良王賢母
さて今更だが、国家の主流であるセイカを守っていたサイモンが死んだのだから、当然実務に穴が開く。
彼がどれだけ邪悪な試みに身を投じていたとしても、国家へ奉仕していたことも事実なのだ。
彼が死にました、で誰もが喝さいを上げて圧政からの解放にむせび泣く、ということは一切ない。
むしろなんてことをしてくれたのだ、と激怒されるだろう。
もうこうなってしまえば、手紙を送って、沙汰を待つ、というレベルでは間に合わない。
直接ナイルで前線へ向かい、そのまま女王へ接触し、彼を殺したことを明かすほかなかった。
もちろん女王も愚鈍ではない、即座に前線を下げ、そのままセイカの船へ戻り、会議を開くことにしたのである。
「大将軍サイモンが死んだ。今この場にいないことが、そのまま彼の死の証明である」
南万国女王、ゲツジョウ。
チンケイサイ、ブダイ、そして死んだサイモンを従えていた女傑であり……この国でも最強の英雄である。
英雄という強者に至ったサイモンが、武力による国家簒奪を狙わなかったのは、つまり最初から無理だったということだ。
北笛の大王と違い、南万では強くないと王になれない、というわけではない。
仮に王族で英雄の力を持つものが現れても、たいていの場合大将軍になるだけで、大王になることはない。
だが彼女の場合は、生まれの段階で女王になることがほとんど確定しており、その上で英雄としての力を得るに至ったというだけである。
「議論の余地はない、和睦あるのみだ」
その彼女は宮殿に相当する最も大きな船の中で、女王としてそう言った。
それに対して、女王と同じように戦争を続行するべきだと言っていたチンケイサイは、黙って肯定している。
逆に和睦を願っていたはずのブダイは、困惑しながら黙っていた。
軍事における最高位の者が、とりあえず和睦に賛成しているのだ。
であれば、もうこの話は終わっている。
だがこうなっては、戦争の続行を望んでいた者たちも、戦争の終わりを望んでいた者たちも、おさまりがつくわけがない。
「……サイモン閣下がお亡くなりになったこと、これは確実なことでしょう。ですが……これはないでしょう!」
もちろん彼らも、ホウシュンとゴーが戻ってきたこと、彼ら彼女らに子供ができていること。
それらをきちんと把握している。
むしろだからこそ、全会一致で怒っているのだ。
これは女王の私情からして、余りにも都合が良すぎる。
「サイモン閣下がホウシュン殿の行方不明の黒幕、船で帰るように指示をした者だという。動機は当然王位継承権でしょうが……その彼が口封じのために現地へ向かい、異郷の英雄に返り討ちにあった。あまりにも都合が良すぎる話だ!」
何もおかしなことはない。
彼らもサイモンが黒幕だったことに、一々驚いていない。
それはそれで、ありえることだったからだ。
それに相手が異郷の英雄なら、負けることもあるだろう。
なまじ狼太郎たちを知らないからこそ、逆にその話も理解していた。
だが、都合が良すぎるのだ。ゴー自身も認めていたが、これではホウシュンたちに都合が良すぎる。
「南万に戦うだけの戦力はなくなります。であれば央土と和睦するほかなく、当然国交を回復するために動かざるを得ないでしょう。であれば……サイモン閣下にすべての罪をかぶせ、ゴー・ホースを許し、その子供たちにも王位継承権を認めざるをえません」
サイモンという大戦力がいなくなったのだから、そうせざるを得なかった。
「事実がどうあれ、です!」
今回の件は、良くも悪くも沖合で起きたことだ。
サイモンが証人の前で『私は王位継承権を奪うために、ホウシュン殿を海路で帰還させるように指示しました』と自白し、それを認めたわけではない。
