半裸に漆
狐太郎は高く評価されているが、決して天才でも鬼才でも異才でもない。
四冠と呼ばれている一方で、やっていることは中間管理職である。
彼が仲間を集めることができているのも、突き詰めればジューガーというスポンサーがいるからであり、そのジューガーが示した目的に沿って軍を動かしているだけである。
その軍の運用についても、実際にやっているのは白眉隊のジョー・ホース。そしてその他の、各隊の隊長たちによるもの。各兵の指導についても、やはり各隊長たちによるものである。
それでも彼が四冠を勤め上げたのは、彼の地位におごらぬ人間性。
彼が余裕をもたず、真摯に相手へ向かい、交渉や統率を行ってきた結果。
圧倒的な権力と権威に溺れず、他人の足を引っ張らなかったが故のこと。
彼はあくまでも、勝利のため、国家のため、大王のために仕事をやりきった。
だからこそ、彼は周囲から認められているのである。
だがしかし、一つだけ特筆に値することがある。
それは、四体の魔王を従えていること……ではない。
この国にいる、ほぼすべての悪魔を従え切っていることである。
二重の特異体質、ブゥ・ルゥ。彼がその才能をフルに活かせるのも、狐太郎に膨大な悪魔が従っているからこそ。
最強の悪魔使いは、あくまでも狐太郎。悪魔を従える腕前に関して言えば、狐太郎は空前絶後である。
悪魔たちは、ただ従っているだけではない、心酔している、崇拝しているのである。
最強にして美意識に反する戦術、ガン逃げを自主的に実行に移したことからも明らかなように、狐太郎にほれ込んでいる。
悪魔が惚れる男、悪魔よりも悪辣な男。
それが虎威狐太郎であることは明白だった。
実像はともかく、実績はそうなのである。
※
さて、大悪魔アパレ。
以前は一国を半壊させ乗っ取り、その後眷属と共に壺へ封印され続け、解放されたのちにルゥ家と契約するに至った女性型の悪魔である。
名前を授けたのは狐太郎であり、知恵比べで勝ったのも狐太郎だが、契約の主体はあくまでもルゥ家である。
とはいえ、その知恵比べについては、謎に包まれている。
狐太郎自身が『余人を交えず一対一でやる』と言っていたことも含めて、暗黙の了解と化していた。
というよりも……狐太郎がアパレに対してどんな勝負を仕掛け、如何に敗北を認めさせたのか。
それについて強い興味を持っていたのは、魔王ササゲだけであった。そして彼女は悪魔の仁義によって、自分から積極的に探ることができなかったのである。
そして他の者たちも『まあ……勝ったからいいじゃん』という具合に、まったく興味を持っていなかった。
だからこそ、謎は不可侵となっていた。特に踏み込まれることがなかった、興味を持たれなかった、無価値と認識されたが故の不可侵。
だがそれに、踏み込むものが現れた。
この世でアパレと狐太郎だけが共有している、墓まで持っていくはずだった『甘美な秘密』。
あの密室で何が起きたのか、探ろうとする者が現れたのである。
「こちら、公女ヤングイ殿下だ。お前と俺の契約について、何があったのか知りたいらしい」
ヤングイの希望を聞いて、狐太郎はアパレを呼んだ。
呼ばれた彼女は事情を聴いて、本当に盛り上がっている。
「はぁ……ついにこの日が来てしまいましたか」
長く広い舌をべろべろと波打たせ、とても嬉しそうに悶えていた。
魔王でさえも踏み込めない聖域に侵入しようとしてくる相手を、彼女は大いに喜んでいた。
「今まで誰も探ってくれなかったから、とても寂しかったのです……」
「そうか、俺はそうでもないんだが。むしろ忘れていたかったんだが」
ヤングイの希望を聞いて、狐太郎はアパレを呼んだ。
呼ばれた彼女は事情を聴いて、本当に盛り上がっている。
「皆が知りたがってこそ、秘密には価値が生まれるものじゃないですか」
「まあそうかもしれないが……」
誰も欲しがらない宝を守っていても、むなしくなるだけ。
自分にとって大事に思っているからこそ、他人にも興味を持ってほしい。
それが複雑な乙女心、悪魔の心であった。
「で、どうなんだ? 彼女の要求については」
「もちろん、お受けしますとも。どうぞ、秘密を探ってくださいな」
狐太郎と彼女の契約は、あくまでも負けを認めたらルゥ家に従うというもの。
秘密の厳守に関しては、ただのその場のルール。勝負が終わった後で破っても、何ということはない。
ただ単に、狐太郎が嫌だというだけのことだ。
その嫌なことを、アパレが良しとしている。
