釣り
しばらくの間、西重に占拠された西部の解放は順調だった。
当初想定された自主的な焦土作戦も、実行しているのはごく一部だった。
無理もないだろう、誰だって財産は惜しいし、命はもっと惜しい。
自分の物になった財産を、自分で燃やしたくはない。なにより殺されて死ぬぐらいなら大人しく奴隷になる、という判断をする者がほとんどだった。
侵略者側が反撃を受けて、奴隷になるのである。
過酷な日々が続くのだろうが、それでも死ぬよりはましだと考えることを咎められまい。
とはいえ降伏した西重の民を、央土の軍が大人しく受け入れるか、と言えば微妙だろう。
なにせ自国に侵略してきた者たちだ、もうその時点で殺したくもなるだろう。
人によっては西部が故郷かもしれないし、或いは王都の守備隊に友人がいたかもしれない。
もしくは西部から逃げてきた者たちが、ここへ……ということもある。
殺してもいい口実があって、手には武器があり、相手は自分達よりも弱い。
であれば、抵抗されたことにして殺そう、と思う者が多くても不思議ではない。
仮にアッカが『できるだけ殺すな』と命じても、各地で虐殺が起きていたかもしれない。
それもまた、コホジウの覚悟していた未来だった。
だが結論から先に言えば、それはあまり起きなかった。
最初の街で力尽きるまで虐殺をしたことにより、兵たちの頭が冷えていたのである。
自分で後始末をして、自分で自分の食事を準備して、自分で自分の寝床を用意をするというのは、彼らのテンションを著しく下げたのだ。
殺している間は自分のことを正当なる復讐者だと思っていたが、疲れるまで暴れてみればただの雑兵だったと思いなおす。
復讐という正義を成したのに、まったく幸せになっていない自分に気付く。
実利が伴わない復讐は、それこそ虚しい。
彼らは復讐鬼から、ただの兵士に戻ったのだ。
虐殺をしたいという情緒を捨てて、奴隷と言う労働力を求めて戦うようになったのである。
倫理的には大差ないかもしれないが、国家からすれば大きな差だった。
西部の奪還は、順調に進んでいたのである。
※
「はあ……すげえ楽な戦争だなあ」
アッカが腰を下ろしている仮の拠点から、各地へ『一応食べられる物』が供給されている。
空腹というスパイスをもってしても美味しくならない食材だし、そもそも味付けも何もなく、一応乾燥させて日持ちするようにしているだけなのだが、飢餓という病への特効薬でもある。
補給部隊はそれを荷車に乗せて、のんびりと進んでいた。
西部とはいえ、央土の内部。
特におかしな気候などはなく、開けた草原を少数の護衛と共に進めばそのうち着く。
兵士たちの気が緩むのも、無理のないことだった。
「……なあ、これ戦争なのかなあ」
「何ってんだよ、戦争に決まってるだろう。この前まで農夫やら商人だった俺達が、武器持たされて防具着てるんだぜ?」
「いや、でもさあ……前と違い過ぎるなって……」
当然だが、征伐軍のほとんどは、王都奪還に参加した者たちである。
彼らは実力か幸運か、ただ配置が良かったからか、なんとか生き残っていたのだ。
もっとも苛烈な戦争を経験した彼らにとって、この戦争は余りにも温かった。
それこそ、現実味が感じられない程である。
「逆に聞くけどよ、前と同じ戦争だったら残ってたか?」
「絶対逃げてた」
「だろ」
とはいえ、悪いことではない。
愚痴ではなく、ただの所感だった。
ふと空を見上げれば、青い空である。
あの戦争のときは、前を見るしかなかった。
地獄と言う、前だけを。
「ナタ様、様々だぜ。あのお人が、残ってた西重の兵をほとんどやってくれたんだ。あの人が来てくれなかったら、俺もお前も死んでたかもしれないぞ」
「かもしれない、じゃねえよ。絶対死んでたぜ……」
彼らにとって、戦争はもう終わったものだ。
補給部隊でもなんでもなく、ただ輸送業者になった気分でいる。
実際他の護衛達も、とことん気を抜いていた。
運んでいる物に値打ちがないと分かっているし、襲撃してくる兵もいないと分かっているので、だらだら進んでいるだけである。
周囲を警戒するフリさえしない。なぜならもう勝っているから。
むしろこの状態で、警戒しろという方が無理だろう。
