一難去る前にまた一難、こんなのばっかり
さて、今目の前には寝ている謎の女性がいる。
まだ名乗っていないので本当に謎の女性なのだが、神秘性もへったくれもなかった。
二度もクツロから攻撃を受けて、完全に気を失っている。
だが既に、彼女の状況は大体把握されていた。
「まずかったですか?」
「そんなことはないさ。クツロ、よくやってくれた。アカネ、大丈夫か?」
「うん、いきなり乗られてびっくりしたけど……特に何もされてないし」
(つまり普通に乗ってただけか……流石ではあるな)
アカネにしてみれば、褒めるところなど一切ないだろう。
いきなり上からとびかかられて、背中に乗られたのだ。
なにやら特別な価値観が無くとも、普通に嫌なはずである。
だがその嫌がるアカネが、大いに暴れて振り落とそうとしても、まったく動じなかったのである。
そのテクニックたるや、まさに遊牧民族であろう。間違いなく、北笛の民である。
だからと言って、好意的に見る余地は一つもないのだが。
「で、どうしましょうか、このドラゴン泥棒。もうこのまま拘束して牢屋にぶち込んじゃう?」
「北笛の民の理屈はどうあれ、ここは央土です。であれば相応に対応をしても問題はないかと」
「まあそうだろうなあ……」
彼女の事情など、一々考えるまでもない。
四冠の狐太郎の財産に手を出したのだ、何をされても文句は言えない。
なにせこの国の人間でさえ、実際に殺されている。外国からの不法侵入者など、なおさら殺されるだろう。
「でもなあ……ジローさんに言われたんだ、ケイは殺さなくてもよかったんじゃないかって、事を荒立てなければよかったんじゃないかって……」
さらりと、現役Aランクハンターにして元北方大将軍、震君のジローの名前が出た。
だがしかし、その言葉は四体の魔王だけではなく、ピンインやブゥにも響いていた。
「まだ若いんだから、やりなおせた、ちゃんと叱って矯正するべきだったって……そうすれば成長できたのにって……」
「でもご主人様、その子敵国の子でしょ? 成長したって敵じゃん」
「……それもそうだな」
しみじみとしていたところに、アカネからの冷静な指摘が入った。
そもそも敵なので、成長してもいいことがない。
「でも……戦争が終わったばかりなのに、敵国の子を殺すのも不味いわよね。よくもうちの娘をって……北笛の連中が殺しに来るかもしれないでしょう」
「それもそうなんだよな……元々そのために俺が来たようなもんだし……」
殴って蹴った本人であるクツロが、やはり冷静で的確な判断を行う。
ケイが殺されても戦争にならなかったのは、彼女の父が『あんな娘を推薦してすみませんでした』と非を認めたからである。
それはそれでどうかと思うが、『よくも娘を殺したな』と言って北笛の者が来ないとも限らない。
「貴人かもしれない、ということですが……確かにそうですね」
倒れている女性の胸元にある、宝石が多くつけられた、少し短めの首飾り。
それを鑑定するのは、ある意味宝石の専門家である、大地の精霊使いノベルであった。
「彼女の首飾りは、西重や央土のものとはデザインが違います。東威については詳しくありませんが、おそらく違うでしょう。であれば、北笛で作られたものと思われます」
「わかるのか」
「ええ、西重と央土は、基本的に文化が同じですので。その上で、使われている宝石は……どれも加工が難しい。つまり奪ったものを無理やり取り繕ったのではなく、北笛できちんと加工された、北笛の宝です」
「……略奪品を身に着けているわけじゃないと」
「はい。とはいえ、北笛内で略奪された可能性もありますが……それでも貴人だと考えるのが自然でしょう」
ノベルの推理が適切ならば、やはりこの女性を殺すのは良くないだろう。
