ステージ3 秋刑更生施設
一行は何事もなく、三体目の長命者、ミカエルの待つ秋刑厚生施設へ訪れていた。
ここは文字通りの更正施設である。刑務所などに入るほどではないが、手に負えないと判断された者が種族を問わずに生活している。
その性質上、ここには直近にワープ施設などがない。逃走を未然に防ぐために、陸の孤島ともいえる場所に作られている。
動力については自家発電があり、食料は施設に収容されている者たちの自給自足。
付近には都市も自治区もない。もちろんある程度生物が生存できる環境ではあるが、過酷なサバイバルに耐えられるもの以外は、逃げ出してもここに戻ってくる。
とはいえ、逃げ出したくなるような施設での生活が楽であるわけもない。
かといって、拷問などが行われているわけでもない。
ここで行われているのは、『普通の生活』。規則正しい時間に起きて、食事を作って、食べて、歯を磨いて、農作業などをして、食事を作って、食べて、寝る。
だがこの時代のモンスターや人間には、耐えがたいほどの退屈で刺激のない日々。
もちろん暴れれば、容赦のない制裁が下される。
主に人造種で構成された、施設の職員たち。
彼らは生真面目ゆえの均一な性能によって、社会の枠から出ようとするものを押し込めていた。
「規律とは、飴と鞭だ」
その施設のオーナー。
厳しい目を持つ天使、ミカエル。
彼女はウリエルやラファエルと違い、余りにもわかりやすく威圧してくる。
その姿は万人が想像する古強者であり、わかりやすく尊敬されるであろう女傑であった。
もちろん、それを天使に言うのもおかしなことではある。
蛙太郎を迎えた彼女は、応接室ではなく入口で迎え、そのまま施設を歩きながら案内している。
天使らしい翼が生えているが、普通に歩いている。
だがそれは、むしろ彼女の威厳を増していた。
「この施設の目的は、秩序を守ることが一番簡単に幸福になれるということ、秩序を破ることが不利益であるということを教えるということ。現在人類がたどり着いた秩序は、極めて合理的で有益だ。既存のものに反発するのも生物の業だが、本能に従うばかりでは無駄が生まれるばかりだ」
彼女は迫力をもって、目の前の蛙太郎に接していた。
「この場合の無駄とは、無駄な哀しみ、無駄な苦しみだ。本能を満たす愉悦のために、無関係なものが無益に傷を負う。それを避けるために、この施設はある」
「そうですか」
「もちろん簡単ではない。ただ厳しくし、抑圧するだけで改善することはない。この施設でだけ反省しても意味がない、その後に続かなければ価値がない」
「なるほど」
「特に問題となるのは社会復帰だな。よってこの施設では……」
この施設には、畑や酪農のためのスペースもある。
そこで働いている者たちは、お世辞にも熱心ではない。
誰もがいやいやで、憎々しげにミカエルを見ている。
だがそれでも、仕事をしている。それは彼らの基準では、とてもまじめなことなのだろう。
「ミカエル、それぐらいにしてくれないかしら」
まじめな話をしているのはわかるのだが、別に施設の見学に来たわけでもない。
この施設の趣旨など、蛙太郎には関係ない。キキは軌道の修正をしようとしていた。
「いいや、無関係な話ではない。武に人生をささげている君も、最低限の学業は修めているだろう。ならば知っているはずだ、史に名を刻まなかった、七人の英雄……いや、もはや八人の英雄か」
理由が違えども、名前を残さなかった英雄たち。
彼らは時代のゆがみと戦った。
あまりにも多くの血が埋もれ続けた、長く続く時代のゆがみと戦った。
「そのうちの三人目……『大衆の弁士』『正義の神』は知っているな?」
「はい、新人類を名乗る輩と戦ったと……」
「私たちの主だった男だ」
この場合の私たちとは、四大天使であろう。
いかに三人目の英雄とはいえ、四大天使をすべて従えている男など、そうそう想像できない。
「彼はもう時の果てに去ったが、今でも私たちの主だ。その彼が戦った相手、新人類……人としては、はなはだ優秀な部類に入った」
新人類。
蛙太郎と同じ、先祖返りたちの集団。
「先祖返りどうこうではない、奴らのトップは非常に優れていた。あれだけ優秀なものは、そういないだろう。でなければ、あれだけの集団を作ることはできなかった」
