夢の木の上で
この世界は『日常』の夢である。
その意味するところは、日常で期待してしまう夢に他ならない。
雑に言えば、期待できる範囲の妄想である。
現実に存在しないものは存在できない、その一方で「そんなにねえよ」というものは結構存在している。
その一つが、ツリーハウス。高い木の上、木の幹や太い枝へ固定されている、小さな家。
絵にかいたような、木の生い茂る裏山。その中にある『都合よく生えている大きな木』に、そのツリーハウスはあった。
「ここが私たちの秘密基地だよ!」
「……子供の秘密基地、実在したのか」
「いや、夢の世界だからね」
巨大な木の上にある、ツリーハウス。
実在しないとは言い切れないが、相当困難な代物であることは確実であろう。
その存在意義が子供の秘密基地であっても、作成できるのはよほど予算のある大人だ。
小ぶりなテントぐらいならまあどうにかなるが、見上げているツリーハウスはかなりの大きさだった。
なにせ二階建てである。
外は狭いけど実は内装が……とかではなく、外から見ても二階建てだった。
それが枝の上に建てられているのだから、木本体がどれだけ大きいのか察しもつくだろう。
そう、とんでもなく大きい木だった。
裏山の頂上に生えているうえで、周囲には背の高い木はない。
まさに秘密基地を作ってくれと言わんばかりの配置だった。
(聞くところによると、ハーピー種の自治区にはまだあるらしいが、古民家扱いらしいな。最近は岩壁に建てるのが一般的だっていうし……)
ツリーハウスで生活するには、まずある程度体が軽くなければならない。
体が重い場合、まずその本人の体重が木にかかり、さらにその体重を支える基礎なども重くなってしまう。
その点ハーピーは体が軽いので、それこそ巨大な『鳥の巣』を作っていた時代もあったのだが……。
まあぶっちゃけ、電化の波が駄目だった。せっかく高い金を払ってテレビやら冷蔵庫やらを買ったのに、『ハーピー用のツリーハウス』では耐久重量に制限がかかりすぎてしまうのである。
もちろんある程度時代が進めば家電も軽量化されてきたのだが、それでも多くの家具を置くには重量制限が煩わしい。
ちょっと気にすれば問題ないが、そんなものを気にせずに生活がしたい、と思うのは自然であろう。
そうして淘汰されつつあるのが、住居としてのツリーハウスである。
だが目の前にあるツリーハウスは、本当に一軒家だった。
それこそ子供の考えた、僕たちの秘密基地という風情である。
木の上に建てる工夫とか制限とかを忘れて、とりあえず家を木の枝の上に置きました、という具合だ。
かりにこれを現実で作ろうと思えば、まず『木』自体を人工物にした、なんちゃってツリーハウスにせねばなるまい。
「……あのさあ」
そんなことを考えている蛇太郎へ、マロンが声をかけた。
その顔は、それこそ呆れている。
「こうやってツリーハウスに見とれるのはいいんだけど、いい加減中に入ろうよ。話が全然進まないじゃないか」
物件の下見をしにきたわけではないし、観光に来たわけでもないし、文化や風俗の見学に来たわけでもない。
ここには仲間を集める目的で来たのだ。ある意味ツリーハウスであるなんてどうでもいいのだから、さっさと入ってほしいところである。
「……実は高いところが苦手で」
「飛んできただろ! いいから早く登って!」
しり込みしている蛇太郎の尻を蹴って、マロンが促す。
自分で自分の馬鹿さを分かっているため、蛇太郎は巨大な木を登り始めた。
奇妙な感覚だった。梯子があるわけでもなく、足をかけられる枝があるわけでもない。幹の樹皮に指をかけているだけなのに、しっかりと体が固定できていた。
