郷に入っては郷に従う
行き先を指定しないワープと言うのは、海のど真ん中でイカダに乗って漂流するよりも危険である。
仮に行きたい場所があっても、たどり着くことは期待できない。それどころか、通常の空間に復帰することさえ困難である。
猫太郎が捜索を諦めたのもある意味必然で、自殺同然の逃走を図った相手を追いかけるほど暇ではなかったのだ。
だからこそ満身創痍の獅子子は、自分たちが森の中にいることに気付いただけで、奇跡の存在を信じた。
宇宙空間に移動してもおかしくなく、加えて高い山や湿地帯、極地などではなく森林地帯に移動できたことは僥倖どころではない。
本当に奇跡であり、何かの意図があったとしか思えなかった。
「天は私たちを見放さなかった……やっぱり私たちは、特別な存在なのよ……」
神に祈ることはないが、運命の存在は感じた。
一か八かどころか万に一つも成功するとは思えなかったことが成功したのだ、そうも思うだろう。
「……まずは麒麟を治してあげたいけども、私の適性じゃあ治せて一人。それじゃあ蝶花が助からないわね」
しかしこのまま都合よく助けが来ることを期待するほど、彼女は無能でも楽観的でもない。
相変わらず自分たちは傷だらけで、いつ死んでもおかしくない。
その上自分たちはお尋ね者だ。誰かが助けに来ても、それが自分たちにいい結果をもたらすとは限らない。
「まずは蝶花から治しましょう……蝶花なら、私のことも治してくれるはずだわ」
新人類は壊滅した。
この場にいる三人はぼろぼろだが、組織としての実態はこれ以上に終わっている。
だがしかし、それで折れるぐらいなら逃げていない。
大人しく捕まって、法の裁きを受けていただろう。
(小判猫太郎……魔王時代以前から生きている天使族を、四体も従えているあの男さえいなければ……!)
天使、戦乙女、死神、天女。
いずれも天使と呼ばれる種族であり、長命であり、古くから人間の味方だった。
それこそ魔王に人類が勝利する以前から、手助けをしていたという。
隷属に近い現在の立場になったのは魔王が封印されて以降だったが、未だに神聖視されている長命なる存在だった。
いわゆる『神』に仕えているわけではないが、それでも道徳や秩序を重要視する人間の監視者であり、現代でも敬われている。
とはいえ、獅子子がそんなことを考えているわけもない。
何の力もない男に顎で使われているのだ、何が天使だと言いたい気分である。
だが、強かった。
もしも敬意を抱くとしたら、ただそれだけである。
そうした反骨心を燃料にして、彼女は己を奮い立たせる。
まだ負けていない、まだ終わっていない。執念をもって、再起を図ろうとした。
その執念が実ったのか、そもそも四体に殺意がなかったからか。
程なくして蝶花は意識を取り戻し、彼女の技によって麒麟も復帰する。
もしも狐太郎が同じような怪我を負っていれば、ここまで早く復帰することはできない。
この場の三人は先祖返りであるがゆえに、回復効果もてきめんだった。
「……ありがとう、獅子子。君がいなかったら、僕らは権力に屈していただろう」
「礼には及ばないわ、麒麟。貴方を助けることは、私の役割よ」
「それでもお礼を言わせてほしい……本当に感謝している。もちろん、傷を治してくれた蝶花にも」
「あらあら……嬉しいわね」
三人は一息をつくことができた、しかし現状をまるで把握できていない。
というよりも、安心できる要素が何一つない。
行き先を指定せずにワープしたため、おそらく追跡する手段はない。しかしこの場の三人も、ここがどこなのかまるでわからない。
いや、『ここ』がどこなのかさえ、さほど重要なことではないのだ。
「改めて謝っておくけど、ここがどこなのか、いつなのかさえわからないわ」
これは実用レベルではなく実験室レベルの話だが、『ここ』に置いてあったものがなくなれば『ワープ』は成功している。
もちろん商用レベルに到達させるには、時刻表通りに走る電車に匹敵する安全性が求められる。しかしここに置いてあったものがなくなれば、それだけで瞬間移動は成功しているのである。
