火に油を注ぐ
知ったところでどうなるものではないが、西重の首脳陣に敗北の知らせが届いた。
全滅による敗北という、どうしようもないものであった。
つまり若き大王の言った通り、忠言をした重臣の懸念通り。
もう戦う力の無い西重は、食い荒らされるばかりであった。
強大な敵にも、一塊となって当たれば、その喉を食い破れる。
しかし失敗すれば、何も残ることはない。
持てる力を出し切った後では、それこそ死に体となったばかりであり……まな板の鯉同然。
作戦どうこうではない、動かせる戦力が皆無であった。
抵抗の余地、無し。
国家の頭脳である首脳陣は、もはや手足を失ったに等しい。
いくら頭脳が優秀でも、これではなにもできないだろう。
「……此度の敗戦の責任は、とても重い。なぜならば、負ければこうなると知って、我等は戦争に踏み込んだのだ」
大王であるコホジウは、発言のできない重臣たちに気を使い、まず己が発言をしていた。
既に彼は、この場の全員の無能を理解している。
悲しいことに、この場に自分へ叛意を抱いていた者はいない。
誰もが皆忠臣であり、それはこの場にいないコンコウリさえも同じこと。
だが、誰もが甘い夢を見た。
コンコウリ以外の全員が、夢に向かって兵を進めてしまった。
後悔先に立たずとは、これであろう。
負けた後でならなんとでも言えるが、やはり戦うべきではなかった。
ああ、なんという無能か。
こうなるとは思っていたけど、止めておけばよかった。
そんな駄目親父の酒の愚痴を、国家のかじ取りを担う者たちがこぼそうとしているのだから。
「さて……」
この場の忠臣たちは、まだ大王に期待していた。
この若き王は、その類まれなる外交手腕によって、四大国の連合まで組んでみせた。
もしかしたら、あるいは……。
この状況さえも、どうにかしてしまうのではないか。
いや、願望だった。
その奇跡を、大王に期待していた。
つまりは、大王頼みであった。
それが彼らの忠である。無能の忠であった。
有能の不忠よりはましだとて、しかし……。
大王は、コンコウリを思った。
あの彼の苦言を聞く重臣がいれば、あるいは彼の言葉に揺れ、派閥ができていれば。
自分もあの場で、退くことを選んだかもしれない。
そんな女々しさを口にしない程度には、彼は恥を知っていた。
他でもない己こそが、判断を下した。己の元にはすべての情報が入ってきて、そのうえでの判断だった。
「無駄ではあるが……すべての兵に武装の解除を指示せよ。そのうえで、捕えていた央土の民を解放せよ。奴隷としていた者、牢につないでいた者、すべてだ」
彼の普通過ぎる発言を聞いて、誰もが失意に崩れた。
それこそ夢にも思わぬ奇策を働かせ、人を動かすのではないか。
そう思いたかったのに、彼が己でそれを破った。
「ただし、ただし……従わなかったとて、罰は下さぬ。この令をもって、私は黙る。この布告を届けた後は、どの兵にも暇を出せ……至らぬ王で、すまない」
彼の指示は、つまりただの職務放棄に過ぎない。
この時をもって、西重の政府は完全に崩壊したのだ。
いっそ、残った兵を自ら率いて、勇ましく散るべきかとも思った。
だがそれは、彼にはできなかった。
コホジウはもう、誰にも命令ができなくなっていた。
彼はもう、己を王だと言えなくなっていたのである。
「陛下……」
「私は……天により王子として生まれ、大王となり、多くの将兵と忠臣を得た。私は事実として大王であり、皆がそうして盛り立ててくれた」
彼は改めて、コンコウリの正しさを認めていた。
ギョクリンの死とウンリュウの敗北は、どうしようもなく仕方がない。
だがその後については、自分の失態だった。
「私に不運を嘆く資格はない、だが許されるのであれば……」
西重の大王は、己に従い進軍した、大いなる三人の英雄を空に描いた。
彼らを打ち破るものが、央土にいた。それが信じられなかった、信じるべきだった。
