練兵
さて、健全な社会とは、一生懸命頑張っている人間が評価される社会であろう。
今回央土が四方から攻め込まれて、内側まで食い破られても、それでも滅ばなかったのは国家として健全だったからである。
社会、国家全体からすればいいことだ。
だがそれを形成している個人たちからすれば、とてもしんどいことである。
だらだら過ごす、楽しく過ごす、能天気に過ごす。
それが許されない、努力を強要される社会。
働かなくては生きていけない、どころではない。
物凄く頑張らないと、現状を維持できない社会。
健全な社会で『高い地位』を維持するのは、それこそ犠牲を伴うものだ。
健全な社会とは、誰もが幸せに生きていける社会、などではないのである。
必死になって当たり前、苦しんで当たり前、みんなのために頑張って当たり前。
それが満たせないものは、追いやられる。
それでも相対的にマシなのだと、現実は追い詰めてくる。
※
侯爵家の中でも、特に台頭した四つの家。
ブレーメ家、マーメイド家、ビーン家、ボトル家。
狐太郎の護衛、ひいてはダッキの護衛を務めた四人の実家は、それこそ大いに躍進した。
護衛になるために数年間大真面目に努力して、実際に一人前のクリエイト使いになって、国家の一大事に要所の守りについたのである。
彼ら彼女らが、すべての英雄たちに賞賛されながら最上位の勲章を贈られたのも、やはり当然のことである。
この国が健全だからこそ、四人とその家は躍進した。
では、他の家は。侯爵家だけではない、他の貴族の家は。
大いに手柄を上げた家だけではなく、この戦争で倒れていった者たちの家は、最低でも現状維持であった。
取り返しがつかないほどの重傷者、あるいは英霊として散っていった者たち。彼らの実家は、健全ゆえに守られた。
問題なのは、そのどちらにも該当しなかった家である。
特に活躍したわけではなく、多大な犠牲を払ったわけでもない。
国家に貢献しなかった家、貴族たちは戦々恐々としていた。
国家が乱れたときは、出世の好機であると同時に、落ちぶれる危機でもある。
普通爵位は簡単に上がったり下がったりしないが、国家の存亡をかけた大戦争の軍功は、当然ながらその例外である。
言うまでもないが……。
爵位が下がるというのは、貴族にとって一大事である。
侯爵家が伯爵家に下がるのと、子爵家が伯爵家に上がるのでは同じ地位でも全く違う。
周りからの目は明らかに変わるし、家の中でも大いに騒動になる。
貴族は見栄っ張りだとか、命には代えられないというが……。
ここで見栄を張らないということは、つまり国家の役に立つ気がない、国民がどれだけ困っても構わないということである。
虚栄心だろうが対抗心だろうが、国家の役に立つために頑張るのなら健全だろう。
だがその健全さにさらされる当事者たちは、たまったものではない。
既に戦争が終わっている状態で、軍功を上げることなどできない。
楽な戦である西重の征伐へ参加できるのは、王都奪還軍と、王都を守るために散っていった者たちの家族だけだ。
他の者たちは楽な戦に参加できず……まったく羨ましくない状況へ身を投じることになる。
「近衛兵長、ナタである」
各地の貴族たちが送ってきた、子息たち。
つまり次男坊や三男坊といった、跡取りになれない者たち。
彼らは王都に集められ、ナタの前に来ていた。
もちろん彼の顔は、とても厳しい。
ナタは知っているのだ、彼らが役に立たなかった、貴族としての義務を果たしきらなかった者たちだと。
彼らの運命を預かっている彼は、当然生易しい日々を提供する気がない。
「……先日の大戦で、この王都を守っていた軍は壊滅した。そして先代陛下は王子と共に近衛を率い、見事なる討ち死にを遂げられた」
あえて御崩御という言い方をせず、武人としての名誉を強調するナタ。
彼は自身の不甲斐なささえも呑み込みながら、目の前の青瓢箪どもを見ている。
一般的な貴族の子息たち、そこいらの雑兵にも劣る者たち。
それがこれから……近衛を名乗る。その重さを、彼こそが受け止めていた。
「むろん、現大王となられたジューガー陛下にも、近衛、親衛隊と呼べる精鋭がおられる。しかし大公としては十分でも、大王として君臨なさるには足りない。よって……近衛を再編すべく、各地の貴族へ声をかけた次第だ」
この場の彼らを、近衛にしなければならない。
ただ名乗らせるだけではなく、それにふさわしい実力を身に付けさせなければならない。
この……趣味程度にしか剣や槍を振ってこなかった者たちを。
だがそれこそが、十二魔将首席への正しい道であることも、彼は理解している。
ゼロからやり直す、近衛を自分が育て上げる。
それが己の第一歩であると、彼は自らに誓っていた。
「貴殿らは陛下の命を……王都の民の命を預かることになる! それができる者になる義務があるのだ! 貴殿らには名誉ある死か、あるいは不名誉なる死しかない!」
そして彼は、当然ながらそれを目の前の者たちにも要求していた。
「貴殿らは今から近衛となる! よって逃亡は不敬罪となり、国家反逆罪となる! お前たちが逃げれば、一族は全員、一級の死罪が待つと知れ!」
わかり切っていたことだった、よってざわつくことはない。
だがそれでも、聞いていた者たちは思わず青ざめる。
元十二魔将四席、Aランクハンター、大志のナタ。
英雄に相応しい実績と武力、胆力を持ち、なおかつ公爵家の生まれである。
天からすべてを与えられたと言っても過言ではない彼に、木っ端貴族の次男三男が反抗できるわけもない。
Aランクモンスターさえ逃げ出す彼の威厳に、雑兵にも劣る輩は震えるしかない。
(なんという不甲斐ない者たちだ……これが今から近衛を名乗るか!)
