最高のパートナー
狐太郎がこの台地に来てから、およそ一週間ほどが経過した。
最初の一回目に挑戦してから数日後、もう一度だけ氷喰いは現れた。
その時もメズヴは挑みかかったが、ただのハエ扱いだった。
二度目の接触でありながら、メズヴは大した成果を挙げられなかったのである。
もちろん二度も単独でAランクと接触し、自力で生き残っているのは大したものだろう。
だが人と生存圏の重なっていないモンスターを相手に『嫌がらせ』をしても、彼女の評価が上がることはあるまい。
二度も生き残ったと言えば聞こえもいいが、つまり二回も逃がしているということだ。
彼女自身、現時点で何の成果もあげていないことは認めていた。
彼女はロデオの練習に来たわけではなく、Aランクモンスターを乗騎にするために来たのだ。
Aランクと言ってもいろいろだが、彼女が氷喰いに文句を言わなかったのだから、今更文句を言うわけもない。
そして実際、彼女は不満にも思っていなかった。
狐太郎にも言われていたが、彼女の希望条件をすべて満たしたうえで、想定通りにうまく行っていないだけなのだから。
それでお前が悪い、環境が悪い、相手が悪いなどいうわけがない。
しいて言うまでもなく、この場に来た彼女自身の問題である。
(それを言い出さないあたり、うっとうしくはないな。正直面倒ではあったが……恥は知っているし、それなりに素直ってことか)
狐太郎は串に刺した団子をあぶり、香ばしさが活きたままに食べていた。
時折コゴエと一緒に雪の中で遊んでいたこともあって、それなりに楽しめている。
とはいえ、そろそろササゲやアカネ、クツロのところにも戻りたくはあった。
だがしかし、今更期限をつける気も起きなかった。おそらくそろそろ、状況が動くと考えていた。
それは狐太郎だけではなく、ヤングイも同じである。
(最初からこの話は、彼女がどう納得するかが本題。誇り高い彼女は、再起不能になるか成功するまで続けるかと思いましたが……もう一つの道が現れましたね。これも彼女の能力ということでしょうが……)
自分の失敗以外で、諦める理由になりえるもの。
それは彼女にとって、一つだけである。
「ご主人様、そろそろ表に」
精霊から報告を受けているコゴエが、狐太郎へささやいた。
だが狐太郎が立つよりも早く、メズヴが立った。
「そうか……」
どこか悔しそうで、嬉しいようで。
そんな複雑な顔をしている彼女は、かまくらの入り口を通って表に出た。
なぜコゴエが表に出るよう言ったのか、確認しようともせずに。
だがそれに続いて、狐太郎やヤングイも無言で出る。
結局この雪原に、他の『要素』などないのだ。
「おお……」
風がほとんどない時間だった。曇天の下、少しだけ暗い雪原に出たメズヴは、そこにいる『王』を見た。
一週間ほど前に見たときよりも、一回りも大きくなっている、勇壮な氷水牛。
無粋な呼び方をすれば、氷水牛の変異体、あるいはボス氷水牛。
だがあえて敬意を込めるのなら、やはり名で呼ぶべきだろう。
「マック……!」
氷水牛の王、マック。
Bランク上位へと、段違いの強化を果たした相棒を見て、メズヴは両手を広げて迎えていた。
「……私の負けだ! 私が間違っていた! 私を許してくれ!」
勝者を称えるために、彼女は負けを認めていた。
決して、命乞いをしているのではない。
負けを認めることこそが、勝者を称えることだと知っているのだ。
雄姿を見せる雄牛は雄々しく吠えた。
マックは求めていたものを得て、歓喜の叫びをあげた。
もしもこの雄牛の思うところを言語化するのなら……。
『どうだ、俺は強いだろう! 勝手に諦めやがって! この薄情モンが!』
すべての氷水牛が、この姿になれるわけではない。
どれだけ努力しても、段違いの強化になるわけではない。
だがだからこそ、メズヴは無理強いをしなかった。
もとよりマックが強くなるため頑張っていたことは知っていたし、これ以上の努力を強要できなかったのだ。
それが、間違っているとは言えない。
だが必ずしも正しいわけではない。
「お前は……私に信じて欲しかったんだな。そして、行動で証明したんだな!」
期待して欲しい個体だっている、一緒に頑張ろうと言って欲しがる個体だっている。
見捨てないでくれ、諦めないでくれと叫びたくなる個体だっている。
そして……決して伝えようとせず、請わず、無言で行動に移す個体もいる。
「私は自分が情けない……お前に比べて、私は何の成果も出せなかった!」
メズヴは己の敗北を受け入れていた。