狐太郎としては快くないことだが、命をかけて戦ってくれる彼女の口を封じる気にはなれない。
というよりも、それを含めて、狐太郎は最強の悪魔使いなのだろう。
「ただし」
アパレは強い目で、挑発的に公女を見た。
「いきなり現れて、知りたいから探らせてもらいます……というのは、流石に従者として歓迎できません。休暇を楽しんでおられる狐太郎様に対しても、あまりにも不義理。別に『約束』をしろとは申しませんが……役には立っていただきます」
なるほど、もっともである。
狐太郎は休暇中で、旅を楽しんでいるところ。
そこへいきなり現れて、貴方の秘密を探らせていただきます、というのは無粋だ。
悪魔は悪魔なりに礼儀や仁義を重んじる。
なんの対価も示さずに腹を探ろうとするのは、それこそ無礼千万だった。
「ふふふ……ええ、もちろん。私も今回のことは、本腰を入れて臨みたいのです。むしろすんなりと胸を貸していただく方が、私としても不本意の極み」
それに対して、ヤングイも乗っかった。
最初からそのつもりであったらしく、好戦的に笑いながら応じる。
「これは私なりの知恵比べ……元よりなにがしかのヒントを引き出させていただいたうえで、推理を楽しむというもの。であれば私が対価として知恵を出すのも、礼儀と言えるでしょうね」
秘密を暴きたいと言っても、別に寝技や裏金で探りたいわけではない。弱みを握って、無理やり吐かせたいわけでもない。
だからこそこうして、直接来ているのである。そうでなければ、姿を見せる意味がない。
「狐太郎様……どうやら今現在、面倒なことをもう一つお抱えでは?」
「ええ、はい」
「その件、私の預かり……ということにいたしましょう。リァン様やダッキ様には劣りますが、これでも公女。責任を取ることはできます。その上で……北笛にも多少は詳しいつもりです」
知恵、というよりは知識だろう。
確かにこの場には、北笛に詳しいものは一人もいない。
相手が分かり合う気がないということも含めて、知っている者がいればありがたい。
「北笛からの客人……殺す気ならとっくに終わらせているはず。そうでないのなら、穏当に終わらせたいのでしょう。私が一助になりますので、その働きを評価していただければ、と」
「……そうですね、確かにありがたいことです」
未知の相手というのは、交渉が難しい。
言葉が通じても、価値観が合わないからだ。
知っているのか知らないのか、それは交渉において重要となる。
時に常識は、聞くことさえ失礼になるからだ。
「応援するわよ、ヤングイ」
「ええ、お任せくださいまし」
「ふふふ……楽しくなってきましたね」
(ありがたくない……)
そしてそれ以前に、ササゲとアパレがノリノリである。
これを止める気など、狐太郎にはなかった。
※
さて、スイコー伯爵の屋敷の傍に、巨大な牛が座している。
コゴエがその周囲に雪を降らせているが、牛はむしろその雪の中に腰を据えていた。
多分、そうとう暑かったのだろうと思われる。
その牛のすぐそばに、下着姿の女性が伸びている。
クツロから攻撃を受けて、今も気絶したままの北笛の女性だった。
「こちらが噂の女性ですか……」
「何か、わかることはありますか?」
「ええ、この帽子があれば」
身分証明にもなるという、ふかふかの寒冷地用帽子。
それを手に持っている彼女は、その模様を検めていた。
「北笛には数多の騎獣民族が存在し、競り合い、興亡を繰り返しているそうです。それ故にすべての紋章を網羅しているわけではありませんが、流石に有名どころについては存じています」
縄で縛られているわけでもない、半裸の女性。
その彼女に、ヤングイは帽子をかぶせていた。
ある意味もっと恥ずかしい姿だが、それでも彼女の文化にとっては大事なことなのだろう。
「これは現在北笛でも有力な一族、キョウドの紋章ですね」
「……そういえばキョウドの女が、どうとか言っていたような気が」
相手が奇襲を仕掛けてきたこともあって、ほぼ会話は成立しなかった。
だがキョウドという単語には覚えがある。適当に出まかせを言っているわけではあるまい。
「その上で、これだけの首飾り。個人の名前まではわかりかねますが……キョウド族の長にして、北笛の王、エツェル・キョウドの娘でしょう」
「……思った以上に大物ですね。やはり殺さなかったのは正解でしたか……」
北笛の王の娘がどうしてここにいるのかなど、今は誰も把握していない。