だがその反応にさえ、ナタは憤る。
王都に生まれ、王に近い立場で育ち、近衛を見てきた彼にとっては耐えがたいことだ。
己ごときの胆力に震えるなど、近衛の風上にもおけるものではない。
「ではこれより訓練を……」
「待ちなさい」
まさに今から、凄絶なる訓練を課そうとしていたナタである。
その彼へ横から苦言を呈する者が現れた。
彼のよき理解者であり、もう一人の母と呼んで差し支えない女性である。
「ラセツニ様……!」
「近衛兵長として、初日から訓練を課すつもりだったようですね」
「はっ! 大王陛下の御前に出しても恥じぬものにするべく、全力を尽くす所存です!」
「……それが、間違いなのです」
もしも彼女が、ただギュウマの妻であったなら、如何にナタとはいえ彼女を否定しただろう。
だが彼女は一時、実際に十二魔将に籍を置いたものである。
その彼女が実際に苦言を呈しているのだから、受け入れるのは当然のことだ。
ナタは黙り、彼女の言葉を待っていた。
「貴方は、この者たちをふるいにかけるつもりですね?」
ラセツニはじろりと、ひれ伏している新入隊員を見る。
既に現役を退いて久しい彼女だが、それでもその気になれば皆殺しにできそうな軟弱者ばかりであった。
これを各地の貴族たちが送ってきたというのは嘆かわしいが、気骨のあるものは既に軍籍に身を置いているか、あるいは先日の戦争で命を落としているのだろう。
各地の戦力が減っている状態で、腕利きの兵を抜くなどできない。であれば……まあこうなるのも仕方ない。
「ただでさえ各地の兵が減っているというのに……さらに減らすつもりですか」
「申し訳ありません!」
「平時ならばともかく……今は非常時、貴方の方針が間違っているとは言いませんが……この場の全員を鍛え上げることを目指しなさい」
彼女は西を見た。
おそらくこの央土国でも最強の軍となった、西方軍の背を見た。
「時は十分にある筈、腰を据えるのです」
「……承知いたしました!」
まったくその通りであった。
ナタは彼女に感謝し、己の不覚を恥じていた。
己の中の怒りに身を任せ、預かった兵を焼くところであった。
「さて……面を上げなさい」
ひれ伏していた近衛の新兵たちは、全員が顔を上げた。
救い主ともいえる貴人、それを見上げる顔は安堵であった。
「私は元十二魔将にして、ギュウマの妻、コウガイの母……ラセツニです」
まるで近衛の長であるかのように振舞う彼女は、威厳をもって全員へ指示を出していた。
「訓練は即刻はじめます。ですが……このナタではなく、別の者に任せます。ナタ……異論はありますか?」
「その者次第です、こればかりは……」
「当然ですね、ですが安心なさい。その者たちは、キンカクたちも認めています。もちろん、この私も」
「それならば」
彼女だけではなく、キンカクたちも認めている。
それほどの指導者がいるのならと、ナタはそれを受け入れた。
「初日ということですから、貴方はそれを見て学びなさい……一人もこぼすことなく、近衛を育てる。そのやり方を」
※
さて、王都の外はまだ荒れている。
しかしだからこそ、軍の訓練をしても問題がない。
むしろ奪還された王都を守る姿勢を、王都の民に示すことができる。
王宮からそこへ案内された新兵たちは、緊張していた。
果たしてどこの誰から、どのように指導を受けるのか。
その姿はまだ、ナタさえも見ていない。
「ラセツニ様、ナタ様、お待たせいたしました。我等二名、参上仕りましてございます」
「近衛兵の指導という大任、全力で尽くさせていただきます」
現れた姿を見て、ナタは当然のように納得した。
なるほど、という具合である。
「おお……ダイ殿、ズミイン殿。お二人の練兵ならば、陛下も喜んでくださるでしょう」
(ダイ……ズミイン? 十二魔将十席、ダイ・ルゥと十一席のズミイン・ルゥか!)
