小田原評定
さて、南万である。
とても広大な森林地帯や湿地帯、そして多くの河川がある、水にあふれた熱帯である。
乾燥しきっている寒冷地帯である北笛とは、気候の意味でも対極に位置するだろう。
国土そのものは、央土にも劣るものではない。
だが森林地帯、湿地帯を網の目のように膨大な数の川が流れているため、実質的に利用できる『土地』は決して広くない。
加えて魔境も大小さまざまに存在しているため、人間が住みやすいわけではない。
そんな南万にとっては、広大で有用性の高い央土の領土はとても欲しい地形であり……。
そして央土からすれば、南万は戦争してまで欲しい土地ではなかった。
だからこそ、国力の差があっても国家間には均衡があった。
だがそれが破れかけて……破れきらなかった。
感情的な問題は置いても、南万は央土に攻め込む利があった。
だからこそ交戦したこともある西重の要請に応じたのだが……。
文字通り四方から攻め込んでも、中央を奪われても、それでも央土は強かったのだ。
現在ナタとカンシンが南万の前に立ちふさがり、頑として北進を阻んでいる。
どちらが有利ということはない、膠着状態ではあるのだが、だからこそ国民へ負担が大きかった。
とても疲弊している東威や、全軍をぶっこんでしまった西重ほど深刻ではないが……南万もまた戦争の続行を悩んでいた。
南万の中央を流れる大河、セイカ。
高低差がさほどなく、とても穏やかな流れであり、その河は意外なほど澄んでいる。
水が清すぎるため魚を得ることはできないが、その分飲料などの生活水に多用されている。
その河には、とても大きな船が何隻も浮かんでいた。
それはこの国の行政施設であり、移動できる城であった。
南万だからこその施設だが、その中では優雅で静かとは程遠い議論が交わされていた。
「戦争は続行するべきだ!」
「いや、もうやめるべきだ!」
重ねて言うが、現時点において南万は国家存続の危機ではない。
勝っても負けても、国家が滅ぶことはないのだ。
だからこそ、議論が白熱するのである。
「ずるずると戦争が続き、そちらに予算を取られ、他の多くのことが滞っている! 国民も兵も疲れています!」
航海のための船ではなく、会議のための船。
大部屋を作るための船。
その『部屋』の中で、議論は大声で行われていた。
「この戦争は、あの南方軍を破るだけではなく、その後も戦争をしなければならないのです! それも、大将軍ではなく、末端の兵士たちが! このままでは、カンシン大将軍を破っても、その後が続きません!」
停戦派閥の意見は、極めてまっとうであった。
おそらく国民の多くが、彼らの意見を支持するだろう。
この一点は、西重と同じなのだが……これは侵略戦争なのだ。
確かにホウシュンのこともあったが、もうすでに数年が経過しているし、報復と呼ぶには気勢が風化していた。
そもそも南万の中でさえ、陰謀論が渦巻いているのである。
これで央土を一方的に非難するなど無理があった。
そもそも王女一人が行方不明になっただけである。
それで国民全体が義憤に燃えるなどありえない。
防衛戦争とは違い、勝っているときはいいが、苦しくなると一気に不満が爆発する。
「もう戦争を終わらせるべきです!」
国家の存亡がかかっていないとしても、国家百年の計にはかかっている。
国民が大量に餓死する、モンスターに襲われる件数が増える、税収が減る。
それらが同時に起きるのだ、いやもう起きつつある。
「これ以上、南万は戦えない!」
力強い意見に、賛同者が続出する。
このままだと、肝心の侵略する戦力が残らないのだ。
きわめてまともな意見だろう。
「これまでの犠牲を無駄にする気か!」
だがそんなことは、戦争の続行派も解かっていることだ。
そしてそれは、戦争が始まる前から覚悟できていた範囲なのである。
少なくともこの時点の南万は、西重ほど疲弊していなかった。
あくまでも常識の範疇で損失をしていただけなのである。
だからこそ、続行派の声も大きい。
数字的な意味では、まだまだ戦えるからだ。
そして……万が一央土に負けても、そこまで問題にならないからだ。
「いいか、四方から叩かれていることで、央土は大いに疲弊している。つまり我らに勝つことが出来たとしても、我らの国土を叩くほどの戦力的な余裕はない! この戦争において、我らは既に負けない段階に入っているのだ!」
