青い鳥
以前にジローは『若いんだし導いてあげなきゃだろ』ということを言っていたわけだが。
(関わりたくねえなあ……)
もうこの時点で狐太郎たちは、至らぬ後進を指導することの大変さを思い知っていた。
多分彼女は、異常ではない。彼女と同じような価値観の人間はたくさんいて、それが狐太郎たちと異なっているだけだ。
ただ違うのは、違う相手への理解。つまり根本的に、違う考え方があることを知らないし、違う考え方に対して『常識がない』と思ってしまうのだ。
「……あの、ヤングイさん。さっきも言いましたけど、この人……メズヴはいきなりアカネに乗って来たんです。それって北笛としては普通なんですか?」
明らかにメズヴは、アカネを狐太郎の仲間だと認識していた。
その上でアカネにまたがり、それを妨害してきたクツロに憤慨していた。
他人の財産を自分のものにしようとすることは、ありなのかなしなのか。
彼女固有なのか、それとも北笛の共有できる価値観なのか。
一応聞いてみた。
「ままあるそうです」
「……嫌な国ですね」
人の家の財産にまたがって自分のものにするのはたまにあるよ、と言われると狐太郎も困る。
もちろんアカネもササゲもクツロもコゴエも、さすがに困り果てていた。
央土においてアカネたちは『財産』扱いで、それを奪おうとしたことをランリはとがめられて殺されたのだが、そっちの方が数段マシだった。
いくら何でも、野蛮が過ぎるのではないだろうか。
「勘違いなさらないでください。これはあくまでも特殊な例……乗りこなすのが難しい気位の高い獣を、その飼い主が持て余していた場合に限ることです。それに加えて、乗りこなした場合、きちんと対価として大量の家畜を送ることになっているそうです」
「ああ、一応金を払うんですね」
野蛮な価値観なのかとも思ったが、話を詳しく聞くと思ったより普通だった。
やはり人間の社会というのは、奪うばかりでは成り立たないのだろう。
「それでよろしいですね、メズヴ様」
「……まて、央土は違うのか」
「他人の獣が欲しくなった場合、先に交渉し、対価を渡してからですね」
「なるほど、そういうものか」
メズヴもちゃんと後で払う気があったらしく、先払い制なんだな、ということで納得していた。
(なんで言わないとわからないんだ……というか事前に確認して欲しい)
言えばわかるのはいいのだが、言わないとわからないのはどうかと思われる。
「そういう信用取引って、信頼関係のある相手にしか通じないんじゃないかしら……」
「ある意味お嬢様、ということなのだろうな」
なお、ササゲとコゴエは彼女の『私を知らない者なんていない』的な思い込みにあきれていた。
北笛では帽子をかぶっていれば『エツェルさんとこの娘さんか』とわかってもらえるので、そのあたりに疎いのだろう。
もちろん、巻き込まれる側はたまったものではない。
「で、私のことは諦めてくれるんだね?」
「正直納得しかねているが、私も恥は知っている」
よほど痒かったのだろう、彼女はアカネを諦めていた。
まだ少し痒いらしく、体に巻かれている包帯を時折押さえている。
「乗りこなそうとしている私を、後ろから打つのはどうかと思うがな……先払いが基本の文化なら、まあわからなくもない。泥棒に間違えられたのなら、撃ち殺されても文句は言えん」
「納得していただいて何よりです」
「だが、どうかとは思うがな。人に乗られることを望む獣に、またがろうともしないのは腑抜けだ」
やはり狐太郎を認めていないらしい。
今更ではあるので、狐太郎もあまり気にしていない。
「獣は家畜とは違う! 乗りこなしてこそ、共に駆けてこそだ! 一緒に風を感じ、起伏を味わい、走った後の疲労感を分かち合ってこそだろう!」
「そうだそうだ!」
なぜかアカネが賛同した。
多分彼女が言いたいことを、メズヴが言ったからだろう。
「獣を駆るのに必要なのは、まず体と技だ! 心など後でついてくる、まずそれを鍛えるべきなのだ! それができないのなら、獣にまたがろうとすることもおこがましい!」
「そうだそうだ」
狐太郎を否定してくるメズヴだが、狐太郎はそれを肯定した。
ある意味自己否定なのだが、目指すところはアカネの否定である。
「まあまあ、とりあえず意見はまとまったのでしょう。問題なのは、このまま帰っていただけるかどうかのはず」
「なんだ、お前たちは私を北笛の地に帰したいのか。だがまだ目的を達成していないのでな、帰る気はない」
ヤングイが話題を戻すが、問題が解決していないことが明らかになっただけだった。