当たり前だが、幹の角度は垂直に近い。それですんなり登れていくのだから、それこそ猿並みの筋力でなければなるまい。
にもかかわらずすんなり登れているのだから、それこそ夢の世界であろう。
「なんかどこまでも登れそうだな……いや?」
奇妙な感覚を覚えて、蛇太郎は登る手を止めた。というよりも、手が引っかからなくなった。
それまでは梯子でも掴んでいるようにしっかりとつかめていたのに、途中でその手が止まったのである。
登っていく感覚が新鮮で、そればかりに気を向けていた。
しかしふと隣を見れば、見上げていたはずのツリーハウスがある。
「……本当に夢なんだな」
ツリーハウスが『乗っている』木の枝は、ほんのわずかも揺れていない。それどころかさほど太いわけでもないのに、その上に乗っても歩いていても、まったく不安がなかった。
まるで透明な壁でもあるかのように、体を傾けても枝を踏み外すことはなかった。
「でもまあ……しかしなあ……要は究極のモンスターだもんなあ……」
木の枝の先にあるツリーハウス、そのドアの先に夢の世界の住人がいる。
おそらくはなにがしかの『妄想』を押し付けられた、夢の世界の住人である。
(いやしかし……変に哀れむのもモンスターハラスメントだからなあ……)
君はなんてかわいそうな生き物なんだ、と言われて喜ぶことはそうないだろう。
古いジョークには、人間がホムンクルスへ『工場生産されるなんてかわいそうだね』と言って、ホムンクルスは『交尾で増えるなんて下等だね』と返す定型がある。
古いなりに有名なジョークで、似たようなものはたくさんあるのだが、最近はコンプライアンスによって大抵禁じられている。
だが古い本には結構書いてあり、それもまた結構流通している。あんまりよろしくないが、過去にさかのぼって抹殺するほどではないということだろう。
ともあれ、変に哀れむのはよろしくない。
対応を考えていた蛇太郎は、己を勇気づけるために復唱する。
「いま世界はピンチだ……とにかくさっさと動かないと」
蛇太郎自身、自分が嫌になっていた。
冒険が始まったのに一向に進まない、これでは本当に時間切れである。
だが人はそう簡単に変われない。ではどうするのか。
「すまん、リーム……その、俺のことを紹介してくれ」
「うん、任せて!」
飛んできたリームに仲介を任せた。
仲間の力を借りて、仲間に口利きを頼んだのである。
情けないが、情けないとか言っていると本当にヤバい。
人見知りの引っ込み思案で世界が滅びたら、それこそ戦犯であろう。
「みんな~~! ご主人様を連れて来たわよ~~!」
(なぜ俺はこれができないのだろうか……)
あっさりとツリーハウスのドアを開けて、グリフォンのリームは中へ入っていった。
自己嫌悪に陥りながら、蛇太郎もそれに続く。
ツリーハウスの中は、やはり奇妙だった。
電灯などの照明がなく、木の枠があるだけの窓から光が入ってきているだけなのに、まったく暗くない。
そしてその中に待っていたのは、やはり『存在しないはずのモンスター』たちだった。
「阿修羅のヤドゥちゃん、アルトロンのラージュちゃん、インテリジェンススライムのポップちゃんだよ」
「……ど、どうも」
蛇太郎は面食らっていた。明るい部屋の中なのに、まるでお化け屋敷である。
なまじモンスターと密接な生活をしているからこそ、いるはずもないモンスターに驚くのだ。それは狐太郎の仲間たちが、シュバルツバルトのモンスターに遭遇した時と同じ驚きである。
(多肢の鬼に双頭の竜、知性のあるスライムだと……いるわけがない!)
