受け継がれた残骸
大橋流古武術、その開祖。
蛙太郎はその存在を知っていた。なにせ開祖の代から仕えているという、三体のモンスターがいたのだから。
だがまさか、それが魔王軍四天王筆頭だったとは。
それを知る状況が劇的に過ぎたため、流石の蛙太郎も言葉を失っていた。
そして言葉を失ったままに、ラクにまたがり駆けていく。
目指す先は、旅の終着地にして出発地点、大橋流の道場であった。
既に蛙太郎は、そこで十年も過ごしている。
もはや自分の家同然であり、そこを終の棲家とするつもりであった。
その道場に飾られている開祖の鎧も、本尊のようなものだと思っていた。
実際には何かの効果があるとしても、それを実際に使う機会などないと思っていた。
だがそれを、この現実は裏切っている。
今蛙太郎は、ただ自分の暮らす屋敷へ戻ろうとしているのではない。
太古からよみがえった亡霊を鎮めるべく、然るべき存在の力を借りようとしていたのだ。
「……」
そして、道場の前にたどり着く。
今までずっと修行を積んでいた場所なのだが、そこへ入ることを躊躇してしまう。
それほどに、道場の中から荘厳な雰囲気が溢れていた。
それは恐怖ではない、畏怖である。
先ほどまで自分たちが戦っていた相手、膨大な亡霊の雲海に劣らぬ強さを持ち、なおかつ威厳に満ちた気配。
入ることが躊躇われる、畏れ多く感じてしまう。
「蛙太郎!」
そんな彼へ、ヌヌが叫んでいた。
「ご主人様の威厳に怖気づく気持ちはわかるけども! アンタはその後継者でしょう! 入る資格は、とっくに得ているじゃない!」
言われてみれば、当然のこと。
大橋流古武術へ入門が許可された時点で、ここに入る資格はある。
むしろ躊躇することこそが、後継者としてあるまじきことであろう。
覚悟を決めて、蛙太郎は変わらぬ顔のまま道場へ入り、礼をする。
「開祖様……貝才の弟子、蛙太郎でございます」
『……よく来た、我が後継者よ』
道場の上座で、椅子に座る形で飾られている、頭巾のある僧兵の鎧。
いつもと変わらぬ姿勢のそれが、言葉を確かに発していた。
それを前に、蛙太郎は正座をし、清聴の姿勢をとる。
それこそ貝才に対する時と同じように、敬意をもって静かに座った。
その隣に、ヌヌも座っている。
そのすぐそばへ、蛙太郎はキキを降ろした。
「ご主人様……こうしてお話しするのは、本当にお久しぶりでございます。このヌヌ、本来であれば小鳥のように飛び回るところでございますが……ご承知の通り……」
「すでに四大天使が動いておりますが……やはり我らが動くべきかと」
『うむ。我が罪が、噴き出してきたということだ』
キキとヌヌ、そしてラクにとって、真の主であるムサシボウ。彼に対しては、彼女達も当然の敬意を払っていた。
だがそれは、さほど重要ではない。
『……我が後継者、蛙太郎よ。お前がこの道場で鍛錬を積む日々を、私はずっと見守ってきた。無論貝才も、その前も、さらにその前も……私は見守ってきた、救われてきた……』
しみいるように、彼は吐いた。
そして、それを振り切った。
『だがそれどころではない。お前が見たように、かつて私が操った亡霊が、何の因果か噴き出してしまった。私の後継者であるお前が、これを鎮めなければならないわけだが……』
ムサシボウは、哀しみの鎧は、しばし悩んだ。
なぜ己自身ではなく、その後継者がやらねばならぬのか。
この平穏な時代に生まれた者へ、責務を押し付けることは憚られた。
『その前に、何があったのかを語るとしよう……』
「お願いします」
ありていに言って、何が何だかわからなかった。
蛙太郎は大橋流を学び、一般常識の範疇で歴史も学んでいる。
だがしかし、ムサシボウがどんなことをしていたのか、詳しく把握しているわけではない。
本来ならただ歴史の教科書を読む程度のことだが、実際に怨念を見ればそんな気楽にはなれない。
