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雪だるま方式

 さて、東に送り込んだウズモは、すんなりと帰ってきた。

 では北と南に送り込んだ他のドラゴン達と悪魔は、なぜまだ戻ってこないのか。


 もちろん、うっかりエイトロールに遭遇したとかではない。

 英雄たちの怒りに触れて始末された、ということもない。


 実は現地で騒動になっていたのである。


 南方の地に来たのは、Aランク下位モンスター、ケツアルコアトルとシェルターイーター、そしてアシッドバルーンである。

 300の悪魔を引き連れた彼らは、狐太郎の命令を全うするべく、南の地で活動を始めた。

 要するに、比較的人里に近い魔境に行って、現地のモンスターを食べ始めたのである。


 それこそ、氷喰いがやっていたことよりもずっとひどかった。

 毎日を懸命に生きている現地モンスターを、圧倒的な力で一方的に食べていったのである。


 もちろんドラゴンたちが大きすぎる関係で、取りこぼしがあったり、人里へ逃げていくこともあったのだが、そこは悪魔たちがカバーしていた。

 また、ドラゴンたちが暴れれば、それだけ魔境も荒れる。

 魔境からはモンスターが湧くのだが、魔境の環境が荒れていた場合は、まず環境が戻りそのあとでモンスターが湧くのである。

 しかもAランクのドラゴンは瘴気を多く消費するので、魔境の復元が遅れ、モンスターが湧くのも遅れるのである。


 シュバルツバルトではあるまいし、人里の近くにそう強い魔境があるわけもなく、モンスターの被害はほぼなくなっていた。

 むしろ暇になってしまったほどであり、退屈を持て余した彼らは、周囲がびっくりすることを始めたのである。

 撤去作業や運搬作業を手伝ったり、木の伐採や加工などを行い始めたのである。


 撤去作業や運搬作業は、まあありがたかった一方で、納得もできた。

 そりゃあモンスターなんだから、大雑把に荷物をどかすこともできただろう。


 だが伐採、加工となると話は違う。

 体形の関係上、爪や牙で大味に加工するだけなのだが、それでもこの世界の住人ですら重労働に分類する工程がサクサク終わるのである。


 流石はAランクモンスター。彼らの力をもってすれば、人間の重労働など『細かい手作業』程度のものでしかない。

 竜の民もそれを手伝っており、とても合理的に作業が進んでいた。


 これを狐太郎たちが見ていれば、それこそ『重機とか工業用の工作機械だ』と思うに違いない。

 以前に竜の食事風景を見たときもそうだったが、人間と竜が、作業員と重機のように協力していたのである。

 当たり前だが、双方の連携がばっちりだと、とても早い。


 もちろん常にそれだけしているわけではないし、一か所にまとまっているわけでもないのだが……。

 見ている方からすれば、ありがたいのは当然だろう。

 今回は被害が大きかったので、金銭やらなんやらよりも『労働力』が必要だったのである。

 大抵の相手は悪魔でどうにかできることもあって、南部の状況は良くなっていったのだが……。


「狐太郎様から、帰還命令が下りました。あまり長くドラゴンや悪魔を置くべきではない、というご配慮によるものです」

「さ、さようですか……」


 シカイ公爵の元に来たのは、悪魔ではなく竜の民だった。

 万が一にも公爵が乗っ取られるとヤバいので、悪魔が駄目なのは当たり前だが、狐太郎の伝令として送り込まれた悪魔と、今目の前にいる竜の民は話をしているということになる。

 もちろん竜の民も人間なので、悪魔は恐ろしいはずだった。


(よく考えれば、今のドラゴンは悪魔と一緒に移動しているのだから……彼らは常に悪魔と一緒ということに)