「んでよう、聞いたか? 王都の連中が酷い目に遭わなかったのは、生き残ったアッカ様が口きいてくれたからなんだと」
「ああ、聞いたぜ。王都に家族が居たっていう奴は、涙流して喜んでたよ。俺達みたいな下っ端には、王都を奪還した四冠様よりも、王都を守った圧巻様や、俺達を助けてくれた太志様のほうが英雄だわな」
だらけているが、それでも荷物を運んでいる。
横領して楽しいような代物ではないこともあるが、彼らは一応仕事をしていた。
このまま目的地に到着すれば、後はまた戻っての繰り返しである。
これもまた誰でもできる仕事だが、やってくれないと困る仕事であった。
補給部隊こそ、軍の心臓であろう。
その彼らが真面目に運んでくれるから、兵たちは安心して戦えるのだ。
「なんで太志様が首席にならなかったんだろうなあ」
「まあいいじゃねえか、アッカ様だって話の分かる人だぜ。なんかあればこっちに逃げていいぞとか言ってくれたしな」
だが、だからこそ、敵に狙われやすい部隊でもある。
通常補給の線……つまり後方から前線までの距離が長くなり、輸送に時間や距離を要する事態になるのは避けることが鉄則だが、今回は大いに伸びてしまっていた。
それでも護衛が厳重なら問題ないが、まったくそんなことはなかった。もはや案山子同然である。
「奴ら、気が抜けていますね」
「行きますか、我等でも叩けますよ」
「……ああ、行くぞ」
如何に平原とはいえ、隠れる場所も少しはある。
各地を移動するのであれば、必然通る道もある。
少数で待ち伏せをすることは、十分可能であった。
つまり……大軍の弱い部位を狙う、有効な奇襲であった。
「アイアンクリエイト、スチールレイン」
突如として、側面から鉄の礫が殺到してきた。
それへ気付くには、誰もが気を抜き過ぎていた。
一発一発は、大したものではない。それこそ少し痛い雹ぐらいのものであったが、補給部隊の視界をふさぎつつ動きを止めるには十分であった。
「す、砂嵐か?! い、いや、これは……く、クリエイト技?!」
クリエイト技の使い手がいる。
それを理解しただけで、補給部隊は完全に戦意を喪失していた。
自分だけが攻撃を受けているのではなく、全員が攻撃されている。
それは特に気構えのない部隊には、十分すぎる攻撃だった。
「総員、補給の馬車を攻撃せよ!」
「了解!」
総員と呼ばれて飛び出たのは、精々二十人程度の寡兵だった。
一人のクリエイト使いが率いているだけの、わずかな兵士たち。
彼らは暴れる馬を切り伏せ、穴だらけになっている馬車を壊していった。
中の食料については手を付けていなかったが、それでももう運ぶことはできないだろう。
「ば、馬車を……?!」
防具で守られていない部位に浅い傷を負った者たちは、敵が自分達ではなく馬車を攻撃しているところを見て驚いていた。
驚いていたが、それ以上できなかった。手傷を負っていることもあるし、何よりも自分たちが攻撃されているわけではない、ということが効いていた。
補給部隊は補給物資、というよりも運搬用の馬車が壊されるところを見ていくことしかしなかった。
「破壊、完了しました!」
「よし、撤収!」
二十人ほどの小部隊は、五台ほどあった馬車を壊せるだけ壊し、そのまま鮮やかに背を向けて走っていった。
もちろん追撃しようと思えばできなくはないが、既に彼らは心が折れていた。
ただ眺めていくことしか、できなかったのである。
※
二十人ほどの小部隊、西重の残存兵たちは、一旦森の魔境へ身を隠していた。
もちろんそこまで大規模ではないが、小型のモンスターが出る程度には大きな魔境だった。
そこには他の人員などおらず、その二十人だけが友軍だった。
「補給部隊への攻撃は、これで五度目……二十台ほど壊しましたね」
「馬車を壊し馬を殺せば、そうそう補給などできない。補給が滞れば、敵の進行は遅れるな……」
たった二十人で、できることなどたかが知れている。
街を奪還しても維持できないし、大軍と当たれば一方的に負ける。であれば、奇襲を繰り返す。
敵の補給網を破り、その輸送手段を破壊すれば、自陣の被害は少なく効果は絶大だ。
もちろんそうそううまく行くものではないが、勝ち戦で油断している今の央土にはとても有効だった。
