エピローグ 武に捧げる人生
その戦いは、ただただ痛ましかった。
既に魔王が死んでいると知らず、人類が覇者になっていることを知らず、それでもなおモンスターを倒そうとする、人類の守護者たち。
かつて魔王軍四天王筆頭に操られ、守るべき人間を手に掛けてきた者たち。
丙種級怨霊九十九。
その想念が、一方的に破壊されていく。
「シュゾク技、ミミックシュート!」
怨霊と武霊。その軍の最大の違いは、武器の有無に由来する。
元々ミミックは、格納と擬態に優れたモンスターである。そのなかでも最強に位置するキキは、内蔵している武器を吐き出し続けていた。
武霊たちはそれを手にして、怨霊へ立ち向かっていく。
当然ながら、彼らが生前使っていた武器であり、使用にはまったく問題ない。
だがそれに対して、怨霊たちは実質素手である。
彼ら自身は、手に武器を持っているつもりであり、実際に攻撃の効果は武器のそれだ。
だがそれは、怨霊自身が変形して、武器のようになっているだけである。
武器を持っているつもりになっているだけの怨霊と、実際に武器を持っている武霊。
その総数にさほどの差が無く、かつ使っている武器が相応に強力であれば、総合的な差は著しいものとなる。
大橋流は武器を使い分け、武器で戦闘能力が変化する。だからこそ武器の現物があれば、死後でも生前に近い戦いができるのだ。
よって、武霊一体一体の攻撃力は、Bランク上位程度。
もちろん耐久力や持久力などを加味すれば、一対一でBランク上位モンスターを倒せるわけではない。
だがそもそも一体だけ現れているわけではないし、今回の場合は相手も同じ霊である。
ならば一体一体の差が、そのまま軍勢の差になってしまう。
『怒々、喜々……勝負をかけろ!』
「ええ、お任せください!」
「私の矢で決着を!」
今は魔王となっているササゲだが、かつて彼女は魔王軍の末端であった。
だがヌヌとキキは、四天王筆頭の、その直属である。
その能力は、それこそ四大天使に見劣りしない。
「シュゾク技、暴露のいたずら!」
「シュゾク技、ミミックアーチェリー!」
妖精であるヌヌが、怨霊の中心部、九百九十九の武器へターゲットを指定する。
ただ相手へ攻撃が当たるようにするだけではなく、その急所へ確実に届くようにする技。
遠く離れた相手へ高精度で成功させるのは、流石としか言いようがない。
それに合わせて、キキも大量の弓矢を吐き出す。
それら一つ一つが実戦用であり、矢の一本一本に三つのエンチャント技が込められており、全てが彼女の体内で製造されている。
武霊たちは持っていた武器を手放し、それに持ち替える。
もちろん、蛙太郎自身も、哀しみの鎧を着たまま構えた。
「大橋流古武術、弓矢六段技」
当然だが、弓にもエンチャントは込められている。
つまりこの一射には、六属性の効果が乗るのだ。
「強化、加速、硬質……」
弓を弾き絞る。狙わずとも、ただ射れば必ず当たる。
だが蛙太郎だけではなく、全ての武霊がしっかりと狙いを定めていた。
「貫通、爆発、粉砕!」
ひゅう、と矢から手が離れる。それは一人だけでは、さほど大きなものにならない。
だが千からなる一斉射撃は、遠雷のように大きく聞こえた。
ましてや、風を切りながら飛んでいく矢の雨は、まるで怪鳥の飛ぶ音にも似ていた。
それらは吸い込まれるように霧のような怨霊を貫き、さらにその奥、本体である武器の山に達し、さらにその奥の奥にまで達した。
すべての矢が、急所に届き、破裂したのである。
「……流しの六文銭」
霧へ消えていった矢が、一拍遅れで亡霊たちの急所を粉砕した。
それを見届けると、蛙太郎はしみじみと技の名を言う。
亡霊が絶叫する。
亡霊がうごめき、暴れ、もがく。
武器から溢れていた怨霊は、段々と消えていき、やがて武器が露出する。
墓に眠らされていた時よりも、ずっと壊れた姿になって、白い煙をわずかに出しながら、かたかたと動くだけになった。
一矢だけなら、文字通り一矢報いる程度だっただろう。
だが千矢をもってすれば、この通りである。
膨大なムサシボウの犠牲者を討ったのは、膨大なムサシボウの後継者。
ある意味必然のことではあるのだが……哀しみの鎧にとりついたムサシボウは、哀しみの中にいた。
『私たち魔王軍は、悪かったわけではない。今でもそう思っている。だが……彼らもまた、悪ではなかった。少なくとも、この時代を生きる人間たちは、彼らが居なければ生まれても来なかったのだ……』
哀しみの鎧を着ている蛙太郎は、その思いを全身で感じていた。
『かつて膨大にいたはずの彼らの敵、だがこの時代になっても残っているのは我らだけだ。だからこそ、我らが倒さなければならないのだ』
ムサシボウは、実感を込めてつぶやいた。
