食物連鎖
シュバルツバルトやドラゴンズランドは、異常に瘴気の多い魔境である。
それ故にAランクのモンスターがごろごろ生息しているのだが、もちろん大抵の魔境はそんなことがない。
それこそ人間が認識していないような、Fランクのモンスターが少し湧くだけの魔境がほとんどである。
よってそうしたFランクモンスターを捕食する、EランクやDランクといったモンスターは、最下級の魔境をぐるぐると回遊することがある。
そうなると必然的に、そのEランクやDランクを捕食するモンスターも……とまあ、そんな感じで、魔境の外でもモンスターに遭遇することはままあるのだ。
現在ナイルに乗っている一行は、たまたま偶然それに遭遇しただけであり、そこに一切の意図はない。
だが多くのモンスターがいるということは、それを狙って大物が接近するのも当然だ。
膨大な数のボトルヨットを狙って、海犬やらクエスチョンが来たように、その海犬やクエスチョンを狙って少しずつ上位のモンスターが集まりつつあった。
もちろんまだまだBランクだが、そのうちそのBランクを狙って……という具合になりかねない。
「学者先生ならこの光景をフィルムに収めて、この世界のモンスターの生態を明かすとか資料にするとか、まあそういうこともおっしゃるんだろうが……俺達は知ったことじゃねえな、ナイル、そろそろ離れろ」
『了解しました』
しばらくは子供たちの暇つぶしになるかとも思っていたが、子供たちもずっと見ていると飽きてきていた。
生物の行動観察など素人には退屈なだけであるし、さっさと切り上げるに限る。
ここは動物園でも水族館でもない、野生の危険地帯なのだ。逃げられるうちに逃げたほうがいい。
「ん~~……まあしょうがないですね」
(飽きたからだな……)
兎太郎もまともな判断をしたが、それを本人が飽きたからだなと推測される辺り、蛇太郎からの評価は低かった。
とはいえ、船長である狼太郎の判断を尊重しただけである。
そこにケチをつけるほど、蛇太郎は阿呆ではない。話がまとまっているのなら、それが一番だ。
(……しかし、魔王の故郷のモンスターか)
蛇太郎に生物学への興味はないが、段々遠ざかっていく群れの光景には思うところがあった。
そこには一切選択肢のない、ただの野生がある。個性と呼べるほどの物を持たず、余りにも下等に思えてしまう命たち。
それに対して、蛇太郎は一種の憧れを感じていた。
(自分の力ではなく、機械の力でこの海を進み、他のモンスターに襲われるという危険も少なく……美味しい食事が約束された生活。それに比べて、あの連中は、なんとも未来がない。だが本当に苦しみがないのは、どっちだろうか)
いっそ、記憶もなにもかも、一切合切失いたかった。
ただの獣として生きて死にたかった。
力尽きるか捕食されるまで……それに憧れる。
生きることが苦しい、さっさと死にたかった。
そう思っていると、既に遠くなっていた魚影が、巨大なモンスターに包囲されるところが見えた。
『探知音を発する巨大なモンスターが複数出現しました、先ほどの生物群を包囲しています』
ナイルの言葉通りだった。
それこそ……山のように大きなモンスターが海面に複数現れ、その生物群を取り囲み、一斉に襲い掛かっている。
モンスターのランクや種類に詳しくない英雄たちやその仲間でさえ、ああAランクだな、と納得できる光景だった。
「Aランク中位モンスター……エルエルホエールです」
「語呂がいいな……」
ぱっと見鮫だったボトルヨットとは違い、見るからに、見てわかるようにクジラのモンスターだった。
潮を頭の上から吹いていることもあって、魚ではなく哺乳類のようである。その漁の仕方も、遠目にはクジラと大差がないように見えた。
とはいえ、実際どの程度大きいのかまでは、遠くから見てもわからない。
というか、そもそも蛇太郎自身がクジラの実物に詳しいわけではないので、比較などしようもないのだが。
ともあれ、見たままの通りの生態をしているのだろう。
海面を走行する爬虫類に比べれば、大分現実的である。
(大型のクジラが漁をするところを初めて見ても、ありふれていると思うのは、贅沢なのかどうなのか……)
エルエルホエールというなんともわかりやすく巨大なモンスターだが、流石に束になってもストーンバルーンには及ばない。
ナイルが離れていけば、自ずとそれも急速に小さくなっていく。
そう、そのはずだったのだ。
『警告! 警告! 緊急事態です!』
ナイルがけたたましく警告音を鳴り響かせた。
食堂車両にいる誰もが緊張し、子供たちは泣いてしまう。
女性たちは子供をかばうように抱きしめ、男性たちは妻や子を守るように構えていた。
もちろん英雄やその仲間たちも、警戒をあらわにしている。
