社会科見学
かくて一行は、ようやくこの世界の文明と正式に接触できたわけである。
魔境の存在やらなんやらを知り、ある程度安全な場所を得たことで、ナイルに乗っている英雄たちは枕を高くして眠ることができるようになっていた。
もちろんサイモンを慕う者も多く、彼の潔白を証明する(無実だったということにしたい)ために、彼らへ接触しようとしてきたが……。
まず女王が『娘の恩人に何するんだボケ』と怒り、『じゃあ正式に調べてもいいんだぞ』と脅し、その時点で正式な接触は不能となった。
ぶっちゃけサイモン陣営の中核は、そのまんまサイモンである。彼が死んだ、あるいは行方が分からなくなった時点で、彼らは力を失っていた。
その上彼の後継者である娘や婿は、腹を探られると痛いと分かっているので、周りを諫めるしかなかった。
今はお情けで見逃されているだけであり、もしも大声を出せば、証拠を捏造してでも仕留めにかかるだろう。
女王の意見が絶対、というわけではなく……女王の言うように、もうそうするしかないからである。
それに、もしも異郷の英雄たちが怒りだして暴れれば、最悪残った英雄たちも倒されるかもしれなかった。
その可能性がある以上、うかつなことなどできない。
そう、結局は武力である。それが根幹にある以上、女王の私情だとかで責め立てることはできない。
とても単純に、他の選択肢がないのだ。仮に無理やり選ぼうとすれば、国家の存亡がかかってしまう。
だからこそ、女王も強気で否定できるし、他の大将軍二人もそれに文句を言わないのだ。
サイモンの死は、それほどに大きかったのである。
さて……。
では残った大将軍二人は、今何をしているのか。
もちろん前線を下げ、央土と戦っていた兵士たちを各地に帰している。
既に南方大将軍カンシンと和平の話を進めており、ナタも既に中央へ向かっている段階だ。
こうなると彼らは、一時的に暇になる。
まったく暇というわけではないが、時間ができたのだ。
彼ら二人は、ホウシュンの夫となったゴーと同じ船の上で卓を囲んでいたのである。
「……ということだ」
「わ、私がいない間に……そんなことに……」
ゴーは一人で大将軍二人と話をする、というわけのわからないことに困惑していた。
だがそれよりも驚いたのは、央土が南万だけではなく北笛や東威、西重とも戦っていたことである。
「カンヨーが落ち、十二魔将が壊滅し……陛下が、御崩御なさったと……」
セイカの河口に、戦争の詳細な情報が届くわけもない。
南万と央土が戦争状態に入り、膠着しているということしか伝わっていなかった。
だからこそ、ゴーは大将軍の言葉を受け止めきれなかった。
想定していたよりも、ずっとずっと状況が悪かった。
央土は南万と比べて大国なのだと、心のどこかで侮っていたのかもしれない。
だからこそ、想像の上を行く状況に絶句していた。
「そ、そんなことが……」
あるいは、自分がホウシュンをきちんと護送できなかったことが、今回の戦争の遠因になっているのかもしれない。
そこまで行かずとも、女王が戦争を決断した理由の、そのひとつまみ程度にはなっているのかもしれない。
そう思うと、彼の心臓は破れそうになっていた。
「で、では央土は、もう……」
南の海で嵐に巻き込まれ、漂流していた自分たちが、天祐めいた幸運によって帰還を果たした。
にも拘わらず、最大の大国である央土が滅亡していた。何が何だかわからぬことである。
「いや、それがそうでもない」
女王からはともかく、この大将軍二人からすれば、ゴーなど大したものではない。
お家騒動に巻き込んでしまったということを考えれば申し訳ないし、子供を作ったことも状況からすれば仕方のないことである。
それを口にすることができない立場だが、まあとにかく悪感情は抱いていなかった。
もちろん逆に、好印象も抱いていなかったのだが……。それは彼自身のことである。
「央土は健在だ。大王は確かに倒れたが、その実弟であるジューガーが即位し、軍を率いて西重に対抗している」
「……大公閣下が?!」
「西重の全軍を相手に、互角以上に戦っていると聞いている。我等三か国を押しとどめつつも、王都を奪還するために仕掛けている頃だな」
なまじ事情を知っているだけに、チンケイサイのため息は深い。
本当にぎりぎりのところであるが、結果としてゴーは間に合ってしまった。それも、間接的ながらサイモンを殺すという、最大の武勲を上げて。