『味方だと思っている者に殺されるのは……とても哀しい』
魅了や恐怖などの精神異常を受け付けないはずの四天王筆頭は、己の内から生じる哀しみに浸っていた。
「開祖様」
『ああ、わかっている。最後は君に託そう』
後一発で、残骸は砕け散る。
それを残骸自身がどう思うかは知れないが、彼らにとってはそれが救いなのだ。
「では……?!」
『どうした、楽!』
とどめを刺すべく、接近しようとした蛙太郎。
だが彼を乗せているラクは、むしろ後ろへ下がり始めた。
『殺す……殺す……ムサシボウを、殺す……』
怨霊の声が、まだとどめを刺されていない怨霊の声がした。
本来なら介錯されるべき、息絶える寸前の怨霊の声だ。
『魔王を、討つ……魔王を討つ、勇者へ、力を……』
受け継がせることができなかった、そう思い込んでいる無念の声。
『人に、子供たちに……幸せを……戦わなくてもいい時代を……』
それを、滑稽だと、誰が言えるだろうか。
『こんな辛い思いを、もう誰にも、させたくない……』
九百九十九の武器、そのすべてが圧縮されていく。
まるで穴に吸い込まれる水のように、硬いはずの武器が内側へ吸われていく。
『平和を……作るんだ……作ってくれ……勇者よ』
声が消えるより早く、膨大な遺品たちは消えていった。
※
ことが終わった後、墓場は荒れに荒れていた。
墓場で被害が収まったことを、喜んでいいのかどうか。
死者は出たが、さほど問題でもないだろう。
逸話の通り、墓を荒らした者が、英霊に命を奪われただけである。
如何にこの世界で人命やモンスターの命が尊いとはいえ、まさに同情の余地がないことであった。
「あの、何が起きたんですか? 私の作った武器に、あんな力はないはずなんですけど」
九百九十九の武器が消えた場所に来て、キキは当然の疑問を出した。
まるで不完全なワープが起こったようであるが、そんなことは彼女が作った武器には無理である。
「キキがやったんじゃないとしたら、積まれた武器の機能ってことよね? まさか封印されていた武器に、あんな力があったなんて」
当然の推論を、ヌヌは口にする。
この世界の人間は、数値的にはさほどでもないが、特別な能力を武器や技に持たせることができる。
それが結果として暴発し、今回の結果になったのだろうと予測した。
『……心当たりがあるな。おそらくローレライを倒すための武器、その試作品だろう』
ヌヌの推論を、ムサシボウが補足した。
相手を吸い上げるようにして、強制的にワープさせる。
そうやって倒された四天王が、確かにいたのだ。
『よく、助けてくれたな。ありがとう、ラク』
とどめを刺す時近くにいれば、巻き込まれていた可能性はある。
だが直感的に逃げてくれたラクのおかげで、誰も巻き込まれずに済んでいた。
ムサシボウは鎧を動かして、ラクの首筋を撫でてやった。彼は嬉しそうに体を震わせ、さらに撫でるように依頼していた。
「欲しかったわけではありませんが、私が千人目になることはできなかったのでしょうか」
その鎧の内部にいる蛙太郎の心には、違った結末が浮かんでいた。
彼らの無念は、後を託せなかったことにある。
たとえ勘違いしたままだったとしても、誰かへ力を託せれば、満足して消えることができたのではないか。
そう思わずにはいられなかった。
「それは無理ね」
すべての怨霊が追放され、全ての武霊が鎧に戻った、再び静謐な空間となった墓地。
そこへ四大天使と、貝才が現れていた。
やはり脅威が去ったという喜びはなく、ただ痛ましい顔になっている。
蛙太郎に資格なしと言ったのは、ラファエルであった。
彼女はそのまま、資格について説明する。
「千人目へ力を与えるという話は、私たちも知っているわ。それこそ、儀式が始まる前から知っていた。でも、結局ムサシボウに取られてしまった。それは霊たちの求める水準が高すぎたからなの」
とても雑なことを言えば、強大な力が手に入るのなら、手に入れるものはそこそこの強さでもよかったはずだ。
九百九十九の武器が収められた時点で、劣勢だった人類の長たちはそう思ったはずである。
だが判定をする怨霊たちはそう思わなかった。膨大な想念が集まった結果なのか、全ての基準を完全に満たした者しか認められなかった。
「自分を捧げるのはいいとして、他人へ最高を要求するのは理想じゃないって私たちは思ってたんだけどね。反則技みたいな方法でムサシボウにとられた時も、まあ仕方ないかって思ったわよ」
ウリエルは更に補足した。
最高の勇者に最大の力を授ければ、さぞ強くなっただろう。
だがそのこだわりが、怨霊自身の首を、人類の首を絞めたのだ。
「最高の素質、最高の鍛錬、最高の実力。それだけならまだしも、多くの経験を乗り越え、心技体に憂い無く、仁智勇を兼ね備えた者。そんなものが、都合よく現れるわけもない。だが怨霊は妥協ができない。最初から破綻が見えていたのだ」