北笛の文化や風習はわからないが、戦争に発展しないとは言い切れない。
「あと問題なのは、例の氷水牛か」
「其方は私が向かいましょう。暑さに苦しんでいるようですし、ある程度は従うでしょう」
そもそもの問題は、Bランクモンスターである氷水牛がこの魔境に現れたことにある。
それを移動させなければ、この場の問題は解決しない。
雪女であるコゴエが、その誘導を買って出た。氷水牛も暑いところに連れてきた主より、低温を提供してくれるものに従うだろう。
「それじゃあクツロ、その人を運んでくれ。スイコー伯爵のところへ連れて行こう」
「わかりました」
些か面倒な問題ではあるが、そこまで大問題と言うわけでもない。
少なくとも先ほど役場で畏まっていた、何をどうしていいのかもわからない人びとよりは、解決へ向かうだけの力がある。
(何もできないのは、俺だけじゃないんだよな……)
期待に応えるとか、納税に報いるとかではない。
何もできないまま茫然とすることの心細さは、狐太郎もよく知っている。
だからこそ、彼らの力になってあげたかった。
(問題は一つ一つ解決していく……それが一番の早道だ)
狐太郎は、改めて周囲を見た。
そこには、『解決した問題』がある。
狐太郎の積み重ねた、多くの結果が前にある。
「みんな、行こうか」
自分の仲間が、友が、護衛がいる。
自分が『しょうがねえな』と嫌な仕事をするとき、『しかたねえなあ』と一緒に嫌な仕事を手伝ってくれる者たちだ。
彼らを集めるまで、多くのことがあったが……多くを片付けて、今があるのだ。
だから、狐太郎は、面倒ごとに立ち向かえるのである。
※
スイコー伯爵の元まで、謎の女性と氷水牛を連れてきた狐太郎たち。
一時は大いに暴れるかもしれない、と思っていた氷水牛も、コゴエの傍から離れようとせず、とても大人しかった。
人間の感覚で言えば、砂漠で暑さでやられていたところ、クーラーの効いた部屋に入ったようなものだろう。もはや生命の危機レベルで、彼女から離れたくないはずだ。
そして自分の屋敷に来た狐太郎たちを、スイコー伯爵は慌てて迎えていた。
「おお……流石は四冠の狐太郎様。これで領民たちも安心して狩りができるでしょう……ありがとうございます」
「ぬか喜びさせて悪いのですが、まだ連れてきただけです。これから事情を聴いて、なんとか帰ってもらうようにいたしますので」
「いえいえ、こうして魔境の外に連れ出していただき、抑えていただくだけでもありがたいことです」
感覚がマヒしているが、Bランクモンスターは十分脅威である。
もちろん敵国の人間と言うのは、輪をかけて脅威である。
それを解決できる人間が、こうして速やかに対処してくれている。
それもできるだけ、穏当に片づけようとしてくれている。
伯爵としては、この上なくありがたいことだろう。
だがしかし、伯爵にとってもまだ安心できない段階だった。
「ただ、それで、申し上げにくいのですが……狐太郎様がこちらにいらっしゃっていると聞いて、御客人が来たのです」
「私にですか?」
「はい……シカイ公爵のご息女、公女ヤングイ殿下です」
「……そうですか」
一難去る前にまた一難、ぶっちゃけよくあることだった。
なので疲れつつも、狐太郎は現状を受け入れていた。
まあぶっちゃけ、外国の貴人よりは楽な案件である。
最悪『失せろ』と言えば、公女も去らなければならないのだ。
狐太郎の権力は外国人には通じないが、この国の貴族や王族にとっては絶対的な意味を持つ。
というかもう狐太郎より偉いのは大王だけなので、犯罪を犯さない限り何をしてもいいのだ。
犯罪に触れなくても、悪いことをする気はないのだが。
(いや待て……このパターンで楽だったためしがないぞ)