あくまでも勝った側が『いきなり襲い掛かってきたんで、そういうことだと思います』と証言しているだけだ。
つまりこの場の誰もが、サイモンの暗躍の決定的証拠を得られず、心のどこかで疑念を持たずにいられなかったのだ。
「ホウシュン殿下と共謀した異郷の英雄たちが、すべての罪を擦り付けるためにサイモン殿を殺したとしても、です!」
サイモンが全部悪い、サイモンが殺しに来たので返り討ちにしました、というのは出来過ぎで、カバーストーリーとしては完ぺきだった。
戦前はかなり疑われていた、ということも含めてである。
「はっきり申し上げます! 私たちはホウシュン殿下を疑っています! そして女王陛下も、それに協力しているのではないですか?!」
改めていうが、サイモンは国家に奉仕してきた男である。
その彼を慕い、信じる者もいる。彼が悪人であってほしくない、仮にそうでも悪人として史に名を刻んで欲しくない。
できればうやむやにしてほしい、公式に彼が悪いと言って欲しくないのだ。
「で?」
だが女王は冷淡だった。女王だからこそ、冷淡だったのだ。
「戦争が継続できなくなった、その事実に影響を及ぼすのか?」
誰が悪いのか、誰が悪かったのか、など議論する意味がない。
当人たちも認めているように、もう戦争の続行が不可能なのである。
「ブダイよ」
「はっ」
「お前ひとりでこの国をすべて守れるか?」
「……できません」
質問を投げられたブダイは、あえて自分の限界をあらわにした。
ここでごまかさないところが、彼の彼たるゆえんである。
「よい、辛いことを言わせたな」
ブダイの短い答えが、そのまま全員を黙らせていた。
今回の事柄に、誰がどんな思いを抱いていたとしても、思いもよらぬ真相が存在していたとしても。
それでも、結果を受け入れるしかないのだ。
それこそ、ホウシュンが行方不明になった時のように。
「以上だ。サイモンの死については、病死ということにする。わざとらしいことではあるが、それが限界だと思え。また、サイモンの家族には、取り調べなどは行わないこととする」
病気の体を押して戦っていたが、体に限界が訪れて死んだ。
そういうことにしておく、というのは暴論が過ぎる。
誰でも疑うだろうが、彼の名誉を守るのならそれが限度である。
そして彼の親族を探り、『真実』を究明しないことは、温情なのか突き放すことなのか。
それはもうわからないことであり、分からないことであるべきだと判断された。
「ゴー・ホースについては、央土と協議する。理由はどうあれ、我が娘の護送に失敗したことも事実だからな」
女王の決定には、従わざるを得ない。
彼女が言うように、ゴーが嘆いたように、南万には他に選択肢がない。
戦争を続けたまま国土を維持するには二人の大将軍が必要で、しかもナタとカンシンを抑えるには二人の大将軍が必要なのだ。
つまり今までが既にぎりぎりであり、それを越えてしまった時点でどうしようもない。
まさか今更、今から、西重がやったように央土へ全力攻撃をかけて移住する、などできるわけもなく。
「ここまでか」
短く、チンケイサイはそう言った。
戦うことを求めていた彼は、己の戦争が終わったことを受け入れていた。
「……」
対するに、ブダイは無言で苦悩するのみである。
戦争の終わりを望んでいたが、それは国力の低下を嘆いてのこと。
サイモンの死を望んでいたわけではない。
そしてそれを止め得る立場にいたのは、己だけ。
それを理解しているがゆえに、彼は嘆いていた。
※
さて、女王ゲツジョウである。
リァンが可愛く見えるほどの、筋骨隆々とした、大鬼にも負けぬ体格の怪物である。
