世界は広い
圧巻のアッカは、王都に侵攻した西重軍と交戦し、将軍四人を討ち、さらに大将軍ギョクリンに致命傷を与えた。
十二人の英雄を相手に、一人で五人も倒したのである。数の上で見れば、大活躍もいいところだろう。
実際に西重が常に警戒していたのは、王都に残ったアッカであった。
王都を解放されると、アッカが暴れだす。それを警戒して、西重は布陣に偏りを作ることができなかったのだ。
狐太郎と同じぐらいか、それ以上に存在価値を持つ男、圧巻のアッカ。
しかしその彼は、己の戦果を語ることはなかった。
「……え、アッカ様が一人で五人も倒した?」
「おいおい、ギュウマ様たちと力を合わせて、なんとか五人じゃなかったのかよ……」
「じゃあアッカ様は、自分の手柄を故人の名誉のために……」
「ギュウマ様とは仲が悪かったと聞いていたが……そうか、やはり古い戦友を大事に思っていたのだな……」
自分の戦果が思わぬところから漏れて、思わず赤面するアッカ。
ここに来てから大物のように振舞っていた彼にとって、もう逃げ出したくなるほどの恥ずかしさであった。
「だ、黙れぇ!」
その恥ずかしさが、彼から爆発していた。
「今のは聞かなかったことにしろ、良いな!」
その彼の反応は、彼が実際に五人を一人で殺したことを裏付けるものだ。同時になぜ彼がそれを隠したのか、その理由の推測も大体合っていることを意味している。
「漏らした奴はぶっ殺すからな!」
全身から電撃を迸らせる、最強の男。
その照れ隠しに対して、彼の配下は頷かざるをえなかった。
特段悪いことをしたわけでもないし、確かに故人の名誉を著しく傷つけかねないからだ。
「アレは俺の人生最大の恥なんだぞ!」
「それは、どういう意味だ!」
だがしかし、故人の名誉が傷ついたのは、コホジウも同じである。
今まで打ちひしがれてきた彼は、ここぞとばかりに激憤していた。
「ギョクリンを……我が国の若き英雄を打ち破ったこと、それが恥だというのか!」
椅子に縛られたまま、彼は怒っていた。
彼の周囲からは炎も雷も噴き出ないが、それでも彼の怒りは天に届くほどだった。
「……チタセーの爺さんから聞いたのか」
そしてアッカは、頭を一旦冷やした。
ちらりとアレックスを見て、黙っていろ、他言無用だと目で語る。
アレックスはあえて目を閉じ、配下たちにも黙るようハンドジェスチャーをした。
「勘違いするな、コホジウ。あいつらは確かに強かったし、最後まで西重のために戦った。奴らを討ったこと、それ自体は恥じゃねえ」
アッカは己を恥じているが、それはそれとして相手が恥を晒したとは思っていない。
彼らの主であるコホジウに対して、そう思っていると伝えることはできなかった。
「俺が恥じていること……それは、あくまでも俺の力不足だ」
アッカは自分の拳を見た。
無様に生き残った、戦いきらなかった己の拳だった。
「あの日、俺は……若造三人を相手に手間取った。その間に大王陛下も十二魔将も、近衛兵たちも全滅した。その時点で、俺にとっちゃあ負けみたいなもんだ」
一緒に戦った仲間は、全滅してしまった。
ある意味では、彼を足止めした三人こそが、本当の意味で西重を一度の勝利に導いたのだろう。
もしも足止めに失敗していれば、あの時点で西重は壊滅していたのかもしれない。
「俺がようやく三人を倒して合流しようとしたとき、確かにギュウマたちは一人も倒していなかった。ギュウマは……ゴクウとコウガイに、体力を消耗させるように指示をしたんだろう。あいつらがその気になれば、何人か道連れにできたはずなのに……!」
その言葉には、ゴクウやコウガイへの敬意もあった。
できることなら、一人でも倒して死にたかっただろうに。
だが彼らは、最善を尽くそうとした。圧巻のアッカが来たとき、全員が消耗しきっているように、彼が勝てるようにしていたのである。
「あいつらは俺なら、残り九人を倒しきれると思っていたんだ……なのに、俺は……二人しか殺せなかった」
コホジウに対して、生き残った彼は、死んでいった者たちの名誉を語った。
「ギョクリンだ。奴が自分の命を賭して、俺を止めた。あと少しで若造共をまとめて始末できたのに……」
アッカは覚えている。
己のアルティメット技を、若き英雄たちは総力を挙げて相殺してきた。
あと少しで勝てると踏んだのだろう、さらに押してきたところで二発目を放った。
