カルネアデスの板
魔境の湖、そのほとりの拠点にて。
湧いてくるFランクモンスターの虫などに苦労しつつも、本拠地の兵たちは蚊帳などで対応していた。
殺虫効果のある野草などを燃やす場所もいくつかあったが、その臭いは人間にも優しくなく……。
とはいえ、普段から清潔な場所で暮らしているわけでもない。
兵たちも将官たちも、多少の不快感を我慢しつつ過ごしていた。
なお、狐太郎や兎太郎、蛇太郎がここで虫に刺された場合、処置をしなければ命に係わる模様。
そんな仮拠点の本陣で、アッカはどしっと腰を下ろして各地からの報告を聞いていた。
お世辞にも行儀のいい姿ではないが、ちゃんと話は聞いているし、酒なども飲んでいない。
ちょっとどうかと思うけどな~~ぐらいで、指摘が必要なほどではなかった。
「各補給部隊は、何度か襲撃を受けています。けが人は出ましたが、死者は出ていないようで……」
「竜騎士隊を中心に、襲撃者たちを捜索、対処しています」
「そうかそうか……怪我した奴らには、後方へ下がるか聞いておけ。希望があれば、負傷者ってことで下げさせてやれ。下がるときは俺からちょっと見舞金も出してやる、ってな」
お世辞にも真面目とは言えない指示をしているが、それでもやはり彼がいると安心感が違う。
気の緩み切っているこの拠点に、残った西重の兵が襲い掛かってきても、彼一人でどうとでもできる。むしろそちらの方が、話が早いぐらいだった。
「よろしいのですか? 確かに実質的には囮でしたが、十分な護衛はつけていましたし、物資を破壊されたことも事実では……」
「お前の言いたいこともわかるが、ただでさえあの戦場で嫌な目をみた兵士たちだ。少しは優しくしてやろうじゃねえか」
「……承知しました」
ちょっとケガをしただけなのに大げさでは、とも言いたくなるが、その前段階を思えば納得せざるを得なかった。
王都奪還戦を潜り抜けた兵、と言われると若い将官達も中々異議を言えない。
「しかし、よろしいのですか? 今後も補給部隊が狙われることはあり得るでしょう。そのたびに見舞金を払っていれば、少々懐が痛むのでは」
「なあに、そろそろ警備を強化してやるさ。予定通りじゃなくて、兵士たちの安全を守るためって名目でな」
「なるほど……」
二枚舌にもほどがあるが、兵士たちの人気取りには十分だろう。
あくまでも後手に回ったという体をとることで、餌にしたという事実を隠すつもりのようである。
勘づかれたとしても『いや、補給部隊が襲われるのは普通じゃね?』と言えばそれまでであるし。
「まあ……こんなくだらない手が通じる相手なんぞ、そろそろいなくなるだろうしな」
補給部隊を狙うのが定石、というのを逆手に取った子供だましの作戦は、それなりの戦果を挙げていた。
倒した人数こそ百人程度だが、その中には黄金世代と呼ばれる実力者が混じっていた。
一般兵の脅威となる相手を叩けた以上、後々が楽になるだろう。
だが流石に、全員がこの作戦に引っかかるとは思えない。
そこまで馬鹿ならありがたいが、それを期待するのは不毛だろう。
「では、次の手は何か?」
「なんもねえよ。普通に各地を制圧し、解放していくだけだ。この作戦も、それを順調にするためだけの小細工だしな」
思いのほか、と言っていいのかわからないが、アッカの戦略は普通だった。
変なことを言いだしたらどうしようかと思っていた若い将官達は、むしろ不気味に思っていたのである。
だがまさか「変なことを言わないんですか」と聞けるわけもない。
「本当に厄介なのは、逃げも隠れもする奴だ。西重に戻る奴、南万に逃げ込む奴、鎧を脱いで市民に紛れる奴、いっそ山賊になっちまう奴。そういう賢い奴のほうが、ずっと面倒ってもんだ」
とても単純な話だが、今動く奴は馬鹿である。
いくら勝ち戦で気が緩んでいるとはいえ、相手は戦争中の軍隊。何かをすることなく、ただ息をひそめてやり過ごすべきだ。
生き残るにしても、反攻するにしても、家族を守るにしても……。
とにかく戦わないことだ、それがこの軍隊にとって一番やりにくい。
つまり……西重という国を見捨てて、そこから先の作戦を立てるべきだった。
西重を救おうとすれば、どうしても破綻する。それが分かっているから、コホジウは指揮を放棄したのだ。
「ま、俺が言うなって話だけどな!」
アッカは浅く薄い、快活で不気味で短い笑いをした。
確かにこの男が潜伏やら忍耐やらを説くと、まったく笑えない。
「ご、ごほん……それにしても、黄金世代とやらは思った以上に程度が低いですな」
