隠語
先日の戦争で、ほぼ狐太郎と無関係だった強力な部隊が、一つだけ存在している。
トーキローチが率いる亜人の部隊、レデイス賊である。
亜人の不良女性で構成されたこの部隊は、全員がデット使いという頭の悪い集団なのだが、それによって彼女たちは二度の戦争で大きな武勲を上げ、大いに躍進を遂げていた。
大王となったジューガーとの太いパイプがあり、大金を手に入れ、さらにある程度の自治権まで与えられていた。
後は適当な魔境を見つけて、そこを大王に申請するだけでいいのだが……。
当の亜人たちは、あんまり乗り気ではなくなっていた。
「姐さん……その、言いにくいんですけどねえ……止めませんか?」
レデイス賊の女たちは、トーキローチとの話し合いでそんなことを言い出した。
元々の目的を達成したのに、それを拒否し始めたのである。
しかも亜人の基準においてさえ立派とされる、恥じぬ武勲を挙げてのことなのに。
トーキローチ以外の亜人たちは、自分たちの国を得る、ということに及び腰になりつつあった。
「ほう、なぜだ」
それを聞いても、トーキローチは怒らなかった。
意外そうですらなく、ただ理由を聞き返しただけである。
彼女は種族としてみれば人間だが、育ちは亜人なので感性も亜人である。
なので『へ~そうなんだ……ふざけるな!』という一種ひっかけめいた騙しなどはしない。
それは彼女の部下も知っているので、安心して話し始めた。
「ほら、アタシらも大王サマのもとで結構楽しくやってきたし……この間の戦争で二回も美味しいところをもらったし……」
「そうそう、人間の中での暮らしってのも、まあ悪くはないかなって……ねえ?」
彼女達は央土領内の魔境で生まれ育った亜人なので、同種の亜人が既に人間社会に溶け込んでいる。
よって人間社会側も彼女たちの生態をある程度知っており、何が好きで何が駄目なのか、ある程度把握しているのである。
そのため、最初期のように懲罰的な労役に就かされていた時はともかく、それ以降、特に戦争が始まってからはそれなりに重用されていた。
野趣あふれる生活も悪くないが、人間の中で、人間に世話されながら生きる、というのも快適だったのである。
戦っているだけでいい、訓練しているだけでいい。飯やらなんやらは専門の人間が何とかしてくれる、という生活に慣れつつあったのだ。
だがそんな、自堕落な理由ばかりでもない。
あの戦争体験そのものが、彼女達の心に闇を落としていたのである。
「それに……人間の英雄も怖かったし……英雄だけじゃなくて、軍隊も怖かったし……」
「そうそう……あんなの相手にしてられないっていうか……ねえ?」
臆病風に吹かれた、と言えばそれまでだ。
だがしかし、トーキローチ自身否定できないことである。
「そうだな、私も同じ考えだ。人間は強い……戦えば、勝ち目などないだろうな」
レデイス賊は決して弱くない。
だが英雄に匹敵するほど強いか、と言えば断じて否である。
むしろ武将の率いる普通の軍にも勝てる気がしない。
というか、そこまでして国が欲しいわけではない。
もちろん当人たちも最初は是が非でも、という考えだったが、最近はそうでもないのだ。
楽を知り苦を知ったからこそ、ほどほどを探る考えに至ったのである。
「しかしだ。戦争が終わった今、このままここに残っても、今までのように勇者扱いされることはないだろう。労働力としては期待されるだろうが、それは労役時代と変わらないだろうな」
それを認めたうえで、トーキローチは現実を語った。
彼女たちの分析が間違っているわけではないが、このまま現状を維持しても『理想の生活』が続くわけではない。
もちろん彼女たちもそれはわかっているので、反論はしなかった。
「逆に……国を得たところで、いきなり攻め込まれることはないだろう。精々物取りぐらいで、軍を率いて現れるなんてことはないはずだ」
ちょっと過敏になっているところも指摘した。
あれだけの大戦争はそうそうないし、亜人の集落にいきなり来るのも稀だろう。
「だいたい、今ここでああだこうだ言うのもおかしいだろう? ちょっとよさそうな土地をグルグル回って、よさそうなところがあればそこにして、なかったらここで暮らせばいい。今決める必要はないじゃないか」
トーキローチはジューガーの下でそれなりに学んだ。
結論の先送りも、場合によってはアリである。