しかしそんな女性を殺していれば、国際問題になりかねなかったことも事実。
安心していいことではないが、とりあえず判断が間違っていなかったことを狐太郎は確認していた。
「……エツェル? すみません殿下、北笛の大王はテッキか、アレックスという名前だったのでは?」
その一方で、半端に北笛を知っているブゥが質問をした。
どうやら彼は、エツェルという名前を知らないらしい。
「北笛は遊牧民族の集まりであり、英雄は族長にして王を名乗ります。その王たちをまとめる者が大王となるのですが……当代の大王は確かにテッキ・ジーンですね。ですが他にも二人の王がおり、片方がアレックス・サード、もう一人がエツェル・キョウドと言うわけです」
「へえ……じゃあその人たちが、ジロー様やガクヒ様と戦争していたんですね」
「おっしゃる通りです、ブゥ様。先日の戦争では特に戦果を挙げることなく倒されたそうですが、その実力は他のお二人にも劣らぬと聞いております」
前回の戦争では、南万に対しては膠着、東威に対しては優勢、北笛に対しては劣勢だったという。
安易に比べることはできないが、北笛はそれだけ強大な国ということだろう。
おそらく今も、その戦う力を持っているに違いない。
「それじゃあさ、なんでそんな人の子供が、一人でこんなところにいて、私に乗りかかってくるの?」
「さあ? 前回の戦争で戦果を挙げられなかったから、その腹いせじゃない?」
アカネは当然の疑問を口にして、クツロは想定される答えを口にする。
確かにあり得ないとは言い切れない。
「……お前達、さっきから黙って聞いていれば、いい気になりおって」
そんな時である。怒りの形相になったエツェルの娘が、ゆらりと立ち上がった。
「途中から意識が戻ったのだが……まだはっきりとしなかった。だがお前達のふざけた言葉を聞いて、一気に目が覚めたぞ!」
覚醒した彼女は、猛然と抗議する。
「確かに! 我らが北笛の地の、その大王はテッキ・ジーンに他ならん! あの方こそ、北の大地を治めるにふさわしいお方だ! だがしかし、我が父エツェルも劣るものではない! その父を三番手扱いするようなことをほざくか!」
ヤングイの情報は正確だったが、言い方や受け止め方が悪かった。
少なくとも娘としては、黙って聞いていられなかっただろう。
「それに加えて! 央土の将であるガクヒもジローも、騎乗はせずとも尊敬できる武人である! あの二人に倒されたとても、我が父の名誉が汚れることはない! だが、だからこそ、その戦果に納得していないわけではないのだ!」
親を、一族をバカにされては、黙っていられない。
ある意味では家族思いの彼女は、その拳を振るおうとした。
「勝手な妄想を口から垂れ流しにしたこと……後悔するがいい!」
勝算など考えずに、命も惜しまず彼女は殴り掛かる。
おそらくエフェクト技などが使えるであろうに、それを使わずに挑むのは、これが勝つための戦いではなく怒りを示すための戦いだからだろう。
「おっと、流石にそれはよろしくありませんね」
しゅるりと、彼女の背後にノベルが現れた。
もとより狐太郎の護衛である彼女が、危険人物から目を放すわけがない。
いつでも動けるように備えており、実際に動きを封じていた。
「き、貴様……!」
「動けないでしょう? ここはおとなしくしていただけるとありがたいのですが」
後ろからの羽交い絞め。
とてもシンプルではあるが、だからこそ抜け出すことが難しい。
ましてや相手が大地の精霊使い、ノベルであればなおのこと。
その圧倒的な体重差によって、もがいても抜け出すことはできなかった。
「貴様……噂に聞く十二魔将の一人だな?! これがお前のギフト技ならば、私にも考えがあるぞ!」
「おや怖い。ですが、もうすでに勝負は決しています。この私は、対人戦の方が得意ですので」
闘争心を吹き荒れさせているエツェルの娘は、相手が技を使ってくるのならとエナジーをたぎらせる。
しかしながらノベルも十二魔将の末席に身を置いた者、王の娘如き一ひねりであった。
抜け出そうとしているエツェルの娘を、彼女はあっさりと解放する。
混乱しつつも、相手をノベルと決めた彼女は、狐太郎たちに背を向けて、やや腰を落とし組み技の姿勢を見せた。
「ふん、対人戦が得意なのは私も同じだ。北の地で踏みしめた我が組み技、見せて……」
途中で、彼女の士気が萎えた。
それがなぜなのか、彼女の背中を見ている狐太郎たちにはよくわかる。
