ステージ1 夏兵訓練場
先祖返りにして、大橋流古武術の継承者、蛙太郎。
彼の旅は今までの継承者と同じように、四体の長命者をめぐっていくものだった。
開祖の時代からこの旅を続けてきた三体のモンスターが案内してくれるのだから、何か不自由などあるわけもない。
今までの継承者と同様に、長命者のいる施設へ訪れていた。
その最初の一つ目が、夏兵訓練場という、モンスターたちの訓練施設であった。
この世界、この時代において、モンスターたちは戦闘を義務付けられていない。
あくまでもスポーツの一種、あるいは警察などに就職する者が、必要な技能を身に着けているだけだ。
その身に着けるということさえも、キョウツウ技は簡単に『購入』でき、シュゾク技は各自治区で学べるし、ショクギョウ技についても『加護』を受ければ訓練を積むだけで習得できる。
もちろんカセイ技やキンセイ技については流石にその限りではなく、キメラ技やアバター技など言語道断なのだが……。
それでも、比較的容易に習得できる時代である。
だが、だからこそ、技を訓練する場所が必要だった。
都市や自治区にもあるのだが、やはり広い場所はそれらの外にある。
またモンスターの多いところは、やはり混むということもあり、人里離れたところにある夏兵訓練場も一定以上の需要があった。
「……ここですか」
「ふん。長命種だからって、ウチの道場みたいに趣のある所だと思った? 全然そんなことなくて、とってもがっかりよね? そうよね、そうと言いなさい!」
「ヌヌ、そういうのはよくないわよ。それに、ここだっていう程新しくないし……もう何十年も経ってるじゃない」
「千年は経ってないわ! うちの勝ちね!」
夏兵訓練場は、それこそ大型の体育館であった。
もちろん施設なので受付やワープゲートなどもあるのだが、それでも遺跡のような雰囲気はない。
逆に観光施設のような雰囲気さえあるが、一種の行楽施設なので間違っていないだろう。
「もう、ヌヌってばケンカ売っちゃって……蛙太郎君は、がっかりなんかしてないわよね?」
「いえ、少しがっかりしています」
「そ、そう……」
「どうせがっかりするんなら、もっと派手にがっかりしなさいよね!」
ラクから降りていったん離すと、蛙太郎は仲間を連れて施設へ入っていった。
種族ごとにまとまっている自治区ではないので当たり前だが、特定の種族ではなく、多くの種族が入り混じっている。
それでも人造種は少なく、大鬼やケンタウロス、ドラゴンなどの活発な種族が多かった。
その一方で、管理をしているのは天使が多い。
だがこれはこの施設に限ったことではないので、特に気にすることでもないだろう。
天使は管理業務を好むので、一度事務に就職すると、そのままその職場がつぶれるまで在籍することもあるそうだ。
これを聞くと、人間や人造種はすこし嫌そうな顔をするのだが、長命種同士だと話が楽である。
なにせ何十年ぶりに訪れた土地であっても、既知の相手にまず間違いなく会えるからだ。
「ようこそいらっしゃいました……おや、お久しぶりですね、ヌヌ様」
「久しぶりね! いつもの用事よ! アイツに会わせなさい! さもないと何をするかわからないわよ!」
「少々お待ちください、オーナーへご案内します」
「どうよ、みなさい! 顔パスだわ!」
受付を担当している天使へケンカを売るヌヌ。
それを天使は受け流し、ヌヌはそれへ気を止めることなく蛙太郎へマウントを取り始めた。
それを見ていた蛙太郎は、やはり感情の読めない顔をしている。
しかしのその心中は……。
(前から思っていたけど、感情のままに話すな……)
極めて典型的な妖精であるヌヌ。
ある意味一貫性のある話し方を聞いて、なんとか適応しようと試みていた。
「さあ、ここのオーナーは大物よ! つまりそんな大物とあっさり会える私は、凄いってことよ!」
