夢のチケット
英雄たちは、天命を悟る。
ある機をもって、己のここにいる意味を悟る。
馬太郎は人間の醜悪さと対面したとき。
猫太郎は優れた者たちの勝手な嘆きを知った時。
狗太郎は仲間の意思を見た時。
狼太郎は最後の敗者が勝ち誇った時。
兎太郎は最後の壁に阻まれた時。
牛太郎は手段を択ばぬ理想を説かれた時。
蛙太郎は師から使命を託された時。
雁太郎は筆を折った時。
鴨太郎は愛するものを取り戻した時。
己がやるのだと、天命を請け負う。
己が討つのだと、天命を悟る。
己がここにいる意味を、自ら定義する。
悪しき神に挑む善の神として、立ち上がり立ち向かう。
蛇太郎。彼にはまだ、その機が訪れていなかった。
※
英雄信仰。
近代に現れた英雄たちを祀る信仰であり、人間やモンスターたちにとっては新しい祭のシンボルとなっている。
特に六人目の英雄については顕著であり、一年に一度、各地で祭が行われているほどだという。
誰がどの英雄を好むかは、それこそ各々の自由だろう。
流石に功績の規模によって英雄を蔑むのはよくないが、自分が誰を好きになるかは自由のはずだ。
そして蛇太郎は、六人目の英雄、星になった戦士を特に好んでいた。
これを言うと、功績が大きいからとか、とにかく派手だとか、あるいは自分が実際に救われた世代だからと言われる。
もちろん、それが無いわけではない。
だが蛇太郎が六人目の英雄とその使徒を敬っているのは、別の理由だった。
「乗員乗客の中に、先祖返りはいなかった。月面に残されていたであろう兵器は、キメラシステムだけ……アバターシステムはカセイ兵器の中にあっただけ……つまりただの事実として、六人目の英雄には……仲間がいた」
カセイ兵器が動いたのだから、六人目の英雄たる人間がいたことは確実。
キメラシステム以外に使用可能な兵器がなかったのだから、実際に活用したかどうかはともかく、モンスターが仲間に居たことは事実。
そして、彼らは久遠の到達者で帰還することができた。にも拘わらず、月に突入する道を選んだ。
これらが意味するところは、六人目の英雄はモンスターと共に死地へ赴いたということ。
一緒に死んでもいいという仲間と共に、生き残る道を捨てたのだ。
「……きっと、素敵な仲間が居たんだろうな」
敬う気持ちはあるが、それ以上に羨ましい。
生き残ることだってできたのに、一緒に死んだのだ。
確実な生があったのに、確実な死を選んだのだ。
なんという友情だろう。
羨ましいにもほどがある。
「本物の仲間、本当の友達か……」
たとえ世界を救うためだとはいえ、あの短い時間の中で、争うことなく死の決断ができるだろうか。
真の仲間と言う他ない。
敵の悪あがきによって消えた一人目と五人目の英雄。
生還した二人目、三人目、四人目の英雄。
彼らと違って六人目の英雄は、不帰を自ら選んだのだ。
そんな本当の仲間が、実在したのだ。
ただの宇宙好きでしかない者たちの中に、そんな固い絆があったのだ。
「俺にも……できるのかな、そんな仲間が」
重い友情だという自覚があった。
この平和なご時世に、そんな友情を求める方がどうかしている。
彼のクラスメイトにもモンスターを仲間にしている生徒は多くいて、彼らはそこまで重い友情を持っていないが、それでも悪い関係には思えなかった。
変な言い方だが、本当の友情だけが友情ではないのだろう。
クラスで話をするのも友達、放課後に一緒に帰るのも友達、休日いつも一緒なのも友達だ。
そういう意味でなら、蛇太郎にも友達はいる、仲間はいる。
だが蛇太郎が求めているのは、やはり重い友達だった。
乙女が恋することに夢見るように、蛇太郎は本物の友情を夢見ていた。
だがそんなもの、求めて手に入るものじゃない。
それこそ『白馬の王子』に出会うようなものだ。
そしてその白馬の王子に見合う『姫』に、自分がなれるとは思えない。
自分なんかに、そこまでの価値があるとは思えない。
だが、だからこそ……夢を見る。
