住めば都
一行はシュバルツバルトから、堅牢な城壁に囲まれている前線基地へと帰還した。
特に面倒な手続きを踏むことなく門は開かれ、怪我をしている男たちは安堵の表情を浮かべつつ、重厚な門をくぐっていく。
(行きの時はそれどころじゃなかったけど、よく見たら怖いな、この門……事故とか起きないんだろうか)
丸太の尖った部位が、下を向いている。
人力でそれを持ち上げていることもあって、安全性に問題が感じられる。
少なくとも、両開きの門に比べれば、くぐるだけでも肝が冷える。
しかしそんな事故を想像するのは、一応安全地帯に帰還できたからだろう。
これだけ重厚な門を必要としている施設は、逆に言って危険なのかもしれないが。
(ロープの老朽化とか摩耗とか、大丈夫なんだろうか……)
そんなどうでもいいことに想像を巡らせている狐太郎へ、傷ついている男たちが声をかけた。
「おい、魔物使いの兄ちゃん」
「……」
「おい、おい?」
「え、あ、俺のことですか?!」
「そうだよ、他に誰がいるんだ?」
当人たちからすれば怒っているわけでもないのだが、顔が怖いので狐太郎は驚いてしまう。
(そうか、俺は魔物使いということになっているんだった……)
慣れない呼び名に戸惑うが、無職のチビ(真実)に比べればましだった。
「ありがとうよ、助けてくれて。おかげで何とか戻れたぜ」
「ここから先は何とかなりそうだ、治療所までならどうにか行けそうだしな」
「今度会ったらメシでも奢るぜ、本当に死ぬところだったしな」
「姉ちゃんたちも、ありがとうよ」
一種さわやかですらある言葉だった。
片足けんけんで地面に降りたホワイトだけは不機嫌そうにしているが、他の面々は心底から感謝の言葉を述べていた。
「え」
「どうした、兄ちゃん。そんなに驚くことか?」
「いえ、その……助けてなんて頼んでない、とか言われるかと思って」
「ははは! そんな強がり、一文の得にもならねえよ!」
歴戦の雄だけあって、なんとも実利的である。
「んなこと言ったら、次会った時助けてもらえないかもしらねえじゃねえか」
「そんな強い姉ちゃんたちを従えてる兄ちゃんを、敵に回してもいいことねえだろう?」
「一緒に仕事をする日が来るかもわからねぇんだ、感謝したぐらいで損をするわけで無し、言うだけならタダだろ?」
「そうそう、意地を張っても仕方がねえさ。怪我をしたのは、単に俺らの力不足だしな」
「懐に余裕はねえんで何にも出せないけどよ、礼ぐらいは言わせてくれや」
なんとも晴れ晴れとした、隠し事のない言葉である。
とはいえ感謝されて悪い気はしなかった、狐太郎も四体も、その感謝を素直に受け取ることにした。
「じゃあな、兄ちゃんたちならきっと合格すると思うぜ」
「頑張れよ~~!」
互いに肩を貸し合いながら、治療をしてくれるらしき施設へ向かっていく男たち。
最後の最後まで、ホワイトだけは恨みがましく見つめるばかりだったが、それもまあ仕方がないことだと流せていた。
「では、君たちは先ほどの役場まで来てもらおうか」
別れを済ませたところを見計らって、先導役が案内を再開する。
すっかり人数は減ってしまったので、先導役と狐太郎の距離は近づいていた。
「あ~あ、結局ホワイト君からは恨まれたままになっちゃったな」
先導役の後に続きつつ、寂しそうにしているアカネ。
無償の善意で助けたのに不快そうにされれば、彼女も嫌な気分になるだろう。
他の面々からは差別もなく感謝されたので、そこまででもないようだが。
「私が謝っても仕方ないかもしれないが、ホワイトのことは勘弁してやってくれ。彼にとっては、初めての屈辱だったんだ」
そんなアカネへ、少し柔らかくなった態度で謝罪する先導役。
道中の会話でも察しがついたが、やはり彼はホワイトと何かの縁があるらしい。
「彼は私が通っていた学校の後輩でね、直接の面識はないが、同じ方から指導を受けたんだ」