その時点で全員まとめて吹き飛ばし、地面に転がしてやった。
体勢を立て直すより早く、三発目を撃った。あとは消耗した大将軍二人、なんとかなると思っていた。
だがそれを、ギョクリンが身を挺して防いだ。
絶叫しながら、体勢を立て直してくる若造六人。
渾身の三撃を撃った直後で、動けなかった自分。
もはやこれまで、あと一人、残った大将軍チタセーだけでも道連れにと思った。
だがそれさえも、ギョクリンに封じられた。
「結局俺は、我が身と家族可愛さに、戦いを投げちまったのさ。死にかけのギョクリンが、王宮には手を出さないからお前も戦うのを止めてくれ、勝ちを譲ってくれと言ってくるもんだから……」
おそらくは、真実だろう。
本当の意味でこれを知っているのは、もうアッカだけになってしまった。
「俺は、お為ごかしをしちまったのさ、情けない、大恥だ」
コホジウからは、再び怒りが消えていた。
敵であるアッカの言葉から伝わってくる、ギョクリンの忠誠。
彼が繋いでくれた国家の未来を、自分が潰してしまったという現実。
何よりも、アッカは退くことを選んだのに、自分はそれを選べなかった。
アッカが己を恥じるのならば、自分はより惨めなだけだった。
「何よりも……お前らももうわかってるだろうが、世間に知られちゃまずいのさ。あの三人は、一人も倒せなかったんじゃない。自分の命を捨ててまで、俺につないでくれたんだ。だがそれを、世間はきっと……倒した数だけ見ちまう。それは……偲びねえ」
五人も倒したのではない、七人も仕損じたのだ。
圧巻のアッカは、自分の失態を恥じていた。
本当は命を捨てて、家族も諦めて、死ぬまで戦うべきだったのだろう。
「くくく、ははは! いやあ、感服した」
聞いていたアレックスは、大いに笑った。
「そうかそうか……まさかギョクリンの死についても聞けるとはな」
「おいおい、ギョクリンの死は、アンタら流に考えればダサいんじゃないか?」
「おうとも! だがそれは、我らの流儀! 北笛の男が同じことを言えば、何をバカなことをと怒鳴るところだが……西重や央土、東威がそういう国であることは知っている」
相手が違う価値観を持っている、それを知ったうえでアレックスは評価していた。
「そうか、あの将は……最後まで己のなすべきことをやり抜いたのだなあ……」
お願いしますから、もうやめてください。
それがギョクリンの言ったことではあろう。
確かに受け止め方によっては、ダサいのかもしれない。
だがしかし、自分が死ぬと分かった後でも、国家のために尽くしたのならば。
生き方に違いはあれども、尊敬できるのだろう。
「やはり、彼らとは雌雄を決したかった。勝つにせよ負けるにせよ、奪うにせよ奪われるにせよ……決着をつけたかった」
「……ほう、つまりおっちゃんも少しは恥じてるってわけだ」
「当然だ」
どっしりと腰を下ろし胡坐をかくアレックス。
彼はまるで敗軍の将のように、勝者たちを見上げていた。
「押すには押したが、震君のジローにもガクヒにも勝ちきれなかった! むしろ個人単位では負けたと思っている。それでのうのうと西重をあさるほど、我らは恥知らずではない」
戦う場にいて、実際に強敵と戦い、勝つことができなかった。
それは彼の基準において、恥である。
「西重は最後まで戦った誇り高き敗者であり、央土は四方から攻め込まれて尚勝った強者である。それに対して我らは、たった一方さえ押し切れなかった恥ずべき敗者。であれば……長くここに居座る気はない」
北笛に三人の王がいる。
彼らは各々が騎獣民族の長であり、盟約によって結びついている。
だがその中でも今主導権を握っているのはテッキ・ジーンであり……その彼に反する気はアレックスにもない。
「皆立て! これより我らの地へと帰還する!」
英雄の一喝によって、抜けていた腰が戻ってきた。
アレックス・サードの配下たちとその騎馬たちは、誰もが慌てて立ち上がった。
「では、さらば、さらばだ! 央土の将兵よ、いずれ覇をぶつけ合おうではないか! 西重の大王よ、良き戦いに招いてくれた! 北笛の万騎に代わって礼を言う!」
余りにも鮮やかに、長毛の巨大馬たちは去っていった。
北の英雄とその仲間たちは、北の地へ帰っていったのである。
「……ふぅ、思わぬ流れ矢に当たったぜ」