手元の情報が不十分なら、情報を自分の足で確かめるのも必要な手順である。
なによりこういうステップを踏むことで『あの時ああしてればなあ……』という気持ちをある程度予防できるのである。
「これは私としてはあまり言いたいことではないが……私たちにはもう、帰るところがあるのだ」
中々いえることではない。
人間に捨てられ、亜人の中で育ってきた彼女は、自分が亜人であると認めたうえで、人間の中で暮らすことを選べたのだ。
「姐さん……」
「なのでお前達……!」
そして彼女は学んでいた。
「故郷を捨てたときのように、啖呵を切って出ていくのは止めよう!」
「……そうっすね」
あの時偉そうなことを言ったせいで、無駄に人生の道が狭まった。
人生には退路が必要なのである。
「ちょっと格好が悪いかもしれないが、今更恥を隠す間柄でもなし。ジューガーには『駄目だったら帰ってきていいですか』と言っておこう」
「それがいいですね!」
恥にも色々あって、必要な恥というものはある。
というかこの場合、恥じることだと思うのがおかしいのだろう。
怖いから逃げます、とかではない。よさそうな住処を探して、見つからなかったら帰ってきて就職します、ならば恥ではない。
先に言っておくのなら、なおさらのことだった。
「だがその前に、やっておくことがある」
きりっとした声で、彼女は全員へ要望を問おうとしていた。
「今の私たちは、本当に自由だ。蔑まれることはあるかもしれないが、反論できる立場になっている。文句を言ってくる輩もいるが、味方になってくれる人もいる。ここで暮らしてもいいし、どこかで暮らしてもいい……そんな私たちが、次に求めるものはなんだ?」
彼女達もまた、狐太郎と同じ異邦人。
ジューガーに貢献し、ある程度コネクションもできて、好きなことが選べるようになっている。
そんな彼女たちが、次に求めるものは?
「男です!」
「私もだ!」
男に負けまいと踏ん張ってきた彼女達だが、もう十分に自尊心を満たしている。
狐太郎の護衛になっていた勇者たちさえも、北側で戦った彼女たちを認めている。
これは人間たちも同じで、彼女達に感謝している者は多い。
そして彼女たちは、別に同性を性的な目で見ているわけではない。
軽んじられたくなかっただけで、嫌いと言うわけではないのだ。
自分に自信があるので、異性を求めるのである。
「幸い、今の私たちはコネもカネもある。それに、今は不景気だ。雇用(隠喩)していた亜人たちを他の人に斡旋(隠喩)して、現金を確保しようとしている人も多いらしい」
「つまり、選びたい放題ってことですね!」
「そうだな!」
彼女たちは別に、男女同権を訴えていたわけではない。
亜人の地位向上を訴えていたわけでもない。
むしろなんで自分達に関係のないものを支援するのか、とさえ考えるだろう。
よって、婚活市場(隠喩)に対しても不満はなかった。
自由恋愛(隠喩)が極まっているので、逆に何がいけないのか聞き返すだろう。
自由とは、そういうものである。
大丈夫、違法じゃない。彼女たちは賢くなったので、合法的に婚活(隠喩)を行おうとしていた。
「一応言っておくが……予算の都合があるので、一人につき一人だぞ!」
予算の都合がついたら三人ぐらいありかなとは思う、自由を得た亜人たち。
彼女たちの自由は大王お墨付きなので、誰にも止めることはできないのだ。合法である限り。
「どうしても二人欲しい時は、友達と仲良くするんだ!(隠喩)」
彼女たちは苦楽を分かち合った中なので、幸福なことだって分かち合えるのだ。
やはり友達と言うのは最高である。
「では行くとするか!」
「はい!」
お買い物(直喩)に赴く彼女たちは、貨幣制度って素敵だなあと思いながら物色したのだった。
※
さも個人の尊厳を完全に無視しているかのような書き方であったが、彼女達だって加虐趣味があるわけではない。(ある程度は尊厳を無視する可能性も秘めている)
だいたい買われなかったら買われなかったで、どのみち不幸(直喩)なことになるのである。
同じ亜人たちと家族(直喩)になって、素敵な家庭(仮定)を築くのなら、それはそれで他のケースと比べても悪くはないのではなかろうか。
そもそも西重の民と比べればマシである。
これは万能の呪文すぎるので禁止設定が望まれている。