彼の言う学校が、通常の小学校や中学校ではないのだと、何となく想像はつく。
彼が使っていた、魔法らしき技。そうした戦闘技能などを教える学校なのだろう。
「そうそう、名乗ってもいなかったな。私はジョー・ホース、この街で活動しているBランクパーティー、白眉隊の隊長を務めている者だ」
先導役は、ジョー・ホースと名乗った。
森の中での、冷徹な雰囲気はすっかり消えている。
自分の言動が無礼だったと、申し訳なさそうにさえしている。
「色々と説明不足で申し訳なかったが、どうか許してほしい。君達はともかく、他の参加者は長々とした説明を嫌がりそうだったのでね」
「い、いえ、そんな……謝らなくても」
「森の中でも、私の対応に不満があっただろう。だがこれも、私の仕事なのだ。理解してほしい」
よく顔を見ると、物凄く疲れた顔をしていた。
察するに余りある、彼の仕事内容である。
「今回の参加者は、まだましな方なんだ。ホワイト君もそうだが、他の面々もヒヒを危なげなく倒せていただろう? 場合によっては、ヒヒ一頭で全滅することもある」
「い、一頭でですか?」
「Bランクの魔物だからね……何かを勘違いしているような、田舎の腕自慢如きでは太刀打ちできない。そしてそういう勘違いしている輩のほうが、血気盛んなことが多いんだ」
苦労を語るジョー。
なるほど、彼も血の通った人間のようである。
「余計なトラブルを避けるためにも、合格者以外には詳細な説明はしないことになっている。もちろん君がそれを拒むのであれば、また別の対応をするが……」
「いえいえ、説明をお願いします……あの、やっぱり合格なんですか?」
「文句なしの合格だよ」
笑いかけるジョーに対して、四体は無言で喜んでいる。
とはいえ、狐太郎だけは微妙に嬉しそうではないのだが。
(何にも頑張っていない俺だけ、何もしないまま合格って……気まずいなあ)
「基準が厳しいこともあって、合格者は滅多に出ないんだ。だから私も嬉しいし、街の人も期待しているようだよ」
ジョーに促されて周囲をみると、街を行く人々にわずかな活気が生まれているようだった。
ジョーに続いて歩いている、合格者らしき一人と四体。その姿を見て、期待をしているようでさえあった。
「詳しいことは、役場で話す。役場の人たちも、君のことを歓迎するさ」
(ううむ……恥ずかしいけど、悪い気もするけど、少しだけ嬉しい自分がいる……)
ニヤけそうな顔をなんとか抑えつつ、狐太郎は少しだけ前向きな気分になっていた。
※
さて、役場である。
先ほどは極めて事務的な対応をされた施設に、一行は入っていた。
建物そのものは変わっていないのに、雰囲気はまさしく一変している。
「合格者が出たんですね?!」
「やった、久しぶりの合格者だわ!」
「万歳! これで冬が越せるぞ!」
「ううう……もうだめかと思った……」
役場にいた人々は、盆と正月がいっぺんに来たように大喜びをしていた。
(期待され過ぎて、逆に怖い)
思った以上に喜ばれていて、逆に喜べない心境になっていた。
どう考えても胡散臭い集団なのに、そんなことを誰も気にしていない。
「あの、ジョー様。なぜこの人たちは、こんなにも喜んでいらっしゃるのですか?」
同じ心境になっているクツロが、不気味なものを見る目で訪ねていた。
「そ、そうだな……君たちは本当に何も知らないようだから、最初のことから教えるとしよう」
役場にある長椅子に座った一行は、対面に座っているジョーから説明を受けることになった。
なお、役場の人間は全員狂喜乱舞して、仕事をしていない。
「君たちは護送隊に守られてここに来たわけではなく、この近くにとても大きな街があることさえ知らないらしいね」
「あ、はい……」
「この基地ができる前は、シュバルツバルトから出たモンスターが、その街や周辺の道を頻繁に襲っていた。Bランクが一頭程度なら、君がトラブルを起こした護送隊でも倒せるが……」
(あの人たちもそれぐらい強かったのか?!)
