ハートの3
さて、有名な話だが、犬に玉ねぎを与えてはいけないという。
玉ねぎは犬にとって毒で、食べるととんでもないことになるという。
人間は『雑食性』であり、食物連鎖の頂点に君臨する生物であり、大抵の物を食えるので他の動物の食性について鈍感になりやすい。
つまり相手が好意的に振舞って来た料理でも、場合によっては食べることを断るのが逆にマナーであるとされている。
「さあどうぞ皆さん! お祝いの料理である、『カブトムシの幼虫の煮物』です!」
だがそういう問題ではなかった。
今楽園から来た者たちは、異文化交流の壁に激突していた。
世の中には食用のゴキブリもいるそうだから、食用のカブトムシが異世界にいても不思議ではないだろう。
でもむしろ、不思議なぐらい元の世界と同じな食生活であってほしかった。
「……」
おもてなしの料理として出された『カブトムシの幼虫の煮物』。それは本当に、見るからにカブトムシの幼虫の煮物だった。
せめてぶつ切りにしてくれればよかったのに、なぜか原形をとどめている。
救いがあるとすれば、頭をちゃんと切っているところだろう。でもあまりにもささやかな救いで、戦争中の美談程度の救いにもなっていない。
ちなみに、戦時中に調理したゴボウを捕虜に出したら『木の根を食べさせるなんて虐待だ』と言って誤解を生んだことがあったという。
「私草食性なので、食べられないんです~~」
「あらそうなんですか、残念です」
ホウシュンに対して、ハチクは満面の笑みで断った。
実際草食性の彼女がカブトムシの煮物を食べたらお腹を壊すだろう、他の者は大体食べられるはずだった。
(ずるい……)
食べられる、イコール、食べたい、ではない。
おそらく飢饉になって全宇宙からこれ以外の食べ物が無くなっても、たぶんこれに喜ぶことはないだろう。
蛇太郎とムイメ、キクフ、イツケは、ハチクの笑みに妬みを抱いていた。
「へ~~、カレーソース的なのに付けて食べるんだ~~。手づかみでいいんですね?」
「タンパク質なお味だな。触感は結構ぷにぷにしているぞ」
なお、兎太郎と狼太郎は、もう食ってた。
恐れを知らぬ勇者たちは、その度量を仲間や後輩に示している。
だがそれを見て食べられない組は、とても困っていた。
むしろ彼らが積極的に食べてしまうと、自分たちが断る口実が無くなってしまう。
「大丈夫ですよ、毒は入ってませんから」
ニコニコしながら、ホウシュン自身も食べている。
ややとろみの強いカレーソース的なものにちょんちょんとカブトムシの幼虫をつけて、そのままパクパク食べている。
とても気品がある所作なのだが、魔王の城の蛮族が食べるような料理なので、なにかの幻覚魔法にかかっているようだった。
なお、現実は彼女の得意料理であるらしい。
「蝗の佃煮みたいなもんだろ? そんなに怖がるなよ、食べてみれば結構普通過ぎてびっくりするぐらいだぞ」
「そうだぞ、好き嫌いは良くない。ちゃんと食べないと、後でお腹が空いても何も上げないからな」
二人の英雄も、結構パクパク食べている。
悪夢のような光景だが、二人は正気である。
やはり英雄とはこういう者なのかもしれない。
(俺は英雄になれないんだろうか……)
他所の文化圏と触れたときに、嫌な顔をせずに接する。
それは文化人として、貴賤のない振る舞いであろう。
己の親しんだ風習だけを唯一至上とせず、相手のおもてなしを受け入れる。
割と普通に尊敬できることだった。
蛇太郎は二人の先輩に対して、劣等感を覚えていた。
「懐かしいわね~~、虫の幼虫なんて久しぶりだわ」
「昔はスパイスとかなかったし、こっちのほうが豪勢ね~~」
なお、エルフの二人。
彼女たちにとっては懐かしい味ですらあるらしく、むしろ故郷の味よりも上だと思いながら食べていた。
種族が違うとはいえエルフの二人が並んで虫を手づかみにして食べていると、食べられない組はとても驚いてしまう。
「あの……失礼ですけど、エルフって虫食べるんですか?」
「なんでも食べるわよ? 森にあるものなら、なんでも捕まえて食べてたわ」
「何、貴方まで初対面の連中みたいに、『エルフは植物性の物しか食べないんじゃ』とかいうの?」
ハーピーのムイメが聞くので、二人はあっさりと答えた。
まあ森で暮らしていた種族が、森の虫を食べるのならそこまでおかしくはない。
でもそれは生態系的な話であって、印象的には最悪であった。
「前から思っていたけど、雑食性の短命種は肉食よりも草食が上等と思うのかしら? やっぱり太るから?」