「……」
「だが逆に言えば、それだけ優秀だったにもかかわらず、あんな馬鹿な真似をした。後世の人間も当時の人間も、モンスターたちさえも嘲った。心身ともに優秀だったにもかかわらず、ではない。心身ともに優秀だったからこそ、だ」
ミカエルの目は、とても厳しい。
その目は、見定めようとしているものだ。
「お前もまた、心身ともに優秀な人間だ。やろうと思えば、新人類と似たようなことが出来るだろう。そのためには色々と人材をそろえる必要があるだろうが……武威をしっかりと持っている。それは大きなことだ」
不愛想な蛙太郎だけでは、組織をまとめることはできないだろう。
だが組織の象徴になるだけの武威はある。
あるいは、他の誰かから利用される可能性はある。
「よって私はお前に問う。なぜお前は、それだけの力を求めた?」
求めなければ、強さは手に入らない。
己に負荷をかけ続けなければ、高みに達することはない。
「その目的が栄光ではないのなら……なぜ耐えられた」
「……」
天使に続いて、蛙太郎は歩いていく。
彼女の言葉はまさに試験である。
「場合によっては、私がお前を殺す」
失格なら、この世を去ることになるだろう。
「私が殺すというのは、私個人の武力に恃むだけではないぞ。私の持てるすべての力を使う、部下も仲間も、組織も……兵器さえもな。いかなる手段を用いてでも、お前を合法的に葬る」
「……あんた、変わらないわね」
「当然だ」
ヌヌでさえもあきれる、大人の殺意。
大人げないことこそが、大人の本気。
彼女の殺意に、一切の容赦はない。
「ヌヌ、キキ。お前たちの方こそが、大橋流の意味を知っているはずだ。その継承者が、私と同じように手段を択ばずに暴れだせば、その規模は新人類や新魔王軍など鼻で笑うものになるぞ」
目の前の相手を侮らぬからこそ、彼女は本気だった。
「もう一度聞く、お前はどうして力を求めた。それも安易なものではなく、膨大な労力を必要とする力を求めたのだ」
今の蛙太郎には、歴史ある流派の後継者であるが故の権威がある。
労力を割いたからこその権威であり、だからこそ膨大だった。
「……私は」
歩き続けていた二人は、やがて一周していた。
この施設のすべてを巡ったわけではないが、それでも入り口に戻っていた。
厚生施設であるにもかかわらず、出入りの容易な入口。
どれだけ過酷に思えても、規律の中で生きることのほうが楽だという、彼女の信念の表れだった。
「何かになりたかったんでしょう」
余りにも漠然とした答えだった。
顔色は変わっていないが、それでも絞り出した言葉ではあった。
「それは、新人類どもと同じだと思うか?」
「きっと、同じです」
まるで誘導尋問だった。
お世辞にも口が得意ではない蛙太郎を、間違った答えに導くようだった。
「ラファエルやウリエルのところでは、試合で圧倒したり、多数を蹴散らしたそうだな。楽しかったか」
「はい」
「培った力を確かめて、自分よりも弱いものを倒して、嬉しかったか」
「はい」
「お前は本物であることに愉悦を感じたか」
「はい」
だが誘導尋問にしても、その誘導に乗りすぎていた。
話を聞いていたキキやヌヌが、逆に慄くほどあけすけだった。
「では……新人類のように暴走するのか?」
「しません」
だがだからこそ、決然たる答えには説得力があった。
「なぜ言い切れる、根拠はあるのか」
「師匠を悲しませるからです」
およそ十年間、血のにじむ努力を重ねてきた。
その努力を認められ、本物の後継者になった。
その力をもって、自分よりも弱い『偽物』を倒す。
楽しくないわけがない。
だがそれに没頭することはない。
楽しいだろうと分かっていても、それをすれば尊敬する人が悲しむと分かっているから。
「……十分な理由だな」
ありふれた動機で強くなろうとして、ありふれた理由で踏みとどまっている。
だがだからこそ、暴走するとは思えなかった。
「お前には尊敬する、立派な人がいる。それはあの新人類たちにはなかったものだ。もしも奴らにそれがいれば、あんな暴走などせずに済んだだろう」
彼らも常識がないわけではない。
自分たちの行動が、社会と折り合わないことはわかっていた。
わかっていたうえで、社会に挑んだのだ。