問題なのは、どこに行ったかである。
当然ながらGPSめいた位置特定用の装置をワープさせることを繰り返したのだが、ワープ装置のすぐ脇に十秒後現れることもあったし、古い地層で半分化石になったものが発見されることもあったし、十年ぐらいたってから月に現れることもあった。もちろん、いまだに発見されていない試験機も大量に存在している。
つまり三人が今いる場所は、千年後や一万年前の世界なのかもしれない。あるいは三人が暮らしていた世界である保証さえない。
「咎められないさ、獅子子じゃなくて僕に意識があっても、同じことをしていたよ……こうして三人がそろっているだけでも十分さ」
麒麟は彼女を咎めなかった。
今生きているのだから、むしろ状況は好転している。
こうなれば、時差があり遠い世界であるほうが、三人にとっては好都合だった。
「それに……もしかしたら、この世界でなら、僕たちは僕達らしく生きられるかもしれない」
誰にも押し付けられることなく、自分らしく生きていきたい。
あまりにもささやかで切なる願い。
それが今自分たちのいる場所で叶うなら、むしろいいことではないだろうか。
元より麒麟は戦って勝ちたかったのではなく、居場所が欲しかっただけなのだ。そう思っても不思議ではない。
「そうだといいわね、麒麟」
「蝶花、そんな楽観的な……」
「いいじゃない、獅子子。怖がるよりも、楽観したほうが健康にいいわよ」
「ストレスが健康の妨げになることは認めるけども、過度な楽観は生存の可能性を下げるわよ?」
「獅子子は心配性ねえ。しかめっ面をしていたら、運気が下がりそうじゃない」
三人が着ている服は、形状記憶繊維によってつくられている。
その名前通りに型崩れをしにくいなどの特徴はあるが、それ以上に『回復魔法によって復元する』という機能を持っていた。
切り裂かれても燃やされても、その損傷は回復魔法によって癒される。
切り刻まれ焼き尽くされればその限りではないが、三人とも普段通りの格好になっていた。
千尋獅子子は、男装と言っても差し支えないスーツ姿である。スカートではなく体に密着した、体のラインが見えるズボンをはいており、とても動きやすい恰好だった。
その一方で、甘茶蝶花の服装はとても女性的である。OLめいた仕事着なのだが、ひざ下まであるスカートで、やや動きにくそうである。
とても女性的な服装の蝶花は、やはり女性的な柔らかい性格をしていた。
その柔らかさが戦いが終わった直ぐ後にも発揮されていることに、獅子子は頭を痛めていた。
「そうだね、せっかく得た奇跡だ。幸運があると信じたい」
しかしそれは、麒麟にとっては嬉しいことだった。
彼にとって、獅子子と蝶花は姉のようなものだ。二人の姉が、普段通りにしていることは、とても心が安らぐことである。
「麒麟、貴方まで……。いえ、元をただせば、貴方が楽観したんだったわね」
二人が気楽なのは仕方がないとして、自分まで気を緩めるわけにはいかない。
獅子子は顔を引き締めた。
「とりあえず、周囲を探りましょうか。キョウツウ技、マップヴィジョン」
獅子子は妨害系や索敵系に優れた、斥候の適性が高い女性である。
彼女が周辺の地形を立体映像にして投射するキョウツウ技を使えば、極めて広い範囲を高精度で表示することができる。
淡く光る線と点によって、周囲の状況が映し出された。
「獅子子さん、ここがどこだかわかりますか? 僕たちの世界ですか、違いますか?」
「あのね、麒麟……。さすがにこんな狭い範囲の地形じゃあ、何もわからないわよ」
とはいえ、流石に彼女も世界中の地形が脳内に入っているわけではない。
世界地図が投射できるならともかく、周辺の地形を切り取ったところで、これが元の世界なのかどうなのかわかる筈もないのだ。
「とりあえず、近くに人里があるわね……都市じゃなくて、小さな村……モンスターの自治区か、自然保護区かしら」
「あら、違う世界か、過去の世界の集落かもしれないわよ?」
「まあ、そうかもしれないけど……」
安易に都合のいいことを言い出す蝶花に、やはり獅子子は顔をしかめた。
