燈台下暗し
緊急用のボートに乗って、海の上に浮かんでいる要救助者。
救助してみれば実は海賊で、隠していた銃でシージャックを仕掛けてくる。
善意に付け込む卑劣な手口だが、悲しいことに常套手段の一つだという。
船が海岸に近づきもうすぐお別れという時に正体を現し、ここまでご苦労船を明け渡してもらおうか。
それもまた、よくある手口である。
世界は違えども、人間ならばそうした悪事は思い付き、実行に移してしまうだろう。
それを警戒することは、決して悪ではない。
そしてそれを抜きにしても、海とは危険な場所である。
何時時化るのかわからないし、ただ凪になるだけでも恐ろしいし、或いは……まあキリがない。
それ故に船の主である船長には、絶大な責任と引き換えに、絶大な権限が与えられている。
船長が法であり、その決定に乗組員は従わなければならない。
これもまた、海という場所が過酷であるが故の、世界を変えても通用する法であろう。
モンスターに賄賂を渡しても意味がないように、海だって人間の道理が通じる相手ではないのだ。それこそ、どれだけ札束を積んでも相手にされない。
つまりは……船長が判断すれば、従わなければならない。
船長が危険だと判断するような行動は、極力慎まなければならないのだ。
では央土および南万の要救助者たちは、怪しまれないように肩身の狭い思いをしているのかといえば……。
まあそうでもなかった。
※
ナイルがどういう仕組みで海を走行しているのかはわからないが、要救助者たちの目にも航海は順調だった。
周囲の天候も極めて安定しており、波も風も大したことがない。
普通の船旅なら、風は強すぎても弱すぎても不安だが、自走しているこのナイルは安定していれば凪でも問題ない。
であれば、ナイルは豪華客船のようなもの。
乗っている者たちはただの乗客として、ナイルに身を任せるだけで良かった。
さて、豪華客船と言えば、中に映画館やらショーのための施設がたくさんあったりする。
それは金持ちのお客からお代を頂くためである以上に……そもそも船旅が暇だからだった。
最初こそ感慨深く大海原を眺めていた要救助者たちも、あるいは英雄と仲間たちも、すっかり飽きてしまう。
特に子供たちなど、ただの海原など忘れて、このナイルの中を探検したそうにしていた。
ではこの時間、一体何をして過ごすのか。
「皆、よく聞きなさい」
ホウシュンと女官たちは、自分の子供を並べて座らせていた。
場所は貸し出された貨物車両で、今のところはとても広いスペースがある。
そこに入った彼らは、つまらなそうにしているが、ゴーをはじめとした父親たちにがっしりと固定されている。
「これから私たちは、故郷に帰ることになります。場合によっては、私たちもお父様たちも、みな殺されてしまうかもしれません。あるいはそうならないかもしれません」
ホウシュンたちが遭難してから……行方不明になってから、もう七年以上の年月が過ぎている。
その七年で、南万と央土の関係がどうなっているのか、誰にも分らないことだった。
だがだからこそ、場合によってはおとがめがあっても、ある程度は許されるという可能性もあった。
それこそ、何をやってもどうにもならない、という可能性はある。
だがどうにかすればどうにかできる可能性もある。
「ですが……! どうなるにせよ、貴方達は私たちの子供です! 南万の高貴なる母たちと、央土の剛毅なる父たちの間の子です!」
さて、子供たちである。
ホウシュンやその御付きであった女官たちと、ゴーとその部下たちの間に生まれた子供である。
もちろん可愛いに決まっている。だがそれはそれとして、まだ幼いことも事実だった。
「死ぬにしても! 礼儀を習ってもらいます!」
今まではよかったのだ。
あの石と海の牢獄の中なら、やんちゃな子供たちも気にならなかった。
もしかしたらあの島で一生を終えるかもしれなかった子供たちへ、無理に礼節を教えたくもなかった。
だが一旦こうして文明の世界に帰還し、さらに故郷へ帰るかもしれないのである。
場合によっては母である女王へ目通りが叶うかもしれないのだ。
文明の中にいる、我が子たちを見る。おもわず涙がこぼれた。
躾の成っていない子供そのものである。
年齢からすればおかしくはないが、礼儀作法は最低限身に付けさせてあげたかった。
そうでないと、みっともないにもほどがある。
幸い時間もあるのだ、みっちりとお稽古をしてあげることになった。
「ねえ父ちゃん……おいら、この中をいろいろ回りたいんだよ!」
「駄目だ」
もちろん子供は嫌がっている。
だが嫌がることは最初から分かっているのだ、それでも身に着けないとあまりにも恥ずかしい。