 シュバルツバルトの討伐隊と縁が無く、王都奪還軍にもほぼかかわりを持たず、もちろん狐太郎の親衛隊とも関係がない。

 そんなシカイ公爵だからこそ、基本的な疑問が湧いていた。


「……話がいきなり逸れて申し訳ないのだが、貴殿ら竜の民は悪魔が怖くないのか?」

「……ええ、まったく」


 強がりではなかった。

 むしろ一瞬『なんでそんなこと聞くの?』とさえ疑問に思い、首を傾げかけたほどである。

 それこそ虫が平気な人間が、虫が苦手な人間から『虫怖くないの』と聞かれた時のようだった。


「こう申し上げては何ですが……我等竜の民は、悪魔の基準において人間ではないのですよ」

「亜人ということですか?」

「いえ、竜の奴隷ですね」


 悪魔にとって、奴隷は人間ではない。

 まさに悪魔的な考えではあるが、だからこそ軽く聞いただけで納得できるものだった。


「ご存知の通り、悪魔は人間を騙し、陥れることを好みます」

(そんなのが群れを成して、私の領地を闊歩しているのか……)

「ですが逆に言えば、もう落ち切っている者に声をかけることは稀です。空論城はありますが、アレは失敗例だそうですしね」


 悪魔にも好みはある。

 平たく言えば、失う物がある者をこそ、積極的に騙したがる。


 尊厳を奪うことができる、尊厳を賭けの景品として考える彼らだからこそ、逆にそれを売り渡している者へ興味を持たない。


「我等竜の民……特に直属の下僕となった私どもは、もう竜へ尊厳を差し出している状態です。つまり私共の尊厳は殿様や姫様のもの……だからこそ、我らから奪えないのです」


 借金の担保として差し押さえられているものを、自分の財産として賭けることができないように、ドラゴンの奴隷である竜の民は自分の尊厳を賭けることができない。

 なので悪魔は竜の民を騙そうとも思わないのである。


 もしも悪魔が竜の民から尊厳を奪おうと思ったら、それこそドラゴンたちを騙さなければならないのだが……その場合はドラゴンたちが欲しがる賭けの賞品を、悪魔が提供できなければならないわけで……。

 まあつまり、無理ということだった。


「なるほど……」

「では話を戻させていただきますが」

(尊厳が無いのに、公爵である私への圧が強い……竜の代理人だからこそ、か)


 奴隷であることを自認している割には、公爵相手でもまったくひるまなかった。あるいは自分のことを、ただの伝書鳩だとでも思っているのかもしれない。

 まあそもそも、一般的な奴隷なら公爵に会わないだろう。竜の代理人も任されているわけであるし、尊厳はなくとも責任のある仕事は任されているようだった。


「カンシン閣下がお戻りの今、殿様も悪魔も不要のはず。どうか、撤収のご許可を」


 とても普通の提案なので、シカイ公爵は驚かなかった。

 しいて言えば、こうしてあいさつに来たことが驚きであるぐらいだろう。

 だがだからこそ、ありがとうございました、とあいさつできないわけで。


「……大変申し上げにくいのですが、狐太郎様へ派遣の延長をお願いしたいのです」


 本来なら、公爵の要請は大王でも無視できない。

 事実としてシカイ公爵の要望によって、ナタはこの地に来ていたのである。


 よって、普通なら延長を希望した一度目ぐらいは、それが通る筈だった。

 だが当然、ドラゴンも悪魔も普通ではない。国家を守る軍だとかではなく、四体の魔王同様に狐太郎の財産である。


 英雄たちと違って人間扱いされていないからこそ、逆に狐太郎へ無理強いが難しいのである。

 ましてや、緊急性があるのならともかく、それが薄いのなら尚のことに。


「ご理由をお伺いしてもよろしいですか」

「他の貴族たちからも、ドラゴンの助力を得たいとの声がありまして……」

「なるほど、承知いたしました。では狐太郎様へ意見を届けさせていただきます」

「……期待してもよろしいでしょうか?」

「それは、止めた方がよろしいかと」


 ある意味では、ネゴロ十勇士と同じだ。

 この国で随一の権力者に仕えているからこそ、誰が相手でも取り繕う必要がない。


「狐太郎様は寛大で寛容なお方です。しかし、必要ではないことに対しては、とても厳しいお方です」

「……そうですか」


 わかり切っていたことだけに、シカイ公爵は受け入れていた。

 彼自身は特に困らないが、彼の領民や、その周囲の者はとても困るだろう。


 だがそれでも、いないと死ぬのか、と言えばそこまでではない。

 よって、突っぱねられればそれまでだ。


(王都奪還戦で、大公閣下はナタ君もカンシン閣下も招集しなかった……一番苦しい時、南を見捨てなかったのだ。あの時に比べれば……いや、それもおかしなことだな)