もちろんだが、現れた二人の顔を見ても、並んだ兵たちはわからない。
だが名前を聞けば、流石にわかってしまう。
王都奪還軍では、当初西側に身を置き、終盤では南へ援軍に向かったという兄妹。
三席であったブゥ伯爵の兄姉であり、狐太郎のところへ向かう前の彼を鍛えたという。
(悪魔使い……だよな? なんで悪魔使いが、練兵を……)
(まさか……千からなる悪魔を、俺達にも使わせる気じゃ……)
口に出せるものではないが、全員が慄いてた。
なにせ悪魔を従え悪魔を討つものである。
当人たちも理解しているが、本来軍籍に身を置くことはないし、貴族さえ相応しくない者だ。
その彼らが現れたことで、思わず恐怖する。
しかし……。
「過ぎた日のことですが……ギンカク殿やドッカク殿と、我等は矛を交えました。既に引退を考えていらっしゃったというお二人ですが、その冴えはすさまじく、我等二人凌ぐことしかできず……」
「その我らがナタ様を差し置いて練兵を行うなど、と思いましたが……ラセツニ様からの要請ということで、恥ずかしながら」
「いえ、お二人の武勇は、私も知るところです! 引退されたことが惜しいほどであり……こうして助力いただいて、感謝しております!」
二人が本陣を守るために死闘をしていたことを、ナタは己の目で見ている。
あの三人が倒れた後も、あの孤立した場所で悪魔の矛を振るっていた。
この二人もまた、十二魔将に恥じぬ英傑だと知っている。
しかしナタがこうも肯定的だと、新兵たちはなお恐ろしい。
勝手極まることだが、悪魔使いを近衛に参加させられるか、とでも言って欲しかった。
とはいえ、その悪魔使い二人が、近衛の頂点である十二魔将だったのだから、それを言えるわけもない。
「では……全員訓練用の槍を」
そう言って、ダイは全員に訓練用の槍を持たせた。
もちろん先が丸い布で覆われている、ただの棒である。
やや密集気味だった兵たちに間隔を開けさせ、まず槍を構えさせた。
「ナタ様もよろしければご一緒に……まずは槍の持ち方を指導しようかと」
「はい!」
各々が適当に槍を振っていただけである。槍の持ち方一つとっても、一人一人で癖がある。
近衛兵が並んで槍をもって、その構え方がバラバラ、では話にならない。
もっともすぎることであり、ナタは張り切って指導を始めた。
(……普通だ)
いっそ拍子抜けするほど、当たり前のことが始まった。
正直に言えば、槍の持ち方など教わりたくない。
こんなどうでもいいことで、人から指導などされたくない。
しかし相手が英雄英傑では、反発などできるわけがない。
そして悪魔使いが教えるという割に、何か制約をさせるわけでもなかった。
むしろ言葉少なく、ただ構えの矯正をしているだけである。
「では突きの訓練を始める。私やナタ殿に倣え」
やはり普通に、槍の素振りが始まった。
ナタやダイが目の前で見本を示し、それに続く形で新兵たちが突きをする。
本当に、普通の訓練が始まった。
もちろん貴族の子供が受けるような、マンツーマンでのお稽古ではなく、大量の雑兵相手の訓練ではあった。
だが手本となるのは、二人の元十二魔将。それも貴族の出であり、その動きは様になっている。
少なくとも、ただ普通に槍を突くだけでも、己たちとは違いがありすぎた。
まさにいい手本である。
新兵たちは普通の訓練に、やはり普通に取り組んでいた。
※
さて、普通の訓練である。
本当に普通の訓練だったので、何もおかしなことは起きなかった。
しいて言えば、あと二人の元十二魔将、ラセツニとズミインが新兵たちの中へ入り、手抜きをしている者がいないのか確認している程度である。
考えてみれば、元十二魔将四人からの指導である。
贅沢の極みであり、最高級と言っても過言ではないだろう。
だがその贅沢が、身を滅ぼしつつあった。
(い、いてええ!)