『……遠い昔、ある国に伝説があった。国の何処かに、巨大な墓がある。その墓の中には、魔王と戦って散っていった武人たちと、その武人たちの使った武器が眠っていると。その数、実に九百九十九……』
己の行いを、後継者に語る。
その心中、いかばかりか。
『その武器には武人の魂が宿り、墓を暴くものを呪い殺すという。しかし……その魂たちが認めるほどの武人……誰よりも優れる勇者が、千人目として現れたとき。その勇者の持つ武器に、英霊たちは自らの力を授けるという』
およそ千ほどの、膨大な武具。
それこそが墓から暴かれ、眠りから覚めた遺品なのだと、蛙太郎にもわかった。
『だが……その墓へ来たのは、心身共に優れた勇者などではなかった。この私、魔王軍四天王、ムサシボウであった』
ぼう、と死に装束を着た幽霊が現れた。
それが開祖の生前の姿であると、想像するのは簡単だ。
だがしかし、どう見ても人間である。エルダーリッチという伝説の怪物と呼ぶには、余りにも凡庸だった。
『そもそも我等魔王軍四天王は、全員が元人間だ。魔王様だけが操るタイカン技によって、永遠の命を授かったのだが……これは誰でもいいというわけではない。術を受ける側の人間に、特別な素養が必要となる』
五人目の英雄、魔王の娘、太古の神。
皮肉にもこの世界を去ったからこそ、それなりに情報が出回るようになっている。
彼女も元は人間で、魔王の力で膨大なサキュバスと融合していた、ということはそれなりに知られていた。
『この私、ムサシボウの素養。それは死霊を集めやすい霊媒体質と、魅了や洗脳などの精神攻撃や精神異常への完全耐性であった。これが、何を意味するか分かるな? 私は膨大な死霊を身に宿すことができ、さらにそれから影響を受けなかったのだ……』
「では」
『うむ。お前が遭遇した、膨大な死霊。私はアレを操っていた』
武器に宿る死霊を、思うがままに操る。
それが彼の持つ才能であり、魔王がそれをさらに強化したのだという。
なるほど、四天王筆頭も当然であろう。
『私は死者を冒とくした。人を守るために残された念と力を、私は魔王軍のために使ったのだ』
別に、おかしなことではない。
当時の時代背景を考えれば、単に敵から奪った武器を使っていただけだ。
そもそも自分達を殺すために行っていた『儀式』である。中断させても、邪悪とは言われまい。
だがこの時代の人間からすれば、邪悪なことであろう。己の子孫ともいうべきものから、軽蔑されかねないことを語るのは、とても哀しいことだった。
『若き日の私は、己に酔った。人間の語る『千人目の勇者が現れたとき、最強の武器が出来上がる』という伝説に倣って、『この武器をもって一万の勇者を葬った時、我に更なる通力が宿るであろう』とまで言った』
当時は、悪ではなかった。だが今は悪だ。
それを、時を超える存在はよく知っている。
『私は実際に、九千九百九十九の勇者を葬った。さて記念すべき一万人目は、と思っていた時に……死んだ』
皮肉なことだった。敵の大願を阻んだものが、自らの大願を果たせぬままに死んだ。
そして彼が死んだ後、魔王軍がどうなったかなど、語るまでもない。
「では……私が鎮めるべき怨霊の正体とは」
『うむ……九千九百九十九の無念を吸った、九百九十九の武器による、九十九神だ』
運命の皮肉を、ムサシボウは呪う。
己が墓から奪った武器を、別の誰かが暴き、それをさらに己の後継者が鎮めるのだ。
このときほど、己の肉体が無いことを呪ったことはない。
『私が死に魔王軍が敗北した後は、分けて封じられ、慰霊され、鎮められていた。だが何者かが暴き、集めたのだろう……』
自らも亡霊となったムサシボウは、実体のない拳を握った。
今のこの平和な時代で、あの亡霊が何をするのか。それを彼は理解している。
『あの九十九神は、当然ながら全てのモンスターを憎んでいる。それこそ、人間の味方であった天使にさえ憎悪を向けるだろう。今のこの時代にあっては、害と言う他ない』