三体のモンスターの中で、ひときわ目を引くのが三面六臂の阿修羅だろう。
一つの頭に前と左右に三つの顔がある。更に六つの腕が生えており、如何にも異形といった風体だった。
それに比べれば見た目のインパクトが負けているが、双頭の竜も大したものだった。
人間によく似た顔がある一方で、背中からドラゴンの首が生えている。脊椎が枝分かれしているのは、やはりおかしなことだった。
そして、説明が不要のインテリジェンススライムである。
不自然なほど水色をしている、重力に負けて潰れた水球。その体積は成人男性二人分を越えているほどだった。
ある意味普通のスライムなのだが、これに知性があると思うと不気味に感じてしまうだろう。
(……普通のモンスターで良かったんだけどなあ。いや、まあ、普通のモンスターはここにいないんだけども)
覚悟はしていたが、普通に困っていた。
(でもそれを言い出せば、お前みたいなやつじゃなくて他の、普通の人間が良かったと言われそうだし……よし、踏み込むとしよう)
しかし困っているだけの男が、後に英雄と呼ばれるようになるわけもない。
蛇太郎は自分から前へ出た。
「はじめまして、俺は蛇太郎だ。この世界を守るために、マロンに呼ばれた現実世界の住人だ。及ばないところがあるかもしれないが、みんなと一緒に戦いたい」
挨拶に個性などいらない。
誰もそんなもの求めていない。
そう知っている蛇太郎は、できるだけ要点をまとめて伝えていた。
「ぶふぅ!」
後ろでマロンが吹き出していた。
おそらく先程までの醜態とのギャップに、笑いを禁じ得なかったのだろう。
正直に言って失礼だったが、蛇太郎はそれを笑えなかった。
彼自身、そう思っていたからだ。
さて、そんな蛇太郎へ三体のモンスターはどう反応するのか。
「紹介に預かりました、阿修羅のヤドゥでございます」
最初に反応したのは、阿修羅のヤドゥだった。
側面にある顔も飾りではないらしく、その6つの目全てで蛇太郎を注視していた。
(怖いな……)
側面の顔は、ものすごく目を寄らせている。
そのため、ものすごく奇妙な顔になっていた。
まさに三人から同時ににらまれているようで、とんでもなく怖い。
「蛇太郎様、ですね」
「あ、ああ……」
「……感動いたしました!」
三つの顔、六つの目、全てが泣いていた。
どれもが感動の涙である。
(早くない?)
はっきり言って、困惑していた。
おそるおそる、定形から間合いをつめようとしただけなのに、相手は思いっきり間合いを詰めてきた。
距離感を間違えているどころか、最初から測る気がない。
そう、蛇太郎が距離を測ろうとするとしても、相手もそうしてくるとは限らないのだ。
「貴方にとって縁もゆかりも無いこの世界を守るため、命をかけて戦ってくださるとは……そんな素晴らしいお方へお仕えできるなど、阿修羅としてこの上ない幸福でございます!」
膝を突き、礼を示す。
それは武人が君主へ示す礼であり、とても本格的なものだった。
一部の亜人、それも特定の古武術に深く関わっているものならば、戦争を経験した長命種へこうした礼をすることもある。
だが、初対面の一般人にやることはない。それは礼をする側が相手を選ぶということであり、やられた方も困るということだった。
(いきなり何をしだしたんだこいつ……)
距離感を間違えると相手を困らせる、を受け身で実感することになった蛇太郎。
相手へ気を使おうと思っていたのに、相手が気を使ってくれていないので、むしろ不快になっていた。
「阿修羅のヤドゥ、武勇においては右に出る者などおりません。どうか重用ください!」
「あ、はい」
熱意は伝わってくる、暑苦しいほどに。
熱伝導率の高いコミュニケーションに、蛇太郎は逃げ出したくなってきた。
「あ、あの……アルトロンのラージュ、で、です!」
そんなヤドゥに続くのは、龍の頭と人の頭を持つラージュだった。
ドラゴンの顔からは表情を読み取りにくいが、人間の顔を見る限り緊張しているようである。
(よかった……この子は陰気だ……!)
割とひどいことを考えながら、蛇太郎は安心していた。
やはり似ているものと群れたがるのが、人の弱さであろう。
「ま、魔力はすごいですし……頭が二つあるので、その……二回攻撃できたりします……そういうシュゾク技が得意です……」
「あ、ああ……そうなのか、頼りにさせてもらうよ」
「い、いえ……あんまりお役に立てるかはわからないんですけど……そういう方向で頑張るってだけで……」
ビクビクしているラージュ。
人の顔は蛇太郎に向かない様になっており、背中から生えているドラゴンの顔は自らの身体に隠れている。
(よし! この子とは仲良くなれそうだ!)