「君も体験したように、あの森ではBランクのモンスターが群れを成している。それどころかAランクのモンスターさえも、把握できないほど生息しているんだ」
そんな職員たちに囲まれて、大真面目に話をしているジョー。
彼が語るこの基地の成り立ちは、職員が喜んでいる理由の説明にもなっていた。
「もちろん、倒せないわけではない。Bランクが群れを成そうと、Aランクが数体現れようと、正規軍なら確実に倒せる。だが、どうしても被害が出てしまう」
狐太郎も馬鹿ではない。
ここまで聞けば、この前線基地がどのような意味を持つのか、イヤでもわかってしまう。
「じゃ、じゃあ、まさか……この街は被害を引き受けるためにあるってことですか?」
「結論からいうと、その通りだ」
その嫌な予感を、ジョーは全面的に肯定する。
「街を守るために建設されたこの基地にも、当初は正規軍が駐留していた。だがモンスターを相手に正規軍を使い潰すことを嫌がった政府は、この街から正規軍を撤退させ、代わりに民間のハンターを置くことにした」
やや回りくどい言い方をしているが、結論を言うと一行で済む。
最悪の場合、この前線基地は生贄になるのだ、と。
「もちろん、この街で任務に就くパーティーはとても強い。だがそれでも、正規軍には数でも質でも劣っている。倒しきれず、基地の人々が襲われてしまうこともある」
「それでも、大きな街に被害は出てないから、意義は果たしていると……」
「そういうことだ。この前線基地にいる人々は、討伐任務を帯びたBランクパーティーの世話を担当しているわけだが……好き好んで、ここにいるわけではない。やむに已まれぬ事情があってのことだ」
比喩誇張抜きで、彼らは死ぬところだったのである。
しかも、おそらくは、逃げることが許されていない。
「現在この基地には、白眉隊を含めて四つのBランクパーティーが駐留していて、Aランクパーティーはいない。Aランクのモンスター一体を倒せるか追い返せる、というぎりぎりの戦力しかない」
(とんでもないところに来てしまった)
やはりこの前線基地は、安全地帯でもなんでもなかったのだ。
よく考えれば、前線基地という単語に、一切安全な要素がない。
狐太郎は、今更、ようやく、諸悪の根源を呪っていた。
(おのれ、魔王め……なんて場所に送り込むんだ!)
周囲の喜びと対照的に、狐太郎は現在の状況を呪っていた。
流されるままに、Bランクとやらになってしまった狐太郎。
ゲームのキャラクターといっしょに、危険なモンスターと戦うことになってしまった。
しかも、全く持って以前と戦闘能力が変わらないままに。
(いきなり寝床と定職、身分を得られたのは、善かったのか悪かったのか……)
とはいえ、流されるままというのも悪くはなかった。
この世界に来て初日だというのに、一行全員が寝泊まりできるだけの家を手に入れていた。
宿屋ではなく、一軒屋である。無一文であることを考えれば、ありがたい話だろう。
もちろん前線基地の外ではなく、その内部。
一階建ての平屋ながら、やたらと天井が高く、かなり広い個室も多めにあった。
この世界の住人、特に傭兵めいた職業についている人間は、やたらと大きいのでそれが原因なのだろう。
つまり、家が大きいというよりは、狐太郎が小さいのである。少なくとも、クツロやアカネたちにとっては、過ごしやすい大きさのようだった。
「テレビもラジオも、スマホもパソコンも、ゲームもない~~」
一番ぶっちぎりで、無茶苦茶贅沢なことを言っているのはアカネである。
とても不満そうにしている彼女は、食堂となっている大きな部屋の、木造りの大きなテーブルに上半身を乗っけていた。
なお、仮に受信機があったとしても、送信機がない現状では、何の意味もないと思われる。
ぎりぎり、携帯ゲームでもあればいいところだろう。充電できるとは思えないが。
「贅沢を言っても仕方がないでしょう、アカネ。この世界の文明レベルを考えれば、雨風を凌げる家があるだけでも上出来じゃない」
割とひどいことを言うのはクツロだった。
言っていることは正確だが、言い方が最悪である。
「だらしないわね、みっともない。少しは気品ある振る舞いをしたらどうなの」
「その通り。私たちの行いが、ご主人様の評価につながることを忘れるな」
ササゲとコゴエは、単純にふるまいそのものを批判している。
実際、とてもみっともない。
(確かに、今この家にはお手伝いさんが来ているわけだしなあ……)
狐太郎に料理の技術はない。
少なくとも、ガスコンロや電子レンジ、湯沸かしポットもない調理場で、鶏(尾頭付き)や兎(尾頭付き)を調理できる自信はなかった。
それはアカネたち四体も同様で、完全に食べる係になっていた。
家事担当の派遣も、この前線基地の社会制度である。
この前線基地には、役場に務める(懲罰人事で送られてきた)職員たちやBランクのパーティーだけではなく、様々な仕事に就いている『一般人』も多くいた。
その中には、Bランクのパーティーを世話する係もいる、ということである。
もちろんメイドやシェフなどではなく、少々教養があるだけの女性である。
それも若い娘ではなく、そこそこ大きい子供がいるような女性たちだった。
ここが危険だと知っていても従事している理由も、何となく察しはついてしまう。
(お気の毒に……)
幸福な家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭はそれぞれ違うという言葉がある。
しかしこの場合は、彼女たちの不幸の原因は明らかだ。『貧乏』であろう。
(この人たちに比べれば、俺はまだ幸せなのかもしれないな)
改めて考えれば、目の前にいるのは怪物ばかり。
それもこの世界でさえ脅威とされる、Bランクのモンスターを倒せる絶対的な強さの持ち主。そして、見るからに異形である。
そんな連中を相手に、料理を作って出さなければならないのだ。その心中は、察するに余りある。
「どうぞ、できました……」
数人の女性が、おどおどとしながら料理を並べていく。
陶器の皿ではなく、木を彫って作った深めの皿に、焼かれた肉や野菜、そして主食らしきトウモロコシの系統を潰したものが盛られている。
そしてこれまた木のジョッキに、なみなみとビールが注がれている。
(如何にも、昔の料理って感じだ……ソースも何にもないぞ、これ。味付けとかどうなってるんだ?)