 理屈はわかる。

 ジューガーも狐太郎も、一番苦しい時に南を捨てなかった。

 そしてこの国の復興は、まずこの国の人間が頑張るべきだ。

 今は苦しいが、戦時中ほどではない。


 であれば、中央は南のことなど見捨てている……とはいえない。

 だがそれは、理屈でしかない。


「竜の民……謹んでお願い申し上げる」

「なんでしょうか」

「どうか狐太郎様へ……今後も南へのご協力を願いたい、と」


 だがそれでも、苦しいことに変わりはない。

 苦しかった戦争が終わった後に、苦しい復興作業が待っている。

 それは当然だが、だからこそ忍びない。


「私の声は、民の声なのです。民が叫んでいるのなら、私も叫ばねばなりません」


 貴竜、Aランクのドラゴンたち。

 彼らの威厳は、圧倒的であった。


 英雄以外では絶対に勝てない、人間では倒せない生物。

 それが己たちの脅威となるモンスターを超然と食らい、その膂力を貢献に生かし、憲兵の如く巡回している。

 その威厳のなんたることか。

 

 それだけではない。悪魔の群れも、恐ろしくも頼もしい。

 人は悪魔を恐怖するが、その悪魔を英雄が使役していることには安堵を覚える。


 もちろん誰もが納得しているわけではないが、今彼らに抜けられると負担が著しい。

 はっきりいって、贅沢を言える状況ではない。だからこそ、助けを乞うのだ。


「民が継続して支援を求めているのなら……私がそれを言わねばなりません……」

「……承知しました、そのようにお伝えします」


 果たして、この声が届くかどうか。

 届いたとして、叶うのか。


 わからない。

 わからないということは、この直訴に保証が伴わないということ。


 今彼の手元には、何の力も残っていないのだ。


(ジューガー陛下……貴方には討伐隊がいた……私にもそれだけの力があれば!)


 ナタは中央に戻らざるを得ず、カンシンもまた忙しさに埋もれている。

 王族に連なるものでありながら、ジューガーとシカイには著しい差が存在していた。


(品性下劣と言われたとしても構わない、ヤングイよ……お前に期待させてくれ)


 王族の一角であり、南を預かる大領主、シカイ公爵。

 彼はひとえに、南を治める武威を渇望していた。



 東部前線にて……。

 東の大将軍オーセンは、竜の民の申し出を快く受け入れていた。


『狐太郎様が、悪魔とドラゴンを引き上げさせたいと?』

『はい、そのようにおっしゃっています』

『さようですか、ではそのように。私が戻ってきた後も尽くしてくださり、感謝の言葉もありません。本来であれば祭でも催してお送りしたいのですが、戦後ということで難しく……』