そして、周囲に迷惑が掛かるのだ。
両親ともに育ちがいいので、教育の大事さと大変さを知っている。
「いいからお母さんの言う通りにしなさい」
「ええ~~?」
「別に難しいことを覚えろと言っているわけではない。一つ一つ教えていくが……一番大事なのは最初に教えることだ」
さて、大抵のマナーはとても難しい。
難しいが、難しいからこそ、ある程度は許容されている。
しかし最低限のマナーというものはある。
「いいというまで、動かないことと、しゃべらないことだ!」
いいというまで、動かない、しゃべらない。
子供には難しいことだが、だからこそ逆にできないと問題である。
「歩き方も話し方もあるが……それはまあ年齢もあって見逃されるだろう。流石にそこまで狭量ではないからな。だがいいというまで動かない、しゃべらないことが大事だ」
「うう~~……!」
恨みがましい目をしている、全力で暴れようとして、押さえつけられている子供たち。
もちろんこのまま力づくで押さえつけ続けても、意味などないだろう。
何事も、飴と鞭である。
この場合、鞭は慣用句だが、飴はそのままだった。
「狼太郎さんのご厚意によって、おやつを頂けることになっています」
そう言って、ホウシュンは子供たちの口の中に一つずつ飴を与えた。
もちろん甘味は初体験であり、子供たちは大いにあわててかみ砕き……そのまま次を求める。
「次が欲しければ、全員が黙り、止まって……この砂時計の砂が落ちるまで静かにしていなさい」
数少ない私物の一つ、砂時計。
それを子供たちに分かるように、目の前に置く。
「もっと! もっと! ちょうだい!」
子供たちがそれで都合よく大人しくなることはなかったが……。
「……」
親たちも、もとよりエリートである。
黙って待つということを率先して示し、子供たちの根気が折れるまで付き合っていた。
※
しばらく苦戦した後、子供たちは何とか砂時計の砂が落ち切るまで我慢できた。
途中で何度もやり直しになったが、大人たちは諦めなかったので子供が疲れて黙った。
それでも約束通りおやつを頂くことになったのだ。
「コンペイトウという砂糖菓子だそうです、皆ちゃんと静かに食べるように」
食堂車へ戻った子供たちは、やはりおやつをもらったのだが……。
縦一列に並んで、一人一人順番通りに並ぶ事になったのだ。
もちろん子供はそれさえも難しいのだが、だからこそやらなければならなかった。
中には最初にもらった子供から盗ろうとする子もいたが、そこはきっちりと大人が止めている。
やはり集団には集団で当たるべきなのだろう。程なくして子供たち全員にコンペイトウがいきわたり、しばらくのあいだ笑い声が絶えなくなっていた。
もちろん本当はそれも止めるべきなのだが、椅子に座っている限りは許容していた。
流石に絞めつけ過ぎると良くないのである。
「何から何まで申し訳ありません、狼太郎様」
「いやいや……大変なのは分かるし、子供が大事なのも分かるよ。俺にも経験があるんでな」
「そうですか……」
積極的に正体を明かすことはないが、あえて正体を隠すこともない狼太郎。
そんな彼女へ、ホウシュンはもうある程度割り切っていた。
多分そういうことなんだろう、と思うことにしたのである。
「コンペイトウで大喜び……異世界チートだな!」
(コンペイトウの類なら、異世界にもあると思う……)
なお、兎太郎。
子供たちがお菓子を美味しそうに食べている姿を見て、割と失礼なことを言っていた。それに対して、仲間たちは内心ツッコミを入れていた。
その理屈だと、日常のすべてが異世界チートである。
そんな彼らと違って、やはり蛇太郎は思い詰めた顔をしている。
表情は真剣そのもの、猜疑そのものなのだが、内心は自分の心への嫌悪に満ちていた。
なんのことはない、他人を疑うというのは自分の心をすり減らすことであった。
(彼らは裁きを受けるべき人間だ……だが子供まで裁かれるべきなのか……そして俺はそれをどうするべきなんだ……子供だけでも逃がすべきか……その場合子供への責任はどうすれば……狼太郎さんはどう考えているんだろう……いや、あの人なら責任はとれる。だが俺は責任が取れない……そもそも俺が責任を負うような話ではない……)
そしてその先のことも考えてしまう。
真面目というのは、やはり本人に負担が大きいのだろう。
(おかしい、俺はこんなことで悩んでいる場合ではないはずだ……裁くのは南万で、俺が気にしていいことではないはずだ。あくまでも警戒するべきは、彼らが俺たちを裏切るかどうかで……)
誰にも相談できず、ただ険しい目で子供や大人たちを観察するしかない蛇太郎。