見た限りでは、ファンタジーというよりは貧乏くさい田舎料理である。
焼きたての肉がどっさりと盛られているので、その点だけは豪華と言えるが、見た限りでは美味しそうではない。
料理の観察をしているのは、狐太郎だけではなかった。
先ほど空腹を訴えていたアカネやクツロも、並べられている料理に警戒をしているようである。
そして、狐太郎が手を付けていないので、ササゲやコゴエも料理を食べようとしなかった。
(なんで誰も手を付けないのかしら……)
(もしかして、怒らせてしまったの……?)
(まさか、私たちが取って食われるんじゃ……)
こうなると、怖いのはむしろ料理を作っていた女性たちである。
この街で戦っているBランクのパーティーがどれだけ強いのか知っているので、その不興を買ったのではないかと恐ろしくなってしまったのだ。
まして、相手は見るからにモンスターである。仮に自分たちへ襲い掛かっても、一切不思議ではない。
「……貴方達、帰っていいわよ。皿は台所に運んでおくから、片づけは明日やってちょうだい」
そんな彼女たちの怯えを察したのか、ササゲは女性たちへ帰るように促した。
善意というよりは、単に邪魔だと思ったのであろう。その所作は、慈愛というよりは邪険に扱うものだった。
しかしそれでも、女性たちにはありがたい話である。
いくら魔物使いに飼われているとはいえ、怪物のねぐらになど長居したいものではなかった。
「では、失礼をします」
慌てて頭を下げて、猛スピードで去っていく、逃げていく女性たち。
そんな彼女たちを見送ると、それを機会にしたのか狐太郎が食事に手を伸ばした。
「みんな……冷めないうちに食べよう」
緊張感が維持されたまま、皆が食事へ手を伸ばす。
そして、異世界に来て初めての料理を食べようとしていた。
「うま~~い!」
その緊張感を破ったのは、クツロの叫びだった。
机の上に並べられていた肉料理を、満面の笑みで口に運んでいる。
その表情は、完全にグルメ漫画のキャラクターだった。
「異世界でも、肉は美味しい!」
普段の張り詰めた、クールな表情は完全になくなっていた。
食欲を満たす喜びが溢れており、幸福感が顔に出ていた。
「肉、肉、肉ぅうう!」
まるでリスのように口いっぱいに肉をほおばると、そのままジョッキのビールを煽った。
「酒、酒も美味しい~~!」
ある意味では、とても鬼らしい振る舞いだった。
おそらく鬼の宴とは、こんな感じなのだろうと察しはつく。
「肉があって酒があって、異世界って最高ね!」
ひたすらハイテンションなクツロ。
そんな彼女は、机の上の肉や酒をモリモリと平らげていく。
「クツロ、俺の分も食べていいぞ」
「うん、私のも食べていいよ」
「私のも処理して」
「うむ、お前が食べたほうが、肉も喜ぶだろう」
そんな彼女に対して、他の面々は自分たちの料理を差し出していた。
「え? え? え、え~~~?」
顔を高揚させて、困った顔をしているクツロ。
食べたいのだけれども、そのまま食べてはいけないという、良識が邪魔をしているようだった。
なお、我慢する気はほとんどないようである。
「い、いいの? みんな、私にお料理をくれるの? で、でも、みんなに悪いし……アカネだって、お腹空いていると思うし~~」
「じゃあいらないの?」
「いる! いります! もう、みんな大好き~~!」
とても欲望に正直な鬼、その本性を見る一同。
極楽にいるかのように幸せそうな彼女の姿は、ある意味で羨ましいものだった。
「……なんでこんな料理を、美味しいって言えるんだろう」
おなかが空いていたはずのアカネは、食欲を失っていた。
物凄くまずいとかではないが、それでもちっとも美味しくなかった。
肉は火が通っているだけ、野菜は新鮮なだけ、酒はアルコール度数があるだけ、主食らしきトウモロコシの料理は栄養があるだけだった。
(健康食品を食っているみたいだ……)
一応、食える。
トウモロコシの料理を、なんとか食べている狐太郎。
彼自身は健康食品と例えた料理は、実際健康食品である。