やはり失礼な事を考えている蛇太郎。
しかしそれを口にしないところが、彼の優しさの現れであろう。
思うだけなら、罪ではないのだ。
(他の子達が積極的に詰め寄ってくるけど、この子と俺は一緒に困って、まいったねって苦笑し合うんだ……!)
妙に気持ち悪いことを考えている蛇太郎。
前の二体の第一印象が最悪だったので、結果的にラージュへの好印象がすごくなっていた。
「そ、それで、その……」
「な、なんですか?」
「お、お願いがあるんですけど……こ、これから一緒に、が、頑張って戦うんです……よね?」
「もちろんです」
「そ、それなら……お願いを、聞いてほしいんですけど……」
「なんでしょうか?」
蛇太郎は、油断していた。
相手がモンスターであることを忘れていた。
「あ、頭を、二つとも、撫でてくれませんか?」
「……は?」
油断していたら、一気に間合いを詰めてきた。
おどおどとしていたのに、要求はかなり大きかった。
(え、アルトロンってそういう種族なのか? それともこの子がそういう個性を持っているのか?)
蛇太郎の中に比較対象が存在しないので、彼女だけがこういう性格なのか、それともアルトロンという種族の文化なのかはわからない。
しかし犬猫や牛馬ならともかく、知恵あるドラゴンが初対面の相手に撫でてもらいたがるだろうか。
(いや、犬猫や牛馬でも、嫌がるときは嫌がる筈だ……初対面の相手に気を許し過ぎじゃないか? ノーガード戦法なのか?)
本気で悩む男、蛇太郎。
彼の倫理、道徳観において、初対面の女性の頭を撫でることは著しく不潔なことである。
この場合の不潔とは、不衛生という意味ではなく、貞操や尊厳にかかわる問題であった。
やや子供じみた表現だが、初対面の女性が『私のスカートをめくってください』とお願いしてきたようなものである。
嬉しいとか嬉しくないとか以前に、正気を疑うか文化の違いにめまいを覚えるだろう。
狗太郎なら調子に乗って撫でまわすだろうが、彼は基本的に優しい男なので、躊躇してしまうのだ。
(でも命がけで頑張ってもらうことは事実……そして俺に頭を撫でることを要請しているのだから、答えるべきか?)
優しい男、蛇太郎。
彼は自分の中の倫理に反する行動を、必死でとっていた。
「こ、こうですか……?」
「あ、はい……で、でも、こっちもお願いします……」
(引っ込み思案と見せかけて、厚かましい……)
蛇太郎は失意の中で、人の頭と竜の頭、双方を両手で同時に撫でていた。
「え、えへへへ……」
しかしそんな蛇太郎の顔を見ることなく、アルトロンは二つの頭で喜びを表現していた。
それを見ていると、不思議と悪くない気もしてくるのだった。
(……こうやって喜んでもらうと、けっこういい気もしてくるな)
自分が何かしたら相手が喜ぶ。
それはコミュニケーションの成功であり、蛇太郎は少しだけ気を良くしていた。
「あらあら~~、そろそろ私に譲ってちょうだいよ~~!」
「あ、ああ?」
非常に重量感と弾性のある……張りのある柔らかいものが、蛇太郎の背後にぶつかってきた。
ただぶつかってきただけではなく、そのままくっついてきている。
猛烈に嫌な予感がした蛇太郎は、恐る恐る背後を見た。
「……インテリジェンススライムのポップよ。よろしくね、ご、しゅ、じ、ん、さ、ま?」
「……あ、はい」
蛇に睨まれた蛙のように、蛇太郎は身動きが取れなくなっていた。
そこには豊満な女性の上半身を形成している、インテリジェンススライムがいたのだ。
(……究極のモンスターだ)
倫理に反する存在に、蛇太郎は戦慄と驚愕を隠せなかった。
「ちょっとちょっと、いくらスライムだからって、抱き着いているのにその堅い反応はないんじゃないの? もうちょっと喜んでくれてもいいじゃない」
「あ、あの、おい……ま、待って!」
スライムだからなのか、彼女の腕らしき部位は、伸縮自在だった。
驚愕し過ぎている蛇太郎を抱き、更にその下半身にまで『伸ばしている』。
(オタクに優しいギャル、最初から忠誠心の高い女騎士、ナデポを要求してくる引っ込み思案、そしてお色気枠のお姉さん……非実在モンスターって、究極のモンスターじゃないか!)
