不器用な愛情
変な話だが、央土の征伐軍は西重の政府を後回しにしている。
皮肉なことだが、現在の政府を制圧しても何の意味もない。政府の支配下にある兵がほぼいないのだから、実質的に国民の抵抗だけが最後の砦なのだ。
ほぼ無政府状態となり、各地が連携も取れないまま抵抗をしているだけであり、だからこそ周囲から攻略していくことになったのである。
とはいえこれはアッカが決めたことではなく、あらかじめの指針である。
兵士たちは湖畔の仮拠点に大きな荷物を置き、ここから各地へ派遣されることになっていた。
だがそれは、いわば蛇の生殺し。
西重の重臣たちは、逆転の見込みがない戦局に絶望していた。
もうほとんど意味がなくなっているとはいえ、いつかは必ずここに来る。
そして侵略という大罪の責任を取らせるべく、重臣たちへ徹底して悲惨な罰を下すのだろう。
ある重臣は家族とともに、ありったけの財を集めて南へ向かい……。
またある者は、世を儚んで自決した。
またある者は、市民に紛れようとした。
誰もが臣としての責任を放り捨てて逃げようとしたが、ごく一部の者はある男の元へ来ていた。
つまりは……唯一今回の件へ全面的な反対をしていた男、コンコウリである。
央土と密通していると言い張っていた彼は、現在軟禁されている。
彼が本当に密通をしているのかさえ定かではないし、そもそも密通していたところで、まったく役に立っていないのだからこのまま始末されかねない。
よって彼にすがるのは、それこそ彼に近しいものだけなのだが……。
実際のところ、彼の命運を決めるのは、もう彼自身ではないのである。
※
カンヨーの王宮にて、大王であるジューガーは千尋獅子子を呼んでいた。
戦争が始まる前には東西へ奔走し、王都奪還戦においても麒麟とともに目覚ましい活躍を遂げた密偵である。
「お呼びでしょうか、陛下」
「ああ、うむ……」
大王は改めて、彼女をまじまじと見た。
(改めて、有能な者だ……)
狐太郎やジョーが前回の戦争で大いに活躍したことは事実だが、もしも貢献度を測れば、彼女も相当上位に食い込むだろう。
むしろ、替えが利かないという意味では、一番なのかもしれない。
狐太郎にも無理を頼んだが、彼女も同じだった。
もちろん実質的に影響を与えたわけではないが、それでも相手の実情を知れるというのは、とてもありがたいことだった。
十二魔将にも将軍にもなっていないが、彼女にもなにかあげたいぐらいである。
とはいえ、密偵にそれをおしつけるのは、逆に迷惑なのだろうが。
「まず……今回はよく働いてくれた。ここカンヨーとチョーアンだけではなく、西部にも向かってくれたな」
「光栄です」
実際彼女も大変だった。
実際の戦争ではたくさん人が死んだので、到底口にできるものではないが、実戦のほうがずっと楽だった程である。
「さて、その君に聞きたい。コンコウリについて、どうすればいいと思う」
その彼女へ、大王は率直な問いをしていた。
内部工作、獅子身中の虫とするべく取り入った彼女だが、それについては失敗している。
もう用済み、どころかそもそも何の意味もなかった彼の処遇を、彼女に問うていた。
「はっきり言うが……君が生かしたいといえば、それなりの処遇を約束するつもりだ」
「よいのですか?」
「表立って君へ報酬を渡すのは難しいからな。こういう形で君に報いれるのなら、私としても気が楽になる。それに……今の私の発言力をもってすれば、その程度はたやすいことだ」
狭い土地をくれてやって、その領主として余生をまっとうさせてやる、という程度なら余裕である。
一国の重鎮を務めた者へは、十分な「落ち目」であるし、西重の者の過半からすれば夢のようにありがたいことだ。
大王の慈悲、というのなら周囲からも見逃されるレベルであろう。
「……それは」
「君は有能だが、決して……血も涙もない者ではない。自ら交渉した相手を、このまま見殺しになどしたくないだろう」
大王の言う通りであった。
優れた隠密能力と知性を持つ彼女だが、精神的には徹し切れていない面もある。
正直に言えば、コンコウリをこのままにすることは、心苦しいことであった。
だがその一方で、彼をあのままにするべきではないか、とも思ってしまう。
彼は大王を想っていたが、それ以上に国家を想っていた。
その国家が滅び、大王が吊るされ、民が奴隷に落ちていく中で、生きていきたいと思うだろうか。
(私は……それをしていいのかしら)
彼女は決して、自分の過去を忘れていない。
『君、新人類に入らないかい?』
『僕に勝てなかったことなんて気にしなくていい。君は十分強い、新人類でも十分やっていけるよ』
『周囲になじめず、今の組織を作ったんだろう? 僕ら新人類も君たちと同じ、この社会からつまはじきにされたものだ。きっと仲良くなれる、分かり合えるよ』
『一緒に社会を変えよう、君たちなら大歓迎だ』
『お前、抜山隊に入れよ』
『なに、俺に勝てなかったことなんか気にしなくていい。お前は十分強い、ここでもやっていけるさ』
『おおかた故郷でなんかやらかして、行き場がなくなってここに来たんだろう? 気にすんなって、俺達も似たようなもんさ』
『一緒にシュバルツバルトで討伐隊をしようぜ、お前らなら大歓迎だ』
間接的にとはいえ、自分たちが打ち負かした相手へ向かって、手を差し伸べて、今後は仲間になりましょう。
そんなことを、今更言えというのか。それも、あれだけ高潔な御仁へ向けて。
(央土に来ませんか)
(貴方は得難い才人です、央土でも重用されるでしょう)
(もう貴方は西重にはいられないでしょう、ご安心ください、私も同じようなものです)
(共に央土へ仕えましょう、貴方なら大歓迎です)
彼女は脳内で、口説き文句を考えた。
おぞけが走るほどに、許されがたい無神経ぶりだった。
(私たちとあの方が一緒? なんの冗談!)