ただの事実として、央土は戦力の多くを失っている。
南万に勝ったとしても、王都へ救援に向かうだけで、追撃はできないのだ。
つまり負けた場合のリスクがない。
力尽きて倒れても、相手は追い打ちが出来ないのだ。
「ならば叩けばいい! 殴り返してこない相手など、恐れるに足りない!」
「叩く力がもうないと言っている! 我らが恐れているのは敵ではない」
「今は央土を疲弊させることを念頭に置くべきだ! 我らが早めに引けば、その分央土も早く復帰するのだぞ!」
「だから! 我らも疲弊していると言っているのだ! このままでは我らが立ち上がれなくなるぞ!」
この議論は、ある意味では余裕のあるものだった。
議論の余地がないほどどうしようもない、というほどでもなかったのだ。
どちらを選んでもリスクがあり、コストがあり、デメリットがあるのだ。
これはゲームではない。
リセットボタンはないし、待ったはないし、ダイスの振り直しもない。
なによりも……。
可視化、数値化されていない。
相性やらなんやらを抜きにした、ざっとした戦力の数値が分からないのだ。
もちろん勝率の類が表記されているわけでもない。
そして各地の情報がリアルタイムに届くわけではない。
だからこそ『見切り』が必要なのだが、だからこそ予想や空想の余地がある。
そしてそれを、誰も断定できない。
よって誰もが話し合いで解決しようとして、平和的、合法的に解決しようとして、ずるずると続いてしまうのだ。
誰が無能とか誰が有能だとかではなく……状況が決定的ではないのである。
※
さて、この戦況である。
未来の視点を抜きにしても、央土の命運を握っているのは、実質的に南万と北笛であった。
この二つの国が攻め立てるのをやめた瞬間、西重にジローかナタが襲い掛かる。
西重で生き残った最後の大将軍チタセーよりも強いどちらかが参戦すれば、それはそのまま決定打になるだろう。
逆説的に言って、今南万が矛を収めれば、それはそのまま央土を救うことになってしまう。
もちろん央土が倒れるのなら自分たちが全員死んでもいい、と思っているわけではないだろう。
だが自分たちが死なない範囲の戦争なら、続行を支持する一因にはなる。
そう、それが厄介なところだった。
ホウシュンが行方不明になったことを根拠に戦争を続けているわけではないが、行方不明にしやがってと怒っている者が『これを機会に』と思うのは不思議でもない。
少なくとも戦争を終えたがっている側が、そう受け取るのも当然だった。
なんでそんなどうでもいいことで戦争を続けるのだ、と思って続行派と溝ができるのも無理はない。
「申し訳ありませんが、東部でAランクモンスターが出たとの報告が……」
「西部からはBランク上位モンスターが現れたと……討伐の要請が届いております」
会議室となっている船の直ぐ近くでは、南万の大将軍が二名、配下からの報告を受けていた。
大部屋のある船の中には、各地からの報告が集まっており、どれもがよろしくないことばかりだった。
「南西部でBランク中位モンスターの群れが現れ、既に甚大な被害が出ているとの報告が……」
「南東部では多くの河賊が現れ、街が焼かれているそうです……」
彼らの対処しなければならないことは、通常の大将軍の仕事だけではない。
多くの兵が央土と戦っているため、普段ならやらなくていいことまで、彼らが対処しなければならなくなるのだ。
「そうか……」
もうどこから手を付けていいのやら。
この国に三人しかいない大将軍の二人は、絶え間なく届く報せに辟易していた。
万感の思いを込めて『そうか』という他なかったのである。
「サイモン殿……私が行ってまいります」
先ほどこの地域へ戻ってきたばかりの大将軍、ブダイはそう言った。
本来なら二人で手分けしたいところだが、セイカ沿岸地帯はいわゆる首都であり、常に大将軍が一人いる必要があった。
よってどちらか片方が……『央土に匹敵するほど広大な南万』を一人でカバーすることになるのである。
残る方にも重大な責任が伴うが、飛び回る方もさぞつらいだろう。
行けばすぐに解決できるとは言え、既に被害が出ている地域を飛び回るのは、それこそ面倒どころの騒ぎではない。