「植物性でも食べれば太ると思うんだけどねえ……それに絶滅させておいて、エルフは植物しか食べない儚い生き物扱いされるのは嫌よねえ」
勝手にイメージを押し付けられて、うんざりしている絶滅種たち。
言っていることは確かにごもっともなので、やはり反論できないわけで。
「っていうか、それを言えばハーピーなんだから虫は平気でしょう?」
「……何時代の話ですか」
魔王と人間が戦っていた時代から生きている二体は、むしろムイメがいやがっていることが分からなかった。
これだけ大きな虫の幼虫なのだから、ハーピーは大喜びで食べるだろうに。
多分数千年前はそうだったと思われる、なお現在は飼いならされているのでそんなことはない模様。
「あら、もしかしてお口に合いませんでしたか?」
「んん……悪いな、こいつらあんまり昆虫食に慣れてないんだよ」
「そうでしたか、ごめんなさい……ゴーさんは喜んでくれたのですが……」
「いいって、こっちの無礼なんだから謝られても困る」
現地の人間と溶け合う心を忘れない、立派な文明人である狼太郎。
彼女はぎろり、と食べなかった組をにらんでいた。
「まったく……食わず嫌いはよくねえぞ」
「そうだぞ、それが旅の醍醐味じゃねえか。旅先でもコンビニに行くのか、お前ら」
「なんでも食べる男って格好いいよな……」
「……誰でも食べちゃう女の人はちょっと」
そんな彼女は兎太郎にちょっとときめいたらしいが、兎太郎はちょっと怯えている。
やはりちょっと怖いらしい。チョロすぎる美人というのは、かえって警戒心を刺激するのだろう。
「カブトムシの幼虫は背中が曲がっているので、長寿を願う縁起ものなのですが……虫が食べられないのなら仕方ありませんね」
(エビみたいな理由だな……)
「では代わりの物を……」
ホウシュンは別の料理を持ってくるように手配を始めた。
(縁起物の高級料理とかじゃなくて、普通のでいいんだけど……)
王女からの歓待に、蛇太郎たちは困っている。
異国情緒あふれる名物料理よりも、普通の料理が食べたかった。
とはいえ、普通の定義が国家毎に違うので、それを口にするのは失礼だとも考えていた。
「どうぞ、大蛇の丸焼きです。手づかみでどうぞ」
なお、次の料理は巨大な蛇の丸焼きだった。
大きな蛇がうねるように木の串で貫かれており、なにやら魚醤のようなものをつけて焼いている。
多分魚的な食材だったら、この調理法でもよかっただろう。
大きさがかなりアレで、楽園の人間にはかなりハードだったが。
「蛇は脱皮をするので、やはり長生きの象徴とされています。それに大きいものほど尊ばれるんですよ」
「いただきます」
さっきのよりはマシかな~~……とちょっと悩んでいる面々を置いて、やはり兎太郎が行った。
両端を手づかみして、豪快に口へ持っていく。やはり冒険の神は、いついかなる時も勇敢なのだ。
「……」
だがその勇敢なる食事も、いきなり止まった。
歯を立てているのに、一行に顎が動かない。
「い、いかがされました?」
「駄目だ、歯が立たねえ」
大蛇をそのまま焼いているので、鱗はそのままだった。
おそらくこの世界の住人なら普通に食べられるのだろうが、楽園の住人では顎の力が足りないらしい。
「……そうみたいですね」
実際に蛇太郎も確かめてみた。
やはり鱗を破ることができず、歯形をつけることもできない。
それに肉の弾力も強く、仮に鱗を剥いでも食べられそうになかった。
「貧弱だなあ、最近の人間は。俺が魔王四天王やってた時代なら、これぐらい普通に食えてたぞ」
「本当に弱くなりましたよね、人間」
「まあこれだけ文明が発展すれば、その分弱くなるのも納得ですけど」
なお狼太郎とチグリス、ユーフラテスは普通に食べている。
それを見て、自分も食べないと失礼だな、と思って、イツケとキクフは頷き合った。
多分食べられるだろう、ということでガブリといったのである。
(……臭くて不味くて硬い)
褒めるところが何一つない味だった。
少なくとも彼女たちの口には、まったく合わなかった。
でも食べられないわけではなかったので、とりあえず食べ続ける二体。
不味いといっても料理に失敗したわけではなく、こういう味付けなのだろうと分かる味だった。
なのでなんとか嫌な顔をせずに、我慢して食べていく。
「……私、草食性なので他の子よりも食べられるものが少なかったりするんですけど……今はそれでよかったかなって気分です」
なお、他人事のハチクは、やはり他人事である吸血鬼のインダスへちょっと話していた。
今のところ動物性のものばかりであり、ハチクにとっては『生物的に無理です』といって回避できる食材ばかりである。