「もう、それもいつも言ってるじゃない。それに凄いのは私たちじゃなくて、開祖様でしょうに……」
とはいえ、話が早いのはいいことだった。
一人と二体は、すんなりとこの施設のオーナーの元へ案内された。
当然だが、そこは応接室も兼ねている、立派な部屋だった。
そこに座っているのは、やはり天使であり……しかし、見るからに他の天使と格の違う大天使だった。
「あらあら、久しぶりね、ヌヌ、キキ。ラクは表かしら?」
「そうよ! 馬を留めるところも作っておきなさいよね! 何十年経っても改善してないなんて怠慢よ!」
「今時いないよ……そんな人」
荘厳なる雰囲気を持つ彼女は、ただ立っているだけで威圧感があった。
華奢に見える姿だが、もしも戦えば相当に強いだろう。
そして名前を聞けば、この世界の誰もが納得するはずだ。
「どうも初めまして、古の技を継ぐ人よ。私は人からラファエルと呼ばれている者よ」
「はい、私は蛙太郎です。この度、大橋流の後継者になりました。勝利歴以前の英雄と名高いラファエル様にお会いでき、光栄です」
四大天使。
ミカエル、ウリエル、ガブリエル、そしてこのラファエル。
人間がそう呼んでいる彼女たちは、天使たちの中でも最高の格を誇り、魔王との戦いでも人類の勝利へ大きく貢献した。
よって、彼女を蛙太郎がそう褒めるのは当たり前である。
それこそ彼女を褒めるのなら、そう褒める以外にない。
定型文であり、だからこそ怒らせることではなかったのだが……。
「……ああ、そう言えばそうだったわね」
彼女は少しだけぽかんとして、ヌヌやキキを見て何かを察していた。
「失礼をしましたか」
「いいえ、そんなことはないわ。それで、やはり継承について承認を得たいということね?」
普段通りにイライラしているヌヌへ話をふることなく、ラファエルは蛙太郎と話を進めた。
「別に堅く考えなくていいのよ。貴方の立ち振る舞いを見れば実力もわかるし、元々私たちに大橋流をどうこうする権利もないしね。でもそれだと味気ないでしょう?」
「試練を頂くことになっていると聞きましたが……」
「ええ、それじゃあウチのインストラクターと戦ってもらいましょうか」
少しだけ意地悪く笑いながら、彼女は試合をくみ始めた。
「貴方の先代の……貝才だったかしら? 彼も同じようにウチのインストラクターと戦ってくれたのよ」
「そうですか」
「ええ、試練と言うよりも、こっちが稽古をつけてもらったようなものよ。もっとも、それぐらい強くないと、大橋流は名乗れないでしょうけどね」
この世界、この時代の異物。
かつてこの星を己の腕力で征服せしめた、古き神。
その懐かしい姿を見て、彼女は笑っていた。
※
さて、ここが訓練施設である以上、インストラクターが在籍しているのは当たり前だ。
お客様へ指導を行うのは当然のこと、試合の相手なども担当する。
もちろん各自治区の指導者と違い、別の種族と戦うことも日常茶飯事だ。
そんなインストラクターは、必然的に手加減が得意になる。
上手く戦って、相手に恥をかかせないようにしつつ、場合によっては勝ちを譲ることもある。
もちろん種族ごと、相手ごとに考え方も違うので、見極めが必要なのだ。
己の実力を維持することも含めて、楽な仕事ではない。
そんなインストラクターの中で単純に一番強い男が、オーナーであるラファエルに呼び出された。
大鬼、ウタゲである。
大鬼の中では平均的な体格をしており、年齢も働き盛り。
長年積み重ねた技と、若い肉体。それらがかみ合った、成熟した年齢であった。
「私の古い知り合いが来てくれたの、試合をしてくれないかしら?」
「試合、ですか? 訓練ではなく、腕試しの試合ですか」
「ええ、その通り。貴方を呼んだ理由は、わかってもらえるわね?」
この訓練施設の代表選手として選ばれました、というのは大鬼にとって名誉である。
それこそ『わざと負けると怒る種族』の代表である大鬼は、オーナーから信任を得たことに喜んでいた。