「ということで、ジューガー……いや、陛下。私は部下(と男)を率いて旅に出ることにした。とはいってもまずはこの王都付近の魔境をめぐるつもりなので、そう遠くに行く予定はない。しばらくは離れるが、またデット使いが入り用になれば呼んでくれていいぞ。少なくとも勇者たちよりは、軽く声をかけられるだろうしな」
そんなほくほく顔のトーキローチは、やはり仮面を脱いだままジューガーに報告をしていた。
流石に不特定多数の中では仮面をかぶるが、親しい相手には心を許すようになったのである。
「まあお前には有望な戦力も多いから、そうそう必要になるとは思えないが……」
「いや、そうでもない。選択肢が多いのはいいことだし、お前たちは卑下するほど弱くもない。それこそ戦争を決定づけられるほどだ」
「ははは! まあ確かにそれほどでもあるな! 実証されているからな!」
大王ジューガーは大人なので、事実を列挙して彼女を褒めていた。
二度の戦争において、デット使いの集団は極めて効果的に運用され、西重の戦術を文字通り蹂躙してくれた。
狐太郎たちの戦果が華々しすぎて目立たないが、彼女達もまた央土の勝利に貢献した『大戦力』なのである。
「……めぼしい魔境が見つからなかった時は、戻ってくるかもしれん。その時はまた厄介になるつもりだ」
「その時は歓迎する。遠慮なく戻ってきてくれ」
「ああ、頼む」
達成感に満ちているトーキローチ。
彼女は成すべきことを成し遂げ、欲しいものを手に入れ、幸せな旅立ちをしようとしている。
(狐太郎君とどう違うのだろう……彼はちっとも幸せそうではないのに……)
ジューガーはトーキローチを見ていると悲しくなった。
多分彼女の方が、狐太郎の何倍も幸せである。
少なくとも彼女は、自分の現状を悩んでいまい。
どこに差があったのだろうか。まさか異性に対する考え方の違いが……というのは、あまりにも悲しすぎる。
(いやしかし、彼女はほとんど狐太郎君にかかわりがなかったからな……私の手勢の中では珍しいことだが……とにかく咎められることでないか)
成功し過ぎて高い地位にいすぎると、かえって不自由になる、というのは自分も知るところである。
なので彼は、取り合えず良しとした。
どうせ原因が分かっても、取り除きようはないのだし。
「……お世話になりました」
最後に彼女は、照れながらそう言った。
あるいはそれこそが、彼女の最大の成長を表していたのかもしれない。
※
そこからの旅は、楽しいものであった。
欲しいものをすべて手に入れたレデイス賊は、誰にはばかることなく集団で進んでいた。
デット技を抜きにしても一灯隊と互角の一団である、それが山賊やら西重の残党やらに怯えるわけもない。
野宿も宿場も問題のない彼女たちは、明るく楽しい旅行を楽しんでいた。
多分狐太郎が聞いたらいいなあ、と羨むような旅である。
誰もが頬を緩め、適当に楽しく過ごす時間。
それを破ったのは、人里から大いに離れた、ある魔境に着いた時だった。
「……なんだ、これは」
その魔境は、腐臭に満ちていた。
余りにも膨大過ぎる、モンスターの死体。
おそらくCランク程度であろうモンスターたちが、大量に殺されて地面に転がっている。
「モンスターが殺したにしては、食われていないな……」
「いや、それ以前に、過剰なほど傷つけているぞ。どう見ても、殺した後も攻撃を続けている……まるで憎んでいるようだ」
レデイス賊たちも、今は世間知らずではない。
その光景が、尋常ではないと分かっていた。
「それに、見ろ。この傷を……爪や牙ではない、刃物や鈍器……金属製の武器によるものだ」
「そ、そうですか? その割には、なんだか……」
「ああ。確かにおかしい……痛めつけたにしても、つぶれすぎている。まるで……」
まるで大量の武器を縄で縛って一塊にし、それを何度もぶつけたかのようだった。
そうとしか思えない、余りにもむごたらしい死であった。
殺すことよりも、痛めつけること、傷つけることが目的であるような……おそろしいものだった。
「この辺りは、人間に有用な資源が無く、その分人が入ることはなかったはずだな。であれば……いや、その考えも無意味だな」
トーキローチは、直ぐに決断した。
「全員撤退する! すぐに王都に戻り、報告するぞ!」
ここには自分たちの知らない何かがいる。
それを理解した彼女は、即座に撤退と報告を決めていた。
「……未知、か」
あるいは、捨て置いても問題なかったのかもしれない。