「亜人でありながら、すべてを任されるほどの大器をもった英雄。央土の黒き森に潜む、英雄さえも喰らう護国の虎……奴を抱えたことこそが、央土の幸運であった」
潔くか、或いは無責任か。
大王であるはずのコホジウは、この後自ら牢に入った。
その牢にカギをかけること、見張りをたてることも禁じた。
つまりは、己の命運を、己の臣民にゆだねたのである。
生きることも、自ら死ぬことも、彼にはできなかったのだ。
※
こうしている間にも、アッカ率いる西重征伐軍は西進していた。
連戦と言えば連戦であり、苛烈な戦いを生き残った王都奪還軍をさらに酷使することになる。
はっきり言えば、王都奪還軍に参加した兵士たちは、もう解散させてもよかった。
あるいは、このまま戦うなどごめんだと、兵たちが逃げても不思議ではなかった。
だがそうならなかったのは、兵たちも状況を理解していたからだろう。
精鋭と呼ばれる者たちよりも、雑兵に分類される者たちこそ士気が高かった。
獲物を前にした飢えた狼のように、無言でよだれを垂らしながら、西への道を進んでいるのである。
それに対しては、むしろ征伐軍の将官たちの方が戸惑う程であった。
「西重が占拠している地域まで、あと少しか……で、マジで逃げた兵いねえの?」
「はい、一名も。それどころか道中で、義勇兵として参加したいという者まで……」
「……鼻の利く連中だな」
野営を行っている征伐軍、その本陣ではアッカを中心として将官達が翌日の『奪還作戦』について話し合いをしていた。
とはいえ、その雰囲気は通常とは違う。なにせ誰も助けに来ないと分かっている都市を、軍隊で襲うのである。
それこそ犬に餌の食い方を教えるようなもので、兵たちへ好きにしていいと言いたくなるほど簡単だった。
とはいえ、それは流石に軽い考えである。
ここは一応央土の都市であり、奴隷としてとらえられている央土の民も多いのだ。
勢いあまって都市を焼いて、そのまま奴隷ごと皆殺し、というのは流石に良くない。
「都市にあるもんは、元をただせば央土の民の物だ。それを好きなだけ奪っていいってのは、流石によろしくねえ。だが……取ってもいいけど出せよ、ってのも兵に良くねえな」
西方大将軍に就任したアッカは、少し冷えた視線を持っていた。
弱い敵を叩けることに喜ぶ兵たちには不人気だったが、将官達にはありがたいことである。
今回の戦争は利益を奪い返すためのものだが、敵を殺してもスコアは増えないし、凄惨に殺したからと言ってボーナスが発生するわけではない。
理想を言えば、一人も殺さずに奴隷にして、資産もすべて現地の人間に返したいのだ。
だがそれはできない。
民意、あるいは兵の意思である。
「……一番しんどかったのは、兵だからな。死んだ奴は弔って、遺族に金を渡すことしかできねえが……生き残った奴には、いいもんを食わせてやらないとなあ」
アッカの言葉は、わかり切ったことであるが、しかし将官達の総意であった。
後で文官や現地人に文句を言われるだろうが、それでも王都奪還軍に参加した兵士たちには報いたい。それが武官の心境である。
「まあ、そのいいもんが……民間人だっていうんだから、まあ笑えねえなあ」
簡単に殺せる、簡単に奪える、辱めることもできる、達成感を得られる。
民間人の虐殺は、この世界において兵への報酬である。
もちろんそれは不経済なのだが、この状況で兵を救わないのなら経済どころではない。
「ショウエン、どう思う?」
「まず、なによりも優先すべきは奴隷となった民の安全です。我が軍には西部から逃げてきた兵たちも参加しておりますし、衝突を避けるためにもそれを優先すべきかと」
意見を求められたショウエン・マースーは、誰でも答えられることをまず言った。
そんなことはわかり切っているので、これに対してどう対処すべきか、というところだろう。
「定石ではありますが、まずは奴隷の解放を呼びかけるべきでは。対価として、子供だけでも見逃すというのは……」
「ま、そうだな」
ショウエンの提案は、まさに定番だった。
実際にそれをしたらどうなるのかわかるが、それが普通の提案である。