己の一族の名誉のためにここへきて、先に結果を出したのはマックだった。
「お前は、お前の力だけで、お前の価値を示した……強くなったんだな!」
雄牛は、さらに吠える。
どうだ、参ったか。
この怪物は、認めさせたかった相手に認められて、この上なく喜んでいた。
「すまない……マックよ、至らぬ私を許し、今後も背に乗せてくれるか?」
猫が、虎になった。
Bランク中位から、Bランク上位へ上がった。
氷水牛の王マックは、その巨大な鼻先をメズヴに近づけていた。
「そうか……ありがとう」
その鼻に、そっと手を当てる。
ここに主従は、人と獣は、絆を確認していた。
「ここにアカネが居なくて良かったな。もしもいたら『なんか自己解決したんだけど……』とか言いそうだな。セクハラされて不機嫌だったし」
「それを含めて、彼女は謝っているのでしょう。とはいえ、無駄にも思えませんが」
雪女と人、この主従はこの結果に満足していた。
付き合わされたことはあまりよく思っていないが、双方にとって一番いい結果ではないか。
「マックはメズヴの選択を尊重し、その上で行動をしたのです。彼女の乗騎としては、とても正しいでしょう」
「そうだな……正しい、ああ、正しいんだ。いい相棒だな」
狐太郎は、改めて健全さを見ていた。
『私のモンスターになるのだ、最高のスペックは当然じゃないかね?』
『物足りなくなったら、また作ればいい。飽きたら、捨てればいい』
『いくらでも替えが利く、いくらでも増やせる、何をしても許される、喜んで受け入れる!』
『私に相応しい強大な力を誇り! 私に従う! 私がすべて! 私の一部! 思うがまま!』
『これが、最高のパートナーだよ!』
『彼女たちにとっての……最高のパートナーになるんだ』
なるほど。誇りたくなるほど、健全な生き方だ。
肥え太った暴論よりも、よほど尊い価値観だ。
従者に当たり散らさず、己で何とかしようとしたからこそ、彼女は好かれているのだろう。
こんなメズヴを、マックは気に入っているのだろう。
「じゃ、これで解散ですね? いや~~だるかったですよ。クツロ様も飽きてると思いますし、ちゃっちゃと戻りましょうか」
緊張感のないサカモは、しかし正論を言う。
綺麗に話が終わったのだから、これで終わりでいいだろう。
「そうしたいのは私も同じだが、難しいだろう」
コゴエはそれを否定した。
「この雪原で、ご主人様を独り占めにするのは楽しかった。特に何もなく、快適で退屈な時間を共有するのは楽しかった。そして……メズヴも帰ることは受け入れるだろうが、マックがそれを受け入れない」
おもえば、メズヴはグダグダである。
他の王の娘が、Bランク上位のモンスターを従えたので、もっとすごいモンスターを欲しがった。
Aランクモンスターを従えるという前代未聞の快挙を達成しようかと思えば、央土の狐太郎が既に達成しているという。
勝手な逆恨みでぶっ殺してやろうと思ったが、央土の暑さでばてた。
マックの毛を刈り取って涼しくしてやろうと思えば、その狐太郎が来て、その仲間であるアカネにほれ込んだ。
前払いが普通だということを知らなかったので妨害され、さらにノベルによって抑えられ、『痒い』という理由でギブアップした。
一応命を狙った狐太郎から配慮されて、北笛の環境に合ったAランクモンスターの元へ案内してもらった。
要望通りのモンスターを飼いならすつもりがちっともうまく行かず、元々の乗騎が自主トレして王になった。
この上なく空回りであるうえに、周囲を巻き込み過ぎている。
この上で『マックが王になったんでAランクは諦めます』とか言い出せば、『結局何しに来たんだよ』と言う話になるが……。
その無様を、メズヴは受け入れるだろう。敗者なのだから、勝者が望めばそうせざるを得ない。
そう、マックが望めば、である。
「……おや、こうなりましたか」
ヤングイは、少しうれしそうにその光景を見ていた。
群れの長としての風格を得たマックの背後から、多くのモンスターたちが現れた。
らせん状の牙をもつスクリューマンモス、巨大な白熊ビッグハンド、タイラントタイガーの亜種ホワイトタイラント、発光する夜の王ホタルコウモリ。
並の人間を容易く葬るBランクモンスターたちと、そのボス。本来なら食い合い殺し合うはずの別種たちが、雑然ながらも集まっていた。
おそらくは、これらと戦い、勝利することで王への階段を昇って行ったのだろう。
それが容易ではないことは誰にでもわかる。それを成したマックへ、一層の敬意が湧く。