それを請け負うブダイへ、サイモンは労いの言葉を向けた。
「……武運を祈る」
「ええ……」
大将軍ブダイは、お世辞にも色男ではない。
むしろどちらかといえば悪い方であり、その上で顔を含めて多くの傷を負っている。
その結果、女性から見れば好かれる顔から遠ざかってしまっていた。
だがとても生真面目な男であり、それ故に民衆や兵たちからも信望が厚い。
そして年下の美少女……それこそ絶世の美女と言える娘と長年の大恋愛の末結婚し……子宝に恵まれたばかりであった。
にも関わらず、この非常事態である。
本来ならこのセイカ付近に陣地を張り、各地を飛び回る任務をもう一人へ任せたいだろうに。
己が適任であるため、こうして各地へ飛び回り、戻ってきては報告を受けて……を繰り返していた。
心身ともに超人である大将軍であっても、これはさぞつらいだろう。
「セイカの守り、お任せしましたぞ」
「ええ」
残る大将軍、サイモン。
彼もまた、その顔を曇らせていた。
ブダイと違って気品のあるその顔も、今はすっかりやつれている。
無理もないだろう、セイカを預かるという栄光の地位が、ただのクレーム処理に終始しているのだから。
各地を飛び回ることに比べれば大したことではないが、それでもセイカを守ることも容易ではない。
「サイモン閣下……上流でBランクモンスターが暴れて、船舶が通行できなくなっていると……」
「中流の沿岸部で、亜人たちが大いに暴れて、占拠までしていると……」
「河口付近で、海賊が横行していると……!」
「わかった……」
セイカ近辺といっても、それこそとても広く長く、大きい。
もちろん一本の大通りをカバーするだけなのでそこまで問題ではないが、一人でやるとなれば面倒どころの騒ぎではなかった。
もちろん報告している者たちも申し訳なさそうにしているのだが、それでもせざるをえなかったのだ。
「……お前達にも、苦労をかけるな」
サイモンはそれでも、報告をしてくる部下たちを労った。
彼らだって、大将軍を不機嫌にさせるようなことはしたくないのである。
普段ならもっと下の方で解決できる、どうでもいいようなことまで、一々報告しに来たくないのである。
だがそれでもいいに来ているのは、戦争が長引いているからこそ。
もちろん東威や西重側に配置されている兵たちは手が空いているのだが、それはとっくに央土へ回されている。
そのうえで各地から兵が吸い上げられているから、仕事は忙しくなるばかりであった。
「まったく、女王陛下にも困ったものだ」
もちろんこの状況は、前線にいる女王にも伝わっている。
だがきちんと情報が伝わっているうえで、きちんと『戦争は続行する』と返事が来ているのだ。
女王の考えていることも、分からないではない。
央土の領土が手に入れば、状況は一気に改善するのだから。
央土の側から『領土を譲渡するので講和してください』と言わせなければ、それこそ無駄骨である。
多くの将兵が犠牲になったうえで、何も得ることができず……央土に西重の領土まで吸収されるのだ。
それを避けたい気持ちもわかるが、このまま続けば民の心は女王から離れるだろう。
悲しいことだが……戦争を続けて国家が荒廃し、転覆……というのはよくある話であった。
別にちっとも珍しくないのである。
「……サイモン閣下、恐縮ですが、直談判なさるほかないのでは」
報告に来ていた部下が、そう進言した。
報告に来ただけの男が大将軍に向かって、『お前が女王に文句言って来いよ』と言っているのだから、それこそ命がけである。
だがそれを周りが咎めない程度には、全員うんざりしていた。
「……無駄だ。会ったとしても、どうにもならない」
そして大将軍であるサイモンの否定も、やはりわかり切っていたことだった。
悪いことに、女王こそがもっとも戦争の続行を訴えているのである。
「女王陛下のお気持ちもわかる。後方には後方の地獄があるが、前線には前線の地獄があるのだ。国家のために倒れていく兵たちの犠牲を無駄にするな、という女王陛下のお心もまた、民の心ではある」
前線で仲間を敵に殺された者たちと、後方で山賊に虐げられている者たちの意見がかみ合うわけがない。
どっちも等しく苦しんでいるだから、どちらを優先するべきかとはっきり言えないのだ。