既に孫もいる年齢の彼女だが、今回の戦争でも前線でナタと鎬を削っていた。
女王として問題の有る行動をしたことはなく、少なくとも今回の戦争を請け負った時も、戦争を止めたときも、娘を理由にはしなかった。
少なくとも周囲の反対を押し切って、無理やり決定したことなどない。
だがその彼女に対して周囲が『娘が行方不明になったので戦争をはじめ、娘が見つかったので戦争を止めたのだ』と思うのには理由がある。
「ああああ! お孫ちゃんだわ~~! 私の可愛いホウシュンの、その可愛いお孫だわ~~! おばあちゃん嬉しいわ~~!」
彼女の子供好きは、割と有名だったのである。
現在彼女は、自室に相当するプライベートな船の中で、ホウシュンの産んだ子供たちを抱きしめていた。
もちろん子供たちも年齢の割に大きいのだが、ゲツジョウはさらに数段大きい。
巨大な腕をぐるりと巻いて、孫たちを力の限り抱きしめていた。
「いや~~! こんなに大きな孫がいるなんて……ホウシュンも立派なお母さんね!」
「は、はい……」
「南海のサンゴ礁で、こんなに元気な子を育てるなんて、大変だったでしょう! おばあちゃん鼻高々だわ~~!」
重ねて言うが、彼女は女王としての決断に私情を挟んでいない。
そもそも私情で戦争を始めるのなら、ホウシュンが行方不明になった時に始めている。
あくまでも西重からの要請があって参戦したのだから、彼女は女王としての判断を誤らなかったのだろう。
まあ内心『これを機会にぶっ潰してやる』とは思っていたかもしれないが。
「ああ……夢みたい……戦争が終わっても、立て直すのが大変だけど……これなら頑張れそうだわ!」
「そ、そうですか……」
なお娘本人も、『母さんは私が行方不明になったら戦争するんじゃないかしら』と疑っていた模様。実際そうなっていたし。
「とりあえず行くところも決まってないのよね? 全員この船で同居しましょ、それがいいわ!」
「は、はい……」
悪い母親でも悪い女王でもないが、押しは強い女だった。
余りにも体格の違う母親の押しに、ホウシュンはYESしか言えなかった。
なお、孫たちはイエスとも言えなかった。
世界最強の生物にハグをされて、生物的な恐怖に陥っていたのである。
というか初めて会った超デカいおばさんに抱きしめられていたら、怖くて泣くこともできないだろう。
「で、ゴー・ホース……」
「はい……」
「お前の言っていることを頭から信じるわけにはいかないし、サイモンが黒幕であると決めつけきることもできない。事実は事実、私の娘を送り届けることができなかったという事実があるのみ」
「おっしゃる通りでございます」
「だが南の海で長年娘を守り、なんとかここまで帰したこと、それも事実。よくやってくれた」
そして、恐怖に震えていたのは、子供たちだけではない。
笑いつつも全力で威嚇してくる女王に、ゴー・ホースも震えていた。
覚悟の上だったが、とても怖かった。
「これは女王としてではなく、母親としての、祖母としての考えだが……結婚を認めよう」
「ありがとうございます」
言葉は優しいが、かなり荒々しい発音であった。
多分本当は認めたくないものと思われる。
「お、お母様! 子供たちが……!」
「あ、あああ?! し、しまった!」
なお子供たちを抱きしめながらそんなことをしたため、結果的に子供たちのことも抱きしめすぎた模様。
孫を守りたい想いと婿を認めたくない思いに挟まれたのは、無力な子供たちであったのだ。
ただの不注意である。
「なんか思ってた女王と違うな~~、普通のおばあちゃんって感じだぜ」
(あの筋肉の塊が?)