だが彼は、ただ従えているわけではない。元より別種など、従えても楽しくはないだろう。
種を越えて集まった理由は、一つしかあるまい。
「マック……お前は、それをやりたいんだな?」
猫の将とネズミの群れを従えて、虎に挑む。
Bランクモンスターの軍団を引き連れて、Aランクに挑むという。
この地のモンスターたちに感謝しているからこそ、異物を除いてから去りたいという。
「……わかった、私も戦おう。私の名誉のためではない、お前の戴冠に花を添えるためにな!」
メズヴは拳を振り上げて応じる。
この競争で勝った相棒に、少しでも報いるために。
※
不死身にも思える、ラードーンやエイトロール。
それらは非常に獰猛で凶暴だが、だからこそ逆に、飢えに弱い。
鳥型Aランクモンスター氷喰いは、ここ一週間ほどまともに食事にありつけていなかった。
文字通りの意味で痛くもかゆくもない相手が、うっとうしかったからである。
いつでも好きなだけ食えると思っていたので、今食えなくてもいいとは思っていた。
だがしかし、流石に腹が減ってきた。我慢しきれないほどに、お腹が空いていた。
もうどうでもいい、ハエがたかっていてもいいから飯にしたかった。
何もおかしなことはなく、必然の欲求だった。
何がいても、飯にするつもりだった。
この台地で、唯一魚を食べられる場所。
凍り付いた湖に、氷喰いはその長い脚で現れた。
そして、眼を見開いた。
「さて、お前はどうせ私の声など聞こえないだろうし、そもそも私に気付いてもいないだろうが……私の為ではなく、私の友のために宣誓する!」
Aランクモンスターの前に、Bランクモンスターが立ちふさがっている。
それが一体や二体なら問題にならないだろうが、何百と並んでいる。
己が強者であるという自覚を持っている氷喰いは、しかし怯んでしまった。
これはハエがたかっているどころではない、嫌悪感ではなく危機感を覚える光景だった。
「私は敗者として、勝者であるマックに従う! この地の王になったマックの仲間として……お前を討つ!」
ハッキリ言えば、さっさと逃げたかった。
これはまずいと、彼も理解していた。
だがしかし、飢餓感がある。
この場の者たちを全員蹴散らしてでも、怪我の危険を冒してでも、この腹を満たしたかった。
つまり野生の怪鳥は、極めて当然に危機感を覚えたのである。
英雄ならざる者では、軍を編成しても勝てない領域。
如何に下位とは言えAランク、であれば怪我をする可能性が頭をよぎることさえおかしいのだが……。
それはあくまでも、人間の理屈である。
ざっと数えて、Bランク上位モンスターが十体ほどいるのである。
これは戦力比で考えて、熊一体に対して野犬が十体いるようなものである。
しかも、ネズミに相当するモンスターも百体以上はいる。
ありえるのだ、負ける可能性が。
しかも、蹴散らせば逃げる相手ではない。
なにせ集まったモンスターたちも、とても飢えている。
この敵を討たねば飢えると、双方が理解しているのだ。
だからこそ、逃げてくれることを期待できない。
「行くぞぉ~~!」
強大な敵を前にして、モンスターたちは一致団結していた。
身も凍る極寒の地で、熱い生存競争が始まったのである。
北笛の角笛が吹き鳴らされ、足元の氷を砕きながら戦いが始まった。
この地のモンスターたちが集まって尚、戦場となった湖面は整然としている。
浅く積もった雪が、砂のように舞い上がり、風に流されながら消えていく。
猛獣たちの、命をかけた戦いが始まった。
各群れの王たちが、格段に大きい怪鳥に食らいつき、その配下たちも負けじと牙をむく。
痩せても枯れても、氷喰いは格上。食いついてくるボスたちに手間取りながらも、木っ端モンスターたちを蹴散らしていった。
もちろん、マックも参戦している。
巨大化した図体に見合わぬ俊敏さで跳躍し、分厚い羽毛に覆われた胴体へ頭突きを行う。
城壁さえも砕く牛の王の一撃だが、子供が大人へ体当たりした程度にしか効かない。
ただ縋り付くだけならまだしも、倒す、ダメージを与えるとなれば厳しかった。
如何にこちらの数が多いとはいえ、氷喰いの攻撃を一度でも受ければ大ダメージは免れない。
木っ端ならば即死し、王であってもしばらく戦えなくなるだろう。
個体としては強くとも、飛び道具の類を持たぬモンスターの悲哀があった。
包囲しているのに、結局接近しないと攻撃できないのである。
「フレキシブルクリエイト、スライムボール!」