「既に大志のナタが、王都へ救援に向かっている。彼が間に合えば、そのまま決定打になるだろう」
「ナタ様が?! あの方は南に来ていたのですか?!」
ゴーは、改めて状況を理解した。
自分達のところに狼太郎たちが来たときは、それこそ幸運なことだと思っていたが……。
実際にはそれ以上の意味があったのだ。まったくもって、想定以上の事態である。
「……ナタ様」
と、同時に、ゴーは彼の心中を思い、嘆いていた。
ゴーが央土にいたときは、彼は十二魔将四席だった。
だからこそ十二魔将が壊滅したと聞いたときは、彼も死んだのだと思い込んでいた。
だが生きている。それは喜ぶべきことだが、その心中を思うと喜べない。
自分等よりもずっと、よほど……死にたくなるほどに生きていることがつらいだろう。
むしろ自分如きが落ち込むことを、罪悪だと思う程だった。
「ありがとうございます……大将軍閣下、自ら伝えてくださるとは……。このゴー・ホース、感謝の言葉が見つかりませぬ」
自分の不始末は呪わしいが、それでも国家の滅亡に間に合ったことは安堵できた。
仮に自分が助かっても、央土が滅亡していては、それこそ裁きを受けることもできない。
「……お二人とも、なぜ私へ直接伝えてくださったのですか?」
冷静になったゴーは、最初の疑問に戻っていた。
確かに重要なことではあったが、二人自ら言いに来る理由がわからなかった。
「そのジューガーが編成した、央土の新しい軍。その指揮を担っているのが、お前の弟、ジョー・ホースだからだ」
「……は?」
「ジョー・ホースの指揮する軍がウンリュウ軍を破り、更に王都を占拠しているチタセー軍と戦っているのだ」
「……は?」
驚くことばかりだったゴーだが、これには一番驚いていた。
まったくもって、想像の他である。
もしもジョーに英雄の才があれば、そこまでは驚かなかっただろう。
だがジョーは自分と大差がない、武将程度の実力しかないはずだ。
その彼が、西原の覇者とたたえられた、ウンリュウの軍を破ったなど、信じられるものではない。
「じょ、ジョーが、西重の大将軍ウンリュウを下したというのですか?!」
「そうだ。そしておそらくは……ナタという助勢を得たことで、チタセーにも勝つのだろう……」
「それで、兄である貴殿に聞いておきたくてな。ジョー・ホース……歴史に名を刻むだろうが……いったいどれほどなのだ?」
西重と国境を接している南万は、当然ウンリュウのことを知っている。
幾度となく戦い、その武勇や知略、配下の精強さに戦慄したものだ。
だからこそ、聞きたいのだ。
一体ジョー・ホースとは、どれだけの傑物なのか?
「……わ、私の知っているジョーは……とても真面目で、才能があり、周囲からも慕われる男でした……」
自慢の弟ではあったけども、そこまでの弟ではなかったような気がする。
ゴーは自分が行方不明になっていた間に、何が起きたのかまるで想像できなかった。
(何があったんだ、ジョー……!)
だがおそらく、ジョーがゴーの近況を聞いても驚くだろう。
『南万が和睦を申し出てくれたのは、兄さんのおかげ?! サイモン大将軍が死んだ?! 何があったんだ兄さん!』
※
さて、一方そのころ、他の遭難者たちなのだが……。
まず女官たちとその配偶者となったゴーの部下たちは、子供を連れて実家へ挨拶に行っていた。
敵国に捕まったと思ったら行方不明になって、七年後に子供と夫を連れて帰ってきたのである。
この世界の価値観からすれば、死んだ人間が帰ってきたようなものだ。
まあその夫たちが敵国の騎士ということであまりいい顔はされなかったが、それでも帰ってきたことはいいことである。
加えて戦争が終わるという話もあり、挨拶に来たということもあって、それなりの歓迎を受けていたわけである。
では女王と再会したホウシュンはどうか。
大恩人である一行に対して、せめての恩返しをするべく要望を聞いたのだが……。
『気にすんなよ、お母さんに会えてよかったな』
『その……大将軍を殺してすみません』
狼太郎と蛇太郎はそんな感じであった。
やや怖かったが、兎太郎にも聞いたところ……。
『南万を案内してくれ!』
わりとまともで即座に実現可能な要求だったので、ホウシュンは喜んで受け入れたのである。
彼の仲間たちも『まあそれぐらいなら』という具合に受け入れて……南万の観光を行うことになったのである。
流石に国家全体をぐるりとはいかないが、セイカのすぐそばの支流を見ることになったのだった。