むしろ楽な案件が狐太郎に回ってくるわけがないのだが(楽な案件を回す方が問題なため)、狐太郎は己の気を引き締めていた。
とはいえ、相手はこの国の王族である。ぞろぞろ護衛を連れていくのも問題なので、コゴエ以外の魔王と狐太郎だけで会うことにした。
なおその間、気絶している北笛の女性は亜人たちや悪魔たちによって監視されている。
「どうも、お休みのところ申し訳ありません……シカイ公爵の娘、ヤングイと申します。四冠様、お会いできて光栄です」
ある意味当たり前だが、ヤングイはとても品の有る女性だった。
以前のダッキと違って、淑女としての雰囲気がある。
もちろん背は高く、狐太郎は彼女を見上げる側なのだが、それでも『か弱い女性』という印象を受けるほどだった。
だがしかし、狐太郎は当然のこと、アカネもクツロもササゲも警戒している。
本当に品の有る女性は、休暇中の男性のところに押しかけてこない。
多分スイコー伯爵も、物凄く困っているだろう。むしろ彼にとっては、王族が押しかけて来たことの方が、よほど怖いのかもしれない。
(二人とも……わかっているわね? 多分私たちを懐柔してこようとしてくるけど、乗っちゃダメよ)
(ええ、わかっているわ。気をつけなさいね、アカネ)
(何言ってるの、クツロ。絶対クツロが負けるじゃん)
なお、三体の魔王はお互いを警戒していた。
仲間が隙だらけだと認識しているので、まったく信頼していないのである。
むしろ逆に、理解し合っているのかもしれない。
(コゴエ……)
なお、狐太郎。
彼はこの場にいないコゴエだけを信じていた。
やはり欲求の薄い雪女の方が、欲求の有るものよりも信じられるのである。
「こうしてスイコー伯爵にご迷惑をおかけする形でお伺いしたのは、他でもありません。狐太郎様の武勇伝をお聞きし、是非直接お話をしたかったからなのです」
(俺の……武勇、伝?)
狐太郎は聞いたこともない言葉に、思わず脳が止まっていた。
間違っても自分は、そんなことを言われる存在ではない。
(ご主人様、この公女……ただ地位と金目当てなのでは?)
(そうだよ、ご主人様のことを知っていたら、武勇伝なんて出てこないもん!)
(そうだな)
なお、仲間からの言葉はすんなり入ってきた模様。
やはり狐太郎は、仲間から理解されているのだった。
「ふふ……武勇伝と言っても、本当の意味での武勇ではございません。もちろんカセイやカンヨーでの戦争の成果も、貴方の功績として史に刻まれるでしょうが……私の興味は別にあります」
とても知的な彼女は、それこそ妖艶な、好奇心をあふれさせた顔をしている。
興味津々を絵に描いた顔は、まさに輝かんばかりだった。
「空論城の悪魔、千体。それをすべて屈服させた武勇伝……聞いた時は胸が震えました!」
まるで恋を語るように、彼女は狐太郎へ感動を伝えていた。
おそらく本当に、彼女は狐太郎に会いたくてここに来たのだろう。
「貴方……わかってるわね」
そのヤングイの元へ、ササゲが近づく。
そして肩に手を置いて、サムズアップをした。
「魔王ササゲ様……貴方の主は、本当に尊いお方ですね」
「そうなのよ……最高のご主人様だわ」
(ササゲが陥落した……)
狐太郎は基本欲がないのだが、彼の仲間たちはそうでもない。
その上で狐太郎は彼女たちに配慮をするのだから、三体の誰かを攻略すればその時点で陥落なのである。
もう狐太郎は、彼女に失せろと言えなくなっていた。
「カンシン大将軍閣下の不在を埋めるために、ドラゴンと共に南方へいらした悪魔たち……ササゲ様の眷属となられたお方たちは、本当によく働いてくださったのですが……その時に、空論城で何が起きたのか、教えていただいたのです」
(……あいつらか!)