「隊長、このまま繰り返せば相手も撤退するのでは?」
「そんなバカな話があるか」
楽観的なことを言う、部隊の中で一番若い兵士を隊長が諫めた。
その隊長自身も、相当に若い。だが彼は年長者たちを相手に、冷静な態度を示していた。
「こんなことは、所詮嫌がらせだ。相手の士気を下げるだけ、少し遅滞させるだけのな」
馬車をいくら壊しても、新しく作ればそれまでだ。
それに二十人が一まとまりになって、一つの補給部隊を叩いても、当然他の道を別の補給部隊が通っている。
つまり、無意味ではないし有効ではあるが、相手が大きすぎて味方が少なすぎる。
「盗賊になった央土の残党、奴らを狩るために帰ってきた我々が、今や盗賊……これが現実だ」
「だ、だったら、仲間を集めましょうよ! こっちに戻ってきたのは何万もいるんだし、合流すれば……」
「まとめて吹き飛ばされて終わりだ」
西重に残っているはずの、三万人の軍隊。集まって突っ込めば、央土にもそれなりの痛手は与えられるだろう。
だがそれは、大将軍に見つからないまま、全員で集まって突っ込めた場合の話である。
「我らが相手に捉えられていないのは、我らが少数だからだ。一旦集まり出せば、たちどころに見つかり……数万どころか、千に達するまでもなくつぶされるだろう。大将軍か、あるいは将軍たちか」
とても単純に、相手の方が多いし強い。
嫌がらせしかできず、勝ちの目はない。
「……隊長でも、手も足も出ないんですか」
「将軍相手でも、一対一ならいい戦いはできるだろう。だが……相手は最低でも千の手勢を連れている。しかも精鋭たちをな。そうなれば、戦うどころの騒ぎではない。そして大将軍は……一人で十万の兵を消す。私が十万いてもお前が十万いても、同じことだ」
勝ち目などあるわけがない。
西重にいる傑物は、ほとんどが王都で散った。
黄金世代と呼ばれた者たちも、もう砂金の粒程度にしか残っていない。
「それでも私が戦うのは、後方の為だ。この国にしがみつき、奴隷になることを選ぶ者も多いだろうが……逃げることを選ぶ者も多い。であれば私は、その逃げる時間を少しでも稼ぐだけだ」
残党で結構、残党ならば残党のまま最善を尽くす。
元より国家を動かせるだけの器量才覚はない、一人でできることなど最初からほとんどない。
その意味では、今も昔も同じことだ。
彼は身の程を弁えたまま、これからの戦いに意気を燃やしていた。
「他にも同じことを考えている者はいるだろう、彼らと合流することはできないだろう。だが……それでも同じ志の下で戦う!」
隊長は、仲間たちを見た。
逃げるか、と問うことも野暮な、晴れやかな顔だった。
この誇りもへったくれもない戦いに、身を投じてくれる仲間たちだった。
「移動するぞ、長くとどまれば追手がたどり着く。だが我らは寡兵、逃げに徹すれば……」
そう簡単に捕まることはない。
そう言いかけたときだった。
「何から何まで的外れだな、若造。それに従っている兵たちも、結局は間抜けということだ」
男の声が聞こえた。
それも、太く雄々しい声だった。
それを聞いて慌てて、二十人全員が構える。
木の陰に隠れていたのは、一人の男だった。
「一応言っておくが、私は隠密でもなんでもない。ただの軍人であり、ハンターだ。多少は静かに移動する歩き方も心得ているが、本職には及ばない。見ての通り、武装しているしな」
彼は威圧の表情を向けたまま、二十人と対峙していた。
彼の着ている防具はどう見ても一級品、森の中に一人でいるような風格ではない。
「その私にさえ、お前たちは気づかなかった……まったく、盗賊でももう少しは賢く……神経をとがらせているぞ」
「……央土の将か」
この隊の隊長よりも、年齢を重ねている男だった。
とても大柄であり、隠れていたことが信じられない程である。
これだけの益荒男に気付かなかったのだから、確かに気が抜けていたのだろう。
「お、央土の将?! じゃ、じゃあこいつを殺せば、大金星……!」
「そんな話があるか、将が一人で来るわけがない。おそらくこの森は包囲されている、投降を呼びかけに来たのか? それとも、我らを一人で片づける気か……」