厳しいことを言うのは、ミカエルである。
先天的な素養だけでも難しいのに、後天的な要素さえも加味するのなら、なるほど無謀であろう。
「蛙太郎君、貴方は確かに大橋流の後継者よ。貴方は才能があり、努力を積み、実力を得たわ。でも怨霊たちは、それ以上の才能と、それ以上の努力と、それ以上の実力を求めるでしょう。そのうえで、多くの戦場を超えた先にある心の強ささえも……もうそんな戦争は、この世にないのに」
ガブリエルは、彼らの満たされぬ願いを祈った。
四大天使が倒した、新人類のトップ、原石麒麟。
才能だけ見れば、彼は合格だっただろう。
だが彼は、鍛錬が不足し、実力が不足し、なにより経験が不足していた。
そして彼が生きていたとしても、それらの条件を満たすことはなかったのだ。
この世界は、呆れるほど平和である。
時折事件が起きるだけで、長期的な乱世に入ることはない。
もう、そうなってしまっているのだ。
「……開祖様、私は」
『君は私たちを救ってくれている、それで満足してくれ。気休めかもしれないが……君にそれ以上救うことなんてできないんだ』
大橋流古武術、その後継者になる意味。
それは大橋流に責任を持ち、人生を捧げ、そして……他のことはできなくなる。
「……はい」
がしゃりと、鎧を着たままに蛙太郎は下馬した。
そして四大天使たちと一緒にいる、己の師匠と向き合う。
「師匠」
「蛙太郎……よくやってくれた」
「……よくやってなどいないと思います」
「私がやっても同じだっただろう。そして、その上で聞くが……」
一つの道を究め、他のことができない人生。その意味を、蛙太郎は知った。
その上で、選択を問う。まだ若く、取り返しのつく彼へ。
「お前は、今のままでいいのか? これだけのことがあったのだ、お前が止めたとしても、誰も咎めない」
この世の万物に、終わりがある。
ならば無意味になった古武術など、もう終わりにしてもいい。
それはいつか来ることであり、ムサシボウもキキたちも覚悟していることだった。
「やめません」
頭巾をかぶっている彼は、顔色を変えずに断じた。
「もしかしたら、私の次は現れないかもしれません。ですが、私自身は止めません」
「なぜだ」
「それが、私を救ってくれた、師匠への恩返しだからです」
大橋流の先人たち、その魂が宿った鎧。
そこへ参じていなかった貝才は、思わず震えていた。
「私を救うことに……人生を捧げてくれるのか、お前は……!」
ああ、バカだ。
こんな馬鹿が、他の生き方を選べるわけがない。
この弟子に、師匠は必要だった。この師匠に、弟子が必要だった。
多くの長命者に見守られながら、ここに短命者のバトンが渡される。
かくて九人目の英雄の物語は……一旦幕を下ろすのであった。
これから数年後……。
『魔王様、ローレライ、アヴェンジャー、プリンセス……お許しください。私はまだ、其方へ行けないようです……』
四天王は、再び集結する。
※
『先日、モンスターの自治区連合で改めて協議され、衛世兵器の鎮圧を行った者たちと、九十九神の調伏を行った者たちが、八人目と九人目の英雄として認められました!』
『彼らはそれぞれ、平和の神と武芸の神として奉られ、神殿も建設されるようです』
『議題として、改めて『七人の名もなき英雄』をどう解釈するかも協議されましたが、やはりすべての者たちを今後も英雄として奉ることになったそうです』
『二人目の英雄や三人目の英雄、七人目の英雄は除外するべきだという声もありましたが、とても小さなものだったようです』
『今後は今までの七人に二人加え、九人の英雄として、各地で祭が行われるそうです。八人目や九人目の祭は、どのようなものにするのか、協議が始まっているそうです』
『それにしても、この時代に新しい英雄が生まれ、奉られるというのは、不謹慎ですが浪漫がありますね!』
『もしかしたら、次の英雄……十人目の英雄は、君かもしれない!』
「なんてな……」
自分で台本を読み上げ、自撮りの録画を終えた彼は、一気に冷静になっていた。
台本を書いている時は、ノリノリだった。だが編集をする段階になると、流石に正気に戻る。
「これをこのまま上げたら、炎上不可避だよなあ……あの墓地でも死んだモンスターがいたし、犠牲者が出ることを望むようなことを言うのは、NGだよな」
さて、どう変更するべきか。
フリーの動画配信者は、自分で書いた台本へ鉛筆で加筆を始める。
彼こそ後に十人目の英雄、消えた匿名、聖域の神と呼ばれる雁太郎その人であった。
モンスターパラダイス10 歴史に刻まれる名前
「報道で誰かを傷つけるのは、良くないよなあ」