おそらく遊牧民族にとって、国境という概念は定住民族と違うのだろう。
「前例がいるのは気に喰わないが、私もAランクのモンスターが欲しいのだ。自慢したいのでな」
「狐太郎様。一応申し上げておきますが、より強い獣を従えている者が偉い、というのは北笛では比較的一般的な価値観です」
(家とか車みたいなもんか……まあわからなくもないけども)
比較的わかりやすい価値観なので、狐太郎はすんなり納得した。
獣を自慢したいというのを愚かと言えば、それこそ狐太郎の故郷もだいぶ愚かになってしまう。
「そうは言いますが、Aランクのモンスターなんてそう簡単に従えられないでしょう。説得力はないでしょうが、私もAランクのモンスターとは幾度となく戦いました。むしろそちらが専門なのですが……人間が乗りこなせるようなモンスターは稀でした」
狐太郎は説得力がないだろうな、と思いつつも説明する。
「言われなくても、それはわかっている。だがだからこそ、手に入れた時自慢できるのだ!」
(わかるけどわかりたくないな……)
彼女も彼女なりに真剣で、彼女自身の力で問題を解決したいのだろう。
だがしかし、その『彼女自身の力』が問題なわけで。
「一応念のため確認しますけど、私が一度貸して、それを自慢する、というのは駄目ですね?」
「当たり前だ! そんなことをするのなら、それこそ父に力を借りている!」
「ごもっともで」
割とありがちな展開を、あらかじめ確認しておいた。
やはり彼女にはプライドがあり、納得のいく獣を自分の力で得ることに意義があると思っているのだろう。
(面倒だな……)
それはそれで立派なのだろうが、ここは北笛ではなく央土なのである。
央土であのデカい牛を乗り回して、魔境から魔境へ梯子されると、それこそ困ってしまうのだ。
そして、言っては悪いが……というか彼女自身も理解しているようだが、彼女がAランクモンスターを乗りこなす可能性は極めて低い。
彼女は英雄ではなく、精々黄金世代程度。強いし鍛えているが、Aランクを倒すには到底足りないのだ。
「……遊牧民族の貴女には理解しがたいでしょうが、私はこの国の弱い民を守る義務があります。貴女が積極的に民を脅かす気がないと分かっていても、このまま放置し、好きなところへ行かせるということはできません。できれば帰っていただきたいのですが……」
「なんだ、殺す気はないのか」
「できれば、北笛とぶつかることは避けたいのですよ」
「なるほど……我が父たちが刻んだ足跡は、相当深く刻まれていると見える」
お前達が怖いので帰って、というのは彼女としてもありだったらしい。
不機嫌に思うことなく、すんなりと納得していた。
だがそれは、そのまま帰ることは意味していない。
「だが私は、決して帰る気などない。スカハやイーフェに負けぬ……いや、勝てるモンスターを見つけるまではな!」
「……やはりそうですか」
どうしたものか。
相手はエツェルという、北笛の英雄の娘。
無下に扱えば、それこそ戦争になりかねない。
もちろんやれば勝てるだろう、狐太郎の仲間でも対応できる範囲だろう。
だがエツェルを倒した場合、それこそテッキやアレックスが来かねないわけで……。
「もうシュバルツバルトに突っ込ませようよ。それで『もうAランクなんてこりごりだよ~』ってなるんじゃないの?」
「もしくはこの立派な牛に守ってもらって、『やはりお前が最高だな』となるんじゃない?」
アカネとクツロは、すっかりうんざりしていた。
美学を通したいのは結構だが、それが通じるところから出ないでいただきたい。
「ふん、私のマックが素晴らしいなど知っている! だがそれはそれとして他にも欲しいのだ!」
(マックって、氷水牛のことか。最低なこと言ってるなあ……気持ちがわからないでもないけども)
メズヴの理屈は、『私の氷水牛は最高のパートナーだけど、周りの奴に見劣りして自慢できないので、新しいのが欲しい』というものである。
これが彼女の価値観だというのなら、野蛮どうこうではない気がする。
「大体、お前はどうなのだ。最強の魔物使いと言うが……Aランクモンスターを従えているのだろう? もっと欲しくないのか」
「……十体ぐらいいるんで、これで十分かなって」
ちょっと究極を思い出してしまって、嫌になってしまう。
確かに狐太郎を周囲から見れば、Aランクを四体も従えているうえで、さらに戦力として強欲に欲し続けたとしか思えないだろう。
実際、その面も確実にあるわけで。
「じゅ、十体?!」
「今ここにいるのは、五体ですけどね」