もちろん彼自身は、己こそがインストラクターの中で最強である、という自負がある。
だがその実力を、己よりも強いと認めるオーナー、太古の英雄ラファエルから認められれば興奮する道理だった。
「もちろんお受けします! それで、相手は一体どんな種族で?」
「人間の先祖返りよ」
「……人間、ですか」
すこし残念そうになるウタゲ。
やはり欲を言えば、他の四大天使と試合をしたかったのだろう。
それに、先祖返りという者の存在を知っていても、人間と戦うのは余り面白くないことだ。
チワワの群れの中に超強いチワワが紛れていると知っていても、見た目が同じチワワなら戦いたくない道理である。
ウタゲは決して愚かではない。
プロのインストラクターだからこそ、外聞も気にしている。
手加減を間違えて試合の相手に大けがを負わせたとなれば、客から嫌われかねない。
それは彼自身の矜持、彼の種族の矜持とは、別にあるものだった。
「うふふ、不安になるのもわかるわ。確かに怖いものね、人間の相手は」
「……はい」
「でも大丈夫よ、安心してちょうだい」
ウタゲの心配を察した彼女は、笑ったうえで酷なことを言う。
「彼は、貴方よりも強いから」
「は?」
この時の彼は、疑問を口にしたわけではない。
ふざけているのか、という怒りだった。
「彼は太古から続く大橋流古武術の継承者よ。その開祖は……私よりもずっと強かった」
「……ですが、彼自身が私よりも強いとは限らないでしょう」
「だから、貴方に試してほしいのよ。もしも貴方より弱かったら、その時はそれまでだわ」
その時のラファエルの顔は、それこそウタゲ以上に戦士の顔だった。
魔王の時代、人間同士の戦争の時代、それらを越えた、歴戦の雄の顔だった。
「承知しました。試合形式ではありますが……全力を尽くします」
その顔を見れば、大鬼は敬意をもって従わざるを得ない。
場合によっては職を辞することもあり得るが、この大いなる戦士の期待に反することは、彼には不可能だった。
※
さて、試合である。
これはもう一大イベントであり、直ぐに一番大きい試合場が貸し切られた。
実体の有る透明な壁と、魔力の壁、その二重構造に守られた観客席には、人もモンスターもごった返していた。
日頃の運動不足を解消しに来たモンスターがいれば、自分のトレーニングに来たモンスターもいる。中には蛙太郎と同じ先祖返りまでいた。
ラファエル直営の訓練場へ訪れていた者たちは、全員が押し合いながら観客席に入っていた。
もちろん、職員たちも同じようなものだ。
彼らだけが入れるスペースから、なんとか試合を見届けようとしている。
「では、このラファエルが審判を務めます。両名、あくまでも試合であることを忘れないように……敬意をもって、全力で相手を倒しなさい」
その理由の一部が、オーナーであるラファエルの姿を見たいがため、と言うのもあるだろう。
如何に彼女が運営しているとはいえ、そうそう長く人前に姿を出すことはない。
神話に語られた天使の姿を、誰もが目に焼き付けようとしていた。
だがそれも、試合が始まる前までのこと。
一旦試合が始まってしまえば、選手たちが主役になるのは当然だった。
「わかってるわね、この大観客の前で恥をかいたら、それこそ後継者失格よ!」
「はい」
「……ヌヌじゃないけど、私も不安になるわ」
(私を前に泰然としたものだな、まあ悪くはないが)
悪魔には悪魔の価値観があるように、大鬼にも大鬼の価値観がある。
目の前に対戦相手がいて、それが自分を前に緊張していない。
それは肯定的にとらえることもできるし、否定的にとらえることもできる。
ここで泣きわめきながらみっともなく『やだ~~』と叫ぶようなら、それこそ全否定するところだ。
だが自分のことを恐れていないようだと、それはそれで腹立たしい。
(悪くはないが……腹立たしい、腹立たしいのなら怒るとしよう!)