彼女は肉の味を知らないが、食べることができたとしても、食べたいとは思わないだろうと感じていたのである。
「あらそう? たまには違う物を食べるのもいい刺激になるわよ」
(ご主人様みたいなこと言ってる……)
なお、吸血鬼から同意は得られなかった模様。
(夢のように都合のよくいかない展開……食事一つとってもこれ……これが現実……だから人は夢に逃げるんだなぁ……)
自分は異なる文化の人ともコミュニケーションが取れる、と思っていた蛇太郎。
実際にはそんなことがないのだと思い知って、やはり自分にがっかりしていた。
冥王と呼ばれていても、カブトムシを食べることさえできないのである。
なお、天帝と呼ばれている男は、タガメの揚げ物を食べていた模様。
やはり一人目の英雄は、格が違うらしい。
※
さて、一方西重の地で、祀と昏に新しい動きがあった。
新しいAランク上位モンスターが、二体加わったのである。
なんだかんだ言って食料の心配がなくなったことは事実、新戦力として、農業の労働力として、大いに期待される新星であった。
「ちょっと、何考えてるのよ!」
「いくら甲種だからって、調子に乗らないでよね!」
「アンタたち、自分が何やったかわかってるの?!」
「マジでぶっ殺すわよ……もうわたしはやると決めたわ……!」
なお、他の昏たちに囲まれていた模様。
激怒している昏たちは、新しく加わった『妹』二体へ、チームワーク全開で怒鳴っていた。
「ごめんなさいね……私ったら、ついつい……」
Aランク上位モンスター、哺乳類型最強種、ベヒモス。
それを原種とする昏、ジャンボ。
5mを優に超す巨体を誇る、大型新人であった。
地面に正座している彼女は、それでも立って囲んでいる先輩たちを見下ろしながら、なんとか謝っていた。
「ふん! なんで私が謝らないといけないのよ! いいじゃない、他の誰でもない、私がやったことなんだから!」
同じくAランク上位モンスター、魚類型最強種、テラーマウス。
それを原種とする昏、マイク。
立ち上がってなお一メートル半ほどの小柄な彼女は、自分の非を認めようとしていなかった。
「いい? ちょっと先に製造されたからっていい気にならないでよね。私が生まれた以上、アンタたちは用済みなんだから。今までのことは全部忘れて、裏に回っていればいいのよ!」
最強種のDNAを持つが故か、マイクは囲んでくる先輩たちに一切恐怖を抱いていなかった。
むしろその口に生えている多くの歯を見せて、挑発さえしてくる。
「私がその気になれば、アンタたちなんか、一飲みの一噛みなんだからね? ちょっと優しくしてあげているからって、調子に乗らないほうがいいわよ。私はこのとおり優秀で寛容だけど、もしも機嫌が悪くなれば……」
「デカい口を叩くな」
鋭い歯をへし折りながら、ミゼットが自分の甲殻を彼女の口へ突っ込んだ。
もう片方の手でしっかりと頭を抑えて固定し、ぐりぐりとえぐっていく。
「ひゃ、ひゃめて! こはい!」
「何を言っているのかわかりませんが……謝る気がないのなら、このままぶち抜く」
「いいぞ! 副隊長! やっちゃえやっちゃえ!」
「そのままえぐってやって!」
「流石副隊長、頼りになるわ!」
「やっぱりミゼットお姉様がいると締まるわね!」
「私たちには副隊長が必要なのよ!」
「あの~~……皆が推してくれた隊長である私は~~?」
テラーマウスの天敵は、寄生虫であるリヴァイアサンに加えて、無敵の殻をもつノットブレイカーである。
テラーマウスの咬筋力と歯の鋭さ、消化吸収能力をもってしても、ノットブレイカーの甲殻は砕けない。
むしろ呑み込もうとして自分の体が引き裂かれてしまうのだ。
その恐怖を知っているからか、マイクは抵抗もできなかった。
彼女のDNAが、この甲殻を食べることを恐れているのである。
「一体なんの騒ぎだ……」
一方的なリンチをしているところへ、祀の面々がやってきた。
連日の農作業で骨や関節、筋肉にダメージを受けている彼らは、面倒くさそうに介入してくる。
ぶっちゃけ放っておいて寝たいぐらいなのだが、彼らは真面目なので問題の解決に乗り出したのである。
決して乗り気ではない。
「……せっかく加わった甲種をいじめるな。一体何があったのだ?」
「ああ、危害を加えている側に聞くのは良くないな。ジャンボよ、お前に聞くぞ。何があった」
「どうせくだらないことだろう、我等を煩わせるな……」
「ごめんなさい、祀の皆さま……」
憤慨している昏たちに囲まれながら、ジャンボは恥じらいながら謝った。
「私とマイクちゃんで、倉庫にあったパンを全部食べちゃったの」