彼らには同志こそいても、迷惑をかけたくないと思う尊敬する人がいなかったから。
「……覚えておけ。大切な誰かを持つことは、時に人生を不自由にする。その不自由さに耐えることは、とてもつらく苦しく、なんの見返りもないかもしれない。だが……私が守りたいと思う人間は、そういう者たちだ」
報われない人びとへ、無償の愛を与えたい。
それがこの天使の願いなのだとしたら、それは蛙太郎にも向くことだろう。
「お前は確かに無価値かもしれない。お前が弟子に何かを託しても、それは無意味に終わるかもしれない。だが胸を張れ、お前は確かに本物の、この時代を生きる武術家だ。決して、悪ではない」
「はい」
この問答をもって、蛙太郎を認める。
それもまた、蛙太郎への報いであろう。
「はぁ……肝が冷えるわね、アンタ。このミカエルは、マジでヤバいんだから。昔っから味方にも容赦なくて、敵よりも恐れられてたのよ?」
「ヌヌがいうと冗談に聞こえるかもしれないけど、本当だからね。大昔は逃亡した兵を粛清して、凄く怖がられてたんだから」
「教科書にもそう書いてあった気がします」
「そういう時代だったのだ、後悔はない」
責任逃れのような言葉だが、長く生きている者がいうと違って聞こえる。
「この治世にも閉塞感は存在するが、乱世にも開放感などない。好き勝手に暴れて、気の向くままに戦えば、必ず死ぬ。動乱を求めるのは、ただの無知だ。今の時代が戦わない鬱屈を味わうのなら、かつての時代は戦う鬱屈を味わうものだった」
動乱の時代から受け継がれた、無用の長物の後継者。
それが無用であり続けることを、彼女は望んでいた。
「新魔王軍など、ただ好き勝手に暴れたいだけの集まりだ。あるいは、あの新人類にも劣る……そう、劣る者の集まりにすぎん。放っておいても自壊するだろう」
じろりと、彼女は蛙太郎に釘を刺した。
「間違っても、新魔王軍を潰そうと思うな。お前達が勝てば、ややこしいことになるだけだ。精々火の粉を振り払う程度にしておけ」
「……そんなこと、アンタに言われるまでもないわよ」
「大丈夫よ。私たちももう、面倒なことはごめんだから」
戦争を知っている長命者たちだからこそ、平和の尊さを知っていた。
彼女たちの言葉の節々から、戦争への忌避感が、人生への倦怠感が伝わってくる。
「ならばいい。蛙太郎、これからお前はガブリエルのところに向かうのだな」
「はい」
「そこにお前の師もいる。今まで仄めかされてきたことは、そこですべて聞くがいい」
大橋流の開祖と、その仲間たち。
それにまつわる真実を、師匠から聞かされる。
それがこの旅の終わりなのだとしたら、なるほど、必要なことなのだろう。
「その後は、俗世と縁を切って生きていけ。それがお前の選んだ人生であり……」
「む」
さて、お別れである。
そんなタイミングで、この秋刑更生施設に四体のモンスターの影が現れた。
先ほどまでの暴徒と違い、明らかに武装をしている。
それは先ほど倒した雑兵たちよりは、数段強いことを明確に示していた。
「ふはははは!」
「がはははは!」
「おほほほほ!」
「ひひひひひ!」
いっそ滑稽なほどに、その四体は足並みをそろえていた。
ある意味規律があるのだろうが、見得きりまで始めている。
「我こそは新魔王軍四天王筆頭! 『破戒大僧正』ムサシボウ!」
僧兵めいた武装をし、薙刀を持つ大鬼の青年。
「同じく新魔王軍四天王! 『不忠大逆』アヴェンジャー!」
手にランスを持ち、全身を黒い鎧で包むケンタウロスの若者。
「同じく新魔王軍四天王! 『人殺滴』ローレライ!」
魔女らしい帽子をかぶり、宙に浮かぶ水球に乗る人魚の娘。
「同じく新魔王軍四天王! 『魔王の娘』プリンセス!」
悪魔の翼や悪魔の角のような飾りを身に着けている、ハーピーの女性。
「我等、人に奪われた尊厳を取り戻し!」
「世界をあるべき姿に戻す者!」
「新たなる魔王の下に集いし精鋭!」
「邪悪、凶悪、最強、無敵!」
「我等、新魔王軍四天王!」
その姿を見て、歴戦の古強者であるヌヌやキキ、ミカエルさえも言葉を失っていた。
蛙太郎の顔もいつも通りだが、流石に何も言えなくなっている。
「この地を治める、旧魔王の大敵ミカエル……貴様だけではなく、我らが同胞を打倒したという騎兵までいるとはな……好都合だ!」