だがしかし、ここには人間が一人いる。
牛の王から飛び降りて、その首を登り、頭部に達したメズヴ。
彼女はもはや捕える気などないと、その片方の目に柔軟属性のエナジーを貼り付けた。
とてもごく当然に、以前以上に、氷喰いはもがき始めた。
なにせ目に異物が入って、全く取れないのである。
とはいえ、これは人間で言えば目にゴミが入った程度である。
仮にメズヴが全力で攻撃しても、失明させることなど不可能だろう。
やや怯んだだけであり、少々の隙ができただけだ。
だがその隙が、多数を相手にしている時は致命的だった。
ネズミ程度であっても、何百と体に噛みついてくれば、熊であってもとても痛いだろう。
ましてや十体の野犬が同時に食いついてくれば、である。
怪鳥は奇声をあげた。
それは恐怖からくるものであり、必死さを表したものだ。
追い詰められているが、抵抗する力は十分にある。
まだまだ断末魔の叫びには程遠い。
食らいついていくBランクを、その屈強な足で蹴り飛ばしていく。
「……これが、ランクの違いですか」
それを観戦しているヤングイは、寒さではなく恐怖を覚えていた。
如何に狐太郎とコゴエ、サカモがいるとはいえ、実際に戦っていれば他人事ではいられないのだ。
「Aランクですからね……下位であっても、そう簡単には倒せません」
一方で狐太郎は、流石に慣れていた。
プルートの軍勢がエイトロールに群がる光景に比べれば、さほどのこともない。
近くによれば流石に怖いだろうが、巨大なモンスターたちの全貌が見えるほど遠くなので、体に負担がかかることもなかった。
「ご存知の通り、モンスターのランクは死ににくさ、倒しにくさに由来します。殺傷能力でいえば、毒のあるカエルでも十分なほどですからね。つまり……Aランクに列せられている時点で、あの鳥も相当に強靭ということです」
見ているのも痛々しいほど、氷喰いは体中に群がられている。間違いなく、すべてのモンスターが全力で噛みついているのだろう。
だがそれでも、怪鳥に死の兆しは見えない。
弱るどころかさらに暴れ、Bランク達を圧倒し続けている。
「こうなっちゃうと、組み伏せられるかどうかですね~~」
自らも猛獣であるサカモは、戦況を評していた。
決着となりえる『体勢』を、全員へ教えていたのである。
「獣同士の戦いって、基本的に組み技なんですよ。相手を押さえつけて、急所に噛みついたら勝ち。あの元気な鳥も、倒されたところで長い首を噛まれまくれば死にます」
柔道やレスリングにおいて、相手を倒し固定することがそのまま勝利となるのは、実戦だった時代の名残である。
一定時間相手を倒したまま押さえれば、その間に首などの急所を刺せるからだ。
これは肉食獣の戦いも同じであり、その爪で相手をがっちりと固定しつつ地面に倒して、急所を噛めば勝ちとなる。
打撃格闘技のように、相手とダメージを与えあうということはない。
相手がどれだけ元気でも、押さえて急所を刺せば、直ぐに元気はなくなる。
「まあ私は雷獣なんで、雑魚に群がられてもなんてことはないですけど……ああいう素の強さが優れてるタイプは、群れられると弱いですよね。ただそれを抜きにしても、あの氷喰いは動きが悪いような気はしますけど」
「氷喰いに精彩がないのは、単に空腹だからだろう。ここ一週間、まともに食事にありついていないからな」
サカモの疑念に、コゴエが解説を加えた。
この状況を狙ったわけではないだろうが、メズヴの成果である。
飢餓寸前まで栄養が枯渇しているのだから、体に力が入らないのだ。
「だが、それでも氷喰いの方が強いだろう。飢えているのはBランク側も同じだからな。少なくとも、今はまだ勝負は分からない」
コゴエは配下の精霊たちによって、より細かく戦況を見ている。
その彼女が言うのだから、実際にそうなのだろう。
押え込んでBランクが勝つか、跳ねのけて氷喰いが勝つか。
現時点においては、まだ決定的ではない。
「……そういえば、狐太郎様。いきなりで申し訳ないのですが、小耳に挟んだことをお教えしますね」
「なんでしょうか」
「南万が降伏した理由が判明しました」
「それって、この状況で言うことですか? それに、私が聞いていいとは思えないのですが……」
「誰も聞いていないでしょう。それに、そのうち誰もが知るようになりますから、秘匿の必要も薄いかと」
少しだけ期待しながら、ヤングイは話題を切り出した。
「そもそも南万との国交が悪化したのは、人質となっていたホウシュンという姫を返還する際に、護衛ごと行方不明になったからなのです」
