何もできなかった男たち
央土の征伐軍は、連戦連勝ではなかった。
どちらかと言えば、進攻するのがほとんどで、戦うことが稀なほどだった。
もちろん向かってくるだけの無謀さをもった敵は、それなりには強い。
クリエイト使いである上に圧倒的な力を持ち、雑兵たちが数十人いても相手にならない程だった。
だが雑兵たちを倒すことができても、それが呼び水となって精鋭が送り込まれる。
将軍が相手をするまでもない、精鋭が数十人、あるいは正規兵が数百人送り込まれれば、武将が一人いるぐらいではどうにもならない。
黄金世代と呼ばれた者たちは、立ち向かっては力尽きていく。
才能があり、鍛錬を積み、実戦を重ね、仲間を持ち……。
しかしより鍛錬を重ね、より実戦を重ね、より多い仲間を持つものにすりつぶされる。
たった数人の才人では、数百人の正規兵に勝てるわけがないのだ。
まさに、むなしい戦いであった。
敗者の側からすれば、それこそ悲哀の漂う戦いであっただろう。
だがその一方で、央土の兵たちは困惑さえ覚え始めていた。
西重の軍、黄金世代とは、こんなにも容易く勝てるのか、と。
ただ一方的に打ち据えていくと、逆に不安になる。
ある意味まともな感性であり、ある意味まともな危機感だった。
順調すぎる戦いが、かえって警戒心を強めていたのである。
それだけならいいのだが、やがてはトラウマがよみがえりつつあった。
西部前線の生き残りは、三人の大将軍によって食い破られた日のことを。
王都奪還軍の生き残りは、仲間が死に過ぎた戦いのことを。
それぞれが思い出し、震えていた。もしかしたら自分たちは、敵の罠に入り込んでしまったのではないかと。
そんな勘違いをしてしまうほどに、敵が雑魚過ぎた。
西重の残党による必死の抵抗は、兵たちが怯えてしまうほどに、餌程度にしか思われなかったのだ。
とはいえ、それで何かが変わることはない。
各地の解放は順調であり、やがては仮拠点を動かすほどになっていた。
西重が政府を置いた場所、そこへ移動する運びになったのである。
「さて……西のど真ん中、俺の住むことになる街は大丈夫かねえ」
今まで湖のほとりでモンスターを出荷し続けてきた男が、ようやく腰を上げて、本陣を移動させることになったのである。
当然ながら、三人の将軍やその配下たちも合流し、征伐軍は一塊となって進軍していた。
いや、実質的には凱旋であろう。西重が本部を置いたとはいえ、そこは本来、西を治める公爵が腰を落ち着けていた都市なのだから。
もちろん今も、西重の大王はそこにいる。
何かあるとすれば、それだけだった。
※
どれだけたくさんの黄金があっても、使っていくだけではいつかは尽きる。
黄金世代という莫大な宝も、戦争によって使い果たされ、もはや財布の中の小銭と化していた。
その、残り少ないうちの一人、ダコ。
現在彼は、西重の大王、コホジウの牢に来ていた。
「陛下……もうすぐここに、圧巻のアッカが……新しい央土の大将軍が来ます。どうか、私と一緒にお逃げください!」
自ら牢獄に入っていたコホジウ。
その気になれば己を守る壁にもなる筈だが、彼はあえてカギをかけず、しかもそれを公言していた。
殺そうと思えばいつでも殺せる、そんな状態の大王を、しかし誰も殺そうとしなかった。
もはや彼には、何の価値もなかった。とても悲しいことだが、彼を殺したいと思う者さえ一人もいなかったのだ。
もちろん、彼を殺すことがかえって央土の恨みを買うのかとも思ったのだろう。
だがそれでも殺したいと思う者も出るはずだが、忠臣が一方的に、私的に守っていたのだろう。
「断る、私に生きる価値などない」
牢獄の中で、硬い土の地べたに直に座っているコホジウ。
彼は忠臣と目を合わせることさえなく、ただ座っていた。
もちろん彼も、ただ生きることを放棄しているわけではない。
最低限の食事、最低限の水はきちんと摂取している。そうでなければ、流石にとっくに死んでいる。
だがその最低限の糧は、彼の体から肉を削いでいた。
もはや彼は、一国の王というよりも、修行中の僧侶に近いのかもしれない。
それは彼が自らに課した罰なのか、あるいは単にまともな食事が喉を通らないのか。
いずれにせよ、彼は生きるしかばねであった。
「あ、貴方は……貴方は西重の大王です! であれば、西重のために……」
「西重は、もう滅ぶ。であれば私は、西重と共に死ぬべきだ」