「確かに電気設備の類は見当たらないわね。ただそれはモンスターの自治区ならよくある話だし……あら?」
投射されている映像の中で、獅子子は尋常ではないものを見つけた。
「……人とモンスターが、戦ってるわ」
「本当ですか!」
「本当なの?!」
「ええ……スライムのような下等生物じゃない……高等なモンスターが人間と戦っているわ」
彼らの世界にも、人間と戦うモンスターはいた。
ただそれは、スライムのような極めて原始的な生物ぐらいで、高等なモンスターであれば絶滅しているか人類に服従している。
であれば、それは彼らにとって異常なことであり、元の世界と著しく違うことを示唆していた。
「行こう!」
麒麟の判断は早く、他の二人もそれに逆らわなかった。
※
森林地帯にある、流れが緩く深い河。
その近くで、一人の男が血の滴る槍を構えていた。
無防備どころか武装している彼は、手傷を負っている。
彼の周囲には、大量の鰐が群がっていた。明らかに、彼に集団で襲い掛かろうとしている。
「ふぅ……」
既に三体ほど、頭を一突きにされて死んでいる鰐がいた。
それは彼が熟練の戦士であることを表しており、表情に絶望はない。
しかし、緊張していた。もしも油断をすれば、食いつくされる。そうわかっている顔だった。
鰐とは非常に強力な肉食獣だが、彼を包囲している鰐はどれもが大型である。
匍匐前進の姿勢をしているにも関わらず、大柄な男の腰の高さに目がついていた。
明らかに通常の動物とは異なる、強大なモンスターだった。
「……む!」
そのモンスターに包囲されているにも関わらず、彼は物音に反応してその方向に槍を向けた。
そこから現れたのは、三人の男女である。
「キョウツウ技、ホワイトファイア!」
「なんだ?!」
飛び出した麒麟が白い炎を放つ。
超高熱の炎が迸り、あっという間にほとんどの鰐を焼き払っていた。
突如として燃え盛ったまぶしい炎に圧倒されて、槍を構えていた男も思わず顔を隠す。
だが仲間を焼かれた鰐はそれどころではない。
大慌てで反転し、河の中へ逃げ込もうとする。
「キョウツウ技、ブラックトルネード!」
しかし、その前に獅子子が立ちふさがる。
白熱の炎に比べれば威力は劣るものの、黒い竜巻は残った鰐たちを切り刻んでいった。
「おお……」
その圧倒的な光景に、思わず感嘆する槍の男。
その彼に、ゆったりとした調子で蝶花が歩み寄った。
「あらあら大変……お怪我をしていますね。キョウツウ技、ケイショウ治し」
彼女の手から淡い光が溢れ、腕や肩に負っていた傷がふさがっていく。
「お、おお……」
「これでもう平気ですね」
麒麟も獅子子も、槍の男の傍に歩いていく。
彼を包囲していた鰐の群れは、もはや跡形もなかった。
窮地に追い込まれていたように見えた彼を、三人はあっという間に助けていたのである。
「もう大丈夫です、周囲に危険なモンスターはいません」
にっこりと笑う麒麟。
彼は勝ち誇ることも優越感に浸ることもなく、槍の男の無事を喜んでいた。
「危ないところでしたね」
その純粋無垢な笑顔。
自分よりも明らかに背が低い、幼く見える麒麟を見て。
彼はようやく状況を悟った。
「……」
「どうしましたか?」
「ふざけんな! 何してくれてるんだてめえら!」
拳骨を、三人の脳天に叩き込んだ。
「誰が助けてくれなんて言ったんだ! ぶっ殺すぞ!」
いきなり頭を殴られたことで、三人は無防備に喰らってしまった。
先祖返りであるはずの三人は相応に頑丈なので、ただ大きいだけの男から殴られただけなら痛いわけもない。
それでも痛いのだから、目の前の彼は先祖返りか、それに相当する筋力の持ち主なのだろう。
もちろん、怒っている理由はまた別なのだが。
「あ、あの……? 貴方は、その、危険なモンスターに襲われていたのでは?」
目から火花を出しそうな麒麟は、困惑しながら質問をした。
なぜ自分たちが殴られたのか、なぜ彼が怒っているのか、さっぱりわからない。
「こいつらは俺の狩りの獲物だぞ! それをこんなことにしやがって! これじゃあ食えねえじゃねえか!」