モンスターの性質どうこうではない、個性的というかキャラを作っている感があった。
(え、こいつらと一緒に戦うの? 世界救うの? この夢の世界には、能天気な奴しかいないのか?!)
積極的に動いてくるのだが、主体性が感じられない四体。
それこそ『どっかで見たけどどこにもいないキャラ』の既視感がえぐかった。
(相対的にリームが一番まともだった、実在性が高かった。いや、お色気枠のお姉さんは、いるかもしれないが……それは営業か犯罪者のはず……まさか?!)
実在する夢の国は、現実的な対価を要求するという。
同様に大人の妄想を現実にしてくれるお店では、大人のお値段が発生するという。
「あの……マロン? もしかして世界を救った後、物凄い請求書が俺の家に届くとか、ないよな?」
この世界で唯一まともなマロンへ、抱き着かれたままの蛇太郎は質問を投げた。
かなり失礼な疑問だし、既に料金が発生していて手遅れなのだろうが、それでも聞かずにいられなかった。
「……君に支払い能力はないだろう」
「そうか、そうだよな……俺未成年だもんな、借金もできないもんな!」
呆れているマロンから、やはり現実的な回答が帰ってきた。
彼女たちのことを信じてあげてくれ、という精神論よりもよほど信じられる言葉だった。
根拠のある正論こそが、人へ勇気を与えてくれるのだろう。
「マロン、ありがとう……勇気をありがとう」
「それは勇気じゃないよ、勘違いしちゃだめだ」
ごほん、と咳払いをするマロン。
それは自己紹介が終わって、次の段階に話が進んだという合図だった。
それに答えるように、四体は蛇太郎から離れて横一列に並ぶ。
「まあそのなんだ……君が彼女たちのような子を苦手にしていることはわかった。でもね、一から本当の友達とか作ってたらキリないんだよ。こっちは時間ないんだよ……わかるね?」
「あ、はい」
堂々巡りにうんざりしているマロンは、区切った。仲良くなるのに手順を踏んでる場合ではない、最初から好感度が高くて悪いことはないのだ。
「とにかく……この四体と一緒に、君には終末のモンスターとその眷属と戦ってもらう。いいね?」
「はい」
「よろしい……それで君に注意事項があるんだけども」
無条件で好いてくる相手よりも、変なことをしたら苛立ってくるマロンの方が安心できる。
蛇太郎はそういうところがあった。
「四体いる終末のモンスターは、それぞれが特殊な条件下でだけ発動できる、超強力な技がある。その威力たるや、カセイ兵器をはるかに超える」
「……は?」
「それらは、何があっても使わせてはならない。君たちが全滅するとかを通り越して、そのまま夢の世界が崩壊してしまうんだ」
防ぐことも、回避することもできない。
仮にできたとしても、夢の世界を守るという前提は達成できなくなる。
使わせずに倒す、という選択肢しか選べないのだ。
「逆に言うと、その超強力な技を使わせなければ、君たちでも勝算は十分にある」
「……カセイ兵器よりも強い敵と戦うってわけじゃないんだな」
「そうだ。そして眷属たちは、その劣化版を使える。流石に世界を滅ぼすほどじゃないけど……もしも条件を満たしてしまったら、大ピンチに陥ると思ってくれ」
四体の仲間を得た蛇太郎へ、マロンは次のステップを指示する。
「もちろんこの世界を滅ぼそうとしている終末のモンスターも、その眷属もそれを持っている。だからそれに対抗するために、君たちはこの世界での『ショクギョウ技』を得なければならない」
「……この世界にもショクギョウ技を得られる場所があるのか?」
「ああ、そこまで案内するよ。でも道中に眷属と遭遇したら、その時は……」
真剣そうなマロンの眼差しに、蛇太郎は持っていた杖を強く握った。