軟弱な新兵たちは、その手から血を流し始めていた。
ずっとずっと、ずっとずっと、素振りを続けていたのである。
慣れない力の入り方があって、薄い皮が捲れ始めたのである。
(くそ……これが普通かよ!)
普通の兵の訓練である。
普通だからこそ、楽であるわけがない。
如何にこの世界の住人が屈強でも、鍛えなければその程度だ。
そして鍛えるとは、体をいじめることに他ならない。
「ふむ、どうしました」
手の痛みで、素振りが遅れた者がいた。
あるいは素振りの遅れ以上に、姿勢や振りの崩れが問題だったのかもしれない。
ズミインがそれを見つけ、近づき、事情を尋ねた。
「も、申し訳ありません……この通り手が……」
彼は素振りを止めて、自分の掌を見せた。
ずるりと皮が剥がれ、見るからに痛々しい。
ずっと槍を振るっていたのだから、まじまじと見ることはできなかった。
それを実際に見て、本人は顔をしかめている。
「そうですか、痛いですか」
元十二魔将十一席、ズミイン・ルゥ。
彼女は彼から訓練用の槍を受け取った。
その槍には、血の手形がはっきりと見える。
それこそ血がにじむ特訓であった。
「は、はい……申し訳ありません……」
「ところで」
「は?」
「誰が手を休めていいと言いましたか?」
訓練用の槍が折れた。
ズミインがぶん回し、手を止めていた兵の頭をぶん殴ったのだ。
訓練用の槍とはいえ、その柄は実戦のそれと変わらない。
この世界の住人が屈強とはいえ、槍の柄が折れるほどの力で殴られればひとたまりもない。
「お、おあ……?!」
掌の傷が可愛く見えるほどに、痛々しい頭の傷。
殴打を受けた彼は、思わず地面に倒れた。
槍が折れて、男が一人倒れたのである。
それによって、周囲の者たちは思わずそちらを見た。
そこには頭から血を流し倒れている男と、折れている槍を持っている女がいた。
「立てませんか?」
「あ、う……」
頭を強く打たれたのだ、立てる道理がない。
意識がある彼は、何が何だかわからぬまま悶えていた。
その顔を、彼女は思い切り蹴飛ばした。
「訓練中ですよ、なにを寝ているのですか」
持っていた槍を放り捨てると、蹴飛ばされて地面に転がった兵を仰向けにして、その胴体にまたがった。
彼女はそこいらから石を拾って、そのまま殴り始めた。
「はやく起きなさい」
マウントポジションをとって、石で殴打しながら、起きろと彼女は言う。
口調はとても穏やかで、激しさなどない。
だが彼女は、それでも手を休めない。
「え、えうぅ……」
「おや、仕方ありませんね……」
貴族の子として生まれた男が、ついには泣き出してしまった。
顔が既にぐちゃぐちゃになっているが、さらに崩れている。
それを見た彼女は、殴打を続行した。
それをみて、周囲の誰もが慄いている。
むしろ訓練を受けている新兵たちは、全員がそちらを見てしまった。
「皆、手が止まっているぞ」
その彼らへ、やはり平坦な声が届いた。
ダイ・ルゥである。
「手を止めろという指示はしていない」
誰もが慌てて、訓練に戻った。
今の彼らの耳には、男の泣き声と殴打の音が聞こえてくる。
だがそれを見ることはできない、それを見ればどうなるのかわかっているからだ。
もうこうなれば、手が痛いとか疲れたとか、言えるものではない。
誰もが、手がちぎれてもいいとばかりに槍を振り続けた。
それこそ、一生懸命である。
程なくして、男の泣く声が止んだ。
それと同時に、殴打の手も止まった。
「おや、泣き疲れてしまったようですね」
返り血まみれのズミインは、顔色一つ変えずに失神した男から起き上がった。
「ベッドまで連れて行ってあげましょう」
彼女はその男を軽々と担ぎ上げると、そのまま兵士たちの間を縫って、王都の中へ戻っていった。
もちろんその動きに、一切のよどみはない。
恐怖は去った。
誰もが思わず、それを目で追う。
「おや、動きが乱れましたね、どうかしましたか?」
そのうちの一人に、ラセツニが話しかけた。
その顔は、既に怒っている。
「も、申し訳……」
「我らの指導に、不満があるのですか」
彼は、己がどうなるのかを察した。
そして他の近衛たちも、運命を理解した。
自分たちは全員、死ぬことも逃げることも許されず、ただ強くなるための地獄を味わい続けるのだと。
しかしそれは、幸福である。
己が頑張れば、己の道が開けるのだから。
耐えれば、力が身に付き、近衛としての未来が待っている。
今西で起きていることに比べて、なんとも極楽のような話である。