思いのほか、わかりやすい理由だった。
わかりやすすぎて、殴られたことにも納得してしまっていた。
「……すみません」
白熱の炎、黒い竜巻。
それらによって殺された鰐たちは、跡形も残っていない。槍の男が既に仕留めていた鰐も、同じようになっていた。
つまり、食えない。そういうことだった。
Cランクモンスター、ラウンドシャーク。
シャークと言うが、サメではない。ラウンドと言っているが、水陸両用である。
一般的な鰐よりも数段大きく、顎の力も強い。
食用であり、地方によっては名物料理になっている。そこまで美味しくはないが、毒はなく加工も簡単で日持ちし量もとれる。
「はあ……大体な、ここは俺の猟区だぞ。なんでお前らみたいなのがいるんだ?」
三人の視点から言うと、槍を持っている男はかなり原始的な装備である。
にもかかわらず、その言葉は微妙に文明的で、内容が理解できてしまうものだった。
「申し訳ありません、狩りの邪魔をしてしまって。私たち三人は旅をしている者でして、たまたま通りがかってしまったのです」
「……はぁ? ここは街道沿いでもなんでもないんだが……その恰好で旅?」
獅子子の弁明を聞いて、三人の恰好をまじまじと見る槍の男。
彼の知っている服ではないが、旅をする格好ではないことだけは確実だった。
高い戦闘能力は今見たばかりであるし、どう見ても怪しかった。
「あの、窺ってもよろしいですか? もしかして貴方は、モンスターと戦うお仕事をなさっているので?」
「ん? まあ、Cランクハンターだが……」
いぶかし気にしている彼へ、麒麟が質問を続けた。
それに対して、一応答える槍の男。
特に特別な地位でも職業でもないので、隠すこともなく明かしていた。
だがそれは、三人にとって大きな意味を持っている。
「二人とも聞いたかい? やはりここは、僕たちの知っている世界じゃないんだ」
「そうみたいね。あのモンスターは絶滅種でもなかったし、彼もとても大きい。時代が違うのではなく、世界が根本的に違うみたい」
「なんだかワクワクしてきたわね、お話みたいだわ」
ハンターからいぶかし気に見られていることにも気づかず、三人は内緒話をしだした。
ハンターから見ると、三人は明らかに興奮している。
「貴方の獲物を、台無しにして申し訳ありません」
「ん、ああ、まったくだ」
「弁償したいところなんですが、僕たちはこの国の通貨を持っていなくて……働いて返したいのですが」
「働く? お前らが?」
「ええ、戦う力に自信はあります」
麒麟の目は、純粋に輝いていた。
それは幼くさえ見えるほどである。
「貴方と一緒にモンスターを退治しますので、それでどうでしょうか?」
「……」
「もちろん、指示には従いますので」
「はぁ……文無しなら仕方ねえ、諦めるからとっととどっか行っちまえ」
「いえ、お返ししたいんです」
「悪いが……ハンターでもない奴と一緒に仕事をするわけにはいかねえよ」
「でしたら、僕たちもハンターになります。必ずお役に立ちますので!」
Cランクハンターは、呆れていた。
その熱意にも、何の感慨もわかない。
「どこのボンボンか知らねえが、故郷に帰りな。悪いがお前らじゃあ、ハンターになれるとは思えねえよ」
「どうしてですか?」
「ハンターになるには、最低限必要なものがある。お前たちに、それがあるとは思えねえ」
ハンターから見れば、三人は明らかに訳ありだった。
何か事情があって、道なき道を進んでここまで来たのだろう。
だからこそ、ハンターになることができるはずもないのだ。
「何が、必要なんですか」
熱意が伝わらないことにカチンときたのか、食いついていく麒麟。
他の二人も、納得がいかないようだった。
目の前の彼が強いことは認めるが、自分たちの方が強いはずである。
先ほどのモンスターでも、やろうと思えば精肉として卸せるほどきれいに仕留める自信もあった。
「わからねえか?」
「わかりません!」
だがCランクハンターは、彼らにハンターになる資格がないことを見抜いていた。
「身分証明書だ」
持ってなかった。