ダコの必死の嘆願に対して、コホジウは決然としていた。
その潔い姿は、ある意味理想の君主だろう。だがだからこそ、ダコは彼を説得していた。
もしもコホジウが生きることにしがみつき、ダコへ『俺を連れて逃げろ』と言っていれば、それこそダコ自ら討っていたかもしれない。
「もしも、この国の民が逃れ、どこかで新しく西重という名前の国が再興されたとしても……それは新しい国であって私の治めた国ではない」
自分の治めた国は滅ぶと、大王が言う。
それも忠臣の前で。
その潔さに、ダコは怒った。
「西重が滅ぶ……ふざけるな! 貴方は最後まであがき、最後まで戦うべきだ!」
まだ自分がいるのに、その自分に対しても責任を果たそうとしていない。
国家の指揮官たる大王が、指揮を放棄して、それが潔いものか。
「みんな、貴方を信じて、貴方の命令に従って、貴方の理想を実現するために戦ってきたんです! それが、その果てが……これですか!」
ダコの叫びは、もちろんコホジウに届いていた。
彼は静かに涙を流した。
もしも彼が飲む水に意味があるとすれば、それはすべて彼の涙になるためだろう。
「そうだ……皆にはすまないことをした」
大王は、心の底から詫びていた。
「……万人に好かれる大王などいない。軍に予算を割けば文官に疎まれ、軍をおろそかにすれば武官に疎まれ……税を多くとれば民に恨まれ、かといって税を少なくすれば臣下に疎まれる」
彼は静かに涙を流す。
嗚咽はしていない。
発音は流ちょうで、言葉によどみはなかった。
彼はとても理性的であり、正気を保っていた。
「……だが私は、万人に好かれる大王になりたかった。その結果、生き残ったすべての民に憎まれる大王になってしまった」
余りにも切ない告白は、この現状を明確に認識している証拠だった。
「富める者にも、貧しき者にも、強き者にも弱き者にも目を配れ。私はそう教わってきたが……見ていただけだったな」
彼は勝った時の万民を見た。
勝利の美酒、新天地への希望に歓喜する万民を見た。
見てしまったのだ。
いっそ見ていなければ、あれをもう一度見たいとは思わなかっただろう。
「あそこで戦争を終わらせていれば、犠牲となった兵や遺族たちを裏切ることになる。そう思ってしまったが……それは、私情だったな」
大王は、国を思う心を私情だと言い切っていた。
「私は国中の兵を犠牲にし、国中の民を遺族にしてしまっただけだ」
大王の言葉を、彼は聞いてしまった。
大王の絶望、その深さを見てしまったのだ。
「私は結局、皆に好かれたかっただけ……皆に嫌われるのが怖かっただけ……慕われる名君になりたかっただけなのだろう」
コホジウは、コンコウリの言葉を思い出していた。
全財産を賭けに投じること自体が、既に罪悪。勝って繁栄しても負けて滅亡しても、どちらにも付き合えないと。
「もし央土に勝っても、そのうち失敗しただろう。私は……」
負けを収める王になってほしかった。
あの言葉が、本当に重い。
「私は、愚かで駄目な王だ」
後世の人間からの評価と、当時の時代の人間からの評価は、必ずしも一致するとは限らない。
もちろん当人と他人の評価も、一致することは珍しいだろう。
どちらが正しいのか、それは言い切れるものではない。
だがコホジウは、まったく一致していると実感していた。
何が正しいのかはわからないが、彼は議論の余地がないほど間違えたのだ。
「……もしも私に一万の命があれば、と思うよ。万死に値する身で、ただ一度しか死ねないのだから。死後の世界があるのなら、地獄の最下層に落ちたい……全く私は、最悪の王だ」
その時であった。
牢獄の中に、一人の男が入ってきた。
とても大柄で、豪華な軍服を着ている男だった。
「よう」
一言の挨拶だった。
余りにも大きい男は、牢獄の中で首を曲げながら立っている。
「いやあ、狭いなあ。ここがアンタの部屋か」
武将としての力を持つダコを、視野にも入れていないようだった。
英雄であろう巨漢は、やせ細り座り込んでいる、一国の大王とだけ話をしていた。
「……央土の将か」
「いかにもだぜ、大王陛下。お会いできて光栄だ」
どしりと、大将軍は腰を下ろした。
重ねて言うが、ダコがいる前で、である。
そしてダコ自身も、何もできなかった。
武人として多くの英雄を見てきた彼は、だからこそわかってしまったのだ。
(こ、こいつ……なんだよ!)