だがこの地でモンスターの残骸に刻まれた傷は、余りにも憎悪が過ぎた。
※
一方そのころ……。
原石麒麟と千尋獅子子、甘茶蝶花はそろって話をしていた。
「とまあ、そんなかんじだったわ……攫って来た子供たちも賢くて、今のところはおとなしくしているみたい。きっと……逃げようとしたら、ご家族に危険が及ぶと知っているのね」
もちろん主なことは、獅子子の悩みを聞くことである。
密偵という仕事の都合上仕方のないことではあるが、彼女の悩みは一人で抱えてしまいがちだった。
本来はそれが普通であり、親しい仲間とはいえ明かすのはよくない。むしろ情報によっては、記録することや声に出すことさえ問題になるだろう。
それこそ、壁に耳あり障子に目あり、王様の耳はロバの耳、というものだ。
だが彼女は、本来の意味での密偵ではない。元々有能であることに加えて、忍者と言う職業の恩恵を受けているが、精神的な負担は著しく……。
大王の許可を取って、特に親しい麒麟と蝶花には明かしていた。
「……本当に、あの方は疲れていたのよ。大王の気持ちが分かるし、無駄になってしまうものの重さもわかるし、危険性も理解していて……その上で、強く己を鼓舞して、戦争を止めようとしていたわ。でも……結局止めきれなくて、その後に大王から未来を託されて……参っていたの。私だけはそれを知っていたのに……弱みを見せない人だから」
「獅子子さん……貴女がそこまで気にするということは、とても立派な人だったんですね」
「そうね、獅子子は自分に厳しい人が好きですものね」
抜山隊は解散し、ガイセイとも別行動がほとんど。
再び三人に戻った新人類だが、以前よりも絆は深まり、そして各々で成長を遂げていた。
もはや共依存などしておらず、三人ともが自分のことをしっかりと見つめたうえで、他の人を支えることができていた。
「そうね……あの人もきっと私と同じで……自分に厳しくない人が、話の通じない人が苦手で……その分疲れていたのでしょうね。だから私は、力になってあげたかったのだけど……結局何もできなかったわ」
「そんなことはありませんよ、獅子子さん。今僕たちは貴女と話をしていますけど、それで何が解決するわけじゃなくて……それでも意味があるでしょう?」
「そうよ、きっとその人も、獅子子がいて救われていたわ!」
「そうだと良いのだけど……その救いは、余りにもささやかだったわね」
本当に、戦争を止められていたら。
そう思わなくもない。
余りにも横柄な考えだが、自分が大王を殺してすり替わっていれば、あるいは弱みを握って脅していれば……。
そうすれば、あんなことにはならず、もっと犠牲が少なくて済んだはずなのに。
もちろんそれを実行していれば、後々もっと厄介なことになっていたかもしれない。
それが分からないでもないし、外国人が勝手に国家の命運を決めていいわけもないのだが。
心のどこかで、そうしていればよかったのではないか、と考えてしまうのだ。
なまじ行動自体は可能であったため、その後悔がついて回ってしまう。
「獅子子……貴女は優しい人よ。私はそれを知っているわ」
苦しみは消えない。
悲しみも消えない。
後悔も、未練も消えない。
だがそれは、消えてはいけないから残るのだ。
彼ら三人の過ちも含めて、残しておかなければならないのだ。
「私はあの戦争で、多くの人を駆り立てて、多くの人を奮い立たせて、多くの人を殺させて、多くの人を逃がさずに戦わせてしまったわ」
「僕もですよ……大きな嘘を、さも当然のように……ふふふ……酷い勇者ですよ」
三人はかつて望んだように、己の持てる才能を十全に活かした。
それによって多大な評価、適切な評価を得た。
だがそれは、やはり苦しみの伴うものだった。
それが英雄の背負うものだと分かっている。
自分たちが能天気に追い求めたものは、輝かしくもまぶしく、痛々しかった。
それこそが、彼らの成長である。
「せめて、すこし気が楽になる曲を弾きましょうか。転職武装……あら?」
職業の力を発揮した蝶花は、ある違和感を覚えて、己の竪琴を見た。
普段から輝いている魔法の竪琴なのだが、今はその魔力が荒ぶっている。
まるで、何かに反応しているように。
「……一体何が」
何かが起きた。
それを麒麟と獅子子も認識した。
なぜならば、彼らの武器も鳴動をしていたのだから。
持ち主に、何かを伝えるために。