「漆黒曜という石をご存知ですか、これは……」
「あ、ああああ! かゆいかゆいかゆい!」
肌に触れると、かぶれてしまう岩石、漆黒曜。
それに変身したノベルに羽交い絞めにされた王の娘は、余りの痒さにのたうち回って雪に体をこすりつけ始めた。
(うわあ……)
「彼女とは、組み技をしたくないわね……」
「私は、接近戦もしたくないよ……」
狐太郎だけではなく、クツロやアカネもドン引きしている。
肌着しか着ていないため、体の変色もより一層痛々しい。
体の半分近くがかぶれているという、悲惨な状態。
いっそ痛みの方が、我慢できたかもしれない。
「あらあら、流石は悪魔の至宝……お見事な腕前で」
だがだからこそ、ヤングイはにやりと笑っていた。
確かにこうなっては、戦闘の続行など不可能であろう。
「どうやら、浄化属性も治癒属性もお持ちではないご様子……そのかゆみに効く薬草は作れますが、如何しますか? お話をしていただけますか?」
「わ、わかった! たのむ! 頼む! 早くしてくれ!」
のたうち回って降参するエツェルの娘、その彼女の降参を満足げに聞いたノベルは、腕を大富豪土に変えて、さらに種を植え始めた。
「こちら、薬竹と言います。成長するとただの竹ですが、タケノコの段階で掘り起こすと……その皮が貼り薬になります」
その種を植えた直後、成長が始まるその前に、彼女は自分の腕に手を突っ込み、育ちかけていたタケノコを引きずり出す。
通常のたけのこは茶色いのだが、このタケノコは異常にみずみずしく、しかも緑茶めいた色をしている。
その皮をはがし始め、悶える娘の肌に貼っていった。
「いかがですか、直ぐに効くでしょう」
「あ、ああ! もっと、もっと全身に貼ってくれ! 到底足りない!」
「お任せください。ただ……しばらく貼っておかないと、またぶり返しますので、処置後も大人しくしていただきたいですね」
「……わかった!」
程なくして、タケノコの皮を体に貼り付けられて、さらにそれを包帯で巻かれているという……なんとも奇妙な女性が出来上がった。
元から下着姿だったのだが、今はもう入院患者にしかみえない。
本人も不満そうだが、よほどかゆかったのか、包帯がとれないようにおとなしくしている。
(マジできつかったんだな……)
「……そんな目で見るな」
自分でも情けないと思っているのか、同情の目を向けられている彼女は恥じていた。
だが話すと決めたからには、本当に話す気だろう。
彼女は促されるまでもなく、自分から切り出す。
「私はたしかに、エツェルの娘だ。メズヴ・キョウドという」
(ようやく名乗ったな……)
「一族の名誉のために、誓っておくが……この戦争は確かに央土の勝ちで終わった。それ故に、私の行動も一族とは関係ない、私の名誉のための行動だ」
あくまでも独断専行であり、卑劣な潜入破壊工作ではない、と言い切る。
それはそれで、彼女の価値観によるものだろう。
「……それで、お前が征夷大将軍を務めたという、虎威狐太郎か」
「そうですが」
「本当に弱そうだな……お前を殺すことも目的の一つではあった。お前のような軟弱者が、Aランクモンスターを従えているなど許しがたいことだからな」
(この子の価値観が分からない……死にたいのかな)
「とはいえ、お前の護衛一人にこうもあっさり倒されたのだ。負けを認めた後であがくほど、私は恥知らずではない」
流石に『体がかゆいので薬をちょうだい!』と叫んだ後で、治ったらお前殺す、とは言えないらしい。
計らずも、狐太郎の命は狙われずに済んでいた。
「であれば、当初の目的を果たすのみ!」
じろりと、メズヴはアカネを見つめた。
「私が一人で央土に来た理由……それは私に相応しい、Aランクの乗騎を得ることだ!」
なんとも壮大な目標ではあるが、納得できる理由ではある。
アカネに飛び乗ったのも、作法はともかくそれが目的だったのだろう。
「征夷大将軍でも背に乗れなかった、Aランクのドラゴン……乗騎としては最上だろう!」
「……あのさ、私は貴女を乗せる気がないけど、あえて聞くね」
熱烈にアピールされても、アカネはただ冷ややかだった。
普段は狐太郎から向けられている視線を、彼女自身がメズヴに向けている。
「なんでAランクのモンスターが欲しいの?」
「ふん、なにをバカなことを……」
メズヴは遊牧民として、当然の回答をした。
「自慢するためだ!」
「もう殺していいよね?」