「リゥイ、お前は?」
「密偵を送り込み、民の集められているところを見つけさせましょう! そこへ我ら精鋭が切り込み、救助を行うのです! その後は皆殺しの流れで!」
「……そう都合よくいくとは思えないが、まあそれもするべきだな」
グァンやヂャンと共に燃えているリゥイは、良くも悪くも荒々しい提案をしていた。
そう都合よく奴隷の集まっているところが見つかるとは思えないし、そもそも相手は人質にとるかもしれないのだ。
それに精鋭が切り込んでも、救えるかどうかはわからない。
「くそ、獅子子がいれば! こんな面倒な会議なんてしなくていいのによ!」
「アイツなら潜入して見つけて、かく乱しつつ脱出させればいいからな」
ヂャンやグァンの言う通り、獅子子が一人いれば大体解決だった。
まあ奴隷となっている民の数が多いので、ネゴロや蛍雪隊の協力も必要だっただろうが……。
それでも何とか出来るだろう、とても大変だろうが。
「まあそういうな、あの姉ちゃんは確かに有能だが……旦那から任された仕事があるからな」
連絡役も担当していた獅子子の優秀さは、それこそアッカもよく知るところである。
だが彼女は優秀なので、他の仕事を任されている。
なんでもかんでも、一番うまくできる人にばかり任せるというのは、余りよろしいことではあるまい。
「……んじゃあジョー、お前はどう思う? あの爺さんと互角に渡り合ったお前だ、なんかいい作戦でもあるんじゃないか?」
「いえ、アレは所詮狐太郎様の度量あってこそ……私如きの分際では、ショウエンやリゥイの提案した策以外は思いつきませぬ」
「そうか~~……じゃあ他の連中もそれでいいだろ。明日になったら密偵を送って、状況を探らせようぜ。その後は降伏勧告をしつつ、流れで制圧ってことで」
なんとも締まらない作戦会議だった。
勝つことが決まっているどころか、戦いにもならないと分かり切っている戦争である。
だからこそ大将であるアッカが、けだるげになっていることも納得だった。
実際将官としても、燃えるような話ではない。勝って当たり前なのだから、武功軍功とは程遠い。
どちらかといえば、この戦い自体が兵への報酬であり……。指揮官たちとしては、あまり盛り上がらないことも事実だった。
「アッカ様! 貴方がそんなことでどうするのですか! 貴方は西方大将軍であり、西重征伐軍の大将なのですよ! それでは兵に示しがつきません!」
その一方で、リゥイは怒っていた。
この幕内で兵と同じ精神状態になっているのは、彼とその義弟二人だけである。
民と兵の代弁者である彼の主張は、ある意味もっともだった。
実際覇気が乏しいのも事実である。リゥイが怒って叫んでも、誰も抑えることはなかった。
「この戦いは、西部奪還の拠点となる都市を再制圧する重要な戦いです! 容易であっても重要であり、よって手抜きなど許されません!」
「……リゥイは真面目だな」
「そもそも、なぜ密偵を送り込まなかったのですか! 大した手間で無し、明日着くという段階まで送らなかった理由は何ですか!」
「……それ、聞くか」
リゥイの冷静な指摘に、アッカは目をそらした。
それはただのサボりではなく、根拠あってのことだと示すものである。
「……リゥイ、グァン、ヂャン。お前達はオーセンの所で戦ったらしいな」
「え、ええ、まあ……」
「王都奪還の戦争も、酷いもんだった……だがな、それで戦争の底を知った気になるな」
年長者からの、優しくも厳しい言葉だった。
そしてそれを聞いて、ジョーやショウエン、リゥイといった、主だったもの以外の将官達も目をそらす。
これから向かう地は、西重の制圧下の、その端である。
よって、一番央土の勢力下に近いのだ。
西重が負けたことを、一番最初に聞いた土地である。
「お前らも知ってるだろうが……民間人が甘いと思うなよ」
「……窮鼠が猫を噛むと?」
「猫を噛むのなら可愛いもんさ、だが……」
追い詰められたネズミは、猫を噛むのだろうか?