「なるほど、それは悪化しますね」
「ちなみに護衛を担当していたのは、ジョー・ホース閣下の兄君、ゴー・ホース殿です」
「……そ、そうだったんですか」
「ですがその二人が見つかり……同時に南万の大将軍の一人であるサイモン閣下が『病死』したからなのです」
「……邪推されそうな状況ですね」
「ええ、おそらく推測された通りかと」
大将軍が一人死んだのだから、戦力低下は著しいだろう。
だから戦争どころではなくなった、というのは事実のはず。
だが本当に病死したとは、流石に誰も思うまい。
「ただこのタイミングで二人が発見され、その結果ナタ様が王都奪還戦に間に合ったのは、奇跡としか言いようがないでしょう」
「それはそうでしょうね」
狐太郎は、ナタが間に合ったことを奇跡だと認めた。
都合のいい偶然が起こったのだとしか、説明できなかったのだ。
「その上でお伺いしますが……狐太郎閣下。奇跡を期待していましたか?」
「それはありません」
狐太郎は断言した。
それこそ、彼女が言い終わるよりも早く答えていた。
「兵たちの心はともかく……私たちやチタセー大将軍は、そんな都合のいいものを見ていませんでしたよ。それこそ、頭にも浮かばなかったはずです」
もしかしたらこっちに都合のいいことが起こって、西重に勝てるかもしれない。
そんなことを考えて戦う司令部など、いないほうがマシであろう。
敵味方共に、あれだけ使い潰す戦術をとっておいて、奇跡を期待していたなど……。
それは、許されないことだ。
「奇跡が起きなくても、最後まで戦う所存でした」
「そうですか……では彼らもそうなのでしょうね」
「ええ、間違いなく」
奇跡は望んでも起きないが、望まなくても起きることはある。
そして実際、二人とも……それが起きる可能性を意識していた。
狐太郎はメズヴだけではなく、マックに対しても手助けする気などなかったが……結果的にそうなる可能性はあった。
「来ると思いますか、来ないと思いますか?」
「さて……正直マック達の方には勝ってほしいですね。できれば、ケチのつかない範囲で」
※
怪鳥、氷喰い。
このモンスターは、大いに怯んでいた。
全身に傷を負い、心が負け始めていた。
このまま戦えば、致命的な傷を負いかねない。
再生能力を持たないこの鳥は、それを危惧し始めた。
餓死は確かに恐ろしいが、食われて死ぬこともまた恐ろしい。
勝利とは生き残ることである。
敵を皆殺しにしても、足が折れて立ち上がれないとなれば、それこそ勝った意味がない。
もういい逃げてしまえ、逃げればこいつらも追いつけまい。
そう判断するのも、無理がないことだ。
なんとしても食い殺そうとする、視野の狭まったBランクたち。
彼らと違い、氷喰いは視野を広げて逃走の道を探ろうとした。
その時である。
その鳥の目が、はるか東の空に、大きな影を見つけていた。
鳥肌が立つ、というのは皮肉だろう。
氷喰いは、まだまだ遠くにいる影を見て、本能的な恐怖を覚えたのだ。
それは正しかった。東の方から近づいてくる影は、確かに氷喰いにとって脅威だった。
クラウドライン、ウズモ。
竜王アカネの下僕である若き竜は、オーセンの許可によって狐太郎の元へ戻ってきたのである。
狐太郎が東へ悪魔を送って、もう一週間以上になる。
ならばクラウドラインが戻ってきても、まったく不思議ではない。
だがこのタイミングでその影が見えたのは、やはり幸運と呼べることだろう。
「おおお! ここだあああ!」
その隙が、本当の意味で致命的だった。
視野が狭まっていたBランクの群れは、遠くのウズモにまったく気づかなかった。
よって、恐怖によって動きが止まったのは、氷喰い一体だけ。
その止まった瞬間に、Bランクの群れは氷喰いを押し倒したのである。
サカモの言った通りであった。
一旦倒してしまえば、もう勝負はついていた。
数的優位が不動のものとなり、氷喰いは喉を噛まれて窒息状態になった。
こうなってしまえば、何か起きる余地は全くない。
断末魔を上げることもできずに氷喰いは息絶え、それにも気づかずBランク達はその肉を食い破っていく。
それはこの地の生態系が正常に戻った瞬間であり、王となったマックの勝利の瞬間であり……その主であるメズヴ、ひいてはキョウド族にとって名誉回復の瞬間であった。
「やったな、マック! お前の勝利だ!」
だがしかし、メズヴはあくまでも友を称える。
そしてその顔は、自分のことのように晴れやかであった。