彼は闘志を燃やすことにした。
「我こそは大鬼の雄、ウタゲ。大いなる戦士ラファエルの命により、お前を倒す」
静かに古式ゆかしく、彼は名乗りを上げた。
言葉には激しさがないが、その顔には厳しさが満ちている。
「転職武装、重戦士!」
直後、彼の体が鎧でおおわれた。
それも大鬼の体格でようやく着ることができる、分厚い鎧であった。
さらに片手には巨体が隠れるほどの大きな盾、もう片方の手には両手で持っても重そうな金棒があった。
「さあ名乗りを上げてかかってこい!」
大鬼は格闘家と重戦士、二種類の内どちらかを選ぶことができる。
格闘家になった場合、徒手格闘に優れる上で、回避技や自己強化技などに秀でる。
それに対して重戦士は、単純な防御力と攻撃力が上がる。強化技などは不得意だが、最初から強力な攻撃を撃てる上に、生中な攻撃では倒れない、シンプルな強さがある。
通常の訓練では防具も武器も、安全性に配慮してスポーツチャンバラめいたものを使う。
だがだからこそ、この本番用の装備を身に着けただけで、観客も職員も生唾を飲んだ。
「私は蛙太郎、大橋流古武術の継承者です」
名乗れと言われたので、彼は名乗った。
その顔には、やはり緊張などない。
先祖返りといっても体格は普通の人間と同じである、己よりもはるかに大きなものがさらに武装すれば怖くて当然だ。
だがそれが、彼にはない。何も感じていないかのように、平然と名乗った。
その上で背負っているキキ、ミミックの口の中に手を突っ込んだ。
「試合用装備でお願いします」
「うん、頑張ってね」
そこから出てきたのは、両手で扱う巨大な木槌だった。
重いはずのそれを軽々と扱っていること自体は、確かに瞠目に値する。
だが土木工事でも見る範囲、ホームセンターに置いてある範囲なので、それだけでは驚くにも値しない。
ましてや相手が大鬼で、しかも全身を特別な合金の装備で覆っていることを考えれば、途方もなく無謀である。
「さて、やりましょうか」
だがそれよりも観客たちが驚いたのは、如何にミミックに格納していたとはいえ、普通の道具のように木槌を取り出したことである。
この世界において、通常の武器は職業の加護などとセットである。
それこそ特撮やアニメのスーパーヒーローのように、どこからともなく取り出すのが基本だ。
にもかかわらず、普通に取り出した。それは彼の武器が、それこそ古代の武器である証明だった。
(古流というのは伊達ではないな……)
最新鋭のキンセイ兵器に比べて、職業技で使用する武器が骨とう品なら、古流で使う武器は発掘品の域だろう。
例えるのなら、中世の騎士と古代の蛮族である。石斧で武装した裸の人間が、金属製の武装をした大鬼に挑む、この無謀。
それをみて、観客たちは息を呑む。
少なくともウタゲは、まるで退く気がなかった。
もちろん蛙太郎にも退く気はない。
それを見守る観客たちは、わざわざ観客席へ入ったにも関わらず、思わず目をふさぎかけていた。
「ショクギョウ技……鬼百合!」
ウタゲの技は、極めてシンプルだった。
盾で身を守りながら接近し、金棒で殴打しようとしたのである。
盾を持っている戦士の、基本にして奥義。
優れた体格と筋力を誇る大鬼だからこそ可能な規模の、必殺の攻撃であった。
「ふん!」
それに対して、蛙太郎も応じる。
もちろん手にした木槌で、金棒を迎撃した。
その直後、とんでもない音がした。
観客の一部から、悲鳴が飛んだ。
「きゃああああ!」
その悲鳴を聞いた者たちは、まさか蛙太郎が死んだのか、と思った。
今の一撃で跳ね飛んで、観客を守る壁にぶつかったのかと思った。
だが実際には違った、観客を守る壁に当たったのは、大鬼の金棒だった。
「……な?!」
片手ではあった、防御しながらの一撃ではあった。