もう先ほどまでののどかな雰囲気は、一切残っていない。
「どうした、ナイル!」
『先ほどの生物群に異常が発生しました! 全速力での離脱を推奨します!』
「許可する! ただしバックでだ! 戦闘車両を生物群に向けて移動しろ!」
『了解しました、後方へレールを展開。急カーブとなりますので、皆さまお近くのつり革や手すりにおつかまりください!』
低速で移動しているということは、その分止まりやすく曲がりやすいということだった。
ナイルは速やかに前進を止め、急速に後方へ走り出す。もちろん弧を描くように大きく曲がりながら。
「異常の内容を報告しろ!」
もうすでに全速力でバックしている中で、あえて狼太郎は叫んだ。
どれだけ距離をとっても、おそらく時間稼ぎにしかならない。
だからこそ、その時間を有効に使う必要があった。
『エルエルホエールが捕食を終えた瞬間、その群れの全個体が苦しみだしました。現時点ですでに、全個体が死亡しています』
「毒でも食ったか」
『否定します。科学的な攻撃ではなく、物理的な攻撃です。断定は不能ですが、推測は可能です』
「言え!」
切迫した狼太郎が叫ぶと、それに対してナイルは返答をした。
『寄生虫による内部からの攻撃です!』
直後だった。
その推測の正しさを裏付けるように、生物群のいた方角から、絶対にいなかった種類のモンスターが出現した。
食堂車両に備え付けられたモニターに、戦闘車両のカメラからの映像が届く。
それは紐のような形をしている、大量かつ巨大な寄生虫の群れだった。
「寄生虫型モンスター最強種、Aランク上位モンスター、リヴァイアサン……!」
言葉を失っているホウシュンに代わって、ゴーがそう叫んだ。
Aランク中位モンスターを捕食する寄生虫など、他には考えられない。
「……!」
余りにもおぞましい光景だった。
一般の昆虫でさえ、普通の感性では気味悪がられる。
それよりもさらにおぞましいのが、生きている寄生虫だ。
それがモンスターで、巨大で、しかも強大なのだから、女子供は見るだけで気絶してしまうだろう。
少なくとも兎太郎の仲間たちは、モニターの映像を見ただけで気が遠くなりかけていた。
「寄生虫型……つまりあのクジラの中に寄生していたモンスターが、一気に出てきたと?」
「いいえ、違います……私が聞いた話では、違うそうです」
寄生虫。
つまりは他の生物の体内に入り込み、その栄養を奪い、生きている生物。
当然ながら宿主にとっては害悪であり、死に至らしめてしまうこともある。
そして……文明人にとってはなんともおぞましいことだが、寄生虫型のモンスター自体はまったく珍しくない。
その上、寄生されるモンスターも珍しくない。むしろ寄生虫に食われていないモンスターの方が、よほど珍しいぐらいだ。
であれば、寄生虫型モンスターそのものを前に大騒ぎするなどありえない。
だが最強種ともなれば、当然話は違ってくる。
「リヴァイアサンは普段、弱いモンスターに寄生しているそうです。先ほどのボトルヨットにも寄生していたのでしょう。ですが、弱いモンスターに寄生している間は、まったく無害です。仮に寄生しているモンスターを捕獲しても、加熱処理をすれば食べることは可能なほどです」
寄生虫型最強種、リヴァイアサン。食物連鎖に潜む罠である。
寄生虫の卵は、宿主が捕食された場合、そのままその捕食者の中で生き続ける。
リヴァイアサンもそうである、最初だけは一番弱いモンスターに寄生する。だがその宿主には、何もすることはない。
弱いモンスターを強いモンスターが食べ、さらに強いモンスターが食べていき、Aランクモンスターが捕食するに至った時。
それまで無害だったリヴァイアサンの卵は孵化し、強大な宿主を内側から食い破って成長し、その姿を現すのだ。
「ですが、Aランクモンスターの体内に入ると、リヴァイアサンは一気に暴れだし……その巨体を食い荒らして、成体となります。そのまま目につくすべてに襲い掛かり、殺し絶やして、産卵し……その死骸に群がる下級モンスターに寄生しなおすとか」
聞くだにおぞましい生態であった。
おそらく図鑑か何かに書いてあっても、おぞましさで吐き気を催すだろう。
ましてや目の前にいて、これから襲い掛かってくるとあれば……。
「俺がやりましょう」
EOSを手に、蛇太郎が立った。
「ノットブレイカーにも俺のこれは通じました、なら奴にも有効なはず……」
自分がやるべきだ。そう判断している蛇太郎の顔は、とても険しい。
そして要救助者たちからすれば、それはとても頼もしかった。
だが他の英雄たちの意見は違う。
「落ち着け」
狼太郎の言葉は短いが、なんとものんきなものだった。