一番若い兵をなだめながらも、隊長は同じことを考えていた。
というよりも、他に手がない。
こうして顔を見せた時点で、相手は慢心している。
であれば、或いは一太刀浴びせられるかもしれなかった。
勝っても死ぬだろうが、それでもかまわない。
この小さな命では、十分すぎる働きだ。
「どちらも間違っている……まったく、生兵法とはこのことだな」
央土の将を名乗る男は、淡々と語った。
「なぜ私がお前達の前に姿を見せたのかわかるか? ただの囮だ」
直後である。
二十人からなる小部隊の真上から、一体のドラゴンが下りてきた。
Cランクモンスター、アクセルドラゴン。
馬と同様に騎乗は可能であるが、非常に気性が荒く、乗りこなすには尋常ならざる鍛錬が必要とされるモンスターである。
「ぎゃ、ぎゃあああああ!」
そしてこのドラゴン、多くの肉食獣がそうであるように、無音で獲物に接近するのがとてもうまい。もちろん鞍などをつけていればその限りでもないが、人を降ろせば森の中でも縦横無尽に移動する無音の捕食者となる。
一旦不意を突けば、たかが雑兵の二十人、相手になるものではない。
「た、隊長! た、助け……!」
「ああああ! く、くそ、このドラゴン……!」
背後の部下が襲われている、隊長はそれを感じ、助けに行きたいと願っていた。
だが目の前の男から、眼を離すことができなかった。もしも彼に背を向ければ、その瞬間に殺されるだろう。
「ドラゴンを連れている央土の将……まさかお前は」
「いかにも、央土国征伐軍第二将軍、ショウエン・マースーである」
余りにも、舐めた話だった。
隊長である彼は、堂々と名乗っている男の非礼に激怒していた。
もしも両者が格闘家や武術家の類なら、これは非礼に当たるまい。
あるいは戦場でぶつかり合い、名乗り合っての一騎打ちならいい。
だが隠れている自分たちを、ほぼ単独で襲う。
不合理どころではない、完全に舐めている。
最善を尽くしていないにもほどがある。
「アイアンクリエイト、スチールツリー!」
巨木の如き鉄の槍を生み出し、ショウエンに向かって投擲する。
それは木の陰に隠れても木ごと貫くと分かる、強度と速度を持っていた。
「ピアスクリエイト、ビッグスピアー」
ショウエンの生み出した刺突属性の槍は、それを軽々とぶち抜いていた。
鉄の槍はあっさりと貫通され、そのまま隊長自身を穿っていた。
「あ……あ!」
「将軍が相手でも、一対一ならいい勝負ができるだと? ふざけた話だ……若造が」
体を貫かれてもまだ息のある隊長は、舐められたことに腹を立てている男を見ていた。
「奇襲をするのならもっと場所を選ぶべきだったな。潜伏できる箇所が限られていて、逃げる先の特定は容易だぞ。ご丁寧に待ち伏せをして、臭いをこびりつかせてくれたことも含めて、間抜けと言う他ない」
「あ、ぐ……」
「お前達如きに二十台も馬車を壊され、部下たちを傷つけた己が情けないほどだ」
ショウエンは呆れながら、倒れていく隊長へ声をかけ続ける。
「なぜ閣下が、あえてこうも補給線を伸ばしたかわかるか? 頻繁に馬車を向かわせたかわかるか? 補給部隊には申し訳ないが、お前たちのようなものを誘うためだ」
「?!」
「本格的に潜伏されると後々面倒なのでな、ああして釣りだした次第だが……他の場所でもあっさりと見つかっているぞ。ブゥ殿もおっしゃっていたが……どうやら西重の将は教養が無くとも務まるらしい」
もうすでに、西重の残党たちは息絶えている。
アクセルドラゴンの口元は赤く染まっており、もしゃもしゃと咀嚼をしていた。
その相棒の背を、彼は優しくなでてやる。
「……こんな、こんな程度の低い連中のために、私の兵が多く死んだのかと思うと、ハラワタが煮えくり返るな」
結果から言えば、ショウエンは西重のおかげで復権を果たしていた。
その意味では感謝をしてもいいほどだが、彼はそんな卑しいことを考えていない。
「お前たちは、下から上まで馬鹿ばかりだ。後先を考えず、すべてを投じて……退くに退けなくなり、巻き込んでくる。こちらとしては……迷惑極まりない」
王都奪還軍を率いた、ショウエン・マースー。
彼の心にもまた、消えない傷が刻まれていた。