自分たちは間違えていた、自分のことしか考えていなかった。それはきっと、ガイセイもアッカも同じだろう。
だが彼は違う、一緒にするなど無礼の極みだ。
「陛下……恐れながら、あの方は国士でございます。私と通じてくださったことも、国家のため、西重のため。その彼へ『救いの手』など、侮辱にほかなりますまい」
「……そうか、そうだな」
大王もそんなことはわかっている。
もしも自分が同じような立場になれば、むしろ自決を選ぶだろう。
というよりも、ここで保身に走るような男なら、むしろ切って捨てるところだ。
「国民ともに奴隷へ落ちるか、さもなくば罪人として死ぬか……あの方はそれを望んでおられるはず」
「では、見殺しにするか」
「それが望みでしょう」
「そうだな、彼の望みだろう」
大王は彼女の正当性を認めた。
確かに道理から考えれば、それが正しい。
だがそれは、彼女への報酬にならない。
「では、君の望みはどうだ」
「……私は、彼にできるだけのことをしてあげたいと思っております」
「そうか……」
恥を知っている密偵、その言葉を大王は待っていた。
「ならば……これより君には、特別任務を授ける」
「任務、でございますか」
「そうだ。まず君は……」
※
祀や昏たちが直面した、豊かな暮らしへの障害。
つまりは、必要な労働力。誰でもできる仕事をやってくれる、たくさんの誰か。
それがいなければ、社会の中での豊かな生活が維持できない。
それをこの世界の貴族は当然よく知っている。
だからこそ、逃げるということも一大決心であり、その先に地獄が待つ日々だ。
狐太郎がコネを求めたように……この世界は、カネさえあればどこでも根を下ろせるというわけではない。
財産をもって逃げ出しても、その財産が取引に使えるかどうか……。
コンコウリのもとに彼の家族が集まっていた。
すでに妻はこの世を去っているが、子供たちやその嫁や婿、孫たちがそろっている。
「父上……ことこうなってしまっては致し方ありませぬ。央土に下りましょう、ほかに手はないはず!」
この場のだれもが、品というものを知っている。
大いに慌てている状況だが、しかし何とか一人だけ、彼の長男だけが彼へ詰め寄っていた。
ある意味まともな、まともすぎる願いだった。
実際のところ、それが一番正しい。
(今の私にそこまでの価値があるかはともかく……彼女がその気になれば、私を探すなど簡単だろうしな)
本来なら軟禁状態の彼に接触できるのは、それこそ大王ぐらいだろう。
だがすでに政治が崩壊している状況では、彼の家族が来ても咎める者はいない。
つまりは、もう内通者がどうとか、そういう段階にないのだ。
もう殺す価値も、生かす価値もない。
その彼へすがる子供たちは、それこそ藁にすがっている。
「ほかに手はないと言ったな? それは違う、もうひとつあるだろう」
だが、藁も困る。すがられても困るのだ。
藁に、人を助ける力などない。
「あきらめて、国民と運命を共にしろ。それがせめてもの情けというものだ」
コンコウリは、何もかもをあきらめたものだけが達する、堕落した境地に至っていた。
ただの自暴自棄といえば聞こえは悪いが、彼は自分たちだけが助かることを否とした。
「……父上、貴方は立派です。貴方だけがそう生きて死ぬのならいいのです、私たちも従いましょう。ですが、何の罪もない子供たちは……!」
コンコウリの孫には、乳飲み子もいる。
まだ何も知らない子供たちまで、国家の犠牲にしたくない。
せめてこの子だけは、と思うのはそこまで悪いことなのだろうか。
「で、我が国の兵が殺したのは、何かの罪があるものだけなのか?」
悪いに決まっている。
勝った側である央土がそう思うのだから、彼らの考えなど浅はかなものだ。
西重の民であるというだけで、もう許されないことなのだ。
「そこまで命乞いをするなら、私に対してではなく、央土の兵にしたほうがいいのではないか?」
到底、聞いてもらえるものではないだろう。
少なくともこの街にいた多くの無辜の民は、ただ央土の民であるというだけで殺されたのだ。
そしてそれに対して、この場の誰も何も耳を傾けなかった。
だからきっと、央土の誰もが、一切の嘆願を虫の鳴き声程度にしか思うまい。
「……ああ、うう」
子供を抱いている母たちは、涙を流しながら腕に力を込めた。
今この瞬間は、子供を守れる。だがこれ以降のいかなる時も、子供たちの未来は保証されていない。
いったいどうすれば、この子を抱いていられるのか。
この子たちを抱きしめられる未来が続くのか。