風が吹けば桶屋が儲かる。そんな言葉が狐太郎の脳内に反響した。
まさか悪魔へ積極的に話しかけて、どうやって契約に至ったのか、確認する者がいるとは思わなかった。
基本的に悪魔は、人に嫌われることを好む。
そうじゃないと死ぬという難儀な体質なのだが、それは当然好みにもなる。
美味しいご飯を人間が好きなように、悪魔は人間に嫌われることが好きなのだ。
よって、怖いもの知らずに話しかけられることを、悪魔たちは嫌がる。
嫌われてなんぼ、怖がられてなんぼであり、だからこそ怖がらない相手が嫌いなのだ。
だがそれにも、例外はある。自分たちが自慢したいことを、積極的に聞いてくる時だ。
ササゲもそうなのだが、人間に屈した悪魔は、その人間を褒め称えたがる。
だからこそ、ヤングイに対しても悪魔たちは大勢で話をしたのだろう。
「はあ……完璧でございました。その場にいなかったことが、悔やまれるほどでございます……」
「うふふふ……ええ、そうでしょうねえ。私もあの場に居なかったら、きっと永遠に後悔し続けるでしょうね」
本当に辛そうに語るあたり、悪魔たちは楽しそうにヤングイへ話をしたのだろう。
それだけ狐太郎に心酔しているということだろうが、狐太郎としてはたまったものではない。
「相手が悪魔の呪いを破る手段を持っていること、街の外のアウトローを介入させうること、それらさえルールに組み込み! 公正で公平で、誰にでも勝算があったうえで、最後には親の総取り! 参加者の全員が、完璧に勝敗を認めてしまう! 限りなく完璧な、論理のパズルでした!」
「ふふふ……いい子ね、ご主人様にお近づきになりたいなら、私が口を利いてあげるわ」
目の前で狐太郎を称えている彼女に対しても、たまったものではないという感想しか抱けない。
「アレだね……この人、頭脳バトルもののマンガとか映画とか、大好きな人だよ」
「そうね、しかもその分辛口評価な、面倒なタイプのマニアだわ」
(そんな辛口のマニアに好かれる俺って、一体……)
アカネの評価にクツロが賛同し、狐太郎は自己嫌悪に陥る。
「昔から私は、知略を巡らせる物語が大好きでした……ですがある日気付いてしまったのです、大抵の物語が女とカネと権力を得て終わってしまうと」
(それにしらけるって、大変だな……)
言いたいことはわからないでもないが、それを言い出したら大抵の物語が面白くなくなってしまうし、書き手に負担を強いることになるだろう。
王家であり大抵のものが手に入るからこそ、世に出ていないもの、世の中にないものを求めてしまうと、とてもつらいに違いない。
もちろん、創作者の方が、である。王族が『すげえ面白い物語書け』と言ってくるのだ、とんでもなくプレッシャーだろう。
これが『どんな病気でも治る草』とかなら、そんなものはないと周囲も諫めるだろう。
だが作家に対して『凄い面白い物語』を要求しているのだから、できなくはないはずだと圧力が来るはずだ。
「兵法や戦記もおなじこと……パターンが分かってしまえば、とても退屈でした。ですが……いえ、だからこそ、貴方の直面した問題と、それへの回答が輝かしかったのです」
いわゆる、考察したがるファン、という奴だろう。
論理的な展開、与えられた情報の中から結果を探り、それに興奮するタイプだ。
匿名掲示板に書き込んでいる分には無害だが、直に話しかけてくると迷惑である。
「私自身、貴方の直面した問題……それに対して回答を導き出せませんでした。それはとても嬉しくあり……悔しくもあるのです。だからこそ、私は貴方の謎に挑みたい、解明したいのです!」
(俺の、謎?)
思わず狐太郎は、冷や汗をかいた。
それこそ、心臓が止まる想いだった。
「大悪魔アパレと、どんな知恵比べをしたのかを!」
(……そっちか)
なるほど、謎である。
狐太郎とアパレだけが知っている、甘美な謎である。
「……なるほど、ご主人様への挑戦と言うわけね。ご主人様……受けましょう!」
「ササゲ、あなたは自分が知りたいだけでしょう」
「そうだよ、よくないよ」
満面の笑みを堪えながら、ササゲが狐太郎へ要求してくる。
それをクツロとアカネが諫めるが、それでも彼女は下がらなかった。
「うるさいわね! いいじゃないの!」
(よくねえよ)
「当時はご主人様が、ミクロな知恵比べでどんなことをしたのかって気になっていたけど……マクロな知恵比べを体験したら、期待のハードルがさらに上がっちゃったのよ!」
悪魔たちは、約束を重んじる。
だがそれは、約束の抜け穴を探りたがる、ということでもある。
ササゲは狐太郎がアパレと二人で行った知恵比べを、自主的に探ることができない。
だが他人が探ることは、むしろ望んでいたのだ。
そしてそれは……。
※
「……なにか、いいことがありそうな予感がするわね」
表で警備に当たっている、大悪魔アパレも同じことだった。