「お前ひとりじゃ無理だ、ノットブレイカーの時もそうだっただろ」
兎太郎は少し離れたところにいた、自分の仲間のところへ歩いていく。
「……そうでした」
EOSは確かに強い。
相手が強大であればあるほど、その効果はてきめんとなる。
だがそれも、当たれば、使えればだ。
本来魔王やその配下が使うはずだったそれは、人間が使うことを想定していない。
つまり……最強の武器に相応しい使い手ではないということだ。
「まあまあ、へこまないで。英雄が落ち込んでいると、周りの人も不安になるでしょう」
「ここは『ふん、俺一人でも十分だぜ』と言って強がるところよ。そっちの方が英雄らしいわよ」
「相手は所詮野生動物……そう意気込むこともないの」
「出来れば私たちも頑張りたくはないんですが……」
「そんな張り詰めた顔をしている人間サマだけ、戦わせるっていうのはどうにもね」
「……できればさっさとどうにかして欲しいですけど、でも私たちもやりますね」
「頼りにしてますけど、私たちのことも頼ってね」
落ち込む蛇太郎を、英雄の仲間たちが励ます。
とりあえず有効打がある、というのは組み立てとしてありがたい。
少なくとも、絶望する必要はないのだから。
「……わ」
私たちも戦いましょう。
ゴーがそう言いかけた時である。
ナイル自体が、轟音を発した。
それによって、高速で後退している車体が大いに揺れる。
『リヴァイアサンが大量に、こちらへ接近してきました。当機以上の速度です、攻撃を開始しましたが、耐えられています。この形態では足止めも難しいかと』
「活動的な寄生虫もいたもんだ……!」
『けいこ……』
そして、ナイルの警告が間に合わぬままに、車体がさらに揺れた。
間違いなく、リヴァイアサンの攻撃によるものだろう。
窓の外を見れば、妙に生白い、寄生虫らしい色の胴体が見えた。
その太さたるや、尋常ではない。明らかに生きており、確実に締めてきている。
「……長々話をしたからですね、すみません」
「言うな、俺たちも同罪だ」
「ま、過ぎたことは気にするなって」
カセイ兵器であるがゆえに、尋常ならざる強度を誇るナイル。
その車体が軋み、わずかではあるが歪み……隙間が生まれた。
本来深海でも走行できるナイルは、それ故に圧力にも強い。
だがそれでも耐えられないほどに、この寄生虫は怪力を発揮していた。
もちろん、そのわずかな隙間へ、成体のリヴァイアサンは入れない。
だが活性化させた卵を入れ込むことはできる。
リヴァイアサンにとっても食料を満載している、食堂車。
それの内部に、小型のリヴァイアサンが……大型の蛇ほどの寄生虫が入り込んだ。
それも一体や二体ではない、何百と、おぞましく!
それらは尋常ならざる速度で動き、奇々怪々な軌道を描いて、内部の者たちへ襲い掛かろうとする。
当然ながら、まだ誰もそれらへ攻撃できる体勢を整えていなかった。
「!」
これまでか。
要救助者の誰もが、そう思いかけた。
だがしかし、己の体の内部へ食い込んでくるはずの寄生虫たちが、一向に近づいてこない。
恐る恐る閉じていた目を開けると、そこには、一定の周期でうごめき、しかしそれ以上動けなくなっている寄生虫の群れがいた。
「て、停止属性……いや、減速属性か?」
「これはそういうのじゃない」
ゴーがそれを推測しようとするが、しかし蛇太郎が否定した。
「……説明をしてもいいが、そもそも長々話していたのが悪い。反省を活かして、片づけることにしましょうか」
EOSを構えた蛇太郎が、仲間たちへ促す。
「そうだな……ギフトスロット、レギオンサキュバス! ルアー!」
「ここを片付けて、外も終わらせる! アバター技、大黒天、シヴァ!」
青龍戟を構えた、絶世の美女へ戻った狼太郎。
トリシェーラを構えた、破壊神の似姿へ変身した兎太郎。
モンスターを従えた英雄たちが並び、モンスターを打ち払おうとする。
「ではお二人とも……技を解きます!」
今更のように、寄生虫たちは動き出す。
しかし『装備』を終えている英雄二人は、あっさりとそれを消し飛ばしていた。
「ギフトスロット、レギオンサキュバス、アビュース!」
「アバター技、シン破壊!」
寄生虫型最強種に、乗り物内へ侵入された。
本来詰みであるはずが、一瞬で解決する。
そしてそれは、寄生虫駆除の始まりでしかない。
「チグリス、ユーフラテス、インダス! キンセイ兵器をつかえ! ナイルは変形だ!」
「ムイメ、キクフ、ハチク、イツケ! 変身だ!」
Aランク上位モンスターに遭遇する。
なるほど、不運だろう。
だがリヴァイアサンこそが、不運だったに違いない。
如何に最強種であったとしても、三人の英雄が乗り込む船を襲うなど。
知らなかった、知恵がなかったでは済まされない。