若い将官は、話を切り替えようとした。
アッカのエピソードは、この場で語るには重すぎる。
そして、未来を暗くしてしまうものだった。
「こんな稚拙な餌にひっかかり、部下ともども処理されるというのは……いくら下士官とはいえ、能力や資質を疑います」
王都奪還戦で多くの犠牲が出たのは、相手が強かったからだという。
であればこの征伐軍が快進撃を続けているのは、相手が弱いからに他なるまい。
数が少なく、英雄がいないというだけではない。もっと単純に、一人一人が馬鹿で間抜けだとしか思えなかった。
「へえ?」
アッカは意地悪く笑い、将官達をみた。
若い将官たちは無言で頷き、全員が同意している様子である。
その一方で年齢を重ねている将官達は、意図的になんのリアクションも取ろうとしていなかった。
改めて、年齢層に偏りの有る本陣である。
既に退役して久しいであろう老人たちと、仕官して間もないであろう若者たちのどちらかがほとんどである。
Aランクハンターを引退していたアッカでさえ、その間に挟まるほどの極端ぶりであった。
「まあしょうがねえだろう、若いんだし」
だからこそ、アッカの言葉には棘があった。
露骨に若手をバカにしている。
「わ、若さですか……」
「お前達もわかってると思うが……補給部隊を襲うこと自体は間違ってないし、馬車を壊すこともおかしくはない。この状況でやることじゃないってだけでな。つまり……若いってことだ」
大将軍の言葉に異論など唱えられないが、それを抜きにしても事実であろう。
逃げるべきだという判断をするべきではあるが、兵法の教科書通りに行動している。
今すぐに何かしたいと思って、浅慮な行動を選ぶ。まさに若さであろう。
「まあもっとも、年齢を重ねても、何度も同じ失敗をする奴はいる。俺のことだがな」
やはり自虐的に笑うアッカ。
その空虚さは、やはり突っ込みがたい。
「英雄もドラゴンも、卵なら煮てよし焼いてよしとも言う。選択を誤り、判断を誤り……先人の保護を得られないのなら、有望株もそのまんま死ぬ。お前達もそうなりたくないなら……判断を間違えないようにするんだな。大将軍に弱点はないってのは、弱点の有る奴は大将軍になる前に死ぬってだけのことだ」
ガイセイもホワイトも、英雄の才能を持って生まれた。
しかしガイセイはアッカに、ホワイトは狐太郎に命を救われている。
如何に才能があっても、成長しなければならない。
成長に一番必要なのは、死なないことだ。死んだら成長も何もない。
「……大将軍に弱点はない、ですか」
アッカの砕けた態度が、誘いになったのかもしれない。
将官の一人が、うかつなことを口にした。
「それは、四冠の狐太郎様も、ですか」
この場の誰よりも弱い男、虎威狐太郎。
彼もまた、先日までは大将軍に就いていた男である。
それもただの大将軍ではなく、征夷大将軍。西方大将軍になったアッカにとっても、上の立場の人間だった。
その彼を評せというのは、流石に不躾だろう。だがそれでも、聞いてみたいという魔力はあった。
歴代最強と名高いこの男は、果たして彼をどう思っているのか。
これにはさすがに、老いた将官達も興味津々である。
「下らねえこと聞くなあ、お前」
固唾を呑んでいた将官達は、思わず苦笑いであった。
特に聞いた本人は、まさか自分が評されるとは思っていなかったので、ずいぶんと困っていた。
「要はあれだろ? あいつのことを俺にこき下ろしてほしいんだろう?」
「そ、そのようなことは……」
「またまた……ちょっと期待していただろ?」
アッカに見抜かれて、少しばかりひるむ将官。
確かに狐太郎のことを、若手たちは余りよく思っていない。
その狐太郎をアッカがこき下ろしてくれれば、少しは気分がよくなっていたのかもしれない。
「万人に好かれる英雄なんていねえよ。犠牲を出せば兵士に嫌われるし、成果を出さなきゃ上に嫌われるし、犠牲を出さずに成果を出せば同期に嫌われる。間に合わなければ民に嫌われるし、忙しければ家族に嫌われる。それが英雄ってもんだ」
立場の違う人間に評価を問う、アッカはその無意味さを説いていた。
「狐太郎は国家を救ったから、大王の旦那や俺達大将軍から評価が高い。犠牲をたくさん出したから、兵士やお前らから評価が低い。それだけのことだろうが」
「……」
アッカの言葉は真理であった。
だがしかし、大王や諸英雄から評価が高いというのは、やはり嫌なものだった。
「で、お前たちはどうなんだ? 兵士からの評価を気にしているか?」