「本当か?! 嘘じゃないだろうな!」
「ええ、まあ……サカモ」
狐太郎の指示によって、亜人形態から一気に鵺に変身するサカモ。
キメラ特有の奇怪な姿をさらし、その威厳を見せていた。
非戦闘員ではあるが、これでもAランクには変わりない。
やはりその姿を見れば、メズヴも思わず怯んでしまう。
「……!」
だが流石は英雄の娘、なお負けてなるかと踏みとどまっていた。
その顔に残った意地を吹き飛ばしてやろうと、四体の魔王が頷き合う。
この生意気で謙虚さを知らぬ娘を懲らしめてやろうと、その冠を解き放った。
「人授王権、魔王戴冠」
アカネ、ササゲ、コゴエ、クツロ。
英雄さえも討ち果たした四体の怪物が、意図して彼女を威圧する。
氷水牛のマックは戦慄して動けなくなり、メズヴはいよいよ腰を抜かして放心していた。
「こ、これが征夷大将軍の騎獣か……」
今まで横柄だった彼女だが、遊牧民だからこそ気圧された。
彼女の基準において、Aランクモンスター五体というのは、それこそ莫大な富である。
広大な田畑には興味を持たず、大きくて硬い城にも魅力を感じないが、こうした『財産』には敏感なのだ。
「おいお前達、誰が魔王になれと言った。俺はサカモ以外には何も指示していないぞ」
狐太郎はメズヴを見ないようにして、四体を叱る。
「ここはスイコー伯爵の屋敷の前だぞ、あんまり騒がしくするな。それに……大人げない。威圧するなんて、子供っぽいぞ」
なお、顔は笑っていた。
(でかした!)
やっぱり狐太郎も、結構イライラしていたので、とてもすっきりしていた。
「それに……って、あ」
ふと思い出して隣を見ると、同じように腰を抜かしていたヤングイがいた。
いきなりモンスターが変身して巨大になれば、流石に彼女も驚いてしまったらしい。
「すみません……」
「い、いえ、こうして救国の英雄の武威を拝見できて、私も光栄です」
恥らいながらも、なんとか笑ってみせるヤングイ。
五体のモンスターが通常状態に戻ったこともあって、なんとか立ち上がって体裁を取り繕っていた。
(というか、俺は慣れたんだな……前は俺もこんな感じだったもんな)
少し自分が成長したことを理解して、狐太郎はちょっとだけ喜んでいた。
(成長が細やかだな……)
その分以上に、かなり落ち込んでいた。
「ご、ごほん……貴殿の器量は拝見させていただいた!」
なお、五体のAランクが従っているところを見て、メズヴも少し態度を改めていた。
乗りこなしているわけではないが、それはそれとして従えているのは凄いことである。
だがしかし、それは同時に彼女を盛り上げることにもなっていた。
「ですが、だからこそ! その威厳を私も手に入れたい! よってAランクのモンスターを手に入れるまで、私は帰れないのです」
(いかん、火に油だったか……)
ちょっと調子に乗ったことを、狐太郎たちは後悔した。
彼女はモンスターを自慢したいと言ったが、狐太郎たちもまたそれをしてしまったのである。
品の無い行い、ちょっとビビらせてやろうという下心。それはやはりいい結果に結びつかなかったのである。
(でもちょっとすっきりしたことは事実……やはり俺は愚かだな)
さて、実物を目にして、『やっぱり自分もAランクでどや顔したい』という結論に達したメズヴ。
どうにかして諦めるか、Aランクのモンスターを従えさせたいところだが……。
「あのさあ、ご主人様。もしもこの人がAランクのモンスターを従えたら、あとあと央土の敵になるんじゃないの?」
「……どうですか?」
「それはそうだろう、当たり前だ」
やっぱり殺したほうがいいのではないだろうか。
狐太郎たちは未来の問題を解決するために、今の決断を迫られていた。
「獣とは、戦場を駆けてこそだろう。それを否定するのは、家畜に堕させるようなものだ!」
(立派だけど迷惑……)
さて、このお姫様。どう対処したものか?
今回の知恵袋役、ヤングイに手腕を期待したいところである。
「では狐太郎様、私に案がございます」
「お願いします」
「彼女の目的からして、寒冷地に適応しているAランクモンスターが必要でしょう。どうせ失敗してけがを負うか死にますから、そこに連れて行けばいいのでは? それなら彼女も納得できるでしょう」
失敗する公算が高いことは、メズヴも認めるところである。
よって否定することなく、ヤングイの言葉を待っていた。
「四冠様はシュバルツバルトしかご存知ないでしょうが、私は一応知識を持っておりますので……ご案内できるかと」
かくて、一行は彼女の案内に乗ることになったのである。