そして彼の夢が実現するのは、ある日の夜。ベッドに入る前のことだった。
その日もなんてことはなかった。
楽園で生活する彼には、実際まったく仲間は必要なかった。
彼がどれだけ求めていても、餓えていても、まったく問題なく生きて行けた。
そんな人生を変える出会いが、その夜に訪れた。
「……ん?」
彼しかいないはずの家で、物音がした。
最初は勘違いかと思ったが、そんなことはなかった。確かに物音がした。
獅子子の忍術のように、楽園には多くの侵入手段があるため、都市の家屋には幾多の『防犯基準』が存在している。
力づくの強引な方法以外では、家に忍び込むことはとても難しい。
よって誰かが侵入したというのは、相当に考えにくいことだった。
だがそれでも、誰かがいる。
それを理解しているからこそ、彼は其方へ歩いていった。
「……誰だ?」
誰かが、近づいてくる。
それに対して、蛇太郎は警戒をしなかった。
不思議なことに、まったく脅威を感じなかったのである。
そして実際に、目の前に現れた『モンスター』は、まったくもって弱弱しかった。
「……?」
だがそれでも、驚きはした。
ドアをノックして入ってきたならともかく、いきなり自宅に入ってきた存在には、びっくりした。
まるでぬいぐるみのような、二頭身の妖精。
手足は短く、背中の羽も小さい。
ずんぐりとした姿は、どこか栗を思い出させる。
こんな生き物、いるわけがない……とは思わない。
モンスターと共生している楽園の住人は、妖精を見ても『異物』とは思わない。
見慣れない風体でも、精々外国人ぐらいの存在である。
だが家にいきなり外国人が現れたら、流石に驚くだろう。
いくら弱そうに見えても、夜に家へ入ってくれば驚くのは当たり前だ。
「夜分遅くに申し訳ない、いきなり入って驚かせてしまったね」
そんな彼へ、その妖精は申し訳なさそうにしていた。
「僕の名前はマロン、とても大昔から生きている妖精なんだ」
「こ、これはどうも、ご丁寧に……」
妖精種。
悪魔や精霊と同じく、魔力の偏りが自我をもった生物。
繁殖することはなく、性別さえも曖昧で、はっきり言えば脆弱な生き物である。
長寿であるというが、簡単に死んでしまうため、長く生きている個体は少ないとされる。
悪魔と同様に、個体ごとに姿かたちが異なっているが……こうした体形は珍しくない。
(……長く生きている妖精なら、この家に入れても不思議じゃないか)
相手が妖精ならば、この異常もおかしくはない。
変な話だが、妖精ならばこうした振る舞いも普通のことだ。
悪戯好きの妖精がノックして入ってくる方が、よほどおかしなことである。
「それで……マロンさん、俺になんの御用でしょうか」
蛇太郎は努めて冷静に挨拶をしていた。
その一方で、心の高鳴りがあったことも事実である。
長く生きている妖精が、凡庸な己に尋ねてくる。
それは非日常への入り口に思えて仕方ない。
「実は……実はね、僕は夢の世界を守っているんだけど……」
「……夢の世界?」
「そうさ、たくさんの人の夢が集まった世界だ。そこを守ることが、僕の仕事なんだけどね……」
この世界において、夢とは一般的に『脳の機能』であるとされている。
魔力やら魔法やら、悪魔やら天使やらがいるのに、『死後の世界』や『夢の世界』については未知の領分だった。
「その夢の世界が、壊されそうになっているんだ。このまま何もしなかったら、世界は滅びてしまう。だからお願いだ……僕と一緒に、夢の世界を守ってくれ!」
その夢の世界へ、マロンと言う妖精は己を誘っている。
蛇太郎の中の、他の誰もと同じ気持ち、非日常へのあこがれが燃えていた。
「それは……俺じゃないと駄目なのか?」
燃えて、焦がれて、出た言葉だった。
期待してしまっている、返答を求めている質問だった。
「ああ! 君じゃないと駄目なんだ!」
マロンはにっこりと笑って、手を伸ばす。
助けを乞う、伸ばされた手。
それに対して蛇太郎は、応じて手を伸ばした。
(これが……英雄になるってことなのか?)