そして少なくとも、国家が荒れつつあるとはいえ、前線に比べれば後方はマシである。
大将軍が飛び回っていることもあって、なんとかなっていると言えばその通りだ。
あまり大声では言えないが『普段だってそこまで治安よくねえだろ』という本音もある。
「せめて……ホウシュン殿下がお戻りになれば……」
禁句を口にしたのは、誰だったか。
少なくともサイモンではなかった。
「無駄だ、殿下が戻ってくることはない」
なぜなら、彼は否定する側に回ったからだ。
「大体……いくら女王陛下がホウシュン殿下を愛していらっしゃるとは言え、娘が一人戻ってきただけで戦争を終えるなどという勝手が許されるわけもない」
その言葉は、真理を突いている。
もしかしたら女王個人の私情として、他のすべてを口実にして、戦争を始めたのかもしれない。
だが既に、行方不明ではなく実際に多くの戦死者が出ている。
その状況で『娘が帰ってきたから戦争やめるね』などと、遺族や兵士たち、戦争続行派へ言えるわけがないのだ。
そして恥を忘れて言ったとしても、誰も納得しない。
「ですが……少しはお心も変わるのでは?」
「前線の兵たちも、全員が戦争の続行を求めているわけではないでしょうし……」
「元々央土も『自分たちの失態ではない』と言い張っていました、ですが殿下がお戻りになれば、真実が明らかになるでしょう」
「央土の失態とわかれば、あちらも折れるのでは?」
結局、報告をしている者たちの多くが、奇跡に賭け始めていた。
それぐらいに、彼らも奇跡を求めていたのである。
「……無駄な仮定だ」
だが奇跡の価値を議論するなど、まったく無駄である。
「それともなにか……君たちには殿下を探す当てがあるのかね?」
そもそも、探しても見つからないから、行方不明というのである。
一国の王女が行方不明になったのだから、それこそ全力で探したのだ。
それでもあきらめるしかないという段階になって、もうずいぶん経過している。
それで期待するなど、それこそ不毛という物だ。
「君たちには申し訳ないが……私も忙しい。すぐに出させてもらうよ」
サイモンが忙しいことなど、報告をしに来た者たちが一番よく知っている。
そしてサイモンが、ブダイほどではないにしても、精力的に働いていることも知っている。
そんな国士を煩わせたことを、彼らは恥じた。
そう、まったくもって無駄な時間だったのだ。
この会話には、何の意味も価値もなかったのだから。
なかったのだ、この次の瞬間までは。
「ほ、報告いたします!」
慌てた様子の兵士が部屋へ入ってきて、まだ船から出ていないサイモンへ大急ぎで報告を始めた。
「セイカの河口付近で、ホウシュン殿下がお戻りになったという報告が! このように、印の有るお手紙も!」
それを聞いて、部屋の誰もが大いに騒ぎ始めた。
もちろん真実だと思っているわけではない、かなり疑っている。
当人がこの船へ現れたわけではないのだから、疑うのが当然だ。
「ホウシュン殿下のご身分を示す印ではありますが……にわかには信じがたいですな」
「うむ……行方不明になった後、既に何年も経過している。印鑑を見つけたものが、騙っていると考えるべきでは……」
彼らも責任のある立場だった。
ここで『やった~~戦争終わりだ~~』と思うのなら、それこそ無能である。
内心でどれだけ期待していても、それをうかつに口にするわけにはいかなかった。
だが口がややにやけていることも本当だった。
この状況が、変わってくれるかもしれないのだから。
「……確かに、うまい話だ。我等講和派にとっても、央土にとってもな」
厳しい顔をしたサイモンが、改めてそう口にした。
「頭から疑ってかかるべきだろう。少なくとも、女王陛下へ報告できる段階ではない」
戦争が終わることを望んでいる、サイモンやブダイを中心とした派閥だが、彼らは冷静な視点を持っている。
彼らよりももっと戦争を終えて欲しいのは、やはり央土なのだから。
いくら戦争を終えたいとは言え、敵の策略にわざと騙されるほど落ちぶれていない。
「私が直接確認に行こう……もちろん、他の仕事を片付けてからな」
場合によっては、とんでもないことになるかもしれない。
大将軍サイモンは『戦闘』さえ覚悟して、その船を出ていった。