「その時は、今のまま戦ってもらうしかない」
※
さて、夢の世界にもルールはある。
印象で形成されているからこそ、印象にないものは許されない。
この世界はあくまでも平穏な世界であるため、それを乱す行為は実現しない。
鍵がかかっていなくても、他人の家に入ることはできない。
十分な耐久があっても、屋根などに登ることはできない。
この世界に警察などはないが、悪意のある行動が不可能になっている。
完全な犯罪だけではなく、迷惑行為もできなくなっているのだった。
「そういう理由で、すぐに飛んでいくとかは無理なのさ。いくつかは降りても平気なところがあるけどね」
「なるほど……他の世界も同じようなルールがあるのか?」
「もちろん。でもまず、この世界を救ってからにしようね」
ヤドゥら三体を加えた一行は、マロンの案内に従って徒歩で移動していた。
騒がしい街の中では、やはり世界の終わりについて語り合っている。とはいえどう過ごすかだけであり、逃げようとも防ごうともしていない。
対処しようとしているのは、蛇太郎たちだけであった。
「それじゃあ、この世界を滅ぼそうとしているやつの能力は教えてくれるんだな?」
「ああ。この世界を滅ぼそうとしている、死を司るモンスター。その技の条件は……時間経過だ」
七日後に世界を滅ぼすというモンスター、その大技の発動条件が時間経過というのは当たり前かもしれない。
その姿かたちが隕石であることも含めて、一定時間が経過すれば相手に勝つというのはらしいのかもしれない。
「雑に言って、さっさと倒さないといけないんだよ。そのためにはショクギョウ技を会得するのが早いんだ。ただ……」
「ただ?」
「このショクギョウ技についても、現世と夢の世界ではルールが違う。おかしなことがあっても、そういうものだって思って欲しい」
「それはずいぶんと今更だな」
今蛇太郎たちが歩いているのは、学校区画ではなく商業区画。
多くの店が並んでいる大通りであり、飲食店や衣服の店が多かった。
そうしたすべての店が満員御礼、長蛇の列。そのうえ待っている客たちも、全員が楽しそうに談笑していた。
とはいえ、それに対して何か思う程、蛇太郎は貧しい生活を送っていない。
学校ほど極端な光景でもないので、むしろ夢の中であることを忘れるほどだった。
しいて言えば、人間しかいないことと、人間用の商品しかないことだろう。
それぐらいしか、違和感がなかった。
だがだからこそ、マロンと四体のモンスターが浮いているともいえる。
「……というか誰がどの職業の恩恵を受けるのかは、俺が決めなくていいのか?」
「全員同じ職業になるから安心してくれ」
「……それは安心していいのか、悪いのか」
ルールが違う、原則が違う。
それは同じ単語、同じ儀式であるからこそ、逆に混乱を招いていた。
しかし世界が違うのだから、と言われれば納得するしかない。
(いやしかし……)
その一方で、納得しかねるのが自分の後に続くメンバーだった。
かなり非実在性の高い精神を持つ彼女達に、この世界の命運を託していいのだろうか。
リームはにこにこと笑って、ラージュはおどおどしていて、ポップは文字通りスライムの形になって、ヤドゥはきりっとした真面目な顔で歩いている。
個性的なようで没個性的な彼女達には、不安を禁じえない。
「心配なのはわかるさ。彼女達は君の知らないモンスターで、どんなことができるのかわからないからね。でもさ……根本的なところは心配しなくていい」
「……強いってことか?」
「それはそうだけど、もっと単純な……!」
その時である。
ルールによって守られているはずの平穏が、突如として破られた。
