしているマロンなのである。
「そうだ! この夢の世界を守ることが、僕の使命……これを果たすために、お前を倒す!」
応じるようにマロンも叫んでいた。
夢を終わらせようとする悪夢を、彼は絶対に許さない。
『無駄だ無駄だ無駄だ! 遠ざけることはできても、消すことはできない! それが死というものだ!』
隕石の怪物は、嘲り笑う。
世界の滅びを止めるというのが、すでに限界なのだと大笑いする。
『マロンに呼ばれただけの現実から来た人間よ、お前もわかっていないな! なぜこの世界を守る? 誰もが終わりを、死をこそ望んでいるというのに!』
そして蛇太郎のことさえも嘲った。
確かに言っていることはもっともである、誰もが隕石を歓迎している。
ならば滅びを止めるのは、ただのおせっかいではないか。
実際、蛇太郎もそう思った。
だが違うのだと、思い直していた。
「全員じゃない」
いいや、知ったのだ。
誰もがこの終わりを歓迎しているわけではないと。
「俺がこの世界に来てすぐに、世界が終わることを惜しんでいた人に会った。きっとほかにもいるさ、目立たないだけでな」
惜しんでいる人がいるのなら、存続させる価値はある。
世界に二人しかいないとしても、蛇太郎一人が頑張る理由になる。
「それに……俺にも、消えてほしくない仲間ができた」
分かり合えないと思っていたリームとも、ふとした時に仲間になれた。
それならば残る三体だって、仲間になれるかもしれない。
だったら、消させるわけにはいかない。
「だったら……消させるわけにはいかない」
『そうか! 生を望むか、存続を望むか!』
皮肉にも、この隕石のほうがよほど通じ合えた。
この短時間で、意思疎通が成立していた。
だがそれは、戦わずに済むということではない。
『くだらない、馬鹿馬鹿しい! この世界にあるものすべてがまやかし、終わることを求められている舞台! ならば消すまで、望まれるままに!』
世界を滅ぼそうとする隕石に対して、蛇太郎は活力を燃やしていた。
世界を存続させようとする蛇太郎に、隕石は体を燃やしていた。
『お前のその気持ちも、しょせんは気の迷いにすぎん! ならば終わらせてやるまで!』
隕石のモンスターとメイド姿のモンスターたちが、ともに落下しながら衝突する。
夢の世界ではあるが、夢でも見られないこの光景。
それがこの異常事態を、端的に表している。
『我こそは意思を得た技! 心を折る理不尽!』
『四終が一つ、死の鉄球!』
四体のモンスターは、それぞれが特殊勝利条件を持つ。
すなわち、英雄であろうと甲種であろうと、世界であろうと、太刀打ちできない絶対の敗北。
それそのものが、敵なのだ。
『ステージギミックである!』
四終、ステージギミックが現れた!