夢を守る妖精、マロン。
彼との握手が、蛇太郎の一歩目だった。
「それじゃあ急ごうか! 夢の世界を守るために!」
「な……え、あ?」
気の抜けた姿のマロンは、やはり高位の妖精だった。
彼が指を鳴らすと、それだけで大きな黒い渦が生じる。
それに引き込まれる形で、蛇太郎はこの世から姿を消していた。
※
「シシシシシ! マロンの奴め、またも現世の人間を呼び寄せたな!」
「ジゴジゴジゴ……下らん、先延ばしにしかならぬことを、相も変わらずに……」
「ジャジャジャ、だがそのせいで、我らは何度も阻まれた……この下らぬ世界を滅ぼすことができずにいる」
「テン……テン……テン……ですがそれも、何時かは終わる。永遠など存在しないのだから」
魔力の偏りとは、膨大な魔力がある場所にて、人という観測者がいて生じるもの。
膨大な魔力の中に生じた『世界が滅びればいい』という感情の偏りの集合体。
夢の世界を滅ぼさんとする怪物たち。
四体のナイトメア。
悪夢の怪物たちは、蛇太郎が夢の世界に現れたことを察知していた。
本来夢を見ている人間しか来れないはずの世界へ、肉体をもって現れる人間。
それすなわち、夢を守る人間に他ならない。
「人は死を願っている」
「人は地獄を求めている」
「人は審判を待っている」
「人は天国を目指している」
「つまりは、終わりを欲しがっている」
だがこの四体は、それを否定する。人の持つ『最も強い感情』によって生み出された怪物たちは、世界の存続を認めない。
だって人間は、心のどこかでそれを求めているのだから。
「さあ世界を滅ぼそう、世界と一緒に滅びよう」
四体の怪物は、人の願いをかなえる怪物。
彼らもまた、夢の住人。
「決算を、決着を、決断を、区切りを与えよう」
神である人の下僕に他ならない。
「さあ終末はすぐそこだ」
夢を終わらせる、夢の住人達。
彼らは己の使命を果たすため、四つの世界へ散っていった。
※
黒い渦に導かれた先で、蛇太郎は『目を覚ました』。
ここが現世ではなく夢の世界だというのなら、一体どんなところだというのか。
そう思って周囲を見た彼は、意外な状況に首をひねる。
「……あの、マロンさん。ここは本当に、夢の世界なんですか?」
「そうとも、ここは五つある夢の国、そのうちの一つ目、日常の世界さ」
非日常へ憧れた蛇太郎、彼が最初に訪れた世界は『日常』であった。
周囲を見れば、見慣れたものばかり。
建物も道も植物も人々も、どれもがすべて、知っているものだった。
日常の世界と言うのなら、それ以外ではないだろう。
「……」
「おやおや、期待していたのと違うかな? でもおかしいことに気付くはずだよ」
拍子抜けしている蛇太郎の顔を掴んで、マロンは彼に周囲をより見せる。
そして実際に、彼は見渡した。確かに違和感が大きい。
「モンスターが、いない?」
人間の都市にしか見えないのだが、モンスターがまったくいなかった。
本来人間の都市には、人間の仲間となった多種多様なモンスターが多くいる。
しかしこの『日常』には、一体たりともモンスターがいない。
人と一緒に買い物をしているモンスター、店員として働いているモンスター、公園で遊んでいるモンスター、それらが一体たりとも見えない。
それどころか、多くのモンスターへの『バリアフリー』がない。
大きなモンスターや小さなモンスターのための、大きな扉や小さな椅子が存在しない。
この夢の世界は、まさしく夢見る人の世界であった。
それはモンスターと共存する楽園で生まれた蛇太郎には、SFめいた光景ですらある。
「人しかいない世界……それが、これだっていうのか……」
「人の夢の世界だからね。だからしょうがないのさ、それに……そうだ、学校に行ってみようか」
まだ現実を受け入れかねている蛇太郎を、マロンは導こうとした。
強引な妖精に手を引かれ、蛇太郎は人しかいない道を歩いていく。
その誰もが楽しそうで幸せそうで、笑顔に満ちていた。