「あ……そ、その……」
「出世したかったら、兵士を大事にしろよ。俺が大将軍になったのも、ジョーやリゥイたちが優秀に育ったからだ」
今こうして、座して歓談しているアッカ。
それは戦術的に合理的だからでもあるが、同時に手足となる者達が優秀だからである。
「ジョーもリゥイも、グァンもヂャンも……昔は黄金世代の連中と大差なかった。だがずいぶん成長して、武勇も指揮も判断も申し分なくなってる。もちろんその部下たちもな。俺が育てたあいつらが居なかったら、狐太郎だって戦争に勝てなかったぜ……なんてな」
ははは、とアッカは笑った。
それはとても楽し気で、晴れやかな笑みだった。
「将の価値は、従えている兵で決まる。気に入らねえ奴のあら捜しをしている暇があったら、この勝ち戦をうまいこと使って、自分の命令に従ってくれる兵士を育てるんだな」
ぱんぱんと、手を叩いて促す。
無駄な話は終わりだと言わんばかりであり、実際そうなのだろう。
若い将官たちは、促されるままに席を立っていった。
それを見届けてから、老いた将官達はアッカに笑った。
「流石は討伐隊の隊長ですな、若者のあしらい方がお上手で」
「なあに、じいさん達に比べれば俺も若いさ」
アッカに言われて、ようやく若者たちは気づいたのだ。
出世したかったら、他人への評価など気にしている場合ではないと。
嫌っている英雄がこき下ろされたところで、彼らの評価が上がるわけではないのだ。
「残党相手のモグラたたきで、残った人生無駄にしたくねえだろう。王都に帰りたいなら、アイツらのことを応援してやりな」
「いやいや……我らはここに骨を埋める覚悟でございます」
老いた将官達は、しみじみと笑っていた。
それは残った人生で何をするのか、決めてしまった男の笑いだった。
混じり気のない、先もない、今だけを見ている純粋な笑いだった。
「後任が育ち、後を任せ、さて残った人生をどう過ごすのかと思っていましたが……最後まで国家に奉仕できる。実にやりがいのある役目でしょう」
「……格好いいねえ、じいさん達。こりゃあ俺も負けてられねえわ」
※
今更ではあるが、西重の民が入植したのは安全地帯ばかりである。
魔境から遠くの街ばかりを占領しており、そこ以外にはあまり手を出していない。
よほど豊かな穀倉地帯でもあれば別だが、流石にそんなところはごく少数だ。
央土の民からすれば、田舎へ逃げれば西重の兵から逃げられるということである。
山賊狩りの関係で西重の兵が近くに来ることもあったが、彼らも占領や奴隷を連行できるだけの人数がいないので、結局田舎は安全なままだった。
だがそれは、必ずしもいい結果になるわけではない。
「央土国西重征伐軍、第三将軍リゥイである! 現在央土の西部を占領している西重の兵を掃討し、各地を解放する任務に就いている。だが、ここに西重の兵はいないようだな」
各地を解放していく中で、リゥイたちは街から離れた、魔境に近い小さな村にも訪れていた。
主な目的は安全を伝え、街へ戻るように伝えるためである。もちろん兵をわけて、街の護衛として残すことも含めている。
「おお……将軍閣下、自らお助けに来てくださるとは……」
「光栄です……これでもう、街に戻れるんですね……」
「よかった、このまま西重の奴隷になってしまうのではないかと……」
山間の、小さな村だった。
普段は人口が百人程度だろうが、しかし今は千人ほども詰まっている。
着ている服も山の人間のそれとは思えず、明らかに避難してきた者たちだった。
「代表者はいるか?」
「はい、私でございます……将軍閣下には、なんと御礼を申していいのか」
多くの兵を連れているリゥイは、険しい顔をして代表者を呼んだ。
現れたのはやはり街の服を着ている、やや太った年配の男性だった。
「まずは、申し訳なかった。本来はもっと早く救援にこれたのだが、上層部の混乱と残党からの妨害によって、こんなにも遅くなってしまった。こんな山奥では、央土の勝利の報も届かなかっただろう、心細い思いをさせてしまったな」
「いいえ、そのような……」
若者であるリゥイは、お世辞にも将軍に相応しいとは思えない。
しかし彼の持つ胆力と威厳、堂々たる態度には説得力があった。
彼に従っている兵たちが屈強であることも含めて、将軍であっても違和感がない。
(この若さで将軍か……。いいところのお坊ちゃんだろうが、そうとは思えない風格だな)
避難した者たちの代表である年配の男性は、やや失礼なことを考えていた。