彼もまた、悩み多き男であった。
(しかしそもそも、このナイルの主は狼太郎さんで……俺が勝手な判断をしていいのだろうか、いや、許可は頂いているし、警告もしたのだけども)
さても、列車は海の上を走っている。
この間もナイルは北西に向かい、おそらくは南万へ近づいているのだろう。
もちろん誰も、実際にそうなるかどうかは知らないのだが。
ナイルは空も走れるので、ある程度高度を上げれば、その位置を捉えられるかもしれない。
そうでなくても、物凄い速さを出せば、早いうちにたどり着けるだろう。
だが空を飛べば、ノットブレイカーに狙われる。
高速で走ればうるさくなるので、必然狙われやすくなる。
よって静音性を重視した速度で、海面を走るほかなかった。
実際に危機が訪れるまでは、急激なブレーキや軌道変更をすることなく、ただまっすぐ進む。
その中では、当然モンスターの群れに遭遇することもあった。
もちろん追い払おうと思えば、追い払えるだろう。
だがそれをする必要があるかといえば……時と場合による。
「……おい、すげえぞみんな。外を見てみろ」
窓をちらりと見た兎太郎が、外を見るように促した。
彼が何かに気付いたのだから、それは経験上ろくなことではない。
一行は窓の外を見ると、そこには……。
「鮫の群れに囲まれてる」
「うわ……」
これでもか、という量の背びれが、海面から出ていた。
正に鮫、という姿である。その背びれ一枚一枚は、さほど大きくない。それこそ兎太郎たちのよく知る鮫の背びれより、むしろ小さいほどだった。
だがそれでも数が多すぎた。水族館同様に、安全な場所から見ているだけではあるが、それでもぞっとする数である。
流石に子供ではないので泣き出すことはないが、それでも思わず言葉を失っていた。
「これはボトルヨットという種類の魚型モンスターですね」
窓の外を見たホウシュンは、その背びれの主を知っているらしい。
はっきりと種族名を言い当てて、兎太郎たちに説明していた。
「ボトルヨット……ランクは?」
「Dランクです」
「偉く低いですね、鮫なのに」
「……あ、いえ、鮫ではありませんよ」
その時であった。
ナイルの後方から、追い風が生じた。
それは必然的に、ナイルと並走している魚型モンスターの群れにも、追い風が及ぶということ。
風を受けたボトルヨットたちは、そのまま海上にジャンプした。
「……なるほど、こりゃあヨットだ」
背びれの下にいたのは、背びれに比べてあまりにも小さい、細長い魚だった。
ダツに似ている、背びれだけ大きいモンスターであった。
「背びれを帆代わりにして、長距離を移動する魚型モンスターです。航海中に遭遇すれば、それを捕えて食べることもあるんですよ」
「へえ、美味しいんですか?」
「いいえ。とても食べるところが少なくて、しかも美味しくありません。毒があるわけではないので、一応食べておく、という程度です」
「なるほど……よし食べるか」
ちょっとぐらい考えて、食べることにした兎太郎。
もちろんマズいという噂を、実際に確かめるためである。他に理由は一切ない。
「蛇太郎も食べるだろ?」
「えっ?!」
「よし。みんな、捕まえるの手伝ってくれ。人魚に変身だ」
「えっ?!」
食料を節約する以外に一切価値がないという魚を、積極的に狙おうとする兎太郎。
もちろん捕えるのは仲間であるし、一緒に食べるのは蛇太郎である。
自分で捕まえて自分だけで食べればいいのに、未知の体験を分かち合おうとする迷惑な男であった。
『警告します。この魚型モンスターを狙って、他のモンスターが接近してきています』
脅威度が低いということで、ナイルは急激な対応は避けていた。
だがそれでも、低い脅威のモンスターは集まってくる。
【ワォオオオン!】
犬、或いは狼が吠えたような音が列車内に響いてきた。
もちろん食堂車の誰もが、ワードックであるキクフを見る。
「ち、ちがうよ! 私じゃない!」
慌てて否定する彼女だが、実際彼女が叫んでいる間も、犬の遠吠えが連続して聞こえてくる。
まるで犬の群れが、大量に集まってきているようだった。
「これは、海犬ですね。Cランクの鳥型モンスターです」
ホウシュンの説明と同時に、海面へ大きな海鳥が突っ込んでいく。
巨大な背びれを持つボトルヨットを咥えて飛び立つそのモンスターは、鳥にしてはやたらデカかった。
「犬のような鳴き声をするので、海犬と言います」
「……そのまんまね。ちょっとかわいそうなネーミングだわ」
もしも海犬に高度な知性があれば、その名称を止めてくれと言ったはずだ。
インダスはそれを想像し、ちょっとだけただの海鳥を哀れんだ。