「さ、ここが夢の世界の学校だよ! ここを見れば君も夢だって納得するはずさ」
「……なんだこれは」
そうしてしばらく歩いて、『夢の世界の学校』にたどり着いた蛇太郎。
そこにあったのは、まさに夢のような学校生活だった。
校舎の中では生徒たちがたわいもない話をして、誰も授業をしていない。
校庭では運動会が催されていて、多くの人が応援をしている。
さらに体育館では文化祭がやっていて、ライブや出店がごった返している。
まさに、人の夢の学園生活そのままだった。
理想の学園生活、そのイメージそのままだった。
多くの人々が汗を流し、声を出し、大いに楽しみ……誰も苦しそうでもない、辛そうでもない。
「……だれも授業をしてない」
「そりゃあ夢の世界だからね」
楽しいイベントが盛りだくさん、友達がたくさんいて一緒に遊ぶ。
そんなイメージの集合した、学園そのもの。
そしてそこにいるのは、夢を見ている人たちだった。
「……違和感が凄いな」
「他人の夢の世界だから仕方ないよ、正気の君がおかしいのさ」
「まあそうだな……」
現役の学生である蛇太郎にとって、学校とは必ずしも楽しいものではない。
嫌なこと、面倒なこと、苦しいこと、思い通りにならないこと。
そんな辛い要素が一切ない夢の世界は、逆に違和感が大きかった。
だからこそ逆に、夢の世界だと納得できる。
ここは確かに夢の世界で、『日常』の夢なのだ。
「……あの、マロンさん」
「呼び捨てでいいよ! むしろ呼び捨てで呼んで欲しいな!」
「それじゃあ、マロン……この世界、救う必要ある?」
良くも悪くも、能天気でお花畑な世界だった。
よくよく見れば、納得できるほど夢の世界なのだが、だからこそ逆に救う必要があるとは思えない。
「全然助けようって気持ちがわかないんだけども……」
「ははは! そうだね、でももう少し話を聞けばわかると思うよ」
やはり運動会や文化祭が目立ってしまうのだが、マロンが誘導したのは校舎の中だった。
何の脅威も感じられない、平和で刺激に満ちた安寧。その中で彼らが、どんな話をしているのか。
(夢の住人同士の話か……寝言同士なんだし、かみ合ってるのか怪しいな)
救わなければならない、という切迫感がない。
気が抜けてしまった蛇太郎は、とある教室の中に入ってみた。
この学校の生徒でもない蛇太郎と、モンスターがいない世界にいる妖精マロン。
二人が入ってきても、誰も見向きもしない。友人たちと話すことに夢中で、気づいてもいなかった。
「いよいよ来週だよな」
「ああ、来週だ」
「来週世界が滅びて、みんな死んじまうんだよな~~」
如何に夢の世界とはいえ、信じられない言葉だった。
正気である蛇太郎は、目をむいて固まっていた。
「ねえねえ、みんなでパーティーしようよ! 死ぬ時まで一緒にさ!」
「いいね! お菓子とジュース持ち寄って、最後の大騒ぎをしようよ!」
「どこにする? 家? それとも学校?」
誰もが楽しそうに、世界の滅びについて語り合っている。
和やかな雰囲気そのままに、逃れられない死を迎えようとしていた。
「これが、僕たちの倒すべき敵。その能力みたいなものだよ」
「……」
「この世界の人々は、世界に終わりが来ることを受け入れてしまっている。だから現世の住人である、君の力が必要なんだ」
「……」
教室に蔓延している、世界に満ちた楽観。
それが蛇太郎の危機感を促していた。
この幸せ過ぎる世界に、幸せなままの死が、滅びが、終わりが近づいている。
「そいつは、どこにいるんだ……!」
「あそこさ」
教室の窓を見るように、マロンは促した。
そこには他にも生徒たちがいて、空を見上げている。
そして蛇太郎も同じように、空を見上げた。
彼は見た、死の具現を。
「……隕石?」
「そう、この世界に終わりをもたらす『死』。何の非もない人々を滅ぼす、イメージの象徴だ」
雲の彼方に見える、尾をもった星。
超巨大隕石、そのイメージが空に浮かんでいた。