なお、それを兎太郎たちも見ていた。
流石に全員で来たわけではないが、英雄三人はそろって家族の人情劇を見ている。
「何を言っていやがるんだ、兎太郎。女王でも誰でも、孫は可愛いもんだ!」
「そういうもんですかね」
「そういうもんだ」
うんうん、と共感しているのは狼太郎である。
やはり同じ女性として、女王に理解があるのだろう。
「俺も黄河との間にたくさん子供を産んだし、孫も生まれたんだ。懐かしいなあ……」
(そうだよな、この人は……子供や孫と死別したんだ……)
歴史の偉人である、勝利歴末期の英雄、黄河。
彼の子供たちについて詳しく習ったことはないが、少なくとも長命であったという記録はない。
であればもうすでに、別れは済んでいるのだろう。
「ああ、英雄の黄河様との子供ですか」
「そうだぞ! 俺はいいお母さんでいいおばあちゃんだったんだ!」
「へ~~勝利歴の子育てってどんな感じなんです?」
「何を言う、どの世界でもどの時代でも子育ては一緒だろ!」
死別を悲しむことなく、むしろ誇って。
彼女は兎太郎に自慢した。
「子供も孫も全員天寿をまっとうした! どうだ凄いだろう!」
「……そ、そうですか」
(駄目だ、感覚が違う……)
長命種であるサキュバスと短命種である人間のキメラであり、物心ついた時からそうだった狼太郎は、それこそ普通の人間や普通の長命種とは感覚が違う。
確かに子供や孫が天寿を全うしたのなら、それは親としては立派なのかもしれないが、それを誇らしげに自慢されると対応に困ってしまう。
魔王が生み出したいびつな命は、価値観がちょっと違っていた。
これにはさすがの兎太郎も困ってしまう。
「……さて、異郷の英雄殿」
その三人へ、子供たちを降ろしたゲツジョウが近づいていくる。
理由はどうあれ、国家の柱であった男を殺した三人である。
敵、と断じても無理のないことだ。
少なくとも彼女は、娘の恩人だから、という理由で許すほどわがままではない。
「真相について断言できぬ身ではありますが……我が国の騒動に巻き込んでしまい、申し訳ない」
彼女の選択は、まず謝罪であった。
サイモンが本当に黒幕だったのか、ホウシュンたちが押し付けただけなのか。
いずれにせよ、無関係であった三人とその仲間に迷惑と負担をかけたことは事実である。
ナイルもそうだったが、三人は明らかに部外者であった。
だからこそ、彼女は謝ることができたのである。
「その上で……今しばらく、滞在していただきたい。皆さまがサイモンを討ったことを知るものは、少なくありません。さぞ居心地は悪いでしょうが……女王として、皆さまへ一応の手順を踏む必要がありますので」
「それはわかってるさ、流石に大将軍と戦う時には覚悟していたしな。行く当てもないし、しばらくは滞在させてもらうよ」
「感謝いたします」
この国で一番強い戦士だという、ゲツジョウ。
なまじサイモンと戦い勝利したからこそ、彼より強いことがどれだけ恐ろしいのか、三人には分かってしまう。
だが狼太郎は決して恐れることなく、対等に話をしていた。
それを見ている若き英雄たちは……。
(俺達の時と偉く違うな)
(既婚者ですし、同性ですからね……)
(俺達も結婚したほうがいいかな)
けっこうネガティブなことを言いだす兎太郎。
やはり美人であっても、積極的に迫られるとそれはそれで嫌らしい。
彼女は自制しているのだが、それこそライオンが檻の中でぐるぐるしているような、そんな迫力がある。
(相手がいるんですか?)
(いねえよ、この世界の女の人デカいしな。お前は?)
(……)
蛇太郎は兎太郎からの問いに、即座には答えられなかった。
しばらく黙った後、胸の内を明かす。
(俺は……もしかしたら、一生結婚しないかもしれません)
(いや、すると思うぞ)
でも兎太郎も胸の内を明かしていた。
いつでもフルオープンである。
(いや、あの……その……しないと……)
(まだ若いんだろ、お前。何を今から一生とか言ってるんだよ。狼太郎さんの前で言えるか?)
(それは、まあ……)
(っていうか、お前結婚したことあるのか?)
(ないです)
(じゃあ説得力ねえなぁ)
(そうですね……)
その兎太郎の言葉に、蛇太郎は反論できなかったわけで。
(もしかして俺って、意思が弱いんだろうか……)
冥王は青春について悩み始めていた。
 