『それは存じております。救援が力になったのであれば、狐太郎様もお喜びになるでしょう』


 如何に優勢だったとはいえ、東の被害も著しかった。

 そこへ一体のAランク中位モンスターと、大量の悪魔、大量の精霊使いが現れたのである。

 彼らの力は圧倒的で、疲弊した軍やハンターの代わりに大活躍してくれたのだが、それをオーセンはあっさりと送り返していた。

 まだ全然立て直せておらず、ウズモの力が必要であるにもかかわらず、である。


 もちろん竜の民、ウズモ、悪魔たちはあっさりと帰った。帰らない理由が、一つもない。

 彼らは元々央土には無関係で、やれと言われたからやっていただけだ。

 主である狐太郎が『大将軍は帰ってきたんだし、許可取って戻ってきて』と言ったのなら、それで話は終わりである。

 まだ復興が半端だとか、そんなことは一切気にせず帰還した。


 さて、そのオーセンの元に、東側の領主たちが集まっていた。

 誰もがオーセンに対して不満げで、どう見ても文句を言いに来た顔である。


「それで皆さん、どのようなご要望で?」


「四冠の狐太郎様に再度依頼し、この地へ再度ドラゴンを派遣していただきたい」

「狐太郎様が手懐けておられる、クラウドライン。彼のおかげでどれだけ治安が回復したことか……」

「現在、働けるものは皆復興に注力させたいのです……。どうか、ご依頼願えないでしょうか」


 もちろんオーセンが、それを知らないわけがない。

 大将軍である彼の元には、多くの悪い知らせが集まっている。

 にも拘わらず、彼は薄い笑いを隠さなかった。


「お前ら……俺を殺す気かよ?」


 ぞっとするほど、残酷な顔だった。

 若き日にアッカやギュウマと轡を並べて戦い、唯一東に残った男。

 アッカが西方大将軍に着任するまでは、現役最強と謳われた男。

 彼の見下した笑みに、誰もが身震いを隠せない。


「じゃあ帰りますねって言ってくれた時が、帰ってもらうのに一番いいタイミングなんだよ。無理に残ってもらったって、やる気なんて出してくれねえし、むしろなんで俺が連勤するんだってキレだすぞ?」


 そんな彼らをバカにしながら、オーセンは状況を改めて説明する。


「で? 無理にお願いするの、お前らじゃなくて俺なんだぞ? 俺が、狐太郎様から嫌われるんだぞ? 東を守ってるこの俺と、狐太郎様の関係を険悪にする気かよ」


 これには、誰も文句が言えない。

 大量の悪魔を従えていて、多大な権威をもつ狐太郎。彼へ陳情ができるのは、確かにオーセンだけであり……。


 ハッキリ言えば他の者は、狐太郎に会いたくもなかった。

 もしも不興を買えば、何をされるのかわかったものではない。


「帰りたいなら帰してやればいいじゃねえか。こっちは他より被害が薄いし、どうにかならなくもない。仮に困ることがあっても、その時もう一度お願いをすればいいだけだろ」


 オーセンは保身に走っている。

 しかしこの場合の保身は、それこそ東全体の保身である。

 この世には、身を切る保身が存在する。


「今無理に残ってもらって、ちゃんと仕事してもらえると思うか? 今無理に引き留めて、いざってときにもう一度助けを求めて、快く助けてもらえると思うか? そもそもお前ら、助けてもらって対価払えるの? ああ助けてよかったって、そんな気分にさせられるほど払えるの?」


 なるほど、助けを乞わなければならないときはある。

 今は実際に困っている。

 だがしかし、助けを乞う程困っているのだろうか。

 乞えば乞う程、乞われたほうの顔は渋くなっていくものである。


「ですが、オーセン将軍は以前に各地へ兵を集めるように依頼を……」

「それは必要だと俺が判断したからだ、実際必要だったしな。そして今回は必要ないと判断した、それだけだ」


 オーセンの理屈はわかる。

 だが誰もが、顔を渋くしていた。


「もう一度言うぜ? 俺に向かって偉そうなことを言うのなら……お前らが直接狐太郎様に会いに行って、お願いします派遣してって言えばいいんだよ。千の悪魔を従えている、悪魔より悪辣と言われたほどの怪物に、言質を取られかねない状況で話ができるのか?」