「ひょ~~! すげえな~~! はえ~~!」
セイカの流れは、非常に緩く、穏やかである。
だからこそ移動は手漕ぎの舟でどうにかなるのだが、一人の船頭が櫂で漕いでいるだけなのに、とんでもなく早かった。
船頭が熟練の技を持っていることも事実だろうが、もっと単純に彼の腕力が尋常ではないのだと思われる。
それが証拠に彼が櫂で漕いでいると、エンジンでもついているかのような水しぶきが起きていた。
それを見て、兎太郎は大興奮である。
流石にナイルは乗せようがないが、他の面々は全員乗っているし、もちろんホウシュンやその付き人も一緒なのだ。
それだけ大きな舟で、それだけ人が乗っているにも関わらず、結構な速度で進んでいるのである。
モンスターがやっているのなら彼も驚かなかっただろうが、人力なのでとても驚いていた。
「ご主人様、はしゃぎ過ぎですよ……」
「いや~~……でも本当に速いね、人間とは思えないや」
「そういう言い方は良くないわよ? 現地の方に失礼じゃない」
「風情があっていいわね……まあご主人様が台無しにしているんだけど」
「短命種の若い子は元気ね~~。まあもっとも、私たちもこういう舟は初めてだけど」
「あら、そうかしら? ほら、黄河様と一緒に急流下りをしたことがあるじゃない」
「それ、何時の話よ。それに舟の形はちょっと似てるけど、こんなに長くなかったし、もっと急な流れだったわよ?」
英雄に従うモンスターたちも、ゆっくりとくつろいでいた。
なんだかんだ言って、初めての土地で観光というのは楽しいものである。
少し前までは『この世界に文明なんてないんだ……』と落ち込んでいたぐらいなので、とてもリラックスできている。
というか、戦う必要がない、という状況が楽しかった。
(……苦楽を乗り越えた仲間か)
蛇太郎は、はしゃいでいる仲間たちを見て、それに浸っていた。
危険地帯を突破し、強大な敵を倒し、余暇を楽しむ。
それらをすべて共有する、素敵な仲間。
そのなかに自分もいる、ということがたまらなく素敵だった。
「どうした蛇太郎、こいつらが好きなのか? 黄河じゃあるまいし、人に似てたら誰でもアリか?」
「お、狼太郎さん、からかわないでくださいよ!」
「ちなみに……お、俺のことも見たりする?」
(やっぱり結婚しようかな……)
素敵な時間はすぐ終わった。
蛇太郎の生涯未婚の誓いも、直ぐに終わりそうだった。
「あのさ~~、ホウシュンさん。なんか河の色が濁ってきてません?」
「はい、支流に入るとこうして色が濁るんですよ。もっと奥に行くと、もっと濃くなります」
なぜか恋話に突入しそうな二人の英雄を置いて、兎太郎は楽し気に質問をしていた。
発案者なのだから当然だが、一番真面目に観光をしていた。
「その分魚も増えるんですよ」
「魚? やっぱり捕ったりするんですか?」
「ええ、本流では流通が盛んなのですが、支流では漁業が盛んです」
それこそ素人が見てもわかるほど、河の色が目に見えて変わってきた。
巨大な船が浮かぶほど川幅の広かった本流と違い、支流はとても狭く、トラック一台分程度の川幅しかない。
その両脇には熱帯雨林が広がっており、生き物の声がとてもよく聞こえてくる。
とても分かりやすく、おかしなことのない南国であった。
その光景を見て、体験して、兎太郎はとても興奮している。
「お、おおお! おいお前ら、あっち見ろよ! すげえ小さい象がいるぞ!」
「え、象ですか……って本当にちっちゃい!」
「子象なのかな、それにしても小さいけど……」
「ああいう種類なのかしら……」
「写真撮りたいわね~~」
川べりで鼻を垂らし、水を吸っている象がいた。
それだけなら驚くことではないが、とても小さい。
流石にネズミほど小さいわけではないが、それでも大型犬程度の大きさしかない。
「アレはDランクモンスター、シャワーエレファントですね。生活水用の家畜として飼われることもありますが、おそらく野生でしょう」
「へえ~~……生活水用の家畜なんて初めて聞いたぜ」
この世界にはAランクモンスターとBランクモンスターだけではない。
当然ながらDランク以下も多くいる。
海でも見かけたが、やはり低ランクのモンスターなら、見ていても和むだけだった。
「生活水用の家畜……?」
ホウシュンの説明を兎太郎は軽く流したが、蛇太郎は意味が分からなかった。
確かに生活水を供給する動物がいれば家畜にもなるだろうが、なぜ象にそれが叶うのかがわからない。