だがそれでも、一撃で武器を弾き飛ばされるとは思っていなかった。
如何に相手が両手で武器を振るったとはいえ、ここまでの結果になるとは思っていなかった。
「大橋流古武術、木槌二段技」
その硬直が、余りにも命とりだった。
既に蛙太郎は、木槌を振りかぶりなおしている。
「押出、加重……巨岩飛ばし!」
今度弾かれたのは、重武装しているウタゲ本人だった。
木槌の一撃が胴体に当たり、その一撃の重さに驚くよりも先に、押し出されて吹き飛んでいた。
「がぅあ!」
流石に観客席まで吹き飛ばされることはない。
だがただでさえ大きい大鬼が、全身を金属で覆っているにもかかわらず、数瞬の間宙に浮いていた。
その光景を見て、観客も職員もわが目を疑う。
これは忖度がどうとかではない、相性がどうとかではない、明らかに力で勝っている。
如何に先祖返りとは言え、人間が大鬼に力で勝っている。
「大橋流古武術、荒縄二段技」
そして宙に浮かせた大鬼を、このまま着地させるなどありえない。
木槌をしまった蛙太郎は、代わりに長い荒縄を取り出していた。
まだ着地する前のウタゲの体に、その縄を巻きつけていく。
「接続、停止……河童巻き!」
両手両足をまとめながら、一瞬の早業で縛り上げていた。
首だけ上げて、両手両足をピンと伸ばした状態で、仰向けに転がされたウタゲ。
口は自由だが、出せる言葉が見つからない。
「……!」
これは、大技を当てるための拘束ではない。
相手を捕縛し、それで終わらせるための技である。
こうなってしまえば、もはや試合だろうが殺し合いだろうが、勝負はついている。
「一本ですね?」
荒縄から手を離した蛙太郎は、キキから新しく取り出した槍をウタゲの眉間に突き付けていた。
武術で言うところの寸止めであり、型稽古などではよく見るものだが、しかしそれが本物であることを含めて、ありふれている光景から程遠かった。
先ほどまで無敵に思えた重戦士が、金棒も盾も弾かれて、縄で縛られて転がされて、おまけに槍が眉間に突き付けられている。
これが決着以外に見えることはないだろう。
そして蛙太郎が決着の是非を確認したのは、ウタゲではなくラファエルだった。
審判である彼女に聞くのが筋ではあるが、それでもウタゲをまるで相手にしていないようだった。
「……!」
羞恥である。
大鬼ウタゲは、無言で顔を赤くしていた。
だがしかし、弁明などできるわけもない。
ここで何かを言えば、それこそ恥の上塗りだった。
「……ええ、見事な勝利です」
もしもウタゲに希望があるとすれば、それは……。
「ですが、この訓練場では、試合をした場合は三本勝負……二本先取したほうが勝ちなのです。両者の合意が無ければその限りではありませんが……」
「私は構いません!」
この上、さらなる恥をさらすことになるとしてもかまわない。
大鬼ウタゲは、縄をほどかれるや否や、再戦を希望していた。
いや、この場合はもう一本勝負、というべきだろう。
「いえ、是非お願いしたい!」
彼は言い訳をせず、ただ嘆願するばかりであった。
だがその嘆願に、悲哀はない。それこそ今にも襲い掛からんばかりであった。
「わかりました、ではもう一本お願いします」
それに対しても、蛙太郎は平然としたものだった。
やはりそれに対しても、観客は慄く。
ウタゲは口にしなかったが、やはり『油断していたのだろう』と誰もが思っていた。
そうでなくとも『力量を見誤っていたのだろう』とも思っていた。
だがそれは、もうないはずだった。だからこそ、もう一度戦えば、今のように圧倒できないはずだった。
所詮意表を突いただけ、そう思っていた。
もちろんそれは、素人の考えである。
すくなくともウタゲは、そんな風には思わなかった。