人間からすれば、勇者たちは正義そのものだった。
その正義は、正しくモンスターに向いている。おそらくは今も、人間を狙うことはないだろう。
だがそれでも、この平和な時代では、許されない害悪だ。
彼らは昔と変わらず人間の味方であると考えているのに、害悪として処分されなければならない。
「ならば、私がやらなければなりません」
蛙太郎は、その苦悩を理解した上で、己がやると断じた。
「人を襲わぬというのなら、人は襲われぬままに、積み上がった九百九十九の武器を破壊して、騒動を収めようとするでしょう。それは……痛ましい」
『そう言ってくれるか、我が末よ』
守るべきだと思っている存在に、背中から刺される。
それに比べれば、怨敵と戦って負ける方が、まだましというものだ。
「ですが……敵うのですか?」
自分に命の危険があることはともかく、勝ち目がないことは流石に受け入れかねる。
この場合死ぬのは蛙太郎だけではなく、キキとヌヌ、ラクと開祖も一緒である。
勝算が無いのなら、連れていくことはできなかった。
『蛙太郎よ。お前が察したように、私に以前ほどの力はない。不動の心を持つがゆえに、亡霊となって尚自我を保っているが、かつてのように怨霊を手足の如く使えるわけではない』
霊媒体質であったムサシボウは、殺せば殺すほどに怨霊を溜めこんだのだろう。
魔王の外法により授かった力で、それを手足のように使ったのだろう。
だがそれらは、生前の話である。既に死んでいるムサシボウに、それほどの力はない。
「では」
『だが、問題ではない』
四天王の残骸は、今まで聞いたこともないほどはっきりと、勝算があると断じていた。
『恐れるな、我が末裔よ。お前は四天王筆頭の継承者ではなく、大橋流の継承者なのだ』
何も嘘はなかった。
蛙太郎が学んだものは、すべて大橋流である。
断じて、四天王の邪法ではない。
『私は死後に弟子をとり、キキやヌヌ、ラクの力を借りて継承を行ってきた。この道場で、数千年間を費やしてな。その意味が分かるな』
「もしや」
『そうだ、今の私に怨霊を操る力はないが……今のお前には、そんなものは必要ないのだ』
その時、蛙太郎は悟った。
己が荘厳だと感じていたのは、開祖に対してだけではないと。
『誰に操られるまでもなく……私たちはお前の力となるだろう』
※
春礼墓地の直ぐ近くに、四大天使は集結していた。
不測の事態に備えるために、彼女たちは待機している。
墓地を眺める丘にて、墓地を覆いつくす亡霊を臨んでいる。
もちろん、今のこの状況こそが、他でもない不測の事態。
如何に自業自得とはいえ、新魔王軍を名乗るモンスターたちは全滅した。
市民権を持つモンスターたちが、裁判も経ずに殺されたのである。
その光景は既に公開されており、各地では不安が広がっている。
もしも怨霊の現れた場所が市街地の付近なら、既にキンセイ兵器が出動していただろう。
たとえ人類のために戦った勇者の無念であっても、この時代を生きるモンスターの命の方が尊いのだから。
短命種は当然のこと、長命種もそう思うだろう。
だがしかし、ただ駆除するのではなく、せめて戦いの果てで葬ることができるのならば。
彼らが生きた時代を、共有できるものが終わらせられるのなら。
願わくは、それであってほしい。
四大天使は、そろって祈っていた。
もうすぐここに来る、大橋流の後継者。
彼が来るまで、怨霊が動かないことを、彼女達は願っていた。
とっくに用済みなのだという、そんな真実を味わってほしくない。
人間とモンスターが仲良くしているという、この平和な世界を知ってほしくない。
彼らが願った未来と、違い過ぎる現実を見て欲しくなかった。
「……いっそ、滑稽なほど皮肉ですな」
その四大天使と共に、亡霊を望むものが居た。
他でもない、先代の後継者、無形貝才である。
切ない顔をして、歴史に取り残された同類を眺めていた。