「なんだ、そんなこ……おいミゼット、そのままえぐれ」
「望むところです」
「ひゃめてええええええええ!」
大量に食料を必要とするであろう、二体のモンスター。
祭の宝である瘴気機関が完成し、ある程度備蓄に余裕もできたので製造したのだが……。
思った以上によく食べたらしい。
「おい……お前、ふざけるなよ……」
「我らがアレを生み出すことに、一体どれだけの時間と労力を注ぎ込んだと思っている……」
「お前達二人は、それをすべて無駄にしたのだぞ……!」
「お前たちに、その責任が取れるのか……?」
格好良く言っているが、盗み食いを叱っているだけである。
まあ盗み食いの規模が規模なので、残念ながら殺されても文句は言えない。
なお昏と祀の今までの食料は、楽園からの盗品である。
自分で生みだす苦しみを知ったからこそ、その成果の意味を知ったのだった。
なお、自分の過去の罪とは向かい合っていない模様。
「お前たちが一瞬で消したものは……お前たち自身よりも価値があるのだ!」
食料は人命よりも重いらしい。
無限に存在していてもなお、食料には人命に代えられない価値があった。
全会一致の激怒であった。異議なし、議論の余地なしである。
※
しばらくの間、二人はとっちめられた。
しばらく、がどの程度の期間なのか。
とっちめられた、がどの程度の暴力か。
それはわからないが、とりあえず満足いくまでボコっていた。
全員で、全員が、満足いくまでボコった。
「で、どうします? 殺しますか?」
なお、食欲が収まるわけではないので、処分の検討も始まった。
労働を全部消費されたので、誰も彼女たちを庇わないのである。
「まあ落ち着け……お前達二人はもう一生パン抜きだ。そこいらのモンスターでも襲って食ってろ」
「ええ……パンの方がおいしいのに……」
「最強である私に食べてもらったんだもの、パンも喜んでいるわよ!」
「ミゼット」
「望むところです」
「ああああああああ!」
さて、泣いても笑ってもパンが戻ってくるわけではない。
祀の面々は、話を進めることにした。
もちろんマイクの口には、ミゼットの甲殻を突っ込んでおく。
「まあお前達の気持ちもわかる。私たちも同じ苦しみを味わったからな……だがその二人を安易に殺すことはできない。なぜなら……もう甲種が増やせないからだ」
婚の宝によって生み出されるモンスターたちは、非常に高い社交性と、ある程度共通した肉体を得る。
それによって、原種では捕食者と被捕食者として対立しているモンスターでも、ある程度共同生活を営むことができるわけであるが……。
それにもやはり限度がある。
「ストーンバルーンやマリンナインならまあどうにかなるだろうが、あんなものの昏など作っても役に立つまい」
「カームオーシャンやダークマターは、強力だが友軍への被害も著しい」
「エイトロールやラードーンはどうなるかわからんし……リヴァイアサンやプルートなど絶対に作るわけにはいかない」
モンスターにとって『普通』という定義は存在しない。
鳥から見て魚がおかしかったとしても、魚としては普通で文句を言われる筋合いがないのと同じだ。
だが甲種の場合は、それこそ同型の中でさえおかしいものばかりである。
仮に昏として生み出しても、共同体を壊滅させる性質を持ちかねないのだ。
「フェニックス、ノットブレイカー、ベヒモス、テラーマウス。甲種の中では相対的に安全で有用だと判断した種族、その母となるものをうかつに処分できん」
相対的に安全だと思っていたベヒモスとテラーマウスでさえ、備蓄食料を食いつぶしてきたのだ。
他の危険種など、どうなっても不思議ではない。
「まああまりにも無益なら、その時はお前達と相談の上で始末するがな……」
「あら、それなら大丈夫よ!」
まったく懲りないマイクは、大声で、大口を叩いた。
「魔王の冠もEOSも、私一体で集めてみせるわ!」
「それは無理だ」
根拠をもちつつ、祀の者たちは否定した。
「魔王の冠はともかく、EOSの回収は乙種以下で行う。というのも……」
さて、対戦車ライフルというものがある。
これは当然戦車の装甲を貫きうるライフルであり、人間に当たればほぼ即死である。
対戦車地雷というものもある。
戦車を破壊するための地雷であり、戦車が踏むと爆発するのだが……。
人間が踏んでも、爆発しない。
もちろん完全に安全ということはないが、少なくとも設計思想として『人間が踏んでも作動しない』ように作られているのだ。
「対甲種魔導器EOSは、甲種や英雄にはほぼ無敵だが……それ以外にはほぼ無意味なのだ」