「普段は各地に散っている我等四天王が集結したのは、必勝を期するため……万が一にも敗北はない!」
「貴女が捕えている同胞も、しっかり回収させてもらうわ。それだけじゃない、他の者たちも新しい仲間となるのよ……」
「うふふふ……新しい魔王様の生贄に捧げるには十分ね、きっとお喜びになるはずね!」
勝ち誇った顔の四体。
啖呵を切るものたちを見て、かつての魔王軍四天王を知る者たちは青ざめた。
「本物そっくり……!」
もちろん種族は違うのだろうが、魔王軍四天王の振る舞いそのままだった。
それこそ、かつての生き写しである。まるで魔王軍がよみがえったかと、うっかり幻視したほどだ。
「……あの、そっくりなのですか」
キキたちの反応を見て、当時を知らぬ蛙太郎は逆に驚いていた。
既に会っているラファエルやウリエルも、あんな振る舞いをしている者たちと戦っていたのか。
もしもそうなら、イメージが崩壊しそうである。
「ええ……まあ……そうなのよね」
「今見ると恥ずかしい……」
キキとヌヌは、テンションを下げながら答えた。
どうやら現在の価値観を覚えている二体からすると、とても恥ずかしい様子である。
「くくく……我らが雄姿を見て、ひるんだようだな」
「やめて……お願いだから、真似しないで……!」
ある意味、残酷な状況だった。
新四天王たちは、大真面目に振舞っている。過去の四天王を、模した気になっている。
そして実際に模しているのだが、今見ると物凄く格好悪いという理由で長命者たちは悶えているのだ。
「確か魔王の娘と言えば、五人目の英雄のはず。彼女もああして振舞っていたのですか」
「そ、そうだけど……止めて、あの時代はアレがナウかったのよ……!」
羞恥に悶えるキキ。
ミミックゆえに宝箱の外装なのだが、その内側から大量の汗が溢れ始めた。
「ナウ?」
「当時の流行だったのよ……」
「なるほど」
「納得しないで……!」
少なくとも、戦意をくじくという目的は達成されていた。
武器を格納しているキキがこの体たらくでは、蛙太郎も戦えない。
「さあ行くぞ! 我等新四天王の合体奥義を見るがいい!」
「いやあああああ!」
ヌヌはもう悲鳴を上げていた。
時に過去に忠実であることが、傷をほじくり返すことになるのだ。
美しかった過去は、掘り起こすとがっかりするのである。
「く……お前達、落ち着け」
気を取り直したミカエルが、憲兵へと武装する。
だがしかし、キキとヌヌはまだ復帰しない。
そうこうしている間にも、新たなる四天王は、伝統を復活させながら襲い掛かってくる。
「ダーク、スクウェア、フォース……あああああああ?!」
四体の連携攻撃。
そこに隙はないかと思われたが、後ろから走ってきたラクが八本の足で四体を蹴り倒した。
ぶふぅるるるるる!
まるで火を消すように、ラクは慌てて踏みつけている。
それこそ己の過去を隠したいようですらあり、四体を踏みつけて地面へうずめていった。
「……ラク、ありがとう!」
「ラク、貴方がいてよかったわ!」
同じ気持ちであるらしいラクを、キキとヌヌは称えていた。
やはりタイムカプセルは、地面に埋めて置いたままがいいのだろう。
「ぐ、ぐぅ……まさか伏兵がいたとはな……」
ラクに踏みつぶされながらも、自称ムサシボウは呪いの言葉を吐いていた。
「だが……くくく、我等四天王を倒したとしても、もう手遅れだ。既に魔王様が、我らの大義を世界へ示そうとしておられる」
馬につぶされてもなお口が利けるのだから、大したものではあるだろう。
だが既に脅威とは思っていない誰もが、しかし彼の吐いた『愚行』に目をむいた。
「魔王様をはじめとする全軍が、春礼墓地にて冒涜の限りを尽くすのだ!」
過激な行動をすること自体が目的となっている者たちは、時に他人の傷を意図してえぐる。
冒涜とは、そういうもの。
他人を傷つけるための行動は、本当に、ただ痛ましい。
「まずい! あそこにはアレがある……蛙太郎、ここにもあそこにもワープ装置はない! ラクに乗って、急いで向かえ!」
そしてそれが心の傷を生むだけではなく、体の傷さえも生むのだとしたら。
そう、そこには……モンスターを憎む、丙種級の怨霊が眠っている。