無添加、無農薬、無調整。化学調味料を一切使っていない、ありのままの味である。
この料理を食べている限り、特定の栄養を取りすぎるということはないだろう。
むしろ、不足が感じられた。何事も、健康であればいい、というわけではないらしい。
しかし、それでも食えるだけましだった。
一応挑戦した肉料理『焼けた肉』は、まず歯が立たなかった。
比喩誇張抜きで、固くて噛めないのである。
おそらくこの世界の住人は、顎の力も十分なのだろう。だからこそ、この固さでも気にならないのだ。
だがしかし、狐太郎の体では、それも不可能だった。
(まさか調理された肉にも勝てないとは……)
雑食性の生物として、危機感を覚える状況である。
俎板の鯉という表現もあるが、それ以上に勝っているはずの状況で、太刀打ちできない歯が立たないときたものだ。
この世界で自分が生きていけるのか、真剣に心配になる。
「アカネ、お前もいいのか? 私たちはともかく、お前なら肉も食えるだろう」
狐太郎同様に、歯が立たなかったコゴエが尋ねる。
アカネの顎の力は、火竜だけにクツロ以上であろう。
よって食べようと思えば、固い肉でも食べられるはずだった。
「やだ……美味しくないし」
しかし肉どころか、健康食品めいたトウモロコシ料理にさえ手が伸びていない。
というか、トウモロコシ料理を食べているのは、コゴエと狐太郎だけだった。
ササゲとアカネは、完全に食欲をなくしている。空腹というスパイスをもってしても、この料理をおいしくすることはできなかったようである。
「コゴエ、貴女よくこれを食べられるわね……」
「雪女は精霊の一種だ、元より美食への欲求は薄い。粗食には慣れている」
コゴエは不快そうでもなく、平然とトウモロコシ料理を食べている。
美味しいと感じているわけではないようだが、食べられないほどではないという様子だった。
そんな彼女を、ササゲは尊敬の目で見ている。
「二人とも、ご主人様を見習え。食べなければ戦闘に差し支えるぞ」
「ええ~~、でも~~」
「見た目通りに美味しくなくて、期待外れというか、期待以下というか……」
(俺もできれば食べたくない味だな……)
笑顔の食卓からは程遠い、沈痛な食卓だった。
なお、クツロ。
「うみゃあああい!」
物凄く幸せそうである。
彼女一人で、この場の全員分の幸福の平均値を補う勢いだった。
多分彼女は、他の面々が苦しんでいることにも気づいていないだろう。
凄まじいまでに、食事へのハードルが低いのだ。もしかしたら、地面に埋まっているのかもしれない。もしかしたら、海の底に沈んでいる可能性もある
(普通こういう状況だと、異世界の人間が日本料理を食べてオーバーリアクションをするもんなんだが……美味しくないメシを食べてオーバーリアクションしている所を見ると、ただ引くな……)
何を食べても美味しいと感じられる心こそ、どんな世界でも生きていける最高の才能なのかもしれない。
(本当に食べにくいな……水で流し込もう……)
「ご主人様、お待ちを」
空になっているジョッキを手に、台所へ向かおうとする狐太郎。
その彼を、コゴエが止めていた。
「もしや、水を飲まれるおつもりで?」
「そうだけど……」
「お勧めしません。おそらくは井戸水であり、衛生的に不安が。そうでなくても、硬度が合わないこともあるかと」
「……そうだな」
とても分かりやすい理由で、水も飲めない狐太郎。
異世界以前に外国なのだから、水が合わずに下痢を起こす可能性が高いのだ。
アルコールである分、ビールのほうが安全である。
「私が雪を作りますので、少々お待ちを」
「あ、じゃあ私にもお願い! 冷たい水出して~~!」
「それじゃあビールを冷やしてちょうだい。せめて酔わないとやってられないわ」
(おのれ、魔王め……)
モンスターと人間の対立とは全く関係ないところで、一行を苦しめるこの異世界。
魔王の意図したところではないが、狐太郎たちは確実に追い詰められていた。
「異世界、最高!」
(クツロはどこにいても、パラダイス気分なんだろうなあ……)
一名を除いて。