 だが、事実はそうだ。

 渋くはあるが、狐太郎やオーセンを敵に回してまで助けを乞いたいわけではない。

 他人にリスクを支払わせる分にはいいが、自分が支払う程ではないのだ。


「ははは……正直なもんだ、まったく」


 結論が出たと判断して、オーセンは気を抜いた。

 都合よく助けてくれたドラゴンに、自分たちの都合がつくまで、自分たちの都合のいいように頑張ってほしかった。

 そんな者たちを、さらに脅すべく心証を明かした。


「俺はな、狐太郎様に会った。会って話をしたんだが……あの人は、帰属意識がない」


 それは、気楽に依頼をしようとしていた者たちの、その肝をつぶす言葉だった。


「あの人は、自分が央土の人間だと思ってない。精々客将程度の認識で働いてるだけだ」


 その認識はとても正しかった。

 狐太郎にとって、央土はあくまでも別の国であり、自分の国だとは思っていない。


「まあその程度の認識で、命をかけて戦ってくださったんだから、律義で真面目で……それだけ信頼関係を作った陛下の手腕がすごいってことなんだろうが……本当に、面倒になったらあの人逃げるぞ。というか、今の時点でも大分逃げたがってるぞ。むしろ逃げてないのが奇跡だな」


 央土という国全体が、大いに疲弊している。

 戦争には勝ったが、そのうち崩壊してもおかしくない状況だ。

 それでもある程度何とかなっているのは、ジューガーが生き残ったことと、狐太郎の膨大な武威によるものだろう。


 その片方が、あっさりと失われかねない。

 それをオーセンは、あっさりと見破っていた。


(ま、そういう性格だから、同じように帰属意識のない連中をまとめられるんだろうが……これ以上押し付けたら、逃げても咎められねえわな)


 オーセンは自分の力ではどうにもならぬ状況を、ただ達観していた。

 せめて自分の持ち場では、うかつなことをする者が出ないように気を使っているが、全体から見ればとても少ないだろう。


(でもまあ、あの兄ちゃん……すげえ人気者になるだろうしなあ……)


 狐太郎には、欲らしい欲がない。

 だからこそ独裁官をまっとう出来たのだが、他の者はそう思わない。

 彼の持つ膨大な宝、多大な価値に、これからも群がり続けるだろう。


(俺は絶対、ああなりたくねえや)


 狐太郎が悟ったように、四冠とは普通の英雄の四倍大変ということ。

 東を預かる大将軍でさえも、むしろ哀れむ存在であった。



 さて、北である。

 侵略はしても物乞いはしない、という謎の価値観で生きている北笛の民は、確かにさらった女性たちを央土へ返していた。


 だが過酷な北の地で放り出しても死ぬのはわかり切っているし、ちゃんと返さないと自力で帰ってきたことをごまかしたのでは、と思われることになる。


 つまり北笛の王が、自ら女性達の返還に現れたのだ。


「よう、ガクヒ。わざわざ迎えに来てもらって悪いな」


「話は聞いているが、ずいぶんと異例だな。自分の馬に乗せたものは、人も宝も自分の物、という認識だと思っていたが」


 テッキ・ジーン。

 北笛の大王が国境地帯に現れたことで、北方大将軍であるガクヒが自ら現地に来ていた。

 彼の背後には、妻や娘を攫われた男たちが、テッキの後ろにいる女性たちを見て、今にも飛び出しそうにしている。

 だがそれを、ガクヒは制していた。

 いくら相手が返しに来たとはいえ、まだ筋が通り切っていない。

 ここで焦れば、それこそ再度戦争になる。


「当たり前だ。俺の地へ奪い返しに来た男前ならともかく、ただ臍をかんでいた腰抜けに、返してやるものなど一つもない」


 盗人猛々しいにもほどがあった。

 これが遊牧民の価値観だというのなら、わからなくても仕方がない。


「勘違いするな、この女たちを返すのは……」

「自分の非を認めたわけじゃなく、国交の樹立をしたいわけでもなく、狐太郎様への返礼だろう」

「その通りだ、お前たちなどどうでもいい」


 北笛と央土の境界線は、やはりとても寒い。

 そこで話をしていると、テッキの後ろにいる女たちはやはり震えている。

 体が寒い上で、心も寒いのだ。

 