無敵であり、破壊判定が存在しないはずの建造物が、突如として崩壊したのである。
それを成したのは、人魂の如き隕石。ナイトメア、終末の眷属であった。
それも一体ではない、同時に三体も飛び出してきたのである。しかも一体一体が、前回倒した隕石よりも見るからに大きかった。
「……一応聞くが、まさか逃げろとか言わないよな」
蛇太郎は周囲を見た。
そこには日常を破壊されて尚、危機感を持たない人々がいる。
目の前で建物が破壊されても、対岸の火事のように、少し驚いているだけの人々ばかりだった。
逃げていないわけではない、それこそ行きたかった店が混んでいた、事故が起こって入れなくなったという程度の認識で、ざわつきながら離れていっているだけだ。
それでもパニックになっていないだけマシではあるのだが……。
今この隕石を野放しにすれば、どうなるかなど考えたくもない。
「それこそまさかだ、逃げろとは言わないよ。倒してもらわないと困る」
「そうこないとな」
ショクギョウ技を習得するために移動している一行ではあるが、それが無くても勝てないわけではない。
苦戦は免れないが、逃げる理由にはならない。
「それなら……」
「それじゃあ……皆行くよ!」
指示をしようとした蛇太郎だが、それを遮る形でリームが飛び上がった。
尋常ならざる速さで飛び出した彼女は、大きく息を吸い込み始める。
「シュゾク技……グリフォンブレス!」
振動と風圧の二重のブレス。
出鼻をくじく先制攻撃が、三体の隕石を同時に揺さぶった。
突進しようとしていた三体の動きが、一瞬ではあるが止まる。
(先制攻撃できる、全体への妨害技の使い手……!)
相手の行動順を下げる、といえばわかりやすいだろうか。
一対一ならさほど意味はないが、団体戦では非常に意味を持つ。
ましてや、仲間にそれに合わせられる者がいるのならば。
「合わせます……シュゾク技……」
グリフォンのブレスは、さほど威力がない。
先制攻撃できるほど出が早く、全体へ妨害できるのだから、ダメージまで期待するのは酷だろう。
だがアルトロン、双頭のドラゴンのブレスは威力充分であった。
「デュアルバットブレス!」
人間の頭とドラゴンの頭、その双方から放たれる破壊の息吹。
三体のうち二体へ命中したそれは、隕石の体を一気に崩壊させていく。
「ううう……はああああ!」
(流石はドラゴン、シュゾク技の威力は最高峰だな!)
ラージュのブレスを見て、蛇太郎は彼女を軽んじていたことを反省していた。
キョウツウ技の適性が低く技の範囲が狭いという短所がある一方で、最強格のシュゾク技を持つドラゴン。
その種族に生まれた彼女の火力を見れば、見直さざるを得なかった。
「二体とも見事。しからば……我が技を御照覧あれ!」
阿修羅のヤドゥが、六本あるすべての腕で片手剣をもった。
三面六臂だからこその六刀流で、三体の隕石へ切り込んでいく。
「シュゾク技、六腕六剣……!」
近接武器による、全体への連続攻撃。
鬼に類するが故の怪力で、深々と切り込んでいく。
「乱れ切り!」
三体いた隕石のうち、二体が動きを止めた。
もちろんラージュのブレス攻撃によってダメージを受け、更に防御力の下がっていた二体が、である。
残る一体はまだ健在であり、攻撃を仕掛けてくる。
隕石であるからこその、ただの体当たりだった。
だが巨大な重機の突進さえ超える、モンスターの体当たりである。
無力なマロンや、ましてや人間である蛇太郎には、当たればそのまま死を意味する。
「く……」
「あらあら、逃げなくていいのよ? ここは私にお任せね」
受け止めるなど考えず、せめて避けようとする蛇太郎。
そんな彼を包むように、インテリジェンススライムのポップが肥大化した。