それは少しばかり、気高すぎる。
「場合によっては、すべての行動を許容すると兵に伝えておけ。止めるな、止まらなくていいとな」
西方大将軍となったアッカは、厳しい未来を警告していた。
負けた国を制圧する、それがどんなものなのか。彼は既に察していたのだろう。
虐げられている民を救い、虐げていた者たちを殲滅する。
そんな気持ちのいいことばかりではないと、彼は既に察していたのだ。
「ま、俺が言うことでもないがな……」
※
王都奪還軍に参加した者たち、或いは西から逃げてきた兵たち。
彼らは憎悪に燃えていた。
当然である、西重は正しく敵なのだから。
悪魔に家族を殺された者が、悪魔であるというだけで初対面でも憎悪するように。
西重の軍によって家族や仲間を殺された者たち、あるいは自分が殺されるところだった者たちは、この軍のほとんどを占めている。
そのうえで、西重にはもう国家全体で三万人程度の兵しかおらず、しかも精鋭はさらにその一分だという。
安心して憎み、安心して殺せる。
苦難を乗り越えた勝利者たちは、当然の権利を行使すべく進軍していた。
人によっては、手当たり次第に奪うだろう。あるいは殺せるだけ殺すだろう。もしくは……辱めるだけ辱めるだろう。
私欲を満たす気がない者たちも、故郷を奪還するべく全力を尽くすのだろう。
もう勝利している戦争だからこそ、士気は高い。
逃亡兵は一人もおらず、規律がない上で統一された兵たち。
その彼らを迎えたのは、異臭だった。
空論城が清潔に思えるほどの、息もできなくなる異臭だった。
それは生き物が腐乱した臭いだった。だがそれだけではない、物が燃える臭いだった。
彼らの向かう先、西の都市が燃えているのだ。
もちろん、先行した軍などいない。
西重が奪った都市を燃やしているのは、央土の軍ではないのだ。
では誰が、なぜ、都市を燃やしているのか。
そして何が腐っているのか。
兵たちは、それを見た。
「……なんだこれは」
そこには、殺されてずいぶん経過している大量の死体と、燃え盛る都市を背にしている、農具などで武装した民兵たちがいた。
奪ったものは自分たちのものである、奪い返すことなど許さない。
どうせ負けるのであれば、一人でも多く道連れにして、敵をとことん困らせてやろう。
自分たちの退路さえ断って、闘志を燃やしている西重の民たち。
彼らの顔は、鏡写しのように、央土の征伐軍と同じだった。
家族や友人が殺されたのは、西重も同じなのである。
彼らはまさに、被害者面をして、最後の一人になるまで戦おうとしていた。
コホジウは戦うなと命令していたが、それに従う者はこの街にいなかったのである。
いやそもそも、大人しく軍門に下れ、という命令に万人が従えるわけがないのだ。
想定できた光景に、将官達は戸惑いつつも憤り、兵たちは戸惑うことなく怒っていた。
とはいえ、征伐軍もほとんどは雑兵。相手が武装していて、数も相応であれば、それなりの被害は出るだろう。
相手は背水の陣をしいているのだから、それこそ最後の一人になるまで戦うに違いない。
「……よりにもよって、最初の街でこれか。大人しく殺されていれば、この後の街での略奪が多少緩めになったかもしれないってのに」
圧巻のアッカは、呆れながらも陣頭に立った。
今にも駆けだしそうな、衝動に駆られる兵たちを抑えながら、拳から電撃を迸らせた。
「格好いいぜ、お前達」
アッカの拳は、大地に打ち込まれた。
それによって電撃が大地を駆け抜け、抗戦の構えを見せていた民兵たちに襲い掛かった。
「あ、あ?!」
「あ、うぅ、う……!」
その気になれば、一撃で炭にできたはずだ。
しかしあえて手を抜いたアッカは、敵を無力化していた。
数万からなるであろう一般人たちは、英雄の電撃で麻痺していたのである。
悪いことに、電撃によって体がこわばり、武器を手放すことも、倒れることもできなくなっていたのである。
もちろん、降伏することも、抵抗することも。
「……やっちまえ」
おぜん立てを済ませたアッカは、どうでもよさそうに下がり始めた。
それに呼応する形で、血気に燃える征伐軍が襲い掛かる。
それはもう、陣形もへったくれもない、ただの飢えた狼たちの突撃であった。
民兵たちにも戦う理由はあったのだろうが、そもそも戦うこともできなかった。
一撃で消し飛んで、楽に死ぬこともできなかった。
麻痺した体は、しばらく回復しないだろう。
そしてそのわずかな時間を期待するには……。
目の前に迫る『被害者面』たちは、余りにも勇ましかった。