圧巻のアッカは、殴られた以上の不意打ちを受け、やれやれとため息をついていた。
そんな彼のことを、改めて誰もが見た。
この最強の男は、どれだけ野卑に振舞っても、その実は他人のことを思う義人なのだと。
「おまえら、もう一度言うぞ。あの戦いでギュウマたちは、最善を尽くした。斉天十二魔将の首席、次席、三席は、その座に恥じぬ戦いぶりをした。もちろん、西重の英雄たちもな」
彼は真実よりも、名誉を重んじていた。
「それが真実だ。そして、この兄ちゃんも……これから大王としての務めを果たしに行く。何もなかったんだ、一々気にするな」
そう、結局何も起きなかった。
結局西重の大王を救おうという者はおらず、彼はこの後王都に運ばれる。
その後彼がどうなるとしても、歴史に何の影響も及ばない。
そう結局はアレックスの言う通り、ここで起きたことはただの死肉漁りでしかなかった。
※
巨大な馬たちは長毛であるため、とても寒冷地に強い。
だがそれは、暖かいところに来るとすぐにばててしまうということであり、つまりこの地に来ること自体が既に無理があった。
颯爽と去ったのはいいのだが、直ぐに水場で水浴びをさせる必要がある。
体温を下げつつ、水分を補給させ、ついでに持ってきた岩塩を舐めさせる。
巨大な馬も、彼らにとっては友。普段は足になってくれる分、いたわりの心を持って接している。
その間は、流石に北笛の雄たちもくつろいでいる。
もちろん馬の世話をし終えた後だが、皮袋に入っている馬乳酒を飲んでいた。
「あの竜騎士ども……中々でしたねえ」
「ああ、ありゃあいい騎手と竜だ。ああいうのを見ると、嬉しくなる」
ショウエンの率いる竜騎士たちは、それこそ北笛の価値観においても精鋭である。
アレックスに従っている彼らをして、同等であろうと認めるほどだ。
もちろん乗騎の差は歴然としているが、それはそれである。モンスターの格だけで、騎兵の価値は決まらない。
少なくともアレックス達は、そう考えている。
「それにしても……央土は広いですなあ。こうもあっさりと、大将軍が決まってしまう。それも、アレックス様さえ圧倒する実力者とは」
だがそんな実力者が傅くものが、今まで無名だった。
それを思うと、誰もが軽く考えることができない。
アレックスも言っていたが、北笛は結局片手間で相手をされたのだ。
ガクヒとジローはいずれも実力者であるが、央土全体の中では英雄の一人でしかない。
「我等北笛は、小さいですなあ……」
西重を羨んだことも、決して嘘ではない。
自分たちは一方向を切り崩せなかったのに、西重はあっさりと食い破り、侵攻し、王都を占拠したのだから。
結果的に負けはしたが、本当に大したものである。これで大王を蔑むなど、彼らのプライドが許さない。
「何を言うか、小さくて結構だ」
同胞たちの弱音を、アレックスは笑った。
「お前達、海を見たことはあるか?」
「海、ですか……?」
「東の方にあるという、塩辛い湖だとか……」
「そうだ、俺は昔行ってみたことがある」
北笛において、海というのは伝聞の存在である。
果てしない大地の先には何があるのか、それは氷と海であるという。
その程度、いわば世界の果て程度でしかない。
「つまらなかった」
実際に行ってみた男は、そう言い切っていた。
「まあそうでしょうなあ……」
ただ塩辛い水があって、風が強く吹いている。
ただそれだけの場所だと伝えられていて、実際にそうだったのだから仕方ない。
「しかしだ……ここも同じような物だろう。ただ広いだけ、何があるわけでもない土地だ。温かいだけで、面白くもない」
アレックスは央土の大地を見た。
見ようによっては、安全で農耕のできる土地なのかもしれないが、彼らには価値が感じられない。
「世界は広い……だがな、広いだけでは面白くもなんともないのだ」
アレックスは、空を仰いだ。
「己よりも強いものがいる、己よりも大きいものがいる、自分の知らぬもの、自分のわからぬものが多くある。己の小ささを知った時、なにくそと笑ってこそ男なのだ」
彼は己より強い男を見て、己のままならぬ世界を笑った。
「さて、狐太郎とやらは、どんな英雄なのだろうなあ……」
この世には未知が溢れている。
遠くに行くほど、それに出会える。
それを痛感した男は、大いに笑った。
「やはり己の手で切り開いてこそ、世界は楽しめる。さてさて……次の戦争が楽しみだ」