「南万以外ではあまり見かけないそうですが、ここでは生活水用の家畜はよく見かけます。ここのようにすぐそばに本流があれば、そこへ生活水を汲みに行けるのですが、本流から遠ければそうもいきませんからね」
「それはそうでしょうが……具体的にどうやって生活水を……いえ、やっぱりいいです」
そこまで聞いて、蛇太郎は聞くのをやめた。
別に現地の人間を侮辱するわけではないが、おそらく蛇太郎の衛生感とは相いれないものだ。
彼が至った結論に、兎太郎の仲間たちも至る。さっきまではしゃいでいたが、一気に黙ってしまった。
なお、明言は避けるが……家畜の出す水を利用する民族は実在する。
「やっぱりここの水を飲んだらヤバいんですね」
「ええ、支流の水を飲むと病気になってしまうんですよ」
「へ~~……そりゃそうだ。寄生虫の卵とかも浮いてそうですしね~~」
もちろん兎太郎は真面目にホウシュンの話を聞いていた。
まったくもってこれっぽっちも悪意はないだろうし、むしろ悪く受け止めている蛇太郎や、兎太郎の仲間が悪いのだろう。
少なくともジャングルに来て『不衛生だ』と怒るのは相当理不尽である。なお、所感というものがある。
「あ、見てください! 綺麗なカエルが泳いでますよ~~!」
とにかく話題をそらそうとしたムイメが、河を泳いでいる小さなカエルを指さした。
彼女もカエルが好きというわけではないが、このままの空気に耐えられなかったのである。
「あれはEランクモンスターのオオムラサキヤドクガエルです。猛毒があるので、絶対に触らないでくださいね。皮膚の毒に触れると、全身が変色して呼吸できなくなって死にます」
「はい、絶対触りません……」
なお、悪化した模様。
のんびりと「触ったらダメですよ~~」と注意してくるが、もっと強く言って欲しかった。
触ると死ぬ毒を持っているEランクモンスターとは、これ如何に。
まあリヴァイアサンに比べれば億倍安全だろうが、それでも怖い話ではあった。
「モンスターっていうか、普通のカエルって感じだな。そういえば、虫はいないのか?」
なお、狼太郎。
彼女はそれなりに見識が広いので、説明を聞いても普通のカエルだとしか認識しなかった。
その一方で、そのカエルの餌になるであろう虫が見当たらないことを気にする。
少なくとも河の近くに、それらしい影は見当たらない。
「ええ、いますよ。人間の体に卵を植え付けるフジツボバエや、多くの病気を伝染させる災蚊というFランクの虫型モンスターが多く生息しています」
なお現地人は『そりゃいるよ、あたりまえだろ』という認識だった。
むしろ懐かしいわね~~と浸ってさえいた。
「ですがこの近くにはいないんですよ。この支流には虫を食べる魚型モンスターが多くいるので、出てきたらそのまま餌食です」
「へえ~~……気を使ってもらって悪いな、こいつら都会の出だから、そういうのに耐性がないんだよ」
ホウシュンと狼太郎の、大人の会話。
なお若い衆は聞きたくなかった模様。
(駄目だ、話を聞いただけでナイルに帰りたくなってきた……)
実物が近くにいないことを分かったうえで、なお帰りたかった。っていうかナイルに引きこもりたくなってきた。
やはり衛生は大事である。見ただけでも不快なのに、実害があるとか最悪だった。
「よし、じゃあそっちに行こうぜ! なあみんな!」
だが冒険の神が、ここにいるわけで。
「おい、止めろ、ムイメ! なんで足で挟んでくるんだ?! おい、キクフも噛むな! ハチク、角で刺すな! イツケ、蹴ってくるな!」
流石に耐えられないので、無言の抗議をしてくる冒険の神の使徒。
今ここで不満をあらわにしなければ、それこそ後悔する。それはもはや、彼女達の総意であった。
「魚が捕れるんなら釣りしたいわね~~……やっぱりナマズとかいるの?」
「そういえば釣りなんて久しぶりかも。やっぱり網で捕るより竿を使ったほうが楽しいわよね」
「私魚の血は飲めないからパスするわね」
(強い……)
なお年長組は、流石の度量であった。
やはり肝の据わり方が違う。
「ここいらだと何が釣れるんですか?」
「ピラーピラニアやアローアロワナ、雷グッピーにギンギラピラルク、あとは魚ではありませんが小型の鰐に似ているDランクモンスター、ポケットアリゲーターが……」
「良し釣ろうぜ、鰐を釣るなんて初めてだ!」
やはりここは楽園ではなかった、楽園に帰りたかった。
文明人にあまやかされてきた者たちは、冒険の神ほど強くなれなかった。