 今まさに夫や父が目の前にいるのに、央土の英雄が目の前にいるのに、まだ帰ることができていないのである。


「まったく……狐太郎という男は、とんでもない度量の持ち主だな。我等北笛の民も、勇者には敬意を払うが……今回のこれは、度を超えている」


 北笛の英雄は、深くため息をついた。

 とんでもない宝を贈られてしまったと、バツが悪そうにしている。


「これは、語り継がれる伝説だ。央土の英雄が、北笛の伝説になったんだぞ。これはたまらん、度量で負けた」


 英雄だからこそ、英雄ならざる者が起こした奇跡には感服する。

 そのおぜん立てをしてくれたという、四冠の狐太郎にも頭が下がる。


「無論、分を弁えずに借りを作ったメズヴには制裁しても文句は言わせねえが……若き日の蛮勇と呼ぶには、余りにも輝かしい」


 メズヴは、スカハやイーフェに対抗心を燃やして、今回の旅に出た。

 だが今や、スカハやイーフェが、メズヴへの嫉妬に焦がれている。

 親から顔をボコボコにされた、見るも無残な彼女に羨望の視線を向けているのだ。


 その気持ちはわかるが、止めなければならない。

 流石に二度も三度も、狐太郎に迷惑をかけることはできない。


「であれば、その輝きに返礼をしないとなあ?」

「……一応言っておく、配慮に感謝する」


 ガクヒは、さらった女を返しに来た男へ、心から礼を言った。


「もちろん狐太郎様への気遣いだ。戦争を回避するためとはいえ、泥棒に追い銭をくれてやったことは事実だからな」

「ああ、まったくだ! それだけは、それだけは我慢できねえ!」


 非公式だったとはいえ、今回のことも場合によっては、狐太郎の不名誉となりかねない。

 北笛を恐れるあまりに、小娘一人へ接待をして、土産を持たせて護送したと、侮辱をされかねない。

 それはガクヒにとっても北笛にとっても、想像するだけで耐えがたいことだった。


「エツェルの娘が泥棒扱いされるのも、狐太郎が腑抜け扱いされるのも、到底受け入れられねえからなあ! 女はまた攫えばいいが、名誉は戻ってこねえ!」


 政治的な理由、道徳的な理由、外聞的な理由だった。

 勝手な理屈だった。


 被害を受けた者たちは、礼を言ったガクヒにも反発を覚える。

 もちろん、テッキに対してはなおさらに。


「まあそれにだ……ひとつ解決したいこともあったしな」

「……?」

「アレックスが自分で見に行ったが、西重はきっちり滅びたんだろう? 全滅するまで戦ったんだろう?」

「ああ、もちろんだ」


 テッキは親指で、自分の後ろにいるうちの、三人の女性を指さした。


「あそこにいるのは、西重から送られた人質だ」

「……まさか、それもこっちに?」

「ああ、狐太郎にやれ。大事にしてくれると、俺も助かる」


 他国に対して、全面戦争を依頼するのだ。

 信用を得るための担保として、人質を贈るのは当然である。

 なので北笛に西重からの人質がいるのはおかしくないが、それを央土の狐太郎に渡すのはおかしかった。


「もしも西重が怖気づいて引き下がれば、アイツらはぶち殺して、西重に放り捨てるところだった。だが西重はやり切ったわけだからな、そんなことはできねえ。だが嫁にもらったわけでもないし、馬にも乗れないアイツらが、北笛にいても幸せにはなれないだろう」

「だから、狐太郎様に?」

「ああ。それに狐太郎には、あの三人を受け取るだけの権利がある」


 最も危険な地へ、人質として贈られた娘たち。

 場合によっては一番むごたらしい死を迎えていたはずの彼女たちは、しかし結果として無事に生き残ってしまった。

 それもおそらくは、今後の安全も保障される形で。



「アイツらは、西重の大将軍の孫たちだ」



 幸せから遠い顔をしている彼女たちは、英雄の元へ嫁ぐことになっていた。



「……なんだろう、物凄く嫌な予感がする」


 彼の元に、さらなる厄災が集まりつつあった。

次回から新章です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 狐太郎に集まる厄介事達
[一言] 百八星にたしか女性が三人いたはずだからそれが名前かね
[一言] 凄い!対外的な嫁候補いっぱいいるのにまともなのが一人もいない! 狐太郎くんがんばれ!
感想一覧
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