「確かに彼らは、志半ばで果てた、敗北者の残骸なのでしょう。ですが彼らの志は受け継がれ、魔王軍は人間に敗北した」
敗者が感傷で、せめてもの願いで残した流派。
それを継ぎ、次代へ託した彼は、むなしさにとらわれていた。
「勝ったことを知らない、意思が受け継がれたことに気付いていない、完遂されたことが分からない。哀れと言えば、哀れなのでしょうが……」
果たして、彼らと己ら。哀れなのは、どちらなのか。
勝ったことに気付かず戦い続けることと、負けたことに気付き戦わないこと。
同じにするには、違い過ぎた。
「そう悲観しないで、貴方達は哀れではないわ」
「そうそう、熱血な弟子が駆けてくるわよ」
「間違っているのなら、引き継がれることはない。お前たちは正しかったのだ」
「彼らの苦しみを、終わらせるものが来るわ。それは決して……寂しいことではないはず」
四大天使は、かつての怨敵を見た。
遥か彼方より来たる、強壮なる僧兵による単騎駆け。
数多の武器を内蔵したミミック、その武器を導く妖精、そして武将の命運を預かる軍馬。
余りにも王道な、タイムスリップしてきたかのような騎兵が駆けてくる。
『おおお……おおおお!』
『来たか! 来たか! 来たか!』
『お前だ、お前だ、お前だ!』
『殺してやる、殺してやる!』
『お前を殺してやる、お前の部下を殺してやる、お前の主を殺してやる!』
怨霊の群れが、己を取り戻す。
怨敵の出現が、彼らに自我を取り戻させる。
『エルダーリッチ! ムサシボウ! 破戒大僧正!』
『命を奪い、心を汚し、魂を弄ぶ怪物め!』
『我らが剣、我らが槍、我らが斧、我らが矛、我らが爪!』
『味わうがいい、お前を殺すための武器の数々を!』
丙種級怨霊九十九。
人類を守るために、モンスターを討ち滅ぼすもの。
九千九百九十九の無念を集めた、九百九十九の武器を核とする九十九神。
「遠からんものは音に聞け、近くば寄りて目にも見よ!」
それを鎮めんと駆けるは、この時代の人間にして、過去の遺物。九人目の英雄、魂の継承者、武芸の神。
「我こそは大橋流古武術の継承者、水面蛙太郎である!」
敗者の残骸を身に纏い、怨霊の怨念を一身に受け、それでもなお彼は駆ける。
何も変わらぬ顔で、この天命に身をゆだねる。
「太古の勇者よ! かつて必要とされた者たちよ! 誰かのために血と汗を流した者たちよ!」
彼は叫ぶ、己の先人に代わって。
「いつの時代も不必要であった者! 己のためにだけに血と汗を流した者! 無用なる我らがまかり通る!」
彼は手綱を手放し、掌を合わせる。
それは祈りであり、宣誓。
「大橋流古武術、最終奥義!」
ぼう、と、哀しみの鎧が震える。
悠久の時を、道場で過ごし続けた鎧が震える。
数多の継承者たちの、残骸を愛する念が解き放たれる。
「全霊全開技!」
鎧に封じられていた、全霊があふれ出す。
ミミックの蓋が全開となる、格納されていた武器が吐き出されていく。
「多重恩寵!」
ギフトスロット。
「武霊軍勢!」
レギオンゴースト。
「三途の大橋!」
悠久の時を超えて受け継がれてきた、開祖の宿る哀しみの鎧。
それへ継承者たちの魂が宿り続けたことは、もはや必然である。
人を愛して、怨みを残した、怨霊にあらず。
武を愛し、後継者を愛し、流派を愛し、愛を残した武霊。
古武術という残骸を受け継ぎ続けてきた、数多の先人たち。
格納されていた生前の武器を手に、培った技を解き放つ。
「おおおおお!」
『おおおおお!』
まさに、合戦場。まさに、地獄の光景。
武装した霊と霊が、真っ向からぶつかり合う。
現代の墓地は、もはやヴァルハラと化していた。
ムサシボウが生前葬った敵と、死後に育てた弟子。
殺した者と救った者、その数は互角なのか。
魔王軍四天王筆頭、準乙種級モンスター、エルダーリッチ『破戒大僧正』。
その化身となった蛙太郎は、先人を率いて突撃する。
「おおおおお!」
時代錯誤の決戦は、ここに火ぶたを切った。