だがそれは、もはや彼女たちの努力や献身の及ぶところではない。
もしも彼らに、英雄ほどの力があれば、大いに違っただろう。
だがそうでもないのだ、もしもそうなら……そもそも西重は負けていない。
(さて……ふふ、我ながらどうしようもない男だ。重臣としても、家長としても失格……いや、最悪だな)
彼は、飾ってある絵を見た。
もうすっかり絵の具が乾いている、ただの静物画、習作を見る。
ワインとグラスが、並んでいる。
まさに絵に描いた餅であり、ワインの味わいも、においも、酒精もないのだが……だからこそ逆に、相手を警戒させることがない。
(この絵を、彼女と一緒に見ることができた……重臣の身ではあるが……私人としては報われたものだ)
本当は彼女と一緒に、紅茶やワインを飲みたかった。
だがそれを彼女に押し付ければ、きっと彼女は嫌がるだろう。
むしろそれに乗るようなら、かえって幻滅である。
だからこそせめて、この絵を一緒に見たかった。
あの、気品と知性のあふれる、静かな女性と一緒に。
それは、もう叶っている。
これ以上願うのは、あまりにも厚顔というものだ。
「……遅いのだ、何もかも。私たちは、救われたいと願うことさえ、罪なのだ。子供の安寧を願うこともまた……もう許されない。なぜなら私たちは、国民にそれを保証できなくなってしまったのだから」
苦難が待っている、子々孫々までの苦難が。
この時代の大人たちならば何とか防げたことが、どうしようもないままに子孫へ降りかかる。
「われらは、勝ってすべてを得ようとした。ならば、負ければすべてを失うべきだろう。もはやわれらが何かをできる段階は、とっくに通り過ぎている」
自分たちを裁くものが現れる。
それは解放された敵国民か、怒れる市民たちか、あるいは敵兵か。
あるいは、あるいは。
「さて、ご家族水入らずのところ、失礼をいたします」
驚くべきことではないが、驚いてしまった。
もはや開放されているこの屋敷の中で、家族以外の声が聞こえてきた。
女性たちは子供を抱き寄せ、男たちは妻たちをかばい、そして……コンコウリは、すこし気が抜けたように笑っていた。
「君かね、獅子子君」
「ええ、お久しぶりです、コンコウリ様」
部屋の中の光が届かぬ場所から、一人の亜人が現れた。
奇異なその姿は、やはり密偵のそれ。
その彼女の出現を見て、彼の家族たちは驚いていた。
(父上は、本当に密通をされていたのか)
ただ苦言を呈するために、政治の場から身を退く為に、密通していると言い張っただけではないか。
心のどこかでそう思っていた者たちは、現実を思い知っていた。
「今更、私を殺しに来たのかね」
「いえ、そのようなことは、決して」
務めて冷淡であろうとする獅子子は、彼の顔を見ようとしていなかった。
そして彼もまた、少し緩んでいる、情けない自分の顔を彼女に見せようとしていなかった。
「大王陛下からの、密命をお持ちいたしました」
「この私に、何をしろと? 見ての通り、家族を守ることもできない体たらくだよ」
「貴方には、この街を守っていただく」
彼女の指示に、しかし大人たちは理解をした。
彼女はこの街の住人や奴隷ではなく……街という構造物を守るように指示をしているのだ。
「ほどなくして、西方大将軍閣下が率いられる軍が、ここまでいらっしゃるでしょう。それまでの間、この街が燃えぬように目を光らせていただきたい」
「そんなことが、できると思うかね?」
「できるかできないかではない、やっていただく」
住民をだまそうが何をしようが、とにかく維持しろ。
なるほど、西重が政府を置くほどの街を焼かれては、確かに面倒だろう。
指示としてはまっとうである。
「もしも命令に反すれば……貴方の家族の命をいただく」
「放っておいても、殺されるというのにかね?」
「いいえ、それは違います。すでに貴方のご家族の生殺与奪は、私の手の中」
そういわれて、ようやく大人たちは子供たちを見た。
ずっと抱きしめていたはずの子供たちは、いつの間にか何かの人形にすり替わっていた。
「い、いつの間に……!」
混乱する大人たちを相手にせず、獅子子は影の中へ手を突っ込み、その中から縄で縛られている子供たちを見せた。
「古典的ですが、人質です。もしも命令に反すれば……命はないと思っていただきたい」
そういって、彼女は消えていった。
大人たちはそれを追おうとするが、しかしコンコウリは動じない。
「かたじけない、獅子子殿」
彼は子供たちを安全な場所へ運んでくれた、親愛なる密使に感謝をつぶやいていた。