彼が奮い立っているのは、つまり、もう油断などしないぞ、という意気込みではない。
自分より格上と認めたうえで、負けてなるかと奮い立ったのだ。
「では、二本目……はじめ!」
それをラファエルもわかっている。
彼女は開始を宣言し、温かく両者の試合を見守っていた。
※
それからしばらく後、蛙太郎はラクに乗って去っていった。
もちろんさほど疲れた様子はなく、怪我を負ったわけでもなかった。
それは優れた治療技術があるとかではなく、単に彼が無傷で勝っただけである。
「……本当にめちゃくちゃ強かったですよ」
「それはそうよ、楽しかったでしょう?」
「いえ……自信を失いました」
一方でウタゲは、物凄くぼろぼろだった。
流石に痛めつけられたわけではないし、鎧が壊れるほどの激戦でもなかったが、それでも体にあざができていた。
「もしかしたら……ラファエル様よりも強いのでは?」
「あらあら、そんなことないわよ。開祖ならともかく彼となら、私の方が強いわ。まあもっとも、あのヌヌが出なければだけど」
「あの妖精ですか?」
「ええ、あの子も私と同世代だもの。ああ見えて妖精の中では最強格よ?」
「……妖精の年齢はわかりませんね」
妖精はどれも似たようなものだ。
まあそれは別の種族と遭遇すれば誰でも思うことだが、特に妖精は見た目でわかりにくい。
言動が幼いままの種族ということで、言葉遣いなどからも実力が分かりにくいのだ。
「それにしても……ショクギョウ技によって淘汰された古武術が、あそこまで強いとは……」
「それも当たり前ね。古武術が廃れたのは、習得が難しいからだもの。他のほとんどはショクギョウ技よりも上よ、習得具合にも依るけどね。まあそれだけでもないのだけど……」
ラファエルからすれば、ウタゲが負けたのは当たり前すぎた。
大橋流古武術の使い手に、ただ客へ指導しているだけの大鬼が勝てるわけがない。
蛙太郎の使っている技術は、確かに石斧程度だ。だがその素材や鍛え具合は、それこそ尋常ではない。
「プライドは傷ついたかしら?」
「いえ……言い訳の余地はありません。真っ向勝負で挑んで、実力で負けたんです。むしろ気持ちいいぐらいですよ」
すこしは悔しそうだが、それを表に出すことはなかった。
それを見て、ラファエルはやはり嬉しそうに笑っている。
「もしも貴方にやる気があるのなら、怪我が治り次第私が稽古をつけてあげるわよ」
「本当ですか?! ぜひお願いします!」
「ええ、怪我が治ってからね」
嬉しそうにしていたウタゲだが、程なくして顔を曇らせた。
「……彼は、もうここに来ないんでしょうね」
「ええ、彼は私たちと住む世界が違うのよ。それこそ、時代さえもね」
何の必要性もない技術を継承することに、人生を捧げる。
それが蛙太郎の選んだ生き方であり、貝才たちから引き継いだものだ。
それに対して、ラファエルはまぶしいものを感じてしまう。
時代に迎合し続ける己が、恥ずかしいほどだった。
「時代、ですか……」
時代。
その言葉を聞いて、ウタゲは少し不安そうになった。
「実は時代錯誤な連中が、最近この訓練場に来ていまして……その、ラファエル様を倒すとかなんとか……」
「あら、最近は恨みを買うようなことをしていないはずだけど?」
「……魔王を討った四大天使を倒して、武勲を上げるとかなんとか」
「……今更にもほどがあるわね」
「ええ、おっしゃる通りです。ですが、思いのほか数が多いようで」
ウタゲが口にした、思想集団。
その名前は、ラファエルにとって二重に懐かしい言葉だった。
「新魔王軍、と名乗っているそうです。まるで新人類みたいな名前ですよね」
「……ええ、そうね」
かつて英雄と共に新人類を倒した彼女は、再び世界が鬱屈を爆発させようとしているのだと悟っていた。