「……なにかしら、アレ」
今度はハチクが気付いた。遠方から、水柱が近づいてきている。
どうやら大量のモンスターが、こちらへ接近してきているようだった。
「アレはクエスチョンというトカゲですね。水の上を走ることができる、Cランクの爬虫類型モンスターです」
「トカゲ?! ここ海の上よね?!」
バジリスクという実在するトカゲは、水面を走ることができることで有名である。
普段は四足歩行だが、水面を走る時だけは二足歩行になるのだ。
このトカゲと同じように、クエスチョンは大量の群れを形成し、二足歩行で海面を走っている。
もちろん淡水より海水の方が相対的に重いので、その分浮きやすく走りやすいだろうが、どう見ても凄い距離を移動していた。
そしてそのままボトルヨットを両手でつかみ、暴れるところを押さえながら、そのまま方向転換して元の方向へ戻っていく。
ある意味コミカルだが、その生命力には言葉を失う他ない。
「あの……あのトカゲ、まさか海の上で生活をしているんですか?」
「雲蜘蛛藻という、遠洋の魔境に浮かぶ海藻の上で生活をしているそうです」
「……それで、なぜクエスチョンという名前なんですか?」
これだけ言葉が通じるのだから、クエスチョンという名前も、そのまま謎を意味するのだろう。
確かに面白い生態をしているが、謎という割に正体ははっきりしている。
「朝は藻の上で四足歩行、昼はああして海上を走るので二足歩行、夜寝るときはなぜか一本ずつ足を上げて三足で立っているそうです」
「……なぜかって」
謎は深まるばかりであった。
まるで質の悪い冗談のような生き物である。
『報告します、当機の屋根の上に海犬やクエスチョンが止まりはじめました』
「それぐらい勘弁してやれ」
なおそんなモンスターたちも、乗り物の屋根の上で休憩するという、一般の鳥のようなことをしだした。
『フン害があります』
「焼き殺せ」
もちろん野生動物なので、出すものは遠慮なく出していた。
「わああああ!」
なお子供たち。
このナイルの窓に張り付き、多種多様なモンスターを見て興奮している。
もはや動物園の域であろう。
「あら、あの子たちはモンスターを見たことないの?」
「ええ、モンスターは魔境の近くから離れられないので。ストーンバルーンはその例外の一種ですが、他の大抵のモンスターはそうなんです。ですからあのストーンバルーンの近くには、ああいうモンスターはいなくて……」
インダスの問いに、ホウシュンはあっさりと答えていた。
瘴気をごくわずかしか消費しないストーンバルーンの近くには、必然的にモンスターが集まらないのである。
正しくは普通のモンスターが集まらないところに、ストーンバルーンがいるということなのだが。
ちなみにフェニックスは瘴気を再利用する能力をもち、マリンナインは瘴気を大量に蓄える能力を持っている。
そのためストーンバルーンと同様に、魔境に縛られずに生活が可能だった。
「貴女達も、そのようですね」
「私たちは魔境なんてところとは縁がなくてね」
「すみません、詮索する気はなかったのですが……」
そして魔境とは無関係な、楽園のモンスターたち。
彼女たちは当然瘴気の恩恵を受けず、しかし魔境に縛られない生態を持っていた。
「順調ですね、この船旅は。いえ、船なのかも分かりませんが」
「……」
ゴーは、あえて蛇太郎に話しかけた。
もちろん蛇太郎は返事をしないが、それでもゴーは話を続ける。
おそらく、心中は同じであろう。
「ですが、そういうときほど危険なものです。不意の接敵は、そのまま死を意味します」
「……」
「特にAランク上位モンスターは、慎みを知りません。警戒は怠らないほうがよろしいでしょう。もしかしたら既に……」
船旅が順調な時ほど、何かが起きてしまうのではないかと考える。
それはただのジンクスであり、何の関係もない。
弱り目に祟り目という言葉があるように……結局のところ、災いは来る時を選ばない。
順風満帆な時も、そうではないときも、脅威は現れる。
「問題ない、周囲はナイルが索敵している」
蛇太郎はそれを理解しつつ、ただ備えていた。
外と内側、その両方に対して。
「出てきたときは、対処するだけだ。貴方がたも……外のモンスターもな」
来るなら来い、何時でも相手になってやる。
蛇太郎は手にした対甲種魔導器の手ごたえを感じながら、自分の役割に備えていた。
だがしかし、それでもやはり、蛇太郎はこの世界を侮っていた。
この世界で最強の生物の、その生命力を侮っていた。
もうすでに、この一行は包囲されているのだ。
Aランク上位モンスター、リヴァイアサンによって。