「シュゾク技、スライムテント!」
分厚い幕となったポップが、蛇太郎とマロンの壁となる。
燃え盛りながらぶつかってくる隕石を、弾性と粘性のある体で受け止める。
「……ポップ」
「これぐらいなら……ね!」
一番どうかと思っていたポップが、身を盾にして自分を守っている。
その事実に羞恥を覚える蛇太郎だが、ポップは苦痛も見せずにはじき返していた。
「ここで決めるよ……ご主人様!」
「……ああ!」
リームの要請に対し、蛇太郎は決然として活力を込める。
手にしているインプットワンドへ、己の気合いを注ぎ込んだ。
「ムゲン技、テンションアッパー!」
「シュゾク技、ライオンキック!」
「シュゾク技……六腕六剣、滅多切り!」
リームとヤドゥのシュゾク技が、弱っている二体の隕石へとどめを刺した。
平穏な世界を崩壊させる隕石を、不可逆的に破壊したのである。
「よし、これであとは一体だけだな」
「いや……遅かった!」
三体を相手にして、二体を瞬殺した。
残った一体を、四体がかりで倒すだけ。
勝利を確信した蛇太郎だが、マロンは危険を察知する。
「は? もうなのか、いくらなんでも……」
「相手が小物で威力も弱めな分、発動条件も緩いんだ!」
残った一体の隕石が、破裂を始める。
それはダメージを受けたが故の崩壊ではなく、内側からエネルギーを放つ前兆であった。
「まずいわね! みんな私の後ろに!」
もはや間に合わない。
そう判断したポップが、今度は味方全員を己の体で包み込んだ。
「シュゾク技、スライムテント!」
それに対しても、隕石はひるまなかった。
ただ己の条件を満たしたがゆえの、必然の攻撃を仕掛ける。
『メテオボール』
それは、隕石にあるまじき軌道の攻撃。
まるで玩具のボールのように、建物や道路にぶつかりながら跳ね回る。
「きゃああああ!」
たまらずに、ポップが吹き飛んだ。
味方を守った彼女が、誰よりもその跳弾を受け続けたのだ。
だがそれだけではない、中にいた蛇太郎たちもその攻撃を受けてしまう。
力を使い果たした隕石が砕け散るころには、全員が倒れていた。
「……だ、大丈夫かい、蛇太郎」
「ん、ああ……!」
自分も傷を負っているマロンから気遣われた蛇太郎だが、自分がどうして無事なのかを理解したとき戦慄した。
身を盾にしたのは、ポップだけではなかった。リームもラージュもヤドゥも、蛇太郎に抱き着いて、隕石から彼を守っていたのである。
「……み、みんな」
恥とは、まさにそれだった。
内心で彼女たちを蔑んでいた己が、どれだけ卑しいのか理解していた。
(お、俺が、俺だけが……どうしようもない奴だ!)
身を捨てて守る行動こそが、友情の証明。
そう信じる蛇太郎は、目の前の美しい献身に震えていた。
「ご、ご主人様、大丈夫?」
「うう……な、何かあったら、と、思ったら……その……」
「申し訳ありません、我らの力不足のせいで……」
「いや……皆は悪くない。悪いのは……」
悪いのは俺だ。
そう言いかけたところで、蛇太郎は思い出した。
一番体を張った、ポップのことを。
「ポップ! 大丈夫か?」
意識を失い、粘性のある水の塊に戻っているポップ。
彼女を抱きかかえようとするが、うまく行かない。
倒れた仲間を、抱きかかえることもできない。蛇太郎は、無力をかみしめていた。
そんな蛇太郎へ、マロンが近寄った。
「勝てなくはないが、厳しい。意味が分かったかな?」
「ああ……痛いほど」
「それなら行こう、彼女達の体を治すためにも……」
この平穏な世界にある、戦うための力。
それを得るため、彼らはある場所へ向かう。
「メイド喫茶へ!」
「……ああ、うん」
やはり常識が違う。
蛇太郎は理解するのだった。