英雄の中の英雄、最強の英雄。
選ばれし者の中でも、さらに選ばれた者。
最強の男に、ダコは腰を抜かしそうだった。
「ここに来るまでに……ずいぶんと苦労をしたよ」
「西重の兵など、もう残っていまい。軍も統率がとれていない以上、そうは思えないが」
「いや、そうでもない」
英雄は、淡々と、殺意を口にした。
「俺の……俺の仲間が、お前の手の者に殺されてな」
彼もまた、無念に浸っていた。
「お前の仲間も、お前も、全員ぶっ殺すつもりで戦ったが……疲れて倒れた。それから結局ずいぶん時間がかかっちまった」
「……そうか」
「どんな気分だい、天下の大悪党。この世のすべての人間に恨まれる気分は」
結局、この男はすべての国を巻き込む大戦争を引き起こし、そのうえで負けた。
その意味では、モンスターはおろか英雄でさえも及びもつかないほどに、多くの命を消し飛ばしたのだ。
この男は、すべての国の人間から恨まれ、憎まれるべき存在だ。
「西重の民以外など……と言いたいが、それも無理だな。諸王には、迷惑をかけた」
「そうかい」
「……どうやって、私を苦しめてくれる?」
コホジウは、切実に苦しみを求めていた。
その姿にアッカは、ナタを重ねてしまった。
ナタにはまだ、再起がある。むしろ再起を求められている。
だが目の前の彼に、それはないのだ。
「願わくば、そうだな……西重の民に、石でも投げてもらえればいいのだが」
「それは叶わねえさ。アンタのことは、央土の王都に連行する。俺自らな」
そう言って、英雄は大王の肩に手を置いた。
「……俺はアンタを殺したかったが、それよりもずっと、アイツらを助けたかったよ」
「そうか……貴殿にも済まぬことをしたのだな」
自ら牢に入った男は、自らの足で立った。
ややよろめきながらも歩き出し、そのまま自らの足で牢から出ていく。
そしてアッカも、それに続く。大王の供であるかのように、彼の後ろについていった。
二人の重要人物が去った後。
本当に何もかもが手遅れになった後で、ダコは正気に返った。
「……俺は」
黄金世代の生き残りは、破産した主の役に立てないまま、ただ財布の中の小銭として残っていた。
※
コホジウは弱った足腰で、なんとか歩いていく。
アッカは自分よりもはるかに小柄な彼とあえて足並みをそろえ、ゆっくりと続いていた。
それは正に亀の歩みであったが、それは死刑執行場へ向かうのを遅らせるための、意図的なものではない。
むしろ彼にとっては、裁きを求める、救いの歩みであった。
しばらくの間、刺激の乏しい牢獄に身を封じていたコホジウは、久しぶりに五感で外を感じた。
央土から奪った宮殿から出た彼は、少しだけ驚いた。
その光景は、少し荒れているが城に入る前と大差なく、暴れている人々の声もなく、燃えている臭いもない。
つまりは、この街で戦争が起きていないということ。
西重の民を多く抱えているこの街で、こうなっているということは。
「私は愚かな王だ。これだけ素晴らしい家臣がいるのに、私は……」
彼は泣いていた。
静かにではなく、無念に泣いていた。
「私は、全部なくしてしまった」
その泣き顔は、年相応であった。