もし口に出していたとしても、最後まで言い切っていれば許される範囲だろう。
大体、リゥイやジョーの若さで将軍と言うのは、やはり珍しいことであろうし。
「慣れない生活は、さぞつらかっただろう。皆は元の街へ帰り、復興させてほしい。央土という国を立て直すのは、我等軍ではなく諸君らなのだから」
「……おお、感謝の言葉もありません」
リゥイは真面目であり潔癖である。
彼は避難した者たちに対して、最大限の礼を尽くしていた。
決してこびず、立場を弁えたうえでの謝罪。
それは一灯隊に属していた者だけではなく、他の兵たちにも受け入れてもらえるものだった。
「さて、代表である貴殿には、特別な話があるのだが」
「はい、何でございましょうか」
「この村の、元々の住人はどこにいる?」
びしりと、代表の顔が固まった。
先ほどまでは喜んでいた避難民たちも、思わず黙り込み、視線をそらしていた。
「先ほど謝ったことは、決して嘘ではない。元をただせば西方前線が崩壊したにも関わらず、救援が遅れたことが原因だ。貴殿たちも好んでこの村へ逃げ込んだわけではないし……その状況で善良さを維持しろと言うのは流石に無理がある」
「は、ははぁ!」
「だがしかし、だったら何をしてもいいと言うことはない。そして……責任を取るのは代表であるべきだな?」
「そ、それは……!」
おそらくは、街の名士だったのだろう。
彼は本当に避難民の代表であり、つまりここで何かをした時も代表だったのだろう。
「お、お慈悲を……誰もが必死だったのです!」
「で、村の住人はどうした?」
「そ、それは……」
もしもどこかに監禁している、という程度なら、きっと彼もそれを言えただろう。
だがこの村に元々暮らしていた住人たちは、この世から去っているようだった。
敵国の兵によってではなく、同じ国の民によって。
「む、無人だったのです!」
「そうかそうか……で、無人の村に逃げ延びて、よく食料が持ったな」
「そ、それは……」
「ろくに荷物も持たないまま逃げ出して、この長い間よく食料が持ったな」
虐殺や略奪を逃れてきた避難民たちは、果たしてこの村で何をしたのか。
それに対してリゥイは怒っている。
「本音を言えば全員殺してしまいたいところだが、流石にそれは理不尽だ。今更助けに来て、偉そうなことを言う気はない。だが……責任は取ってもらうぞ、代表者」
「わ、私だけが、私だけがやったのではないのです! いえ、そもそも、私は何も……!」
「おい」
「はい!」
「この村は無人だったんじゃないのか?」
「あ」
じろりと、リゥイは軽蔑の目を避難民に向けた。
代表だけではない。小さな子供を除けば、全員が罪を犯した自覚を持っていた。
その一方で、仕方がなかったんだ、という言い訳の視線も感じる。
リゥイ自身が言った様に、そもそも軍が負けたことが悪いのである。
「お前は代表者として、新しく就任した西方大将軍閣下の元へ連行する。その先で、何があったのかをしっかりと話してもらう」
「お、お許しを……」
だがそれはそれとして、彼らの罪が無くなるわけではない。
情状酌量の余地は大いにあり、無罪放免になるかもしれないが、裁き自体から逃れることは許されない。
「それは! 記録し! 史に刻む! お前たちが自分や家族の命を守るために、何をやったのかをしっかりとな!」
避難民たちは、リゥイ以外の兵士たちからの軽蔑の視線に気づいていた。
命をかけて敵と戦い、助けに来たというのに。
その自国民が、我が身可愛さに同国の民を殺していた。
それは流石に、呑み込みがたいことだろう。
「お前たちの行いが、正しかったのか間違っていたのか! それは人によって受け止め方も違うだろう! だがだからこそ、隠すことは許さん!」
彼は己の兵士たちに伝わるように、民に伝わるように、しっかりと叫んでいた。
「他の者たちも覚えておけ! お前達を罰する法がないとしても! お前達を蔑む心はある! 今後の人生、何事もなかったかのように生きていけると思うな!」
その気になれば、避難民ごと闇に葬ることもできるリゥイは、しかし職務中であることを忘れなかった。
これから同じような状況に何度も遭遇するであろう兵士たちへ、どう振舞うべきなのか、それにどんな意味が付きまとうのか、はっきりと表明したのである。
「お前たちが追いやった連中は、生きていくこともできなかったんだからな!」
正義をもって、悪を憎む。
その主張をはっきりとできるリゥイは、ここに規範を示していた。




